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 きつね  第三話
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 市街地の中心部からも、緑の山をそう遠くなく望めるこの市でも、さらに郊外に位置するS大周辺。そこは自然色豊かな場所と言えば聞こえはよかったが、要は田舎のまっただ中でしかない環境にあった。それでも大学の正門側、地元の人間からは大学前通りと呼ばれる道路と、それに交わる学園通りのあたりは、コンビニや飲食店、カラオケボックスなどでそこそこの賑わいを見せていたが、ひょいと一本裏道に入ったならば、そこは遮るもののないだだっ広い空間に、田んぼと畑と空き地、思い出したように民家が点在する、そんなひなびた地域だ。これでも県庁所在地だと思うと、少々泣けてくるかもしれない。
 彼の住まいする学生向け格安アパートから、徒歩十分。大学の敷地を囲む、古びた上に枯れ草まで絡み付いた鉄柵と、周囲の店舗や民家とに挟まれた細い路地を、身体を横にして何とか通り抜けると、やはり田んぼと、その間を縫うように走る、車一台分ほどの幅の道路に出る。そのむかいに、こんもりと雑木林の茂った裏山。生い茂る雑草に隠されるようにして、斜面を削り石を埋め込んだ、いびつな階段がついている。
 石段を登りつめて視界が開けると、直人は大きなため息をついて、足を止めた。
 別に、このくそ暑い中階段を上がってきて疲れたから、と言う訳ではなかった。既に通い慣れたこの道だ。むしろ上に覆い被さる木々が日陰をつくってくれる分、かえってすごしやすい。
 そこには、とうに朱の色も剥げ、地の木肌も腐り始めた鳥居の奥に、やはり朽ちつつある社殿が一棟建っていた。屋根は苔むし、壁は隙間だらけ。ガタガタになった正面の扉から覗く中の様子もひどいものだった。食べかけの菓子の袋や、ビールの空き缶などが乱雑に散らかっており、土足の跡で泥だらけになっている。
 いつものことながら、あまりの有り様にため息のひとつやふたつ、出ようというものである。
 間から雑草の生え始めた石畳の上を通り、向かい合う一対の石狐の間を抜けて、社殿の前で立ち止まった。
 
 ぱん ぱん
 
 乾いた音をたてて手を打ち、頭を下げる。
「……失礼します」
 口の中でつぶやいて、直人は社殿の中へと上がり込んだ。もちろんのこと、靴はきちんと脱いでいる。
 手に提げていたコンビニの袋を上がり口に置いて、中から取り出したのはゴミ袋と雑巾だった。さらに部屋の隅に置いてあった箒とバケツを手に取る。
 そして彼は黙々と、さびれきった稲荷神社の清掃を始めたのだった。


*  *  *


 社殿内の清掃をひととおり終えた後は境内のゴミを拾い、何とか満足がいった頃には、既にずいぶんと時が過ぎてしまっていた。せっかく早起きをした日曜日の午前中が、丸々つぶれてしまったようだ。
 ほぼいっぱいになったゴミ袋の口をくくってから、かがめていた腰を思いきり伸ばす。
「うーっ、いたた……」
 じじむさい仕草で腰を叩き、上がり口の階段に座りこむ。
「そろそろ草刈りもしないとなぁ」
 夏の間に伸びた青草が、境内の地面を半分がた覆ってしまっていた。おかげでヤブ蚊やら毛虫やらが、大量に発生している。ゴミを拾っている間に刺された手足を掻きながら、コンビニの袋を引き寄せた。缶ジュースと弁当を取り出しかけて、ふと思いだしたように中をかきまわす。出てきたのはワンカップ大関と、稲荷寿司のパック。
 立ち上がって二つを供え、改めて柏手を打った。
「…………」
 手を合わせて、しばしの沈黙。何を祈っているのか、その横顔は真摯なものだ。
「 ―― ずいぶんと熱心なことですね」
 突然。
 横から声をかけられて、直人はびくっと身体を震わせた。
「えッ!?」
 合わせていた手を離し、焦った仕草であたりを見まわす。こんな時間こんなところに、自分以外の誰かが来るとは思ってもいなかったのだ。
 声の主は、少し離れたところに立っていた。既に狛犬なんだか狐なんだかよく分からないような、崩れかけた石の塊に背中を預け、腕組みしてこちらを見つめている。
「いつの間に……」
