++お礼SS 楽園の守護者


 それは、日々続く執務の途上での、どうと言うことのないやりとりのひとつだった。
 互いに無言で書類をめくり、手元の紙へと筆を走らせる。その合間に思い出したように口を開く。いわば気分転換のひとつだった。
「そういえば……」
 と、今回口火を切ったのは、狭い出窓の上で器用に座り込み、帳面と書類とを膝に広げている青年の方だった。
「お前のそのしゃべり方、母親譲りなんだな」
 唐突とも言えるその問いかけに、目を通していた書類を最後まで読み、署名まで終えた少女がわずかに顔を上げる。
「その通りだが……それがどうかしたのか」
 青年の方をふり返るでもなく、ただそう問うて次の書類へと手を伸ばす彼女に、青年もまた、帳面に目を落としたまま淡々と言葉を返す。
「いんや、別に。ただ俺もけっこう北の方まで行ったことがあるが、そこまで古くさい話し方は聞かなかったなと思って。あれか、上流階級の嗜みってやつか?」
 通常 ―― 対外的にといっても良いが ―― この少女が口にしているのは、ごく普通の、上流階級の姫君が使用している、丁寧でもの柔らかな言葉遣いだ。もちろんどこの作法の先生に聞かせたところで、なんの文句も出ないだろう、ごく自然で流暢なそれである。
 しかし内部の ―― 彼女が『身内』と認めた者達の前で話すときの言葉遣いは、どこか古典的な響きを備え、ある種の高慢さをも孕んだ一種独特の話言葉となる。
 実際、彼女の内面を知る者達にとっては、むしろそちらこそがより彼女に相応しいものだと感じられる。その外見とは裏腹な、内面のつよさ、激しさ、そして高貴さを、なによりも見事に体現しているからだ。だから、別にこれといった違和感を感じるわけではないのだが。
 ただ彼女の周囲にそういった話し方をする人間は見られなかったし、行儀作法を学ばせた教師が、好んで教え込んだとも考えられない。
 勢い、ただ一人周囲と異なった言葉遣いをする姿を、いささか奇異に思っていたのは事実だったのだが。
 今回の来訪で、北の方と呼ばれる公爵の側室 ―― すなわち少女の実母を目の当たりにした青年は、そのあたりの疑問が氷解するのを感じたわけである。
 すなわち淡い金髪と薄紫の瞳を持つ、北方の旧家出身の側室は、その娘とまるで同じ言葉を使用していたのだった。
 それとなく伝わってきた使用人達の噂話によれば、セイヴァン建国にも近い頃まで遡ることができる旧家ではありながら、北方のはずれに位置するその生家は、さほど裕福とは言えない状態なのだという。高貴な血筋のみを誇る困窮した旧家の出であるが故に、気位ばかりを重視した、時代遅れといっても良い躾を受けてきた彼女は、この南方に嫁いできてから何年が過ぎようとも、その生活習慣を変えようとはしないらしい。
 もっとも、もとが裕福な出ではないためか、眉をひそめるような贅沢を為すわけではない。性格そのものも、けしてきついものではないそうだ。ただ良家の貴婦人としてなんら過不足なく、穏やかに微笑み、ほどほどに贅を教授し、そして他所へと目を向けることなく屋敷の内で安穏と変わらぬ日々を過ごすことに、なんの疑問を感じようとはしない、そんな生活。
 それはどこかはっきりとした、己を主張するような言動を好む南方の気風からすれば、あまりに静かすぎる、空気のような存在だとも感じられるのだろう。
 使用人達の評価は、可もなく不可もなく ―― そう言ったところだ。
 無理無体を押しつけて、いわれなく虐げるような真似などされないお方だが、さりとて容姿や血筋以外には特筆するほど優れた何かをお持ちでもない。ただ、ちょっと変わった言葉遣いや身のこなしをなさる他は、ごくごく特徴のない、ある意味手の掛からないお貴族さまだ、と。
「母上の評価は、その立ち振る舞いの他はなんら変わったところのない、ごくありふれた姫、というものだったからの。裏を返せば、その立ち振る舞いだけは、充分に突出したものだったわけよ」
「だから?」
「私は幼い頃から容姿でも才覚でも、これと言って目立ったものが見られなかったからな。ならばまずは立ち振る舞いで、目に止まらせるぐらいしかなかろうて」
 一見すれば、ただその生まれ故に公爵家の世継ぎとして据えられたとしか見られぬ、ごく弱々しい公女。いずれ相応しい男児が生まれれば、即座に廃嫡されるだろうとしか思われぬその身を、多少なりとも他者へと印象づけようとするならば。
 うつけを装うのは矜持が許さぬし、なにより後々のことを考えると、うまく評価をひっくり返せなかった場合の危険性が高すぎる。
 ならば母が身につけているあの言葉、身のこなしは、なかなか有効的な手段だと思われたのだ。
 高貴な血を連綿と引き継ぐ、旧家の姫の一人娘。
 ごく幼い姫がとる他者とは一線を画したその立ち振る舞いは、年端もゆかぬ彼女がその時持っていた、たったひとつのその価値を、判りやすく印象づけるそれとなった。


 まずは見た目で、そして見る目を持ち、味方に付いてくれるだろう存在を厳選して、その内面を知らしめる。
 そうして築いてきたものが、現在の彼女が持つ人脈であり、力であるのだと ――


 ―― そんなことを計算してかつ実行できるだけの聡明さを、まだ幼かった当時の少女が既に備えていたのだ、と。
 そんな裏付けがあるからこそ、現在の彼女がここに存在している訳なのだが。


 更に数枚の書類が処理されたのち、褐色の肌を持つ青年は、くつくつと喉の奥を鳴らしながら、小さく含み笑いを洩らしていた。
「ちょいと一見しただけでは、必死に母親の真似をする、いたいけな少女がただ一人、って訳か?」
 貴族の親子とはそういったものなのか、それともあの母親が特別、情が薄いのか。
 北の方は己が娘に対して、さほどの関心を抱いているようには見えなかった。少なくとも少女の記憶にある限り、抱き上げられたり、頭を撫でられたりといった、直接的な接触を受けた覚えはまったくない。
 ならば周囲から見た彼女の行動は、懸命に母親の行動をなぞってはその関心を乞う、子供のいじらしい振る舞いに思えたかもしれない。
 いや、あるいは ――

「……そうかも、しれぬな」

 ぽつり、と。
 小さく呟かれた言葉は、青年の言葉のいったいどの部分に同意するものであったのか。
 もしも室内に他の人間が存在したならば、けして口に出されなかったであろうその言葉は。
 やはり答える者もなく、執務室の空気に溶けるようにして消えていったのだった ――



―― 20万HITキャラ投票のコメントでご質問いただいた、
フェシリアの言葉遣いが古風な理由でした。



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