++お礼SS 楽園の守護者


※番外編「契約」で語られなかった、周囲の思惑あれこれです。
そちらを読了になってからどうぞ。







 驚愕の空気が、会議室の内部を満たしていた。
 たったいま、もっとも上座についた彼等の主の口からもたらされた内容に、円卓を囲む者達は誰もが平静を装うことすらできずにいる。
 あるいは隣の者と大きく開いた目を見交わし、あるいは呆然とした表情で主君を見つめ返している。
 皆がその言葉に混乱し、何かの冗談ではないのかと、そう考えているのだ。
 しかし主であるコーナ女公爵は、口元に不敵な笑みを浮かべたまま、挑むかのように鋭い目で一同を見渡している。
 と、そのつややかな桃色の唇が、再び開かれた。

「……無論のこと」

 はっと一同の視線が集まったのを確認するかのように、彼女は笑みを深める。

「領内の復興が落ち着くまで、婚姻の儀は行わぬ。あちらは己が身一つの気軽な立場だが、こちらはそうもいかぬからの。受け入れ準備にも何かと物入りになろうし、余裕ができるまで、少なくとも一年は婚約者のままで待ってもらうことになる予定だ」

「 ―― お、お待ち下さいッ!」
「本気でございますか!?」
「フェシリア様!!」

 必死の面持ちでなんとか否定の意志を表明しようとした官僚達へと、しかしフェシリアは大きくはっきりと頷いてみせる。

「既に陛下にも内諾をいただいた。国家セイヴァンの誇る破邪騎士が一人、ロッド・ラグレー。我がコーナ公爵家の婿として貰い受ける」

 ―― その言葉は議題ですらなく、完全なる確定事項として一同に告げられた。


*  *  *


「冗談ではないぞ!!」
 怒声とともに、物の割れる音が書斎に響き渡った。
 コーナ公爵領西部地域の取りまとめを一任されている、クァザ子爵の邸宅である。
 この子爵家は軍部を任されているロミュ侯爵家と並び、代々コーナ公爵家に仕えてきた家系の一つだった。過去には何度か姻戚関係も結んできており、爵位こそ高くはないものの、その権力は領内でも指折りだと自他ともに認められている。
 その当主である老人は、もたらされたばかりの情報に激怒していた。
 公爵家から遣わされた使者の男は、怒れる子爵の前に立ち、ひたすら身を小さくしている。
「あの男は元々下町の平民ではないか! そのような下賤の血を公爵家に入れるなど、何を考えているのだッ? そもそもあんな下郎に領主の仕事が務まるはずもなかろうに!!」
 インク壺が空を切り、壁に叩きつけられて黒い染みを広げる。
 危うく直撃を受けかけた使者は、かろうじて悲鳴を上げずにこらえた。身体を強張らせる若者を、老子爵は険しい表情で睨みつける。
「ぇえいッ、貴様では話にならん! まずは皆と対策を練らねば! 弟の所へゆく。誰か用意をしろ!!」
 椅子から立ち上がりざま、老人は腹立ちまぎれにだろう。机の上にあったもろもろの物を、腕で払い落とした。薄い磁器製のカップが床の上で高い音を立てて割れ、残っていた茶があたりに飛び散る。
「片付けておけ!」
 扉脇に控えていた侍女に吐き捨てるように命じて、子爵は書斎を出て行った。
 主の剣幕にやはり震えていた侍女は、その後ろ姿が扉の向こうへ消えると、小さく安堵の息を洩らす。


*  *  *


「お聞きになりましたか」
 芝居がかったようにひそめられた問いかけに、向かいに座る男がやはり同じような低い声で返答する。
「 ―― 新しい公爵様が、恋に溺れておられるという話ですかな」
「ええ。先代の突然の病で、右も左も判らぬまま後を継がされた姫君です。年もまだまだお若いし、公爵というお立場の重要性もまるで御存知ない。分別なく色恋に惑わされるのも、無理はございませんが……」
「しかしよりにもよって、あんな男を選ばれるとは、あの方も趣味がお悪い」
 この海に近い街で山の幸を贅沢に出す料亭は、それだけに価格設定もかなり高い。が、個室も用意されているために、大きな声ではできない密談にも至極都合が良かった。
 そういう目的でしばしばここを利用する男達は、出された料理にはほとんど手を付けぬまま会話を続ける。
「なんでも元はと言えば、戸籍すら無い流れの用心棒だったとか言う話でしょう?」
「いかにも。以前警備兵達と訓練を共にしている姿を見ましたが、なんというかまあ、まさしくお里が知れるとはあのことですな」
「ええ、私共の主人あるじも眉をひそめておりました。あのような男が、姫さまの視界に入ったのが、そもそもの間違いだったのだと」
「穢れを知らぬ尊き御身の目には、下賤な姿も新鮮なものに映ったのでしょう。不幸な出会いでした」
 つ、と男が飲み干した杯を横に差し出すと、黙って背後に控えていた給仕が、洗練された仕草で水差しから果実酒を注いだ。
「起きてしまった過ちは、無かったことにはできますまい。しかし正すことはできましょう」
「……ふむ」
 男達は目を見交わすと、満たされた杯を互いに掲げ、無言で小さく頷きあった。


