Novegle対応ページ ◎作者:神崎真◎カテゴリ:現代◎カテゴリ:FT◎長さ:長編◎状況:完結済◎ダウンロード◎あらすじ:「 ―― つまりパターン化された七不思議とは、『学校』という各地に共通した場を舞台とすることで、全国のあらゆる学生が共有し、力を合わせて作り上げた巨大な仮想現実《バーチャルリアリティ》と言える訳だな?」怪談『七不思議』を、指折り数えれば軽く両手の指が埋まる。そんな学園で起きた失踪事件は、はたしてどのような解決をつけるのか。
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 かくれおに 序 章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 自分のたてている足音が、妙にあたりに響きわたる心地がした。
 夜の学校というものは、どうしてこうも薄気味悪く感じられるのだろう。
 毎日毎日くり返し、時には嫌気がさすほどに足を運んでいる、最もなじみ深いはずの場所。それなのにもかかわらず、人気のまったくなくなった建物の内は、ひどくよそよそしくて居心地が悪い。
 ……虚ろという言葉で表現されるのは、こんな空間なのだろうか。
 暗い廊下を歩みながらそんなことを思い鈴香すずかはひっそりと息を吐いた。
 よりにもよって、月曜日が〆切の原稿を机の中に忘れてきてしまうとは。我がことながら、そそっかしいにも程があった。当初の予定では今夜中にひととおり書き上げて、土日一杯を文章の推敲にあてようと考えていたというのに。
 再びため息。昇降口のある本棟から右翼の西棟に移動し、そこからすぐに階段を上がる。さすがに通い慣れた場所だけあって、明かりなどなくても不自由はしなかった。西棟4階、廊下の一番奥にある教室へと無事たどり着き、机の中からケースに入ったフロッピーディスクを見つけ出す。それをしっかりとポケットに収めた彼女は、なるべく静かに教室の戸を閉め、速やかに帰宅の途についた。今度は教室のすぐ向こうにある階段を下ってゆく。
 早く帰って原稿を完成させなければく心が無意識に足を早める。
 ごく普通の学校新聞から生徒会作成の公共ペーパー、公認非公認を含めたいくつものクラブが発行するミニコミ誌など、校内で出まわっている情報誌は数あったが、鈴香が所属する『岩城学園情報倶楽部』発行の小冊子は、丁寧な取材に基づく信憑性の高い内容であることと、文章や構成がしっかりしている ことで人気を集めていた。当然、そこで記事を書く人間に求められるレベルは高い。入部してはや1年半。今回彼女はようやく特集、すなわち目玉記事を任せてもらえたのだ。
 もしも〆切に間に合わなかったり、完成度の低いものを提出したりしようものなら、部長にいったい何を言われることか。いや、それどころか、二度と記事など書かせてもらえなくなるかもしれない。
 頭の中は、既に書きかけの原稿のことでいっぱいだった。口の中で何やらつぶやきながら、あれこれと思いを巡らせている。
「……で、『開かずの扉』ときて……三番手に持ってくるのが……」
 まわりなどまるで目に入っていない様子で一心に構想を練っていたが、そこで彼女はふと言葉を切った。急いでいた足までもその場で止め、まじまじと進行方向を見下ろす。
 そこは、1階と2階の間にある、踊り場の部分であった。鈴香が立ち止まったのは、2階からいくらか下がった位置だ。
 つき当たりの壁には、壁面の半分以上を占める鏡があった。その正面に立てば、並んだ数人が楽に全身を映し出すことのできる、大きな姿見。女生徒達の間ではなかなかに重 宝されているものだ。
「やだ……ここって……」
 口元に手をあてて、焦ったように鏡を見つめた。いま自分がいる場所をようやく認識したように、ゆっくりとあたりを見まわす。
 岩城学園高等部、旧校舎西棟南階段。1階と2階の間の踊り場。
 そこが、間違いなくそこであるのだと確認する。
「あ、あは……やぁだ、偶然じゃない。気付かなかったわぁ」
 茶化すようにひとりごちて、笑う。小さくひそめられた、乾いた笑い声。左手が無意識にポケットを探る。中にあるフロッピーを、そこに書き込まれた記事の内容をたどるように。
