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 楽園の守護者  番外編
 ― 契約 ― 後編
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 最初に定められた、偽装婚約の期限まで、あと三ヶ月あまり。
 集められた婚約者候補の一覧にはいくつもの横線が引かれ、人数はもういくらも残っていなかった。
 そろそろ短い冬が始まり、暑さの厳しいこの地方でも、吹く風に肌寒さを感じるようになってきている。
 いい加減に、候補を一人に絞らなければならない。
 政務の合間を縫って、候補者達の素行調査の報告を聞き、実家の財政状態や縁戚関係にある者達の人柄についても情報を収集する。本人の能力や性格や人柄はもちろんのこと、その後ろにつく実家や親類の存在も、無視できない要素となった。
 そうして時には適当な理由を作って場を設け、あるいは偶然を装って実際に接触してみたりもした。
 その日も執務室では、椅子に腰掛けたフェシリアと机に尻を乗せたロッドとが、報告書をめくり厳しい目で内容を検討していた。
 そんな、ある意味では恒例ともなっていた、いつもと変わらない昼下がりのこと ――
 分厚い一枚板の扉が、強い力でせわしなく叩かれた。
 書類から顔を上げたフェシリアが入室の許可を出すか出さないかのうちに、乱暴な仕草で扉が開かれる。
 現れたのは、ラスティアール=ガーズであった。
 有能な ―― すなわち滅多なことでは取り乱すことのない侍従文官が、血の気の引いた真っ青な面持ちで歩み入ってくる。
 どこかおぼつかない足取りで、それでもしっかりと扉に錠を下ろしたラスティアールは、くしゃくしゃになった書状を手に、執務机へと近づいて来た。
「……どうした。なんぞあったのか」
 フェシリアが眉をひそめて、腹心の顔を見上げる。
 ラスティアールは数度大きく呼吸し、なんとか平静を取り戻そうとしていた。
「そ、それが……間諜のひとり、が。とんでもない、物……を」
 一度握りつぶした形跡のある書状を、震える手が差し出してくる。
 いぶかしげにそれを見つめたフェシリアは、持っていた書類を机に戻し、ラスティアールが手にしたそれを受け取る。
 丁寧にしわを伸ばしてから、さりげない動きで視線を落とす。
 ……それら一連のやりとりが、事前に入念な準備と打合せを繰り返した上で行われた、茶番に等しいものであるという事実を。
 傍らで不審そうに見守っている、偽装婚約者の名を持つ破邪騎士の青年が、知ることはけしてなく ――


*  *  *


 持ち込まれた書状に記されていたのは、フェシリアもまたセクヴァールの血を引くことのない、赤の他人に過ぎないという『衝撃』の『事実』であった。
 17年前に北の方が産んだ男児は死産であり、早急に後継者を必要としたセクヴァールが、とりあえずの中継ぎとして用意しすり替えた、適当な赤子に過ぎなかったのだ、と。
 それは実際には一年以上も前、公爵領が妖獣の襲撃にさらされていたその頃に、判明した真実であった。
 しかしフェシリアはその情報を隠匿し、当時はまだ即位前であったエドウィネルの協力をも得て、いまこの時まで発覚を先延ばしにしてきたのである。
 そこには多くの苦悩と打算、そして葛藤と努力が存在したのだが……それらすべてが報われるのか、それとも無駄に破れてしまうのか。
 一年以上にわたる計画が実を結ぶか否かが、いまこの瞬間に掛かっていた。


 手渡された書状を食い入るように読んでいたロッドは、やがて深々と息を吐くと、うつむいてしばらくその目を閉ざした。
 その頭の中では、おそらく様々な情報や感情が駆け巡っているのだろう。
 やがて、絞り出すように言葉が発せられた。
「……こいつの真偽は、確かか?」
「残念ながら」
 フェシリアがもっとも信頼する間諜が、自らも間違っていることを望んで望んで、それでもなお、確証を得てしまった上での報告なのだと。
 そう返答したラスティアールに、ロッドはぴくりと肩を揺らす。
「その間諜、口は固いんだろうな」
「 ―― そうでなければ務まりません。情報源についても、手抜かりはないとのことです」
「そうか」
 一年前のフェシリアとまったく同じことを確認するロッドに、ラスティアールは内心でわずかに笑ましく思う。

