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 竜神祀りゅうじんさい  きつね2
 第三章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 気を失っていたのは、そう長い時間ではないようだった。
 さほど遠くない場所から、人の話し声のようなものが聞こえてきて、直人はゆっくりと目を開いた。しばらく目に映っているものが何なのかを認識することができず、ぼんやりと視線をさまよわせる。
 ややあってから、ようやく自分がどこか暗い場所に横たえられているのだと悟った。
 身体の下にあるのは、固い感触。板張りの、むき出しの床だろうか。あたりは暗く、ほとんど様子が判らなかったが、どうやらひどく狭い場所に押し込められているようだ。
 顔のすぐそばに、板戸の隙間があり、そこから光が射し込んできている。
 身体を起こしてその隙間を広げようとし ―― 動けないことに気がついた。
「 ―― ッ?」
 両腕が、太い縄で後ろ手に縛られていた。暗くて見えないが、どうやら足の方も拘束されているらしい。おまけにご丁寧にも猿ぐつわが噛まされていて、声すら満足にたてられない状態だ。
 いったいこれは、どういう状況なのか。
 混乱した直人は、反射的にもがいていた。動いた身体の一部が壁に当たり、がたんと音を立てる。
 思わず息を呑んで、耳をすませた。
 何故かは判らないが、自分をこんな目に遭わせた人物が存在していて、そしていま扉ひとつ向こうから話し声が聞こえてきている。ならばその向こう側にいる人物こそが、直人をこうして捕らえた張本人なのだと、そう考えるのが自然ではないだろうか。
 とっさにそう思って神経を集中させた耳に届いたのは、しかしまったく予想外の声だった。

「 ―― え、なに? うん、また風が強くなってきたから、外でなにか倒れたんじゃないかな。うん、そう。雨? やだ、また雨降ってきたの?」

 かなり若い女性の、一方的なしゃべり。
 おそらくは直人よりもまだ若い、高校生か、下手をすると中学生かもしれない。そんな女の子の声だ。どうやら電話に向かって話しているらしく、しばらく言葉少なな相槌が続く。

「そりゃあ、あんた達は良いわよね! お祭り来て、屋台のぞいて遊んでるだけだもん。楽しいでしょうよ。こっちはさあ、びらびらしたの着せられて、厚化粧されて、大変だったんだから。暑いのよ? あの衣装!」

 少しぐらいなら、物音をたてても大丈夫そうだと判断して、直人は不自由な身体を懸命にずらした。肘を床につき、上体を支えて戸板の隙間へと片目を当てる。
 戸の向こうは、狭い板張りの小部屋だった。段ボールや木箱といった雑多なものが、そこここに乱雑に積み重ねられている。残されたわずかなスペースに鏡台が置かれており、その前に一人の少女が腰を下ろしていた。
 長い髪を後頭部でポニーテールに結び、Tシャツにジーンズという軽装で携帯電話へと話しかけている。傍らにある衣桁には、白と赤の着物が、無造作にひっかけられていた。

「……まあ確かにさ、お祭りで巫女やりましたーって言ったら、学校の受けも良いだろうし、男の子達の評判もあがるだろうけどさあ。うん、来年はゴメンだね。練習だけでも、マジ洒落になんないっての」

 パタパタと手のひらであおぎながらそう話しているのは、ほんのついさっき、見事な舞で直人を魅了した、あの巫女姫本人のようだった。
 その整った横顔には、先ほど見た面影が確かに存在している。

