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 楽園の守護者  番外編
 ― 契約 ― 前編
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2012/12/30 19:33)
神崎 真


「お前が一番、都合がいい」
「 ―― 頭は確かか?」

 二人の間で一番最初に交わされたのは、
 甘さの欠片も感じられない、そんな無味乾燥とした素っ気ないやりとりだった。


*  *  *


 閉ざされた楽園たる国家セイヴァンでは、その年の夏さなかカイザールが没し、十九代国王エドウィネル=ゲダリウスが、慌ただしく玉座についた。
 それから間もなく急なやまいを理由にコーナ公セクヴァールが隠居することとなり、エル・ディ=コーナであったフェシリアが爵位を継いだ。その間、一ヶ月と少し。
 政治の世界では、何事にもまず、時間というものを必要とする。
 会議、手続き、そして関係各所への諸手配という名の根回し。
 この時代、連絡手段といえば、基本的に馬か船だ。ごく急ぎのものであれば訓練した鳥を使用することもあるが、署名や複数の写しが必要な正式書類などは、やはり安全を重視して人の手により運ばれるし、それらを処理する相手もまた高位高官になればなるほど、他の仕事が山積していて順番待ちとなるのが常である。
 王都からコーナ公爵領までは、専用の船を仕立てても三日から四日はかかった。普通に馬で街道をゆけば、軽く十日以上が過ぎる。当然どれほど順調に手続きが進んだとしても、そこには限度というものがあった。まして貴族の最高位である公爵家の代替わりともなると、即位したばかりの新国王の承認やら、形式張った儀式も必要不可欠である。
 それらを考えあわせると、セクヴァールの事実上の失脚からフェシリアの爵位継承まで、わずか一月あまりというのは、驚異的な手際の良さと言えた。
 ―― 実際には新国王とフェシリアとの間で、実際に事が起きるはるか以前から、秘密裏に入念な打ち合わせと事前準備が行われていたからに他ならない。
 もちろんそんな裏事情の存在を、彼らが余人に知られるような不手際など、するはずもなかったが。
 そしてエドウィネルは政務に慣れるべくしばし多忙を極め、フェシリアもまた、本来であれば得られるはずのなかった公爵の椅子の座り心地を堪能する暇もなく、様々な政務に忙殺された。
 なにしろコーナ公爵領が大量に発生した妖獣の群に襲撃されてから、まだいくらも経っていない。人的損失こそ最低限にくい止められたものの、それでも戦闘員である兵士の多くが死傷したし、建物や港湾施設などにもかなりの被害が出た。
 それはもはや、局地的な災害といって良い水準であった。
 襲撃の際に郊外へと一時避難させられた領民のいくばくかは、妖獣が殲滅されたのちも帰る家を失い、仮住まいでの生活を余儀なくされている。自宅は無事でも職場を失った者、ことに持ち船や桟橋を破壊され海を汚染され、仕事のできなくなった漁師や船乗りが数多く存在した。
 妖獣によってもたらされた損害に関しては、基本的に国からの援助が出る。だがそれも具体的な被害状況を調査し、吟味し、それに応じた予算を作成して、さらに関係各所の承認を受けた上でのことだ。これほどの数と規模の被害を処理するとなると、それこそ膨大な手間と時間を必要とした。だが被害にあった人々は、いま、まさにこの時、救いを待ち望んでいるのである。
 そんな領民を可及的すみやかに保護するため、フェシリアとその配下の人間達は、文字通り東奔西走することとなった。国からの援助が届くまでの代替として、公爵家とそこに繋がる貴族や資産家達が財産を放出し、まさに身銭を切って人々の暮らしの安定を図る。
 さいわい南方にある公爵領は、冬が来ても寒さに凍えることはなかった。しかし間もなく雨の多い季節が訪れようとしている。少しでも住み良い仮設住居と、充分な食料の配給。衣類などの生活必需品もそれなりの種類と量が必要だし、衛生管理も重要だ。ここで疫病でも流行しようものなら、まったくもって目も当てられない。
 同時進行で、破壊された各施設の復興も急速に進められた。
 まず最優先されたのは、必要な資機材を運び込むために使用する、船舶及び港湾施設の修理。それから陸の輸送経路たる道路の整備。妖獣によって破壊された瓦礫は運び出され、再利用できるものは集めて複数箇所に分類して保管。使えないものはさらに細かく砕いて燃料にするか、整地の基礎を埋め立てるのにまわされた。
 そしてそれらの作業に必要とする労働者には、賃金を払って働かせることで、収入の道を断たれた人々への暫定的な救済とする。
 もちろん当座の資金については、のちに支払われる援助からしっかり回収する予定だった。それでも目先のことばかり考えて金を出し渋る貴族や資産家達を、フェシリアは時に口先三寸で操り、時には脅しまがいの交渉によって強引に動かした。
 いまだ爵位についたばかりの、しかもか弱い少女にしか見えぬフェシリアにとって、それは非常に困難を極める仕事であった。しかし彼女はその責任から逃れる気などさらさらなかったし、自らの手によって領地を復興させることは、むしろおおいに望むところである。
 そんな彼女を支えたのは、ラスティアールやレジィ=キエルフら腹心の部下達であった。もちろん仕事から離れた場所で、疲れ切った心身をいたわってくれる有能な侍女リリアの存在も忘れてはいけない。
 そして ―― いつの間にか当然のような顔をして屋敷内を闊歩していた、褐色の肌と深蒼の瞳を持つ破邪騎士。
 セクヴァールの振るった剣によって重傷を負ったその男は、王都で人目に触れぬようひっそりと静養していたはずだった。それ以前から長期間にわたり続けていた無理によって、やはり肉体にかなりの負担が蓄積されていたらしい。驚異的な回復力を持つセフィアールの中でも、さらに特別な存在である男をしても、その病状は見る者に眉を寄せさせるものであったという。
 そんな寝台の住人であったはずの男が、なぜか公爵領を堂々とうろつきまわり、あちらこちらで人々に声をかけていたのだ。
 それは一見すると雑談めいた無駄話のようでいて、実際にはさりげなくさまざまな示唆を与え、滞りがちだった作業が円滑に進むよう人知れず促す行動で。彼の行く先々では、黙々と言葉少なに立ち働いていた人々が、いつしか汚れた顔に明るい表情を浮かべ、軽口さえ投げあうようになっていった。場の雰囲気が良くなれば、自然と余計ないざこざも減り、物事が効率的に回転してゆく。
 時には共に瓦礫を運んで汗と塵埃にまみれ、休憩時間ともなれば屈強な男達と肩を並べて馬鹿笑いしている。
 フェシリアら人の上に立つ者には、けして真似のできぬ、その姿。
 無駄が多くまた勝手気ままになされるそれに、眉をひそめる者も多かった。王家の誇る破邪騎士ともあろう人物が、いったいなにをしているのか。しょせん平民上がりのならず者よと、聞こえよがしに蔑む者もいた。
 それでも、男の存在が多くの人々を ―― その心のあり方を ―― 救っていたのは、まぎれもない事実だった。