 相手の姿を視界に入れて、直人は思わずつぶやいていた。一体いつからそこにいたのだろう。石段を上がってくる気配も、そこまで敷地内を歩いてくるのにも、全く気がつかなかった。もともと日曜日の朝っぱらから人がやってくるような場所ではない。実際、掃除を始めてから今の時間まで、ただの一人もやって来はしなかった。それはほとんどいつものことで。このうらぶれた神社に誰かが詣でているところなど、一度も見たことがない。
「少し前からです。あなたは気付かれなかったようですが」
 直人の言葉が聞こえたのか、男は律儀に返答した。石狐に寄りかかっていた身体を起こし、直人の方へと歩み寄ってくる。
 ずいぶんと背が高かった。成人男子として平均的な身長を持つ直人が、首を曲げて見上げなければならないほどだ。もしかしたら、一昨夜会った怪しげな男の上をいくかもしれない。すらりとした細身の身体は、まるでモデルか何かのようにバランスが整っている。
 色素の薄い、明るい金茶の目が直人を見下ろした。首の後ろでひとつにくくられたパーマがかった髪も、明るい金茶で、腰どころか膝のあたりにまで達している。脱色しているようには見えないし、もしかしたらハーフか何かかもしれない。年の頃は二十代半ばというところか。
 それで顔立ちは、透けるような色白の、文句ない美形。まだまだ暑さの残る今の時期に、足にぴったりとした細身のスラックスとタートルネックシャツの上から、ロングコートをはおっている。ちなみに、すべて白一色ときた。
 ……彼女達が見たら、また狂喜しそうだな。
 なんとなく怪しさまであの男と張りそうな気がして、ついそんなことを考えてしまう。
 直人のそばまで来た男は、供えられた酒と稲荷寿司を、しげしげと眺めた。それからきれいに掃除された社殿の中と、境内を見まわす。
「いつもながら、本当に熱心なことですね。おかげさまでずいぶんと助かっておりますよ」
 傍らの直人へと視線を戻し、丁寧な口調で礼を言う。
「は? 助かってるって……」
「少なくとも週に1回は、ここの清掃と参拝をしているでしょう? そんなことをする者は、今ではもう貴方くらいしか残っていません。もっともこの一月程は姿を見せなかったので、そろそろ飽きてしまわれたかとも思っておりましたが」
「飽きるなんて、そんな。俺はただ、夏休みだから実家に帰ってて」
 だから来ようにも来られなかったってだけだから。
 弁解しようとして、男の返答が自分の聞きたかった事とずれているのに気が付く。
「 ―― じゃなくて、どうして俺が掃除してると、あんたが助かるんですか。もしかして、この神社の関係者なんですか?」
「そうですね」
 果たして、男はうなずいてそれを肯定した。
「無関係とは言えません」
「だッ、だったら ―― 」
 直人は思わず、声高に訴えていた。音をたてて手近の賽銭箱を叩く。
「なんでこんなふうに、放っておくんです! 建物も敷地も、全然手入れしないで。これじゃまるで空き家じゃないですか。あんた方がそんなだから、ろくでもない連中のたまり場なんかにされるんだ」
 真実人が足を踏み入れない場所ならば、そこはさびれることはあっても、ゴミが出ることはない。食べかすも空き缶も、そこに誰かがいたからこそ残されているものだ。よく見れば、羽目板や床には拭いたくらいではおちない落書きや、タバコの焦げ跡が山ほどある。
 余人の訪れないこの場所は、夕方から夜中にかけて、金のない若者どもの格好のたまり場になっているのだ。林に囲まれて視界はきかず、近くに民家もないので、悪さをするにはもってこい。未成年の酒、タバコ、シンナーはもちろんのこと、中にはホテル代を惜しんだ男女が使うといった場合すらあった。
 当然ながら、そんな奴等に信心など、これっぽっちの持ち合わせもない。やしろに対する配慮など、どこ吹く風。後片付けなどするはずがない。結果として、直人がここの大学に入学し、神社の存在を知った時には、まさに目も当てられない状態となっていたのである。
「神社っていうのは、神さまをまつるところだろう? なのにこんなじゃあ、神域なんて呼べやしない。そもそも社がきちんとしてれば、中で悪さしようなんて奴もいなくなるさ。そうでしょう?」
 いかに掃除や草取りをしようとも、一介の学生である直人にできることは限りがある。鳥居や建物自体のいたみに至っては、手の施しようもない。神職やここの管理をしていた者はどうしたのかと思いつつも、うかつに手出しできないまま時が過ぎていたのだ。
