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 魔 鏡 遊 戯マジックミラー・マジック  骨董品店 日月堂 第十一話
 第二章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 坪倉達義なる老人と聖也が住んでいたという家は、ごくごく普通の一軒家であった。
 数千万単位の資産を持っていたという割に、達義老人はとくに贅沢をするでもなく、庶民的なレベルの暮らしを続けていたらしい。
 もっとも ―― 働かずにそういった生活ができていたというのは、それだけで相当贅沢な話ではあるのだが。
 借家とはいえ、それなりの広さの庭がついた一戸建ては、老人と孫の二人暮らしには、充分すぎるほどだっただろう。
 聖也少年を案内に門をくぐった一同は、玄関が開かれる音を耳にして、ふと顔を上げた。
 そして、ちょうど家から出てきた格好の二人連れと視線が合う。
「…………」
 刹那、何とも言えない沈黙があたりに落ちた。それまでなんやかやと言葉を交わしていた聖也が、ぴたりと口をつぐんで二人を見返している。沙也香と譲もまた、眉をひそめて彼らを見つめ ―― いや、その視線はむしろ睨むと言った方が近い ―― ている。
 ひとり晴明だけは事情が判らないのだが、彼はそう言った際に、無駄な口をきく性分ではなかった。
「……なんか、用ッスか?」
 ややあってから、聖也がぼそりとそう尋ねる。
 二人連れの一方、四十代とおぼしき中年の男は、それに答えようとはせず、ただじろじろと一同を眺め回していた。傍らに立つやせぎすな同年輩の女もまた、同じような態度だ。
 やがて、どういった判断を下したのか。
 男は小さく鼻を鳴らすと、足を踏み出し、一行の方へと近づいてきた。
 そうして譲と晴明の前で一度立ち止まる。
「いったい、この子達がなにを言ったか知らないが、伯父が死んだ以上、この家を借りているのは我々だということになるんだ。あんたらもいい大人なら、相手にしないことだな」
「……は?」
 ぱちくりと目をしばたたかせる晴明を余所に、それだけ告げて満足したのか、二人は返答を待つことなく、そのまま門を抜けて出て行ってしまう。
 しばらくその後ろ姿を見送っていた晴明は、ややあってからふり返ると、聖也に確認した。
「もしかして、お爺さまの甥御さま御夫妻ですか?」
 その問いに、聖也は唇を尖らせたまま、無言でうなずく。
「住人が留守だってのに勝手に上がり込むような奴なんか、『御』も『さま』もつけなくて良いわよ」
 沙也香が吐き捨てた。
「はあ……」
 困惑したような晴明に、沙也香はなおも呟く。
「だいたい、あんたと譲しか相手にしないってのがむかつくわよね」
 どうやら沙也香は、聖也ともども子供扱いされたのが気に入らないらしい。まあ確かに、この顔触れで一番年長なのは彼女なのだから、腹が立っても仕方ないのかもしれないが。
 ただ現実問題として、この中でスーツを着用し『大人』と呼べる見た目をしているのは、譲と晴明の二人だけというのも事実であった。
 気を取りなおして玄関へと向かった彼らは、ドアを開けて狭い土間へと順繰りに靴を脱いでゆく。
 譲が鍵のかかっていないドアをふり返り、聖也へ問いかけた。
「戸締まりはしていなかったんですか?」
「してた。……合い鍵持ってやがんだ、あいつら」
 拗ねたような物言いの聖也に、横から晴明が提案する。
「鍵を交換された方がよろしいのでは」
「え、鍵って代えられるのか?」
 驚いた声を上げる聖也に、沙也香を含めた全員が、思わず動きを止めて顔を見合わせた。
 つまり、こういう部分がいわゆる『子供』と『大人』の差と言うわけだ。
「……元が借家ですし、本来は家主さんに相談するべきなのでしょうが」
「向こうが借り手としての正当な権利を主張しているとなると、ややこしくなりそうですね」
「急ぐことだし、後でホームセンターに行きましょ。ドアノブ買ってきて、譲、あんたが付け替えればいいわ」
 『大人』三人でさっさと相談をまとめてしまう。
 そうして改めて上がり込んだ家の中はというと……いささか散らかっていた。
 一階には台所や風呂などの生活空間の他に、居間と聖也が使っている和室があり、二階には老人の寝室と書斎、納戸があるのだが、どの部屋も収納という収納が開けられ、引っぱりだされた物や箱などが、乱雑に床へと積み上げられている。
「引っ越しのご用意……というわけでは」
「ないに決まってるでしょ」
 沙也香がばっさりと切り捨てた。
 一見、荷物をまとめているようにも見受けられるが、それにしては出したものが出したまま放りっぱなしになっている。
 面白くなさそうな目であたりを眺めている沙也香は、この状態を知っていたようだ。
「さっきの甥夫婦よ。この間っから、どっかに金目の物がしまってあるんじゃないかって、暇さえあればやってきては、片っ端から探してるわけ」
 なにしろ数千万という単位の遺産だ。現金という形は考えにくいから、通帳だとか株券だとか、あるいは何かの権利書なり宝石なり、かさばりにくい状態にしてあると考えているらしい。
「聖也くんには、四十九日が過ぎたら出て行けとかせっついてるくせに、せめてそれまでだって待てないんだから」
 吐き捨てるように呟いて、沙也香はさっさと二階の書斎へ向かった。勝手知ったるというそのその後ろ姿を、慌てたように聖也が追う。晴明と譲はその後からゆっくりついていった。


