神秘の国  骨董品店 日月堂 第十二話 番外
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2010/02/04 06:30)
神崎 真


 したたるような緑が美しい、そこは森の中だった。
 広さ自体は小高い山ひとつ程度と、さほどでもないはずだったが、さすがにどこか深閑とした空気が肌に感じられる気がする。
 マイクを手に、ビデオカメラの前に立ったジャネットは、大きく息を吸い込んだ。カメラのレンズへと、既に作り慣れた笑顔を向け、赤くルージュで彩った唇を開く。
『ここは、神社テンプルの裏手にある、「チンジュ」の森です。どうですか。美しいですね』
 少し大仰とも言えるほどに頷いて見せながら、声は弱冠ひそめ気味にする。
 カメラマンの向こうにいる音声スタッフが、もう少し声量を上げるよう、身ぶりで指示してきた。それに目だけで頷いて、マイクへと唇を近づける。
『この森には、多くの鹿が住んでいるそうです。このあたりでは、鹿は神 ―― 精霊の使いとされ、とても大切にされているのだとか。そう考えると、なんだかとっても幻想的に感じられてきますね』
 上体を後ろにひねる形で歩んでいた足を止め、先を進んでいたキモノ姿の男性を呼び止める。
『なぜ鹿が、神聖なものと呼ばれているんですか』
 その言葉を、素早く通訳が男性 ―― 神主カンヌシに伝えた。
 髪に白いものの混じり始めた初老の男性は、黒太縁の眼鏡を押さえながら、低い声で呟くようにしゃべった。再び通訳が、それを翻訳する。
『その昔、「タケミカヅチノミコト」という神が白い鹿に乗って、遠い「イバラギ」の国からこの地へやってきたのだそうです。それ以来、このあたりでは鹿は神の使いということとされ、あつく保護されてきたということです』
『なるほどー。人が乗れるということは、ずいぶん大きかったんでしょうね。しかも白い鹿とはまた、とても神秘的です』
 そうまとめると、一拍おいてからオーケーの声があがった。
 それぞれのスタッフ達が緊張を解き、いったん掲げていたそれぞれの機材を下ろしてゆく。
『良かったよ、ジャネット!! まさに神秘的ミステリアスな笑顔だった』
 監督の声に、今度は作り物ではない笑みが洩れる。
 彼らはアメリカからやってきた、クイズ番組の撮影スタッフだった。世界各地の様々な景観や風習を取材し、その土地土地で特有のものを問題にしては放送している。夜のゴールデンタイムを長年にわたって保持し続ける、なかなかの人気番組だ。
 今回は『神秘の国、日本』と銘打って、極東の島国へとやってきていた。
 エキゾチックでミステリアスなこの国の、あらゆるものに神を見出みいだすという、その宗教観をテーマに据えての番組作りを目指している。
 正直、キリスト教徒のスタッフ一同には、世界にはいろいろな宗教があるな、という程度にしか思えない多神教の世界だったが、これまで各地を取材して回ってきた彼らには、その土地ごとにその土地の考え方が存在していると判っている。今回もいつもの通り、通訳を間に立て、そつのない撮影を行っていた。
 とはいうものの、やはり感覚の違いから来る、ある程度の軋轢は否めない。
 いまも案内役を務める神主が、眉をひそめた表情で、何やら通訳に訴えている。
『どうした?』
 監督が問いかけると、通訳が困惑した表情でふり返った。
『ここは神聖な場所なのだから、もう少し静かにしてほしいのだそうです。神様の場所をみだりに騒がしては「バチ」がぶつかると』
『はあ……「バチ」って何?』
『神の怒りに触れる……いわゆる天罰のことです』
『天罰、ねえ』
 スタッフの間から、押し殺した失笑が洩れる。
 彼らにとって天罰とは、唯一神その方がもたらす恐ろしいものだ。極東の小さな島国の『神』のそれなど、恐ろしくもなんともない。
 だがそれを露骨に見せては、土地の人々の不興を買う。監督は小さく咳払いをすると、大仰に頷いて見せた。
『了解。気をつけよう』
 そう言って、パンパンと軽く両手を叩く。
『さて、それじゃあもう少し森の風景を撮るぞ。特に鹿の姿を撮影しておきたい』
『うーッス』
 それぞれに応じたスタッフ達が、再び機材を抱え直す。
 撮影用の照明が、森の木々を眩く照らし出した。ぞろぞろと歩き始めた一同に、神主は小さくため息を残して先導してゆく。