 ようやくその不満を訴えられる相手が現れて、直人はもう、これでもかとばかりに力説した。
「確かに、御説ごもっとも。この有り様はあまりだと、私も思いますよ」
 男も同意してうなずいた。
「なら ―― 」
「しかし、それは私のあずかり知るところではございません」
 続けようとする直人をさえぎって、男は唇の端を軽く上げた。整った面立ちに、静かな笑みをいて直人を見つめる。
「私はこの社と無関係ではありませんが、その手入れや管理状態には、なんらの義務も責任も負ってはおりません。それは神職の者か、あるいはこの神社に恩恵を受けている者、何かを望み願う者が為すべきこと。私に訴えられる筋合いはございませんよ」
 あくまで丁寧な物言いと、穏やかな声音。
 しかし、浮かべられた笑みの中、その両目が全く笑っていないことに、遅ればせながら気が付いた。静かな凄味とでもいうべき迫力に気圧されて、直人はごくりと唾を呑む。
「……わ、悪かった」
 思わず素直に謝った。
「あんた、ここの神主なんかとは違うんだな」
「その通りです。物分かりの早い方で助かりますね」
 確認までに訊いた直人に、男はもう一度微笑んだ。今度はきちんと笑っている。
 どうやらこの男、直人に勝るとも劣らぬほど、この社の現状に不満を抱いているらしい。それでも直人のように行動に出ていない分、このように腹立ちを見せる権利はないとも思うのだが。
「残念ながら、はふり【注:神に仕えることを職とする人の総称。巫女、神官など】の血は絶えてしまいました。最早この社を護る者はいません。今となっては、多少なりともここのことを気にかけているのは、貴方くらいなものですよ」
 そう言って、男はじっと直人を見下ろした。切れ長の双眸は色素が薄く、その明るい色で見つめられると、妙に居心地の悪い想いがした。何故なのかと言われても、答えに困るのだが。
「な、なんですか」
 身じろぎした直人に、男はひとつ問いかけた。
「貴方は何故、そんなにこの神社にこだわるのですか」
 と。
 まっとうな質問ではあった。
「貴方のおっしゃるとおり、この神社はほとんど廃虚のようなものです。たとえどんなに熱心に参拝したところで、御利益などまるでなさそうではありませんか。土地の人間でもない貴方が、かれこれ一年以上も通っておられるのは、少々不思議なのですが」
「御利益って言われても……」
 この男はどうして、自分が通っているのを知っているのだろうか。ここで誰かに会うようなことなど、さっきも言った通りほとんどないし、また仲間内でもここのことは話していないというのに。
 いぶかしく思いながらも、いちおう答える。
「別に、願い事があって来てる訳じゃないから」
 御利益など初めから期待していない。自分は神仏に頼れば願い事が叶うなんて、甘い考えだと思っている。苦しい時の神頼みと言うが、勝手な願い事など、つきつけられる方が迷惑ではないのか。そんなものは頼りにするよりも、やれるだけの人事を尽くしてから最後に天命を待つという、その方が筋というものだろう。
「では信心からですか。実家の方で稲荷神をお祀りしているとか。それともボランティア? 仮にも神域と呼ばれるべき場が荒らされているのは、見過ごしておけないと?」
 どちらにしても、今時の若者が自主的に行うのは珍しいことだ。昨今では信仰心など ―― まぁ中には、新興宗教にはまるようなのもいるが ―― 古くさいだの馬鹿馬鹿しいだのと言って、自分の家の宗派も知らないようなやからがほとんどだし、ボランティアにしたって、組織だって公園の清掃だの、老人ホームへの慰問だのを行うことは結構あるが、ろくに他人の目も届かない場所を個人で手入れするなど、まず滅多にやったりしない。むしろ下手にそんな事をしようものなら、かえって奇異の目で見られることすらある世の中だ。
「いや、そういうのでもなくて……」
 直人はどちらも否定すると、言いにくそうに口ごもった。どうやらひどく説明しずらいものがあるらしい。男は軽く首をかしげ、無言で待った。理由を聞くまで、話題を変えるつもりはないようだ。
「だから……その、さ。怖いんだ、よ」
「こわい?」
 何度も言いよどんだあげく、やっと言った言葉を、男はいぶかしげな口調で繰り返した。直人の顔に、カッと血の気が昇る。
「そうだよっ。悪いか!」
