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 雨 月 露 宿あめのつきつゆのやどり  骨董品店 日月堂 第十六話
 第一章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 十二月に入ると、世間は一気にクリスマスムードを漂わせ始める。
 最近は不況の影響か、あるいは十月のハロウィンに押されつつあるのか、一時期ほどのけたたましさは失われつつある。それでも街を歩けば聞き慣れた曲がしきりと耳をつくし、商店の飾り付けも赤と緑と金で彩られていた。
 しかし ―― この店はそんな喧騒からは取り残されたように、いつも変わりばえのしない空気に包まれている。
 それは洋の東西を問わず、長い年月を経てきた器物だけが持つ、落着いた重厚なたたずまいがもたらすものだ。
 ここにいると、季節も、時間さえもが意識の外へと追いやられてしまうかのようである。あえて詩的に表現してみるならば、終わることない黄昏めいた、とろりとした琥珀色の気配が店内に満ちているとでも言おうか。
 ただ……この日はそんな趣深い空気も、どこかへ追いやられてしまっているようだった。
 ある程度の節度こそわきまえてはいるものの、若者特有の甲高い話し声が店中に響き渡っている。
 中央にある大きな円卓を囲んで、三人ほどの若い男達が会話に興じているのだった。その傍らには、ポットを持った店の主がたたずみ、時折り相槌を打ったり質問に応じたりしている。
 と ―― 来客を示すカランという音が鳴り響いた。
 若者達は会話をやめ、店主が入口の扉を振り返る。
「いらっしゃいま……」
 挨拶を言い終えるよりも早く、やはり騒々しい声が発せられる。
「さっむー! マスター、熱いの一杯ちょうだい!」
 そう言いながら手袋を脱いでいるのは、まだ二十歳そこそこの青年だった。かじかむ手でマフラーをほどくと、寒さに赤くなった鼻の頭が顔を覗かせる。脱色したように見える栗色の癖っ毛には、ところどころ水滴の粒が散らばっていた。
 いかにも言い慣れた様子のその『注文』に、店主 ―― 安倍あべ晴明はるあきは、わずかに苦笑いしてみせる。
「うちは喫茶店ではないんですが……」
 そう言いながらも、その手はポットをいったん卓へと置いて、新たなカップと受け皿を準備し始めている。
 卓を囲んでいた若者達も、椅子を動かして新たな仲間が座る場所を空けていた。
「お疲れー」
「お前も現場チョク?」
「そう。もー、吹きっさらしの造成地でお祓いとか、今の季節洒落になんねえって」
「うっわ、そりゃカンベン」
「マジで死ねるわ」
 ほれほれ、あったまれ。
 口々に言って、足元に置かれているオイルヒーターの前を譲ってやっている。
 青年はヒーターの正面にしゃがみ込んで両手をかざした。はーーっと気持ちよさげに息をついている。
「地鎮ですか? この雨の中、大変でしたね」
 生姜入りです。暖まりますよ、とカップが卓に置かれる。それから乾いた柔らかなタオルが、濡れた髪の上に降ってきた。
「サンキュー、マスター。あーもー、天国ーー」
 頬にタオルを押しあてている青年に、晴明は苦笑いを深める。
「マスターって……だからうちは、喫茶店ではないと」
 しかしその言葉には、卓を囲む面子から口々に反論が返された。
「えー、だっていつ来ても、おいしいお茶淹れてくれるし」
「それに、マスターはマスターだもんな」
「なぁ?」
 最初からいた三人も含めて、みなが頭を上下させる。

「「「「立派な雑鬼使いマスターじゃん!」」」」

 声をそろえて合唱する。
 彼らはここ最近この店に出入りするようになった、若手の呪術者達だった。
 沙也香の伝手つてや紹介で、様々な現場に出向いたりあるいは曰く付きの品物が持ち込まれるようになって、日月堂ひづきどうの名は少しずつ業界で知られ始めてきていた。それは晴明にとって必ずしも歓迎するところではなかったが、しかし助力を求められれば、それを断れるような性分ではない。そうして気が付けば、いつしか異能力者の顔見知りも増え、骨董品目的の客としてではなしに、日月堂まで足を運ぶ者も多くなっていた。
 そんな中でもこの四人はまだ年若く、それぞれの師匠の下について修行をしている途中の、いわば半人前の術者達だった。彼らにとって、同年代か少しだけ年上 ―― と、彼らは思っている ―― の晴明が経営するこの店は、異能を隠さずにすみ、なおかつうるさいことを言う師匠や先輩術者達の目から逃れられる、居心地のいい避難場所になっているらしい。
 しばしばやってきては、こうして時間を潰してゆく面々を、しかし晴明もそう迷惑に感じている様子ではなかった。むしろ今まであまり縁のなかった、普通 ―― と言って良いのかは、多少疑問が残るが ―― の若者との会話を、楽しんでいるようでもある。
 そう、むしろ彼の方こそが、由良達といった異形の話題も気兼ねなく出せることを、喜んでいるのかもしれない。
 とは言え……

