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 ぬえの集う街で  閑話 ―― ... All's right with the world.
 前編
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2018/12/01 16:30)
神崎 真


 建物内の照明は、最低限以下にまで落とされていた。
 もともと獣人種は夜目の効く種族が多数を占めることもあって、明かりが一つや二つぐらい壊れていても、積極的に修理しようとは思わない傾向にある。その分の予算を、もっと別の必要不可欠な場所に振り分けるほうが、より有益だと考えるからだ。
 ニシキヘビのジグは、そういう意味では少数派に属していた。彼の視力は、人間種ヒューマンと比較してさえ、けして良い方とは言えない。たとえ明るい場所にいてさえ、少し距離をとると他人の顔を見分けるのが難しくなるほどだ。
 そんな彼だったが、暗い通路を進む足取りに迷いはなかった。それどころか、ただでさえ少ない照明が飛び飛びに消えているのにも関わらず、警備員に支給された携帯用ライトすら、スイッチも入れないまま制服の腰にぶら下げている。
 移動する光は、暗闇での視界の確保に役立つと同時に、身を隠したい人間に対して他者の接近を事前に知らせる目印となってしまう。だからこそジグは、常から携帯用ライトを使用しないようにしていた。
 赤外線を感知する器官を備えたニシキヘビの獣人にとって、そもそも明かりなど不要なものなのだ。
 定められた順路を一定の速度で巡回する彼は、慣れた動きで周囲を観察している。その視界には、時おり周囲より温度の高い部分がえていた。ほとんどは、様々な機械や配線などが放射し続けている、固定された不動のものだ。しかしいくつかは、明らかに生きて動くものの体温である。もっともその数は少なく、大きさもごくごく小さい。
 常日頃見慣れたそれは、ネズミなどの小動物だった。

「…………」

 こういった生き物は、どんな場所にでも一定数は存在している。あまり増えすぎている場合、報告の必要もあるだろう。しかしこの程度の数ならば、放置していて構わない程度だ。
 規定時間ぴったりに巡回を終えたジグは、警備員の詰め所へと戻っていった。
 そうして待機していた同僚へと声を掛ける。
「 ―― 異常なしだ」
 机に両足を投げ出し雑誌を広げていた獅子の獣人は、途端にびくっと肩を跳ね上げた。慌てたように読んでいたものを隠し、ジグの方を振り返ってくる。
「お、おう! お疲れさん。コーヒー淹れてあるから、ゆっくりしてろや」
「ああ」
 うなずいたジグが保温ポットへと手を伸ばす横で、男は外していた装備をあたふたと身に着けていった。
「ったく、お前、そんな図体してて、なんでそんなに気配がねえんだよ。せめて足音ぐらいさせろよなあ……」
 びっくりするじゃねえかとぼやくのに、ジグは真顔で答える。
「それでは警備にならないだろう」
「……そりゃそうだけど」
 がっしりとした大柄な体躯をしているものの、それでもジグよりたっぷり頭ひとつ小さい男は、警棒を一振りして具合を確かめたのち、ライトのスイッチを入れて詰め所を出ていった。彼が別のブロックを見回って戻るまで、ジグは一人この部屋で待機することとなる。
 形ばかり入れたコーヒーのカップには口をつけず、テーブルに置いたままで、椅子へと腰を下ろした。彼の体格にはいささか窮屈な大きさだったが、立ったままでいるよりは確実に身体を休めることができる。
 耳元に手をやり、なにか異常があった際には連絡が入るはずの、無線を再度チェックする。そうしてから、腕を組んで両目を閉じた。
 定時までに、まだ3回ほど巡回しなければならない。いつ何が起こるか判らない以上、体力は温存しておくべきだし、出所がはっきりしないものを口にする訳にも行かない。
 それでも ―― 四六時中気を張り詰めて、常に命懸けの警護ガードを行っていたかつてに比べれば、はるかに身も心も楽な業務だった。
 この建物の警備も、あと2日ほどで終わる。次の派遣先がどこになるのかは、まだ知らされていない。しかし、現在勤めている警備会社でもそろそろ古参とされるジグは、割り当てからあぶれて困ることなどなかった。むしろ一度派遣された先から、専属にならないかと引き抜きを受けることもあるぐらいだ。
 もっとも今は、この気楽な勤務形態を続けていきたい。警備対象に必要以上の思い入れをすることもなく、適度な緊張とほどほどの危険とがバランスよく釣り合った、今のこの環境が、一番過ごしやすく思えるのだから。
 そうして、身じろぎもせずに座り続けて、どれほどの時間が過ぎただろうか。
 右耳にはめた無線から、前触れもなく警告が鳴り響く。

