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 魔 鏡 遊 戯マジックミラー・マジック  骨董品店 日月堂 第十一話
 終章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


「……アンタもけっこうワルよねえ」
 例によって例の如く。
 いつものように日月堂の円卓で、出された緑茶を啜りながら。
 沙也香はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべ、店の主を見上げていた。
「わる、ですか ―― ?」
 中身の空になった急須を盆へ置いた晴明は、言われている意味が判らないと言うように、オウム返しに問いを返す。
 応じる沙也香は、数日前、坪倉家を辞したときとは裏腹な、どこまでも上機嫌な表情で足をばたつかせている。
「まっさか、あの小銭の方がよっぽどのお宝だったなんてさ!」
 あの馬鹿夫婦には思いもよらないことだったでしょうね、とあざ笑う。
「私は別に……まさかあの小判の大半が贋物だったとは、思わなかったものですから……」
 どこか困惑したように呟く晴明だったが、沙也香はまるで聞いていない。
 隣に座る譲もまた、いささか気の毒そうな素振りは見せているものの、口元のほころびは隠せずにいるようだ。


 数日前、坪倉家の庭から小判の壷を掘り起こし、そのほとんどを甥夫婦に奪われてしまった、その後 ――


 晴明の案内で、藍川コインズとかいう、骨董価値のある貨幣コインの類 ―― すなわち古銭を専門に扱う店を訪れた一同は、その結果に文字通りひっくり返るほどの驚きを味わわされたのである。
 専門家による話に曰く。
 もともと日本では通貨価値の変動が激しく、明治や昭和初期頃の十円、二十円といえば、現在の数万、数十万にも等しい価値が存在していたのだという。昭和初期で公務員の初任給が十五円といった、そんな時代もあったぐらいだと。
 それは沙也香も身をもって良く知っている。とはいえ、それはあくまで昔の話。今となっては一円は一円。逆に現実を知っているからこそ、そんなふうに思いこんでいたのだが……
「あの頃の十圓、二十圓というのは、要するに金貨なんですよね。それに、ものによっては発行枚数が極端に少なくて、市場に流れなかった場合もありますから……蒐集家の皆さまには、とても人気の高い種類があるんです」
 達義老人が小判に混ぜて入れておいたそれらの古銭は、状態によっては一枚で数百万の値で取り引きされることもある、そんな代物だったのである。
 ことに幻の硬貨と呼ばれる明治十年発行の旧二十圓金貨に至っては、かつてオークションで三千万もの値が付いたことさえあったという。
 専門ではないぶん、本物か贋物かの断言ができかねたので、あの場でははっきり申し上げられなかったんですが、と。
 小さな声で告げる晴明は、己の鑑定力不足を恥じていたらしい。


 ちなみに。
 彼が本物だと断言した『姫小判』こと万延小判のほうなのだが。
 こちらはどうも、壷の上部に詰められた数枚だけが本物で、残りは最近作られた贋物 ―― もとい複製品だったらしい。
 さらに付け加えるならば、この万延小判、価値からいうとあの古銭の足元にも及ばなかったりする。
 鋳造されたのは江戸も末期。海外との交易で金銀の流通バランスが崩れたことを背景に、とにかく安価に作り出そうと考え出されたため、大きさは通常のそれよりもはるかに小さく、金の含有量も往事の十分の一近くという粗悪さ。
 結果、当時としても『両』の大幅な価格低下を招いたとされる悪貨のひとつなのだが ―― 現在においてもその価値はあまり認められていない。
 それは最も安価に入手できる小判は、と問われてまず上げられるのがこの万延小判だというあたりからもよく判るだろう。
 一枚あたりの取引価格は、どれほど状態が良くともせいぜい十万前後。
 晴明は壷の中身すべてを本物だと考えたため、小判と古銭とでほぼ平等に山分けするという心積もりでいたらしいのだが。結果的に夫妻側に遺されたのは、数十万ほどのそれだけだったという計算だ。
「良く考えてみれば、いくら流通量の多い万延小判とはいえ、個人であれほどの数を揃えられるはずもないと、判っても良さそうなものでしたのに……」
 そう言ってため息をつく彼は、あの夫妻に対して後ろめたいものがあるらしい。
「いいじゃないの! あっちにはたとえ数枚でも本物の小判と、貯金と、家財一式諸々がいったんだもの。それとも聖也くんに、あっちへ分けてやれとでも言うつもり!?」
「え、いえ。そうは、申しませんが……」
 先ほど、幾度も頭を下げながら帰っていった少年を思いだし、晴明もようやくため息を呑み込んでみせる。
 当初沙也香が望んでいたとおり、成人するまでやっていけるだけの資産を得られた少年は、爺さんの世話もけっこうおもしろかったし、ちょうど良いから介護系の学校にでも通ってみようと思う、などと話していた。
 本来であれば、まだ高校生として学校に通い、様々なことを学んでいるはずの年頃だ。おそらくそれが、選べる中で一番良い道なのだろう。それこそ保証人だの後見だのといったものには、沙也香が力を貸してやれば良いことだ。

