静 夜  骨董品店 日月堂 第四話
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2000/12/19)
神崎 真


 ことりという小さな音と共に、視界の端に湯気の立つカップが現れた。
 同時に漂ってくる、挽きたての豆のかぐわしい香り。
 目の前の文章に集中していた晴明は、それらに刺激され、ふと机から顔を上げた。頭を動かし、傍らに置かれたカップの方を振り返る。
「ああ、かがり。ありがとうございます」
 そう言って、カップの横に座り込み、じっとこちらを見ている相手に微笑みかける。

 きぃ

 たとえて言うならば、毛のない仔猿にコウモリの羽根をつけたような姿をした雑鬼が、応えて乱杭歯をむき出した。背中の羽根が、バサバサと二三度動かされる。
 お世辞にも気色がいいとは言えない仕草だったが、いちおう喜んでいるらしい。
 晴明も動じる様子を見せず、笑みを崩さぬままコーヒーに手を伸ばした。まだ熱いそれに軽く息を吹きかけ、そっと口をつける。
 と、その背中が急に重くなった。おや? と瞬きし、首をひねって背中を見る。
なぎ? どうかなさったんですか」
 穏やかな口調で問いかけた。
 背中に貼り付いていたのは、赤子ほどの大きさもある、巨大なイモ虫であった。ぶよぶよとした灰色の身体に、硝子玉のような黄色い一つ目。口元から生えた数本の触手が、晴明の目前で先端を揺らめかせている。
 その一本が指し示す先を見て、晴明は弾んだ声を上げた。
「雪ですか。道理で今夜は静かだと思いましたよ」
 言いながら、椅子から立ち上がり窓辺へと向かう。
 落とし金を上げ、大きく窓を押し開けた。出窓風になった枠に両手をつき、上体を外へと乗り出す。
 あたりの景色はすっかり白い色に覆われていた。
 どうやら雪が降っていたのはしばらく前らしい。相変わらず空は低く雲がたれ込めているが、大気自体は静かに澄んでいる。風ひとつなくぴんと張りつめた大気。まるでそれ自体が冷気によって固く凍りついてしまったかのようだ。
 町は、とうに眠りについている時間帯だった。
 駅からさほど離れていないこのあたりでも、既に明かりのついている建物はほとんどない。通りがかる人の気配も感じられず、世界はしんと静まり返っている。
 晴明はしばらく無言で景色を眺めていた。
 その脳裏にどんな思いが去来しているのか。傍らから見ているだけでは、まるで伺い知ることができない。吐く息の白さすら作り物じみた、ひっそりと佇むその姿。闇の奥へと向けられる双眸は、どんなそれらよりも深く、黒く、光を吸い込む暗さをたたえている。
「…………」
 篝が窓枠へとよじ登ってきた。鈎爪の生えた手で晴明の腕に捕まり、共に外の風景を眺めている。
 そして、いきなりぴょんと飛び降りた。
 意表をついたその動きに、晴明ははっと我に返って下を見る。
「篝!?」
 彼は飛べるのだから心配する必要はないのだが、それでも驚くことに違いはない。
 篝が着地したのは、一階と二階の間に張り出したひさしの部分だった。地面から離れているぶん、いくらか厚めに雪の積もったそこに、半身をうずめて暴れている。いや、はしゃいでいるのか。大きな羽根ではばたく度に、粉雪が舞い上がってくる。
「ちょっと待って下さい。中が濡れちゃいます」
 腕を上げ飛んでくる雪から部屋をかばう晴明を、横からぐいと押しのけたものがあった。