「こちらヴァン、B3区画で不審な煙が……ッ!?」

 無線からの声が、連続する炸裂音と悲鳴によってかき消される。それを認識すると同時に、ジグは椅子を蹴って詰め所を飛び出していた ――


§   §   §


 あくびを噛み殺しながら玄関の鍵をかけたアヒムは、まだ寝癖の残る髪をかき回した。白と黒と茶色がまだらになっているその模様は、猫科の獣人種の中でも三毛猫種特有のものだ。なんでも旧世界では、雄の三毛猫というのはめったに生まれない、珍しい存在だったのだと言う。故にラッキーアイテムとして珍重されており、獣人種キメラを作成する際にも縁起が良いからと、男性の三毛猫種が多く希望されたらしい。その結果として、今でも規格として残っているのだとかなんだとか。
 もっとも現在では、髪の色など誰も特別視したりはしない。獣人種は獣人種だし、猫科は猫科。それだけに過ぎない。
「うー……眠……」
 ぐしぐしと涙のにじむ琥珀色の瞳をこすりながら、非常階段を降りてゆく。エレベーターもあるのだが、四階に住むアヒムにとっては、こちらを使うほうが手軽で早いのだ。眠気覚ましにもちょうどいい。
 二階の踊り場を回ったところで、路地に繋がる一階の外扉が開かれた。朝の光を遮るようにして入ってきた巨体は、見慣れた上階の住人のものだ。
「あー、ジグさん、お疲れッス」
「ああ。今朝は早いんだな」
 夜勤明けの大男は、静かに応じると一歩脇へ立ち位置をずらした。場所を空けてくれたのだと判断して、アヒムは足早に階段を降りる。そうして閉じた外扉を再び開け、自分も身体を半分外部へ出す形になることで、狭い空間内で向き合った。
「いやなんか、今日最初の現場が、開店までにトイレの配管直してくれってやつで。もう無茶言うなって話なんスよ」
 こっちだって始業時間ってもんがあるのに、と。そうぼやく頭に、ジグの大きな手のひらが乗せられる。
「まあ、がんばるんだな」
「うぃーっす」
 不承不承うなずいたアヒムは、ふとかすかに鼻をついた匂いに、数度目をしばたたいた。
「なんか焦げ臭く? ねッスか。あれ、店の下ごしらえとか、まだですよね」
 廊下の奥、【Katze】の厨房がある方を向いて、数度鼻を鳴らす。かすかに感じた気がしたいがらっぽいような匂いは、しかしそちらから流れてきたのではないようだ。
 ジグの手が静かに頭から離れ、そしてその顔が壁から天井へと、何かを確認するように動かされてゆく。
「 ―― 特に不自然な熱源はないな。それより、急がなくて良いのか」
「あ! そうだっ、行ってきます!」
 慌てて挨拶して、アヒムは走り始めた。視界の端に、ジグが軽く手を振ったのち、その袖口へと鼻を近付けている姿が映った気もする。
 しかし時刻を確認しながら勤務先の工務店へと走るアヒムは、よくあるような一連のやり取りのことなど、すぐに忘れてしまった。
「はよーございまーッス!」
 いささかガタの来始めた扉を強引に開けて、勢いよく事務所内へ駆け込んでゆく。そんなアヒムへと、口々に威勢のいい声がかけられた。
「おぅ、ちゃんと起きられたか、ボーズ!」
「間に合ったな、感心感心っ」
 そこではガタイの良い作業着姿の男達が幾人も、工具や資材を用意しながら笑っていた。どうやらアヒムの出勤が最後だったらしい。
 自分のロッカーへと駆け寄ったアヒムは、大急ぎで着替え始める。
「ちょ、待って下さいね。すぐ……」
「いい、いい、慌てんな。こっちもゆっくり準備してっから」
「それよりお前ェ、ちゃんと朝メシ食ってきたか?」
「え、いや、その」
「ちゃんと食わねえと駄目だぞ。ただでさえ、そんなひょろひょろの身体してんだからよ。もっと肉を食え肉を!」
 バンバンと背中を叩いた髭面の男が、小さな紙袋を押し付けてくる。中からはやたらと食欲をそそる、香ばしい匂いが漂ってきた。
「うちの近所の屋台で出してる、メンチカツだ。とりあえず食っとけ! 最初の現場が終わったら、もっとちゃんとしたもん奢ってやる」
「あざッス!!」
 精一杯の早さで着替えを終わらせて、まだ温かさの残る塊にかぶりつく。さくりとした衣の間からにじみ出る脂たっぷりの肉汁が、たまらなく空きっ腹に染み渡った。


