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 ぬえの集う街でII  ―― The binding cover to crack-pot.
 第六章 灰とブナの木
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 柔らかくカールしたプラチナブロンドを持つレトリバー種の女性は、透明な眼差しを向けるシルバーの前で、緊張をにじませながら会釈してみせた。
 淡い色のレースを重ねたフレアスカートが、その動きに合わせてふわりと揺れる。
「あの、私、レトリバーのフランって言います。……ここの六階に住んでる、黒豹のルイーザ姐さんの後輩で、同じお店で働いてて」
「それは以前、聞いた」
 シルバーの返答は、どこまでも淡々とした素っ気ないものだ。
 彼女の口調はいつもそういった響きで変わらないのだが、慣れない者にしてみれば、どうにも威圧されているように感じられる傾向にある。
 今もフランは、びくりと細い肩をすくめていた。
 しかし勇気を振り絞るように数回深呼吸をして、再び顔を上げる。
「それで、その……リュウさんの、ことで……お話が、したくて」
 リュウの名を出されたことで、シルバーの表情がわずかに動いた。彼女の感情を読むのに長けたルディあたりであれば、不思議そうな ―― つまりは怪訝に思っているようだと評しただろう。しかしいまそれを目にしているのは、正面にいるフランだけである。そしてフランはシルバーの反応など、まともに見てはいなかった。
「リューが、どうか……いや、彼になにか、あったのか」
 そう問いかける声にも、微かにだが案ずる響きが滲んでいる。しかしそれもやはり、他人が気づくことができるほどはっきりした変化ではなく。
 フランは胸の前でぎゅっと両手を握りしめ、ただ必死な面持ちで言葉を紡いでいた。
「あの、私……」
 いったん言葉を切って、その全身に力を込める。

「リュウさんのことが、好きなんです!!」

 固く両目を閉じて、廊下中に響き渡る声でそう宣言した。

「 ―――― 」

 それは、完全に想定の範囲外の内容だったのだろう。
 シルバーは無言のままだったが、その目がわずかに見開かれていた。

「……あんなに素敵な人、初めてなんです。知り合ったばかりの私にも優しくって、いつも穏やかに笑ってて……でもそれだけじゃなくて、言うべきことはビシッと言うような強さも持ってて……」