「ですから、彼らは別に、私に使役されているという訳ではなく……」

 自分はあくまで好意によって力を貸してもらっているだけであり、『雑鬼使いマスター』などと呼ばれる謂われはない。そこの点だけはきちんとしておかなければと。律儀にけじめをつけようとする晴明だったが、しかしその言葉は、またもドアに付いた鐘のによって遮られてしまった。
 冷たい空気を引き連れ飛び込んできたのは、大きさの違う二つの影だ。
「あーもーー! 寒い寒い寒いったら!! 晴明、ロシアンティー。アプリコットジャムでねっ」
 高く澄んだ少女の声が、当然、という口調で要望を告げる。
 十歳前後に見える勝ち気そうな顔立ちの美少女が、白いフェイクファーで縁取られた、薄桃色のダッフルコートに身を包んでいた。ミトンと耳当ても、真っ白でふわふわとしている。まるで仔兎を思わせるような愛らしいその姿に、四人の若者達は目を奪われるように見とれてしまっていた。
 その背後ではぺこりと一礼した青年が、飾り気のないシンプルな黒いコートを、入り口にある木製のポールハンガーに掛けている。
「沙也香さん、譲さん、いらっしゃいませ。熱いのを淹れますから、少々お待ち下さいね」
 にこやかに応じる晴明に、やっぱ喫茶店サテンじゃん、と誰かが小さく呟いた。


