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 ぬえの集う街でIII  後日談 ―― ... Much of a good thing.
 前編
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 レンブルグの夏は、かなり暑いものである。
 大変動後の一時期に比べれば、異常気象のたぐいも減り、世界規模で過ごしやすくなってはきているらしい。それでもこの都市まちの真夏は時として気温が三十五度を超えるし、夜になっても下がらない日々が続く。
 リュウなどは、キメラ居住区で暮らし始めた最初の年、その暑さにかなり悩まされていた。思えば彼が生まれ育った都市では、そういった快適な環境を整えることに対して、過剰なほどにエネルギーが割かれていたのだろう。もちろんそれは、人間ヒューマンがより心地良く過ごすため行われていたのだが。それでも同じ空間にいた獣人種キメラ達もまた、結果として恩恵に浴してはいたのだと気付かされて、彼は複雑な想いを抱いたものである。
 この街でも、人間達が住まう都市中央部はともかく、老朽化したキメラ居住区の建物には、満足な空調設備すらない場合が多かった。最初はついていたものの、故障してそのまま放置されているという箇所もままある。
 カフェレストラン【Katzeカッツェ】は、そういう点では恵まれている方であった。建物の一階にあるため、比較的室内温度が変動しにくいし、冷暖房装置もそれなりに整備されたものが設置されている。おかげで夏場になると、少しでも涼んでいこうと目論んで長居する客により、目に見えて売上げが伸びていたりした。
 そうして迎えた、リュウにとっては二度目の夏。
 営業時間外には空調を切られる店の物置ではなく、最上階のペントハウスへと居を移した彼は、昨年よりも格段に過ごしやすい毎日を送っていた。
 しかし ―― 同じ部屋で暮らすシルバーは、また少々異なる感想を持っているようで。

「…………」

 その日も、昼食にしてはだいぶ遅い頃合いになってから一階へと降りてきた彼女は、いつもにもまして顔つきが固かった。
 ほとんど無表情に近いのは普段と変わらないが、今はそこはかとなく不機嫌そうな気配が見え隠れしている。たとえ表情がなくとも、別に怒っている訳ではない常と明らかに異なったその雰囲気に、客達は一瞬気圧された様子を見せた。
 しかし、玄関ホールとの間にある扉を開け店内に踏み込んですぐ、彼女は一度立ち止まり、ほぅと大きくひとつ息を吐いた。その目元がわずかに和み、全身を包む空気が柔らかくなる。
 そうしていつもの通り、杖をつきながら定位置となっているカウンター近くの席へと足を向けた。肩にかけたトートバッグからキーボード付き端末を取り出し、卓へ置いて椅子を引く。
 その服装は例によって隙のないパンツスーツ姿だったが、上はジャケットを脱いでおり、艶のある薄手のシャツブラウスに、ウエストを絞った形のベストを合わせていた。普段は背中に流している長い黒髪も、首の後ろでひとつに束ねられている。
 椅子に腰掛けた姿勢は、相変わらずきれいに背筋が伸びていたが、それでもどことはなし倦怠感のようなものを漂わせているように見えた。