「…………」

 しばし室内には、重い静寂が落ちた。
 ロッドのそれは、真実心の底からの混乱と葛藤からくるもの。
 そしてフェシリアとラスティアールは、同様に見せかけて、実際にはロッドがはたしてどういった反応を見せるのかと。手に汗握る心地で見守っているが故の沈黙だ。

 それは、永遠にも思える長さの時間だった。

「こいつを……エドウィネルに黙っている訳には、いかねえな」
「そう、だな」
 緊張に渇いた喉をどうにか湿し、フェシリアが肯定を返す。
 実際にはとうの昔に陛下はこのことをご存じで、この一年あまりにわたって、全面的な支援をしてくれている。
「私の叙爵は、結局のところ正統性のない、簒逆に過ぎなかったことになる。陛下がこれをお知りになったなら……」
 言葉を切ったフェシリアに、ロッドはふっと肩の力を抜いたようだった。その口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「あの男は……気にしねえ。多分、だがな」
 握りしめていた書状を、すっと執務机へ置いた。
「コーナ公爵の正当な後継者は、もう誰一人残っちゃいねえんだ。誰かがその後を継がなきゃならなかったのなら、あの男はてめえを選んだだろうよ。しかもてめえは、とっくに女公爵としてその座についちまってる。今さらことをおおやけにしても、無駄な混乱を招くだけだと、そう判断するに決まってる」
「……しかし、血筋というのは、そう簡単に無視できるものではあるまい」
 あえて踏み込んだフェシリアに、ロッドはくっと唇の端を歪めてみせる。
「血筋だァ?」
 わざとらしくその語尾を高く跳ね上げた。
「はっ、血筋なんざクソっ喰らえだ。どんな王族だろうが貴族だろうが、しょせん初代はみんな成り上がりさ。そもそもセイヴァン王家の実体がどんなもんだったか、てめえだってあいつから聞かされただろうが」
 自分達が『新天地』と見なしたその土地を、好き勝手にいじりまわして汚染しつくし、あげく前後の見境も考えず妖獣を解き放った、傍若無人な『移民』達。そんな彼らが原住民を素体とし、生体兵器として生み出した、実験体のなれの果て。それがセイヴァン王家の祖たる初代国王エルギリウス=ウィリアムだった。彼はそんな造物主に反旗を翻し、すべての者を荒野に追いやりめっし去った。現在王家にひそかに伝えられる数々の技術と設備は、すべてエルギリウスが移民達から奪い取った代物だ。いわばセイヴァン王家は奴隷の末裔であり、造物主殺しの盗人の子孫であり、二重三重にも罪を犯した咎人の系譜と言えた。
 ならば、
 そんな王家の係累だという理由で授けられた公爵位の血筋などに、果たしてどれほどの価値が見いだせようか。
「てめえはエドウィネルによって、コーナ公爵領の主であることを認められた。なら今はてめえがコーナ女公爵エル・ディア=コーナだ。だったらいっそ、てめえが初代だと思えばそれですむ話だろうが。成り上がりで上等。自分で努力して得た訳でもねえ、ただ血筋だけで選ばれたボンクラ貴族より、はるかにマシってもんだ。てめえはてめえで、今の地位を戦って勝ち取ったんだ。誰に何をはばかる必要がある?」
 ほとんど一息で、いっきにそう畳みかける。振り上げられた平手が、音を立てて執務机の表面に叩きつけられた。
 それは、この男がフェシリアを ―― その人格そのものを認めたという発言だった。
 彼自身はけしてそうとは口にしないだろうが、それでも確かに存在していたはずの、血の繋がり。異母兄妹というその関係から生じた『じょう』こそが、この男をしてフェシリアを懐に入れさせた、最大の要因だったはずだ。もちろんそればかりではない。ただその事実をきっかけとして、彼女の存在を視界に入れ、その思想を、行動を見聞きし理解していった。そうしてフェシリアならば相応しいと、そう判断したからこそ、彼女が公爵位を狙う行為を容認したにすぎない。
 事実、もっと近い血を持っていた実の父親を、この男は心情的に切り捨ててしまっている。
 ……それでも。
 もしもフェシリアが、なんの縁もゆかりもない、ただの一貴族であったならば。
 おそらくこの男が、現在ここにいることはなかっただろう。
 爵位を得ることに、協力ぐらいはしてくれたかもしれない。だがしかし、偽装とはいえ婚約者の真似事などは、けして引き受けてはくれなかったはずだ。
 それぐらいに、この男は貴族や権力というものを毛嫌いしている。
 そんな彼が、いまフェシリアを認めた。
 現在ただ一人だけ残されたのだと判明した、コーナ家直系の血を引く彼が。
 そのロッドが、このまま彼女がコーナ家の主でい続けて良いのだと、そう断言したのだ。
 それは暗黙の内に、たとえ血など繋がっておらずとも、今の関係を変える気はないと、そう意志表示したも同然だった。
 フェシリアこそがコーナ女公爵エル・ディア=コーナであればいい。自分がとる態度は、これからもなんら変わりないのだ、と ――

