++お礼SS きつね


 大学構内にある図書館で、直人はルーズリーフを広げながら資料となる本をめくっていた。
 そのまわりでは、いつものメンバーが思い思いに本を読んだり、講義のノートをまとめたりしている。
「……そっちはどう? 進んでる?」
 いい加減、勉強するのにも飽きてきたのか。恵美が椅子の背をギシギシと鳴らしながら口を開いた。
「んー……」
 応じる直人の声は、いまひとつかんばしくない。
「なんかこう、大体のイメージはできてるんだけどさ。どういう方向でまとめればいいのかなって」
 その目の前には三冊の本。古事記と日本書紀と出雲国風土記が並べて開かれ、直人は腕組みをして紙面をにらみつけている。
「テーマは八岐之大蛇ヤマタノオロチと製鉄文化だったっけ」
「うん」
 こくりとうなずく。
 彼がいま頭を悩ませているのは、締め切りを間近に控えたレポートの作成だった。
 高校時代、予期せぬ事態から否応なく妖怪だの神様だのといった世界に巻き込まれる経験を持った直人は、それらのものに対し、できるだけ関わりを持ちたくないという結論を出していた。自分はあくまで普通の一般人。当たり前の存在として、人間の世界に身を置いておきたいのだと。
 しかし無知は時に、人を愚かにする。自分達が厄介事を引き起こしたのも、元を正せば考えなしに馬鹿な真似をしたのが原因であった。
 だからこそ直人は、日本古来から脈々と受け継がれてきた、神話や伝承を学ぶことにしたのである。あらかじめ最低限でも基礎知識を持ってさえいれば、意図せずして禁忌タブーを犯すあやまちもするまい。事前に敵を知ることで、積極的に不要な揉め事を避けていこう、と。
 かくして選んだ進路が、現在の国文学科であった訳なのだが。
 結果として、どっぷり『その世界』に首を突っ込んでしまっている現状はさておき。
 どれほど身近に神様が存在し、非日常的な出来事が当たり前のように起きていようとも、日々の課題はまったく容赦なく迫ってくるのである。
 今回彼がレポートのテーマとして選んだのは、日本神話でも屈指の有名エピソードである、スサノオのオロチ退治だった。
 アマテラス、ツクヨミと並ぶ最も高貴な三神の一柱にも関わらず、我が儘放題に大暴れして神の国である高天原たかまがはらを追放された罪人が、英雄的な善神に変化する一大転機。さらには三種の神器のひとつにして、現代までも代々皇室に伝えられる『天叢雲剣あめのむらくものつるぎ』 ―― 別名『草薙剣くさなぎのつるぎ』とも呼ばれる ―― を入手するという点でも、重要な逸話である。
「うーん……素戔嗚尊スサノオノミコトは『州砂之王すさのおう』で、斐伊川に点在する砂鉄を産する砂州を有した地域のトップ。八岐之大蛇は、しばしば氾濫して災厄の元となった河川を神格化した説の方を取って、斐伊川イコール八岐之大蛇を退治……つまり治水事業を行って洪水の頻発を防ぎ、採取できる砂鉄の量を安定させた結果として得られたものの象徴が、死んだオロチの尻尾から現れた草薙剣。その一連の流れを製鉄技術の発展、向上と解釈すると……」
 ぶつぶつと思いつくまま、キーワードを殴り書く。
奇稲田姫クシナダヒメは、字面からしても稲作を表す農耕民のお姫さまだから、中央から左遷されながらも治水を果たしつつ鉄製農具導入の可能性も見せる貴種スサノオとの婚姻は、農業のさらなる進歩や中央と地方、製鉄民族と農耕民族の融和を促す ―― 言わば政略結婚とも考えられるが故に……」
 ここに古代出雲文化圏における、一大都市国家の誕生へと繋がるという流れに持って行きたいのだが。
 思うように文章が出てこず、うんうんと頭を抱えている直人に、恵美はつまらなさそうな目を向けた。
「夢がないなあ、直人くんは。ヤマタノオロチは、スサノオが退治した巨大な蛇で良いじゃない」
 涼子もその尻馬に乗った。
「そうよ。スサノオは、日本の正史に残る、由緒正しき竜殺しの勇者ドラゴン・スレイヤーなのよ? オロチ退治が実は治水事業だったなんて、風情に欠けるというものだわ」
 口々にそう言い募る。
 神話ファンタジーが大好きなオカルトオタクの二人にしてみれば、直人の理論展開など面白くもなんともないと言いたいらしい。
「……ヤマタノオロチ殺したのって、ヤマトタケルじゃなかったっけ?」
 その横では、体育会系の靖司が首を傾げている。
 それは某特撮映画やマンガのせいで広まった、誤った知識だ。
 素戔嗚尊スサノオノミコト天照大神アマテラスオオミカミの弟で、れっきとした神様だ。しかし日本武尊ヤマトタケルノミコト景行けいこう天皇の第二もしくは第三皇子であり、戦に強かったとはいえ結局は即位もできなかった、人間の一人にすぎない。
 とはいえ、そんな突っ込みを入れるのさえ面倒で。
 直人は深々と息を吐いて、広げていたものを片付け始めた。


