++お礼SS 楽園の守護者


※本編終了後の時系列です。
ネタバレを含みますので、第二部最後〜後日談的番外編までを読了されてからどうぞ。







 港から上がってくる関税の額に、不審な点がある、と。
 最初にそう気がついたのは、実質的に文官筆頭の役割を果たしているラスティアールであった。
 その若さや立場の微妙さ ―― 彼はフェシリアの母親が輿入れする際、侍女である母親とともに北部から付き従ってきた、いわば余所者である ―― 故に、会議や対外的な交渉の場では常に一歩引いて見せている。しかしフェシリアによって見出みいだされ磨かれたその有能さは、確かなもので。
 新女公爵を表裏両面で支えているのは彼に他ならないと、コーナ公爵領の中枢近くにある者は誰もが理解していた。
 もちろん、それを素直に受け止める人物もいれば、苦々しく感じている輩もいる。
 しかしフェシリアがあくまで中繋ぎ、名目上の後継者でしかないと目されていたその頃から、彼女個人に忠誠を誓っていた彼に、取って代わることができる存在など、そうそういるはずもなかった。
 もしいるとすれば、それはラスティアールと同様、不遇な扱いを受けていたところへ救いの手を差し出され、才を伸ばす場と信頼を与えられた幾人かの腹心達か。
 あるいは ――

「これ全部、中身を確認しろって?」

 冗談だろう、と。
 苦々しい顔つきで、うず高く積み上がった紙の束をめくっている、この不良騎士ぐらいのものであろう。
「……申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
 同じ厚さの束をフェシリアの執務机にも乗せながら、ラスティアールもまたうんざりとした表情を隠せずにいた。彼の手の中には、その二つを合わせた程の量が、まだ残っている。
「輸入された品々の種類と総量。それぞれにかかる税を概算した結果と、最終的に公爵家へ収められた金額が、明らかに食い違っているのです。しかしどこでその誤差が生じたのか。それを洗い出すには、すべての流れを順に追ってみるしかありません」
 フェシリアが公爵家を継いだのち、いつの間にか増設されていた、ひとまわり小さな執務机に尻を乗せて。ロッドは口の端を歪める、いつもの笑い方をした。
「要するに、いつ誰がちょろまかしたのかをはっきりさせろってことだろ」
 一番上の一枚を取り上げ、ぴっとその端を弾く。
「……その通りです」
 何者かが、何らかの形で金を懐へ入れている。そして一見しただけでは不正が悟られぬよう、辻褄を合わせているのだ。しかしすべての記録を突き合わせれば、どこかで必ず齟齬が見えてくるはず。

「誰が関与しているのかまだ判らぬ以上、完全に信頼できる者の中で、これだけの書類を処理できるのは、我々だけか」

 フェシリアが深々とため息をついた。
 彼女が信を置く人間は、その数こそ少なかったが、それでもそれなりに存在はしている。しかし彼らにはそれぞれ得手不得手というものがあった。腕が立ち護衛として頼りにできる者。情報を収集するのに長けた者。見た目が繊弱なフェシリアに代わり、表に立って対外的な交渉を担う者。あるいは仕事を離れて私的な時間を過ごす際、心地良い空間を整えてくれる者。さまざまな才をもってフェシリアに仕えてくれている彼らだったが、いかんせんそれぞれの分野に特化している。
 もちろんのこと、読み書き計算程度の教養は、みな水準以上に持っていた。だが現在求められている処理能力には、さすがに遠く及ばない。
 むしろこの不良騎士が、当てにできるというのが不思議なほどだった。
 いかに本来の生まれは ―― けして公にはできないが ―― 高貴なそれであったとしても、その能力が開花するか否かは、後の教育が大きな鍵となってくる。言ってしまえばいくら名家の血を引き、優れた天分を備えていたとしても、それが磨かれなければ何の意味もないのだ。
 十歳にも満たぬ内に裕福な家を離れ、その後は前王カイザールに拾われるまで浮浪児やならず者と呼ばれるに相応しい生活を続けてきたはずの、この男が。
 難解な専門用語で記された書類をあやまたず読み解き、また同様なものを見事な筆跡で書き上げる。
 そこに至るまでに、いったいどれほどの時間と努力が人知れず費やされてきたのか ―― かつて教育を受けたくとも受けられぬ境遇にあったラスティアールだからこそ、具体的に想像できる。
 ゆえにこそ彼は、主人あるじがこの青年を伴侶に選んだ時も、異を唱えなかったのだ。
「とにかく、あまり時間をかけてはいられません。早急かつ正確にお願いします」
 裁可を待っている書類は、けしてこれだけではない。むしろこの問題は、突発的に生じた予定外の案件だ。通常の業務を滞らせないためにも、できるだけ早く片付けてしまわなければならない。
 さりとて、いい加減に流し読みした結果、問題部分を見落としては二度手間三度手間となり、かえって時間がかかってしまう。手早く、しかし厳密に確認していかなければならない。
「 ―― うむ」
「へいへい、っと」
 フェシリアは真剣な表情でうなずき、ロッドも返事こそいい加減だったが、椅子を引いて補助用の執務机にきちんと座り直す。
 ラスティアールもまた、自分用の机に書類の山を置くと、それぞれの仕事に取り掛かった。


