++お礼SS 骨董品店 日月堂


「……ほう、これはまた……見事なものだな」
 幸田伴道こうだともみち ―― 術者仲間の内では蜘蛛伯爵とも呼ばれているその男は、普通の人間であれば己の正気を疑うか、あるいは恐怖に腰を抜かすかするであろう『それ』を前に、まるで動じることなく、ただ深々とした感嘆の息を洩らしてみせた。


 話をさかのぼれば、伴道がその日その場に巡りあわせたのは、ごく偶然の成り行きでしかなかった。
 父の友人だという人物の依頼で、とある別荘地での、ちょっとした捜し物をこなし終えた、そののちのこと。どうということもなく、ただなんとなく気晴らしのつもりであたりを散策してみようかと、白樺の森を貫く遊歩道をひとり歩いていたのだが。
 どうもぼんやりしているうちに、正規のものではない、脇道を一本入ってしまったらしい。気が付いてみればどんどん濃くなる緑のただ中で、道を見失ってしまっていたと、そういった次第だったのである。
 とはいうものの、そこは彼も蜘蛛伯爵の異名を持つ男だ。
 常に従えている蜘蛛達の何匹かは、彼の歩んだ後にしっかりと糸を残してきている。それをたどってゆけば、もと居た場所に戻るのに、なんらの不都合も存在しえなかった。
 故に伴道は、これといって慌てることもせず、あたりの自然を楽しみつつ、のんびりと歩を運んでいたのだが。
 ふ、と。
 彼の感覚に触れてくるものが、存在したのである。
 それは、彼以外の誰にも ―― 同じ血肉を分けた家人達でさえ ―― 理解することのないだろう、彼だけの特殊な感覚だった。
 それに従い、さらに道無き道を求めて藪をかき分けていった伴道は、数分後、足を止めて感嘆の息を吐くこととなる。


 そこで彼が目にしたのは ―― あまりにも非現実的な、巨大な ―― 巨大すぎる大蜘蛛の姿であった。
 網状の巣を貼って獲物を待ち受ける種類ではない。自らの脚で大地を駆け、獲物へと飛びかかる、徘徊性と呼ばれる類のものだ。
 しかし通常ならば、どれほど大きくとも手のひら大といったはずのそれは ―― ゆうに体長数メートルを越えているのである。
 熊笹の茂みに半ば埋もれるようにしてこちらをむいているその単眼は、うち二つがことさら大きいせいもあってか、まるで自動車のヘッドライトを思わせるほどだ。
 全身に仇光りする褐色の剛毛が密生しており、わずかな動きにもザワザワと蠕動しているかのよう。頭胸部から腹にかけて走る二本の黒い帯が、巨大ながらも敏捷さをうかがわせる、精悍さを感じさせて。
 B級恐怖映画から抜け出てきたとしか思えない、その恐ろしげな風貌を前に、しかし伴道が見せた、その反応はといえば ――

「……ほう、これはまた……見事なものだな」

 きらめく漆黒の単眼から、数歩手前。
 この種の蜘蛛であれば、わずか一飛びで越えてしまうだろう、ごくごく近距離で立ち止まって。
 彼は心底からとおぼしき賛嘆の言葉を、その大蜘蛛に対して投げかけたのである。