 そうして、どうにかまとまった時間が取れるようになった頃。
 フェシリアはレジィ=キエルフやロッドらと共に、王都へと向かうことにした。
 付ききりで領地に目を配ることも必要だが、同時に政務の中枢たる王宮で被害の実状を報告し、一刻でも早く必要な援助を勝ち取ることもまた、重要な責務であった。それには現在公爵領で最大の権力を持つフェシリアと、そして誰よりも間近で現場の様子を見聞きし、それを忌憚ない言葉で国王の耳に入れられるロッドの二人で力を合わせることが、もっとも有効なやり方だと思われた。
 侍従文官の筆頭たるラスティアールを、なにかあった場合の留守居として残し、彼らは船上の人となった。
 川の流れを遡るこの旅には、四日ほどの時を必要とする。
 無論その時間を無駄に浪費することはなく、フェシリアは船室でいくつもの書類を吟味していた。疑問が残るものは保留し、自分の知識と権限で修正が可能なものには手を加え、積み上がる紙束を次々と処理してゆく。
 最終的に完成したものは、ロッドにも手伝わせて、関係各所に配布するべく写しを作成する。
 これで意外に綺麗な文字も書ける男は、ぶつぶつと文句をこぼしながらも、大人しく何枚も同じ文面を書き写す作業を続けていった。コーナ公爵家の紋章が入った上質の紙に筆を走らせ、次々と正確な複製を生産する。フェシリアはそれらに目を通し、一字一句間違いがないことを確認してから、最後に飾り文字で公爵の署名を施した。
 時にはフェシリアが見落としていた誤りをロッドが指摘することもあり、仕事は正確かつ効率よく片付けられていった。
 その日も午前中に予定していた作業を早めに終え、リリアの淹れた香草茶で休息をとっていた時のこと。
 フェシリアはふと思い出したように、隣の補助机を使うロッドへと声をかけた。