 奇妙な物音に気づいたのは、どちらが先であったのか。
 数字の羅列をペン先でひとつひとつたどっていたラスティアールは、聞き慣れぬそれに顔を上げ、室内を見まわした。すると同様にしているフェシリアと、視線が交差する。一瞬顔を見合わせた二人は、同時に残る一人へと目を向けた。
 書類を見つめたままのロッドは、その手元に見たことのない器具を置いていた。手のひらほどの幅がある細長い木枠のようで、その中に指を伸ばし、軽い音を立てて何かをはじいている。弾きながら枠全体を少しずつずらしていき、書面と枠内を交互に見てうなずくと、書類を確認済の山へ移して次の一枚を取る。
 不審に思って様子を見ていると、視線を感じたのかその手が止まった。
「……んだよ、ずいぶん余裕だな」
「邪魔をしたか。すまぬ」
 座った目でめつけられて、ラスティアールは返す言葉もなく首をすくめた。フェシリアが素直に謝罪する。ロッドは無言で鼻を鳴らし、作業に戻っていった。
 変わった振る舞いが気にはなったが、今はそれを取り沙汰している暇などない。
 かちかちという乾いた断続的な音は、再び数字を追い始めた二人の耳にやがて自然に馴染み、いつしかまったく気にならなくなっていた。


*  *  *


「あー……肩凝った……」
 しきりに肩を回したり首の骨を鳴らしながら、ロッドがしみじみと嘆息していた。
「お疲れ様です。助かりました」
 三つに分けられていた書類をまとめながら、ラスティアールが礼を言う。
 その山は、ロッドの机にあるものが一番高かった。自分の割当てを早々に確認し終えた彼が、他の二人から未処理分を奪っていったのだ。
 おかげで当初想定していたよりもはるかに早く、矛盾部分を発見することができた。
「まったく、細かいところでちまちまちまちま。よくぞまあやらかしたもんだぜ」
 今度は眉間を揉みながらぼやいている。
 端数の切り捨てや計算違いを装った繰り上がりの無視、桁数の書き換えなどなど、出てくるわ出てくるわ。ひとつひとつは些細な誤りにも見えるが、そのほとんどが特定の管理官が関わっている部署に集中している点を鑑みると、意図的であろう疑いが濃厚になってくる。
「あの役職は、特定の家によるほぼ世襲状態になっているからの。どうやら常習化しているようだし、詳しく探らせよう」
 この書類を根拠とするだけでは、事務処理上の過失だと言い張って、下っ端の首を一人二人飛ばして終わりにされるのが目に見えていた。故に言い逃れのきかぬ、確たる証拠を突き付けてやる必要がある。
「手配は任すぞ」
「はっ」
 フェシリアの命に、ラスティアールは紙束を抱えたまま一礼した。
 さっそく退出しようとして、ふと足を止める。そうしてロッドが使っていた机の上へとその目を向けた。
 視線の先にあるのは、先程まで彼が手にしていた、見慣れぬ器具だ。立った状態で上から眺めると、四角い木枠の中に指先ほどの玉がいくつも並んでいるのが見て取れる。
 興味を惹かれて顔を近づけると、フェシリアも気になったのか、執務机を離れてやってきた。
「見たこともない品だが、いったいなんだこれは」
 柳眉をひそめ、しげしげと観察している。
 よく見れば、横長で薄い木枠の内側に、縦に二十列ほど細い軸棒が渡されていた。そこに穴の開いた大粒の硝子玉ビーズが、五個ずつ通されている。一番上と二番目の硝子玉の間には、横一直線に中仕切りがあった。それらのおかげで、硝子玉が枠外に散ることはない。それぞれの軸にそって縦方向に、玉一個分ほど上下する程度だ。