 ヤケになったように言い捨てて、そっぽを向く。二十歳にもなる男が初対面の人間に対して口にするには、かなり恥ずかしい想いをする言葉だ。
「何が怖いというのです? ここに祀られた神がですか?」
 男はなおも訊いてくる。
「もういいだろ。そんな事まであんたに話す筋合いが、どこにあるってんだ」
 何も悪いことをしている訳ではあるまいし、いくら関係者とはいえ、神主や管理者でもない人間に、そこまで説明してやる義理はないはずだ。
「…………」
 しばし場には居心地の悪い沈黙がおりた。
 直人は照れ臭さもあってあさっての方向に視線をとばし、男は答えを待って直人を見つめている。
 やがて、先に口を開いたのは男の方だった。
「教えて下さい。この社が貴方に対して、害を与えているとおっしゃるんですか」
 それまでの、丁寧ではあるがどこか冷たさを感じさせた言葉とは違い、真摯な、本当にその答えを必要としている口調。視線を戻した直人は、まっすぐに向けられた、真剣な眼差しに出会う。
  ―― この質問には答えなければならない。
 何故か、そう思った。
 しかたなく重い口を動かす。
「……俺が怖いって言ったのはさ、別にこの神社に限った事じゃないんだ。他のお稲荷さんとか、ほこらとか……道端のお地蔵さんなんかでも同じだよ。神さまとか死んだ人の魂とか、そんな『何か』を祀ってあるようなところはさ」
「何かを祀っている場所が怖い……?」
「ああ」
 うなずき。
「もっと平たく言うとさ、『たたり』が怖いんだよ、俺は。神さまを粗末にすると、バチが当たるって言うだろ。それ」
 言いながら、それでもやはり少々恥ずかしい。
「祟りにバチ、ですか。……貴方は神の存在を信じているのですか? 本当の神ならば、祟りなど為さないとは思われないのですか?」
 笑うならば笑え、と覚悟を決めていたが、返ってきた言葉には、意外にも馬鹿にするような調子は感じられなかった。頭から否定するのではなく、質問の続きという形を取っている。
 おかげでさっきよりは気楽に答えられた。
「確かにキリスト教の神みたいな、全知全能の絶対者なんてのは、まずいないだろうな。この世に絶対的な善も悪もない以上、万民に対してまったく間違うことなく全てを行うことのできる、『神』は存在できないと思う」
 行う者の立場や考え方によって、『善』はたやすくその姿を変えてしまう。実際に行われた『事実』はひとつきりでも、そのことについての『真実』は、見る者の数だけ存在するのだ。
 ここで一番分かりやすい例は、宗教戦争だろう。古代から中世にかけて、あらゆる宗教がその信仰を広める為と称して、遠征を行った。一方にとってそれは他国の誤りを正し、真の信仰を知らしめる為の正義の聖戦だった。しかし他方にとっては、侵略者達が蹂躙じゅうりんを行う、悪魔の所行に他ならなかった。さらに国の上層部では、宗教を表に掲げることで、戦争そのものを正当化している向きもあり ――
 宗教に限定せずとも、同じようなことは日常いくらでも存在する。それら全てを総括し、ひとつの価値観で測ってしまうことは間違っているし、不可能だ。それを行うことのできる存在が、真の『神』だというのなら、そんなものは実在できない。もしもあるとするならば、それは人間の心の中に、理想の存在として掲げられているのだろう。の方に見守られているからこそ、努力することができる。彼の方を信仰するのにふさわしい、素晴らしい人間になろう。そんなふうに思わせる、そのことこそが、宗教の正しい在り方なのではないだろうか。
「俺が言うのは、そんな偉大なる存在じゃないんだ。もっと身近な、生活に根ざした……その地方地方で崇められてる、民間信仰の神。土地神って言えばいいのかな。そういうもの」
 日本では、もっとも多く信仰されている宗教は仏教だ。が、他にも神道やキリスト教やその他いろいろ、新興宗教まで含めれば、その種類は数限りない。法で宗教の自由が保証されているからには、他者に迷惑をかけない限りは、何を信仰しても文句はでない。
