<<Back  List  Next>>
 雨 月 露 宿あめのつきつゆのやどり  骨董品店 日月堂 第十六話
 終 章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 その日の日月堂には、やはりいつもとは趣を違えた ―― 緊迫した空気が漂っていた。
 円卓を囲む三人の少年達は、めいめいに目の前にある教科書や参考書を真剣な表情で読みふけり、開いたノートへと筆を走らせている。
 店の奥から盆に乗せたカップとお茶請けを運んできた晴明は、それぞれの傍らに茶器を置くと、みずからも空いていた椅子へと腰を下ろした。
 手に取ったのは、過去の試験問題が集められた分厚い受験対策集である。先日譲から渡されたうちの一冊だ。大学ノートを開き、綺麗な文字でページを埋めてゆく。
 店内にはしばしカリカリという、シャープペンシルが紙面を引っ掻く音だけが響き続けた。
「……なあ」
 やがて、鼻の周囲にそばかすを残した少年 ―― 中村なかむら友弘ともひろが、数十分ぶりに口を開く。
「ここんとこなんだけどよ……この単語、どこにかかるんだっけ?」
 微妙によれた感じのする英文が並んだノートを、他の皆に見えるように回転させて、ペン先で一点を指し示した。
 それぞれの問題に集中していた一同は、顔を上げると疲れを吹き飛ばすように大きく息を吐いた。それから頭を付き合わせて、質問された部分をのぞき込む。
「あー、これは……あれだ」
「そう、あれだ」
 えっと、ほら、と記憶をたどりつつピコピコとペンを動かしている二人をよそに、晴明は卓に散らばったプリントをめくっている。
「その文法なら、確かこのへんに例文が ―― 」
 多くの中から一枚を選んで差し出した。
「さんきゅ」
 短く礼を言って、友弘は文面に視線を落とす。
 彼にしては珍しく、一言も無駄口を叩かなかった。さすがに高三のこの時期ともなると、落ち着きのないこの少年でも真剣に受験勉強へと身を入れるようだ。
「……ちょっと休憩するか?」
「んー、でもいまノッてるし」
 既に冷め始めている紅茶など啜りつつ、残る二人 ―― 黒川くろかわ一也かずや河原かわはら直人なおとが言葉を交わす。
 友人同士で集まって勉強会をするのは、そう珍しいことではないだろう。しかしその場所が誰かの自室ではなく、店主の裁量で自由に使えるとはいえ、いつ客が訪れるかも知れない店の中だというのは、いささか違和感があった。
 しかしこの場所は、これでなかなか勉強が捗るのである。
 外部の騒音はなぜかほとんど店内まで届かないし、ついそちらへ気を取られてしまいがちな、テレビやゲームの類も置かれていない。
 脱線しそうになると、すぐに晴明が軌道修正してくれるし、判らない部分があってもたいていの内容を教えてくれる。それも解答をずばりと言ってしまうのではなく、これで調べればいいとか、このへんに参考になることが載っていると言ったふうに、自分の力で答えを導き出せるような方法をとってくれるのだ。
 おまけに、用意してくれる茶と菓子も実に美味しければ、「ちゃんと勉強してる?」などとうっとおしく顔を出す母親もいない。
 ぶっちゃけこれ以上に良い環境はなかった。
 ただ ―― 時折り予期せぬ邪魔が入るのだけが、玉にきずで。