 フランは握りしめていた指をもじもじと動かしながら、そんなふうに続けていく。視線をその指先へと落とした横顔は、ほんのり赤く上気していて。
「その、最初は恋人がいるって聞いて、あきらめようかと思ってたんです」
 ルイーザや常連達が耳にすれば、どの口で! と声を揃えてつっこみを入れるだろうその言い分も、事情を知らないシルバーにしてみれば、額面通りにしか受け取れない。
「でも、リュウさんに訊いてみたら、そんな人はいないって言われて……それなら、私でも望みがあるんじゃないかって……」
 つぶらな栗色の瞳が、うかがうような上目遣いでシルバーの方へと向けられる。
 シルバーは、一度ゆっくり目蓋を下ろしてから、改めてフランを見つめ返した。
「 ―― それで、なぜ私にそれを言う?」
 低いアルトの声は、変わらぬ平静なものであった。
 フランは気圧されたのか、息を呑んで身体を固くする。
 しかし、恋人はいないという部分を否定されなかったことに力を得たのか、再び口を開いた。
「ま、前にも言いましたけど……リュウさんには、自由な時間ってものが、ほとんどないですよね。でも、私、もっとリュウさんとお話ししたり……お出かけに誘ったり、してみたいんです」
 けれど今の状態では、それもままならない。昼間はずっと店の仕事か建物の修理や清掃に従事し、夜になればまっすぐペントハウスへ戻ってハウスキーパー。【Katze】の定休日にも、ほとんど外に出ることなく、一週間の間に溜まった家事を片付けなどしていては、知人と遊びに出かける余裕など、まったく残っていないのだから。
 そう訴えられて、シルバーは真面目な顔でうなずく。
「リューが、もっと外出したほうが良いというのは、私も同感だ。せっかく獣人種が暮らす街に来たのだ。積極的に自分の時間を持ち、世界を広げるべきだと思っている」
 シルバーの言葉に、フランはパッと表情を明るくした。
「じゃあ……!」
「先の休みには出かけるよう地図を渡して促してみたが、すぐに戻ってきてしまった。誰か案内や先導をしてくれるのならば、ありがたい」
「私、私! 遊べる場所とかお店とか、楽しいとこいっぱい知ってます!! お誘いしても、良いんですね!?」
 先ほどまでの緊張など、どこへ置いてきたのか。身を乗り出して確認を取ってくるフランへと、シルバーは肯定を返した。
「リューの幸せを願い、その暮らしが少しでも豊かなものになるよう手を貸してくれる人物ならば、私は歓迎する。叶う限りの協力もしよう。……獣人種でも幸福な未来を得られるのだと、リューに教えてやってほしい」
「はい!」
 フランは元気よく返事をすると、ぴょこりと頭を下げた。
「私、リュウさんに振り向いてもらえるよう、がんばりますっ」
 己に気合を入れるように、両の拳を握りしめる。
 そんな彼女へと、シルバーはやはり静かな口調で続けた。
「……最終的に誰を選ぶかは、リュー個人の意志によるが……ひとつだけ、確認したい」
「はい? なんですか」
 緩んだ笑みをたたえたまま、フランは聞き返す。
「お前がリューに向けているのは、恋愛感情だと解釈して、間違いはないか」
「ええ! 私、リュウさんのことが好きです。同じ犬系の種族だっていうのも、すごく嬉しくて」
 頬に両手を当て、羞じらうようにうつむく。
 獣人種同士で恋愛関係や婚姻を結ぶカップルは、それなりの数が存在している。しかしその間に子供が産まれる確率は、かなり低かった。それは彼らが遺伝子段階から多くの手を加えられた、半ば人造の生命体だからだ。特に組み込まれた動物の遺伝子が異種のものである場合、まず二世は望めない。
 事実、【Katze】の女主人であるアウレッタなどは、ずいぶん長い期間を夫と仲睦まじく暮らしていたが、とうとう子宝を授かることはなかった。彼女が猫の雑種ミックスで、夫は虎 ―― しかも希少な白虎ホワイトタイガー種だったからだ。
 しかし狼と犬であれば、受胎する可能性は低くとも、けしてゼロではない。
 長い耳の先まで赤くなっているフランを、シルバーは無表情に見つめる。
「……お前が、そういう意味でリューとの交際を望むのであれば、事前に一度、ドクター・フェイに話を聞くことだ。ドクターは、知っているな?」
「え? あ、はい。もちろん、先生を知らないキメラなんて、この街にはいませんよ」
「ならば良い。……リューを、よろしく頼む」
「こちらこそ! 私、オーナーさんのこと、誤解してたみたいです。ありがとうございました」
 目礼するシルバーの前で、フランは晴々とした表情で軽く会釈した。そうしてフレアスカートの裾をひるがえしながら、杖をつくシルバーの横をすり抜け、階段へと向かってゆく。
「さよなら、オーナーさん」
 ひらりと手を振って、足取りも軽く階段を下りていった。

