++お礼SS 楽園の守護者


 一般的に水晶は、無色透明なものが好まれる傾向にある。
 より傷がなく、不純物の少ない、高い透明度の物にこそ価値があるとされ、最上級の品であれば、下手な青鋼玉サファイア緑柱石エメラルドよりも、さらに高い値で取り引きされることもあるという。
 つまり ―― 内包物を多く含んだ針水晶や煙水晶などは、いかに見た目が美しくあろうとも、そう高い価値は認められていない。貴族達の間ではまず見向きもされないし、裕福な商人でもあやしいものだ。どちらかというと、庶民の間で年頃の娘が身につけるような、ちょっとした装飾品に使われる、そういった程度の石だ。
 事実、今宵のロッドを目にした貴族達の多くは、おやと目を見張ったのち、口元に小さく失笑のようなものを浮かべている。
 珍しくまともな格好をしたかと思えば、またなんとも貧相な代物を、と。そういった類の感想が、隠す様子もなく透けて見えている。
 似たようなことは同じ破邪騎士達も考えているようで、たまたま近くを通りかかった同僚が、眉間に皺を寄せているのがありありと伺えた。こちらは同じ団に所属する騎士として、あまり低俗な身形みなりをされていては、団の名に関わると、そういった思いもあるのだろう。
 もっとも当人はというと、相変わらず他者の勝手な思惑など気に止める素振りもなく、人々の間をすり抜けていっている。そうしてさっさと壁際へ陣取ると、通りすがりに給仕の盆から取り上げた蒸留酒の杯を手に、広間の様子を眺める体勢になった。
 誰に声をかけられることもなく、誰に声をかけようとするでもなく。
 人から離れ、ただひとりたたずむその姿は、俗に言うならば『壁の花』と呼ばれるものに近いだろう。華やかな宴の席で、誰に相手されることもなく、忘れられたかのように壁際に立つ。それはこの席を社交や出会いの場として捉える貴族達にとっては、屈辱にも等しい扱われ方のはずだ。

 しかし ――

 無言で壁際に立ち、無表情に視線を向けている彼の存在を、人々はけして忘れているわけではなかった。
 あるいは不快そうに、そしてあるいは不審そうに ―― 時おり向けられる数々の視線。
 そしてそれらをすべてなきもののように、意にすら介せず佇む青年。
 青藍せいらんの制服にずっしりとした室内用の外套マントをまとい、腰に佩くのは銀の細剣レピア。常であれば着崩しているそれらは、珍しく一分の隙もなく整えられている。額にはめた銀環も、いつもの傷だらけのそれとは異なっていた。
 銀と蒼でまとめられた破邪騎士のその装いは、他の誰よりも似合っているのではなかろうか。
 濃い褐色の髪と肌は、要所要所の銀をいっそう引き立たせ、深蒼の眼差しは、さながら外套の色が映ったかのよう。
 そして、滅多に身につけることのない、耳飾りの針水晶は。
 ―― 本来、王宮に出入りするほどの身分ともなれば、男であれそれなりの装飾品はつけているのが普通である。指輪、腕環、首飾りに耳飾り。いかにも金に飽かせた華美すぎるそれこそ失笑の対象となるものの、それなりの質のものをそれなりに使うことは、自身の財力や趣味の良さを示す上でも必要な習慣だ。
 事実、同じ平民出身の破邪騎士アーティルトなども、普段からセフィアールの紋章を彫り込んだ指輪や、銀細工の髪留めなどを身に帯びている。まして、王宮主催の宴ともなれば、男女ともに意匠を凝らした装飾品を選ぶのは当然といえた。
 だが、この男がその習慣を守ったのは、今宵が初めてのことだ。
 三度に一度は欠席し、たとえ出席したとしても、身にまとうのは破邪騎士の盛装たる額環、指輪、外套留めの三点だけ、というのがこれまでの例だったのだが。
 短く刈り込まれた褐色の頭髪から覗く耳朶じだに、涙滴形に切り込まれた、銀針水晶シルバールチルの欠片が揺れている。
 台座や巻石のようなものは一切ない。ただ磨いた石をひとつ下げただけの、ごく単純な装飾。透明な結晶の内部に走る、幾筋もの不規則な銀線が、わずかな動きに揺らめいては、鋭く光をはね返していて。
 増えているものといえば、ただそれだけ。
 けして華美ではない。むしろ簡素すぎるとしか言いようがない。王宮主催の宴で身につけるには、まったく相応しくない、ごく質素な耳飾りでしかなく。

 けれど。

 制服の青藍と、セフィアールの銀。
 彼が身にまとっているのは、いわばそのたった二色のみ。
 それなのに ―― その姿に、存在に、気がつかなかった者など、今宵この場にはひとりとしていないのではなかろうか。

 誰もが気がつきながら、声をかけることもせず、さりとて無視することもならず。
 ただ遠目に視線を投げかける ―― 投げかけずにはいられない、その存在感 ――


*  *  *


 ひととおり、必要な挨拶や確認を終えると、さすがに疲れが出てきていた。
 周囲に悟られぬよう、つきかけた息を呑み込み、さりげない動きで外庭へ続く掃き出し窓へと視線を向ける。
 休みを欲していると察してくれたのだろう。影のように付き従っていた侍従 ―― フォルティスが足を止め、その場に留まってくれた。ありがたく後を任せ、私は完全に日の暮れた外庭へと下りてゆく。