 カップを受け皿に戻した一也が、さて次の数式を……とペンを取った時だった。
 店のドアに取り付けられたベルが、からん、と柔らかい音を立てる。
 ガラスのはまった飾り扉を開けて入ってきたのは、五十年輩と見える、スーツ姿にコートを羽織った初老の男性だった。シックな色合いのスーツとコートは、一見するとごく地味なそれだ。しかしよく見ると着る人間の体型に合わせて丁寧に仕立てられた、オーダーメイドの逸品である。
 きちんとセットされた白髪混じりの頭髪。皺が目立ち始めた面立ちには、どこか厳格な表情をたたえていた。鋭い光の宿る細い目が、店内をぐるりと見まわし、円卓に座る少年達へと止められる。
「 ―― いらっしゃいませ」
 晴明は、けして慌てたようになど見えない、優雅な仕草で席を立った。
 にこやかな微笑みを浮かべながら、初めて訪れる客へと歩み寄ってゆく。
 初老の男は、制服姿の晴明をまじまじと眺めていた。
「失礼。店主の安倍……晴明どのを訪ねてきたのだが」
「はい、この店を預かるのはわたくしですが」
 どういった御用件でしょう、と晴明は当たり前のように応対する。今の格好では、良くて留守番にしか見えないことなど、気にも留めていないようだ。
 男性はじっと晴明の顔を見据えていたが ―― やがて軽く、その頭を下げた。
「失礼。私は秋月伴典とものりと申す者。この度はうちの者が大変世話になったと報告を受けて、ぜひ礼を申し上げねばと、足を運んだ次第です」
 晴明は一瞬、言葉の意味を掴みかねたようだった。
 が、見る見るうちに顔の血の気が引いてゆき、表情から笑みが抜け落ちる。
「秋月家の、御当主さまで……?」
 その手が無意識の動きで持ち上げられ、手のひらで顔面を隠すようにする。だが既に正面から、しっかりと顔を見られていた。
 秋月家の当主は、確実に晴明の弟 ―― 現安倍家当主の顔を知っている。顔だけではない。間近で言葉を交わしたことさえあったと聞いている。声すらもそっくりな二人の相似に、気付かぬはずがなかった。
「お、お初に、お目に……いえ、その……ご丁寧に、ではなくて」
 あの、和馬さんのことであれば、私は別に、何も。
 動揺してしどろもどろになっている晴明に、卓を囲む三人は珍しいものを見る目で勉強の手を止めていた。
 しかし晴明はというと、彼らの存在さえ忘れてしまったように、あちこちへと視線を泳がせながら、うつむいて少しでも顔を隠そうとしている。顔の下半分を覆う右手と制服の裾を掴んだ左手とが、その内心を現しているのか、強く力を籠められ震えていた。
 そんな彼の様子を、伴典は無言で観察している。
 やがて ―― その薄い唇が開かれた。
「……『鏡』の件でも、あれは世話になった様子ですが。どうやら、ただの骨董品屋ではなかったということですな」
 意味ありげな目つきで、店内を眺めやる。
 出窓や飴色に光るサイドボード、飾り彫刻の施された棚などに並んでいる品々には、見る人間が見ればすぐにそうと判る、曰く付きの物が多数入り混じっている
 威圧感のあるその目にちらりと流し見られて、卓を囲んでいる友弘らが、思わずびくりと身をすくめた。
「い、いえ! 私は……私は、何の力もない、ただの……普通の骨董商にすぎません。本当なんです」
 晴明が、必死といった風情で首を左右に振った。
 視線を足元へと落とした姿勢で、懸命にそう言いつのる。
 その様子に、よく判らないが何やら友人が責められていると思ったのか。あるいはいきなりやってきて、口調だけは丁寧だが偉そうな物言いをするおっさんに、反感を覚えたのか。
 友弘が混ぜっ返すように口を挟んできた。
「確かに晴明は、単に好かれてるだけだよな。いろんなモンにさ!」
 それに力を得たように、一也と直人も口々に援護する。
「そうだよな。なんか変な化け物とか、よく判んない術とか使う人とか」
「秋月の和馬さんとか!」
 そうそう、あの人なんて、俺達から見たらバケモンと変わんないよな〜っ、と。
 どこか無理矢理な響きのある、自棄めいた乾いた笑いが店内に響きわたる。

 円卓を囲む、晴明と同じ制服を着た、同年代の少年達。
 その前に広げられているのは、どう見ても学校の勉強道具だ。彼らは一般人の世界に暮らす、ごく普通の高校生なのだと、身にまとう“気”の質を感じ取るまでもなく、それらがはっきりそう示している。
 そして、身の置き所がないとでも言うようにうつむいて立ち尽くしている、目の前の彼も、また ――

「……そう、ですか」

 ぽつりと低く呟かれた言葉に、晴明を含めた一同はびくっと肩を跳ね上げた。
 しかし伴典は小さく息を吐いて、うなずいただけで。
 そうして晴明の方へと、改めて向き直ってくる。
「ひとつ、おうかがいしたいのだが」
「なん……でしょう」
 怯えのにじむ声で問い返す晴明を、伴典はまっすぐに見すえる。
「うちのあれとは ―― どういった御関係で」
 それはひどく曖昧な、抽象的な問いかけだった。
 はたしてどういった答えを意図したものなのか。晴明は眉を寄せて困惑の表情を浮かべる。しばし思案するように言葉を探した。
「……その、とても、良くして頂いています。私は、あの、一般的な常識など……物を知らない部分が多いので。いろいろと、教えていただいたり……」
「 ―― 一般常識を?」
「は、はい。その、なにぶん、世間を知らずに育ちましたもので」
 恥じ入るようにますます身体を小さくする晴明を、伴典はじっと観察し続けていた。
 その瞳には、じょじょに年長者が年若の者を見守る際の、柔らかく温かい光が宿り始めている。