 しかし ――

 話されているその会話の内容に、直人は衝撃を受けていた。
 これが、あの見事な奉納舞を見せた巫女の、話す言葉だろうかと。

「ああ、うん ―― 着替えももう終わったから、あたしも合流するよ。ミホん家ね。え、おやつ? 判った、なんか買ってく。じゃぁ後でね」

 かすかな電子音と共に通話が切られる。
 そうして少女は、勢いをつけて鏡台の前から立ちあがった。横に置いていたのだろう、小さなポーチを手に、戸口へと向かう。
 呆然としていた直人は、とっさにそれを止めることもできず、少女が部屋を出ていくのをただ見送ることしかできなかった。がたりと音を立てて板戸が閉じられ、直人は一人その場に取り残される。
 確かに、と。
 思考の一部が冷静に形作る。
 今どき、祭りの巫女役など、持ちまわりで適当に割り振られていてもおかしくはない。あるいは『村一番の見目良い娘』などといった条件で選出される場合も多いだろう。そういった基準で選び出された巫女姫が、必ずしも信仰心あつい存在だとは限らない。むしろ祭りイコール楽しく遊べる行事、といった認識がほとんどだろう昨今では、面倒な仕事が押しつけられたと、そう感じられるのも当然かもしれない。
 それぐらいは、直人だって百も承知していた。いやどちらかといえば直人だとて、そう言った感覚の方がなじみ深いといえるだろう。たまたまこれまでの経験から、多少は神仏に対する敬虔な気持ちを持ち合わせてこそいるが、それでもやはり直人にとっても、祭りとはあくまで『お祭り』にすぎないのだ。
 それなのに、自分は何故こんなにも衝撃を受けているのだろう。
 そう己に問いかける。

『いまどきの、若い方には ―― 』

 耳の奥によみがえるのは、祭りの縁起を語ってくれたおかみさんの、苦いものを含んだ口調。
 そう、あれがあったからこそ、直人はこの『海神祭』に対して、常以上の思い入れをしてしまったのではなかったか。
 この祭りは、確かな信仰心に裏づけられた、文字通りの『祀り』であるのだと。
 竜神を讃え、畏れ、その恵みをこいねがう、紛れもなき祭祀であるのだと ――

 突然、板戸が音を立てた。
 乱暴に引き開けられた戸の透き間から、まばゆい明かりが流れ込んでくる。
「 ―― ッ!?」
 己の思考に沈み込んでいた直人は、人が近付いていたことに、まったく気づいていなかった。まぶしさに目を細めながら、かがみ込んでくる人影を見上げる。

