++お礼SS 骨董品店 日月堂


※外伝「刻輪廻」より後のお話。
そちらまで読了されてからどうぞ。







 ……いったい何を考えているのだ、本家は。と。
 既に何度目になるのかも判らないそんな感想を、日月堂の店主である男は、心の底から強く強くいだかされたのだった。


 そんな彼の目前に立っているのは、その『本家』こと陰陽道の宗家たる安倍家から預かった、元々は跡取りと目されていた少年である。
 血筋の上では誰よりも正当な後継者でありながら、まったく術力を持たないという致命的な瑕疵かしにより廃嫡され、行き場を無くした哀れな存在だ。
 現在、本家は少年の双児の弟が跡を継ぎ、叔父を後見人として大過なく運営されているという。一方この日月堂はといえば、安倍家直営とは名ばかりの、いわば左遷の地だ。人も物も同様に、本家の役には立たないと見なされた、ガラクタばかりが放り込まれる場所。
 保管された品々も、店主である男も、そしてこの少年も。
 安倍家には必要ないと、そう判断されたからこそ、ここにいるのだ。
 ……しかし、だ。
 店主は深々とため息をついて、卓上に散らばった紙束を眺める。
 なんだって、コレを『役立たず』と判断したんだ。
 心の底から、疑問に思う。それほどに、そこに記された内容は衝撃的だったのだ。


 ―― そもそものきっかけとなったのは、夕食時につけていた、ただのテレビだった。
 適当に合わせたチャンネルから流れていたのは、いわゆる海外物のサスペンスドラマ。アメリカで作成された描写の露骨なそれで、食事時に相応しいものとも思えなかったが、他に見たい番組もこれと言ってなかったので、BGM代わりに流しっぱなしにしていたのだ。男はおかずを咀嚼しながら画面を眺めていたが、少年の方は特に興味もないらしく、手元に視線を落としたまま、黙々と箸を動かしていた。
 と ――
 画面上で軽妙なやりとりをしていた刑事達が、ちょっとしたジョークを口にした。その瞬間、くすりと小さな笑みがその口からこぼれたのである。
 ああ、こいつも少しは笑えるようになったのだなと、男はまずそう思った。それから違和感に気付く。
 放送は字幕だった。吹き替えではなく、流れていたのは英語のままの音声だ。そして少年は画面の方を向いていない。明らかに耳から入った内容に対して、その反応はもたらされたのだと。
 疑問に思った彼は問うてみた。
「お前、もしかして英語が判るのか?」
「はい、だいたい……たぶん日常会話ぐらいはできると思いますが」
 質問はごくあっさりと肯定された。
 しかし相手は十五才の少年だ。しかも中卒である。普通ならヒアリングどころか、ペーパーテストで五割取るのも難しいのではないだろうか。
「なんでだ。中学じゃそこまでは習わないだろう」
「覚えておけば役に立つかもしれないと思ったので。ラジオの講座で勉強しました」
 結局、無駄になってしまいましたが、と。
 目を伏せた少年のおもてに暗い自嘲の影が浮かぶ。男は慌てて、持ったままだった茶碗をテーブルに叩きつけた。
「いや! 無駄じゃない。ちゃんと役に立つ! 外人の客が来た時とか、ものすごく便利じゃないかッ」
 上体を乗り出すようにして力説する。
 ほとんど閑古鳥が鳴いている現在の客足には、この際、目をつむっておいた。とにかく自己否定に凝り固まっているこの少年の気持ちを、少しでも前向きにさせてやることが、いま為すべき事だと判っていたからだ。
 実際、英会話ができると言うことは、普通にすごいことだった。それだけで立派にひとつの特殊技能である。この年齢で、しかも独学でそれをなしえたというのだから、この少年はとんでもない。
「その年で日本語と英語と二ヶ国語話せるなんて、帰国子女でもなけりゃ、そうないぞ」
 すばらしいと、とにかく褒めちぎってやる。
 と ―― 不思議そうに首を傾げていた少年は、やがておずおずと口を開いた。
「あの……」
「ん?」
 なんだ、どうしたと促してやる。とにかく自己主張の少ないこの少年が、こうして会話をするようになるまでにも、男はずいぶんと苦労させられたのだ。
「ええと、その……一応、中国語も、勉強したんですが」
 役に立ちますか? と聞いてくる。
「中国語って、そっちも会話できるのか」
「実際に使ったことはないので判りませんが、たぶんできると思います。元々は家にあった漢籍を読むために学んだのですけれど……話せるに越したことはないと思ったもので」
 つまり中国の古書もしっかり読みこなせるというわけだ。骨董商としてそれは、かなりの強みとなるだろう。
 学校の勉強と陰陽道の修行をこなしながら、更にそれだけの技術を身に付けていたのか、この少年は。
 ……待てよ、学校の勉強?
 思わず動きを止めて、考えこむ。
 それだけ英語ができるということは、少なくともそちらの成績は良かったのだろう。漢籍が読めるぐらいならば、古文などもそこそこいけたのではないか。
「お前……学校の成績、どれぐらいだったんだ」
 それまで気にしたこともなかった過去を、訊ねてみたのは初めてだった。本家に言われるまま進学もしなかったのだから、せいぜい人並みかそれ以下だったとばかり思っていたのだが ――
「成績ですか。一番良かった頃なら……」
「頃なら?」
「学年首位でした」
 さらりと。
 ごく当たり前のことを言うように答えられた。
「はぁ!?」
 返す言葉がないとは、まさにこういう心境を現すのかと。
 男はその日、まざまざと思い知らされたのである。


