++お礼SS 骨董品店 日月堂


 日月堂には、いつも不思議な空気が存在している。
 洋の東西、時代の新旧を問わぬ様々な品があふれている店でこそあるのだが、そこには一種の調和とでも言うのだろうか。意志など持たぬはずの物品達が、まるで互いに互いを尊重しあっているかのような、穏やかに落ち着いた空間が作りだされている。
 一歩足を踏み入れれば、過ぎる時間さえも忘れ去ってしまいそうな、そんな場所。
 それが店主、安倍晴明あべはるあきが経営する、日月堂なのである。
 が ――
 その日、和馬が日月堂を訪れると、珍しく店内が繁雑な様相を呈していた。
 けして見苦しく散らかっているというわけではないのだが、それでも普段のよく整理された状態に慣れた目で見ると、ずいぶんと違和感を感じさせられる。
「……忙しそうだな」
 とりあえず床の空いた場所へ手荷物を降ろした和馬は、ぐるりと首を回して店内を眺めわたした。
「ああ、和馬さん」
 膝をつき段ボールの中をのぞいていた晴明が、笑顔で立ちあがる。そうして卓に置いていた布巾で埃の付着した手を拭い、椅子を勧めてきた。
「すみません、ちょっと取り込んでしまっていて」
 言いながら、手早く卓の上に載っていた物を片付けてゆく。もっともそれは、他の卓や床に並んでいる段ボールの上へ移動させるだけという、彼にしてはずいぶんおおざっぱなやり方だったのだが。
「いったいどうしたんだ、これ」
 問いかける和馬に、晴明はどこか困惑したような表情で、それが……と呟く。
 けして狭いとは言えない日月堂の店内だったが、現在そこには大小さまざまな段ボールが所狭しと並べられていた。大きさや形ごとに仕分けされたそれらの表面には、手書きで大きく番号が振られており、幾つかは蓋が開いて中身が取り出されている。
 茶碗や掛け軸、漆器といった、どうやら茶道具といった類が多いようだった。丁寧に梱包されたそれらをほどいては、手元の目録と照合していたらしい。
「以前、何度かお取り引きさせていただいた方が、不要なものを処分したいとおっしゃられまして……」
「押しつけられたのか?」
「いえ、そう言う意味では」
 慌てたようにかぶりを振って、晴明は目録へと視線を落とした。
「自分には必要がないものだから、代金も不要だということで。それでは申し訳ないからと、輸送費だけは負担させていただいたんですが」
 そこまで言って、ひとつため息を落とす。
「……私も先に、きちんと内容を確認していれば良かったのですけれど」
「売り物にならないってか?」
「なりすぎるんです」
「は?」
 目をしばたたく和馬に、晴明は目録を差しだした。
 細かい文字でびっしりと埋められたそれは、当然ながら和馬にはまったく理解不能な代物だ。
「この目録の内容が本当にすべて揃っているなら、博物館に収められていても不思議はない品揃えなんです。……実際には、かなりの割合で贋作が混じっているようですが、それもしっかりとした出来のものですから、イミテーションとしてならそこそこの値がつくでしょう。まして真作の方は、保存状態も良いし裏書きも揃っているし……とてもあんな程度の金額で仕入れられる品ではないものばかりで」
 数個確認した段階でそれに気づいた晴明は、慌てて売り主に連絡を入れたらしい。だが相手側は「どうせ捨てる物だったから」と言って、頑として追加の謝礼を受けとってくれないのだという。
「とりあえずすべての品を確認して、きちんとした見積もりを行ってから、もう一度お話しさせていただこうと思ってるんです」
 それ故に、手が空いたときにでも少しずつ整理しようと考えていたものを、急いで片付けるべくがんばっているらしい。
 ことが専門知識を要するだけに、異形たちはまるで助けになれない。下手に手を出して壊したり汚したりしては大変だ、と。それだけは判っているのか、忙しげにしている晴明を、遠巻きに眺めている。
「……あいかわらず、律儀だな」
 和馬はため息をついて苦笑いした。ほれ、と目録を晴明に返す。
「くれるって言うんならもらっとけばいいじゃないか。相手だって、始末に困ったからよこしたんだろ?」
 骨董としてどれほど価値のある品物でも、興味のない人間にとってはただの薄汚れたガラクタにすぎないものだ。まして昨今は、正真正銘のゴミを捨てるのにも処分料がかかる時代である。
 たとえば遺産相続などで、蒐集していた人物から引き継いだはいいが、置場もないしゴミに出すのも金がかかる。さすがに遺品を捨てるのも気が引けるし……といったあたりの事情で、引き取ってもらえた上に輸送料まで負担してもらえて、諸手をあげて万々歳などといった成り行きは、実際よくある話ではなかろうか。
 ―― もっとも、化け物憑きで持ち主が厄介払いしたがっていた指輪にさえ、どうにかして代価を支払おうとした晴明だ。とりあえず、やるだけのことはやらなければ納得できないのだろう。
 特に用事があって寄ったわけでもないので、今日の所はさっさと帰るか、と。
 そう思って辞去を告げようとしたとき、店内の電話が鳴りはじめた。
 内装に合わせてか、この店の電話は昔懐かしいダイヤル式である。しかもところどころに真鍮の飾り金具などついた、ちょっと古風なデザインのそれだ。
「あ……ッ」
 ベル音に急かされるように向かいかけた晴明が、積んである段ボールにさえぎられてバランスを崩す。
「ああ、慌てるなって」
 和馬の方が近い位置にいたので、代わって受話器を取り上げる。
「はい、日月堂です」
 相手は銀行だった。簡単な伝言だったので、二言三言交わしてそのまま切る。
「……なあ」
「はい」
「さっき、鷹取不動産から、入金がありましたってー知らせだったんだが……」
 七桁に及ぶその金額に、いったいどんな骨董売りつけたんだと、なんとなく声が虚ろになりかけていた和馬だったが、それを聞いた途端、晴明は顔色を変えていた。
「失礼します」
 足早に段ボールを迂回し、まだ受話器に手を乗せたままだった和馬から丁重に電話を譲り受ける。
「……もしもし、日月堂と申しますが、社長の鷹取さまは……」
 どうやらくだんの不動産とやらにかけたらしく、すぐに社長に取り次がれ、なにやら問答が始まる。
「私はそんなつもりでお知らせしたわけでは……ですが!」
 しばらくやり取りが続いていたが、横から聞いている限り、晴明の方が劣勢であるようだ。
 やがて相槌がくり返されるようになり、やがてため息と共に受話器が下ろされる。
「値段より高く振り込んできたのか?」
「いえ、それが骨董の代価ではなくて……」
「なくて?」
「以前、鷹取さまが事業に使う土地を探しておられたとき、ちょうど条件の合う物件を手放したがっている方がいらっしゃったので、御紹介申し上げたんです」
「ほぅ」
 おそらく、手放したがっていたというその相手も、日月堂の顧客なのだろう。たまたまお互いの条件が合いそうだったから、間をとりもってやったと、そういうことらしい。
「それで先日、正式な契約が終了したから、仲介手数料だとおっしゃられて……」
 それでン百万もらえるのか。
 ……いったいどんな大口契約だったんだ、と呆れかえる和馬の前で、晴明はなおも困惑したように呟いている。
「仲介もなにも、私はただこの店でお引き合わせしただけなんですよ? それなのに」
 いったいどうしたら……と視線をさまよわせている。だが、店内をいくら見回したところで、彼の求める解決策が転がっているはずもなく。