*  *  *


 悪趣味と言えるほど飾り立てた豪奢な服をまとった小太りの男が、息子へと同じことを何度もくどくどと言い聞かせている。
「良いか! あんなクズなど、すぐにボロを出すに決まっておる。お前はいつでも傷心の姫さまをお慰めできるよう、常におそばを離れるでないぞ」
「判っておりますとも、父上」
 同じ程に華美な服を、引き締まった体型と整った顔立ちでかろうじて着こなしている青年が、軽薄な笑みを浮かべながら、その言葉にうなずきを返していた。
 開いた窓から吹き込む風に乱された、波打つ栗色の髪を気取った仕草でかきあげる。
「なんなら、そこそこ見目の良い女を何人かあてがってやれば、すぐに飛びつくでしょうよ。ああいった破落戸ごろつきなんて、金と女さえあればイチコロですからね。そうだ、僕の顔が利く賭場を紹介してやってもいい。あっという間に本性を見せて、姫君にも愛想を尽かされますよ」
 青年の提案に、財務官僚を勤める男は考えるような素振りを見せる。
「ふむ……それもいいかもしれんな。だがお前もその賭場に出入りしていることは気付かれるなよ。女も全て手を切っておけ」
「はいはい。世間知らずなお姫さまに、卒倒されるような真似は慎みますって」
 肩をすくめて軽口を叩く息子をよそに、男は小さくため息をつく。
「……まったく、フェシリア様もとんでもない男を選んでくれたものだ……」
 遠くを見るように遊ばせたその視線の先では、出入りの庭師がせっせと花壇の植え込みを刈り込んでいて ――


*  *  *


「……って感じでよぉ、もう聞いてるだけでムカつくってもんさ」
「判る、判るぜ。こないだうちの店でさんざっぱら飲み食いしてった、自称王都の大商人と復興物資の配分に口を出せるお役人サマとやらもさ。ひっでえ言い草だったからなあ。やれ、身の程知らずがついになりふり構わずジゴロの真似事をとか、化けの皮が剥がれる前に取り入って、利用できるだけ利用してくれるとかよぉ」
「うちの娘が勤めてるお屋敷では、もっとヤバげな話も聞いたって言ってたぜ」
「どんなだよ」
「……ここだけの話なんだけどな」
「おう」
「なんでもその家が肩入れしてるお貴族様の息子をさ、女公爵様と結婚させようってえ計画だったのが、今回のことで丸潰れになったとかで。ロッド様さえどうにかしちまえば、まだやり直せるだろうって……」
「おいおい、マジかよ!?」
「冗談じゃねえぞ!!」
「どこのどいつだ、んなふざけたこと言ってやがるのはッ」
 下町の酒場の片隅で、賭け手札をやりながら愚痴めいたものを交わしていた身なりの悪い男達が、急速に頭に血を昇らせていた。卓子テーブルの上に散らばっていた酒の杯や銅貨を跳ね飛ばし、声を荒らげて身を乗り出している。
「あの人にゃあ、キャタ家で働いてた姪っこが馬鹿息子に目ェ着けられて手篭めに遭いそうになった時、助けられた上に新しい職場まで紹介してもらったんだ!」
「うちだって、警備兵だった義弟おとうとが妖獣にやられた時、横から助けに入ってくれたんだ。お陰で義弟は足一本ですんだし、見舞金から義足職人まで手配してもらえたおかげで、なんとか今の仕事でやってけるようになれたんだぜ」
「向こうの角の紅珊瑚亭って知ってるか? あそこが商業組合のエライさんにハメられて店畳みかけた時も、手形の取り立てに来た奴らにたまたま居合わせたロッド様が、金貨投げつけて追っ払ってくれたってよ。おまけにそれからちょこちょこ飯食いに来ては、『先払いしてる奴から差っ引いとけ』って。カーッ、一度言ってみてえよな、んな台詞!」
「平民上がりだろうがなんだろうが、たいていは一度出世しちまえば、ろくでもねえ奴に成り下がっちまうってのによ」
「あの人はてめえがただの平民だった頃の事をちゃぁんと覚えてて、下の者のことを考えてくれてるんだ」
「そんなあの人をどうこうしようなんざ、許せねえ!!」
 声を合わせた男達の回りには、いつしか別の卓子からも人が集まり始めていた。
 どうする。相手は金持ちや街の有力者で、こちらから手出しはできねえぜ。下手に首を突っ込むとこちらの方も危ないことになる。なら直接本人に知らせりゃいい。とりあえずあの人を見かけたら、それとなく話をもっていこう。だが一刻でも早いほうが。誰か字を書ける奴がいるなら、匿名で手紙でも出したらどうだ。ならうちの親方が。うちの息子も簡単な読み書きなら。そう言えば従兄弟の知り合いが公爵邸で門番をやってるから、言付けられるんじゃないか。
 ひそひそとそんな相談が、低い声でまとめられてゆく。