 朝一番の緊急の仕事は、特になんの問題もなく終わった。
 約束通り、大盛りの牛丼を御馳走になったアヒムは、上機嫌で次の現場へ向かう。いったい何が起きたのか、ぽっかりと大穴が空いた壁の修理の次は、雨漏りがするという建物の屋根に上がることとなった。
「天井のシミは、ここらへんでしたよね」
 ふきっさらしで斜めになった5階の屋根を、アヒムはひょいひょいと移動する。もともと猫科の獣人種は身軽な者が多く、高い場所への恐怖も少ない。あちこちひび割れた屋根材スレートを踏んで、見当をつけていた箇所へと向かう。
「おい、ちょっと待て。こっちゃお前と違って身体が重てえんだ!」
 後を追う熊種の男は、腰を落としてそろそろと足を運んでいた。その足元からぱきりと音がするたび、息を詰めて身を強張らせている。
「アレでしたら、ここはオレがやるんで。指示だけ出して下さいよ」
「お、おう……」
 うっかりすると、屋根を踏み抜きかねないと危惧したのだろう。
 無理に移動するのを止めた男は、ゆっくりと視線を巡らせた。
「あ、そこのでけえヒビ入ってるとこじゃねえか」
「ここッスか」
「いや、もう二枚上の、ちょい色が変わってる……それだ」
「あ、当たりです」
 言われた箇所を確認すると、多重構造になった屋根材の下で、建物本体が黒く変色していた。構造材そのものが腐り始めている。割れ目の位置がちょうど重なって、雨水が染み込み続けたのだろう。こうなってしまうと、いったん腐食した部分をすべて取り除いて、新しい資材を嵌め込むしかない。
回転鋸グラインダー下さい」
「ちょっと待てよ」
 手を伸ばしたアヒムに応じて、男が向きを変える。出てきた天窓まで戻って、必要な工具を取ってこようというのだ。
 その足元から、これまでとは比べ物にならない音が鳴り響いた。ぐらりと、男の身体が大きく揺れる。