 そこは、六畳ほどのさほど大きくもない部屋だった。書斎と呼称されてこそいるものの、本棚が置かれているのは壁の一面だけである。扉から入った正面には、窓に向かって書き物机があり、右手側の壁に本棚、左手の壁際には、簡単なソファセットがあるきりだ。
 入ってきた扉がある壁には、空いたスペースに写真のパネルが飾られている。
「ほら、これが残りの鏡よ」
 そう言って沙也香が披露したのは、やはり適当な形で床に積まれた数個の木箱だった。大きい物、小さな物、表書のある物、ない物、新しい物、古い物。様々な ―― 言ってしまえば統一性のない箱達だ。
「……もしかしてこれらも、一度調べられましたか?」
 箱の積み方や、掛けられた紐の結び目をざっと見て、晴明が問うた。と、聖也がためらいがちにうなずく。
「おっさんが、古道具屋とかいうのをつれてきて……けど、やっぱりたいしたモノはないって言ってた」
 どうしてそれを早く言わないのか。
 呆れて見返す沙也香達の前で、聖也はもぞもぞと居心地悪げにした。どうやら勢いに流されて、言いそこねていたらしい。
 が、晴明は気にした様子もなく、積んである箱のそばへと膝をついた。一つ一つ丁寧に取り上げて、蓋を開けてゆく。そうして手袋をはめた手で銅鏡を取り出しては、鏡面の状態や裏の細工を確かめていった。何枚かは窓際へと移動し、壁に反射光を映してみる。
 だが、最初に晴明のもとへ持ち込まれたような、何らかの像を映し出すものはひとつも見つからなかった。
「 ―― やはり魔鏡になっているものは、お預かりした一枚だけのようですね」
 最後の一枚を木箱に収めながら、晴明はそう結論した。
「他にも魔鏡があるかもしれないって思ってたの?」
「いえ、そうではないんですが。一応、念のために確認しておこうかと」
 きちんと紐をかけてから、元々しまわれていたのだろう、壁に作りつけになった収納へと、箱を戻してゆく。
 そういった作業が終わってから、改めて晴明は室内を見わたした。
「このお二人が、坪倉さま御夫妻ですか?」
 壁に掛けられている、大きく引き伸ばされた写真を示して質問する。
 大判のポスターほどもあるパネルの中では、寄り添って立つ四十がらみの夫婦が、穏やかな微笑みを浮かべていた。背後に写っているのは、古い日本家屋とその庭だ。
「もう、二十年ぐらい前の写真だけどね」
 沙也香が感慨深げに写真を見上げた。
「後ろに写ってるのは、前に達義と千鶴が住んでた家よ。今はもう、高層ビルかなんかになっちゃってるわ」
 その当時には生まれてすらいなかっただろうとしか見えない彼女だが、写真を眺める横顔には、明らかに当時を懐かしむ色が漂っていた。不思議そうにそれを見る聖也をよそに、沙也香は一瞬で追憶を断ち切って晴明をふり返る。
「……それで?」
 この写真がどうかしたのかと、語尾を上げる口調で問いかけてくる。
 単に目に止まったからだ、といった言い訳は受けつける気がないようだ。
「少し、場所が気になったんです」
「場所?」
「ええ」
 うなずくと、晴明は壁を向いていた姿勢から、室内の方へと向き直った。そうして反対側 ―― 窓際にある書き物机の方を指し示す。
「あそこに、鏡を立てる台がありますよね」
 晴明が向ける指の先には、机に置かれている小さな台座があった。L字形に削った木を立てて二つ並べ、間を横木でつないだだけの簡素なものだ。机のずいぶん奥まった位置にあり、すぐ脇には電気スタンドが並んでいる。
 この部屋の主は鏡を蒐集していたのだから、そういったものが置かれていても、別段不思議はない。むしろ自然なことだろう。
 意図が判らず机と晴明とを見比べる一同に、晴明は机へと歩みよって、台座へと手をかけてみせた。軽く力を込めてゆするような素振りを見せ ―― すぐにやめる。
「ほら、ね?」
 台座を一同に指し示す。
「この台は、机に固定されてるんです」
 蒐集品を置いて楽しむのならば、あらゆる角度から眺めるために、簡単に動かせるようになっているのが普通だ。それなのにこの台座は、わざわざ手間をかけて動かないように留めてある。しかもその位置は机のだいぶ奥側で、細かい細工などを見るにはいささか不具合のある場所だ。
 晴明は最初に預かった魔鏡を木箱から取り出すと、そっとその台座へと載せた。
 背面の浮き彫りを手前に向け、斜めに立てかけられたその置き方は、博物館などでよく見かける形だ。が、確かにその位置ではかなり鑑賞しにくいようだ。
「でも、たとえばこれを、こうしてみるとですね……」
 手袋をはめた指が再び鏡を取り上げ、今度は裏向きにした。
 綺麗に磨かれた銀色の鏡面を手前に向けた状態で、再び台座へと下ろす。浮き彫りの凹凸が引っかかるらしく、幾度か向きを調整して、きちんと収まる角度を探した。
 そうしておいてから、晴明は窓にかかっていた厚手のカーテンへと手を伸ばし、音を立てて引く。明かりをつけていなかった室内は、途端に薄暗くなった。
 さらに、台座のすぐ脇にある、作りつけのスタンドへと指を伸ばした。
 眩い白色灯が、数度またたきながら魔鏡へと降り注ぎ ―― 反射した光が向かいの壁へと正十字を映し出す。
 誰かが、鋭く息を吸い込んだ。
「これは……」
 譲が小さく呟き、晴明の手元と壁に映し出された十字像とを見比べる。
 その鏡によって映し出されるのは、縦棒と横棒の長さが等しい、正十字と呼ばれる形だった。それが台座に乗せる際に安定を求めて動かしたためだろう、斜めに傾いてしまっている。
 そして、結果的に×印の形になったその像は、壁に貼られた写真の一点へと、ぴったり重なっていたのである。
「偶然 ―― だと、思われますか?」
 鏡の傍らに立つ晴明が、静かにそう問いかけた。
 固定された台座に固定された照明、そして壁に貼られた写真に、ごく近年に作られたばかりとおぼしき、新しい魔鏡。
 こくりと息を呑んだ沙也香が、低い声で答えた。
「そんなわけ、ないじゃない」
 その言葉に異義を唱える者は、その場に一人もいはしなかった。