「ん……? ああ、こいつか」

 ロッドが手を伸ばし、木枠を持ち上げる。そのまま軽く振ると、原始的な楽器を思わせる音がした。
「一種の計算道具だな。俺らは算枠って呼んでる」
 数度カチャカチャと鳴らしてから、再び机へ戻す。
「算枠、とな」
「正式名称じゃねえぞ。なんでもアーティルトの故郷くにで、昔っから使われてるもんだそうだ。ただそっちとじゃ言語が違うせいで、この国の文字じゃ書き表わせねえんだと」
 なんとか近い表記をしようといろいろ試みていたが、覚えるのも面倒なので適当に呼んでいる内に、算枠で定着してしまったのだという。
「ありゃいつだったっけな……確かケットクローラの出現数と天候の因果関係を集計してた時に、あいつが机の上でちまちま指動かしてやがるからよ。何やってんのかと思ったら、こいつを思い浮かべて計算してるつってな。詳しく聞きゃあ専用の道具があるってんで、知り合いの細工師に引き合わせて、実物作らせてみたんだよ」
 机に置いた木枠へ手を伸ばし、まずは軽く傾けて全ての硝子玉を下へと寄せた。それから一番上に並んでいる玉と中仕切りの間に指をすべらせ、玉と仕切りの間に一個分の隙間を空ける。
「これで一、これで二。上の玉はひとつで五を意味するから、これで七ってことになる」
 数字を口にしながら、かちかちと親指と人差指で玉を動かしてみせる。
「ふむ」
「で、たとえば八万五千九百二足す十一万三千六百四十八だと」
「は!?」
 いきなり桁の増えた数字に、ラスティアールが素っ頓狂な声を上げる。
「十九万九千五百五十となる訳だ」
 言い終わるとほぼ同時に、もう答が出ていた。
「……本当に合ってるんですか」
 あまりの速さに、ラスティアールは疑わしげに呟いた。その横からフェシリアが手を伸ばし、彼が持っている検算済の書類を一枚取り上げる。察したのか、ロッドは再び枠を揺らし、硝子玉の位置を戻した。
「三十九万八千六十二、四十五万九百七十八、九十四万二千六百五十七、十三万七千二百六十八……」
 普通に口に出す速度で読み上げられていく桁数の多い金額に、褐色の指はなめらかに反応している。迷いや停滞はまったく見られない。
 二十個ほどの金額が読み上げられた、その結果は。
「一千二百五十五万三千七百とび五、だな」
「……合っている」
 先ほどと同じように、読み上げ終えてから指が止まるまでに、一秒とかかっていない。恐ろしい計算速度と精度である。
 フェシリアは真剣な眼差しで、未知の道具を見つめていた。
「……船乗りや建築に携わる者が、計算尺とやらを使用しているのは以前に見たが……それでもここまで桁数の多い大量の計算を、素早くかつ正確にこなしてはいなかったぞ」
 それにあれらはもっと複雑で精密な構造をしていて、素人目にも作成や扱いが難しそうであった。しかしこれは、枠の中に串に刺さった硝子玉ビーズが並んでいるだけである。玉に関してはどちらかというと菱型に近い、いささか特殊な形状をしてはいたが。言ってしまえばそれだけの品だ。
