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 雨 月 露 宿あめのつきつゆのやどり  骨董品店 日月堂 第十六話
 第二章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 ぼんやりと、夢とうつつの境を和馬はさまよっていた。
 いま目が覚めているのか、それとも眠りの中で幻を見ているのか。それすらもがはっきりとしない。
 なんとなく、自分が横になっているのだけは理解していた。
 固い板張りの床に薄い蒲団が敷かれていて、その中に寝かされているようである。
 全身が痛みを訴え、熱で頭がぼんやりとしている。ぼやける視界に粗末な板葺きの天井が映っているような気もするが、すぐにそれは揺れる木々の枝葉の風景にとって変わって。

 ざわり ざわり

 葉擦れの音が耳に届く。

 ざあざあ ざあざあ

 屋根を打つ雨の雫の響きが、ひっきりなしに脳味噌をかき混ぜる。

 骨の髄まで染みこむような、みぞれ混じりの冷たい雨が思い出された。
 同時に、かけられた蒲団の中で、熱に火照った身体が暑さを訴える。

 自分はいったい、どうしたのだろう。
 ここはどこで、今はいったいいつなのか。

 答の出ない問いばかりが、ぐるぐると繰り返される。

 ―― 俺は、確か……

 なんとかして、もっとも近い過去を呼び起こそうとする。
 ハンドルを握り、狭い林道を苦心しながら辿っている光景。
 道なき森の中、焦りに追われ、必死に足を進めていた記憶。
 頭上を覆う木々の合間から、容赦のない氷雨が降り注ぎ、突き刺すような冷たさで服を重くしていた。
 懸命に持ち上げる腕の中、毛布に包んだ身体はずっしりと重く。抱える指先がしびれるような痛みを訴えて……

 ―― アレ、は、どうしたんだったか。

 なんとか思い出そうとするが、集中しようとすればするほど、記憶は零れ落ちるように端から消えてゆく。

「う……」

 乾いてひび割れた唇から、かすれた呻き声が洩れた。
 と ――

 ひんやりとしたものが、口元に当てられる。
 それが器に入った水だと気が付いたのは、喉を鳴らして飲み干してからだった。
 まさしく、甘露。
 喉の渇きと全身の熱が、たった一杯の水で嘘のように癒やされる。

 大きく息をついた和馬は、水をくれた相手を確認しようとした。
 焦点の合わない目を必死に開き、首をひねって傍らに座る影を見上げる。
 それだけの動きさえ、全身がきしむように痛んでままならなかった。あがく和馬を押し止めるように、そっと手のひらが額へと載せられる。
 先ほどの水よりももっと冷たいそれが、汗ばんだ皮膚に心地良さをもたらした。

「……どうか、無理はなさらないで」

 鈴を振るような、という表現は、こういう時に使うのだろうか。
 高く澄んだ、しかし細く頼りなげな声が、憂わしげに和馬へと言い聞かせてくる。

「だ……あん……」

 聞いたこともない、女の声だ。
 心から和馬のことを気遣う響きが、その声からはあふれんばかりに感じられる。
 しかし声の主に、心当たりはない。
 いったい誰なのかと問いかけようとするが、うまく言葉が出てこなかった。

「ようやく、帰ってきて下さったのですもの。ゆっくり……ゆっくり、お休みになって下さいませ」

 たおやかな指先が、優しく幾度も頬を撫でる。
 汗で貼り付いた前髪をそっとかきのけ、熱い額をその手のひらで冷やしてくれる。

「……ちが……」

 なにか、勘違いがあるらしい。
 この女は、和馬のことを既知の相手として扱っている。
 誰か、ひどく大切な相手だと思い込んでいるようだ。
 しかし何かの間違いだと訴えようにも、どうしても言葉が出てこない。それどころか急速に眠気が襲ってくる。
 吸い込まれるように意識を失う和馬の耳に、切なげな声が囁きかけた。

「ずっと、ずっと待っていたのですよ。どうかもう、どこにも行かないで下さいましね……」

 瞳を潤ませているその表情が、目の前に浮かぶかのような。悲しみと懇願に満ち満ちた訴え。
 それを耳にしながら、和馬は抗い難く眠りの淵へと沈み込んでいった。


◆  ◇  ◆


 ―― 此秋を待と聞えし夫の言を頼みつゝも。安からぬ心に日をかぞへて暮しける。秋にもなりしかど風の便りもあらねば。世とゝもにたのみなき人心かなと。恨みかなしみおもひくづをれて