 それは、フェシリアがもっとも求めていた言葉だった。
 真実が明らかとなってから、一年あまり。
 細心の注意を払い、ひそかに進められてきた計画と要した努力は、すべてがその言葉を引き出すためのものだったと言って良い。

 あと必要なのは、ほんの一押しだった。
 故に彼女は、慎重に慎重に感情と表情を制御して、言葉を紡ぐ。
 さながら腕の立つ猟師が、綿密に仕掛けたその罠の、最後の扉を閉ざすように。

「だが……この事実を踏まえると、婿候補の条件はさらに厳しくなろうな。ただでさえ、女公爵の伴侶と言うことで、不相応な権力を期待するやからが多いのだ。万に一つでも婚姻したのち私の血筋が ―― 正確には血筋の不確かなことが ―― 明らかになれば、男の側がつけあがるだろうことは目に見えている」
 王家の血にも繋がる公爵家の姫だからこそ、気位の高い良家の子弟が表向きだけでも敬い、その風下にも立とうと考えられるのだ。だが現実にはどこの馬の骨とも知れぬ、ただの『女』に過ぎぬと知れたなら?
 ただでさえ爵位を持つ女貴族は、たいてい実務を父や伴侶に任せきりにするのが普通だ。自分はただ形だけその名を受け継ぎ、公式の場で黙って微笑む以外は、ただ屋敷の奥で家名を汚さない程度に贅沢で穏やかな生活を楽しむのが慣例である。
 正真正銘の貴族であってもそうなのだ。ましてやその実体が紛い物の姫であったならば。伴侶となった男はここぞとばかりに己の上位を振りかざし、フェシリアから権力を奪い取ろうとするだろう。たとえそれが単に、自分が名家に生まれた『男』だという、ただそれだけの理由であったとしてもだ。
 そして世間一般で信じられている常識からすれば、確かにそれが『正しい』のだ。
 どれだけフェシリアの方が公爵として優れていても、領民の生活を向上させる手腕を持っていようとも、ただ一点、血筋の正統性という部分において、すべては否定されてしまうのである。
 故に、婿に求める条件は、よりいっそう厳しくなった。
 たとえフェシリアがコーナ家の血を引いていないと知ったとしても、態度を変えない人物。
 それが最優先にして、はずせない第一条件になったのだ。

 だが ―― はたしてそんな相手が、どこにいるというのか。
 ただでさえ、厳しすぎる条件がそろっていたのである。
 国家セイヴァンが誇る二大公爵家の片翼、コーナ家の当主に相応しい血筋もしくは地位。己の立場をわきまえ、フェシリアの権力を侵害しない思慮分別。社交界という一種陰険かつ油断のならない世界で、うまく立ちまわることができ、少なくとも足を引っ張らない程度の知性と品位と教養。
 それらを兼ね備えたうえで、17歳になったフェシリアと、年齢的にも釣り合いのとれる成年男子。
 並べ上げるだけで、あまりにも現実性がないと言える。
 そこにさらに、前述の内容を加えるとなると ―― いかに国中を探したとしても、すべてを満たす人物など、見つけられるとは到底思えなかった。