「危な ―― ッ!!」

 アヒムの叫びは、まるで吹きすさぶ風にさらわれるかのように、千切れ飛んだ。


§   §   §


 先ほど退院の手続きを終えた患者が使っていた寝台を、レンは手際よく片付けていた。私物のたぐいは持ち帰られているので、残っているのは診療所で支給した入院着と、洗面用具ぐらいだ。歯ブラシやコップは使い捨てなので、感染防止用の密封できるゴミ箱に捨て、入院着は剥がしたシーツ類と共に、リネン室へ運ぶ。こちらも防疫のため、外部へクリーニングに出す前に、一度消毒しておく必要があった。専用の装置に入れてボタンを押すだけとは言え、かさばるだけにやはり手間がかかる。
 動き出した機械を放置してリネン室を出たレンは、話しかけてくる患者達に笑顔で応じながら、受付へと向かった。その歩みはどこか優雅で、けして急いでいるようには見えない。それなのに四階のリネン室から二階までに要した移動時間は、驚くほどに短かった。
「あの、看護師さん。うちの人は、いつになったら退院できるんでしょうか」
 二階の廊下に出たところで、女性の獣人種がすがりつくようにして呼び止めてくる。
「五号室のエクジィさんですね」
 そっと、手荒にならぬよう注意して距離をとったレンは、ことさらゆっくりした動きで、脇に挟んでいたノートサイズの端末を操作してみせる。
「開腹した傷が塞がるまで、無理はできません。少なくともあと五日ほどは、経過を見る必要があります」
「そんなに ―― !?」
 女性は悲鳴にも似た声を上げる。
「無理です! あの人が働かなかったら、うちは……それに入院代だって、私のお給料だけじゃ、とても……っ」
 叫ぶ彼女には、ひどいやつれの色が見て取れた。ひとつに束ねた髪にはろくに櫛も通っていないようだし、化粧すらしていない。両手を握りしめるその指先はずいぶんと荒れていて、水仕事などで酷使されているのが伺える。心身ともに、かなり追い詰められているようだ。
 獣人種の中には、経済的に余裕がない者も多い。その日暮らしが精一杯で、いざという時のための蓄えすらできず、いざ病気や怪我をした際にも治療を拒む場合が少なからずあった。この女性の夫は、街中でいきなり倒れ、意識がないまま診療所に運び込まれた事例ケースだ。診察の結果をカルテに書き込みながら、ドクターは苦虫を噛み潰したような顔をしていたものだ。曰く、自力で歩いていたのが不思議なぐらいだ、と。
 レンは、穏やかな笑みを浮かべながら、女性を廊下の隅にある長椅子へと誘導した。並んで腰を下ろし、血がにじむほどにひび割れているその指先を、優しくそっと両手で包む。
「今の状態で無理に働こうとしても、余計に病状を悪化させるか、あるいは重大なミスをすることに繋がりますよ。それでは意味がないでしょう?」
「でも! これ以上休んだら、どのみち仕事をクビになるんです! 今でさえ、いつまでさぼってるつもりだって……っ」
「 ―― お勤めは、一般居住区ですか」
 レンの問いに、女性は嗚咽を漏らしながらうなずく。
 人間ヒューマンが雇用主なのであれば、そういった扱いは容易に想像できた。彼らにとって獣人種は、安い賃金でこき使えて、いくらでも代わりのある存在なのだ。
 獣人種に人権を認めたこの都市であっても、その考え方は未だ根強く、消えることはない ――
 レンは、形の良い眉を寄せる。そういう意味で、彼女自身はとても恵まれていた。第一世代として人間に所有されてこそいたが、その相手はけして悪い飼い主ではなかったのだ。衣食住は充分に保証されていたし、行った仕事について、相応に評価もしてもらえていた。だからこそ彼女は、いまレンブルグここにいるのだから。
 両手を取っていた手のひらを開き、そうしてそっと、相手の背中へと回す。
「ドクターに、改めて相談をしてみましょう。退院の日は動かせませんが、治療費については分割でお支払いいただくという方法もあります。お仕事に関しても、もし本当に辞めさせられるようなことになったら、新しい勤め先を探すお手伝いもできますので ―― 」
「……あ、新しい、仕事……?」
「はい。現在と同じ業種は無理かもしれませんが、できるだけ御助力いたします」
 そう言って、柔らかく微笑んでみせる。
「うちのドクターは、あれでけっこう顔が広いんですよ」
 それはけして、口から出まかせではない。
 治療を受けることで、職を失ったり、借金を抱える羽目になる獣人種は、けして珍しくなかった。非常に……残念なことだが。
 そういった相手に対して、新たな働き場所や、安価な賃貸住宅を紹介するなどの援助を、この診療所は積極的に行っていた。
 もちろん、すべてがすべて、うまくいく訳ではない。治療代を踏み倒して行方をくらます者もいれば、新しい仕事に馴染むことができず、最終的に残りの財産も職も周囲の信頼もすべて失い、無理に治療を受けさせた医者のせいだと恨みをぶつけてくる相手もいる。完治する前に逃げ出してしまい、結果として生命そのものを落とす存在さえ、少なくはなかった。
 そんな者が現れるたびに、ドクター・フェイがどれだけ苦悩しているのかを、レンは知っている。患者達にはけして悟られぬよう、部屋でたった一人、机に肘をついて俯いている夜があることを、彼女は知っていた。
 だからこそ、一人でも多くの患者を救いたい。
 それは、介護要員として作成されたクラレンスに植え付けられた、対象の面倒を見るという、その存在意義以上に強く心を突き動かす思いで ――


 なんとか落ち着きを取り戻した女性を送り出したレンは、ようやく受付へと腰を落ち着けた。
 暗証番号を打ち込んで、落としていた端末の画面を復帰させる。
 そうして使用した薬剤や経理上のデータ入力を行っていた彼女は、新しい来訪者を告げるベルの音に、はっと顔を上げた。
「 ―― お待たせいたしました」
 集中していて気付くのが遅れたことを反省しつつも、けして慌てている様子は見せぬよう、注意して応対に出る。
 そして、思わず目を見開いていた。
「アヒムさん!」
「は、ははっ、どもッス」
 照れたような笑みを浮かべながら小さく手を挙げたのは、向かいの店でよく顔を合わせる、三毛猫種の若者であった。
 作業着姿の彼は、同じ服を着た男に背負われている。その頬には大きな擦過傷ができており、うっすらと血液を滲ませていた。
「いやあ、たいしたことはないんスけど。ちょっとドジっちまって」
「たいしたことない訳があるか!」
 怒鳴りつけたのは、アヒムを背負っている男だった。こわい髭を頬から顎一面に生やした大柄な男で、汗まみれになって激しく息を荒げている。どうやらその状態のまま、かなりの距離を走ってきたらしい。
「こいつ、俺を庇って5階の屋根から落ちたんですっ。すぐ診てやって下さい! お願いします!!」
「っ! こちらへ ―― 」
 身を翻したレンの後を、男は足早に追いかけてきた。頭を打っている可能性がある以上、本当はあまり揺らさないほうが良い。しかしここまであの状態でやって来たのなら、もはや今さらである。ストレッチャーを手配する時間を浪費するよりも、一刻でも早く医者へ見せる方が良い。

「急患です! 5階から落下した猫種の男性。意識ははっきりしていますが、早急な検査を!」

 レンは、カーテンだけで廊下と仕切られた診療室へと、まっすぐに飛び込んだ。


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