「…………」

 その姿を、シルバーは廊下に佇んだまま、色のない凪いだ瞳で見送っていたのだった。


§   §   §


「 ―― 良かったのか?」

 弾む足取りで階下へ向かうフランを、いったん六階の廊下に戻ってやり過ごす。それからジグは、すぐにまた七階へと取って返した。今度は踊り場から姿を現し直接肉眼で確認すれば、シルバーはまだ、廊下の半ばで一人立っている。
 ジグの問いかけに振り返った、その目がゆっくりとまばたきした。
「聞いていたのか」
 淡々と問うてくる声音に、驚きの響きは欠片もうかがえない。さりとて、本気で気配を殺していたジグに彼女が気付いていたとも思えず、さらに言うなら盗み聞きを咎めている様子もない。ただただ、事実を確認するためだけの問いに聞こえる。
「不審な熱源が、えたので」
「……ああ、なるほど」
 短い説明で納得したその反応からして、どうやらニシキヘビの獣人の特性を、きちんと理解しているようだ。
 絨毯を踏んで近付いてくるジグを、静かな眼差しでじっと眺めている。手を伸ばせば触れられるほどの距離まで近付いて、ジグはようやく歩みを止めた。身長差があるため、シルバーはかなり上を向かなければ、ジグと目を合わせられない。
 意識せぬままに片膝をついて、視線を低くした。行動してからそれを自覚して、ジグは内心で複雑な思いを抱く。無意識のレベルで身体が動くほどに、自分はまだあの頃のことを忘れていないのか、と。
 しかし苦いものを噛みしめる彼の内心など、相手が知る由もなく。シルバーは仰け反るようにしていた首を、改めて下へと向け直した。
 そうして、わずかに斜めに傾ける。
「『良かったのか』とは、何が?」
 最初の質問の示す意味が、判らなかったらしい。律儀に聞き返してくる彼女へと、ジグは慎重に言葉を選ぶ。
 この二人を下手に刺激するなと、ドクターからきつく言い渡されている。が、それでも今のやり取りを、何もなかったように看過することはできなかった。
「……あの女に、リュウへちょっかいを出しても構わないと、許可を出したことだ。それで、良かったのか」
 本能にも等しい領域で、人間ヒューマンにへりくだろうとする自身を、意識して叱咤する。その結果、仲間達と話す時と同じ口調になった。
 彼女に向かってこんな言葉遣いをしているのは、今のところドクター・フェイを除けば、子供のルディぐらいである。だいぶ打ち解けた感のある年長のゴウマや同性のルイーザでさえ、まだその話し方には遠慮の色が濃い。この街で生まれ育ち、年若いがゆえの無鉄砲さを残す少年はともかく、高等教育を受ける間に様々な苦労を重ねてきたであろうあのドクターが、シルバーに対して取るざっかけない態度を、ジグは常々賞賛に値すると思っていた。
 シルバーは、傲慢で理不尽な横暴さを見せつける、そこらの人間ヒューマンとは異なっている。そう理性の上では判っていても。それでもかつて骨身に沁み入るほどに叩き込まれた、人間へ服従しろという命令が、今もジグの心身を縛ろうとするからだ。
 床へつけた膝頭を、強く掴みながら答えを待つ。
「……彼女は、リューのことが好きだと言っていた」
 シルバーの声音は、どこまでも感情を読み取らせない。
 己の所有物に手を出される怒りも、拒絶もそこにはなく。何をされても大丈夫だという、自信に裏付けられた優越すらもが、存在していない。
「リューに好意を抱き、力を合わせて幸せな未来を形作ろうと努力してくれる相手ならば、私が横から口を挟む筋合いはないだろう。リューにはリューの人生があり、共に歩む伴侶を選ぶのは、彼自身の意志によるべきだからな」
 そうしてひとつ、息を吐く。
「もしもリューが選んだその相手との間に、なんらかの障害が生じるようであれば。その時は、私が行使できる限りの力を貸そう。私がしてやれるのは……それぐらいしかない」
 そう言って、ほんのわずかに口の端を動かす。
 それは、笑みと呼ぶにはあまりにも儚く。
「……あんたでは、駄目なのか」
 共に寄り添い、幸福な未来を歩むというその相手に、なぜ自分自身を想定しないのか。
 それはドクターから止められた、ぎりぎりのラインにある問いだっただろう。
 そしてジグ自身の常識から言っても、絶対に考えられなかったはずの疑問だった。
 そう。それは思いつくことすらありえない、禁忌タブーとすら言える発想だ。ジグのように工場で生産された ―― ことに特定の人物の側近くに侍ることを前提とした ―― 第一世代にとって、人間とはひたすらに奉仕を捧げるべき、絶対的な支配階級である。たとえ敬愛を抱くことはあっても、隣に並び立つことはおろか、献身に対する見返りを望むことすら許されない、不可侵の存在。それが本来の獣人種にとっての、人間ヒューマンの位置付けなのだ。
 同じ第一世代の、しかもジグ以上に厳しい扱いを受けてきただろうリュウが、人間に対して恋愛感情を抱けないというのは、理解できる。
 たとえどれほど大切な、それこそ、この身に代えてもと願う相手に対してであってさえ、その心理的な禁忌を乗り越えることは難しい。
 愛しくて、焦がれに焦がれて、それでも触れることすら望めない。望もうと、思いつくことすらありえない。
 少なくともジグは、それを望んでしまったとき、己は狂ったのだと思った。考えてはならないことを考え、夢にすら見たその夜、足元から世界が崩れ落ちるかのようなすさまじい恐怖を覚えた。
 そうして想いを自覚した後は、必死に押し殺し、ひた隠しにし ―― 隠しきったまま、その対象から離れることができた時には、心の底から安堵したのだ。
 だからこそジグは、記憶を取り戻したリュウとシルバーの関係を目の当たりにして、ひどく衝撃を受けたものだった。
 自分にはできなかった ―― そうあろうと、努力することすら考えられなかった、人間と獣人種が互いに深く思い合い、少なくとも精神上は対等に近い立場で生活を共にしている、その姿が。
 眩しくて、同時に羨ましくて……いっそ妬ましさすら、覚えていたかもしれない。
 それなのに、リュウはシルバーとの間に、恋愛感情など存在していないという。そんな関係を結ぶぐらいならば、今度こそ自分の意志で姿を消すのだという。
 あれほどに深い想いを向けながらも、それでも彼は、やはり禁忌を乗り越えることはできなかったのか。
 そう落胆すると同時に、納得する思いもあった。
 けれど。
 ならば、シルバーは。
 彼女の方は、どうなのか。
 獣人種であるリュウのことを、大切に思っていることは疑いようがない。しかしそれは、いったいどういったカテゴリーに分類されているものなのか。
 針のように細い目で真っ直ぐに見上げるジグへと、シルバーは今度こそ、はっきりと口元を歪めてみせる。
「……お前も、私とリューが、男女の関係にあると思っていたのか」
 それまで、どこまでも透明な光をたたえていた黒瞳が、初めて暗い輝きを内にはらむ。
 ジグは、急速に喉が干上がってゆくのを感じた。
 これまで一度として、シルバーはキメラ達に対して否定的な態度を向けたことがない。少しぐらいぶしつけな振る舞いをされても、リュウから日常生活についての叱責を受けても、怒りや反発などまったく見せなかった。
 そんな彼女が、初めてあらわにした、負の感情。
 それにジグは、半ば反射的に指ひとつ動かせなくなる。
 全身から冷や汗が吹き出すのを感じた。心臓が早鐘を打つかのように、激しい動悸を刻み始める。
 しかしそんな彼から視線を外し、シルバーはかたわらの壁へと倒れこむようにその体重を預けた。
 そうして、そらした目を己の爪先へと落とす。
 緊張から解き放たれ、詰めていた息を吐いたジグの耳へ。
「どうしてヒトという生き物は、男と女がいると、そちらの方向にしかものを考えないんだ……」
 そんな、小さなつぶやきが届いた。
 どこまでも乾いた……ひび割れているのではと思わせられるほどに、乾燥しきった声だった。
 床を眺めるその目にも、潤いの気配はまったくない。
 それでもジグには、彼女が泣いているように見えた。
 号泣 ―― いや、慟哭すらも通り過ぎて。もはや枯れ果てた涙と破れた喉が、ただただそこにある。そんなふうに。
 バランスを崩したのか、身体を預けた壁から、ずるりと肩が滑る。しかし杖を握る手に、力は込められていない。