「……では」

 と、問いが重ねられた。

「貴方にとって、あれは、なんになりますかな」

 その質問に、晴明ははっと下を向いていた顔を上げた。
 大きく見開かれた漆黒の瞳が、来訪者の素性を知ってから初めて、まっすぐにその視線を合わせる。
 やがて……彼は幾度も唇を舐めてから、慎重に言葉を紡ぎ始めた。
「もしも、そう言っても許されるのならば……」
 一度言葉を切って、こくりと喉を上下させる。

「 ―― 『友人』だと。私は、そう……思っています」

 この少年にとって、その言葉がはたしてどれほどの重みを持つものか。
 生れ育った安倍家から、居場所を失い放逐され、呪術者の名門や名のある流派からも距離を置こうとしているその彼が。精霊使いの一派たる秋月家の当主に対し、どれほどの勇気を持ってそう口にしたことか。

 はたして伴典はそれを察したのか、それとも否か。

「……そうですか」
 形に出してはただ、小さく頷きを返しただけだった。
 そうして伴典は改めて姿勢を正し、親子以上にも年齢の違う相手に対し、しっかりと頭を下げる。
「今回は、あれの生命を救っていただいて、本当に感謝します」
 白髪の混じった頭頂を向けられて、晴明の動きが固まった。
 それから慌てたように我に返り、必死に声を上げる。
「お、おやめ下さい。私は、そんなつもりでは……ッ」
 咄嗟に押しとどめようと伸ばした両手が、しかし相手に触れても良いのかと、ためらうように宙をさまよう。
 感謝を表すのに充分なだけの時間を取ってから、伴典は頭を上げた。そうしてその細く鋭い瞳に穏やかな色をたたえ、晴明を見やる。
「……よろしければ、どうかこれからもあれを、よろしく頼みます。あれもあれで、なかなか抜けておるところがありますでな」
「え……その、よろしいのです、か……?」
 術者の世界では、無視できない勢力を持つ安倍家の ―― しかも家とは関係の良くない複雑な事情を背負った人物が、末端とはいえ秋月家の人間と付き合いを保っていて、構わないと言うのか。
 言葉にはされなかったその問いかけに、伴典はうなずきを返す。
「あれも子供ではあるまいし、交友関係に余人が口を出す必要はありますまい」
 そうして、きつく結ばれていた口元に、ほのかな笑みを浮かべる。

「まして ―― 非常時に、何をも差し置いて駆けつけてくれるような。そんな貴重な友人を遠ざけようなどと、無粋にも程がある」

 これはつまらない物ですが、どうぞ納めていただきたい、と。
 呆然としている晴明に、伴典は携えていた手提げの紙袋から取り出した包みを、強引に手渡した。それから再度軽く会釈して、いとまを告げる ――