「…………」

 ロッドは、渋い表情で眉間にしわを寄せていた。
 いかに上流階級の目から見て常識はずれの振る舞いばかりするこの男でも、本当に現実が見えていない訳ではない。むしろ誰よりも現実の厳しさを知っている、冷徹とも言える判断力を持っていた。
 故に状況の苦しさを、誰よりも把握していると言えた。

 だが ―― そんなこの男でも、まだ知らない事実がある。
 いや、こう表現するべきであろうか。気が付いていない……あるいは自覚していない、と。

 フェシリアは思わせぶりに、たっぷりと間を取ってから、ゆっくりと口を開いた。

「実を言うと、な。すべての条件を満たす相手に一人、心当たりがなくもない」
 その言葉に、ロッドは意外そうに片眉を上げた。
 そんな男がどこにいたかと、脳内でさっきまで眺めていた婿候補の一覧を確認しているようだ。
 記憶をたどるロッドへと、フェシリアは指を立ててみせる。
「まず、頭は悪くない」
 人差し指。
「教養は人並み以上で、知性も充分に備えている」
 中指。
「年齢は26歳だったか」
 薬指。
「女公爵の伴侶という立場に奢って、権力を振るおうとする馬鹿もしないと保証できる」
 小指。
「私の素性をみだりに口外しないことも確かだし、本人の血筋と地位については折り紙つきだ」
 すべての指を開いた手が、見せつけるように振られた。
 ひとつひとつ数え上げられるにつれて、何故かロッドの眉間のしわは、どんどん深くなっていっていた。
「そして、な。ここが一番重要なのだが……」
 意味ありげに、一度切られた言葉。
 ロッドの表情は、続く台詞でさらに不機嫌そうなものへと変じた。

「それなりに好かれている自信がある」

 それなりに、と前置きしながらも、その口調は確信に満ちていた。
 淡い桜色の唇が、わずかに笑みを浮かべている。間違っても可憐だとか、慎ましやかなといった形容はされないたぐいの、凄みを感じさせる微笑だ。
 ロッドの眉根がますます寄せられる。
「少なくとも、有事の際に身体を張ってくれる程度には想われているし、直接にではないが、つまらない男は相手にするなと言われたこともある」
 どうだ、と言わんばかりに得意げなフェシリアを、ロッドは眇めた目で見据えた。
「……そんな男がいたなんざ、聞いてねえぞ」
「確かに、言ってはいないな?」
 軽く首を傾げて側近のほうを流し見るフェシリアに、ラスティアールもごく真面目な表情でうなずいた。
「言っては、いませんね」
 二人のやりとりに、ロッドのまとう空気はますます剣呑なものとなった。
「おい、聞き捨てならねえな。俺は仮にも偽装婚約者だぜ。協力しろと言っておいて、肝心な情報からはつまはじきだったって訳か?」
 ―― ふざけるな。
 低い声が、底冷えのする響きを帯びる。
 半ば脅迫と言っても良いほどに、無理矢理に近い経緯で共犯者に引きずり込んでおいて、その裏では良いように利用していたのか、と。
 深蒼の瞳がぎらついた光を放ち始めた、次の瞬間 ――
 フェシリアが盛大に吹き出した。
 そこは淑女の嗜みですぐに押さえ込んだが、手の甲で口元を隠しながら、くすくすと心底楽しそうに喉を鳴らしている。
 見ればラスティアールも、どこか呆れたような失笑を漏らしていた。
「何がおかしい」
 意外な反応に多少なりとも毒気を抜かれたのか。
 ロッドは瞳の険しさをわずかに減じさせた。だが低い声音はそのままに、笑っている主従へと問いを放つ。
 そうしてフェシリアは、最後の最後にとっておきを披露するように、意地の悪い笑顔を見せた。

「 ―― まだ判らぬのか? そなたのことだ。ロッド=ラグレー」

 言われた瞬間、ロッドは理解できないことを聞いたように、目をしばたたいた。
 それから脳内でゆっくりと内容を噛み砕き、咀嚼して飲み込む。
 一連の作業をしている目の前で、フェシリアはひたすら楽しげに笑っていた。

