++お礼SS 楽園の守護者


※第十二話「縺れゆく糸」一章目時点でのネタバレを含みます。
それでもよろしければ↓以下からどうぞ。







「兄さま!」
 数週間ぶりに屋敷の門をくぐると、途端に明るい声がカルセストを出迎えた。
 どうやら庭師に花を切らせていたらしい。植え込みの前であれこれと指示をしていた妹が、裳裾を両手で軽く持ち上げ、足早に駆けてきている。
「お帰りなさい、兄さま!」
 勢いよく飛びついてくるその身体を、上体をかがめて受け止める。
「ただいま、シア」
 自分のものよりわずかに淡い亜麻色の髪に、そっと口付けて、数度優しく撫でてやる。
 八つ年下の妹は、明るい笑い声をあげるとカルセストを見上げてきた。
「ちょっと陽に焼けたみたい。南方はどうだった? 素敵だった?」
 矢継ぎ早に問いかけてくる妹を、こちらはゆっくりと後を追ってきた貴婦人が、そっとたしなめる。
「シアラザーナ。お兄様は戻ったばかりでお疲れなのですよ。それに人前で、そんなふうに走ったり抱きついたりなど……」
 穏やかに言いおいて、彼女は改めてカルセストを見やる。
「お帰りなさいませ。お務めご苦労様でございました」
「ただいま戻りました。 ―― 母上」
 そう言ってカルセストが一礼すると、貴婦人はにっこりと微笑んだ。