◆  ◇  ◆


 出窓のガラス越しに、伴典を乗せた黒塗りの車が遠ざかって行くのが見えた。
 けして声を荒げることなどはなく、終始物静かでありながらも、どこか暴風のような印象を残して去っていった秋月家当主に、店内にはしばし圧倒されたような空気が漂っていた。
 やがて、誰かが大きく息を吐く。
 それをきっかけにして、場に居た全員がそれぞれに、全身に入っていた力を抜いた。
「あー……びっくりした」
 友弘が開いたままのノートの上へ、べたりと頬をつける。
「あれ、秋月さんちのエライ人だろ?」
「化け物みたいな人の上司は、やっぱり化け物レベルってことか……」
 一也と直人がしみじみと嘆息する。
 彼らは彼らで彼らなりに、この店に出入りするうちにあやかしや術者達と鉢合わせすることを繰り返して、そういった存在に対し一般人よりも免疫を持っている。最近良く顔を見せるうえに気さくな沙也香や譲、伯爵あたりが相手であれば、笑って雑談に興じるぐらいの度胸は、知らず知らずの間に育てていた。
 しかし ―― 先ほどの相手は、種類が違う。
 たとえ伴典が、術力を持たない普通の人間であったとしても、あの迫力と人の上に立つ者の威圧感は、ただの高校生が受け流せる代物ではなかった。
「なんかもう、ヤクザより怖ェよな」
「ほんと」
 もはや受験勉強を続ける気力など、根こそぎ奪われてしまっていた。
 だらけた姿勢で突っ伏したり、あるいは椅子の背に寄りかかり、そんな感想を投げ合う。
 それから、渡された物を持ったまま、まだ立ち尽くしている晴明に向けて、友弘が声をかけた。
「おーい、晴明。息してるか?」
 その声が耳に届いたのか。晴明はびくりとひとつ身を震わせて、ようやく正気に立ち戻った。
「……あ、ああ。うん、大丈夫……」
 その答えはまだぎこちなさを残しているが、どうにかフリーズから再起動は果たしたようだ。そんな晴明の様子に、一也と友弘は気遣いながらも、意外そうな顔を見せる。
「さすがのお前でも、あのクラスになると緊張するんだな」
「あんなテンパッてるの、初めて見たぜ」
「お前って、下っ端にも馬鹿っ丁寧なぶん、えらい人が相手でもあんま変わんないイメージだったんだけど」
 ぽんぽんと投げかけられる日常的な会話に、こわばっていた晴明の表情もじょじょにほぐれてきた。
「そんなこと、ないよ。俺だって、目上のかたにはちゃんと、分をわきまえてるって」
 そんなふうに言葉を返してくる。
「その『目上』の範囲が、お前は極端に広いんだって」
「基本、クラスメートと後輩以外は、みんな目上扱いじゃん」
「由良とか凪にまで、敬語使ってんだもんな」
 実際、晴明が対等な口をきくのは、ほぼ学校関係者に限られている。それもあくまで『学校で丁寧すぎる言葉を使うのは、世間的なマナーに反している』という認識があるからに過ぎない。言葉遣いという上っ面を一皮剥いてみれば、腰が低い態度なのはやはり同じだ。
 由良や凪といった異形達を呼び捨てにしているのも、あくまで彼らがそれを望んだからである。そうでなければ晴明は、とるに足らない弱々しい浮遊霊が相手であっても、丁重な物腰を崩さない。
 最近、出入りするようになってきた術者達に対してもそうだ。そう年が変わらないであろう駆け出しの半人前が相手でも、あるいはその世界では名を知られているらしい、和馬や沙也香といった一流どころを前にしても、晴明が態度を変えるところを彼らは見たことがなかった。
 いつでも腰が低く、どこまでも丁寧で ―― それでもこれと決めたことに関してだけは、誰が相手であってもけして退こうとしない。
 そんな晴明だからこそ、その周囲には人の内外を超えた様々なモノ達が集まるのだろうと。直人あたりはそんなふうに感じていたのだが。

「……もしかして、あの人、実家の方となんか関係でもあるのか?」

 小さな声で、直人はそう問いかけた。
 彼だけは、晴明が実家とうまく行っておらず、ことその問題に関した時だけは、ひどく動揺するのを知っていた。
 心配そうに聞いてくるのに、晴明はただ複雑な笑みだけで応じ、言葉を返さない。それは無言のうちに、肯定しているのとなんら変わらなかった。
「そんで、それ、なにもらったんだ?」
 そんなやりとりに気付いた様子もなく、友弘が押しつけられた包みをのぞき込む。
 紅葉の模様をき込んだ上品な和紙の包装に、流麗に崩された筆文字がえがかれている。場にいる誰も知らなかったが、それは一部で有名な超高級老舗和菓子店の屋号だった。ひっくり返して中身を確認した晴明は、ようやくいつものような穏やかな微笑みを浮かべる。
「お茶も冷めちゃったし、淹れ直そうか。これだと緑茶の方が合いそうだし」
 宇治の良いのがあるんだ、と告げて、店の奥にある台所へと足を向ける。
 普段の様子を取り戻したその態度に、一同は誰ともなく顔を見合わせる。どこかほっとしたような雰囲気が、彼らの間を漂った。