「危な……っ」

 とっさに膝を上げて手を伸ばし、どうにか床へ崩れ落ちるのを阻止した。腕の中の重みは、彼にとっては羽毛にも等しいほど、軽い。
 どこか懐かしいその感触に動揺しつつ、ジグは身に染み付いた習慣で、守った相手に怪我がないかを確認した。
「すまない。あんた達を……」
 一瞬、どう口にするべきかと迷う。
「侮辱、するつもりじゃなかった」
 ドクターから、注意するよう言われてはいた。だが、まさか人間ヒューマンである彼女の方まで、これほど過剰な反応を見せるとは思いもしなかったのだ。
「…………ああ……そう、だな」
 相変わらず単調な声音ではあったが、肯定的な答えが返ってきて、少し安堵する。
 どうやら言葉の選択は間違っていなかったようだ。
「お前達は、あいつらとは、違う……悪意からくる、下劣な勘繰りではない。判っている」
「……オーナー?」
 己に言い聞かせるかのような、その言葉。
 内容に引っかかる部分もあったが、これ以上刺激するのは危険だと、あえて追求は控える。
 できるだけ穏やかに呼びかけると、ゆっくりとその目蓋が上下した。
 力なくジグの腕に添えられていた手に、力が戻ってくる。
 深々と、肺の底から吐き出すかのような吐息を最後に、シルバーは再び自分の足と杖で、己の体重を支えた。

「見苦しいところを見せた」

 そう言って上げられた瞳は、既にいつもと同じ、凪いだ水面のような光をたたえていた。

「……リューと私は、家族なんだ」

 抑揚のないその口調には、しかしなぜか胸を締めつけられるような、そんな響きが内在しているように感じられて。

「この都市まちで市民権を申請した時、本当はリューに、『アシュレイダ』を名乗って欲しかった。私と義父ちちがそうだったように、たとえ血など繋がっていなくとも、名を受け継いでいくことはできる。他人同士でも家族になれるのだからと、そう思っていた」

 彼女とその父親が、義理の親子であるのはすでに聞き知っていた。キメラ同士ではむしろ実の肉親が存在している方が珍しいため、それ自体は、これといって取り沙汰されることもなかったのだが。
「しかしレンブルグでも、人間と獣人種の養子縁組など前例がないと、受理してもらえなかった。ならばせめて形だけでもと思ったが、保証人と同じ苗字ファミリーネームは認められないと言われ、それすら却下された」
 リュウ=アシュレイダ。
 声には出さないまま、口唇だけがそう形作る。
 日の目を見ることのなかった、幻の名を呼んで。そうして彼女は、目元を少し和らげた。