 確かに、夏の終わり頃フェシリアが負傷しそうになった際、かばってやったことはあった。
 そのあとに……そう言えばラスティアールに対し、婿候補の一人を考慮からはずすように告げた。あの男は駄目だ。公爵の危険よりも己が身の安全を優先するような男になど、フェシリアの伴侶はとうてい務まらない。そう判断したからだ。
 ちなみに己の年齢は、26歳である。
 いつしか数えるのを忘れて適当に言っていたが、公爵家に残る記録文書と現在の暦を照らし合わせてみると、どうやらそうなるらしい。

「…………」

 ひとつひとつ確認してゆくにつれ、ロッドの目はじょじょに座っていった。
 やがて、はっと小さく息を吐く。
 そうして細めた瞳でフェシリアを見返した。

「 ―― 正気か?」

 平坦な口調は、明らかに相手を馬鹿にする代物だった。
 それもいつものような、わざとらしいまでに嘲りの色を乗せたそれではない。どこまでも起伏の感じられない、むしろそれだけに掛け値なしの本気をうかがわせる、心の底から発せられた問いかけだ。
 ぴたりと、フェシリアの笑い声が止まる。
 まっすぐに向けられたのは、こちらもまた感情の色を排した、真剣な面もちだ。

「この上なく」

 短い返答に、ロッドはなおも静かに返した。
「言ったはずだぜ。『血筋なんざクソっ食らえ』」
 内容とは裏腹に乾いた口調で告げられたその座右の銘は、彼がこのわずかなやりとりだけで、フェシリアが求めているものへ思い至ったことを示していた。
 すなわち、次代へとコーナ家の血筋を受け継ぐこと。それによって正統な血の連続を保ち、転じて自らの立場を正当化することだ。
 それは確かに邪推ではない。
 彼女はロッドの血を利用することで、自らがコーナ女公爵の立場にあり続ける欺瞞を解消しようとしている。それはくつがえしようのない事実だった。
 ここで対応を誤れば、フェシリアは……そしてあるいはセイヴァン王家そのものまでもが、この男を永遠に失うだろう。
 だが彼女には、まだ切り札が残っていた。

「無論のこと、そなたの血筋も理由のひとつではある。それは否定できん」

 滅多な相手に知らせることはできぬ、その事実。だがそれによって、他の誰でもない最大の後援者を ―― 当代国王エドウィネル=ゲダリウスその人を ―― 味方に付けることができる。それは紛れもない現実であり、フェシリアにとって、ロッドを選んだ重要な要因ファクターのひとつだった。
 だが、なによりも最大の理由が、他に存在するのもまた真実なのだ。

「それを踏まえて、だ。そもそも私には、以前からひとつの不満があってな」
「なんだ」
 いつものような、余計な嘲弄はない。最低限の言葉で問い返されるのに、フェシリアは……いささか計算を忘れた、素に近い苦笑を見せる。
「『血の繋がりさえなければ、ちょうど良かったものを』だ」
 それは衝撃の真実が、間諜から報告される直前のこと。
 未だコーナ公爵領が未曾有の危機に見舞われていた、その当時のことだ。ロッドが自ら訓練した兵士達を引き連れ、妖獣を相手に奮闘していた、まさにあの時期である。
 日々泥と汗にまみれ、兵士達と共に領民を守るべく戦っていた男を、屋敷にいる使用人達はみな好意的に受け入れていた。直接に訓練を受けた兵士達は言うに及ばず、領民達もまた、恐るべき妖獣に立ち向かいその手で自分達を守ってくれる破邪騎士へと、まるで英雄でも見るかのように崇拝の念を向けていた。
 また異変を警戒する事前準備の段階で、この男が見た目から受ける印象よりもはるかにずっと、内政に向いていることも判明していた。書類の読み方も資料のまとめ方も、細かい計算の正確さから下位の人間の扱い方まで、実に堂に入ったものだった。側近筆頭であるラスティアールと変わらない事務処理能力に加え、人の上に立てるだけの統率力と求心力を備えている。
 それでいて、野心と呼べるものはまったくない。権力に対する欲も、地位に対する羨望も、まるで持っていないのだ。むしろそれらを忌避し、嫌悪すらしているように見受けられた。
 望むのは、ただひたすらに民を守ること。本当にそれだけだったのだ。