 シギャァッ

 夜の静寂しじまをつんざく威嚇音。
 その一声で、篝がびくりと動きを止めた。
 そして、おどおどとした仕草で窓の方を見上げる。
 窓枠に両手をかけ見下ろしているのは、やはり巨大な一頭の猫だった。猫 ―― というよりも、大型肉食獣と表現した方がいいかもしれない。種類は定かでないが、大人の男を優に上まわる体格を持つ猫など、ライオンやトラといった猛獣だとしか思えない。
 しかし白地に明るいオレンジと黒の斑点を散らしたその毛皮は、やはりどう見ても、メスしか存在しないという、三味線に最適な日本猫のそれだった。
 篝の頭部などひと呑みにできそうな、真っ赤な口腔を大きく開き、全身の毛を逆立てて怒りをあらわにしている。
蛍火けいか、蛍火、なにもそんなに怒られなくても……」
 ちょっと濡れただけですから、ね。
 横からとりなす晴明に、篝がこくこくとうなずいた。そぅっと壁をよじ登り、ちゃっかりと晴明の後ろに隠れようとする。その身体から雪の塊が落ちて、化け猫はひときわ大きく唸った。途端に硬直した篝を抱き上げ、晴明が身体をはたいてやる。
 そんな彼の仕草に、蛍火は仕方ないな、と言うように足を窓枠から下ろした。その前に太い前足で器用に窓を閉め、鍵まで掛けてしまう。
 室内の温度がすっかり下がってしまっていたからだったが、凪は残念そうに窓の外を眺めた。もう少し夜の雪景色を眺めていたかったらしい。晴明は彼女の様子に少し考え込んだ。
「せっかくだし、ちょっと散歩に出てみますか?」
 そう提案する。
 まだ誰の足跡もついていない新雪だ。ゆっくり見て歩くのも風情があって良いだろう。外であれば、はしゃごうが雪をはね散らかそうが、好き勝手もし放題だ。
 いいの? と凪が首をかしげた。
 晴明は勉強の最中だったはずだ。教科書と並べて開かれたノートには、びっしりと英文が書き込まれている。
「かまいませんよ。少し休憩です」
 にっこりと微笑んだ。
 その後ろでは、篝がいそいそと彼のコートを引きずってきている。



 歩いて五分ほどのところにある児童公園は、昼間の喧噪が嘘のように静まり返っていた。
 いつもは年端もいかぬ子供達がはしゃぎまわるその場所が、雪という白化粧をまとっただけで、普段とは全く異なった雰囲気を漂わせている。
 ひっそりと、落ち着いた、幽玄さすら感じさせるたたずまい ――
 が、そこにいま、子供達に匹敵するけたたましい生き物が乱入してきていた。
 雪煙を立てて走りまわる巨大な三毛猫と、それから逃げまわる羽根の生えた仔鬼。仔鬼は手に幾つもの雪玉をかかえており、化け猫の身体にはぶつけられたとおぼしき雪の塊が付着している。
 甲高い両者の鳴き声をよそに、コートの胸に抱き上げられた凪は、大きな目で興味深げにあたりを見まわしていた。
「降りてみますか」
 問いかけると、触手が揺れる。晴明はそっとその場に膝を落とし、凪を雪の上に下ろした。
 と、途端に触手がピキッと動かなくなった。慌てて持ち上げてやる。
「大丈夫ですかっ?」
 手袋を外した手で、腹の部分を撫でさする。
 しばらくぴくりとも動かなかった凪だったが、やがてうぞうぞと身じろぎし、コートの合わせ目から頭をつっこんだ。なんとか中に潜りこもうとするその動きに、ボタンをはずして懐に迎え入れる。
「そんなに冷たかったんです?」
 胸元から頭だけ出して収まった彼女に、苦笑する。
 見上げてくる一つ目は、心なしかうるんでいた。柔らかな皮膚の表面が、小刻みに波打っている。
九十九つくももいらっしゃれば良かったんですけど……やっぱり寒いのは苦手でいらっしゃるようですね」
 そう傍らにいる獣に話しかけた。
 四足獣のシルエットを持つ由良は、躾のいい大型犬のように腰を下ろしたまま、うなずく。
「……アマリ……寒、イ……冬眠……」
 よわい五百年を数える大百足の化生けしょうは、春夏秋冬問わずこよなく睡眠を愛する存在であったが、特にある程度以下の気温になると、まどろんだまま起きてこなくなるという習性を持っていた。ついさっきも、お気に入りのコート掛けに幾重にも巻き付いて、まるで一体化したような形で眠っていた。
「後で毛布でも掛けて差し上げた方がいいかもしれませんね。……そうだ、お土産に何か作りましょうか」
 小さな雪だるまとか、赤い実を目に使ったうさぎとか。
 それを聞いた凪が、きらきらと目を輝かせた。彼女はそういった細かい作業が大好きなのである。服の中で動き始めた彼女を押さえ、晴明は辺りを見まわした。
 足を向けたのは片隅にあるベンチだった。座面に積もった雪をざっと払い落とし、ハンカチを取り出して濡れた場所に広げる。
「さ、どうぞ」
 これで冷たくないでしょう、と下ろしてやると、さっそく凪は残った雪を触手でかき集め始めた。自在に長さを変える触手を器用に操り、雪の塊を形にしてゆく。晴明も雪をすくい丸めていった。いつの間にか姿を現した幾つもの光珠こうしゅが、あたりを漂いながらその手元を照らし、由良と共に見守っている。