「……大丈夫ですか」

 氷水を手にカウンターから出てきたリュウが、気遣うように問いかけた。
「ああ ―― ここはまだ、涼しいからな」
 水滴をまとうグラスを受け取ったシルバーは、ゆっくりとではあったが飲むのを止めず、底まで一度に空けていった。すかさずそそがれた二杯目にもすぐ口をつけ、半分近くまで減らしてしまう。
 しみじみと落とされた深いため息に、店内にいたアヒムが思わず声をかけた。
「あの、オーナー……どっか具合でも悪いんスか?」
 Tシャツの袖を肩までまくり上げ、髪も短く刈り込んでいるその格好に、シルバーは目を向ける。漆黒の双眸には、やはりいつもの輝きが感じられなかった。
「 ―― いや」
 静かにかぶりを振る。
「少々、暑いだけだ。屋根が焼けるせいか、冷房の効きが悪くてな」
 最上階のペントハウスは、当然、その上に陽射しを遮るものがない。真夏の太陽に灼かれた天井を伝わってくる熱気は、いかに空調の設定温度を低くしても、とうてい消しきれないようだ。
 それでも、頑健な肉体を持ち、かつこの街で生まれ育ったキメラ達にとっては、充分以上に満足できるほど涼しくなっているのだろう。しかし人間ヒューマンの中でもけして活動的な方ではなく、ずっと空調設備の整った室内に篭もりきりの生活を続けていた彼女にしてみれば、冷房を効かせてすら三十度近いここ数日の室温は、文字通り涼しい顔で流せるものではなかった。
 事実彼女は夜もあまり眠れておらず、自身でもやつれの色を表に出してしまっている自覚があった。
 そこまでいってもせいぜい髪を束ねる程度で抑え、かっちりとした服装と態度を崩そうとしないのだから、他の面々は几帳面だと感心するべきか、あるいは頑固すぎると呆れるべきか、迷ってしまう。
 今も彼女は、顔に浮く汗を時おりハンカチで押さえるだけに止めている。
 リュウは注文も聞かずカウンター内へ戻り、料理を始めていた。食欲がないだろう相手に食べたいものを訊ねるよりも、自身の判断で献立を決める方が早いと考えたようだ。
「うちのほうが涼しいなら、どうぞゆっくりしていって下さいな」
 雑種猫の女将アウレッタが、減った水を再度注ぎ足しながら言う。
 短い期間にいろいろなことが立て続けに起きて、人間ヒューマン家主オーナーという存在も、常連達の間ではもうすっかり馴染みのものとなっている。もはや多少店内に長居されたところで、客足に影響が出るようなことはないのだ。だから、ルディと同席の約束をしている週末に限らず、平日の昼間であっても、食事を終えてすぐ部屋へ戻るのではなく、ゆっくり腰を落ち着けていてもらって構わない。他の、常連客の皆と同じように。
 そんな申し出を受けて……シルバーは無言で小さく、うなずいた。良いのか、と問い返さないあたり、やはり相当にこの暑さがこたえているらしい。
「あの……ちょっと、良いかしら。オーナー」
 離れたテーブルにいたルイーザが、席を立って歩み寄ってきた。
 例の件でいささか気まずいものを感じてはいたが、そこはそれ。面倒見の良い気性の持ち主である彼女は、シルバーの憔悴ぶりを看過できなかったようだ。
「その髪、どうせならもっと思い切って、上げちゃったほうが良いんじゃないかしら?」
 後頭部の高い位置でまとめている、己の豊かな巻き毛を指し示してみせる。
「ただ結んだだけじゃ、中に熱がこもっちゃうでしょ。先の方が垂れてくると、それもうっとおしいし」
 細い指を伸ばし、シルバーの腰まで達している長い毛束を持ち上げる。そうして首筋に貼り付いている湿った後れ毛を、手入れした爪で丁寧に剥がした。

「…………やり方が、判らん」

 シルバーが、ぼそりと小さく呟いた。
 独身かつ変わり者の義父に育てられた彼女には、洒落っ気というものがまったくなかった。実はいつものスーツ姿も、これならば組み合わせをさほど悩むことなく、失礼にならない程度に身なりを整えられるから、と。そういった理由で選択した結果だったりする。
 髪をここまで伸ばしているのは、重さで寝癖がつかなくなるというのが主な理由だった。この一年半ほどは、髪を切りに行くなどという精神的余裕がなかった、という裏事情もあったりする。
 それでもかつて、どうしても身なりを整えた場に出なければならなかった時などは、一式を外注に出していたのだ。事前にだいたいの要望を伝えて、あとは予約した時間に店へ行き、髪から化粧から衣装の着付けまで、すべてをプロの手で整えてもらう。当然、自分でメイクをしたり、凝った髪型を作る技術など磨いてきていない。できるのはせいぜい、後ろで一括りする程度だ。
「オーナーって、そういうとこ、意外に無精よねえ……」
 ルイーザは呆れて小さくかぶりを振った。
 彼女の記憶では、自分も周囲の女の子も、十代の初めぐらいにはもうお洒落に興味を持ち、あれこれと試しては盛り上がっていたものだ。今でも同僚のホステス達など、むしろいかに美しく装うかに、それこそ血道を上げている。
 シルバーとて、素材は悪くないのだ。もっといろいろ化粧や衣装に気を使えば、さぞかし……と。目の肥えたルイーザから見ても、ずいぶんともったいなく感じられるのだが。
 とは言え、本人がまったくその手のことに興味を持っていないのを、無理強いしても仕方ない。
「ちょっと失礼するわね」
 気を取り直して、ルイーザはシルバーの髪を一度ほどいた。手櫛で簡単にまとめ、高めの位置で結び直す。
「少し引っ張るけど、痛かったら言って頂戴ね」
 そう断ってから、髪をまとめているゴムを少し引く。それから緩んだ毛束を数回ねじった。
 左手でその髪を押さえたまま、自分の頭に右手を伸ばし、後頭部から大ぶりな長いピンを引き抜く。それだけで量の多い黒髪が、ぱさりとほどけて広がった。数度首を振ってそれらを払いのけ、抜いたピンを握っている髪の根元近くに通す。
 束をピンに巻き付けながらぐるりと回転させたら、後頭部に沿わせるように、ゆっくりと押し込んでいった。

