++お礼SS 骨董品店 日月堂


 その発端は、いつもと言えばいつもの通りのこと。
 表の仕事を終えて時間が空いたので、出先の手みやげなど片手にふらりと日月堂を訪れてみた。和馬がそうしてこの店に足を向けるのは毎度のことで、そしてその先で来客と鉢合わせをするのも、ここ最近で急速に増えていることだった。
 なので店の扉をくぐった彼を出迎えたのが、店主の晴明ではなく顔見知りの青年 ―― 遠野譲であったということにも、さほどの驚きは感じなかったのだが。
 しかし……


「風邪!?」
 聞かされた病名に、和馬は頓狂な声で問い返していた。
「そう、風邪」
 そんな和馬に、一見幼女としか見えない心霊治療士ヒーラー、遠野沙也香が大真面目にうなずいてみせる。
 なんでもここ数日、晴明は沙也香に同道して店を空けていたらしい。どうも保存状態のいい掛け軸を数点、入手できる当てがあったのだそうで。そしてその過程で、晴明は一度全身ずぶ濡れになる羽目におちいったのだという。
 ……いったいなにをどうすれば、骨董の仕入れでそんな事態が生じるのか、そのあたりを詳しく問いつめたい気もしたのだが、まあそれはさておき。
 首尾良く目的の品を手に入れて、上機嫌で店まで持ち帰ってきた一同だったが、そこで沙也香が晴明の異常に気がついた。例によって大丈夫だからと否定するのを無理矢理押さえ込み、計った熱が、三十八度七分。
 疑いようがない迄の風邪である。
「それはまた、珍しいな」
 事情を呑み込んだ和馬は、しかしそんなふうに呟いた。
 一見、細身でけして丈夫そうには見えない晴明だが、彼が ―― 負傷したというのならばともかく ―― 病気で倒れたという話は、ついぞ聞いたことがなかった。実際、同年代の少年達と比べると、基礎体力は持っているほうだ。それは陰陽の術を現世に伝える安倍家の一員として、培われた修行の成果であるらしい。
 そんな丈夫さと、たとえ濡れ鼠になったところで、周囲を固める異形達が乾かしたり温めてやったりと、よってたかって世話を焼くだろう状況から、彼がそう簡単に風邪などひきこむとは思えなかったのだが。
 和馬の言葉に、沙也香はちょっと肩をすくめてみせた。
「ま、彼も人間なんだし、たまにはそういうこともあるでしょ」
 どうも疲れも溜まってたみたいだし、ちょうどいいからゆっくり休ませてやってちょうだい、と。
 にっこり笑ってそう告げてくる。
 無論のこと、沙也香の能力をもってすれば、今すぐ全快させることも不可能ではなかった。しかし必要以上に外部から力を貸すことは、けして当人のためとはなりえない。本来その肉体が備えている自己治癒能力を衰えさせないためにも、本当に必要な場合以外は静観してやるのが正しいやりかたなのだという。
「じゃ、あとはよろしくね」
 ぽんぽん、と軽く和馬の背中を叩き、そうして彼女は譲ともども帰っていってしまった。


 ―― そんなわけで、和馬は現在、慣れない日月堂の厨房に立っているのである。
「……塩……塩……あーもう、塩はどこだ!?」
 コンロにかかった粥の鍋を前に、バタバタと音をたててあちこちの戸や引き出しを開けまくる。
 いま和馬がいるキッチンスペースは、建物の裏手側、店から奥に入った位置に存在している。吹き抜けになった店舗内に、二階から降りてくる階段の陰。目立たない場所に配置された扉をくぐると、まず手洗いがありその奥にバスルームに続く扉がある。ここまでは客が足を踏み入れることもある空間だったが、さらに左手側にある戸を開けると、そこからは生活用の空間となっていた。手前にあるのがダイニングキッチン、奥に進めばリビング。調度類はそう多いとは言えないが、明るい陽差しのさしこむ、なかなかに居心地の良い環境だと、和馬などは思っている。ソファやテーブルが置かれたリビングからは、掃き出し窓を通って裏庭に降りることもできるようになっていた。
 幾度も足を運び、かなりのところ勝手知ったる……な状態になっている、そんな日月堂だったが、さすがの和馬でもキッチン内の配置までは把握していなかった。それはいつも晴明が、文句のつけようもない食事を出してくれるからなのだが。
 やれ調味料だスプーンだと探しまわる和馬を、シンクの上から黄色い目玉が見上げてくる。大きな硝子玉をも思わせる一つ目の持ち主は、ぎょろりとその目玉を動かしたのち、口元の触手を伸ばした。
 ここ、ここ、とストッカーを指し示す触手に気がついて、ようやく和馬は目的のものを見つけだす。
「すまんな」
 礼を言うと、赤子ほどもある芋虫が、じわぁっと目蓋を細めた。どうやら喜んでいるらしいが、その姿は果てしなく不気味である。

 キュイッ?

