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 竜神祀りゅうじんさい  きつね2
 第二章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 翌日も、朝から雨が降り続けていた ―― らしい。
 夕食が運ばれるまでの間、半端にうたた寝してしまったせいだろうか。疲れているのにもかかわらず、昨夜は奇妙に眠りが浅く、妙な夢を見ては幾度も夜中に目を覚まし、寝返りをうつ羽目になっていた。
 それは夜半を過ぎるにしたがって、じょじょに強くなる波と雨風の音が耳についてしまったせいもあるのだろう。海辺で育った人間などは、潮騒が聞こえないと逆に落ち着かないといった話も聞いたりもするが、普通に内陸育ちの彼にとってそれらは、一度気になるとどうにも無視できなくなってしまう代物だった。ようやくまともに眠ることができたのは、もう明け方も近くなってからではなかろうか。
 そして……
 目を覚ました直人は、唸り声をあげながら上体を起こした。生あくびをかみ殺し、目を幾度もこする。
 なんだか、少しも疲れが取れていないような気がした。パジャマ代わりのTシャツが、汗を吸ってじっとり湿っている。よほど寝苦しかったのか、掛け布団もはねとばしていたようで、身体の脇で丸まってしまっていた。
「……うー、頭痛え……」
 痛いと言うよりむしろ重たく感じられる頭を抱え、しばらく布団の上でうずくまる。
 いったいいまは何時頃だろうか。手を伸ばして枕元に置いていた携帯をまさぐった。
 薄暗い中で開いた画面は、何故か真っ黒だ。
 ヤバイ、充電切れか!? と焦って電源ボタンを押すと、すぐに画面は生き返った。ほっとしたのもつかの間、表示された時刻に我が目を疑う。
 液晶に表示されたデジタル時計は、現在が17:42であることを示していた。
「……えっ……と」
 とりあえず三回ほど画面を見直して、それからぐるりと室内を見まわす。
 障子を閉め切られた窓からの光は、あるかなきかというほどに薄暗い。夏場のその時刻にしてみれば暗すぎるとも言えるが、天候のせいか昨日もこれぐらいの時間にはもう明かりが必要になっていた。布団から立ちあがり、廊下に繋がる襖をひき開ける。
 ちょうど、歩いていたおかみさんと目があった。
「ああ、目ェお覚めになりましたか?」
 ちょっと困ったような笑顔で、そんなふうに問いかけてくる。
「あ、あの……」
 寝起きの頭はまだぼんやりとしていて、うまく言葉が出てこない。
 もごもごと口ごもる直人に、おかみさんは心配げな眼差しを向けてきた。
「何度も声をおかけしたんですけど、ちっとも起きられませんで……お熱なんかはないようでしたけん……」
 どうやら起こされても起きなかったため、困らせていたらしい。
 直人は顔面に血の気が昇ってくるのを感じた。おそらく首から上は真っ赤になっているだろう。
「す、すみませ……ッ」
 頭を下げて平謝りに謝る。
 飛び込みで泊めてもらった上に、朝になってもチェックアウトするどころか、丸一日居座ってしまったのだ。ひたすら迷惑な客だろう。
「いぃええ。お疲れだったんでしょうし。身体がどうもないんでしたら、よかったですわ」
 おかみさんはそう言って笑ってくれるが、直人としてはもう、穴があったら入りたい心境だ。
「あ、あの、それで……バスとか電車は」
「ええ、電車の方は、昼過ぎからまた動くようになったそうですよ。ただ、この時間からですと、ちょっと……」
 そこで言葉を切る。
 確かにもう、出立するには遅すぎる時間だ。だいいちいま起きたばかりでは、なんの準備もできていない。とすると、このままもう一泊する以外に取る道はないわけで。
「す、すみません。今夜も、もう一晩」
 お世話になります、と頭を下げかけた直人の腹が、盛大な音を立てた。