「……なんや、もう気ィついとったんか」

 意外そうにそう口にしたのは、見覚えのある初老の男だった。
 よく陽に焼けた人好きのする顔立ちに、作業着姿 ―― 昨日直人を民宿まで案内してくれた、漁師のベンさんだ。
「眠ったままの方が良かったでしょうに。ちょっこ、加減しすぎなったんじゃないですか?」
 その肩越しにのぞき込んできたのは、ほかでもない、民宿のおかみである。
 いったいこれは、どういう状況なのか。
 口を塞がれていなければ、直人は声を大にして問いかけていただろう。実際、二言三言発そうとしたのだが、猿轡に邪魔をされて、くぐもった呻きにしかなりはしなかった。
 せめてもの意志表示にと、にらむように見上げる直人を、二人は哀れむような眼差しで見下ろしてくる。
「やあ、すまんねえ、アンちゃん。これも町のため、竜神様のためなんだわ。あきらめてや」
「……ッ」
 だからいったい、どういうことなのか。
 うなり声を上げてもがく直人を、男は小部屋へと引きずり出した。
 どうやら直人が閉じこめられていたのは、納戸かなにかだったらしい。暴れたはずみに振り返れば、室内にあるのと同じような木箱や段ボールの収められているのが目に入る。それらを取り出した隙間に、放り込まれていたらしい。
「じゃあ、そっち頼むよ」
 男が直人の肩を支え、おかみが足の方へとまわった。とっさに振り回した両足が、積んであった木箱を蹴り崩す。
 きゃっ、と悲鳴をあげて、おかみが身をひいた。途端に、肩を掴む指が力を増す。
「……大人しくしてねえと、また気絶させるぜ」
 低いその声音に、ぞっと背筋が冷たくなる。
 これは冗談でもなんでもない。紛れもない本気の行為なのだと、思い知らされたのだ。
 逆らえば、なにをされるか判らない。突きつけられたその恐怖に、全身が固くこわばる。
 動きを止めた直人に満足したのか、二人は改めて直人の身体を持ち上げた。半ば床に引きずるようにして、小部屋から外へと運び出す。
 暗い木造の廊下を運ばれながら、直人は懸命にあたりへと視線を投げかけた。
 誰か助けてくれる人間が現れないかという淡い期待と、ここがどこなのかという手がかりを求めて、せわしなく首を巡らせる。
 薄暗い、そこここに闇のわだかまるような古い廊下。耳をすませば、激しい雨の音がしていることに気付く。風もかなり強くなっているようで、時おり物の倒れるような音が聞こえてきた。どうやらいったん収まっていた風雨が、再びぶり返したらしい。
 二度ほど角を曲がると、人影が現れた。期待に目を輝かせたのもつかの間。その人物は、ああと親しげに声をかけてくる。
「遅かったじゃないか」
「いやなに、ちょっと暴れたもんでな」
「なんだ、起きてたのか」
 昼寝から覚めていたのか、と言うのとまるで変わらない、ごく軽い口調。
 直人を運んでいる漁師と変わらない年頃のその男は、両手が塞がっている二人に代わり、行く手の板戸を開いてやった。それから二人に手を貸し、直人を室内へと運び込む。
「おお、お疲れさん」
「ひとまず、宵宮が無事にすんで、まずは何より」
 障子の向こうには、十名前後の人々が待ちかねたように集まっていた。輪をえがくように車座になって板敷きに座り、仕出しの肴を囲んで、酒など酌み交わしている。みなそこそこ年を重ねた、年輩の男女ばかりだ。どう見ても、祭りの終了を祝って呑んでいる、世話役達といったところだ。
 ―― が、彼らは縛り上げられている直人を目にしても、まるで驚くでなく、むしろどこか品定めするかのような視線すら投げかけてきた。
「ほう、これが今年の……?」
「またずいぶんと若い。 ―― も、お喜びなさるだろうて」
「今年は急な雨で、余所からの客がすっかりなくなって。どうなることかと心配したが」
「いや、ベンさんも良いのを見つけてきてくれた」
 ひそひそぼそぼそと、そんなささやきが交わされる。
 嫌な予感 ―― などというものを感じるには、すでに遅すぎるほどのひどい目に遭わされているのだが ―― に、直人は懸命に身を小さくしようとした。無論、そんな真似などしてみても、この場から消えてなくなることができようはずもない。
「さて。それじゃあ、さっさと済ませてしまうかね」
 一人がそんなふうに促すと、一同は杯を置いてどやどやと立ち上がった。そうして壁の一方をむいて、口を閉ざす。
 つられるようにそちらに目をやった直人は、見覚えのある鉾を目にして、息を呑み込んだ。
 そちらには、一段高い場所に祭壇がしつらえられていた。純白の一枚布がかけられた上に台座を置き、金色の鉾が横たえられている。裸電球の光を浴びて、それでも美しく輝く幅広の穂先。刀身の根本をぐるりと取り囲むように、大ぶりの鈴が幾重にも吊り下げられている。
 夕刻、あの巫女が舞に使用していた宝鈴だ。どうやら神宝 ―― あるいは御神体として祀られているらしい。ならばここは、あの神社の中なのか。
 一同は黄金の鉾を前にこうべを垂れると、柏手を打った。そうしてもう一度深くこうべを垂れると、祭壇にかけてある白布へと手を伸ばす。
 大きくめくり上げられた布の下、床板を切り込むように隠し扉が存在していた。表面に手がかりになる取っ手の類はついていなかったが、男の一人が曲がった棒を差し込むと、簡単に持ち上がる。
「よし。誰か明かりを」
 数名が懐中電灯を手に、暗い穴の中へと降りていった。
 それから直人の番だ。先ほどまでと同じように、頭と足をそれぞれに持ち上げられて、穴の方へと運ばれてゆく。
「落っことされたくなかったら、暴れるんじゃねえぞ」
 耳元でささやかれた言葉には、それでも構わないという意思がにじんでいるように聞こえた。もちろんのこと、それを確認してみようなどという気は起こらない。
 できるだけ相手を刺激せぬよう、身動きを最小限にするべく努力する直人を、男達は無造作とも言える手つきで穴の中へと押し込んだのだった。