「はい、できた」

 会心の笑みを浮かべて、テーブルに置いていたバッグから手鏡を取り出す。
 目の前に突き出された鏡面を、シルバーは少し横を向くようにしてのぞき込んだ。
 後頭部にまげができ、そこに太いピンが刺さっている。金色の先端からは、ルイーザの瞳とよく似た翠緑の石と薄い金属片が、まるで小さな花が連なるかのようにいくつもぶら下がっていて、しゃらしゃらと軽やかに揺れていた。
「どう? すっきりするでしょ」
 数度頭を振ったり、生え際やピンの周囲を手で探っていたシルバーは、やがて大きくうなずいた。
「襟足が涼しいし、ぐらついたりもしないな。ピン一本で、こんなにしっかり固定できるのか」
「オーナーは髪がまっすぐだから、ゴムも併用したほうが良いわね。このピン、最近よその都市まちから来たキメラが持ち込んできたんだけど、今うちの店界隈で流行はやってるのよ。『カンザシ』とか言うらしいわ」
「 ―― ああ、それがかんざしという物なんですね」
 いきなり横から割り込んできた声に、ルイーザはびくっとして振り返った。
 いつの間にかごく至近距離に、盆を持ったリュウが立っている。
「び、びっくりした……」
 胸元を押さえる彼女をよそに、リュウは皿をテーブルに置きながら、しげしげとシルバーの後頭部を眺めていた。

「おかしくないか?」
「ええ、きちんと留まっています」

 シルバーの問いかけに、リュウがさらりと返す。
 ……そこは普通、お似合いですとか答えるべきなんじゃないか、と。やりとりを聞いた客達は、相変わらず存在している微妙なずれに無言でつっこみを入れる。が、二人はなんら違和感を覚えていないようだ。
「先日読んだ本に出てきていたんですが、いまひとつイメージしにくかったんです。こういった品でしたか」
 リュウはなにかしらの疑問が解けたようで、ためつすがめつしている。
 シルバーもまた、ルイーザの手際の良さに、思うところがあったようだ。
「これは、私でも扱えるだろうか」
 問いかけてくるシルバーに、ルイーザは改めて気を取り直す。
「そうね、慣れればけっこう簡単よ。作りがシンプルな分、いろんな飾りがつけられてバリエーションも多いし。暑い夏にはおすすめのお洒落だわ」
 しばらくそれ貸してあげるから、練習してみたら?
「……良いのか」
 ほどけて肩口に広がっているルイーザの髪を見て、シルバーがわずかに眉をひそめる。

 ……ああ、まったく、この人間ひとは。

 獣人種キメラに対して ―― たとえ無条件ではないにせよ ―― 人間ヒューマンを相手にする場合と何ら変わらない気遣いを見せる。それは時として、過剰とも感じられるほどに。
 そんな彼女だからこそ、『意に反して押し付けられた』、『迷惑な』、『生き物』に対しても、全力で与えられるだけのものを与えてやっていたのだとしたら。
 だとしたら、それはあまりにも……

 ルイーザは内心の想いを押し隠し、そっと柔らかく微笑んでみせる。
「あたしはまだ、他にも何本か持ってるから大丈夫」
 そう告げると、ようやく愁眉が開かれた。
「……助かる」
「いいえ、どういたしまして」
 席へ戻るルイーザを見送ったシルバーは、目の前に置かれた馬鈴薯の冷製スープヴィシソワーズの皿を引き寄せ、スプーンを手にとったのだった。