  身のうさは 人しも告じ あふ坂の 夕づけ鳥よ 秋も暮ぬと

 かくよめれども。國あまた隔ぬれば。いひおくるべきつてもなし。


◆  ◇  ◆


 普段は人気などまるでないだろう、人里離れた山奥の狭い林道に、何台もの車が駐車されていた。乗用車やワゴンなど、前後を接するように伸びた列の最後尾に、またも一台がやってきてその長さを伸ばす。
 エンジンを止めて下りてきたのは、二十代前半頃と見える細身の青年 ―― 遠野譲であった。素早く後部のドアを開けて、降り立つ沙也香へと手を貸している。
 その後に続いて、もう一人の青年が後部座席から姿を現した。年頃は譲と同じ程度か。身体つきや雰囲気も良く似ている。仕立ての良いブランド品のコートを身につけ、深緑色のチェックのマフラーを幾重にも巻いていた。黒い太縁の眼鏡越しに、あたりを興味深げに見まわしている。
 林道には、数名の男女がそこここに散らばっていた。
 それぞれが思い思いの方向を向いて、目を閉ざしたり、軽く目蓋を下ろすようにして、風霊が伝えてくる情報に意識を傾けている。
 あるいは二十センチほどの細い鎖の先に、透明な結晶を付けた振り子ペンデュラムを片手に提げて、ゆっくりと道を行き来している少女。停まっている車の中で手札を繰っている女性や、雨上がりの濡れた地面に直接絨毯を敷いて座り、そこに置いた分厚い木の板をにらみつけている男もいた。
 誰もが自分の作業に集中しているようで、新たに現れた人間にはほとんど反応を示さない。
 沙也香は吐く息を白く煙らせながら、一番手近にいる、敷物に座っている男へと声を掛けた。
「どう、何か進展はあった?」
 その問いかけに、男はちらりと視線だけを寄越した。それで相手が誰なのかを認識したのだろう。丸めていた背を伸ばし、まっすぐに沙也香の方を振り返ってくる。
「……こいつぁ、山奥までお疲れさんで。あんたにまで、お呼びがかかったんですか」
「そう言う訳じゃないんだけど。まあ、ちょっとね。和馬とはちょこちょこ付き合いもあるし? 怪我してたり、低体温症でも起こしてたら、手当てぐらいしてやろうかなって」
「なるほど。そいつは高くつきそうだ」
 くっと喉の奥で笑った男は、しかしすぐに真面目な表情に戻る。
「今のところ、まだ誰もなんにも見つけてませんよ。本人は無論のこと、手掛かりらしきものも、まったく……」
 ため息混じりに首を振る。
「もし仮に、もう死体になってるんだとしたら、風使い達が見つけられないのは判りますがね。彼らのわざってのは、仲間がまとう風霊の気配やものの不自然な動き、生き物の息吹なんかを感じてるんでしょう? でも死んでるなら死んでるで、こっちには何がしかの反応がありそうなもんなんですが」
 呟いて、男は目の前の板を見下ろした。
 長年にわたって使い込まれた事を示す、艶を放つ胡桃クルミ材の盤面に、見慣れぬ文字や記号がびっしりと刻み込まれている。その上へ乾燥したハーブや、奇妙な形をした駒が散らばっていた。
「……ウィジャ盤の一種でしょうか」
 沙也香の背後で、小声の問いが譲へと向けられた。
 霊応盤ウィジャ・ボードとも呼ばれる、欧米で占いや降霊術に用いられている道具だ。基本的にはアルファベットとYES・NOの文字が記されており、日本で言うコックリさんなどと同じような使い方をする。しかし彼の前にあるものは、刻まれている内容や通常ハート形をしているはずの指示駒プランシェットなどが、ずいぶんと風変わりにできていた。使い方も、一般的なやり方を踏襲してはいないようだ。
 そんなことを聞いている見慣れぬ青年を、男はじろりとねめ上げる。
「なんだ、付き人が増えたのか? 息子として引き取るにしちゃ、ちととうが立ってるようだが」
「お久しぶりです、丸岡さん。こちらは秋月さんと親しくしていらっしゃる、アンティークショップのかたで……」
 譲の紹介に合わせて、伊達眼鏡をかけてマフラーを巻いた晴明が、ぺこりと頭を下げた。腰まで届く長いその黒髪も、襟からコートの背に入れてある。そのせいで、いつもに比べるとかなり印象の異なる姿になっていた。
日月堂ひづきどうと申します。和馬さんが大変なことになったとうかがって、居ても立ってもいられなくて」
「ふぅん。日月堂、ねえ。そういえば最近、そんな店が噂になってたっけか」
 丸岡と呼ばれた男は、じろじろと物珍しげに晴明を検分した。
 晴明はうつむいて、その視線を避けるようにする。そうしてマフラーに顔の下半分を埋めると、伊達眼鏡と合わさって、その顔立ちはほとんど見て取れない。
「なんでも雑鬼おにを使うとかなんとか?」
「いえ、そんな……」
 彼らは別に、使鬼しきという訳では……などと呟いているが、声が小さいのでほとんど聞き取ることもできない。
 誰に対しても物怖じしない普段の彼らしからぬ態度に、譲と沙也香は不審げな眼差しを向けていた。そもそもその出で立ちからして、いつもとあまりにも違いすぎて、どうにも気になってしかたがない。
 しかしそんなことなど知る由もない丸岡は、頼りなげなその物腰に、さっさと見切りをつけたようだった。
 沙也香の方へと向き直り、話を続ける。
「車がここに捨てられたってだけで、本人はまったく別の場所にいるんじゃないですかね。それも半端でなく遠くに。なにせ俺の『これ』や、アンジェリカの手札カードにも引っかからないんですから」
 せめて本人の身体の一部でもあれば、もう少し絞り込めるんでしょうが、と。
 それなりの実力を持つと自他ともに認めているだけあって、まったく手応えがないことに、この男も苛立ちを感じているらしかった。
 和馬のような、呪術者の世界に身を置く者は、身につける物はもちろん散髪した髪や切った爪といった肉体の一部についても、その始末に注意を払うのが習い性となっている。髪の毛一本、爪の一欠片でどんな呪いをかけることができるものか、目の当たりにして思い知っているからだ。
 それも己の生命を奪われるだけならば、まだしも自業自得ですむ。しかし和馬のように一家一門に所属する人間にしてみれば、施術者に心身を操られ、家や仲間の秘事を洩らしでもしては、それこそ首を差し出しても償いようがないというものだった。