 ―― 惜しい。

 心の底からそう思った。
 その頃にはもう、この男が本当は何者であるのか、うすうす察していたものだから。
 野心を持たず、縁戚という名の余計なしがらみも持たず。それでいて民を愛する心は誰よりも強く、破邪騎士というある意味この国でもっとも尊ばれる地位と、文武ともに優秀な能力を兼ね備えている。領民達からはもちろん、王家からの評価も実に高い。
 そしてなによりも、共に同じ執務室で政務を行っていて、驚くほどに仕事がはかどった。言葉を投げれば、打った鐘が響くように答えが返り、仕事を離れた時間でさえ、適度な緊張感を伴った刺激的な空気を楽しめる。

 ―― これで、血さえ繋がっていなければ。

 これほどに、己をつくろわずにすむ相手は、これまでどこにもいなかった。
 両親や女官達は言うまでもなかったが、たとえ腹心の武官であるレジィ=キエルフも、侍従文官のラスティアールも、はたまた侍女のリリアでさえも、心許せる相手でこそあったが、それでもあくまで『部下』だったのだ。何かがあっても弱みを見せることはできぬし、忠誠と親愛は受けられても、一定以上の馴れ合いはなかった。それが自然にあるべき姿であったし、お互いもそれで不都合を感じていなかった。
 一方で当時王太子であったエドウィネルは、あくまで主家の一員である。互いの内に同種のものを見いだし、同志としてある意味強い友情のようなもので結びついてこそいたが、それでもフェシリアは臣下としての礼を取らなければならなかった。限りなく本音に近い会話を交わしながらも、そこには譲れない一線が存在した。
 しかるに、この男は ――
 被っていた柔和な姫君の仮面を初対面で見破られたその後は、恐ろしいほど歯に衣着せぬ物言いで、一足飛びに内部へと踏み込んでこられた。それを不快に感じるよりも、むしろ小気味良いと思ってしまったのがいっそ不思議なくらいで。

 あるいはそれこそが、血の繋がりゆえであったのかもしれないと。
 一時はそうも考えた。
 たとえ知識としては知らずとも、体内に流れる血の半分が、互いの思考を良く似たなじみやすいものにしたのではないか。
 そう納得し、血の繋がり自体を否定すれば、この親近感の存在をもまた否定することになるのだと考え。そうして、一度はあきらめようとしたのだ。
 それなのに、必然であったはずのその事実が、あくまで偶然に過ぎなかったのだと ―― 自分達は兄妹などではない、単なる似た者同士なのだと、今になって判明してしまったのだ。
 それならば、

「我々は、赤の他人だ。どれほど思考形態が近しくとも、気性が似通っていようと、血の繋がりはどこにもない。そしてそなたは地位も知性も教養も分別も、公爵家の婿として必要な、すべての水準を満たしている。ならばどうして、手を伸ばすのにためらう必要がある?」

 禁忌は消えた。
 同じ空間にいて、誰よりも気を使わず、誰よりも有意義で、そして誰といるよりも楽しいと感じられる。
 そんな相手を求めるのに、たったひとつの障害であった血の繋がりという大前提が、根底から消えて失せたのだ。
 ならばどうして、むざむざあきらめなどしてやれようか。