「…………」

 そうだ取引先のほうに御連絡すれば、と再び電話を取り上げる晴明を眺めつつ、和馬はどうせまた押し切られるだろうと予測を立て、とりあえず適当な椅子へと腰を落ちつけることにした。

 確かに、常々疑問に思ってはいたのだ。
 いかに安倍家の後援があるとはいえ、この店の資金繰りはいささか羽振りが良すぎる。なにしろこの店がもっとも力を入れて蒐集し、金に糸目をつけず入手しようとする品は、売り物にならないものばかりなのだ。商売とは、仕入れた値に人件費や維持管理費を上乗せし、さらに利益をプラスした売値をつけて初めて成立する。それにもかかわらず、この日月堂で扱われるメインの品々は、そういった利益には繋がらない ―― いわば金を食うばかりのものなのだ。
 それにも関わらず、この店が金銭的に困窮している気配はない。
 確かにある程度の資金は安倍家より与えられているのだろう。そもそも営利目的の店ではないのだから、支出ばかりが続いたとしても、問題はないのかもしれない。
 実際、晴明がこの店に来たばかりの ―― まだ先代店主によって経営されていた頃は、まともな古物商としての取引はほとんどなく、たまに見つけた曰わく付きの品を買い取るか、安倍家から持ち込まれたそれを引き取って封印する程度のことしかしていなかったらしい。
 そもそも晴明の言葉を信じるならば、この店は安倍家の中でも閑職に等しい、ほとんど忘れ去られた部署なのだという。そんな場所に、潤沢な予算が割り当てられているとは到底思えないわけで。
 ―― おそらく、こういったことになるのは初めてではないのだろう。
 根拠はないが、そんなふうに思う。

「ま、それも一つの人徳って奴だろうな」

 かつての売買で好印象を抱いたからこそ、財産の処分を考えた人間はこの店を思い出したのだろうし、また取引相手を紹介された会社も、その相手に対して真摯な取引を心懸け、うまくいった結果として謝礼をしようと考えるのだろう。
 そして、どれほど予想外だったとはいえ、もたらされたものが好意に根ざすものであった以上、最終的に晴明がそれを突き返せるはずもなく。

 ……そこで想定外の収入だからと、己の懐に入れるのではなく、日月堂の資金に組み込んでしまうあたりがまた、晴明の晴明たる所以なのだろうが。

 ため息とともに受話器が下ろされるのを見やりつつ、和馬は苦笑いをかみ殺したのだった。


―― 結果どれぐらいの稼ぎがあるのかは、多分本人も判っていません(苦笑)



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