「このように単純な器具で、そこまで計算の正確さと速度向上をもたらせるというのであれば、我が国でも普及を考えるだけの価値がある」
 フェシリアのつぶやきに、しかしロッドは行儀悪く肘をついてみせた。
「さて、そいつはどうかね」
 新しい物であれ見慣れない技術であれ、それが有用であれば取り入れることに躊躇いを見せない男が、珍しく否定的な意見を口にする。
「見た目は単純だが、これでけっこう細けえとこに手間ぁかかってるからな。それでもまあ、いくらか質を落とした上で量産体制を整えれば、元も取れるだろうが……量産するならその前にまず、扱える人間を育てる必要があるだろ。言っとくが、普通に足し算できるようになるだけでも、最初に相当な訓練がいるぜ? 桁の多い四則演算ならなおさらだ」
 音を立てて玉を弾く。
「向いてる奴なら、この玉の動きを頭ん中で思い浮かべるだけで、実物がなくても暗算できるようになるらしいがな。けど普通は数ヶ月か……下手すりゃ何年もかかってようやく、まともに使えるような代物だ。そろそろ一年になるカルセストですら、掛け算割り算はまだおぼつかねえしな」
 指先だけで次々と玉を移動させるその仕草は、知識がなければただの手遊てすさびにしか見えない。しかしこれできちんと明確な法則にのっとっているのだろう。
「まずはこっちで訓練用の数を揃えて、そのうえで年単位の教育を施す……ある程度の授業料を取ったとしても、まあ確実に赤は出るわな」
 かちかちと淀みない音が響いてゆく。
「しかもそこまでお膳立てしてやったところで、実際に覚えようとする奴が、さてどれだけ居るもんかね」
 ひときわ大きな音を最後に、指が止まった。玉の並びを見たロッドは、口元を皮肉げに歪める。
 確かに、桁数の大きい計算を日常的に必要とするのは、大きな商家に務める中でも特に上位の立場にある者か、あるいは貴族家に仕える家令や官僚といった、ごく一部の人間に限られているだろう。そしてそういった者達は、えてして変化というものを好まない傾向にある。昔ながらのやり方を尊び、またそれだけの能力を持つという自分達の優位性を、手放したがらないはずだ。
 さりとて上を目指そうとしている現段階での見習いや若衆などは、たかが計算の勉強などにそれほどの時間と金銭を費やす余裕など、ほとんどないはずだ。彼らは日々の生活に追われ、仕事の合間になんとか先達から技術を盗むので精一杯といったところだろう。
 衣食住には不自由をせず、フェシリアからさまざまな援助 ―― 気兼ねせずに使える紙や筆記用具、高価な書物の貸与など ―― を受けていたラスティアールでさえも、かつては毎日課せられる雑用仕事に駆けまわった後の、わずかな時間しか勉強にあてられなかったのだ。フェシリアの期待に応えようと死に物狂いに学んで、それでもここまでの能力を身につけるには、睡眠時間を極限まで削らなければならなかった。その結果、身体を壊して倒れたこともある。もし公爵家の使用人という恵まれた環境におらず、市井の一般庶民であったならば。倒れた段階で勉学を諦めるか、そのまま野垂れ死ぬかのどちらかを選ぶしかなかった。