 故に和馬の自宅アパートからも抜け毛のたぐいは採取できず、特に愛着のある品なども見つからなかったという。それなりに使い込んだ、たとえば愛用のカメラなどは当然存在するのだろうが、そう言った品物は厳重に隠されているらしく、やはり見つけられなかったらしい。
「それが一人前の術者の心得って言えば、その通りなんだけど……まったく、腕が立つのも良しわるしね」
 これが怠惰で掃除やヘアブラシの手入れひとつでも怠っていれば、話はもっと簡単であったろうに。
 肩をすくめた沙也香は、風に意識を乗せている秋月家の者達へと視線を向けた。その彼らをよけるようにして歩いている少女は、ぶら下げた振り子をじっと見つめている。だがやはり、めぼしい反応は見られないようだ。
「あんたもアンジェリカも、さきちゃんでさえ無理となると……もう個人フリーの連中じゃ手に負えないんじゃないかしら」
「ですが秋月家が、余所よそに借りを作るような真似までしますかね」
 数百年の歴史と伝統を持つ、精霊使いの四大家。
 風霊使いの秋月に、水霊使いの綿津見家、地使いの佐倉家に火使いの立花家。その四つは呪術者の世界でも屈指の名門だが、他にも肩を並べる様々な流派が存在している。そして彼らは総じてプライドが高く、互いの家格や能力の上下を常に意識して、いわば張り合っていた。なまじ個人ではなく血縁や師弟関係で繋がった閉鎖集団同士であるが故に、その関係は実に複雑かつ根深く ―― 陰湿なものがある。
「失せもの探しなら、横浜中華街の道士組合に頼むか、あるいは四国のいざなぎ流か……一介の術者の失踪ってだけじゃあ、京都の安倍本家はまず相手にせんでしょうし……」
「いくら有望株って言っても、和馬はしょせん末流の出だしね。重要な地位ポストについてる訳でもないし、一家のプライドを投げ捨ててとは行かないわよねえ」
 これだけの人員を割いて、個人とはいえ外部の術者にまで情報を開示し助力を頼んでいる段階で、既に破格の扱いと言えるだろう。
 深刻な表情で言葉を交わしている二人の傍らで、譲と晴明は無言で静かに控えていた。特に晴明は下を向いて、風使いの集団から顔を隠すようにしている。
 やがて、会話が一段落つくのを待っていたのか、ようやくおずおずと口を開いた。
「あの……」
「ぁあ?」
「何か思いついたの? 晴明」
 半人前は引っ込んでろとでも言いたげな丸岡を制し、沙也香が先を促す。
 晴明はちらちらと風使い達の方をうかがいながら、小さな声で要望を告げた。
「和馬さんの車の中を、見せてもらう事はできないでしょうか」
「別に、なんも残っちゃいなかったぜ?」
 それぐらいとっくに確認したと、丸岡が一蹴する。しかし沙也香はこれまで晴明が積み重ねてきた、通常の術者とはひと味違う実績を承知している。こくりとうなずいて、爪先で伸び上がった。並ぶ車の列を、大きな目を細めてたどっていく。
「えーと……あそこに停まってるのでしょ」
 指差しながら振り返る。見慣れた車体を確認して、晴明もうなずいた。
 じゃ、と手だけで辞去を告げて、沙也香は二人を引き連れ歩き始める。譲と晴明も会釈を残して後に続いた。
 ごく一般的な白いセダンの国産車は、これといってカスタマイズされていることもなく、どこにあってもおかしくないたたずまいを見せている。ダッシュボードが開け放たれ、助手席に携帯電話が放り出されているのは、探しに来た秋月家の人間の仕業だろう。
 聞いていたとおり、車内にはこれと言って争ったような形跡もない。運転席側のシートがわずかに濡れているのは、乗降した際に雨が降っていたからか。濡れ方が少ないところを見ると、無理矢理引きずり下ろされたとか、ドアを開けたまま長時間揉めたといった状況は考えにくい。
 窓から覗くだけでは気が済まなかったのか、沙也香が遠慮なくドアを開けた。鍵はかかっていない。秋月家の人間が調べてから、そのままになっているようだ。
「沙也香さん、許可を得ないと……」
「良いわよ。どうせもう調べ尽くしちゃってるんだろうし。ほら、誰も気にしてないじゃない」
 変わらず捜索を続けている、風使い達を視線で示す。
「あら、後ろも濡れてるのね」
 後部座席に頭を突っ込んだ沙也香が、シートについた手のひらを持ち上げた。親指と人差し指を、確かめるようにこすり合わせる。
「それにちょっと、土がついてる……ような?」
「そうなんだよ」
 突然割り込んだ声に、三人そろって振り返る。
 立っていたのは、丸岡だった。敷物とウィジャ盤は、元の場所に放置してきている。皮ジャンのポケットに両手を突っ込んで、背中を丸めて立つその姿は、冬の弱い日差しの中で不吉に黒く浮かび上がっていた。
「だから俺は、和馬の野郎が気絶かなんかさせられて、どっかに運ばれたんじゃないかと見てるんです。そのあと車だけここに捨てたのさ」
 一同はしばし、無言でその光景を思い浮かべた。
 意識を失って倒れた和馬を、後部座席に押し込む何者か。その時にシートが濡れて、土が付着する。さらにその人物は、奪った鍵で車を運転し、和馬をどこか ―― 人気のない倉庫あたりへと運び込む。
 それから足取りを誤魔化すために、この場所まで車を移動させたのならば……犯人は複数犯か。あの和馬を昏倒させるのにはそれなりの人手が必要だろうし、車を放置したあと戻るのにも、別にもう一台、車なりバイクなりが同行しなければならないはずだ。
 ということは、組織的な犯行による拉致 ―― ?
 一気に場の空気が深刻さを増す。
「こんな場所を探すよりも、仕事を終えて依頼元を出た所から、足取りを追い直した方が良いんじゃないかと思うんですよ。沙也香さん、そのへん、秋月家に進言しちゃもらえませんかね」
 沈黙した一同に、丸岡がそう告げる。
 それは彼なりに真剣な考察を重ねた上での提案であるようだった。
 いまこの場にいるフリーの術者達の中では、沙也香がもっとも実力、知名度ともに高い存在である。その強い発言力を持って、秋月家に働きかけてほしいと彼は言っているのだ。