§   §   §


 暑さはその後も連日続き、シルバーは毎日のようにルイーザから借りた『カンザシ』で髪をまとめ上げた姿で【Katze】に通ってきていた。
 どうやら使い勝手が良いと、かなり気に入ったらしい。
 ただひとつ難があったとすれば、

「できるだけ早く返さねばとは、思っているのだが」

 いつものようにキーボード付きの携帯端末を操作しながら、シルバーは別のテーブルに座るルイーザの方を向いて、そう告げた。
 その画面に表示されているのは、小難しげな文字や数式の羅列ではなく ―― 何枚もの写真画像だ。
 どれも人間ヒューマン女性の首から上を写したもので、その髪に様々な装飾品をつけている。

「どこを探しても、同等のものが見つけられなくてな……」

 小さくため息をつくと、彼女は手元へと視線を戻し、幾度か画面を切り替えた。
 いま表示させているのは、電脳上で手続きを完結させられる、通信販売のカタログだと言うことだった。画面上で欲しい商品を選び、住所と代金の支払い方法を指定してやりさえすれば、それで自宅まで届けてもらえるシステムらしい。
 シルバーは大抵の買い物をそれで済ませているのだそうで、今回も例に漏れず利用しようとしたとのことだった。
 が……

「そう、ねえ。私達もつい最近この街に来た、あの獣人ひと以外が売ってるのって、とんと見たことがないし。もしかしたら人間ヒューマンの……一般居住区には、出まわってないのかもしれないわね」

 ルイーザの言葉に、シルバーはやはりそうかとうなずいて、カタログの表示を消した。
 なんでも、彼女が利用している通信販売会社の、どこをチェックしても、『簪』を見つけることができなかったのだと言う。
 それもそうであろう。
 そもそもあれをこの街に伝えたのは、数ヶ月前、別の都市から流れてきたキメラの一人であった。その男が以前いた南方の都市では、ごく日常的に使われているのだと話していた。都市間での交流が少ない今の時代、地方による風習の違いや特色は、意外なほどに多様なのだ。まあ、それはさておき。
 そういった事情で、現在キメラ居住区であの『カンザシ』という代物が流通しているのは、その露天売りが店を広げている、繁華街の一角に限られているのだった。ならば、人間ヒューマンの間でその存在が知られているとは、やはり考えにくい。当然のこと、販売もされていないだろう。

「もう少し、探してみる。すまんが、まだ少し借りさせていてくれ」
「ええ。それはもちろん、構わないわ」

 ルイーザに否やはない。
 もともと獣人種達の間では、料理の出前デリバリーといったたぐいを除き、通信販売などという商法はほとんど普及していないのである。なにしろ通信端末を所持する獣人種それ自体が少ないし、キメラ居住区だとてそこまで広い訳でもない。体力や敏捷性に優れた獣人種達は、多少の距離なら気軽に徒歩や軽車両で移動するし、欲しい物があれば、自分で直接店まで出向くのが普通なのだ。
 だからシルバーが、その通信販売で『カンザシ』を入手できる確率は、極めて低いと思われた。
 とは言え彼女が自分の足で買いに出かけるというのは、さらに難しい相談だ。
 左足に不自由を抱えた状態で、長距離を移動するのが厳しいという点も、もちろんある。だがそれ以上に問題となるのは、彼女が人間ヒューマンだという事実だった。
 ある程度顔馴染みも増えたこの近辺ならばまだしも、まるで見知らぬキメラ達が多数行き交う場所へと彼女が姿を現した場合 ―― 確実に何かしらの騒ぎが起こるだろうと予測できた。それこそ、場合によってはいつぞやの夜のように、暴力沙汰にすら発展しかねない。

「…………」

 貼り付く後れ毛をかきあげながら、再び似たような画面を表示させ始めているシルバーの元へと、何杯目かになる氷水のグラスを持って、リュウが歩み寄ってゆく。
 その様子を眺めながら、ルイーザは何かを決めたかのように、ひとつ小さくうなずいたのだった。


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※リュウが先日読んだ本とは、プロローグ冒頭のものです。

   わが背子せこが かざしの萩に 置く露を
          さやかに見よと 月は照るらし
(作者未詳 万葉集 巻十 二二二五)

  ―― 愛しいあの人が、髪に萩の花を挿して簪にしている。その花びらに輝く露の美しさを、月は教えてくれているようだ。


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