「……それとも、私と肩を並べるのはつまらぬか。確かに女としての魅力に欠けるのは自覚しておるが、そうさな、もう五年ほども待ってもらえれば、そなた好みの豊満な肉体を持てる可能性もあると思うが」
 貴族社会では、十や二十も年が離れた婚姻も珍しくない。とはいえそれでもやはり、趣味嗜好というものがある。一般的に女性側は若い方が好まれるものの、それでも26歳のロッドにとって9歳も年下というのは、ほぼ子供の感覚に近いだろう。
「なんでてめえが、俺の好みを知ってんだ……」
 確かにロッドは、どちらかというと胸と尻が豊かで腰のくびれた、大人の女を選ぶ傾向にある。もちろん金を出して商売女を買う場合だ。まれに困窮した下町の年若い春売りや、あるいは少年男娼を買ってやる場合もあったが、基本的には酸いも甘いも噛み分けた、互いに楽しむことを知っている熟練の玄人と遊んでいる。
「なに、細かいことは気にするな」
「…………」
 頭痛をこらえるようにこめかみを押さえながら、ロッドは何かを噛み潰すように歯を食いしばった。
「偽装婚約を解除して、改めて別の相手と関係を構築するとなると、時間も手間も相応にかかる。だが私とそなたなら、このまま偽装を本物にしてしまうだけで済むぞ」
「…………」
「……そこまで嫌か」
 フェシリアの声音が、わずかに沈んだ。
 それに気がついたのか、ロッドが伏せていた目蓋を持ちあげる。
「てめえは、それで良いのかよ」
 貴族の ―― 特に女性の婚姻は、基本的に家同士の都合で決められる。そこに本人の意思が介在することは滅多にない。それを思えば、選択肢が限られているとはいえ、自身に決定権があるフェシリアは恵まれている方なのだろう。
 それでも、
 条件でがんじがらめになったその先で、たったひとり見つかったその相手を否応なく据えることに、迷いはないというのか。
 ロッドの言葉に、フェシリアは再び笑みを浮かべる。
 先刻までと打って変わったそれは……どこかはにかむような色を含んだ、彼女にしてはごく珍しい表情だった。
「判らんやつだな。それで良いわけではない」
 いまだ薄い胸を張って、きっぱりと断言する。
「それ『が』良いと言っておるのだ」
 それから呆れたような眼差しで、深蒼の双眸を見つめ返した。
「それとも、もっとはっきり言わんと理解できぬのか。女の方から申し込んで良いのなら、それもやぶさかではないが?」
「 ―― 待て」
 反射的に嫌な予感を覚えたらしく、ロッドは開いた手のひらを向けてフェシリアの言葉をさえぎった。
 それから何かを逡巡するように俯いて、口の中でぶつぶつと呟いている。
 どれほどそうしていただろうか。
 ややあって顔をあげたロッドは、完全に座りきった目でフェシリアを見下ろした。

「てめえと俺は、他人だな」
「そうだ」
「てめえは女公爵だ。いずれ世継ぎが必要になる」
「その通り」
「別に血が繋がってる必要はねえ。どこぞから養子を取るってェ手もある」
「……まあ、それもありだがの」
「だがいずれその養子の実家が口を出してくるだろうことを考えると、ここで婿を取るのもおんなじことだ」
「うむ」
「 ―― 俺に、実家はない」
「……そのようだな」
「あるのは、破邪騎士の身分だけだ」
「セフィアールはこの国のかなめぞ」
「しかも厄介者扱いで、見習いの小者にすら蔑まれる鼻つまみときてる」
「余計なしがらみがなくて、ちょうど良いわ」
「要するにてめえは、面倒な後ろ盾がなくて、自分の権力に横からちょっかいを出さず、女主人の尻に敷かれて適当にぶらぶらしてくれる、邪魔にならない旦那が欲しい訳だな?」
「…………」

 さてどう答えたものかと思案したわずかな間に、ロッドは内心でなんらかの結論を見たようだった。
 一方執務机の前ではラスティアールが、穏やかならぬ内容の問答に、二人を落ち着きない素振りで交互に眺めやっている。
 そんな侍従文官をきれいに無視して、ロッドははッとひとつ息を吐き、肩をすくめてみせた。
 その表情はいつの間にか普段のそれと同じ、つかみ所のない飄々としたものになっている。

「女公爵のヒモってのも、まあ面白れえか」
「ヒモ!?」

 口にされた低俗な単語に、ラスティアールは目を剥いて叫んだ。
 ロッドは口の端を歪めてニヤリと笑う。
「女房を働かせて、自分はぶらぶら遊んでる男を、世間ではそう言うんだよ」
「な、なにも働くなとは……ッ」
「夫として必要なのは、子供を作ることと、あとは舞踏会だのなんだのってぇ、公式の場で横に立ってるだけだろう? 女抱いて酒呑んで着飾ってるってのは、遊びと同じだろうが」
「貴族の宴は、れっきとした社交の場です!」
 真っ赤になって力説するラスティアールをよそに、フェシリアはなるほどとうなずいていた。