◆  ◇  ◆


 クッションの効いた寝椅子カウチに陣取った沙也香は、小皿に盛られたあんず色のジャムをスプーンですくって舐めつつ、熱い紅茶のカップを口に運んでいた。濃い目に淹れられた赤い液体を、目を細めてじっくりと味わう。
「んー、やっぱ寒い日はこれよね!」
 カップを手のひらで包むようにして、その熱を指先へと移している。
 コートを脱いだ下には、白いモヘアのニットに臙脂色のキルトのスカートを合わせていた。小さな丸い膝は、ボンボン飾りのついたニーソックスに包まれている。
 突如現れた可愛い少女に、四人の若者達はちらちらと視線を向けながら、互いにつつきあっていた。どうも話しかけてみたいのだが、その妙に大人びた態度と並んで座る保護者 ―― のように見える譲の存在のせいで、なかなか口火を切ることができないでいるらしい。
 そんな彼らをちろりと流し見て、沙也香は口元に笑みを浮かべた。年に似合わぬ妖艶さの漂うそれに、若者の一人がゴクリと息を飲む。
「そっちの茶髪のあなた」
 名指しにされた若者が、俺? と自分を指差した。
「見ない顔ね。名前はなんて言うの?」
 まるでずっと年上のお姉様から御下問されたかのような錯覚を覚えて、彼はいささかうろたえた。が、これでは子供に示しがつかないと、ひとつ咳払いして背筋を伸ばす。
「お、俺は那州なすの崇志たかしって言うんだ。篠田しのだ隆信りゅうしん門下の ―― 」
 拝み屋で、と続けようとしたのを、軽い口調が遮った。
「ああ、タカ坊んとこの子なの。そういえばちょっと前に、弟子を取り始めたって言ってたわね」
「は? タカ坊?」
 きょとんとした顔で問い返す若者 ―― 崇志に、沙也香はあっさりとうなずく。
「そうよ、隆信たかのぶ坊や。あの子も弟子を持つなんて、ずいぶん偉くなったものよねえ」
 昔はしょっちゅう呪符ふだを書き損じては、ぴーぴー大騒ぎしてたのに。
 カップを両手で持ち、しみじみと述懐する年端もゆかぬ少女に、一同は困惑したように顔を見合わせた。
 そんな彼らをよそに、一口飲んで受け皿へと戻した譲は、晴明へ手提げの紙袋を差し出している。
「よろしければ、これをどうぞ。私が大学受験の時に使った参考書などです」
「良いんですか? ありがとうございます。助かります」
「いえ、進学を選ばれたと聞いて、少しでもお役に立てればと」
「お気遣いいただきまして。……正直、ずいぶん迷ったのですが」
「学ぶ機会を逃さないことが、大切だと思いますよ。私も進学を迷っていた時、義母ははにそう叱りつけられました」
「ああ……なるほど。私も先代店主に、資格だけは取っておけと言われておりますから。通信課程ならば時間の融通も効くでしょうし……」
 小声でなにやら言い交わしている。
「え、なに。マスター、親戚に受験生でもいんの?」
 会話を小耳に挟んだ一人が、くちばしを突っ込んできた。
 しかしその問いに晴明が答えるよりも、沙也香が口を開く方が早い。
「アタシは遠野沙也香。心霊治療師ヒーラーよ。こっちは義息むすこの譲ね」
 ひらりと手のひらを振って、隣の青年を指し示す。
 崇志らは最初、言葉の意味がよく飲み込めないようだった。しばらく少女と青年の組み合わせを、不思議そうに見比べている。が、じょじょに内容を理解してゆくに従って、その顔から血の気が引き、青を通り越して白くなっていった。
「し……失礼しましたーーーー!!」
 全員が一斉に椅子を蹴り、直立不動の姿勢をとる。
 心霊治療師の遠野沙也香と言えば、業界では超のつく有名人だ。しかもそこには『取り扱い厳重注意』の注釈がついている。駆け出しのひよっこ術者など、言葉を交わすどころか同じテーブルにつくことさえ恐れ多いと、もっぱらの評判であった。
 ガチガチに固まりながらも謝罪する一同に、沙也香は良くできましたと言わんばかりにうなずいた。
 それから女王の風格を持って、鷹揚さを見せる。
「いいからお座りなさい。せっかく晴明の淹れてくれたお茶が、冷めちゃうでしょ」
「は……は、い……」
 先ほどまでの、美少女を鑑賞する空気はどこへやら。
 恐る恐る腰を下ろした四人は、肩を寄せ合うようにして小さく身を縮めていた。
 紙袋を目立たない隅の卓に置いた晴明は、そんな場の雰囲気を和らげるように、菓子鉢を彼らの前へ移動させる。
「そんなに緊張なさらなくても、沙也香さんはとても良い方ですよ?」
 四人にそう言って笑いかけ、沙也香と譲には別の焼き菓子を勧める。
「お客様からの戴き物ですが、皆様から美味しいと評判なんです」
 表面にドライフルーツの飾りが乗ったクッキーに、沙也香は嬉しそうに口元をほころばせた。
 しばし店内にはサクサク、もくもくと食べる音だけが響く。
 やがて ――
 カップがおおむね空となり、菓子鉢も底を見せてきたあたりで、ようやく沙也香はほぅとひとつ息を吐いた。
 なめらかなその頬がピンク色に染まっている。やっと外の寒さを忘れて人心地ついたようだ。
 空いたカップに晴明が、今度は少々ぬるめのお代わりを注ぐ。
「今日はずいぶん冷え込むようですが、お風邪など召されませんよう、お気を付け下さいね」
 仮にも治療師を名乗る沙也香を相手になんてことを、と。崇志達はその発言に青ざめるが、当の沙也香は気にした様子もなく、パタパタと手を振ってみせる。
「やだ、誰に向かって言ってんのよ。アタシは遠野沙也香よ?」
「ええ、それは重々承知しております。でも医者の不養生という言葉もありますし。それに沙也香さんは身体が小さくていらっしゃるから、冷えやすくて大変でしょう?」
 小さいとか言ってるよ! と一同は内心でムンクの叫びと化していた。しかし沙也香はなおも涼し気な態度を崩さない。
「そりゃあ確かにね。でもいざとなったら、体温の調整ぐらいできるわ。やり過ぎると自律神経が弱くなるから、普段はしないけどさ」
 本格的に体調を崩しそうなら、ちゃんと手は打つと答える沙也香に、晴明は安心したように微笑んだ。
 彼の言葉がけして軽んじからくる揶揄などではなく、冷静に現実を見つめた上での心から発せられた気遣いであると知っている沙也香は、素直に笑顔で応じるのだった。
 が、その顔がふとわずかに曇る。
「……それより、心配なのは和馬の方よね」
 カップを傾けていた譲の手が、ぴくりとその動きを止めた。沈鬱な表情を浮かべる彼に、晴明は数度目をしばたたかせる。
「御無事だといいのですが、この寒さでは厳しいですね」
 ため息とともに、譲がつぶやきを落とした。
 黙りこんでしまった二人へと、晴明はいぶかしげに問いかける。
「 ―― あの、和馬さんがどうかされたのですか?」
 その言葉に、沙也香と譲は意外そうに視線を上げた。
「知らないの?」
「何をでしょう」
 晴明が首を傾げると、後ろで束ねた黒髪がさらりと肩から流れ落ちた。
 光を吸い込む漆黒の双眸が、まっすぐに沙也香を見下ろしてくる。
 それをしばし無言で見返して、作為がないことを確信した沙也香は、小さく息を吐いた。
「道理でのんびりしてると思ったわ。聞いてなかったのね」
「ですから、何をです」
 重ねて訊く晴明に、沙也香は短く答えた。

