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 信仰論   きつね3
 第一章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2014/11/04 14:44)
神崎 真


 その日、たまたま見かけた友人達は、明らかに話相手のことを持て余しているのが、遠目からでも察せられた。
 国立S大学の、構内。
 三年生の、そろそろ年末の気配が間近くなってきたこの時期。同級生の中には就職活動を始めた人間もままいるが、意外なところで想定外の人脈コネ伝手つてをいささか持ってしまった彼 ―― 河原かわはら直人なおと青年は、比較するとまだ気楽にのんびりとした日々を過ごしている。
 今日も午前中の講義が講師の都合で休みになったのを良いことに、その科目とはまったく関係ないレポートの作成で時間を潰したのち、早目の昼食を摂りに学食へと足を運んだところであった。
 食べ盛りの若者向けに、味は二の次三の次。とにかく盛りの量と値段の安さを優先した学食は、直人のように親元を離れて一人暮らしを営む者にとって、ひどくありがたい存在である。さて焼き飯にするか、ラーメンライスを選ぼうか。いやいや最近野菜が不足しているから、ここは手堅く定食にしよう ―― などと考えながら空いた席を探してあたりを見わたしたその目に、くだんの二人の姿が入ってきたのだ。
 小柄な体格にぱっちりとした猫のような丸い瞳が特徴の野波のなみ恵美めぐみと、背の高いスレンダーな体型に整った理知的な顔立ちが目を引く、藤ノ木ふじのき涼子りょうこ
 彼女らは直人と同じ学年で、入学して間もない頃から何かとつるむことが多い友人同士だった。
 その結果、昨年の夏休み終了直後などには、もう一人の連れ大野口おおのぐち靖司やすしをも含めた四人で、ちょっと尋常ではない騒動に巻き込まれたりもした『お仲間』だったりする。
 そんな訳で、恵美と涼子が席を同じくしていること自体は、何の不思議もなかった。
 むしろ彼女達は外見も性格もまるで異なっていながら、共通の趣味によって固い友情を築き上げている。取っている講義などもほぼ重なっているため、構内で離れている姿を見ることのほうが、かえって珍しいぐらいであった。
 問題なのは、向かい合って座る二人のテーブルに、割って入るようにしている人物だ。
 背の半ばに届くだろう長い髪を首の右側でひとつに束ねて胸元に垂らし、デニム地の膝丈スカートにグレイのプルオーバーと紺色のカーディガンを重ね着した、ぱっと見た感じは地味な印象を感じさせる女学生である。
 しかし彼女は自分のサンドイッチセットをほとんど押しやり、両脇の二人へと熱心になにやら語りかけていた。椅子から身を乗り出すその勢いに、恵美と涼子は半ば気圧されているかのような、曖昧な表情を浮かべている。

