<<Back  List  Next>>
 きつね  終 章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 およそ二週間ぶりに顔を出すこととなった大学では、後期の日程が本格的に動きはじめ、夏休みから試験、秋休みにかけてみられた騒がしさも、ようやく落ちつきを見せてきているところだった。
 わずか数分とはいえゲドウにとり憑かれた影響は、たとえその大本が滅びても消えることはなく。結果として直人は、あのあと四十度近い高熱を出し、結果、週明けから始まったせっかくの秋休みがすぎてしまうまで、完全に寝込む羽目になってしまった。親元を離れての一人暮らしなのでかなり不自由な思いをしもしたが、それでも何とか復活し、今は休みが終わってもなおしばらく休んでいた間のノートを、図書館で写させてもらっている次第である。
 ノートと机にかぶりつくような格好でペンを走らせる直人のまわりでは、ノートを提供している恵美と涼子、靖司が机を囲んでいる。それから何故か、太郎丸と次郎丸も。
 しばらくして、写すのに一段落つけた直人がようやく顔を上げた。大きく息をついてペンを置くと、クキクキ首を鳴らす。と、その目の前に、ぬっと缶がつき出された。
「飲むか?」
「あ、うん」
 うなずいて受け取る。この残暑厳しい時期にほかほかと温かいそれは、おしるこドリンクであった。一体どこでどうやって手に入れたのか、行儀悪く机に直接腰を下ろしている次郎丸は、自らも飲みかけのその缶を手にしている。
 ―― どうやら気に入ったらしい。
 熱いうえに甘ったるいそれをちびちびとすすりながら、直人は上目遣いになって黒ずくめの男を見上げた。
「で、何であんたらがここにいるんだ?」
 ノートを写し始めたところでいきなり現れて、邪魔をする気はないから、まずは先にやるべきことをやってしまえときたものだ。……そこで素直に続きをやってしまった、直人も直人だが。ちなみに残りの3人は、親しく声をかけるわけにもいかず、さりとて立ち去ることもできないで、沈黙のなかずっと気まずい視線を交わしあっていた。
「お前が回復したと聞いて、会いに来た」
 次郎丸が、褐色の頬にニッと笑みを浮かべる。その言葉遣いは、初めて会った時と同じように、ごく普通のものだった。瞳の形も歯並びも、普通の人間とまるで変わらない。そうしていると彼が人間ではないと ―― かつては神と呼ばれたこともある存在だとは、とても思えなかった。もっともボサボサの長髪と季節をわきまえないコート、上から下まで自前の肌を含めて黒ずくめというその姿は、相変わらずくそ怪しいものではあったが。
「貴方の体内に残されていた瘴気しょうきは、かなり濃いいものでしたから。我々でも全ては浄化しきれなくて、辛い思いをさせてしまいましたね」
「いや、そんな」
 浄化なんてしてくれていたとは知らなかった。直人にしてみれば、燃える社を見ている内に気を失ってしまい、気が付いた時には自宅のベッドの上でうなっていたのだ。社を燃やし、契約を終えた彼らは、とうの昔にどこかへ行ってしまったものとばかり思っていた、まさか自分に気を使って、会いになど来てくれるとは。
「俺ならもう大丈夫。全然平気だから」
「そうですか」
 太郎丸がうなずく。こちらはきちんと椅子に座っていた。深く足を組み、机に肘を置いて、すっかりくつろいでいるようだ。次郎丸に比べると、彼の方がまだまともに見える。雰囲気と物腰がきちんとしているせいだろう。だが日本人離れした美貌と服装のおかげで、結局は同じことだった。ちらちらとあちこちから投げられる視線が肌に痛い。
「二人とも、まだここにいるなんて思わなかったよ。契約がすんだんだから、すぐにどっか行ってしまったと思ってた」
「まぁな。久しぶりの自由だから、あちこち行ってみたぞ。知り合いにも会いたかったしな」