◆  ◇  ◆


 その後、直人は下宿にある自室のローテーブルに借りてきた本を積んで、唸り声を上げていた。
 目の前にあるノートパソコンのディスプレイには、ほとんど何も打ち込まれていない。テーブルの空いた場所や畳の上へ散らばっているメモに、せいぜい一言二言が乱雑な筆跡で走り書きされている程度だ。
 そしてごく当たり前のように、胡座をかいた両脇には白と黒の狐二匹が、のんびりとまるで室内犬を思わせる姿勢で行儀よく身を伏せている。
 図書館では外野がうるさくて先に進まないと作業に見切りをつけた直人だったが、帰宅して自室の扉を開けてみると、何故かそこには堂々と先客が待っていたのだった。幸いにも勉強が忙しいと告げたら、静かにおとなしくしてくれているのだが、それでもやしろに帰るという選択肢はないらしい。
「……『八岐ヤマタ』はやっぱり八つの又として、複数に分かれた河川の支流群を暗喩しているとするべきか……ええと確かどっかに、元々『弥腿イヤマタ』って書いて『すごく長い』って意味だったのが、後世に訛って『ヤマタ』となったって説が載ってたような……」
 ガサガサとメモや本のコピーをあさっては、目的のものが見つからずに頭をかきむしる。
 そんな直人の様子を、二匹の神狐は物珍しそうに眺めていた。
人間ヒトというものは、ずいぶん物事をややこしく考えるのだの”
 次郎丸が、直人の腹越しに相方へと話しかける。
“彼らは寿命が短いですからね。世代交代を重ねてゆくうちに、どうしても昔の出来事は曖昧になってゆくのでしょう”
 太郎丸が白い鼻面を振る。
 数千年どころか数百年、いや百年も満たない過去のことですら、人はすぐに忘れてしまう。いや、忘れるだけならばまだ良い方だ。それぞれが思うままに憶測や勘違いを塗り重ね、気が付いた時には事実とはまったく異なった、彼らだけが信じる『真実』を作り上げてしまっている。
 それらに振りまわされる、神やあやかしの方こそ良い迷惑というもので。
肥河ひのかわのう……”
 次郎丸が斐伊川の古い呼称を口にして、なにやら宙に視線を彷徨わせる。
 どこか遠くを見るその眼差しは、記憶の彼方にある何かを思い返しているかのようだ。
“あそこに棲んでおった蟒蛇うわばみは、確か嫁御を取るにあたってひと騒動起こしおって ―― ”

「ストーーップっっっ!!」

 キーボードを叩いていた直人が、突然大声を上げた。
 次郎丸の首筋が、がしっとその右手で押さえこまれる。
 いつになく手荒なその仕草に、玄狐はびっくりしたように言葉を切った。細い瞳孔を持つ黄金色の目がきょろりと丸くなって、直人の方を見上げてくる。
 どこか小動物めいた邪気のないその目を、直人はにっこり笑顔で見下ろした。
 その笑みは、何故か背後におどろおどろしい空気を漂わせている。
「俺は、レポートを書かなきゃ、いけないんだ」
 一言一言、区切るようにして直人はそう口にした。
“お、おう”
“学生の本分は勉強ですからね。大切なことです”
 うなずいた太郎丸だったが、ぐりんと上体をひねって向けられた顔に、何を感じたのか口をつぐむ。
「俺が必要としてるのは、ドラゴン・スレイヤーの冒険活劇でも、神さま達の思い出話でもないの。そんなものでレポート書いても、突っ返されるだけで単位はもらえないの」
 お判りですか、神さま?
 ニコニコと浮かべられたままの笑顔の額に、井桁に似たマークが浮いているように見えた。

「邪魔をするなら、お帰り下さい、ね」

 口調は静かだったが、語尾には強烈な力が込められていた。
 それでもいますぐ出て行けと怒鳴らないあたりが、彼の彼たるゆえんか。

“…………”

 二匹の神狐は今度こそ静かに黙って、良く躾けられた飼い犬のごとく、直人の太腿へとその顎を乗せるのであった。


―― 直人だって、たまにはブチ切れます(笑)

そして高志之八俣遠呂知コシノヤマタノオロチ=高志(大陸 or 北陸)からやってきた八俣(たくさん)のオロチ族(製鉄民族の侵略者)説も、考えだすと楽しくて止まらない。 女性を略奪する侵略者=オロチ族を倒すことで、彼らが持っていた製鉄技術を入手したスサノオ(追放された王族の末っ子)とか、そのネタで古代FTをまとめきれない己の力量が恨めしい……



本を閉じる

Copyright (C) 2018 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.