「あの馬鹿、行方不明になってるのよ」

 晴明は、しばらく意味を咀嚼するように動きを止めていた。
 そうして ―― 数秒が過ぎてから、ようやく言葉を選ぶように視線を彷徨わせ始める。
「それは、つまり……連絡が取れない状態ということですか。その……家の仕事の、関係でとか」
 何らかの事情があって、自ら連絡を絶っているのではと解釈しようとする晴明に、しかし沙也香はかぶりを振ってみせる。
「秋月家の関係ってのは、半分当たりよ。家の命令で化け物退治に行って、それから行方が判らなくなってるらしいわ」
 補足するように譲が先を続けた。
「依頼元の話では、仕事は終えたと言って、とうに発ったとの事なんです。実際、秋月家の方にも電話で簡単な報告はされているのですが……その後、正式な終了報告に姿を見せず、自宅にも戻っていないそうで」
「で、ですが、和馬さんですよ。二三日連絡が取れなくても、あの方なら大丈夫で……」
 言いかけた晴明を抑えるように、沙也香が片手を上げる。
「二日や三日なら、問題にはならなかったんでしょうよ。でもね、もう一週間以上になるの」
「一週間 ―― !?」
「それも五日ほど経った段階で、さすがにこれはおかしいって、秋月家の方で携帯のGPSを調べたのよ。そうしたら……」
 ふう、と。
 つややかなピンク色の唇から、似つかわしくない嘆息が洩れる。
「山の奥の奥、車が入れるギリギリみたいな、細い林道の端っこに車が乗り捨てられてたって。携帯はダッシュボードの中。和馬の姿は影も形もなし」
「それは……」
 和馬が携帯電話を携帯しないのは、職業柄いつものことだ。
 一瞬一秒の判断の迷いが、生死を分けることもある。それが風使いとしての日常だ。緊迫した戦いの最中さなか、いきなり前触れもなく鳴り出されでもした日には、生命がいくつあっても足りない、と。彼はいつもそうこぼしていた。ならばマナーモードにでもしておけ。なかなか連絡が取れなくて困るじゃないかと沙也香などは言うのだが、それはそれで落としそうで怖いらしい。
 なにしろ立木をも切り倒すカマイタチなどを駆使し、立ち回りを繰り広げる男だ。衣服のポケットはおろか、ネックストラップやキーチェーンなどで繋いでいてさえ、その切れ味の前では何の役にも立たないだろう。
 あ、落とした、と。気を取られるその一瞬が命取りに繋がる。
 故に彼はいつも携帯を車の中に置いており、もっぱら着信履歴を見てはかけ返す使い方をしていた。
 今まではそれでなんとかなっていたのだが、今回ばかりは仇となったらしい。
「秋月家の方でも、できるだけの人員を出して、周囲を探してるそうよ。でも見つからなくってね」
 風霊ふうりょう使いの秋月家は、広範囲の捜し物に意外と向いている。ことに自然の中で、ある特定の生物を探すといったたぐいは、風の流れに意識を乗せられる風使い達にとって、かなりの得意分野なのだ。
 その秋月家の中でも、おそらくは探索に長けた人選を行っただろうことは、容易に察しがつく。あの家は仲間を大切にすることで知られているし、おまけに和馬は末端の出とはいえ、その術力と人柄から、それなりに使える術者としてそこそこの立場と人望を持っているはずだ。けしてなおざりな探され方をしているなどといった怠慢はないだろう。
 それでもなお、数日を費やしても見つからないとなると……
「秋月家の方では、ついに外部の術者に協力を仰ぎ始めたわ。それで失せ者探しの得意な占術師やダウンジング使いダウザーが何人か、現場に向かうことになったって」
 沙也香もこの話を、その応援に行く術者達から聞いたのだ。
 四大精霊使いの一角を成す名家という、名と体面を後回しにしてでも外部へ事情を漏らし、協力を乞うた。その判断と姿勢を、彼女は高く評価している。
 だがそれだけの決断をさせるほど、捜索が難航しているのならば。
 晴明がきり、と奥歯を噛みしめる。
「今の季節、もしも野外で一週間も過ごしていたら……」
 充分な装備を調えた登山の熟練者でさえ、雨のそぼ降る十二月の山中で一週間は辛いだろう。まして和馬は仕事帰りの疲労した身体で、着の身着のまま失踪しているのだ。
 車の内部や周囲に、争った気配はなかったらしい。