「二人いっしょに心置きなく動けるというのは良いですね。神力が充分に残されていた頃でも、やはりそうそう社を空けることはできませんでしたから」
 確かに、ただの神社ならともかく、ゲドウの封印を放ったらかしにして遊びに行くという訳にはゆくまい。
「だが、これからは楽なものだ。せいぜい楽しくやらせてもらうさ」
 次郎丸が、大げさに肩をそびやかした。その仕草に、直人はさびしさを覚える。これで本当にお別れだ。この二週間布団の中で、きちんと別れを言えないままに気を失ってしまったことを、ずっと後悔していた。けれどこうして彼らが会いに来てくれたおかげで、今度こそちゃんと言うことができる。守ってくれたお礼と別れの言葉。それから……
 言うべき文句を頭の中で組み立てていた直人は、上体をかがめた次郎丸にいきなり顔をのぞき込まれた。急に間近に現れた顔に、ぎょっと身をひく。きらきらと生気に満ちて輝く金茶の目が、にこーっと糸のように細められた。
「これからも、よろしく頼むな」
「はぁ?」
 思いもかけなかった台詞を言われて、直人はきょとんと目をしばたたいた。言おうと思っていた言葉が、頭からきれいに抜け落ちる。
「新たな契約を結ぶんですよ」
 言葉の足りない次郎丸に、太郎丸が補足を入れた。
「我々が用済みの社を燃やしてしまったでしょう? どうやらあれが、不心得者の放火と勘違いされてしまったらしいんです。で、これではいかんと考えた人間がいまして」
「再建されることになった訳だ」
「さい、けん?」
「そう」
 二つの首が同時にうなずく。
 そんな……そんなことがあってもいいのだろうか。
「だ、だって、もうゲドウ……いないのに……」
 ぽかんとしている直人に代わり、それまで小さくなって話を聞いていた涼子が言う。応じて太郎丸が鼻を鳴らした。
「再建を言い出した人達は、最初からゲドウのことなんて知りませんよ。要は神社が燃やされた、という事実が問題なんですから」
 これまで見むきもしていなかったくせに、勝手な話ではある。
「商売繁盛と厄除け、あと学業成就で勧請するそうだ。ま、稲荷神社としては、典型的だな」
 しょせん神とは、人間が人間のために祀るもの。神の方の都合などお構いなしだということが、実によく判る一例だ。
「で、結ぶんだ。契約」
 長い沈黙のあとに、直人がつぶやく。そんな本来の社の意味もわきまえないいい加減な契約を、彼らは本当に受けようと言うのか。そもそもそれが契約だとさえ、認識していないであろうやからを相手に。
「このままふらふらしているよりは、面白いだろうよ」
「けど……」
 あっさりとした次郎丸の言いように、直人の方が懸念を覚える。
 人間は、神のことなど、いとも簡単に忘れてしまう生き物だ。下手に祀られても、それに縛られ辛い想いをするのは、神々の方。他でもない彼らこそが、誰よりもそれを承知しているであろうに。
 直人が考えていることを察して、太郎丸が微笑んだ。判っていますよとばかりに直人を見る。
「祈りを捧げる者に対し、見返りを与えるのが神としての努めです」
 言って、一度口を閉ざす。そして机に両肘をついて指を組み合わせ、その手の上でにっこりと笑ってみせた。細められた金茶の瞳は ―― かけらも笑っていない。
「祈りを捧げる者に対してだけ、ね」
 そうでない者など知ったことか。
 きっぱりと言いきる。
 神など信じないと言うのなら、勝手にしろ。苦しい時だけ頼みに来たところで、御利益などくれてやらない。契約のことを知ろうと知るまいと、自分達が加護を与えるのは、正しい祀りを行う相手に対してだけだ。その他のやからにむざむざ縛られなんぞ、誰がしてやるものか。
「な、なるほど……そうくる訳ね」
 太郎丸の笑みを真正面から直視して、直人の声は少なからずひきつったものになった。何度見てもこれには慣れない。