「そういえば、そなたに協力を願いたいことがあったのだが」

 ごく軽い口調で紡がれたその言葉に、ロッドはこれ以上まだ何か手伝わせる気かと、わざとらしく目をすがめる。
「今度はいったいなんだよ。実行予算書の検算か? 援助物資の確認か? それとも被害者名簿の仕分けか?」
 並べ立てられるのは、確かにどれも重要な仕事だった。だがいまフェシリアが口にしようとした内容とは、まったく種類をこととしている。
 優雅な手つきで、音もなく茶器を受け皿に戻したフェシリアは、小さくかぶりを振って応じた。癖のない長い黒髪が、さらりと肩から流れ落ちる。
「馬鹿馬鹿しい話だが、親族連中がうるさくなり始めておって、な」
 どういう意味だと片眉を上げて促すロッドに、深々と息を吐いてみせた。
「……復興作業も一段落ついて、余裕もできただろう。そろそろ世継ぎを作るべく、伴侶を迎える頃合いだと、そう申すのだ」
「はぁ?」
 フェシリアの言葉に、ロッドは心底から呆れたというような声を出した。
 このクソ忙しい状況を評して、いったいどこをどうすれば『余裕ができた』などと考えられるのか。その言葉を発した人物の頭をかち割って、脳味噌の状態を観察してみたいものだ。
 顔つきだけでそう表現するロッドに、フェシリアはごくごく真面目にうなずいた。
「時間が取れるようになったと言っても、それはあくまで『領地を離れられる』だけの時間に過ぎぬ。離れて行うのは、当然仕事だ。やらねばならぬことはいくらでもあるし、役に立つ手はどれほどあっても足らぬのが現状だと言うに」
 役に立たない手ばかりが大量にあるというのも、これまたひどく腹立たしい現実だ。
 ふたりはそろって嘆息する。
 今の状態でフェシリアの結婚相手を捜す余裕など、どこにも欠片も存在していない。
 ことは犬猫や、せめて一般庶民とは訳が違うのだ。国家セイヴァンの誇る二大公爵家のひとつ、コーナ家当主の縁談である。生半なまなかな相手を選ぶことはできなかった。さらに言えば、相手に求める条件も重要だが、いざその相手が決まったとしても、家同士で交わされる様々な手続きが、それこそ馬鹿馬鹿しいほど煩雑かつ格式張ったそれになる。コーナ公爵家ともなれば、間に立って取り仕切るのが、セイヴァン王家であってもおかしくないのだ。つまりは新国王たるエドウィネルの手を煩わすこととなる。少なくとも彼の承認と、婚約時と結婚時の最低二回は王都へ足を運ぶことが、外せない絶対条件だ。
 おまけに整えるべき書類や披露の宴の開催、それらに必要な予算の捻出に婚礼衣装だの嫁 ―― もといこの場合は婿 ―― 入り道具の手配だのだの、考えるだけで気の遠くなるような金額及び手間暇準備が必要となってくるのは、目に見えていた。
 実際貴族の婚礼といえば、婚約期間も含めて、事前準備に一年以上をかけるのが通常である。おまけに結婚したらしたで、今度は世継ぎの存在が浮上してくる。今回の場合、産むのは当然、公爵の座にいるフェシリアである。そして妊娠出産とは、女性にとっては命懸けの大仕事だ。
 もちろんフェシリアには優秀な医師が専属でついているし、身のまわりの面倒を見る女官も掃いて捨てるほどに存在するから、心身にかかる負担は庶民のそれとは段違いに少ないであろう。それでも危険を伴うことは確かだった。そもそも彼女の年齢的に、まだ子供を産むのは早すぎる。少なくとも、公爵としての激務をこなしながらというのは、まず不可能だった。
 それをだ。いま現在この状況で、それら結婚の準備と妊娠出産で、一年と十月十日の長きにわたり、フェシリアを政務から遠ざけろと?
 冗談ではなかった。ただ妻を孕ませたら、後は放っておけば良い男の場合とは話が違う。
 コーナ公爵領の主は、あくまでフェシリア=ミレニアナその人だ。政務を夫に任せきりにするような、名ばかりの女公爵ではない。平時は言うに及ばず、有事の際にもしっかりと指揮を執ることができる、れっきとした実務能力を備えた有能な領主である。