 そんな卓から二つほど離れた壁際の席で、一人静かに杯を傾けていた男が、代金を置いて立ち上がった。
 地味な服装に目立たない風貌をしたその男は、見送る店員に軽く手を上げて酒場から出てゆく。
 急ぐ様子もなくゆったりとした足取りだったが、あっという間にその姿は人混みに紛れてしまった。もはや彼があの酒場にいたことなど、誰も気付くことはできないだろう。
「…………」
 糸のように細い目 ―― その目蓋の間から、鋭く光る瞳がかすかに覗いている。
 彼の脳裏を巡っているのは、今しがたの酒場で耳にした話だけではなかった。
 行商人を装って入り込んだ、目星をつけた有力者たちの邸宅の厨房や、あるいは荒くれ者の警備兵達がたむろする駐屯場などでも、そこここで同じような情報が行き交っていたのだ。それらを総合して見えてくる、コーナ女公爵の婚約に対する周囲の反応と、張り巡らされた数々の謀略。
 誰が敵であり、そしてその中でも特に油断のできぬ相手で誰であるのか。
 それを探りだすのが、フェシリア子飼いの間諜である、彼の仕事であったのだが……

「……やはりあの男、注意せねばならぬな」

 ぼそりと、小さくひとりごちる。
 本来であれば、この手の情報収集には、相応の手間暇が必要となる。時間をかけてゆっくりと怪しまれぬよう相手の懐に入り、場合によっては幾らかの金銭を握らせたり、あるいは弱みを掴んで情報源の口を割らせるのが常道である。
 ところが今回の仕事は、恐ろしいほど順調に進んでいた。
 出入りの職人や下働きや兵士達、あるいは密談に使われる店の給仕などに、それとなく水を向けるだけでいいのだ。
 自分はあの男に好意を持っているが、お偉方はそうでもないようだ、と。
 軽くそう匂わせるだけで、あとはまるで火にかけた二枚貝のように、相手の方から簡単に口を開けてくれる。
 場合によってはさっきのように、人のいる場所で聞き耳を立てているだけでも、有用な情報が勝手に飛び込んできた。
 それほどにあの男は、この街に住まう ―― 特に底辺に位置する民達の心を捉えている。
 コーナ公爵家に仕える使用人達の間でもまた、それは同様であった。
 彼が公爵家にやってきたばかりの頃は、まだ戸惑いも大きかったようだ。が、人は何に対してもいずれは慣れてゆく。使用人用の食堂で同じ粗食をかき込み、日常の四方山話に興じる破邪騎士へと、皆はじょじょに打解け、親しみを抱き始めていた。
 国家の要たるセフィアールでありながら、彼はけして雲上人ではなく、自分達ともちかしい、同じ人間であるのだ、と ――
 更に付け加えるならば、この街で前線に立つ兵士のほとんどは、一般市民達が兵役によって従軍しているか、あるいは給料をもらって自らの意志で職業としているかのどちらかであった。その彼等には当然、家族や親戚がいる。
 昨年夏に起きたあの妖獣の大襲来によって、正真正銘の一般市民であるそれらの縁者たちは、多かれ少なかれなんらかの被害を受けていた。そんな家族らに対し現場をその身で体験してきた兵士達は、後日語ったのだろう。自分達と共に、泥まみれになって妖獣への対処方法を考え、事前準備に奔走し、そして力尽きて倒れるまで戦った破邪騎士の存在を。
 そうと聞けば、直接彼を見知らぬ者であっても、感謝の念を抱かない訳がない。
 そしてそんなふうに好意を持っている相手が悪し様に評されているのを耳にしたならば、それは嫌な気分にもなるし、記憶に残るのも当然だ。ましてその悪口を言っている人物が、普段から自分達に対してひどい振る舞いをしていれば尚の事、気持ちの天秤は親しみを持っている方により傾く。

 結果として現在のあの男の声望は、けして看過できぬほどのものになっていた。
 たとえそれが身分の低い者どもに限定されていたとしても、そこには数の力というものがある。

「その力を、フェシリア様のために使うのであれば、良し。だが……」

 あの男には、けして公にはできないが、正統なる血筋という大きな切り札が隠されている。
 今のところは分別を持ってそれを隠しているが、血統と民からの人望という二つを持ってすれば、フェシリア様を蔑ろにできるなどと、心得違いを起こす可能性も皆無ではない。
 主人あるじはあの男をそれなりに信頼しているようであるが、いざとなればこの身に代えてでも、対処する必要があるだろう。
 とは言え、しかし ――

「今はまず、余計な者共に足を掬われ、フェシリア様の計画を狂わせるような真似だけは、させぬようにせねばな……」

 コーナ公爵家にではなくフェシリア個人に対してのみ忠誠を誓うその間諜は、口の中で呟くと、さらなる情報を収集するべく、人混みの中へと姿を溶けこませるのであった ――


―― 偽装婚約に対する周囲の反応を書こうとしたら、何故か間諜くんが大きく出張ってみたり(苦笑)



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