 だからといって、彼が自分の意志で姿を消したとは考えにくい。もしもなんらかの暴力をもって、無理矢理に誰かに連れ去られたのだとしたら ―― あの和馬が唯々諾々と従うとも思われなかった。ならば五体満足でいるという保証も、そこにはなく……
 身体の前で組み合わせた晴明の両手が、込められた力で小刻みに震え始める。曲がった指の関節が、血の気を失い白くなっていた。
 そんな晴明の様子に、卓の一隅に身を寄せあっていた一同は、いぶかしげに顔を見合わせる。
「あ、あの、さ」
 おずおずと、代表して嵩志が口を開いた。
「秋月家の和馬って……あのでっかい旦那だよ、な?」
 基本的に風使いとしての仕事は家を通してのみ受けている和馬だが、沙也香に引っ張り出されたり面倒見の良い性分なこともあって、やはり業界ではそれなりに存在を知られている。その評価は『将来有望な若手株』だ。
 既に三十路も近くなってきた和馬ではあるが、呪術者の世界ではまだまだ若造の範疇である。四十代でそろそろ一人前。五十六十でようやくベテラン。中には沙也香のように実年齢を誰も知らないといった、化け物クラスもごろごろいるのが、この世界を構成している面子である。
 とは言え今ここで卓を囲んでいる、二十代にも入ったかどうかという半人前達からしてみれば、和馬もまた遠目でかいま見たことがあるだけといった、雲の上の存在に近い。
「マスター、あの旦那と知り合いなの?」
 すでに沙也香という、最上級に高ランクな術者と親しげに会話しているのを目の当たりにして、嵩志らは今さらながらに晴明がただ者ではないのだと意識したようだ。
「……え、ええ。和馬さんは、一番最初に親しくさせて頂いた方なんです」
 晴明のこの返答を、場にいる一同は ―― 沙也香と譲も含めて ―― 『この業界で初めての知人』なのだと、そう解釈した。
 よもやそれが、『人間として初めて』を意味するとは、さすがに誰も予想できなかっただろう。
 晴明にとって、和馬は人間の中で初めて、安倍家に関する事情を知った上で、それでもなお交流を続けてくれた相手であった。中学を卒業するまでの彼には、そういった『理解者』は誰一人として存在しなかったし、日月堂に来てから保護者としてなにかと面倒を見てくれた先代店主でさえ、あくまで安倍家に連なる『同族』でしかなかったからだ。
 和馬と知り合ってからしばらくののち、通う高校で蛇神が絡む事件が起きたことで、同年代の知人を得ることはできた。彼らは由良達のような異形の存在を知った上で、『普通の一般人の生活』を教えてくれる、やはりとても貴重な友人となってくれた。
 しかし……それでもやはり、晴明にとって和馬は特別な存在なのだ。
 生まれて初めて得た、人間の理解者。しかも彼は異能力者であるが故に、異形達の存在や、曰く付きの品に特別な思い入れをいだく晴明のことを、丸ごと理解してくれる。時に苦言を呈したり常識を懇々と諭されたりもしたが、それさえもが晴明にとってはひどくありがたく、喜ばしいことだったのだ。
 その、和馬が行方知れずなのだという。
 しかも詳しく事情を聞けば聞くほど、いま無事でいるとは思えなくなってくる。
 蒼白な面持ちで唇を引き結んでいる晴明に、沙也香は一瞬痛ましげな目を向けた。しかしすぐにそんな表情は消し去って、あえて何も見ないふりをする。
 努めてなんでもないように、声に明るい色を含ませて。いかにも呆れているといった仕草で肩をすくめてみせた。
「まったく、あいつも何をやってるんだか」
 ねえ?
 と。
 同意を求めるように、首を傾げて晴明を見上げる。
「……そう、ですね……」
 晴明は、なんとかそう絞り出すように呟いた。
 こわばった表情をしいて動かし、かろうじて笑みと呼べる形を作る。
「無事で、いらっしゃいますよね。きっと」
「そうよ。あー、失敗しくったとか言って、そのうちまた顔を出すわ」
 その時はせいぜい、からかってやりましょ、と。
 悪戯っぽく片目を閉じてみせる沙也香に、晴明はぎこちなくうなずいたのだった。


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