「だから、フォレストにしたんだ」

 大切なものを包み込むかのように、実際に登録したリュウの苗字を舌に乗せる。
「灰を撒いた土からは、より強い草木が育つと言う。リューの種族名は〈銀狼〉だが、実際のベースとなった遺伝子は森林狼シンリンオオカミだ。リューが、灰を糧に芽を吹き、育ち、いつかは森林フォレストと呼べるほどに実り豊かな人生を歩んでくれたなら ―― たとえアシュレイダの名がここで途切れることになったとしても、悔いはない」
 実際にアッシュと名乗ったのは、自分と義父だけ。しかもそれは電脳上での仮の呼称でしかないけれど。それでもその名もまた、確かに自分と義父を繋いだ、かけがえのないよすがだから。
 自分達の生きてきた、その先に、彼の未来が繋がってゆくのだと。そう思えれば、それで充分なのだと。
「……私はリューの、家族だ」
 再びそう、繰り返す。
義母ははか、義姉あねか、それとも義妹いもうとか……それはリューが決めるだろう。どれだって良いし、あるいはそのすべてを兼ねているのかもしれんな。だが ―― 」
 言葉を切って、シルバーはゆるくかぶりを振った。
「『妻』にだけは、なれん。それは、私の役目ではない」
 そう、きっぱりと断言する。
 そこに逡巡や未練の響きは、欠片も存在しなかった。
 許されぬ想いを押し殺しているのではなく、禁忌を恐れて認めようとしないのでもなく。
「何故なら私もリューも、互いに恋愛感情など抱いていないからだ」
 たとえどれほど親密であっても、親子や兄妹の間で、恋情など成立しないだろう?
 そう言って、浮かべてみせた表情は。
 いつになくはっきりと、微笑みと称するに相応しい形をとっていて。それでいて、どこか切ないほどに透徹な印象を放っていた。
 かつて、己自身が叶わぬ恋に身を焦がしていたからこそ、ジグには理解できる。シルバーの言葉に嘘や誤魔化しなど、まったく含まれていないのだと。
 これは、自分が抱いていた想いとは、まったく別の方向性を持った『何か』なのだと。

「そう、か」
「ああ、そうだ」

 うなずいてみせたジグと動きを合わせるように、シルバーも顎を引く。
 そうして彼女は、中途半端に立ち上がりかけの状態だったジグに、身振りで姿勢を正させた。
 改めて間近からその巨体を見上げ、感心したようにつぶやく。
「ジグラァト=オーク」
 めったに使わないフルネームを前触れもなく呼ばれて、不覚にも鼓動が跳ねた。
ブナの木オークというのも、良い名だな。とても、似合っている」
 ふり仰ぐほどの高い背丈と、力強い褐色の腕が、かつて記録映像で見たあの見事な枝ぶりの大樹を彷彿とさせる、と。


 ―― あなたはけして、血にまみれた残忍な悪鬼Orcなんかじゃない。とても大きいけれど、誰よりも優しくて、忍耐強い……そう、森の生き物をその恵みで守り育んでくれる、あのブナの木Oakのようだわ。


 耳の奥で、かつて聞いた言葉が蘇る。

「『ジグラァト』?」

 現実の声と過去のそれが、重なり合って脳内をこだました。
 くらりと、視界が揺れるような浮遊感を覚える。

「……その名で、呼ぶな」

 喉の奥で唸った。こめかみを押さえ、固く両目を閉ざす。
 低い、場合によっては不興さえ買いかねないその訴えに、しかしシルバーは何かを感じたようで、素直に応じてくれた。
「では、ジグで良いか」
 名前というものに深い意味合いを見出している彼女は、他人のこだわりにも敏感なのかもしれない。
 数度深呼吸して気を落ち着かせたジグは、小さくうなずいてから、眼前の女性を見下ろした。
 癖ひとつない長い黒髪に、どこまでも深い漆黒の双眸。
 『彼女』とは、似通っているところなど、何ひとつ存在していない。
 彼女は、『彼女』とは違うのだと、改めて自分に言い聞かせる。
 その優しさも、強さも、想いの向いている先も
 なにもかもが異なっている。
 そして、自分と『彼』も、また ――


 ようやく呑み込めたその事実に、複雑な想いを噛みしめながら。
 それでもジグはなおも、この奇妙な形で結びついている人間と獣人種の男女を、そのたどり着く行く末まで見届けてみたいのだと。
 改めて強く、そう思ったのだった。


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