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 ぬえの集う街でIII  後日談 ―― ... Much of a good thing.
 後編
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 そうと事前に予告されてはいたものの、現れた人物を目の前にして、クムティは内心でだらだらと冷や汗を流していた。
 そんな彼の元へと近づいてくるのは、このキメラ居住区ではまず見ることがないだろうと思っていた、人間種ヒューマンである。
 女性ではあるが、全身を硬質な雰囲気が取り巻いていた。かっちりとしたパンツスーツを着用して、きれいに背筋を伸ばした立ち姿。それはどう見ても高等教育を受けて、ちゃんとした仕事に就いている、人間種ヒューマンの中でもそれなりの階級に属しているタイプのものだ。
 こんな相手に関わってもろくなことなどないし、そもそもクムティが作る安っぽい装飾品になど、はなも引っ掛けないだろう。
 ゆっくりと歩み寄ってくる彼女から、果たしてどうやって逃げ出せば良いのか。必死になって思案を巡らせる。
 そんな彼を余所に、クムティをこの店へと引っ張ってきたルイーザはと言うと、足早にテーブルを離れてその人間を出迎えに行った。
 が ――
「あのね、前に言ってた『カンザシ』を売ってる人が、いま来て……るんだ、け……ど……」
 ルイーザの声が尻すぼみになっていくのを聞いて、商品を眺めていた客達が不思議そうに顔を上げた。こちらには興味を示さず飲食を続けていた者達も、今度はその手を止めて視線を向けている。
 注視を受けた人間ヒューマン女性は、しかしそれらにはまったく頓着していないようだった。
 左手を懐に入れ ―― その段階で初めて、クムティは彼女の右手が杖で塞がっていることに気がついた ―― 何やら布に包んだ細長いものを取り出している。
「ああ、かんざしを、長く借りてしまってすまなかった。ざっと手入れはしたが、念のため損傷などないか、確認してくれるか」
 そう言って、立ち尽くしているルイーザへと、その包みを手渡す。
 受け取ったルイーザは、しかしすぐ中を見ようとはせず、その人間ヒューマンの頭部を困惑したように見つめていた。
 ルイーザと同じ色の、しかしこちらは癖のない黒髪を結い上げて、首筋を露出させている。その特徴的なまとめ方を、クムティは普段から見慣れていた。
「あの、オーナー……それって……」
 ルイーザの問いに、人間ヒューマン女性は少し横を向くようにして、後頭部がよく見えるような姿勢になった。黒い髪の中で、銀の色が窓からの陽射しを浴びて光る。
「昨日、リューが入手してきてくれた。これでようやく、それを返せる。貸してもらえて、とても助かった」
「え……リュウ、が? その、『カンザシ』……を?」
「ああ」
 『カンザシ』という言葉に、クムティはとっさに目を凝らす。
 多少離れていても、それが自分の作品であることはすぐに判別できた。そもそもこの街で簪を扱っているのは今のところ彼だけで、真似て作り始めた者の噂も耳にはするが、まだ売りに出せるレベルに到達したとは聞いていない。
 なによりも、その銀色の輝きと、そして『昨日』という単語。ふたつを考え合わせれば、確かに思い当たる節があった。まさかという思いに、ごくりと小さく喉が鳴る。

「あ、あの……リュウってのは……」

 一番近くにいるまだら頭をした若者に、小さい声で話しかけてみた。
「こう、猫みたいに右と左で目の色が違う……」
「ん、そうだけど。……え、なに? リュウのやつ、もしかオーナーのために、わざわざあのヘアピン買いに行ったの!?」
 琥珀色の瞳を大きく見張った若者の声は、店中に広く響き渡った。
 途端にあちらこちらから驚きの声が上がる。中に口笛のようなものが混じっていたのは、クムティの聞き間違いだろうか。
 人間ヒューマン女性は、首をわずかに傾けて、まだら頭の若者を見た。
「……道端で売っているのを見つけた、と。そう言っていたが」
 通りすがりにたまたま目に止まったのだろうと、言外にそう告げてくる。
 あの仕事以外で外に出ない半引き籠もりが、繁華街なんざ通りすがる訳ねえだろう。そんな呟きがどこからか発せられるが、人間ヒューマンの耳にまでは届かなかったらしい。
 クムティは内心で、先刻まで以上にすくみ上がっていた。もはや冷や汗どころの騒ぎではない。すぐにでも昨日へ戻って、軽率な己を張り倒してやりたい。そう考えることで、どうにか遠くなろうとする意識を繋ぎ止めようとする。
 小刻みに震えている彼を、周囲にいる数名が不思議そうに見つめてくる。
 しかし誤魔化すこともできずにいると、選んでいた商品を置いた少女が、跳ねるような足取りで人間ヒューマン女性の方へ駆け寄っていった。そうして同じように彼女の頭部を見上げる。
「う……っわあ! これって……リュウが選んだの?」
「そうらしいが……どこかおかしいか?」
「ううん! すっごい……その、似合ってるから!」
 『すごい』の部分にことさら力を込めて断言する少女は、何故かほのかに頬を上気させていた。
 その傍らに立つルイーザも、なにやら妙に意味ありげというか、生暖かい眼差しを向けている。
 人間相手にそんな態度を取って大丈夫なのかと肝を冷やすクムティだったが、動揺しているのは彼一人だけで、店内にいる他の獣人種達はみな平然としている。
 そうしてルイーザは、ひとつ咳払いをすると、改めて人間ヒューマン女性へと話しかけた。

