++お礼SS 月光写真


 ―― その場所を知ることができたのは、偶然と幸運によるものだった。
 そもそもは、ふとつけたテレビで見た映像が忘れられず、どうにかして実物を目にしてみたいと思ったことだった。残念ながらその放送では現地の場所は明らかにされておらず、ならばと局へ問い合わせの電話をかけてみたものの、そこでも教えてはもらえなかった。
 どうも、下手に場所を明らかにすることで、こころない観光客などに場を荒らされたくないと、そういった意向が存在したらしい。
 実際その気持ちも判らなくはないほどに、それは美しくも儚い、幻想的な光景だったのだ。
 友人の骨董店を訊ねたとき、そのことを思い出して話題にしたのも、ほんの気まぐれからだった。その友人ならば、やはり同じ光景を美しいと思い、そして同じように壊されるかもしれないことを憂えてくれるのではないかと、そんなふうに考えたからに過ぎない。
 だから。
 その放送は見ていませんが……と、前置きしたうえで、同じような光景を見られそうな場所なら知っていますよ、と彼が言い出したときには、本当に驚いたのだ。
 今年の見頃はもう終わってしまっているだろうからと、場所だけを教えてもらったのが、もう十ヶ月も前のこと。それから季節が巡るのを、どれだけ待ち望んだだろうか。

 そして、訪れた九月の半ば。
 いわゆるのちの彼岸と呼ばれるこの夜に。
 あいにく満月とまでは行かなかったが、それでも月の光はあたりへと降り注ぎ、人っ子一人存在しない川辺の土手を、白々と照らし出していた。
 山と山の間にひっそりと流れる川の、なだらかな土手。
 あたりには見わたす限り人工の明かりも見えず、人の気配も感じられない。ただ時おり林ひとつ向こうから、峠道をゆくのだろう車の音が、かすかに聞こえてくる。
 そんな場所で。

 あたり一面に広がるのは、おぼろに浮かびあがる、純白の彼岸花だった。

 さながら細い糸が寄り集まったかのようなその花弁が、夜風に吹かれ、さわさわとほのかに揺れている。
 その色とあいまって、どこかけむるかのような印象を与える、その情景。

 本来ならばそれは、赤い色をした花だった。
 田んぼの畦などに集落をなした、真紅の曼珠沙華なら何度も目にしたことがある。
 根にアルカロイドの毒を含むその花を、かつての人々は田畑を荒らす小動物よけとして植えたのだという。花は咲いても実を結ぶことはなく、鱗茎で己が分身を増やし、時として見わたす限りの赤い絨毯を作り出すこととて、珍しくはない。

 その身に紛れもない毒物をまとい、そしてあの世を示す『彼岸』の名を持つその花は、妖しくも美しい、独特の魅力を備えて、見る者の目を惹きつける。
 さながら燃えさかる炎のような、人を惑わす妖婦のような、危険と紙一重の鮮烈な、美 ――

 しかし、
 いま目の前に群れ咲く花々には、そのような蠱惑的な雰囲気などどこにも存在していなかった。
 伸ばした手の先すら見えることない、深い闇に沈んだ林を抜け、ほうとひとつ息をつき。
 そうして、上げた目に飛び込んできたその光景は。
 皓々と降り注ぐ月の光を浴びて、青白く、淡く浮かびあがる、その姿は ――

 息を、忘れるというのはこういうことだろうか。

 どこまでも広がる、白い花の群。
 おぼろに揺れる細い花弁は、炎のような姿はそのままに、幻のように色だけがなく。
 操られるかのように歩を進めれば、たちまち四方を花に取りまかれる。

 背筋を這い上がるのは、恐れにも似た戦慄だった。

 ―― これは、本当にこの世の風景なのか、と。

 彼岸と此岸しがん
 あの世とこの世の境に咲く花よ。

 彼岸と此岸が重なる九月のこの日、この世に咲くのが真紅の曼珠沙華ならば。
 ならば同じ日に純白の花が咲く、この岸辺は ――


◆  ◇  ◆


「卯月、さん?」

 遠い呼びかけに、ぼんやりとふり返った。
 白い花に腰までを埋めて、一人の青年が立っていた。
 月光に照らされたやはり白い顔が、柔らかな微笑みをたたえてこちらを見ている。

「やはり卯月さんでしたか。いらしていたんですね」

 そう言って彼は、脆い花を痛めぬよう、そっとかき分けながら近づいてくる。

「卯月さん?」

 こちらの反応が鈍いことをいぶかしんだのか。
 少し首を傾げるようにして問いかけてくる。
 その姿はいつもの、彼が住まいする骨董品店で見せているそれと、寸分の違いも存在しなくて。

「……ああ」

 答えともため息ともつかぬ声を漏らして、私はようやく現実へと立ち戻っていた。
「どうして、ここに?」
 まだどこかうまく動かない唇を、懸命に動かして問いかける。
「たまたま仕事でこの近くまで来たんですが、そういえばちょうど花が咲いている頃合いだなあと思ったもので」
 まさか卯月さんまで、今夜いらしているとは思いませんでしたけれど。
 嬉しそうに笑ってくれるその顔には、久しぶりに会えた知人への親しみと、喜びしか存在していない。
 そうかと曖昧にうなずいて、私はもう一度あたりへと視線を向けた。

 揺れる白い花々は、変わらぬ美しさでそこに存在している。

 ほっそりと繊細なその花弁のひとひらも、先程までとまるで変わることはないけれど。

「写真、お撮りにならないんですか」
 問いかけてくるのに、私は小さくかぶりを振った。
「……月齢が若いから、まだ少し光が足りないんだ。来年ならば、ちょうど時期が合いそうなんだが……」
「そうですか、それは残念ですね」
 心底から残念に思っているらしいその声音に、思わず口元が緩む。
 他人の仕事のことなのに、どうして彼はこうも親身になってくれるのだろう。
 だから、ついこんな事を頼みたくなってしまうではないか。
「良かったら、来年には撮影につきあってもらえないだろうか」
「 ―― え、別に構いませんが……なにかお手伝いでも必要なんですか?」
 不思議そうに聞き返してくるのに、私はただ笑ってかぶりを振った。
「いや。ただ……そばにいて欲しいと思うだけだよ」
 迷惑かな、と問えば、とんでもないと笑顔で返る。


 ―― 次にひとりでこの花を見たならば。
 その時はの岸から戻ってこられないような、そんな気がする、と。
 そう言ったなら、きみは笑うだろうか。


 闇の中、あたり一面に広がる、純白の曼珠沙華。
 それは彼の岸に咲く、儚く淡い、毒の花 ――


―― 白花曼珠沙華シロバナマンジュシャゲ。園芸種との説もありますが、九州などには自生するとのこと。



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