『チッ、なかなか見つからないな……』
 監督が苛立ったような舌打ちを洩らした。
 時に観光客を取り囲むほど現れるという鹿が、何故かまったく姿を現してくれないのだ。重い機材を抱えたスタッフにも、疲れの色が見え始めている。
 と ――
 その時、茂みをかき分けるガサリという音があたりに響いた。すわ、とカメラが向けられたその先に立っていたのは……しかし残念ながら目的の鹿ではなく、ひとりの人間だった。
 だがその姿に、一同は何故か思わず息を呑んでしまう。
 気配の薄さ、とでも言おうか。その人物は不思議なほど、この森の中に溶け込んでいるように思われたのだ。
 欧米人かと見まごうほどに、透き通るかのような白い肌。それに比してブルネットの髪と瞳は、まるで夜の闇のように濁りのない、純粋な黒だ。首の後ろで束ねられたまっすぐな髪が、右肩から長く流れ落ちている。
 東洋人は年齢が判りにくいが、その人物はまたそれに輪をかけていた。十代前半ローティーンにも見えれば、充分に経験を積んだ壮年をも思わせる。しかも性別がまたよく判らない。確かこの国では男性に髪を伸ばす習慣はなかったはずだが。実際ほっそりとしたその立ち姿には、男の持つ力強さは感じられない。しかしかといって、女性の備える柔らかさも見受けられないのだ。
 年齢不詳、性別不詳の人物だったが、よく見れば男物のスーツを身につけていた。もっともまだ、男装している女性という可能性は否めない。

「 ―――― 」

 おそらく日本語だろう。
 高くも低くもない、澄んだ穏やかな声音で、その人物が口を開いた。
 神主が親しげに答えを返し、二言三言、やりとりが交わされる。やがてその人物は、小さくスタッフへと会釈を向けてきた。
『あの……』
 いささかおぼつかない発音だったが、それは彼らの母国語だった。
『お仕事中、失礼いたしました』
 言葉を話した途端、相手から人間味が感じられるようになった。スタッフのひとりなどは、小さく口笛を吹いている。エキゾチック、という呟きがどこかから洩れた。
『かなり遠くの方にまで、こちらの声が、聞こえていましたので。その、僭越ですが、このもりは神の土地なので、もう少しお静かにお願いしたいのです。私達の方にも、仕事がありまして』
 言っている意味、判りますか?
 自信のなさそうな口調で首を傾げる。確かに通訳に比べれば少々たどたどしい言葉遣いではあったが、言いたいことは充分に理解できた。要するに、さっき神主が告げたのと同じ内容である。
 既に落ち着きを取り戻したカメラマンは、密かに肩の上でフィルムを回していた。
 いかにもな森の中で、いかにもな相手だ。スーツ姿なのが少々いただけないが、先ほど神主と話していたシーンなど、適当な台詞を合成すれば、実に絵になりそうだった。いっそ神主が着ているような、白いキモノに水色ターコイズのハカマをつけていてくれれば、言うことはないのだが。いや、ハカマはさきほど神社にいた女性が着ていた、緋色スカーレットのものが似合うだろうか。