 いつもと同じ、どこか古風なデザインのスーツに包んだ右手を顎にあてて、彼はしげしげとその巨体を眺めまわしていた。
「その模様……背の縦条が白いところを見ると、ハラクロコモリの雄と見たが……しかしどれほど生きればこれほどの大きさになれるのか。何にせよ見事だ」
 どこまでも賞賛を惜しまない彼だったが、観察していた眼が、ふとある一点で止められた。細い眉が不快げにしかめられる。
「なんだ……もしかして怪我をしているのか?」
 左側の第一脚 ―― いわゆる一番前の脚の半ばあたりに、わずかにひびのようなものと、にじみ出た体液の染みがみうけられた。これほどの大きさなのだから、その甲殻がどれほどの厚さをしているかは推して知るべし。よほどの衝撃を受けなければ、このようなことにはならないだろう。
「どれ……」
 一言呟くと、伴道は怖れ気もなく大蜘蛛へと近づいていった。傷ついた第一脚へと無造作に手を伸ばし、傷の具合を検分する。
 大蜘蛛は、一瞬その身をひこうとしたかのようだった。
 だがそれ以上の大きな動きは見せようとせず、そのままの姿勢で間近にやってきた人間を見下ろし続けている。きらめく八つの眼は、けして低くはない伴道の背の、さらに頭上に位置していた。この種の蜘蛛は概して視力が良いと言われているが、いま怖れる気色もなく触れてくる人間の姿が、その眼にどのように映っているのか、推し量ることはできなかった。
 伴道は傷がそう深くないことや、土や落ち葉で汚れていないことを確認すると、一安心したようだ。
 ポケットからシルクのハンカチを取り出すと、傷口に押し当てる。そうして無造作に引き抜いたタイを包帯にして、己の腕ほども太さのある脚部へと巻きつけた。
「たいしたことはなさそうだ」
 きっちりと端を結んでおいて、彼は大蜘蛛の頭の方を見上げ、にこりと笑ってみせる。
「おぬし程のものがこんな傷を負うとは、いったいなにがあったか知らぬが。今後は気をつけた方が良い」
 こわい毛が生えた身体を数度軽く叩き、もう一度、鑑賞するようにその全身を眺める。

 ―― それは、他の誰もが異常だと口を揃えようとも、伴道自身にとってはなんらの疑問も違和感もない、ごく自然な行動だったのだ。


◆  ◇  ◆


 そんなことがあってから、数週間ののちのこと。
 伴道はやはり父からの要請をうけて、しぶしぶと立食形式のパーティーに参加していた。
 彼の父親は幾つかの会社の会長職を務めており、三人いる兄達もまた、それぞれの会社の経営を分担して行っていた。後妻の子である伴道は、一人歳が離れていることや、その適性もあって、会社の経営にはほぼタッチしていない。それでも時おりはこうして、社交上の付き合いといったものにかり出されることがあった。
 ゆっくりと会場内を歩いては、つまらなさそうに酒や料理を口に運ぶ。
 古風なダークスーツは、この場ではさほど目立つ要因にこそならなかったが、しかし周囲のすべてに無関心を貫くようなその態度は、明らかに他からの干渉を拒むものがあった。たまに父や兄達から客へ紹介される時だけ、わずかに体裁を繕って会釈してみせる。そんな具合だ。
 家族の顔を立てることに否やはないが、それ以上の関心はまったく無い。
 伴道の態度はいっそ見事なほどに一貫していた。
 彼にとってみれば、こんな場所で父や兄達の商売相手と社交辞令を交わしているよりも、居心地の良い自宅で、愛する蜘蛛達に囲まれていることの方が、ずっとずっと楽しいことなのだ。あるいは、愛しい娘達を良く言おうとしない他の術者達でさえも、共に過ごしていてまだましだろうか。
 そんなふうに無表情のまま、時間潰しにゆっくりと会場を巡っていた彼だったが、ふと ―― 自分でもよく判らぬ感覚のまま、うつむいていた面を上げていた。
 わずかに先の絨毯を眺めていた目を持ち上げて、動かしていた足を止める。
 視線をあたりへと巡らせたのは、ほとんど無意識の仕草だった。
 何だろう。何か、引っかかるものを感じたのだ。
 それは、伴道にしか判らない、なにかだったのかもしれない。
 ともあれ彼は自分の感じたものの指し示すまま、視線を会場内へとさまよわせていた。
 そうして ―― 一人の男へとその目を止める。