「…………」

 その苦労を実際に経験しているからこそ、ラスティアールはロッドの言葉を肌身で理解できる。理想と現実をすり合わせ、それが実現可能かどうなのかを、ある種の冷静な目で検討することができる。
 そうして出た結論は、厳しい。
 為政者として見るべき理想と、見失ってはならない現実との間にある溝は、深く、そして広い。
 しかし ――

 フェシリアの方を窺うと、彼女は思案するように人差し指で口唇をなぞっていた。長い睫毛に彩られた薄墨色の目を伏せ、紙面に並ぶ数字と机上の算枠を見比べている。

「……確かに、すぐさま効果が出るとは思えぬし、出費も馬鹿にならぬだろう。世間知らずの姫が、自己満足にしかならぬ慈善事業を始めたと、周囲からわらわれもしよう」

 静かに、落ち着いた声で呟く。
 それは容易く想像できる反応であった。心優しくも無知な箱入り娘が、弱者を哀れみ利益を考えもせず、無駄なことに予算を浪費している。面と向かってではなくとも、そんな嘲りを受けるだろう状況は目に見えていた。
 それでも、と。彼女は続ける。

「読み書きだけでなく正確な計算ができる人間を増やすことは、不正の早期発見や経済の発展にも繋がるはずだ」

 そう言って、たった三人で処理せざるを得なかった、分厚い書類の束へと視線を向けた。
 もしも高度な計算をこなせる人材がもっと豊富に存在していれば、わざわざ彼らが手ずからこんな煩雑かつ時間のかかる仕事に従事する必要などなかったはずだ。それに大きな金額や大量の物資を素早くかつ間違わず動かせるようになれば、領内の経済活動は確実に活発化する。他の地方とのやり取りも大規模にできるし、物資だけでなく優秀な人材を各地に派遣することによって、それだけ多方面との繋がりを強固にできるうえ、外貨の獲得にも繋がる。
 なによりも、高度な計算は商取引にばかり使われる訳ではないのだ。前述の建築や航海術、あるいはもっと身近な部分では農作物の作付や、漁獲高の算出などにも有効活用できるだろう。農民や漁民など一次産業に携わる者も含めた領民自体の能力を底上げすれば……急にすべては不可能でも、たとえば村の長など、各村に一人でもそういった計算に長けた人物を配置することができたなら。これまでの経験と勘に頼った無駄の多い仕事を改善させ、また買い付けの商人達に丸め込まれ被っているだろう不平等な搾取をも、未然に防がせることができるかもしれず ――

 そういった未来の利益を考えれば、最初は赤字を覚悟して資金を投じるのも、人の上に立つ者として己が領地を豊かにするための、英断と言えるのではないか。
 つまるところ初期投資というやつだ。
 ……とは言え、懸念される問題点を、先回りして潰しておくのは重要である。
 理想を追うあまり、足元をおろそかにするのは、為政者としてもっともやってはならぬことなのだから。

 故に、とりあえず手を付けてみるべきなのは、

「この算枠とやらが、はたしてどの程度有用なのか。また学ぶのにどれほどの時間と基礎能力が必要なのか……まずは自身で試してみたい。用意できるか」

 フェシリアの問いかけに、ロッドは小さく肩をすくめた。
「件の細工師に注文出して……まあ、一ヶ月もありゃ仕上がるだろ。手紙で発注かけて、次の王都行きん時にでも、取りに行きゃ良いんじゃねえの」
 公爵家の当主として、フェシリアは王都と領地を定期的に行き来している。もちろんその際には、婚約者たるこの男も付き従っていた。時には勝手に、あるいは事前に打ち合わせた上で別行動を取る場合もあったが……少なくとも今のところ、そういった予定は入っていないらしい。
「ああ、そうだ」
 ロッドが、ふと思い出したように付け加えた。
「こいつを商品として売ろうってんなら、細工師とアーティルトには筋を通しとけよ。あいつら、そこらへんは細けえぜ?」
 算枠を振ってみせる。硝子玉がぶつかり合って音を立てた。
 それが商売である細工師は無論のこと、アーティルトもあれでなんだかんだとしっかりしている。のちのち利権関係で問題が起きてくると面倒だ。
 その指摘に、フェシリアは小さく鼻を鳴らした。
「私を誰だと思っている」
 そのような、余計な敵を作るような真似などするはずもあるまい、と。
 顎を上げて言うその仕草と表情は、目の前の男がするそれとそっくりであった。
「へえへえ、そいつぁ失礼」
 ロッドは再び肩をすくめると、さっそく細工師への手紙をしたためるべく、机の隅にある便箋へと手を伸ばす。
 よく似た婚約者同士のそんなやり取りに、フォルティスは無言で一礼すると、静かに背中を向けた。


*  *  *


 ―― その計算器具は、後にセイヴァン全土へと普及し、扱える技能を持つことが計算を必要とする職につく際に必須とされるようになる。
 算枠と呼ばれるそれは、名も知れぬ小さな諸島国家のいずれかより伝来したのだと言い、海外交易の窓口であるコーナ公爵領からじょじょに広まっていった。
 しかし、それが伝えられた正確な時期も、また持ち込んだ人物がどこの誰であったのかも。
 正確な記録は、どこにも残されていなかったのである ――


―― 一度はやってみたかった、王道現代知識チート(笑)
アートはひそかに珠算の段持ちです。



本を閉じる

Copyright (C) 2018 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.