*  *  *


 床に開けられた穴をくぐると、暗い石段が地の底へと続いていた。
 明かりひとつ存在しないそこを、前に立つ者が照らす懐中電灯の光を頼りに降りてゆく。
 不安定に揺れる灯りが見せるのは、不規則な表面を持つ湿った岩肌だった。黒っぽい表面がにじみ出す水滴で濡れ、不気味に光っている。おそらく自然にできたか、それに手を加えた程度の穴なのだろう。天井はかなり低く、みな背中を丸めるような姿勢になっている。
 ひんやりとした空気が充満しており、時おりぽつりと雫の垂れる音も聞こえてきた。
「…………」
 穴に入ってからは、誰ひとりとして口をきこうとはしない。重い沈黙があたりを支配している。
 足元も濡れているのだろう。進む足取りはひどくゆっくりしたものだった。一歩一歩足場を確かめるように降りてゆくなか、直人の頭を支えていた男がずるりと足を滑らせる。
 危うく岩に叩きつけられそうになって、直人は声にならない悲鳴を漏らした。猿轡に遮られ形にならなかったそれとは別に、人々が口々にとがめの言葉を投げつける。
「おい、気をつけろ」
 低く押し殺した、どこか周囲をはばかるかのような口調。
 ほんのつい先刻、社の中にいた時までの、場違いなほど落ち着いた態度とは裏腹な、ひどく真剣な……なにかを怖れているようにすら感じさせる、その声音。
 人ひとりを不法に拘束し、何かは判らないがよからぬ目的に使おうとしているのだ。後ろめたく感じるのは、人として当然のことだろう。だが、先ほどまでの彼らには、そういった引け目のようなものはまるで感じられなかった。直人に向けられていたのは、罪悪感などではなく、あくまで品物を検分するかのような事務的な目だった。すまない、と口にした『ベンさん』でさえ、そこに込められていたのは形骸的なものと、わずかばかりの哀れみに過ぎなかったのだ。
 それが、この岩穴を進んでゆくにつれ、彼らの間に言葉にならない緊張が高まっていくように思われた。
 直人もまた、先の判らない恐怖に、心臓の鼓動が早まってゆくのを感じる。
 いったい、彼らは何をしようとしているのか。
 ……正直を言えば、なんとなくの予想はつき始めていた。
 祀り。竜神の伝説。三百年前、岬から身を投げたという巫女姫。
 現在もなお、意味をもって伝えられる祭祀はあるのだと。この世に不思議は、確かに実在しているのだと。身をもってそう断言できる直人だからこそ、見えてくるものはあったのだ。
 しかし、信じたくないと言う気持ちの方がはるかに大きかった。
 あるいはそれは、降りかかる恐怖から目をそらそうとする、現実逃避の意味合いが大きかったかもしれない。
 ―― まさか、そんな時代錯誤の行為を。
 ―― まさか、通りすがりの自分を捕まえて。
 そう否定する端から、しかし現在の状況が否定の言葉をさらに打ち消してゆく。
 時代錯誤の行為なら、自分だって、友人達だって、これまでずいぶんとしてきたではないか。
 通りすがりの自分。この土地にはなんの関わりもない第三者。だからこそ、自分が選ばれたのではないのか?


 胸の中、心臓が激しい鼓動で打ちつける。
 かちかちと、猿轡の奥で歯が固い音を立てている。
 止めようのないそれを、情けないと自嘲することすらできなかった。


 行く手の方向から、潮の香りを含んだ風が激しく吹きつけてくる。


 ―― 岩穴の終点が、ぽっかりと丸く切り取られたように大きく口を開けていた。

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