「そうか、ヒモか」
「ヒモだろう?」
「ヒモだな。よし、それで行こう」

 基本的な方針は、偽装婚約者である今とほぼ変わらない。ただ実際に婚姻を結んだ伴侶となれば、行使できる力や行動範囲がさらに拡大するだけである。
 つまるところ、領地を救ってくれた破邪騎士に惚れ込んだ女公爵は、血筋も名誉もろくにない鼻つまみ者を婿に取り、そして婿は周囲の思惑などどこ吹く風で、適当にあちらこちらと国内中で遊びほうけるのだ。他人様の屋敷や立入禁止区域にも傍若無人に入り込み、口に出しにくい言葉も空気を読まず放言し、取り入ろうとするやからがいれば後先考えなしに話を聞く。
 若き女公爵に群がる権力亡者達は、さぞかし呆れ失望しつつ、利用しようとするだろう。
 あるいは遠まわしに、あるいはどうせ理解できぬだろうと面と向かって、さまざまな言葉をぶつけてくるはずだ。それは無能な婿に対する侮蔑であったり、そんな婿を選んだ女公爵への不満であったり ―― そんな二人を利用し追い落とそうとする、何らかの企みであるに違いない。
 それらがすべてそのまま、女公爵当人や、場合によっては国王陛下へまでも筒抜けになるとは思いもせず ――

 未来を予想して、楽しそうに意地の悪い笑みを浮かべていた二人だったが ―― やがてフェシリアがロッドの方を見上げた。
 なにかを待つようなその視線に、ロッドは小さく鼻を鳴らす。
 尻を乗せていた机からひょいと飛び降りると、向き直って椅子の傍らに立った。
 フェシリアもまた、革張りの椅子から腰を上げ、慣れた仕草で裳裾の乱れを整える。
 そうして彼女は、優雅な仕草ですっと右手を差し伸べた。
 一瞬の静寂。
 やがてその繊手を、褐色の手がすくい上げた。皮膚の硬くなった無骨な手のひらは、長く強靱な指で、小さな手をしっかりと包み込む。

「……俺の剣は、国民のものだ。いつか俺は、破邪騎士として死ぬ」

 低い声が、沈黙を破った。
 視線は床へと向けられていて、意外なほど長い睫毛がその頬に影を落としている。
 掠れた聞き取りにくい、けれど不思議なほど耳に残るその声だけが、静かにあたりへと響いた。

「それは、譲れねえ。だが……」

 一度、言葉を切る。
 そうしてロッドは、口の端を上げる、いつもの不敵な笑みを浮かべた。
 自然な仕草でフェシリアの手を引き、腰を屈めて上体を近づける。黒髪からのぞく耳へと触れんばかりに、薄い唇が寄せられた。

「 ―――― 」

 囁くように紡がれた言葉は、あいにくラスティアールには聞き取れなかった。
 ただフェシリアの肌がほのかに上気し、意識して作ったものとは異なる笑顔が、はにかむようにそのおもてを染めるのを目にする。
 ロッドが機嫌良さげに喉を鳴らす、低い音が室内にこだました。
 やがて、ほっそりとした腕が固い背中へと回され、服の布地を握りしめる。青藍の袖に包まれた両腕もまた、しなやかな細い肢体を遠慮なく引き寄せた。


 それは南国が遅い秋の終わりを過ぎ、短い冬を迎えた時期の、良く晴れた小春日和のこと。
 いくつかの順序を意図的にずらされながらも、すべてが落ち着くべきところに無事落ち着いた、その決着ともなる日。
 女公爵の忠実なる侍従文官ただひとりが立ち会い人となり、安堵とも後悔ともつかぬ、複雑な表情と共に見届けたそれは、
 良く似た二人の男女が改めて交わした、この先の生涯を共にするという、偽りでない真実の契約であった ――

(2013/01/02 14:39)
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