 はっと思い出して、背後を振り返る。2階廊下の窓ガラス。向こうに見えるのは、渡り廊下でつながった二つの校舎と、そのバックに広がる星ひとつない夜空。漆黒の色に染まった不透明な闇の中、月はその姿を欠片ものぞかせてはいない。
「…………」
 鈴香の肩から力が抜けた。安心したように頬を緩める。そうだ。怖いことなど、何もありはしない。大丈夫。なんにも気にするな。
 ねじ曲げていた首を戻し、前を見つめて己に活を入れる。後ろに引き気味だった重心を移動させ、止まっていた足を動かす。右足を下ろして一段。左足を下ろして二段。再び右足を下ろして三段。四段、五段、六、七……
 視線を正面の鏡に据えたまま、ゆっくりと階段を下りてゆく。
 慎 重に歩を進め、やがて踊り場まで残すところ数段となった。視線は既に 見下ろす角度から、ほぼ床と平行に変わっている。非常灯の光も届かないそこでは、鏡は周りの壁とほとんど変わることなく、ただ暗くのっぺりとした平面としてそこにあるに過ぎない。
 が ――
 安堵の息をつきかけた、ちょうどその時。
 あたりが急に明るさを増した。鈴香の身体がびくりと硬直し、思わずその場に棒立ちになる。
 正面に、人影があった。
 いや、それは姿見に映った彼女自身の鏡像だった。つい今しがたまで単なる平面に過ぎなかった姿見が、その面にうっすらと蒼い光を浴びて、ほのかに 周囲を映し出している。
 鈴香は、動くことができなかった。しかしわざわざ振り向いて確認などしなくとも、鏡に映った己の頭上、姿見のぎりぎり上端にくっきりと、晧々とした輝きを放つ満月がその姿を見せている。
「な……な、ん、で……」
 月が夜空にないことは、さっききちんと確かめたというのに。
 呆然と目を見開く彼女には、月を隠していた厚い雲が風で流されたことなど知るよしもない。
 本来ならば喜ばしく感じるであろう、明るい月光に包まれて、鈴香は震えて立ち尽くしていた。彼女は理解したのだ。ここがその場所であり、そして、今こそその時間であるのだ、と。
 両目は正面の鏡へと釘づけになっていた。
 水底のように深く蒼い光に満たされた、四角く切り取られた空間。そこにひとり閉じ込められた己の姿。着ているのはデニム地のキュロットスカートと淡い色のニットだ。ルーズソックスはどうも気にいらなくて、足首までの短い靴下を履いている。耳の後ろで長く編んだおさげが二本。急いで出てきたので、いつもかけているメガネは置いてきていた。さほど視力が悪い訳ではないので行動に不自由はないのだが、メガネのない顔はどうも間が抜けて感じられる。
 目を細めて、鏡像のすみずみまでを検分する。顔形、着ているもの、動作の一挙一動。不自然なところはないか、常と異なるところは見られないか、異様なまでの熱心さで確認してゆく。
 それは、鏡を通して己の姿を調べる目ではなかった。
 力を込めて握られたこぶしが、軽く曲げられていた膝が、かたかたと小刻みに震え始めている。
 少しづつ、彼女はあとずさっていった。身体は正面を向いたまま、後ろ向きに階段を上がってゆく。その瞳は、ただひたすらに鏡へと固定されていた。そこから目を離すことをこそ、一番恐れているように。
 だが、そんな不自然な歩みは、わずか数歩で失敗を招いた。足を踏みはずしバランスを失したその身体は、そのまま倒れ込んで激しく階段に打ちつけられる。
「いた ―― ア……ッ!?」
 身を丸めて呻いた鈴香は、声を上げてそばの手すりにしがみついた。その身体が、ずるずると下へ ―― 姿見の方へと引きずられ始める。とっさにそちらを見た顔が恐怖に歪んだ。口が二三度、ぱくぱくと無意味に開閉する。
 わずかに力が抜けた瞬間、手が滑った。一気に踊り場まで転がり落ちる。その衝撃で呪縛が解けた。喉の奥から冷たい塊がせり上がり、鈴香は絶叫した。手がかりのないタイルに爪を立て、死に物狂いで抵抗する。しかし、引きずる力は衰 えなかった。みるみるうちに階段が遠くなる。伸ばした腕は虚しく宙を 掻き、悲鳴が暗い廊下に谺した。
「たすけ……」
  ―― やがて、
 長く尾を引いた残響が消え、夜気が元の静けさを取り戻す頃。
 踊り場に動くものの姿は何ひとつなく、ひっそりとしたそこには、ただ月の光だけが白々と振りそそいでいた。


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