「 ―― 二人とも、昔っからそういうのに興味持ってたじゃない!」

 日替わり定食を受け取って近づいてゆくと、話している内容が聞こえてくる。

「だからさ、おいでよ。絶対みんなと仲良くなれるから!!」

 率直に言って、周囲の人間がいささか迷惑げな顔をしている程の大声だった。あれでは涼子達も居心地が悪かろう。

「ずいぶん盛り上がってるんだな」

 テンションの高い語りを止める意図も込めて、直人はなるべく自然体を心がけて口を挟んだ。
 軽くトレイを掲げ、身振りで座ってもいいかと訊ねる。
 彼の登場に、恵美が安堵したような笑みを浮かべた。もっともそれはすぐに繕われ、同じように自然な仕草で四人掛けテーブルの残り一席、熱弁を振るっている女学生の向かい側の椅子をすすめてくる。
「ども、初めましてだよね。俺、こいつらの知り合いで、国文学科の河原」
 定食を卓上に置き、背もたれを引きながら軽く頭を下げる。
 言葉を遮られた女学生は、一瞬とまどったように直人を見上げた。が、それでも反射的に会釈を返してくる。
「あ、あの、あたしは、二人と高校が一緒だった相葉あいばって言うんだけど」
「 ―― 相葉麻里まりさん。クラスは違ったけど、同じ学校の同級生だったの」
「しばらく会ってなかったのに、さっきそこで一緒になっちゃって」
 涼子と恵美がそう補足する。
 二人とも一応笑顔ではあったが、恵美の語調にそれとなく彼女 ―― 麻里を歓迎していないことが透けて見えていた。しかし麻里の方は、まったくそのあたりの機微に気付いていないようだ。
 見知らぬ相手が現れたことで、前のめりになっていた身体はいくぶん引き戻されたが、それでも再び口を開いて話しかけてくる。
「えっと、河原くんも知ってるよね。ほら、藤ノ木さんも野波さんも、オカルトとか占いとか、すごく好きじゃない? それでね、あたしがいま良くしてもらってる占い師の先生にね、紹介してあげるって話してるところなの」
 セレナ先生って言って、びっくりするぐらい良く当たるし、困った時の相談なんかにも親切に乗ってくれるんだ。
 説明を続けるうちに、小さくなっていた声がまただんだんボリュームを上げてゆく。
 熱を込めて見開かれた目が、潤んだようにキラキラと輝いて、直人を含めた三人の姿を映している。
「う、うん……確かにそういうのは好きなんだけど、さ」
 恵美が、しきりにフォークでサラダをつつきながら答える。麻里は力を得たと言わんばかりに、再び上半身を乗り出した。
「でしょ! セレナ先生のとこには、他にもいっぱい相談に乗ってもらってる人がいるの。みんなで話し合ったり、先生のお手伝いをしたりしててね。楽しいんだよ」
 あたしの紹介があれば、すぐに仲間に入れてもらえるから! と。
 どこか誇らしげに断言する。
 いかにも良いことをしてあげるのだと言わんばかりだ。
 いや実際に彼女は、この強引な誘いを良いことなのだと信じきっているのだろう。そもそも去年の夏までの恵美と涼子であったならば、むしろ自分達の方から進んで、嬉々としてついて行ったかもしれない。
 しかし ――
 意を決したのか、涼子が麻里の方を向いた。薄い唇を幾度か舐めて、言葉を選ぶ。
「あのね、私達が好きなのは、あくまでお話の中の超常現象なの。テレビとか、本とかでそういうのを見るのは楽しいと思うけど……でも、実際にリアルで占い師とかに会いに行くって言うのは、ちょっと……」
 涼子の向かいでは、恵美がこくこくと懸命に頷いている。
 確かにこの二人は、超能力や心霊現象といった、オカルトじみた話題が大好きだった。構内でも堂々と怪しげなホラー雑誌やペーパーバックを広げては、きゃあきゃあと黄色い声を上げて盛り上がる、いわばオカルトオタクだった。
 そう、『だった』のである。
 それも今となっては過去形だ。
 現在でも彼女達は、そういう類の会話を楽しげに繰り広げてはいる。だがその対象は、あくまでフィクション。明らかに胡散臭い、紛い物とはっきり分かる対象を範疇とするに留まっていた。
 なぜなら彼女達は、『それ』がけして遊び半分で首を突っ込んで良い代物ではないと、『本物』から身に沁みて思い知らされたからだ。
 生半可な覚悟で手を出せば、場合によっては生命にも関わる危険な世界なのだ、と。
 人間ヒトの怨念から生まれた、憑きもの筋のゲドウの狐。そしてそれを追う稲荷の神狐しんこ、太郎丸と次郎丸との出会い。この世ならぬ彼らの戦いを目の当たりにし、また実際に関与したことで、彼女達は本物の恐ろしさというものをその心身に叩きこまれたのだった。
 故に現在の二人は、雑誌などで星占いや姓名判断といった、ある意味毒にも薬にもならないような罪のないそれを見て楽しむことはしても、実物の占い師と直接顔を合わせて言葉を交わすといった行為は、むしろ積極的に避けたい傾向にある。
 それが偽物のインチキ占いだったならば、まだ良い。たとえ騙されたところで、ああやっぱり嘘だったと、笑って済ませられる。
 だが、もしもそれが本当に『本物』であったならば?
 逆にそちらの方が、彼女達にとっては恐ろしい。
 安易にそんな相手と接触を持って、もしまた危ない目にあったりしたら、今度こそ取り返しの付かないことになるかもしれない。
 そう思うからこそ、二人はどうにか麻里の誘いを断ろうとしていたのだ。
 しかし……しばらく疎遠になっていたとはいえ、そこは女同士の付き合いというものがある。
 下手にすげなくつっぱねて、うっかり相手の機嫌を損ねでもしたら、裏でどんなひどい陰口や根も葉もない中傷を流されるか知れたものではなかった。噂話という名の女の情報ネットワークは、ある意味超常現象よりも怖いのである。
 なんとか穏便に遠慮しようとする彼女達だったが、麻里は手強かった。わざと気付かないふりをしているのか、それとも本当に判っていないのか。しつこく何度も同じような内容をくり返し、引き下がろうとしない。
 困っている二人を無視して、自分だけ飯を食べ始める訳にもいかず。直人の定食は箸を付けられないまま、すっかり冷めてしまっていた。
 執拗な勧誘 ―― そう、これはもう既に宗教などへの入会を強制しているのと変わらない ―― に、直人はついにため息をついた。
 興奮した耳でも聞こえるようわざと大きくしたそれに、さすがの麻里も言葉を止め、訝しげに直人の方を向いてくる。
「あのさ、相葉さんだっけ」
 正直を言えば、あまり女の子の会話に口を挟みたくはない。たとえどういう結果に転がったところで、どちらかから悪者扱いされるのは目に見えているからだ。
 しかしさすがにこれは、放っておけない。
「誰にだって、都合ってものがあるんだし。無理強いはしないほうが良いよ」
「無理強いなんて、そんなことしてないじゃない。ねえ?」
 同意を求める麻里の視線を、恵美と涼子はとっさに避けていた。場に嫌な空気が漂う。