 その、彼女へ。
 いまこの時において『結婚しろ』などとほざく馬鹿者共は、すなわちフェシリアの存在そのものを軽んじていると、そう露呈しているも同然だった。
 フェシリアなどおらずとも、自分達の手で領地は運営してくれる。だから女である彼女は、大人しく屋敷に籠もって子供を産み、次代の継承者を作りさえすればそれで良いのだ、と。声高にそう告げているに他ならなかった。
「……度し難い阿呆どもだな」
 フェシリアを世継ぎを産む道具としてしか見ていないその節穴ぶりも、自分達で領地は回せると考えられる、その思い上がりぶりも。まったくもって愚かとしか言いようがない。
「だがの。阿呆は確かにその通りだが、あれらはあれらで、おらねば困るのが問題よ。数も多いだけに、無下に扱って翻意されるとやっかいだ」
 ただでさえ、自腹で復興資金を出させたり年若い女の配下に甘んじさせたりと、こちらも無理を通しているのだ。譲れるところは譲ってやらなければ、いずれ不満が蓄積して暴発しかねない。そこは飴と鞭というやつだ。
「じゃあ、大人しく結婚してやるってのか?」
「そこまでは言わぬ。だがまあ……婚約までなら、考えてやらぬでもない」
 婚約者候補を選び、その中から一人を定め、王家へ届け出て家同士で契約を交わす。それだけで半年やそこらは余裕でかかるし、さらに結婚式の手配や婿入り道具の準備、夫婦の部屋 ―― というよりもむしろ、婿が住まう別棟 ―― を整えることを考えれば、実際の結婚はもう一年や二年は先になるはずだ。
 そもそも最初から、彼女はまだ当分子供を産むつもりがなかった。少なくとももう少し肉体が成熟し、負担の少ない出産を行えるようになるまでは。できれば二十歳は越えておきたいところだと、常々そう考えている。
 故にいまはあくまで『婚約』までだ。
 婚約したという事実を見せつけることで、周囲の不満を少しでも抑え、時間を稼ごうという計画である。
 同時に婚約者の座を早いうちに埋めておくことで、女公爵の伴侶という甘い蜜を吸えそうな立場を狙う、権力志向の持ち主共が引き起こす水面下での争いを、未然に防げるという利点もあった。
「ただ問題となるのは、その婚約者を誰にするかという話でな」
「ああ……下手な人間を据えようもんなら、まさに獅子身中の虫ってやつだ。あるいは蟻の穴から堤も崩れ、か?」
「公爵の婚約者になったからと、舞い上がるような愚か者は困る。特に私をないがしろにし、権力を握ろうと目論むやからはまずい。まして婚約者ならば良いだろうと、正式に結婚する前から手を出そうとするような男は論外だ」
 やっかいなことにこの国家セイヴァンでは、上流階級での一夫多妻が、ごく普通に認められている。そもそもは血の濃くなりすぎた王家の出生率が低下したことにより、少しでも多くの子孫を残すべく、妃の数を増やすようになったのが始まりだ。高位貴族達もやがては王家にならい、今では裕福な資産家の間でも複数の妻を持つのが珍しくない。
 とはいえそれは、あくまでも家長が男の場合である。
 いかに継承権に男女の差がないとはいえ、そこはやはり男と女。男が多くのたねを蒔くのは推奨されても、女が複数の胤を受け入れるのは、眉をひそめられるのが世の習いだ。
 故にどうしても、男は女を下に見る風潮がある。婚約したのだから、この女は自分のものだ。自分のものに手をつけて何が悪い。どうせ遅いか早いかの違いだけだ。そんなことを考える男がいても、なんら不思議はなかった。
 さらに言うならば、フェシリアは事実上一人の伴侶しか持てぬというのに、その夫の方が複数の女に手をつけることも充分考えられた。女公爵の伴侶といえば、通常は公爵に準ずる権力を持つ。そして公爵という存在ならば、側室も妾妃も持ち放題。