◆  ◇  ◆


 専属の運転手がハンドルを握る車は、ほとんど揺れを感じさせることなく、静かに走行している。
 助手席には護衛の風使いが乗っていたが、あえてあの店内には同行させなかった。あそこで危険に見舞われるとは考えにくかったし、それにその護衛が、安倍家当主の顔を見知っていたこともある。
 その配慮は、はたして正しかったと言えるのか。
 伴典はスーツの内側を探り、懐から袱紗ふくさを取り出した。上品な紫色の縮緬は、かなり厚い包みになっている。
 手にしたそれに、しばし視線を落とした。
「……無粋な勘繰り、か」
 和馬は傍系の生れとは思えぬ程に強い術力を持ち、それなりに機転もきけば、人付き合いもできる、いわば『使える』風使いであった。伴典は彼の存在を気に入っていたし、今後に期待もかけていた。
 しかし ―― いささか直情過ぎるその性格が、懸念の種でもあった。
 今回の件にしても、彼が余計なことを考えず、ただひたすら秋月家が出す命令通りに動く男であったならば、はじめから何も起こりはしなかっただろう。
 とは言え自分の頭で物を考えることを放棄し、なんの疑問もなく傀儡かいらいのようにただ言われるまま動くだけでいては、いつまでたっても二流止まりだ。そう言った点で今回の事件は、彼の今後を左右するひとつのきっかけとなっただろう。
 それが良い方向に向かうか、それとも悪い方向に向かうのかは、まだ判らなかったが。
 だがその未来に余計な影響を与える要因は、早い内に排除しておくべきだった。
 安倍家の、現当主の双生児の兄。能なし故にと廃嫡されたその少年が、和馬と関わりを持っているのではないか、と。
 今回、和馬の捜索を受け持っていた風使いの一人が、ひそかにそう告げてきた。彼女は伴典に付き従って安倍家へと出入りしたことがあり、その際に当主清明の顔を見覚えていたのだ。
 今回和馬を救った術者の顔立ちを、はっきり確認できた訳ではなかったという。しかしなんとなくの面影と、雑鬼おにを従えるというその技。そして何よりも、同行していた人物が口にした、『晴明』というその名が疑惑をもたらした ――
 報告を受けた伴典は、他の者を動かして情報を集めた。和馬がしばしば出入りしている骨董品店アンティークショップの存在は、人麻呂鏡の事件の際に、本人から知らされている。その店が最近になって、術者達の間で噂になり始めていることも、すぐ調べがつき。
 ……そして安倍家の息が掛かった、末端に位置する存在であることも、程なく判明したのだった。
 和馬は以前、安倍家で行われた新年の宴に同行させたことがある。だから安倍家当主の顔は彼も知っているし、ならば当然、同じ容姿を持つ店主との関係にも思い至らないはずがなかった。
 ならば、その店主 ―― 安倍晴明は、いったいどういうつもりで和馬と関係を持ち続けているのか。
 腕は立つが実直で律儀な性格を持つ和馬が、もし利用されてでもいるのならば、それなりの対処をしなければならない。
 もちろんのこと、短絡で無礼な真似は慎むべきだ。
 秋月家に属する人間の、その生命を救ってもらった礼は、当然きちんと述べる。
 だがそれは、あくまで形式的なものに留めよう。それなりの金額を包み、形ばかりの謝辞を述べて、しかし充分な釘を刺す。それだけの意志は固めていた。

 しかし、あの少年は ――

 幾度か言葉を交わしたことがある安倍家の現当主は、穏やかな物腰の、実年齢にそぐわぬ落ち着きを備えた人物であった。
 その少年と瓜二つの容姿を持ち、一見した所ではやはり、ある程度の年を重ねた一人前の青年に見える、あの店主は。

 ……まるで、断罪されるのを恐れるかのような。
 怯えに満ちた目でこちらを見ていた。

 あの人麻呂鏡が引き起こした騒動から、既に二年が経っている。それだけの時間、あの少年はその存在を ―― 安倍家との関わりを、秋月家側に知らせるまいと務めてきたのだろう。
 しかし和馬が行方知れずとなり、その生存すらもが危ぶまれると知った、その時。
 彼は秋月家の人間の前へ、その姿を現した。あの顔立ちだ。安倍家当主と一度でも逢ったことがある人間がいれば、一目でその出自は察せられると判っていたはずだ。事実、伴典のもとへと即座に注進が上がってきている。
 ではそれが、意図した結果なのか、それとも否か。
 伴典はそれを疑っていた。

 ―― あるいはこれを機に秋月家に恩を売って、いずれは安倍家へと返り咲く際の後ろ盾にしようとでも、目論んでいるのか、と。

 だが実際に顔を合わせて、言葉を交わした末に得た、その印象は ――

「……あれが演技だと疑うほど、私も人として堕ちたくはないな」

 伴典はひとりごちて、小さく息を吐く。
 思い出されるのは、どこまでも純粋な光をたたえた、漆黒の瞳。

 許されるならばと。そう前置きしながら、和馬のことを『友』だと思いたいと、ためらいがちに言っていた。
 あの言葉を疑うほどに、他人を信じることを止めたくはない。
 たとえそれが、一家を率いる当主としては、甘い判断なのだとしても……

 伴典は、現金を包んだ袱紗を持ち直した。
 念の為にと、他の品も用意しておいて良かった。
 そんなふうに思いながら、再び袱紗包みを懐へとしまう。


 伴典を乗せた車は、低いエンジン音を響かせながら、遠い秋月本家へ向かって十二月の街を走り続けるのだった ――





 ― 了 ―

(2013/12/25 18:17)
<<Back  List  Next>>


本を閉じる

Copyright (C) 2015 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.