「…………」

 なんとも居心地の悪い沈黙が落ちる。
 考えてみれば、昨日の夕食から丸一日なにも食べていないのだ。空腹になっているのは当前のことなのだが。
 なんでよりによってこのタイミングで……
 もはや泣きそうになっている直人の前で、おかみさんが豪快に笑い出した。
「ちょっと早いですけど、夕飯ご用意しますけんねえ」
 そうやって笑い飛ばしてもらえると、直人の方もむしろ気が楽になる。
 お願いしますと改めて頭を下げて、部屋へと戻った。そうしておかみさんが戻ってくる前に、急いで身支度を整える。
 とにかく、明日はこんな醜態をさらさずにすむよう、携帯電話の目覚ましをきっちりセットした。荷物の方も、明日の着替えを一番上にしてしっかりとまとめる。これで目が覚めたら、即座に着替えて出発できるはずだ。
「……それにしても、大丈夫かこいつ」
 手の中の携帯を見下ろして、ふと不安になる。昨夜わざわざ電源を切った覚えはなかった。さすがにいつ家族から連絡があるか判らない今の状況で、そんな真似をするほど愚かではない。充電はまだちゃんと残っているようだが、勝手に電源が落ちているとなると、それもかなりあやしかった。購入して確か二年余りがたつ。あるいはそろそろ買い替えどきなのだろうか。
 まあどちらにせよ、いまはこれを頼りにするしかない。
 ぱたりと音を立てて画面をたたみ、ポケットへとしまい込む。
 無意識の仕草で押さえた手のひらの下、根付けについた鈴がりんと小さく鳴った。


*  *  *


 見上げた空には、相変わらず低く雲がたれ込めていた。
 地面を見下ろしてみれば、そこここに大きな水たまりができていて、足を下ろすはしから雫が散り、ズボンの裾を濡らしてゆく。
 朝から降り続いた雨が、つかの間その訪れを控えた夕暮れどき。
 風は未だ重い湿気をはらんでおり、岩場に打ち寄せる波は白い水泡みなわを伴っている。
 暗雲の中を、時おり青白い閃光がよぎっていった。
 わずかな間をおいて、ずんと腹に響くとどろきが大気を震わせる。