 幾つもの植え込みで視界をさえぎられた庭は、そこここに人の気配が感じられるものの、自分一人でいるという感覚をそれなりに味わえるようになっていた。
 先ほど呑み込んだため息を心おきなく吐き出して、襟元の留め具をゆるめる。そうすると、どっと疲労が自覚された。
 ああいった席を厭うつもりはないのだが、それでもやはり気を遣う分、長い時間は辛いと、そう思う。
 どこか腰を下ろせる場所はないかと足を運んでいると、ふと曲がりくねった道の向こうから、人影が姿を現した。
 立場上、無視するわけにもゆかぬので、闇を透かすように相手を確認する。
 大広間から漏れ出る灯火に、額の銀環がちかりと光をはね返した。なんだ、この男かと、入りかけていた力を肩から抜く。
「エドウィネルじゃねえか。逃げ出してきたのかよ?」
 第一声は、相変わらず人を揶揄するかのような憎らしいそれだった。
 実際、逃げ出してきたようなものなのだから、反論するべくもないのだが。
「そう言うお前こそ、どうなのだ」
 言い返してみれば、ひょいと肩をすくめる仕草が返ってきた。
「いつまでもつきあってられっかよ」
 面倒くせえ、と後ろにそうつけ足す。
 珍しく隙なく整えられていたその格好は、すっかりいつもの通りに着崩されてしまっていて、重い外套は丸めて小脇に抱え、襟や袖の留め具も完全にはずしている。
 かぶりをふった頭の両脇で、耳飾りが光を反射して揺れた。
「 ―― 珍しいな」
 ふと口をついて出た言葉に、訝しげな視線が返された。
 指で耳を示してみせると、ああと納得したようだ。
「ジジイがよこしやがったんでな」
「陛下が?」
 この答えには、かなり驚いた。この男がこういう呼び方をする相手といえば、心当たりはひとつしかない。
 ないのでは、あるのだが。
 至高の玉座にあるあのお方が、果たしてどこでこのような ―― 言い方は悪いが ―― 安物を、手にすることがあったのだろう。
「ジジイだって、昔からジジイだったわけじゃねえだろ。なんでも若い頃にゃ、いろいろやらかしてたらしいぜ?」
「……なるほど」
 言われてみれば、その通りだ。
 実際私だとて、身分を隠して町を歩いたこともあるし、そんな折りには店を覗くような場合もある。
 目を近づけてよくよく注視してみれば、金具の部分など、ずいぶん古びているのが判った。
 あるいは若かりし頃のお祖父様が、微行しのびの際、自ら身につけられた品なのかもしれない。そう考えると、なかなか皮肉な話ではなかろうか。


 いまこの王宮の大広間に会する貴族達の中で、国王手ずから装飾品を下賜された者など、果たしてどれだけいることだろうか。
 どれほど金を積み、優れた職人を雇おうと、けして彼らには手に入れることのできない価値が、この古い小さな耳飾りには存在している。


 もっとも ―― そんな価値すらも、この男にとっては何の意味もないそれであるのだろうが。


「お前には、良く似合う」
 そう言ってやると、ロッドは小さく鼻を鳴らして口の端を上げる笑みを浮かべた。
 しょせん安物が似合いの小者だと、そんなふうに受けとったのかもしれない。
「銀の針が、セフィアールの細剣レピアに似ていると思わないか」
「なんだそりゃ」
 返されたのは呆れたような言葉だったが、しかし本当のところを教えるつもりはなかった。
「さて、私はそろそろ戻るが、お前はどうする」
「いい加減、義理は果たしただろ」
 きちんと身なりを整えて、騒ぎも起こさず大人しく会場にいたのだ。確かに充分義務を果たしたと言えるだろう。少なくとも、数年前のこの男からすれば格段の譲歩と呼べる。
 ひらりと手を振って再び庭の奥へと消えゆくのを見送って、私は反対方向、煌々と明かりの漏れる大広間へ向かって足を踏み出した。


 我知らず、口元に苦笑いが浮かぶ。
 そう、本当のところを教えるなど、同じ男として、なんだか悔しいではないか。


 ―― 地位も、金も、身分も関係なく。
 ただ自分自身の価値だけを身にまとい、ひとり壁際にたたずんでいた、あの姿。
 その身を飾るのは、一対の銀針水晶。


 それは、けして万人に好まれるものではなく。
 傷を持たぬわけでも、不純物を含まぬわけでもなく。
 そして澄んだ透明さを持っているわけでもないそれは、王宮の宴において輝くよりも、下町の人々の間でこそもてはやされる、そういった存在なのだろう。


 けれど、内に秘めたそのきらめきと、鋭さは。
 傷や不純物さえをも身の内に取りこんで、己の輝きに変えてしまう。
 その有りようこそが、なんともこの男に相応しいのだ、と。


 そんなふうに、思ったなどとは ――


―― 某方様よりいただいた、「シルバールチルはロッドのイメージ」という御言葉より……



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