 そこでフェシリアに子がないまま、別の女が夫の子供を産めば、下手をすると縁もゆかりもないはずの男の子供が、次に公爵家を継ぐこととなる。これは合法的な乗っ取りだ。
「つまり ―― 婚約しても軽はずみに手を出してこない。でもって思い上がって馬鹿もやらねえ。あとは女にも権力にも興味がない。そんな相手が良いわけだ」
 ロッドがざっくりとまとめた。
 言葉は悪いが、端的に言ってしまえばそう言うことだ。
 さらにフェシリアは条件を付け加える。
「あと二つ、重要なことがある。ひとつは血筋もしくは地位だ。あまり身分が低くては、公爵家の婿として釣り合いが悪い。できれば貴族。あるいは資産家の子弟だ。昨今の資産家は、たいていが爵位を継げぬ貴族の次男三男を婿に取ったり、女児を母としているからな。爵位こそ持たぬものの、さかのぼれば貴族の血を持つ者は、それこそいくらでもおろうよ」
 親の後を継ぎ爵位を持てるのは、あくまでその長子のみだ。女性の場合は権利を放棄して弟に譲ったりする場合もあるが、最終的に爵位を継ぐのは子供達の中でただひとりだけ。では残った子供達はどうなるかというと、基本的には他の家と婚姻を結ぶ。女は嫁に行き、男は継承権を持つ女性のもとへ婿入りすることで、事実上の実権を握る。
 そしてそれさえできなかった子供は、いわゆる冷や飯食いとなるのだ。
 貴族の子供は一応貴族であるが、その子供はもはやそう名乗れない。名前にアルもしくはエルをつけて呼ばれることはなく、単なる一平民として扱われる。故に継承権を持たず、他の貴族と縁組みもできなかった子供は、めったに子孫を作らない。……少なくとも表向きには。そんなことをすれば、家が養わなければならない無駄飯ぐらいが増えてゆく一方だからだ。
 そこへ目をつけたのが、平民の裕福な資産家達である。たいていは商人や金貸しなどだ。彼らは金で買うようにして、行くあてのない貴族の子弟や姫君をこぞって娶っていった。それは有力な貴族達との繋がりコネクションを作るひとつの手段であり、またきちんとした教育を受けた優秀な人材を家に入れることで、自分達の商売に役立てようという目算でもあった。
 そんなわけで、基本的に官僚として各地で働く平民出身の人間達は、たいてい辿ればどこかで貴族と血縁関係を持っている。何故なら官僚として働けるほどに優秀と言うことは、おおむね幼い頃から充分な教育を受けて育った結果であり、そして子供にそれだけの金を掛けられるのは、すなわち裕福な家柄だという事実を示しているからだ。
 そう言った次第で、婚約者候補には貴族の他に、優秀な官僚も視野に入れることができる。下手に誇りと自尊心ばかり肥え太らせた頑迷な貴族よりも、かえって機を見るに敏で判断力も高い官僚の方が、よっぽど役に立ってくれかねない。
「もうひとつは、むしろこちらの方が肝心なのだが」
 フェシリアは再び茶器を持ちあげ唇を湿らせようとした。だがそれは既に冷め切っており、眉をひそめて戻すと、受け皿ごと脇へよける。
「おそらく、婚約者となった人物は、直後から命を狙われるだろう」
「……へえ?」
 ロッドが唇の端で嘲笑した。
 女公爵の夫という立場は、それだけ魅力的な代物だ。
 そしてその椅子を狙うような者達は、手が届かなくなったからといって、酸っぱい葡萄だと簡単にあきらめるような玉ではあるまい。そうできる程度の分別を皆が持っていてくれれば、最初から苦労などありはしなかった。
「要するに、そこそこの立場にあって、腕が立ち、度胸が据わってて、思慮もある相手が必要ってことか」
「その通り。つまりは ―― 」
 フェシリアが言葉を切って、ロッドをひたと見すえる。
 意味ありげなその視線に、ロッドは軽く首をかしげた。どうしたと言いたげなその顔に、真正面からまっすぐ、その言葉を告げる。