「…………」

 重たい沈黙を、直人はしぶしぶ破って続きを口に乗せた。
「占いとか、そういうのが好きな人はいるし、それで本当に救われる人もいると思う。だけど占いを信じたり頼ったりするかどうか、決めるのは本人の自由でしょ」
 話しかけてくる直人を、麻里は上目遣いで見返してくる。口を引き結んだその表情には、どこかじっとりとした陰湿な雰囲気が滲み始めていた。
「えっと、だからさ。相葉さんがその先生? を信じて頼るのは、別に悪いことじゃないし、相葉さんの自由だよね。なら、彼女達がそうじゃなくても、それは ―― 」
 恵美達の自由として、認めるべきではないか。
 そう続けようとした直人の言葉を、叩きつけるような激しい音が遮った。
 麻里の拳が、テーブルへと振り下ろされたのだ。卓上にあるものが衝撃でぶつかり合い、コップやわんの中身がトレイの上へこぼれて広がる。
 いきなりの蛮行に、食堂内が静まり返った。もう昼時を迎えて人の数が増え始めていたが、みな動きを止めて、いったい何事があったのかと視線を集中させてくる。

「…………ケモノ臭い」

 ぼそり、と。
 麻里が小さく呟いた。
 話し声が消えた学食の中で、その言葉ははっきりと直人達の耳に届いた。
 しかし意味を理解することができず、三人は驚いた格好のまま、目をまたたかせる。
 うつむいた状態からゆっくりと顔を上げた麻里は、表情を消した状態で直人の方へと顔を突き出してくる。そうして、すん、と鼻を鳴らした。
「やっぱり、そうだ」
 納得したのかひとつ頷いて。それから彼女は眉を寄せ、気遣うような表情を形作る。
「あなたさ、ケモノっぽい臭いがしてるよ。きっと、何かに憑かれてる」
「……はあ?」
 真剣な口調で告げられた内容に、直人は思わず頓狂な声を上げていた。
 だが麻里はどこまでも真剣な眼差しで直人を見据えてくる。
「動物霊ね。あたし子供の頃からそういうの良く感じてたんだけど、セレナ先生のとこに行くようになってから、もっとはっきり判るようになったの。河原くん、絶対良くないモノに取り憑かれてる。だからそんなふうに言っちゃうんだよ。ね、悪いこと言わないから、一度ちゃんとセレナ先生にてもらおう? 何かあってからじゃ遅いんだよ!」
 強い力で手首を掴まれて、直人は考える前に振り払っていた。
 いつの間にか椅子から立ち上がり、間のテーブルの存在すら忘れたかのように顔を近づけてくる麻里に、何か理解しがたいそら恐ろしいものを感じる。
 見開かれた目に宿る光が、どこか常軌を逸しているような気がして。

「い、いや、行かない。俺には絶対、なにも取り憑いたりしないから」

 曲解の余地を残さぬよう、きっぱりと断りを入れる。
 ここで下手に言葉を濁して、妙な言質でも取られてはかなわない。
 まっすぐ目を見て左右にかぶりを振ると、途端に麻里はそのまなじりを釣り上げた。心配気な表情だったのが、一気に豹変する。

「なによ!!」

 甲高い叫びがあたりに響き渡った。

「せっかく親切に教えてあげてるのにッ。なによ、どうせあんただって、占いだの霊だのなんて信じられないって、内心で馬鹿にしてるんでしょ! そんなんで、いざって時に後悔しても知らないんだからね!!」

 もはや絶叫としか呼べないヒステリックな喚き声が投げつけられる。
 そうして彼女は、蹴り倒した椅子も食べかけのサンドイッチもそのままに、きびすを返し足早に食堂を出て行った。
 あまりと言えばあまりなその行動に、直人らを含めその場にいた人間は、唖然とその後姿を見送ってしまう。
 が、それもしばらくの間であった。
 やがて学生達は気をとり直したように、それぞれ自分の昼食へと意識を向けてゆく。
 周囲には再びざわめきが帰ってきて、数分も過ぎる頃には、食堂はいつもの雰囲気を取り戻していた。
 向けられる視線や緊張から開放されて、三人は内臓まで吐き出しそうな、深い深いため息をつく。