 しかし近頃では神道と仏教の区別も付かない人間も数多い。実際、神仏混合だの本地垂迹説だのと、この国そのものからして、昔から様々な宗教を取り入れ、習合してゆくような気風があったようだ。おかげで民間信仰も仏教やら神道やら、中国から伝わってきたものから、果ては遠くヨーロッパから伝来したものまでが、その土地土地に古くからある言い伝えなどと入り混じり、なかなかとんでもない事になっている。稲荷神などはその代表的なもので、中国人の狐観に影響を受けているとも、インドの茶吉尼天ダキニてんの使いだとも、穀物神宇迦之御魂神うかのみたまのかみのことだとも言われている。祀られる神々は他にも、かまど神や厩神うまやがみ辻神つじがみ箒神ほうきがみ行逢神ゆきあいがみ疱瘡神ほうそうしんなどなど、数え上げれば枚挙にいとまがない。
 そのほとんどが、単なる俗信に過ぎないものだ。民俗学的には興味深くもあるだろうが、その真偽のほどなど、最初から考えてみるまでもない。
 そう ―― ほとんどは。
 けれど、
「もし本当に、全てが迷信だったとしたら、最初からそんなものは生まれなかったんじゃないのかな。一番最初に『なにか』が起こって、そしてそれを見たり聞いたりした人達が口伝えで噂を広げていく内に、どんどん形が変わっていって、信憑性もなくなって……だけど、信じる者や知っている者が誰一人いなくなったとしても、『それ』があったという、そのこと自体まで消えてしまう訳じゃないだろ。初めにそこに、何かが存在したことは事実なんだとしたら、それが完全に忘れ去られてしまうのは、いけないと思うんだ。
 ……そりゃぁさ、この神社が一番初めの『なにか』だとは限らないよ。でも、やっぱり何かが祀られているって言うのは、意味があることだと思う。仮にも神っていう名のもとに祀りを行っていた以上、一方的にやめてしまうのはよくないんじゃないかって。その理由が、恩恵を与えてくれた感謝にせよ、災いを避ける為に崇め奉っていたのにせよ、さ」
 長い説明を終えて、直人はひとつ大きく息を吐いた。それから己の弁舌と、その内容の情けなさを恥じるように、苦笑いする。
「もしもここが、ちゃんとした力を持った『なにか』を祀った神社で、そこにいい加減なことをしてたんだとしたら、後が怖い。そういう意味だよ。信仰心厚いからとか、善意の御奉仕とか、そんな大層なものじゃない。単なる怖がりなだけさ。 ―― 馬鹿馬鹿しいと思うだろ? 非科学的な上に考えすぎな、憶病者の自己満足でさ。けど……やめられないんだ。仕方がない」
 言い訳するようなつぶやきには、しかし意外なまでの重みがあった。やめられないと言うその言葉の裏に、やめる気もないという想いが透けて見える。
 仕送りに頼る学生の身には、毎回の供えものの代金だけでも、けっこう馬鹿にならないものだ。たった一人で行う清掃も、試験中など忙しい時期には、かなりの負担になるだろう。
 しかし、それでも ――


*  *  *


 人との約束の時間が来てしまったからと、結局弁当も食べぬままに帰っていった直人を見送り、男は無言で社の前に佇んでいた。人の気配のない境内を、風が吹きわたり、青草をさわさわと揺らめかせてゆく。
「……祀りには意味がある、か。今時の人間にしては、本当に珍しい」
 誰に聞かせるともなく、独りごちる。
「そうだろう」
 その言葉に、答える者があった。
 気配などまったく感じられなかったのに、いつからそこにいたのだろう。直人達が立っていた場所からは死角になる、社殿の陰から歩み出てくる。
 腰まであるざんばら髪をなびかせた、黒ずくめの男。次郎丸だ。ロングコートのポケットに両手を入れ、悠然とした足取りで近付いてくる。
「一昨夜会った時も、なかなか鋭いことを言っていたぞ。もっとも訳は分かっておらんようだったが」
「四人連れだったそうですね」
「おう。アイツの他には、男が一人と女が二人だ。男はどうでも良さそうだったが、女達の方はちとやっかいかもしれん。何やら変に興味を持ったらしい。下手をするとこの先、首を突っ込んできかねんぞ」
 いまいましそうに言う。
 前髪の間から覗く剣呑な光をたたえた瞳は、意外に明るい金茶色をしていた。昼の日差しの中では、その肌も健康的な金褐色だと分かる。
 実際、しっかりと的を得ていたその考察に、男も嫌そうに眉を寄せた。
「足手まといなど冗談ではない。ただでさえ力が足りないと言うのに、この上よけいな護りなど、どうしてできるというのです」
「まったくだ」
 二人うなずいて意見を合わせる。
「そもそも貴方が、ことの重大さを理解させなかったのが悪いんですよ。どうせなら、少しくらい痛い目を見させてから助けてやれば、貴方を追いかけて帰ろうとしないなんて、本末転倒なことにはならなかったでしょうに」