◆  ◇  ◆


 スタンドの眩い白色灯によって、魔鏡の映し出す正十字は、くっきりと黒く浮かびあがっている。
 そして斜めに傾いた正十字は、誰が見ても「×」という形をとって、壁に貼られた写真の一点 ―― 苔生こけむした石灯籠へとぴったり重なっていた。
「この庭は、もう存在しないのですよね?」
 晴明の問いに、写真を見上げたままの沙也香がうなずく。
「さっきも言ったけど、バブルの頃に家も土地も売っちゃって、いまはもう跡形もないはずよ」
 古びた日本家屋とその庭。庭園と呼ぶほど立派なそれでこそなかったが、それでも築山や庭石、灯籠といったもので、ひととおりの体裁は整えられている。
 その中の一点。黒ずみ時代のついた石灯籠に重なった、×の印。
「これって、もしかして……」
 写真に目を近づけてまじまじと眺めていた聖也が、ぽつりと小さく呟いた。
 途端に沙也香が反応する。
「心当たりあるの!?」
 目の高さにある少年の襟首を小さな手でつかみ、伸び上がるようにして引きずり寄せる。
 その剣幕に驚いたのか、聖也はしばらく口をぱくつかせた。驚いたと言うよりもむしろ、沙也香の体重で息が詰まっているのかもしれない。譲が横からわりこんで、沙也香の手を丁寧に引き離してやる。
「や、だから、その」
 ごほごほと数度咳き込んで、ようやく聖也は言葉をついだ。
「ここの庭にさ、似た感じのがあって」
「どこよ!?」
 なおも勢い込む沙也香に、聖也少年は待ったというように手を上げて、更に咳き込んだ。それからすーはすーはと息をついて、ようやく顔を上げる。
「こっち。庭の奥の、ちょっと見にはわかんない、影んとこにあるんだ」
 そう告げる声には、どこか秘密を打ち明けるかのような、楽しげな響きが宿っていた。