「…………」

 それもまた、一考の価値はあるかもしれない。
 思案に入る沙也香を、譲は判断を委ねるように見守っている。
 一方、晴明は ――

 沙也香の行動をなぞるように、運転席と後部座席を確認し、シートの座面を左手で撫でていた。
 無言で視線を落としているのは、指先と見せて、実際にはその手首である。
 銀と翡翠で作られた腕釧わんせんの、勾玉がいくつか淡い光を放っていた。
「……いかがですか?」
 ささやくような声で、光る勾玉へと問いかける。
 応じて大小さまざまなそれらが、とりどりの色とリズムで明滅する。
「ええ ―― はい、そうですか。それで? ……変化へんげですって?」
 語尾が高く跳ね上がって、一同が驚いたように振り返った。
 ちょうど近くまで来ていたダウザーの少女や風使いの数名も、作業を中断していぶかしげな視線を向けてくる。
 しかし周囲の様子には気付かぬように、晴明はなおも勾玉に声をかけ続けていた。
「なるほど……はい、もちろんです。お願い、できますか?」
 弱々しく依頼するその言葉に応じて、ひときわ強い光が生じた。
 その輝きは大きくありながらも目を射ることはなく、どこか柔らかい印象を持ってあたりに広がる。
 まだ捜索を続けていた風使い達どころか、車の中で手札をめくっていた銀髪の女性 ―― 占者のアンジェリカまでもが、何事かと窓から顔を出してくる。
 沙也香と譲は、期待の眼差しでその様子を眺めていた。
 やがて、彼らの前に現れたのは……


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