  ―― しかしまぁ、なんだ。そういうつもりであるのなら、直人の方も安心できた。目には目をというべきか。それならば彼らが一方的に神たる義務を押しつけられることもないだろう。
 それにしても、昔から狐はズル賢いと相場が決まっているけれど、彼らもずいぶんしたたかになったというか、なんというか……
「そういう訳だ」
 ぽんぽんと次郎丸が直人の肩を叩いた。
「供物に境内の手入れ、よろしく頼むぞ」
「それはもちろん構わないけど……でも、きちんと再建されるんなら、これからは専任の係の人とか決まるんじゃないのかな」
 む、と口をとがらせる。
「では係が決まったら、もう来ないつもりなのか」
「そんなことないけど」
 言葉を濁した直人だったが、彼はそれだけでにぱっと破顔した。
「よしよし。お前の祈りなら何も言うことはない。存分に加護してやるから、安心しろ」
 ぐしゃぐしゃと頭を撫でて保証する。
 神その人からの、じきじきのお言葉。しかし直人は苦笑して首を振った。
「御利益なんていらないよ、俺は」
 その答えに、次郎丸は虚をつかれたように手を止めた。
「……そうか? では、お前らはどうだ」
「えッ?」
 突然水を向けられて、恵美達三人はぎょっと身を固くした。一拍置いてから、まるで示し合わせたかのように、ぶるぶるとかぶりを振る。その顔には大きく『触らぬ神に祟りなし』と書かれていた。
「欲のない奴らだな」
 嘆息する。仮にも神がじきじきに願いを叶えてくれようと言っているのに。太郎丸も、ほとんど無表情ながら、やはり不満そうだ。
「もう充分もらってるからさ」
 直人が言う。今回彼らが自分達にしてくれたことは、これから一生お参りし続けても、まだお釣りがくるぐらいだ。それ以上を望んだりしては、それこそバチが当たってしまう。それに……
 願いはないのかと、聞いてきてくれる彼ら。
 二人がそうであってくれることが、直人は何よりも嬉しかった。彼らが人の願いを叶えようと思っていること。再び契約を結ぼうと思ってくれたこと。
 神々かれらはまだ、人間われわれを見限ってはいないのだ、と ――
「神社建て直すの、すぐじゃないよな」
 唐突な直人の問いに、太郎丸がいぶかしげにうなずいた。
「ええ。早くとも来年になりますけど」
 それがどうかしたのか。
「工事の人間がいたら、邪魔にされそうだからさ」
 答えて。
 それから直人は、明日の計画を練り始めた。
 火曜日は二コマ目までしか講義がないから、午後はまるまる空いている。軍手とごみ袋を忘れずに持ってくるとしよう。草刈り鎌は農学部で借りられるだろうか。病み上がりの身体なのだから、帽子も当然必需品だ。もちろん手土産だって忘れられない。
 お寿司におはぎ、油揚げ。それから ――
「直人?」
 いきなり黙りこんでしまった直人に、次郎丸が首をかしげる。机に座って足をぶらつかせている行儀の悪い神様に、直人はにこっと笑って問いかけた。


「お酒とおしるこ、どっちがいい?」




 ―― これを生捕り飼ならしつかふ時は、金銀衣食自在にして、事かくることなし。この獣、味噌を持って常の食とする。すべて食物まず初をとり、くだに与へて後食ふ。あたかも神に供するが如し。もし誤ってその扱ひ飼ふことおろそかなれば、怱他に憑き、口ばしりて、その尊信する志の薄きをののしり恥かしむ ――


 阿部正信著『駿国雑志』、くだ狐についてより抜粋。


― 了 ―


(1996.11.25 AM10:35)
<<Back  List  Next>>

NEWVEL


本を閉じる

Copyright (C) 2000-2001 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.