 その男は ―― おそらく四十代の半ば頃と見えた。伴道とは十近く年が離れているだろうか。だがその年頃にあっても、中年の衰えなどはまったく感じさせていない。見上げる長身に肩幅の広いがっちりとした体躯は、おそらく鍛えあげられた筋肉の塊だと思われた。ブランドもののダブルのスーツを、嫌味なほどしっくりと着こなしている。全身から漂う気配は、不遜、酷薄、傲慢といったようなマイナスイメージに繋がりそうなものだったが、しかしそれらを男の色気とでも表現するべきだろうか、思わず目を引き寄せられずにはいられぬような、深みのある存在感が包括し、たとえようもない危険な魅力を醸し出している。
 丸レンズの眼鏡の向こうにあっても、和らげられることのないその鋭い眼差し。
 一歩間違えれば、そちらの筋の人間かとも疑われかねない、それはそんな佇まいだった。
 多くの大会社幹部や実業家達が集まるこの場において、なおその存在感をもって異彩を放つ男は、まっすぐに伴道の姿を見つめている。
 そうして彼と視線があった瞬間、ほんのわずかに口の端を上げてみせた。
 作られた笑みが、はたして嘲笑なのか親しみなのか。判断するよりも早く、伴道の背後からかかる声があった。
「……どうだ、少しは楽しんでいるか?」
 どこか苦笑混じりのその言葉は、伴道の兄のものだった。
 すぐ上 ―― といっても、その年齢にはやはり十近い開きがあるが ―― の兄は、こういった場が好きではない異母弟の事を熟知している。故に退屈が高じていつの間にかいなくなっていたり、こっそり蜘蛛を取り出していたりしないように、こうして折を見て声をかけてくるのだ。
 そんな兄を一度ふり返って適当にうなずくと、ふたたび伴道は男の方に視線を戻そうとした。
 と……
「お久しぶりです。幸田社長」
 深みのあるバリトンが、間近から発せられていた。
 目を外していたわずかな間に、男は二人の方へと歩みよってきていたらしい。
「こちらこそ、お久しぶりです。原社長」
 伴道の兄が如才なく言葉を返す。
 視線で訊ねかけると、兄は解説するように言葉を足した。
「こちらはオオガミ・インターネットの原時継はらときつぐ社長だ。原社長、こちらは私の弟で、幸田伴道といいます」
 それぞれに手のひらを向けて、互いに互いを紹介し合う。
「……はじめまして」
 珍しく伴道は会釈にそう言葉を加えた。
 応じて男 ―― 原はニヤリと口元に笑みを刻む。唇の端から尖った糸切り歯が覗いたように感じられた。
 右手が握手を求めるように差し出される。
「こちらこそ」
 その手のひらを、伴道はごく自然に握り返していた。厚く広い手のひらが、指の長い伴道の手をすっぽりと包み込む。
 滅多にない社交的な伴道の様子に、兄は驚きに目を見張っているようだった。
 が、伴道はそんなことになど気を止めることなく、それよりもあることに気がついて、数度目をしばたたかせた。
「……なにか?」
 伴道の様子に原は短く問いかけた。
 どこかその口調には、既に答えを知っているといったような響きが感じられる。
「いえ、そのネクタイですが ―― 以前、私も同じ物を持っていたのを思い出しまして」
 濃い臙脂の布地に、波のような模様が織り込まれたシルクタイだ。特に珍しいものではないが、何となく目についた。
「それはそれは。趣味が合いそうで何よりです」
 肉感的な唇を歪めて笑う原は、ひどく機嫌が良さそうだった。
 まるで、獲物を見つけた肉食獣のようだ、と。
 その時ふと覚えた印象を一笑に付したことで、のちに伴道の兄はつくづくと後悔することになる。
 この時、この実業家らしからぬ男は、確かに己が狙い定めた獲物をその掌中に収めようとしていたのだから。
 同時に己自身もまた、逃れえぬ恋情の網に絡め取られようとしていたことに、未だ気付くことはないままに ――



―― えーと、表で書けるのはここまでですかね(苦笑)
そんなわけで、伯爵の人外の恋人出会い編です。ほぼヤッちゃん紛いの実業家(♂)。
……ただし絵面さえ考えなければ、いつの少女マンガかハーレクインか……



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