「…………ごめんねえ、河原くん。嫌な思いさせちゃって」

 涼子が、俯いた頭をいっそう深く下げた。続いて恵美も手のひらを合わせて合掌する。
「あの子ってさ、中学ぐらいから自分には霊感があるってまわりに言いふらしてる、一部で有名な霊能力少女だったのよ」
「あたし達もあの頃はそういうの大好きだったからさ。何度か体験談聞かせてもらったり、いっしょになってコックリさんやったりとかしてね。向こうからもお仲間だろうみたいな認定受けちゃってて」
「でも、ねえ」
 二人が互いに視線を合わせる。そうして同時にうなずきを交わした。
「うん。昔からちょっと大げさな物言いする子だったけど、あそこまですごかったかなあ」
「ずいぶん久しぶりだったから……あんなふうになってるとは思わなくって」
 二対の目が、同時に直人へと向けられる。
「ほんと、声かけてくれてありがとね」
「助かったわ」
「……ああ、いや。うん、もう良いよ」
 困った時はお互い様って言うし。こっちに何かあった時は、そっちが助けてよ。
 そう続けると、ようやくお互いに笑みがこぼれた。
 気がつけばもう、午後の講義まであまり時間が残っていない。冷たくなった食事の中から、こぼれた液体の被害に合わなかったものを選び出して、彼らはそれぞれ急いで口に運び始めた。
 固い飯を咀嚼しながら、直人はふと胸ポケットに入れている携帯電話へと注意を向ける。伸ばした指先に触れるのは、黒い組紐に金色の鈴がついた根付ストラップだ。
「……別に、信じてない訳じゃ、ないんだけどさ」
 無意識にそう、独りごちた。
 思い返すのは、去り際に残された捨て台詞。
 占いも、霊の存在も、信じているかいないかと訊かれれば、直人は『信じている』と返すしかない。
 この世の中には、現代科学で説明の付けられない理不尽で摩訶不思議な現象や存在が、確かにあるのだと。直人はこれまでの経験から、それこそ骨身に沁み入るほど『知って』いるのだ。
 もはや信じるとか信じないとか、そう言う段階ではない。
 自分自身がその目で見て、体験してきた現実なのだ。
 故に直人は、けして麻里が占い師に傾倒すること、それ自体を否定してはいない。
 その先生とやらが、確かに『本物』だという可能性も、充分に考えられるのだから。また仮に、実際は超常的な能力など持っていないのだとしても、その話術や相談に乗ってくれる真摯な姿勢によって、実際に救われる人間がいるのであれば、それはそれでやっぱり占い師として『正しい』在り方なのだと思う。
 けれど。
 はたして誰を信頼するのか。そもそも救いを求めたい時に、誰かに縋ることを選ぶのか。
 それを決めるのは、個人の自由意志であるべきだと、直人は思っている。他人に強制されて、その人間が薦める相手を無理矢理に選ばされるのは、間違っていはしないかと。

「そうよねえ」

 内心で考えていたことを肯定するかのようにうなずかれて、直人ははっと意識を現実に戻した。
 そんな彼へと涼子が苦笑いを向けている。
「お稲荷さんが、実際にいるんだもの。それはもう、なんだって信じるしかないわよ」
 どうやら今の同意は、最初に漏らした独り言に向けられたものらしかった。
 恵美がフォークをぴこぴこと揺らして遊んでいる。
「それでも河原くんに限っては、悪霊に取り憑かれるなんてこと、ありえないもんね」
 二人がそろって、はっきりきっぱりとうなずく。
「だってそれ、太郎丸さん達にもらった御守りなんでしょう?」
「絶対にないわー」
 太郎丸と次郎丸の加護を受けた護符を身に着けている限り、彼におかしなモノが近付けるとは思えない。それは霊などの存在を信じ、実在していることを前提にした上で出した、疑いようのない結論なのだった。
「そうなんだよな」
 直人自身も正にそう思ったからこそ、あの場で断言したのである。
 が ――
 直人は突然何かに気がついたように、数度まばたきをした。
「あ、もしかして……」
 どうかしたのかと二人の視線が集中する。しかし直人はそれには応えず、手のひらで口元を覆うと、もう片方の手で携帯電話を取り出し目を落とした。
 揺れる組紐の先で、黄金色の小鈴がチリンと涼やかな音を立てた。

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