 とがめる口調に、次郎丸は後ろめたそうに身体を小さくした。一昨夜、恵美達に深夜の町で名を連呼されてしまった彼は、少々立場が弱かった。
「……いくらなんでも、そういう訳にはいかないだろう。それに、一応アイツには借りがある。ずっとここの手入れをして、お供えまでしてくれてたんだからな」
 顎で供えられた酒と寿司を示す。
「太郎丸だって、アイツが気になったから、いろいろと訊いていたんだろう?」
 次郎丸のつっこみに、太郎丸と呼ばれた男は、なんら動ずることなく、あっさりと答えた。
「別に。私はただ、彼が何を考えて詣でていたかを知りたかっただけです。何をやろうと神サマなら許してくれるさなどとほざいて、傍若無人にふるまうやからばかりの中で、彼だけがまともな参拝を続けていましたからね。一体どんな願を掛けていたのか、興味ぐらいわきます」
「ふぅん」
 次郎丸は疑わしげに鼻を鳴らしたが、それ以上は追求しなかった。社殿の上がり口に座りこむと、手を伸ばして酒を取る。何の遠慮もなく蓋を開け、供えものを口にする次郎丸の前で、太郎丸も気兼ねすることなく賽銭箱に腰を下ろした。組んだ長い足に肘をつき、こぶしで顎を支える。
『……信じる者や知っている者が誰一人いなくなったとしても、『それ』があったという、そのこと自体まで消えてしまう訳じゃないだろ。初めにそこに、何かが存在したことは事実なんだとしたら、それが完全に忘れ去られてしまうのは、いけないと思うんだ』
 語る青年の、真摯な表情が思い出される。
 御利益など期待していない。勝手な願い事など、突きつけられる方が迷惑ではないか、と言い切ったその言葉も。
 酒を呑み干した次郎丸が、稲荷寿司にとりかかりながら口を開いた。
「何にしろ、アイツの持ってくる物は旨いな。変な想いが込められていないから、安心して喰える」
 指についた飯粒まで、残さず舐め取る。ほら、とひとつ手渡されて、太郎丸も口をつけた。
「 ―― 願いがある訳でもなく、単なる習慣としてでもなく、ただ恐れる心から祀りをおこなう、か」
 彼はそれを、憶病ゆえの自己満足だと評した。怖がりが考えすぎているだけ。けして褒められるような事ではないのだ、と。
 しかし、そもそも人が神を祀るという行為を行うようになった、ひとつの理由として、自分達の手に負えない現象に関し、それを神とみなし崇め奉ることで、災いを避けようとしたという事実がある。たとえば、日照りを恐れる心から雨を神格化し、竜神様などと呼んで生け贄を捧げたり、来年の豊作を祈る ―― 裏を返せば凶作を恐れ、豊饒祭ほうじょうさいを行う。人の『神』に対する想いの多くは、恐れから始まっていたのだ。
 そして恐れはおそれとなり、畏怖や畏敬の念となって、神をより『神』たらしめてゆく。
 合理主義や科学の名のもとに、神の存在は否定され、信じる心も敬いの念も日に日に薄れてゆく。そんな中で、彼は神というものに対する、根源的な想いを持ち続けているのではないだろうか。
「 ―――― 」
 太郎丸は何かを振り切るように、首を横に振った。彼が何を思っていようが、それが一体どうしたというのか。
「……願いなどなくとも、災いは起こさせない。そのために我々はここにいるのですから。そうでしょう、次郎丸」
「当然だ」
 太郎丸の言葉に、次郎丸もきっぱりとうなずく。
 どこの誰が何を考えていようと、またいまいと、自分達のやることに変わりはなかった。
「これ以上、ゲドウ狐の好き勝手にはさせん」
 よく似た色をたたえる二対の瞳が、同時に社の中へと向けられた。
 正面奥の壁際に、二匹の狐の像が向かい合わせになって、床を踏みしめている。どちらの像も、社と同じく傷みきっていた。耳が取れ、足が折れ、もとは彩色されていたらしいが、それすらもほとんど残っていない。間に挟まれた床板さえ、踏み抜かれでもしたのか大穴があいていた。御神体と呼ばれるには、あまりにも情けない姿だ。
 畏れられることも、敬われることもほとんどなくなった神。それは既に『神』とは呼べないかもしれない。それらを受けてこそ、神は『神』たりえるのだから。
 それでも、かつて捧げられた祈りが、無視されてよい訳はないだろう。
  ―― 災いは、防がれなければならなかった。


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