++お礼SS 楽園の守護者


※番外編「義務」の後日談(?)です。
そちらを読了になってからどうぞ。







「突っ立ってんじゃねえ! ボケぇッ!!」
 罵声と同時に、細剣を構えていたベルセリウスは、背後から強い衝撃を受けて地面へと突き倒されていた。
……ッ、な、なに……?」
 慌てて起き上がろうと腕をつっぱるが、背中に何か重いものが乗っていて、思うようにならない。まさか妖獣がと青ざめた彼の耳に、離れた位置から慌てたような声が届く。
「貴様っ、何をやっている!?」
 そちらに目をやれば、先輩騎士が驚愕の表情を貼り付けて、こちらを凝視していた。首を捻るようにしてなんとか肩から後ろを振り返ってみれば、己の背中を踏みつけているのは、妖獣の足ではなく黒い革の乗馬靴だった。そこから伸びる、青藍の脚衣ズボンに包まれた、すらりと長い足。
「じたばたすんな! 邪魔だっつってんだろうが!」
 ぐいっと足に力が込められる。まともに体重を掛けられたベルセリウスは、肺の息を無理矢理押し出され、たまらず呻いた。
 彼を足蹴にした男は、踏ん張ったその力で巨大な段平を振りまわし、次々と襲い来る肉食獣型の妖獣を斬り飛ばしている。
「ちょ、苦し……どいて……」
 抗議の声は、小さすぎて男の耳には届かないようだった。
 こんな状態で妖獣に襲われては、ひとたまりもない。震え始めるベルセリウスの前で、しかし妖獣は男の手によって、一匹たりともその牙が届く位置まで近付くことはなかった ――


*  *  *


 戦闘が終わってようやく解放されたベルセリウスは、泥汚れと擦り傷だらけになって、ぼんやり地べたに座りこんでいた。
 先輩騎士達が口々に慰めの声をかけてきてくれるが、あまりその耳には入ってこない。
 やがて彼らも事後処理に忙しくなったのだろう。順繰りに肩を叩くと、それぞれの仕事に向かっていった。
「あー……大丈夫か? ほら、お前も片付け手伝わないと」
 そんな言葉と共に手のひらが目の前に差し出されて、ベルセリウスはのろのろと顔をあげた。
 腰を屈めて手を伸ばしているのは、なにかとよく面倒を見てくれる、もっとも年若い先輩騎士 ―― カルセスト=ヴィオイラだった。かすかに緑の混じった灰色の瞳に柔らかな光をたたえて、気遣うように見下ろしてきている。
「手伝、い?」
「ああ。妖獣の死体、まとめて燃やさないと」
 促されて、ベルセリウスはようやくその手を握りしめる。
 そのまま力強く引っ張り上げられて、どうにか立ち上がることができた。
「あーあ。背中、すごい足跡ついてるな」
 泥だらけの服をはたいてくれるカルセストの優しさに、ベルセリウスはやっと正気を取り戻してきた。そうすると今度は意図せず涙がこみあげてくる。男が、一人前の騎士が情けないとは思うのだが、妖獣を目の前にして自由に動けなかった恐怖と、ぶつけられた理不尽な仕打ちに、目が熱くなるのを止められない。
「な、なん、で……あんな……ッ」
 ついにしゃくり上げてしまったベルセリウスに、カルセストは困ったように眉を寄せた。
「んー」
 人差し指で頬を掻き、しばらく思案するように視線をさまよわせている。
「あの、な」
 ややあって、ゆっくりとその口が開かれた。どうやら言葉を選んでいるらしく、いささか歯切れが悪い。
「お前、気付かなかったみたいだけど……さっき、真後ろに妖獣いたんだぞ?」
「え……」
 前方の集団にばかり気を取られていたベルセリウスは、その言葉に驚いて目を見開いた。
 後ろ? と問い返すのに、うなずきが返される。
「俺も『邪魔だ』って声で振り返って、初めて気付いたんだけど、さ」
 両手に細剣を握りしめて、必死に目の前の妖獣の隙を窺っていたベルセリウス。その背後に別の妖獣がまわりこみ、まさに飛びかかろうとしていたのだ、と。
「あと一瞬、蹴り倒されるのが遅かったら、たぶんやられてたと思う」
 つまりあの男は、ベルセリウスを庇ったという訳だ。
 ちょっと……かなり、手段は荒っぽかったのだが。しかしそれがあの男のあの男たる由縁なのだから、そこは仕方がないとでも割り切るべきか。
 ちなみにその後も起き上がらないよう踏み続けていたのは、本気で邪魔だったからだろう。動きの悪い人間がそば近くにいると、あの重い段平は振りまわせない。
「そ、そんな……」
 言葉を失うベルセリウスに、カルセストは複雑な表情を向けてきた。
「悔しいけど、ほんとの話。なんて言うか、あの男は……そう、視野が広いんだ。いつも、戦いながら、ちゃんとまわりを見てる」
 誰もが目の前のことで手一杯になっている時でも、常にその周辺へと気を配っている。
 そうして手荒に、かつ無言で。誰も気付かないような、細かいところへと手を回しているのだ。
「術を使う時とかも、あいつ滅多に参加しないだろ? さぼってるってみんなは言うけど……ほんとは、妖獣に隙をつかれたりしないように、警戒してるんだ」
 本人は、絶対にそんなことなど認めはしないが。
 その言葉に、ベルセリウスははっと胸を突かれた。言われて見れば、確かに思い当たるふしがあったのだ。
 あれはセフィアールに叙任されて、初めて参加した実戦の場だった。鋭い口吻こうふんを持つ妖蜂ようほうの群に、ただただ翻弄されるばかりで、術の構築に出遅れてしまった、あの時。自分が目にした、あの男の行動は ――

「…………」

 うつむいて沈黙してしまったベルセリウスを、カルセストは軽く背中を叩いて我に返らせた。
「まあ、もうちょっとやり方を考えろって言いたいところだけどな」
 さ、いつまでもぐずぐずしてないで、後片付けするぞ!
 叱咤するように強く言われて、ベルセリウスは慌てて返事をした。
「はいッ」
 勢い良く答えて、きょろきょろとあたりを見まわす。
 少し離れた場所では、既に妖獣の死骸が積み上げられ始めていた。
 これから地面に穴を掘り、そこに投げ込んだあと、特殊な配合の香油をかけて燃やしてから埋め戻すのだ。避難している村人達を呼び戻して手伝わせても、かなりの重労働になる。

 しかしそんな地道な作業をする者達の中に、あの男の姿は、ない ――

 今まではそれを、単なる怠慢ゆえとばかり思っていたけれど。
 けれどもしも、騎士達全員が後始末に集中しているいま、この時。
 生き残りの妖獣が、たとえ一匹でもどこかに潜んでいたならば、と……

 それは、これまで思いつくことすらなかった考え。
 しかし一度でも思い至ってみれば、肌に粟を覚えるほどに、いつ起こっていてもおかしくない『もしも』に他ならず。

 それに気付くことができたベルセリウスは、これから先の破邪で、今までよりもずっと幅広く、柔軟に行動を組み立てられるようになるだろう。

 いまだ未熟な新人破邪騎士は、この日、あらゆる意味で視野を広く持つための、新たな観点を身をもって学んだのであった ――


―― いろいろと、親切に解説してもらえるベルセリウスはまだ幸せ者。



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