 そうして確認のため ―― 少年の自己申告を信じない訳ではなかったが ―― 取り寄せた各種模試の過去問題を解かせてみた結果が、現在、卓の上に散らばっている紙束の数々である。
 結果……センター試験レベルで全科目九割以上。
 中には満点のものさえ数教科含まれているのだから恐ろしい。
 男は真剣に頭痛を覚えた。
 本当に! 何だって! 本家はこいつを進学させなかったのだ。
 術力の有無など関係ない。安倍家というひとつの巨大な組織を運営して行くにあたって、この少年がどれほど役に立つかは計り知れなかった。『末は博士か大臣か』とは良く聞く言葉だが、これなら資格試験を受けさせれば、安倍家の顧問弁護士でも会計士でも、何だって充分務まるはずなのに。
 頭を抱え込むその前で、少年は困ったように首を傾げて立ち尽くしている。
 彼は「問題は解けるのが当たり前」とでも思っているらしい。現在自分の保護者である男が、いったい何を思い煩っているのか、まったく判っていないようだ。

 ―― とにかく、だ。

 ズキズキと脈打つこめかみを押さえながら、どうにか思考をまとめる。
 『コレ』を、このまま放置しておくのは、犯罪と言って良い。
 これだけの記憶力と理解力と ―― なにより努力ができるだけの『才能』を持った存在を、最終学歴中卒などという立場に甘んじさせておくのは、もはや罪悪と評するべきだった。

 ―― とりあえず大検か? いや、それは年齢が足らないのか。ならまずは通信教育か。

 とにかくなんらかの教育を受けさせて、その能力にふさわしい学歴と資格を身に付けさせる。
 自分が旅立つために店主の座を押しつけるのも重要だが、まずはそこからだ!
 握り拳と共にそう決意する。

 ……その後。
 一般常識と対人関係をも学ばせるため、一年遅れで普通高校に通わせることを男は結論するのだったが。
 受験代、授業料その他の出費を工面するため、開店休業状態だった日月堂を骨董品店として本格的に営業させる羽目になったのは、面倒な半面、少年にとっても男にとっても良い生活の張り合いとなってくれた。
 それはある意味で、ひどく皮肉な現実とも言えるのだったが ――


―― 晴明くんが一浪して高校へ通うことになったいきさつ。
今は『大検』ではなく、『高認(高等学校卒業程度認定試験)』というらしいですね。



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