「……こんな天気で、ほんとにお祭りやるんですか」

 思わず首をすくめたあとそう問いかけた直人に、隣を歩いていたおかみさんは、にこりと笑って答えた。
「こんなお天気だからこそ、やりますんよ」
「はあ……」
「海の神様に、これ以上ひどいお天気にならないように。海が荒れて魚が獲れなくなったり、溺れて命を落とす人が出ないようにって、そうお願いするんです」
 いまどきの若い方には、馬鹿馬鹿しいって思えるのかもしれませんけどねえ。
 そう続けて、笑顔をわずかに苦いものに変える。
「いえ! 馬鹿馬鹿しいなんて、そういうことは思わないですけどっ」
 直人はとっさに拳を握ると、全力でその言葉を否定していた。
 こと神様が関わる事柄について、そんなもの迷信だと気軽に言い放つことなど、彼にできようはずもなかった。
 なにしろ、これまでにしてきた経験が経験である。
 なるほど確かにそう言われてみれば、『祭り』とは『祀り』のことだ。供物を捧げたり楽を奏することによって、神霊を慰め、その霊威を崇め奉る儀式のことだ。
 そう、それはけして人々が集まって、ただ浮かれ騒ぐための行事ではない。ならばたかが雨が降ったぐらいのことで、簡単にとりやめられる類のものでもないはずだ。
「えっと、その海神様って、いったいどんな神様なんですか」
 岬に建つという社へ向かう道を歩きながら、直人は改めてそう尋ねてみた。
 これから海神様のお祭りがあるから、せっかくだから見に行ってみませんか、と。早めの夕食を終えたあと、さて残りの時間をどう過ごそうかと思案していたところにそう誘われた直人は、一も二もなく宿を出てきていた、だが肝心の祭りについてはまったく知らないでいることに、今さらながら気づく。
 丸一日寝ていたせいで、頭の奥にはまだ鈍い痛みが残っていた。外の空気が吸えるのはかなりありがたかったし、それに……昨夜に引き続き、今夜もこの土地に泊まるのであれば、地元の神様に挨拶ぐらいはしておいた方が良いように思う。
 地元の神様に挨拶する。そんな発想を直人が持ってしまうのは、高校時代から見聞きしてきた、様々な事柄が根底にあった。
 嘘のような、本当の話。とっくの昔に迷信だと一顧だにされなくなってしまったような、『神』や『妖怪』、『幽霊』といった摩訶不思議な存在が、時として実際に自身へと関わってくることもあり得るのだという、理不尽とも言える現実。それを彼は、確かに知っていたから。
 故に直人は、その土地その土地に存在する『神仏』に対して、礼儀知らずな態度をとることができないでいる。たとえ自分は通りすがりの余所者にすぎないのだとしても ―― いや、事情を知らない余所者であるからこそ、いっそうに ―― 禁忌に触れるような真似はしたくないと、そう思っている。
 だからこそ彼は、下宿近くにある寂れた稲荷社いなりやしろにも参拝を続けていたのだし、また先日まで泊まっていた山間の民家でも、近くにあった小さな祠に挨拶をし、心ばかりの供え物を置いていた。
 たとえ別の神様の信者であったとしても、顔見せをして、祭りを眺めるぐらいはしておいたほうが、きっといい。
 そんなふうに考えて出てきたは良かったが、よく考えてみれば、肝心のここの神様について知っていることと言うと、駅前で見た広告の、祭りの日時だけなのだ。さすがにそれは失礼すぎるというものだろう。
「海の神様っていっても、いろいろありますよね。古事記とか日本書紀とかにもたくさん出てくるし」
 直人とてさほど詳しいわけではなかったが、それでも友人の影響で多少の知識は持っていた。……下手にそういったことに関わりを持ちたくないが為に、転ばぬ先の杖的な考えで調べていった結果、半端に覚えてしまったというのがその理由なのだが。
 海の神様というと、確か古事記の最初の方に、ずらずらと列記されていたような ――
 記憶を辿ろうとする直人に、おかみさんは苦笑して手を振った。
「いえね、そんな大層な名前のある神様じゃないんですよ。私達はただ、竜神様ってお呼びしとります」
「ああ、竜なんですね」
 水を司る神様として、竜神はもっともポピュラーな存在だろう。
「ええ。昔このへんでは潮の流れが複雑なせいで、漁に出た船が帰らないなんてことも多かったんだそうです。それに夏になれば嵐で海が荒れて、毎年みたいに津波で家が流されたり、雨で山が崩れたり、ほんに大変だったとかで」
 襲いくる災害を前に、少しでもそれを和らげようと、名を与え、神格化し、祭祀を執り行う。それはいつの時代、どこの地方でも繰り返し行われてきたことだ。
「300年前のことと伝えられてますか ―― その年は特に時化しけ続きで、舟は漁に出られないし、街道もすっかり崩れて外との行き来さえできなくなって、あとはもう村ごとまとめて飢え死にするか、波にさらわれて死ぬしかないというところまで追いつめられたんですって。それで、村の巫女が竜神様にお祈りしたんです」
 どうか己のこの身と引き替えに、村をお救い下さいませ、と。
「巫女は岬から海に身を投げて、哀れに思し召した竜神様が、村を嵐や津波からお守りして下さるようになった、いうわけです」
「なるほど……」
 良くある類型タイプの話ですね、とはさすがに口にしなかった。まあ、おおむね良く聞く典型的なパターンの伝説だろう。
 橋を架けるために人柱を立てたとか、雨乞いのために生け贄をささげたとか、そういった類の説話は全国どこででも聞かれるものだ。それが単なる昔話なのか、それとも過去に起きた何らかの事象がその根底に存在しているのか。それは今となっては容易に確かめようもないことだったが。
 それでも、中には確かに、過去に実際あった出来事を、現在に伝えている物語も存在しているのだ、と。
 直人はそう知っているが故に、軽々しい感想を漏らすことはしなかった。
 短い相槌をどう受け取ったのか、おかみさんはもう一度笑みを浮かべると、腕を伸ばし行く手を指し示した。
「ほら、あれが海神様と巫女姫を祀るお社です」
 告げられるままに視線を向ければ、これまで辿ってきた海沿いに伸びる岩場の突き当たりから、木立の中へと登ってゆく細い道が見える。そのまま上へと顔を上げれば、木々の合間に朱塗りの鳥居がそびえていた。
 風に乗って聞こえてくるのは、笛と太鼓の祭囃子。
 かすかに重なるざわめきは、集う人々の話し声か、それとも海から届く潮騒か ――