 和馬の肩越しに、翼のある仔鬼が手元をのぞき込んでくる。こちらは先刻からずっと背中にしがみついているのだが、邪魔になるだけでいっこう手伝いになってはいない。
 それでもどうにか用意をととのえた和馬は、一息つくと天井を見上げた。
 そうして ―― 二階から聞こえてくる声に、眉をひそめる。


 リビングから螺旋階段を上がり、二階にある晴明の寝室へと向かう。ノックとほぼ同時に扉を開けて、そうして和馬は深々とため息をついた。
 目に入ったのは寝台に半身を起こした晴明と、その枕元に椅子を寄せて、身振り手振りつきのオーバーアクションで熱く語っている黒ずくめの姿。
「……いい加減にしやがれ、伯爵」
 粥の盆を置きながらたしなめると、黒ずくめの男 ―― 幸田伴道はむっとしたようにふりかえった。その肩から同じように、巨大な黒蜘蛛が真紅の八つ目をきらめかせて見あげてくる。
「病人を見舞いにきて、相手を疲れさせてどうすんだ」
 沙也香達から話を聞いたと言って訪れた伯爵を、和馬はその場で追い返そうとしたのだ。ちょうど晴明は眠っているところだったし、起こして無理をさせるぐらいなら、とりあえず見舞いの品だけ受けとって後日出なおしてもらった方が良いだろうと、そう思ったからだ。が、せめて寝顔だけでもなどと言ってごねるのと押し問答している間に、それを聞きつけた晴明が起きてきてしまったのである。
 こうなってからでは仕方がない。せっかく足を運んでくれた相手を、この青年がそのままお引き取り願うはずもなく。せめてもと再びベッドへ押し込み、絶対に出るなと念を押した上で、やりかけていた粥の準備にと戻っていた和馬だったのだが。
 布団から出るなという命令だけは守ったらしいものの、身体を起こして話に聞き入っていた晴明は、しっかり頬が紅潮し瞳も潤みがちになっていた。確実に、さっきまでより熱が上がっている。
 寝台の足元には由良が、掛け布団の上には普通猫サイズになった蛍火が丸まっている。だが二体とも特に止めようとはしていないあたり、晴明が楽しそうにしているならば、その必要はないと判断したのだろう。
 ったく、これだから人外の生き物ってーやつは……
 舌打ちしつつ食事と薬を用意する和馬に、伯爵がむっと顔をしかめた。目線は和馬が持ってきた粥へと向かっている。
「なんだ、その粗末な料理は。私の持ってきたものはどうした」
「……あのな……」
 伯爵の抗議に、和馬は絞り出すような声で嘆息する。
 確かに、先刻伯爵が見舞いと称して差しだしたのは、上等な食材であった。栄養価も高ければ、値段も高い、いわゆる高級食材というやつである。
 ……風邪で寝込んでいる相手に、特上牛肉だの天然キャビアだのを、いったいどう調理して出せというのか、この男は。
 もちろん、熱で胃腸の弱っている人間が、そんなものを食べられるはずもない。
 病人には栄養をつけさせねばという、その気持ちに悪意がないのはよく判っている。人間嫌いの伯爵からすれば、破格の好意を示そうと気を遣っているのもよく判る。
 しかし……なまじ調理して出せば無理にでも食べそうな晴明が相手だけに、そしてそういった人間の体調管理にうとい異形達が住まうこの店だけに、なおいっそうタチが悪かった。
 そんなものを食べていても体力がつかないだのなんだのと、なおも文句をつけてくる伯爵を、和馬は今度こそ追い出そうと心に決める。


 なだめたりすかしたり、しまいには少々腕力をも行使して、どうにか強引にお引き取りいただき、和馬は再び晴明の寝室へと顔を出した。
 冷めない内に食えと言っておいたので、既に粥は半分以下に減っている。
「まったく……お前もつきあって聞いてねえで、ちゃんと休めってんだ」
 無理に完食させるつもりはないので、動きが鈍ってきたところで匙を取り上げ、代わりに水の入ったコップと薬を押しつける。
 薬を飲み終えた晴明は、素直に言われるまま横になった。使い終わった食器類をまとめながら、和馬はその表情を見とがめる。
「なに笑ってんだ、お前」
 時おり咳き込み、高い熱に頬を紅潮させながら、それでも晴明は表情をほころばせていた。むっと見おろす和馬に、小さく頭を下げてみせる。
「すみません。でも……」
「でも、なんだ」
「なんだか、楽しくて」
 風邪など引いていて、いったいなにが楽しいというのか。
 そう問い返しかけて、和馬はふと言葉を呑み込んだ。
 おそらく ――
 これまで彼は、体調を崩すことがあったとしても、ただ一人で静かに耐えていたのだろう。誰も訪れることのない部屋で、無言で身を横たえているだけの時間。仮に一人ではなかったとしても、まわりにいるのは人ならぬ異形達ばかりで ――
 彼自身に問いかければ、それが普通なのだと、皆がいるから寂しくなかったのだと、なんの気負いもなく答えるのだろうけれど。

「……さっさと治せよ」
「はい」

 ぼそりと言った和馬に、晴明はにっこりと屈託のない笑顔でうなずいた。


―― なんかどんどん幼児化していく気が(苦笑)



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