 全員で一度玄関へと戻り、靴を履きかえて庭にまわる。
 写真に映っていたものとは異なり、借家の庭などそこそことは言ってもごく手狭な ―― 言ってしまえば、猫の額と表現するのがせいぜいな代物だ。
 一目で簡単に見わたせるそこには、ぱっと見ただけではそれらしいものなどどこにも見あたらなかった。
「前に投げたボールが入り込んじまって、そんで見つけたんだ。なんか前の家から持ってきたは良いけど、けっきょく邪魔になって、こんな端っこにやっちゃったとかって」
 こんもりとした躑躅つつじの茂みをかきわけ、身体を横にして、狭い隙間を無理に押し通る。何枚もの葉を散らしてどうにかたどり着いたのは、ブロック塀と茂みとの間にできた、ごくわずかな空間だった。

「――ほら、これ」

 そう言って、聖也が枝を脇へと寄せる。狭い中に入りきれず、茂みの手前からのぞき込んでいた一同の目にも、それは目に入った。
 腐って黒くなった落ち葉の吹き溜まりに、埋もれるようにしてひっそりとたたずむ、苔生した石灯籠。
 砂岩質の柔らかい石で作られていたらしい本体は、すでにあちこちが欠けたり磨耗したりして、単なる石の塊に近くなってきている。が、しばらくそれを観察していた晴明は、やがて小さくうなずいた。
「やはりこれも切支丹の ―― 切支丹灯籠を模してありますね」
 ほら、と灯籠の下半分を指し示す。
 そこには、はっきりとした十字の形状が彫り込まれていた。
「魔鏡と同じように、余人にはそれと判らないように礼拝するための方法です。こうして判りにくい位置に聖印を刻んでおいて、裏返しにしたり、その部分を土に埋めておいたりするのだとか」
「しかし、これは……」
 譲がいぶかしげに呟く。晴明も同意するように顎をひいた。
「どう見ても後から、それもごく最近になって彫りつけたものですね」
 その部分だけ明らかに風化の度合いが異なっている。細工自体も、素人の手によるつたないものだ。
 それが示すことは、つまり、
「達義が目印にって、彫っておいたってこと?」
「おそらくそうでしょう」
 魔鏡を手がかりにこの石灯籠を見つけた者に対し、その道筋が正しいものなのだと告げてやる為に。
「じゃあ、ここになんか埋まってる、とか……?」
 誰かが答えるより早く、聖也は狭い中で腰をかがめ、足元の落ち葉をかきのけ始めた。濡れて土になりかけた落ち葉に、たちまち指が黒く汚れてゆく。だがそんなことなど気にも止めずかき回していた聖也は、やがてぱっと顔を輝かせた。
「あ、なんかある!」
 地面に膝を落とし、本格的に掘り始めたその様子に、沙也香も興味を引かれたらしい。体が小さいのを良いことに、自分も潜り込んで手を伸ばす。譲と晴明も、精一杯首を伸ばしてその手元をのぞき込んだ。
「壺、かしら」
 濡れた土の間を、小さな指が幾度もなぞる。
 そこから顔を出しているのは、汚れたビニールで包まれた、直径七、八センチほどの丸いものだった。どうやら蓋をした壺の、口の部分らしい。
 こうなるともう、大人も子供も関係なかった。
 なにか掘る道具は ―― と手近な棒きれや石の欠片を探し出し、四人がかりで土を掘ってゆく。
「どう、持ち上がりそう?」
「けっこう、重い、ですね」
「ちょっと! こっちから棒つっこんで持ち上げるから、手ェどけて!」
 宝探しといえば子供の頃、誰もが一度は夢みて心躍らせたものだろう。
 狭いなか全員で頭をつきあわせ、わいわいと大騒ぎしながら、小さな花瓶ほどの壺を掘りおこす。見た目よりもずっしりと重たいそれを、譲が持ち上げ、茂みのこちら側にいる晴明へと渡した。
「早く開けようぜ!」
 地面に置いた壺を前に、わくわくといった具合に目を輝かせる聖也をいったん制し、一同はとりあえず手を洗った。それから聖也に言って古新聞を持ってこさせ、地面の上へと広げる。その上に壷をのせ、さて、それでは誰が開けるかと顔を見合わせて、ここはやはり一番権利があるだろう、聖也へと視線が集まった。
「じゃ、じゃあ、開けるぞ」
 ごくりと息を呑み込んで、まずは全体をくるんでいるビニールへと手をかける。ほとんど破るようにしてそれらをむしり取ると、飾り気のない茶色の壷が姿を現した。蓋には蝋を引いた紙を被せ、紐でぐるぐる巻きにしてある。いかにもな、宝の壷といった風情だ。
 固い結び目を苦労して解き、紐をほどいて、いざ蓋に手を掛ける。
 誰がか唾を飲む、ごくりという音が聞こえた。
 心なし震える指が、そっと蝋引きの紙を取りのける。
 一同は、期待に目を輝かせて、壷の中をのぞき込んだ。


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