「まあ、折角の機会なんだし、オーナーも何か選んでみたら? 『カンザシ』も予備があった方が良いでしょ」

 わざわざ引っ張ってきた商売人を、無下にするのは忍びなかったのだろう。そんなふうに促す。
 いやオレは無駄足でも全然一向に構わないんですが! というクムティの心の叫びなど、誰の耳にも届くことはない。
 杖をつきながらゆっくり歩み寄ってきた彼女の前で、トランクに群がっていた獣人種達がみな自然な動きで場所を譲ってゆく。それはなにも強制されたり、人間の不興を買うことを恐れているといった行動には見えなくて。
 先ほど大声を上げたまだら頭の若者が、近くにあった椅子を引きずり寄せて、一番商品を見やすい位置へと据えた。
「どーぞ、オーナー」
 大仰な仕草で指し示されて、彼女はわずかに眉を寄せる。
「……邪魔だろう」
 静かだが低いその声に、クムティは思わず肩を跳ねさせる。が、他の客達はいっせいにかぶりを振るのみだ。
「大丈夫ですって。ちゃんと横や後ろから見えるし。オーナーの足で前かがみとか、しんどいっしょ?」
 若者はあっけらかんとそう続ける。身体的な不具合について言及するのは、獣人種同士でも気を遣うものだ。それなのに彼は、そんなことなどまったく気にしていないようだ。

「…………」

 その人間ヒューマンが、いつ不快をあらわにし始めるか。戦々恐々とするクムティの前で……しかし彼女はやがて、無言で小さくうなずいた。そうして椅子へとゆっくり腰を下ろす。
 必然的に低くなったその頭部へと、周囲の視線がいっせいに集まった。そしてああ、とか、おお、とかいった声がそこここで発せられる。
 それらの反応に、クムティは誰かが軽率に疑問を発したらどうしようかと、必死に言い訳を考えていた。
 そうしながら、脳裏で昨日のやりとりを思い返す。

『お兄さん、お兄さん。なんなら石の交換もできるぜ? ちょうど、大きさも色もぴったりの在庫があるんだがね』
『……いえ。この、青いままで』
『まあまあ、そう言いなさんな。まずは実物を御覧ごろうじろってね』

 なんでオレは、何も考えずあんなことを勧めたんだ。そしてあの男は断りもせず受け入れたんだ!?
 人間の遣いで買いに来たのだと知っていたら、あんな……いかにも甘ったるい恋人向けのカスタマイズなど、絶対提案したりはしなかったのに。
 滅多にないほど特徴的なその男の風貌と、たまたま手持ちにあった石のイメージとが、余りにも重なったものだから……手にとる度に恋しい相手を思い起こさせる、またとない演出になるだろうと思った。そう、つい思って、しまったのだ。
 幸い、この人間ヒューマンは、まだ何も気付いていないようだが。それでも自分が獣人種キメラごときの恋人と勘違いされたなどと知ったら、いったいどれほどの怒りを見せるか、想像するだに恐ろしい。
 内心で頭をかきむしりそうになりながらも、そこは商売人の意地にかけて、当人の前ではかろうじて平静を保つ。
 そうしてようやく目の前の客へと注意を戻したのだが……そこで彼は、ふと違和感を覚えた。
 先ほどからの会話を聞くに、この人間が求めているのは簪のはずだ。こんな安物をと思わなくもないが、実際に今も使用しているのだから、何かしら気に入るところがあったのだろう。それはまあ、判らなくもない。たまにはそういった気紛れを見せる人間もいるものだ。
 しかし、
「……ええと、その」
 ためらいがちに言葉を発して、そっと相手の反応をうかがってみる。上目遣いに向けた目に、真正面から視線を合わされて、クムティは思わず息を呑んだ。
 人間種の持つ、白目の割合が多いその瞳は、力強い光を放っていた。めったに見ないほど純粋な黒をたたえた双眸。そこにあるのは、濁りのない透明さを備えながらも、底を窺い知れないほどに深い、夜の色だ。

 まるで……そう。うかつに触れようとすれば、その指先を切り裂かれる。そんな、黒曜石でできたナイフを突きつけられているかのような ――

「おい、大丈夫か」

 誰かがそう声をかけたことで、ふと相手の目線が外された。途端にどっと脱力したクムティの背中を、別の誰かが軽く叩く。
「あー、そんなに緊張しなくて大丈夫だぞ」
 そうして耳元に唇を近づけられ、小さな囁きが続く。
「こう見えてオーナーは、えらく無頓着っていうか……キメラだなんだってえのは、まるっきり気にしねえ御仁だからよ」
 そうは言われても、はいそうですかと納得できるはずもない。
 もう一度ちらりと視線を向けると、またもまっすぐに目が合った。変わらぬ黒曜石オブシディアンの眼差しが、ゆっくりと一度、目蓋を上下させる。
「……何か、おかしなことをしただろうか」
 淡々と、抑揚のない声がそう問いかけてきた。クムティは反射的に首を左右に振る。
 そうしてから、一度大きく息を吸って、下腹に力を込めた。これ以上グダグダやっていては、かえって相手の機嫌を損ねかねない。商売は度胸だ! そう腹を据える。