「 ―― お前ら、元気良すぎるぞ」
 いきなり聞き慣れた声が掛けられて、晴明は顔を上げた。凪と由良もいっしょになってそちらを振り返る。
 公園の入口に立っていたのは、秋月和馬の姿だった。
 大きなデパートの紙袋をぶら下げて、呆れたように一同を眺めている。
 草木も眠る丑三つ時。人っ子ひとり見あたらない公園の中で遊びまわる異形達の姿は、余人から見ればこの世のものとも思えない、異様なものだっただろう。唯一人間の格好をしている晴明とても、おぼろな光の玉を周囲に浮かべ、まるで死霊かあやかしかと勘違いされかねない姿だ。
「和馬さん! どうなさったんです、こんな時間に」
 嬉々とした表情で立ち上がった晴明は、いそいそと和馬の元へと駆け寄っていった。
 いい加減、寒さで鼻の頭が赤くなり始めている。そんな彼に和馬は苦笑した。
「こいつらに付き合うのは良いが、お前は人間なんだぞ。風邪ひいたらどうする」
 言いながら、マフラーをはずしてその首に巻いてやった。
「いいですよ、和馬さんが……」
 例によって辞去しようとするのを黙らせ、強引にぐるぐる巻きにする。そうしてみると今度は顔の半分が隠れてしまい、思わず吹き出した。
 おかしそうな和馬に、晴明もつられたように笑みをこぼす。
 笑いあう二人のそばに、いい加減疲れたのか蛍火が歩み寄ってくる。もう安心と思ったのか、篝が舞い降りてきて和馬の頭にしがみついた。凪を背中に乗せた由良も、雪うさぎをくるんだハンカチをくわえてやってくる。
 そろそろ帰って温かいお茶でも飲もう。
 無言で互いに了解する。
 そうして一同は、公園を出て歩き始めた。
 化け物が四匹と人間が二人。そして季節はずれの蛍のように、そのまわりを飛び交う、色とりどりの光球。いささかどころではなく、普通ではない顔ぶれだ。
「それで、何かあったんですか?」
 晴明がもう一度問いかけてくる。
 本当に思いつかないらしい彼に、和馬はやっぱりな、と肩をすくめた。
 この時間ならばまだ起きているだろうと、訪ねてみたのは正解だったらしい。
「あのな、晴明」
 呼びかける。
 そうして、振り向いた青年に問うてみた。
「今日が何の日か知らないのか?」
 いきなりな言葉に、彼は無言で首をかしげた。
 果たしてそれは、突然の質問の意図をはかりかねたからなのか、それとも本当に答えを知らなかったからなのか。
 どちらにしても、続く和馬の言葉は変わらなかった。



―― Merry Christmas ――


(2000/12/19)


 珍しくクリスマスあわせに書いてみたショートショートです。
 今回登場の面々のビジュアルイメージをはっきりさせたい方は、どうかこちらをどうぞ。目をむくほど素晴らしいイラストが拝めますvv


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