◆  ◇  ◆


 湯を使って旅の疲れを癒し、衣服を改めたカルセストは、妹と共に茶の席へとついていた。
 王太子の視察の旅に同行し、カルセストが王都を留守にしてから、かれこれ半月。当初の予定では十日に満たなかった視察は、想定外の事態が生じたことにより、大幅に日程を延ばす結果となっていた。当然カルセストの帰宅もそれだけ先延ばしとなっている。
 ―― もっとも、もともとセフィアールとして破邪の任につくカルセストは、それだけ王都を離れることが多いし、城に泊まり込むこともしばしばだった。むしろ騎士団員として名実ともに一人前の立場にありながら、いまだ実家に私室を持ち、事情が許す限り帰宅している彼の方が、破邪騎士としては珍しい部類に入るだろう。
 実際同僚である破邪騎士達は、ほとんどが王宮の敷地内に与えられた離宮を利用するか、あるいは別に私邸を構えている。平民出身であるアーティルトとロッドでさえ、王城内の一角に部屋を持ち、そこで生活していた。―― もっともロッドの方は、城下におもむきそこで夜を明かすこともしばしばなようだったが ―― それはまた別の話だ。
 土産の壁掛けや、遠方の見知らぬ風俗などの話に、シアラザーナは目をきらきらと輝かせていた。特に壁掛けは気に入ってもらえたようで、鮮やかな色合いの織り目に指をすべらせては、嬉しげに眺めている。
 その様子には、カルセストも内心で安堵の息をついていた。なにしろ彼はもう少しで、質の悪いまがい物を掴まされるところであったのだ。あのまま高い金を払っていたらと思うと、さすがにいささかきまりが悪い。
「壁掛けなんて、どれもあまり変わらないだろうに」
 そんなふうに言ってみると、妹は驚いたようにかぶりを振った。
「ぜんぜん違うじゃない!」
 南方のものは色が華やかで、織り模様も幾何学的で不思議な感じがするのよ。北方のものは逆に淡い色合いで、風景や物語の一節を織り込んであることが多いの。工房によってもいろいろな特色があって ――
 などと語り始める妹に、いささか気圧されつつ相づちをうつ。
 だが気が入っていないことを敏感に察したのだろう。シアラザーナはわずかに頬を膨らませ、上目遣いにカルセストを睨んだ。
「もう、兄さまったら……そんなんじゃ、よその姫さまと同席したとき困っちゃうわよ」
「はぁっ?」
 十を幾つも越えていない妹にそんなことを言われ、カルセストは思わず素っ頓狂な声をあげてしまっていた。
 まじまじと見返すカルセストに、しかし妹はしたり顔で続ける。
「衣装とか装飾品とか、そんなものの話もできるようになっておかないと、相手の姫さまが退屈しちゃうじゃない」
 兄さまなんて、どうせ服の色や髪の結い方を変えていても、全然気づかなかったりしそうだし、と。
「そ、それは ―― 」
 はっきり言って、気づけないだろうことは自分でも想像がつく。
 口ごもるカルセストに、シアラザーナはふぅ、と大人びた仕草で嘆息した。
「……良い香りがしたから、てっきり素敵な方でも見つけられたかと思ったのにな」
「なにを言って……って、香り?」
 茶器を置いて、袖のあたりに鼻を寄せてみる。
 だが湯上がりで服も替えた今は、特にそれらしいものは感じられなかった。
「さっきお帰りになったとき、服の胸元から、とてもいい香りがしたの。どこかすがすがしいような。だから、どなたかからの移り香かなあって」
「姫さま……」
 良家の子女が口にするにはあまりな物言いに、控えていた侍女が小さく口を挟む。
 だが、シアラザーナはそれに悪戯っぽく舌を出しただけで、なおもカルセストに問いかけた。
「ねえ、あれはなんの香りだったの?」
 言われるままに胸元を押さえたカルセストは、しばし考え込んでから、ああと思い出したようにうなずいた。
「香草茶だ」
「お茶?」
「ああ……船酔いに良く効くからって、むこうを発つ前にいただいたんだ」
 包みをずっと胸元に入れていたから、それで香りが移ったんだろうと。
 そう説明すると、シアラザーナはなんだと落胆したように呟いた。そしてそのことにはもう興味を失ってしまったのか、話題を新たなものへと移してゆく。
「そうだ、香りといえば、最近王都では匂い袋がはやってるのよ」
「匂い袋?」
「そう。綺麗に刺繍した袋に、花びらや香草を乾かしたものを詰めるの」
 こんなのよ、と胸元から小さな布袋を取り出してみせる。
 手のひらに収まるような大きさのそれには、色とりどりの刺繍が施されていた。華やかな染めの色や飾り紐とも相まって、とても美しく愛らしい。
 手渡されたものに顔を近づけてみると、確かに花の良い香りをまとっていた。
「さっき庭で摘んでいた花も、乾かして材料にするの。素敵でしょ?」
「ああ、そうだな」
 宝石だの服の意匠だのといったものの良さはとんと理解できないカルセストだったが、それでも妹がそんな小物を手に笑っているのは、ひどく微笑ましい光景だと、そう思う。
「この縫い取りは、自分で刺したのか」
「そうよ。なかなか上手でしょ」
「ああ、ずいぶん上達したな。最初の頃なんて縫い目がばらばらで、それこそ花なんだか鳥なんだか」
「あーっそういうこと言う!?」
 頬を膨らませるシアラザーナの反応に、控える侍女達までがくすくすと小さな笑いをこぼす。
「せっかく兄さまにも作ってあげようと思ってたのに」
「え……いいよ。俺は」
 そういうものは、愛らしい女子供が持っていてこそ微笑ましいのだ。いい年した男が、花の香りもないだろう。
「あら、そんなことないわよ。それに香草は気付けやお守りにもなるっていうし、女性が恋人に贈ったりするんですって」
「気付け、ねえ……」
 確かにあの香草茶などは、船酔いがひどい時にずいぶんと気分をすっきりとさせてくれたものだったが。
 量が少なかったのであっという間に減ってしまい、最後の一杯分はもったいなくて、時おり取り出しては香りだけを心休めにしていたが ―― なるほど、ああいう類のものであれば、持っていてもいいかもしれない。
「兄さま?」
 考え込んでしまったカルセストに、シアラザーナが不思議そうに問いかけてくる。


◆  ◇  ◆


 ―― この日からさほどの時をおかずして、カルセストは再びコーナ公爵領へと向かうべく、王都を離れることとなる。
 二度目の船旅を前に、彼のその懐には、気付け用として妹の手になる匂い袋が収められていた。清涼感のある爽やかな香りを放つそれには、どこか拙いながらも色鮮やかな刺繍が施されており、成人男子が持つものとしてはいささか愛らしいものとなっていた。だが妹思いの彼は、ただ苦笑するだけで素直に受けとったとのことである。
 またその内部に詰められていたのは、妹が集めた花びらや香草の類ではなく、たった一杯分だけ残っていた例の茶の葉であったりしたのだが ――


 なぜ、もっと長く保つであろう新たな香料ではなく、コーナ公爵領から持ち帰ったその葉をわざわざ詰めたのか……その行動に根ざすものを彼がはっきりと自覚するのには、まだ今しばらくの時が必要であったという。


―― 本編に入れそこねたのが残念無念。



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