「あのっ、さっきから見てらっしゃるのは……男物の方でして」

 商品を収納するには小さいトランクだが、それでもきちんと分類して、傾向ごとに区分けはしてあった。もちろん男女兼用の品も多いし、この人物の服装や物腰は男装に近いものがあったから、女性らしいデザインは好みから外れるのかもしれない。それでも先ほどから彼女が目を向けていたのは、明らかにサイズが大きすぎる指輪や腕輪ばかりだったのだ。
「ああ、それは判っている」
 クムティの指摘に、彼女はごく自然にうなずいた。
 そうして手を伸ばし、金属製の指輪をつまみ上げる。立体的な造りのかなりごついデザインで、女性の指にはどう見ても合わない代物だ。大きく口を開け牙を剥く狼を模したそれを、彼女は無感動な目で眺める。
「こういったものは、作業の邪魔になるな」
「え、あ……はい。そりゃまあ、そういう時は外しますね」
 むしろせっかく頑張って作ったものに傷をつけられては悲しいので、どこかにぶつける可能性がある場合は、外すことを積極的に推奨したい。
 指輪を元に戻した彼女は、次に幅広の腕輪バングルを手に取る。
 いぶした銀色の表面に、少々変わった形式 ―― 確かトライバルとかいった ―― で図案化ディフォルメした、遠吠えする狼を彫り込んだものだった。濃淡のない、ある意味で平面的なタッチなのだが、それでいて対象物の特徴や躍動感をも、工夫次第で様々に表現することができる、なかなかに面白い手法である。特にその腕輪は、彫りこそ浅いものの細かいところまで手を抜かずにきっちりエッジを効かせ、さらに図柄の部分のみ薬品で黒く変色させたので、模様がよりくっきりと際立っていた。
 我ながらよくできたと、気に入っている一品である。
 しかし ――
「やはり、邪魔だな」
 自信作をばっさり切り捨てられ、クムティは内心滂沱の涙を流した。
 だからやっぱり、こんな安物など人間の御眼鏡には叶わないのだ。そう言おうとした彼だったが、しかしその肩へと手が置かれる。振り向けばルイーザが無言で唇に人差し指を当てていた。
 なんで、と周囲を見渡してみれば、なにやら雰囲気が不可解なものに変わってきている。先ほどルイーザが見せていたような、妙に生暖かいというか、苦笑いの混じった表情をみなが浮かべているのだ。
 これはいったい、どういうことなのか。
 流れを読み切れずに頭を悩ませるクムティの前で、人間女性はトライバル模様の腕輪を持ち直した。
「訊ねたいのだが」
「え、あ、ハイ!」
 ピンと背筋を伸ばしたクムティへと、彼女は手にしたものを指し示す。
「こういったデザインで、別の品を注文することは可能だろうか」
受注生産オーダーメイドですか? 少しお時間と、あと別料金をいただければ……えっと、あまり複雑なものとか、高価な材料が必要だったりすると、その、あれなんですけど……」
 いつものように気軽に請け負おうとして、途中で何か無茶振りをされる可能性に思い至り、返答が怪しくなる。
「いや、作り自体はごく単純なものだ。材料もこれと同等で構わない」
「はあ……」
 ならば、何故新しい注文になるのだろう。
「平面で、できるだけ薄い ―― カード状にできるだろうか」
「それならまあ、簡単ですけど。できるだけ薄くって、どれぐらいですか」
「ふむ、そうだな」
 彼女はおもむろにポケットを探ると、手のひらに収まる大きさの携帯端末を取り出した。そうして何やら操作し始める。どうも調べ物をしているようだ。
「……0.5ミリ以下だな。全体の大きさは、45ミリ×100ミリ前後で頼む」
「は!?」
 いきなりやたらと具体的な数字が出てきて、思わず絶句する。
「曲がっては困るから、強度を保つための細かい材質調整は任せる。指を切らないよう、縁の処理もしてほしい」
 つらつらと続けられて、いやちょっと待ってくれと無言で叫んだ。
 そんなクムティの様子を見かねたのか、ルイーザが横から口を挟んでくる。
「ちょっと良いかしら、オーナー」
 いきなり言葉を遮られても、別段気分を害した様子は見せず。彼女は無表情のまま傍らに立つ黒豹の女性を振り仰ぐ。
「いったい、何を作ってもらうつもりなの?」
「それは ―― 」
 彼女が返した返答は、クムティにとってまったく初の試みとなる代物だった。
 けれどそれは、けして無茶な要求でも、不快に思わせる注文でもなく……


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