「お前が一番、都合がいい」

 反応が返ったのは、たっぷり数呼吸分の間が空いてからだった。

「てめえ ―― 頭は確かか?」

 と。
 仮にも公爵の地位にある人物に対し、それはどこまでも遠慮を知らない、ぶしつけで乱暴な物の言いようだった。


*  *  *


 ―― とりあえず、期限が来たら解消する。
 まずはこの繁忙を極める時期に余計なちょっかいを出されぬよう、形ばかりの偽装婚約をしてくれ、と。
 なだめ、すかされ、あるいは懇願されつつ脅迫に近い言葉まで繰り出され、ロッドは期間限定の婚約者の座を引き受けた。
 政務の合間を縫ってようやく世間へ婚約を告知できたのは、激動の年が明けて、そろそろ冬も終わろうとしている頃合いで。披露目の直後に迎えた建国祭にて婚約者として国中に顔を売った結果、宮廷内でも身分の上下を問わぬ国内の様々な場所でも、いろいろな混乱や騒動、あるいは阿鼻叫喚など悲喜交々ひきこもごも入り乱れもしたが ―― そのあたりは国王の全面的な支援を受けてどうにか無難に乗り切った。
 さんざん話し合いを重ねた結果、偽装期間は一年と決められた。
 その間に領内の復興事業を軌道に乗せ、さらにふさわしい『本物の』婚約者を選出する。
 婚約の破棄については、ロッドの素行を問題にすれば、どこからも疑問の声は上がらないだろう。それから冷却期間をおき、改めて諸手続を始めれば、もう二年や三年は時を稼げる。その頃にはフェシリアの肉体も充分に成熟し、妊娠しても差し支えない年頃になっているはずだった。
 もちろんそれまでに、多少のことでは揺るがない権力基盤を構築しておくのは、わざわざ確認するまでもない、最低限の必須項目である。


 当初想定していた通り、婚約を発表してすぐに、ロッドの命を狙ってくるやからが続々と現れた。他にも平民、しかも出自すら定かではない人間をいきなり公爵家へ入れるのは問題があるからと、事前にどこか相応しい家格の一族と養子縁組をし、形式を整えてはどうかと進言してくる者もあった。当然その際の養子先には、それぞれに自らへなんらかの益をもたらす家を推挙している。
 それらの働きかけはすべて克明に記録され、その根底にある動機を裏で調査された。それなりの善意をもって里親になろうと申し出ているぐらいならまだ可愛げもあるが、気に食わぬ婚約者を排除するべく実力行使に出ていたりする相手には、充分な報復が必要だったのだ。
 そういった愚か者に対しては、あるいは返り討ちにし、あるいは捕らえて首謀者の弱味を握る。そんなふうにして、フェシリアは着実に力をつけていった。それはけしてセクヴァールの後継者としてではない、フェシリア=ミレニアナ個人としての、独自の権力ちからであった。
 既に、繊細でたおやかな少女の仮面は、跡形もない ――
 覇気すら感じさせる硬質な空気を身にまとい、鮮烈な眼差しで相対する者を射抜く。その舌鋒は鋭く政敵を斬り伏せ、あるいは時に毒を含んだ甘い蜜で絡め取る。
 むしろ年若く美しい娘であることが、その手腕との落差をことさらに際だたせた。それがどこか危うい蠱惑的な魅力をも生じ、圧倒的な求心力でもって配下の者達の心を掴んでゆく。
 頑迷な一部の年寄りや、女と言うだけで見下してくるような頭の悪い連中を別として、フェシリアを支持する層は急速に増えていっていた。