「……で、今回のアンタへの報酬なんだけど、ほんとにそれだけで良いの?」

 沙也香が目で示したのは、円卓に置かれた小さな壷だった。
 例の、古銭と小判を詰めて、地面に埋められていたあれである。小さめの花瓶ほどの大きさのそれは、全体的に赤みの強い茶色をしている。表面に轆轤ろくろの痕とおぼしき凹凸がいくらかある他は、特にこれといった装飾など施されていない、ごく地味な代物だ。
「古備前焼の逸品ですよ。書斎の物入れから箱書も出てきましたし、充分です」
 にこりと屈託のない笑顔で答えが返される。
 無造作にビニール包みで土に埋められていたそれもまた、見るものが見れば価値のある、立派な骨董品だったらしい。
「まったく、あの馬鹿もなに考えてこんな面倒臭い仕掛け用意してたんだかね……」
 魔鏡の複製品を作るところから始めて、庭の灯籠には十字を彫り込み、値打ちものの壷にわざわざ贋の小判を詰め、もっとも価値があったのは、わずかに混ぜた小銭にしか見えない数枚の貨幣。
 あまりに急だった自分の死を予見していたとは思えないから、きっとあれは、遺言だとかそういったつもりで準備したのではないのだろう。
 そしてその向けられた相手もまた、ともに暮らしていた聖也以外には考えにくいことなのだけれど。
 それでも、あの素直でなかった旧友は、いったいなにを思ってそれらひとつひとつを仕掛けていったのだろうか。

「……遊びたかったんじゃ、ないですか?」

 ぽつりと、晴明が小さく呟いた。
 沈黙に落とすかのように口にされたそれに、沙也香はえ? と顔をあげる。
 そうすることで初めて、自分がうつむいていたことに気がついた。
 晴明はそんな彼女を見返して、穏やかな目の色で微笑んでみせる。
「聖也さんと ―― お孫さんと、一緒になって遊びたかったんじゃないでしょうか。宝探しみたいに」
「宝、探し?」
 それは、あの少年もまた、くり返し口にしては楽しかったと喜んでいた言葉だった。
「お二人ともずっと別れ別れで、お互いの存在も知らないままに暮らしていらしたんですよね。それが急に一緒に過ごすようになって……それなりにうまくやっておられたようですけれど、やっぱりどこかぎこちなかったりとか、あったと思うんです」
「う、ん。そうだと思うわ。達義ってば素直じゃなかったし。口も悪かったし。だから聖也くんが達義のことけっこう好意的に見てくれてて、正直びっくりしたもの」
 母親が混血だったからと認めてくれなかった祖父。中卒で働くなどみっともないと、怒鳴りつけられたとも言っていた。ああだこうだと文句をつけられながら……それでもあの一年は楽しかったと、そう言ってくれたあの少年だからこそ、沙也香は面倒を見る気になったのだ。
「お母様がハーフだったというのも、関係あるかもしれませんね」
「ハーフ……あ、切支丹魔鏡ですか」
「ええ。魔鏡や石灯籠をことさら切支丹に関連づけてみせたのは、あるいは異国の血を引くお母様や、聖也さんのことを認めているのだという、それなりの意思表示だったとも考えられませんか?」
 思ったことをそのままには口に出せない、そんな天の邪鬼な老人が、なんとか精一杯に表現してみせた。それはそんな想いなのではないだろうか。
「ではあの小判は、見た目に惑わされるな、といった具合に?」
 きらびやかな、いかにもなお宝に惑わされて、本当に価値のある古銭や壷をないがしろにしてしまわないように。
 ただ外国の血を引くからと、赤毛やわずかばかり派手な見た目に惑わされて、その人間の本質を見誤ることなかれ、と。
 ……あるいはそれは、かつての己がしでかした、過ちに対する悔恨の念であったのかもしれず。

「ほんっとに、素直じゃなかったから……あの馬鹿は……」

 ぽつりと呟く沙也香の声は、心なし湿ったものであったようにも思えた。


◆  ◇  ◆


 帰り支度を整えた沙也香は、譲が押さえている扉をくぐろうとして、ふと思い出したように店内をふり返った。
「ねえ、晴明」
「なんでしょう」
 戸口まで見送りに来ていた晴明が、唐突な呼びかけに首をかたむけてみせる。
「ちょっと不思議だったんだけど。なんでアンタ、あんなにすらすらと達義の仕掛けを解いていけたわけ?」
 もともと沙也香が晴明に依頼したのは、銅鏡の鑑定という、ただそれだけのことだ。
 持ち込まれた鏡がはたしてどれほどの金銭的価値を備えているのか。それを判断して欲しいという、ごくありふれた仕事にすぎなかった。
 それなのに彼は、どこか常にない強引さで聖也の家にまで押し掛け、そして遺されていた仕掛けをまるで既知のそれででもあるかのように、あっさりと見破ってみせたのだ。
 確かにこの青年が、それなりの聡明さを備えていることは知っている。
 だが逆に言えば、それはあくまで『それなり』の域を出ないもののはずだった。それなのに。なぜ今回に限り、こうまでも易々と謎を解き明かしてみせられたのか ――
 沙也香の問いかけに、晴明はわずかに目を伏せるような笑い方をした。

「夢を……」

 ぽつりと、小さく。
 呟かれた言葉は、いつになく力のないそれだった。

「鏡をお預かりした晩に、夢を見たんです。この店は、いろいろな品物が集まっているせいでしょうか。私のように何の力もない普通の人間でも、時として不思議な夢を見ることがあるんです」

 いっそ、鏡と一緒に聖也さんがお泊まりになっていたら、もっと話は早かったかもしれませんね、と。
 今度は視線を上げて、にっこりといつものような明るい笑顔を浮かべてみせる。

「そっ、か」

 沙也香はそうとだけ呟くと、納得がいったのか、同じく笑顔を返してみせた。

「じゃあ、今回は世話になったわね。また、何かあったら連絡入れさせてもらうわ」
「はい。お疲れさまでございました。またのお越しをお待ちしておりますね」

 交わす笑顔は、客と店主のそれに他ならず。
 扉上部につけられている小さな鐘が、カラン、コンと穏やかに落ち着いた音をたてた。





 ― 了 ―

(2008/07/01 18:20)
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