 やしろは、海に突き出た岬の突端に建てられていた。
 暗雲に覆われた空と、鈍色にびいろに沈む海を背景に、木造の社はどこか影絵のような風情で黒く浮かび上がっている。
 手前には、舞台のように広く板の間がしつらえられており、左右には赤々と燃える篝火がふたつずつ。
 あたりに流れる祭囃子は、社の奥から聞こえてくるのだろうか。
 境内には思った以上の人出があった。わずかな雨の晴れ間のこと、訪れる人は少ないだろうと思われたのだが、それでもいくつかの屋台が並び、人々がさざめきながらそれらをのぞいている。
「今年は余所からのお客さまがおられませんけん、地元のモンばかりになってしまいましたけど……」
「じゃあ、いつもはもっと賑やかなんですか?」
 なんとなく、普段自分が出入りしている稲荷社を思い浮かべていたせいか、直人の目にはこれでも充分にぎわっているように見えた。
「ええ。最近は巫女舞を見に、遠くからも来てごしなさる方がありましてねえ」
 本当なら直人が泊まっていた部屋も、そういった客が予約していたのだという。
「へえ、巫女舞かあ」
 それはちょっと楽しみかもしれない。
 期待に胸を躍らせながら舞台に目をやると、折良く囃子の調子が変わった。笛の音が小さくなり、腹に響く太鼓が繰り返し鳴らされる。
 それに誘われるように、境内に散っていた人々が舞台の周囲へと集まり始めた。直人とおかみさんもまた、人の流れに導かれるまま舞台の正面へと位置を定める。
 太鼓の音が、じょじょに間隔を狭めてゆく。
 絡みつくのは、甲高い和笛の長い響き。
 人々のざわめきが、潮が引くように消えてゆく。
 社の扉が、音もなく開かれた。
 暗い社の中に、白く浮かび上がる人影がある。衆人が見守る中その人物は、ゆっくりとなめらかな足取りで姿を現した。
 烏帽子をかぶり、白い単衣と緋袴を身にまとった、巫女装束の少女。
 両腕を肩に回し、たっぷりとした袖で全身を包み込むようにしている。
「槍……?」
 袖の内に抱きしめている、金属でできた長い何か。揺れる篝火の炎を映して金色に光るそれは、先端に刃をつけた長柄の武器のように見えた。

 どぉん

 ひときわ大きく打ち鳴らされた太鼓に、誰もが一瞬びくりと身をすくめる。
 巫女姫が、伏せていた面をゆっくりと上げる。
 雪白の面差しは、端正に整っていた。切れ長の瞳をさらに際だたせるかのように、目尻に鮮やかな紅が差されている。
 透明なその眼差しが眺めているのは、けして舞台を囲む観衆の姿ではないのだろう。
 袖が広げられるにつれ、しゃらしゃらと澄んだ響きがあたりへとこぼれ落ちる。
 巫女姫が手にしていたのは、槍ではなかった。大人の身長ほども長さのある、ほこだ。鋭い穂先の根本をぐるりと取り囲むように、幾重にも鈴が取りつけられている。
 鉾が動くたびに鈴が揺れ、涼やかな音を奏でてゆく。
 袖で包むようにして鉾を掲げた巫女が、つい、と足を踏み出した。
 先刻までの雨で濡れそぼった舞台に、篝火の炎と鈴の光が反射して、幻想的な輝きを作り出す。