 だが、それ故にこそ生じる問題もまた、確かに存在していて……


*  *  *


 コーナ公爵領で土木事業を総括する官僚ザイード=クルツは、まだ三十過ぎと、その地位にしては年若い部類に入る男だった。
 見た目はさらに若く、一見したところでは二十代の半ばと言っても通用する容貌だ。小麦色の肌に、癖のある褐色の髪を首の後ろで余裕をもって束ねている。瞳の色は濃い蜂蜜色で、眉間に朱色の染料で点を記しているのは、母方の出身地に伝わる風習らしい。
 代々、多くの官僚を輩出してきた資産家の生まれで、平民ではあるが複数の貴族の血が混じっている。未だ独身であるのは、既に長兄が家を継いでいる気楽さゆえか。
 理知的な顔立ちと落ち着いた物腰は伊達ではないようで、女性を含めた周囲からの評価も悪くなかった。
 フェシリアが最初にその仮面を脱いだあの会議の場において、真っ先に彼女の指示に従うことを決めたのが、この男である
 年齢的にはいささか離れていたが、それでも集められた多くの資料の中で、ザイードは婚約者候補としてかなりの上位に名を連ねていた。そもそも貴族の婚姻で、年齢はあまり意味を持たない。ぶっちゃけて言えば、子供を作ることが可能ならばそれで良いのだ。場合によってはそれさえも、家同士の繋がりを作るという理由の前に、黙殺されてしまう。
 フェシリアの ―― 表向きの ―― 両親とて、年齢的には十五以上の開きがあった。
 重要なのは、ザイード=クルツがコーナ公爵領の優秀な官僚で、貴族の血を引く名家の出身であり、人柄的にも取り立てて瑕疵かしのない人物だと言うことである。なによりも彼は、フェシリアに対して協力的であり、これまでのところ反抗を見せることはなかった。むしろ積極的に接近しようとする点においては、あるいは野心家であると解釈できなくもなかったが、どちらかと言うと魅力的な女主人に対し、崇拝にも近い熱烈な感情を抱いているのではないか、と。そんなふうにも見受けられた。
 ロッドとの偽装婚約を発表して、そろそろ半年が過ぎようとしている。
 季節は夏も終わりに近く、瓦礫の撤去を終えたのちに始まった土木工事は、既に終盤を迎えていた。
 特に被害が深刻な沿岸部の旧市街地は、もともと老朽化が激しい地域でもあった。フェシリアなどは前々からどうにかして、大幅に改修の手を入れたいと考えていたものである。しかし少ないとはいえ、今なおそこに住まう人々が存在する以上、彼らの意志を無視して取り壊すわけには行かなかったし、また一部の保守的な者達による反対も根強かった。いわく公爵領の中でも旧市街地は、三百年前に祖王エルギリウスの手によって設計・建造された街である。伝統と格式があるその町並みに、いかに古くなったからといっていたずらに手を加えるなど、あってはならないというのだ。
 フェシリアにしてみれば、いかに謂われが存在しようと、しょせん建物は建物。使い勝手の悪さはまだ良いとしても、経年と潮風の浸食により脆くなったそれらのせいで、怪我人や死者が出てからでは遅いと歯噛みしていたのだが。
 当時は飾り物の公女でしかなかったフェシリアでは、意見を通すことも、予算の捻出さえもままならず。ただ腹立ち紛れの心の慰めに、区画整理を施した新たな市街地の設計図を引かせてみたことがあった。その時の彼女にとっては、しょせん戯れの絵空事にすぎなかった代物だ。
 しかし三つの首を持つ巨大な蜥蜴をはじめとした妖獣の上陸によって、その旧市街地は大きな打撃を受けた。建物は多くが破壊され、場所によっては道路さえもが舗装の石畳を剥がされ、大規模な修復が求められるようになった。
 渡りに船 ―― と言っては、不謹慎が過ぎるだろう。
 しかし改めて測量や設計を行う手間をはぶき、書斎で眠っていた図面を流用すれば、大幅に復興期間と予算を節約することができる。それもまた、覆しようのない現実であった。
 フェシリアが提出した図面は、各方面の専門家らの手によって、いくばくかの修正こそ施されたものの、おおむねそのまま採用された。
 そうして、実際に工事の指揮をとることとなったのが、領内の土木事業を総括管理しているザイードだったのである。
 彼は予算の横領や資材の横流しといった不正行為を行うこともなく、また目に余るような労働者の酷使もせず、ごく誠実かつ的確に仕事を進めていっていた。
 星の海ティア・ラザと公爵領を繋ぐ、大河近くにある山から切り出された石材が船によって運ばれ、修復されたばかりの港から荷揚げされる。そうして職人達によってそれぞれの形に加工され、監督された労働者の手で組み上げられてゆく。
 寂れてくすみがちだった旧市街は、古き伝統の形式を残しながらも、計算された機能的な町並みへと変貌しつつあった。


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