「 ―― ハルアキ!」

 呼ぶような声と共に、同じ茂みの向こうから、さらに人物が現れた。
 今度はまた、ずいぶんと体格の良い男だった。こちらもまた別の意味で日本人離れしている。身長六フィートはあるだろうか。筋肉質の良く鍛えられた身体に、やはりブルネットの髪と瞳。もっともこの国の人間のたいていは、こんな色の髪と目をしているのだが。
「カズマサン ―― 」
 もしかしてこの人物のボディガードかと、カメラマンはいったん撮影機を下ろした。もしも相手が著名な人物ならば、下手に肖像権などでトラブルを起こしてはやっかいだ。
 だがしばらく会話していた二人は、やがてそろって会釈をすると、再び茂みの向こうへと姿を消してしまった。
『失礼しました』
 その言葉だけが後に残される。
 しばし呆然と見送っていた一同だったが、やがてその視線は神主の方へと向けられていった。それに応じて神主は、愛想笑いアルカイックスマイルを浮かべながら答える。
『彼はアンティークショップのマスターだそうです』
『彼(He)!?』
 オゥ! と一人が嘆息した。どうやら相手を男装の麗人だと信じ込んでいたらしい。
 古美術商ねえ……と、監督が残念そうに呟く。第一印象と異なり、俗っぽさを感じさせるその生業に失望を覚えたようだ。
 だがその失望も、次の言葉を聞いた途端、吹き飛んだ。
『大柄な方は、「カゼツカイ」というシャーマンの一種だと』
呪術者シャーマンだって!?』
 監督の声が跳ね上がる。
 シャーマンという言葉には様々な意味が込められているが、その意味するところの多くは宗教的なミステリアスなものだ。霊魂を飛ばして神の世界に赴いたり、逆に様々な心霊スピリットを招いて奇跡を起こしたりする。いわゆる霊媒や預言者といった手合いだ。
 この神の森で遭遇するには、実にふさわしい相手である。ぜひ一言インタビューでももらえれば! と、慌てて茂みの向こうへと声をかけてみるが、応えは返ってこなかった。枝をかき分けて顔をのぞかせてみるが、後ろ姿も捉えられない。
『なんでもっと早く言ってくれないんだ……』
 がっくりと肩を落とす監督を、一同はなんとかなだめすかした。
 それからも鹿を探して森を歩きまわったが、とうとう彼らは求める姿を見つけることができなかった。日もそろそろ傾いてきたことだし、今日のところは取材を終えようと、森の外を目指して歩き始める。

 しかし ――

 三十分も歩いた頃、彼らは何かがおかしいと感じ始めていた。
 いつまでたっても、出口が見えてこないのだ。さらにもう十五分歩いて、本格的に妙だと確信する。この森が、そこまで広いはずはないのだ。外部から見れば、小さな山ひとつ分。彼らが長々と歩いていたのは、鹿を探してぐるぐると同じ場所を行き来していたからで、本来まっすぐに進めば、三十分で充分外に出られるはずなのだ。
 それなのに、いくら歩いても緑の切れ目が見つからない。鬱蒼と茂った、まるで深山の奥にいるかのような木々の中、街の音も聞こえることなく、ただひっそりとした静寂だけが存在している。
『ど、どうなってるんだ……』
 照明係が震える声で呟いた。
 どんどんあたりが暗くなってゆく中、彼の持つ灯りだけが、かろうじて周囲を照らし出している。
 少し前までは、小鳥の声や小動物が動く微かな音が、マイクにも届いていたはずだった。それが今は、彼ら自身が立てるわずかな音しか拾うことができないでいる。
 それでもさらに歩き続けて、ついに完全に日が暮れた頃、一同は既にパニックを起こしかけていた。紅一点のジャネットは、完全に涙目になってしまっている。
『どうしてよ! 何でいつまでも出られないのよ!!』
 叫ぶ彼女に答えられる人物はいない。
 ただ神主だけが、何かを言いかけてはためらうようにしていた。眼鏡の奥にある瞳が、闇の向こうを透かすように、きょろきょろと動いている。
 やがて、はっとしたようにその目が一点で止まった。
 息を呑むごくりという音に、全員の目がそちらへと集中し、ついで視線を追って振りかえる。
 誰かが悲鳴と共に機材を取り落とした。監督は引きつったような呻きを洩らし、ジャネットは両手で唇を覆う。
 そこに存在したのは ―― ある意味、彼らが追い求めていた相手であった。
 巨大な、まるで馬ほどもある巨躯を持つ牡鹿。
 その頭から生える枝角だけで、3フィートを超えるだろうか。幾重にも枝分かれした先が、鋭く研ぎすまされたように尖っている。
 太い首にすらりと長く伸びた脚。二本に分かれた蹄が激しく地面を掻く。
 低い鼻息が夕刻の大気を震わせていた。激しく角を振り立て、明らかに威嚇する姿勢で一同を睨み付けている。その黒い瞳に宿るあからさまな敵意に、全員が震え上がった。やがて牡鹿は頭を低く下げ、突進の姿勢をとる。
 ガッと蹄が地面を蹴る音に、皆とっさに動くこともできず、ただその場に凍りついていた。
 次の瞬間 ―― 両者の間に激しい突風が巻き起こった。
 突進する牡鹿と立ちすくむ一同の間を割るように、渦巻く風が発生したのだ。
 思わず目を閉ざした彼らは、再び目蓋を上げたとき、風の向こうに二つの背中を見ることとなる。
 ひとつは、なにか武術の型のように身構えた、大柄な青年の姿。そしてもうひとつは、地面に片膝をつき、ひざまずいたほっそりとした姿。