 しゃりん

 鈴の音が、夜の大気に響きわたる。

 ふわり

 風に乗って翻る袖が、白い残像を目に焼きつける。

 祭囃子と篝火の炎。
 暮れかけた空には時おり稲光が走り、一瞬をおいて腹の底を震わせる雷鳴がとどろく。
 社の向こう、どこまでも広がる海は白い波頭を岸壁へと叩きつけ、海面近くでは、砕け散る水泡が飽きることなく岩肌を洗っているのだろう。
 それらを背景に、無心に舞う、竜神の巫女。

 ―― 巫女舞とは、神に捧げる舞楽のことだ。

 その美しさをもちて神に祈りを奉り、その怒りを鎮め慰めるために為されるもの。

 ただ神のためにのみ捧げられる、神のためだけの、舞 ――

 直人はただ、声もなくその舞姿を見つめていた。
 綺麗だ、と。
 そんなふうに思うことすらも、意識のごく片隅での、わずかな動きに過ぎず。
 彼はただ、荘厳なその光景を、両の目に焼きつけるかのように立ち尽くすだけで。


 ―― やがて。
 気がつけば巫女は舞を終え、再び社の中へとその姿を消していた。
 人々もまた少しずつ散り始め、舞台のまわりにはもうほとんど誰も残っていない。
「…………」
 直人は小さく息を吐いて、舞台の手すりに寄りかかった。
 濡れた木に触れたその感触が、ひどく遠いもののように感じられる。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ。ちょっと人に当たったのかも」
 少し休めば大丈夫ですから、と告げると、おかみさんは境内の片隅へと直人を案内してくれた。
 ほとんど本殿の影となっているそこには、屋台なども出ていないおかげで、人影はまったく見られなかった。境内を囲む木立にさえぎられるせいか、人々の放つ喧噪もどこか遠い。
 ちょうどいい具合に、座るのに手頃な大きさの石が、いくつも転がっていた。そのひとつに直人を腰かけさせると、おかみさんは心配げにのぞきこんでくる。
「なにか、冷たいものでも買ってきましょうかね」
「いえ、ほんとに大丈夫ですから」
 気遣ってくれるのはありがたいが、正直を言うと、そっとしておいてほしかった。
 屋台目指して足早に離れる後姿を見送って、ほうとため息をつく。それから眼鏡をはずすと、両目を閉じてこめかみを強く押さえた。
 目の奥に、重い塊があるかのような鈍痛が続いていた。外の空気を吸えば治るかと思っていたのだが、どうもそう簡単には収まってくれないらしい。いままで寝過ぎたことはあっても、ここまで頭が痛むことはなかったのだが。
 やはり、疲れが溜まっているのだろうか。
 そうやって目を閉じていると、暗い目蓋の裏にさっき見たばかりの巫女舞が蘇ってくる。
 鉾を飾る幾つもの鈴 ―― ひるがえる黒髪と、篝火を映す単衣の白 ―― 鮮やかに浮かびあがるのは、唇と目元を彩る、べにの赤 ――
 閉じた目蓋すらも通して、一瞬青白い閃光が網膜を染める。
 はっと目を開ければ、大地すらをも震わせる、神鳴りのとどろき。
 首を曲げて空を見上げると、紫電が泳ぐように暗雲の中をよぎってゆく。

「 ―――― 」

 ああ、なるほど。
 ふいにそう思った。
 たれ込める雲の合間をゆく、これは確かに光の竜だ、と。

 そうして、次の瞬間。
 直人は後頭部に激しい衝撃を感じた。
 それは何の前触れも、また痛みすらももたらすことはなく。
 まったくの無防備だったところに加えられた一撃は、ただ直人の意識を容赦なく、現実から引きはがそうとした。
 がくり、と。
 とっさに立ちあがろうとした膝から、力が抜ける。

「…………ッ」

 座っていた石から地面へと崩れ落ちる間に、ぶれたように揺れる視界の中を、誰かの靴がよぎっていった。
 薄汚れたゴム製の長靴を、奇妙に見覚えがある、と。
 そう感じる意識さえもが、遠く ――

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