「 ―――― 」

 いったいなにを言っているのか。風に遮られているのと言語の壁とで聞き取ることができないが、ほっそりとした方の青年が、牡鹿に向けて何かを訴えているらしい。
 はたしてどれほどが過ぎたのか。
 長かったようにも短かったようにも感じられた時間ののち、アンティークショップのマスターだという長髪の青年は、ゆっくりと立ちあがった。そうして牡鹿の方へと歩み寄り、ゆっくりその両手を伸ばす。
 あれほど敵意を露わにしていた牡鹿は、あらがうこともなく、両腕に太い首を預けた。すり、と数度懐くような仕草を見せたあと、後ずさるように身を離し、踵を返して闇の彼方へと消えてゆく。
 いつしか、激しかった風もやんでいた。
 振り返った二人は、どこか呆れたような、あるいは諦めたかのような、複雑な表情で一同を眺めている。
「 ―――― 」
 青年が手招きすると、神主が慌てたように従った。スタッフ一同も、置いていかれてはたまらないと、次々にあとを追う。
 その後は何の異変もなく、彼らは五分足らずで神社の裏手へと出たのであった。
 ぽかんとした表情であたりを見わたすスタッフ一同をよそに、神主は長髪の青年の両手をとって、幾度もくり返し頭を下げていた。
 二人の青年は、ただ苦笑いして肩をすくめているだけであったのだが。


 後日。
 見あげたもので、あのトラブルの中でもフィルムを回し続けていたらしいカメラマンが、天を仰いで嘆息していた。
 なんでもあの牡鹿が現れた瞬間から、画面がブラックアウトして何の映像も音も収録されていなかったらしい。せっかくのファンタスティックな体験だったのに! と嘆くスタッフ一同だったが、撮れていないものはいたしかたない。
 マイガッと頭を抱えている監督の傍らで、ジャネットもまた深々とため息をついていた。
 それにしても ――
 と、彼女は思う。
 あの牡鹿は尋常のそれではなく、真実、精霊かあるいは東洋の神の御使いだったのか。
 そしてあの二人の青年は、その神に仕える巫子シャーマンという存在であったのか。

 ともあれ。
 この国はやはり、エキゾチックで神秘的な日本ミステリアス・ジャパンなのだ、と。
 彼女はしみじみそう実感したのであった。


(2010/02/04 09:37)


 


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