デザート・ノイズ  キラー・ビィシリーズ 第六話
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2002/9/5 16:14)
神崎 真


 最初に意識にのぼったのは、背中を包む、ほのかなぬくもりだった。
 次に感じたのは、尻や身体の節々から伝わってくる、不自然な痛み。
 耳に届く、引き裂かれた大気が放つ甲高い叫び。
「……ぅ……ん」
 無意識に身をよじり、楽な体勢を探った。
 傍らにある温かなものに頬をすり寄せる。と、それはわずかに動き、肩のあたりへと何かが包み込むように触れた。
 その感触に、重いまぶたをどうにか持ち上げる。
 あたりは暗い。
 目を開く前といっこう変わりばえのない情景に、もう一度まぶたを閉ざそうとした。そこでふと気が付く。
 違う。
 これは暗いのではなく、黒いのだ、と。
 首をもたげ、頬を押し当てていた二の腕から顔を上げる。
「 ―― 寒いか」
 ひそめられた低い声が、耳元に落とされる。
 うなじに触れる息の感触がくすぐったくて、ジーンは思わず首をすくめた。
 その仕草を寒さゆえと解釈したのか。黒い袖に包まれた腕が、彼女の身体をいっそう深く抱き寄せる。指の長い広い手のひらが、小さな肩をすっぽりとくるんだ。
「いま……何時、だ」
 眠りと渇きに掠れた声で、ジーンは問うた。すると昼にほど近い時刻が知らされる。
 では、あたりを包む薄暗がりは、沈む恒星の悪あがきという訳ではないのか。
 既に時間感覚の失せて久しい彼女は、そんなふうに思い、小さく息をつく ――


 あたりには、辛うじて文明の名残を残す、倒壊した建物の残骸が散乱していた。
 それらの光景は、かつてこの地にも繁栄の時が存在したことをもの語っている。そして同時にそれらが、既に遠い過去の出来事でしかないことをも。
 目の届く範囲にある瓦礫の半ばが、吹きすさぶ風の運ぶ砂塵にうずもれていた。
 さらさらとした手触りの細かい砂は、たやすく風に乗り、訪れる者の視界を黄色く濁らせる。降り積もった砂に足首までも沈み込むおかげで、歩む者は一歩を踏み出すごとに体力を奪われていった。乱れる息にあえぎを洩らせば、その口に、鼻に、砂粒が容赦なく飛び込んでくる。
 消耗の激しかったジーンを気遣い、カインがしばしの休息を提案したのが、数時間前のこと。
 基部を残して崩れた石壁の陰で、彼らは吹きつける砂塵を避けた。しかし細かい砂が崩れてくるため身を横たえることはできず。カインは固い瓦礫に背中を預け、立てた膝の間へと小さな身体を座らせていた。砂塵よけの外套マントを広げ、二人の身体をまとめてくるむ。
 吹きすさぶ砂嵐を眺めながら、身を小さくして過ごす時間。
 一日中止むことのない砂嵐が陽光を遮り、あたりは薄暗がりの中に沈んでいた。草木一本見受けられない砂漠でありながら、こうして寄り添っていなければ、体温を奪われるほどに肌寒い。
 もともと口数の多い方ではないカインと、疲労しているジーン。砂と瓦礫しかないようなこの土地では、あえて話題にするような目新しい事柄も存在せず、彼らはただ無言で身を寄せ合っていた。
 もっとも、それはけして居心地の悪い沈黙ではなく。
 無論こんな状況が、心地のよいそれであるはずはないのだが。
 いつしかジーンが寝息を立て始めても、カインはただ、その身体が冷えぬよう、抱き寄せ直しただけだった。
 そしていま、目覚めたジーンはその腕の中で、衰えを見せぬ風鳴りに耳を傾けている。
「昼になれば、二時間ほど風が弱まるはずだ」
 そう呟いて、毛布代わりの外套からけだるい仕草で腕を出した。手首にはめたリストバンドを見て、現在位置を確認する。
「まっすぐ東に向かって、あと3キロも行けば、目的の建物が見える」
「……1時間はあるな」
 砂嵐が衰えるまでには。
「ああ」
 うなずいたジーンを、カインは懐深く引き寄せる。
「時間が来たら、起こす」
「 ―― ん。頼む」
 腕の中で小さく欠伸を洩らすと、ジーンは素直に目を閉ざした。
 数度身じろぎしてから、力を抜いて身体を預ける。
 大気が瓦礫の間を吹きわたり、笛のような音を鳴り響かせた。


*  *  *


 石造りの神殿は、半ば以上を砂に覆われながらも、しっかりとその原型を保っていた。
 もともと、主要部分の何割かは最初から地下に存在していたらしい。既に砂丘の中ほどから建物の一部が覗くだけのような状態になっていたが、それでも入口は存外たやすく発見できた。
 当然ながら訪れる者はとうにおらず、内部もすっかり荒れ果ててしまっている。しかし砂嵐のただ中を歩んできた身にしてみれば、天国と表現しても過言ではない環境だった。
 ジーンは身を投げ出すようにして、石組みの床へと座り込む。
 防塵マスク代わりのぼろ布をむしり取り、砂の ―― 少なくとも咳き込まない程度には ―― 混じらない空気を、胸一杯に吸い込んだ。
「あーもう、死ぬかと思ったぜ」
 尻の後ろの床に両手をついて、ぐったりと天井を見上げる。
 もし、もうあと1キロこの神殿が遠くにあったならば、彼女の足は完全に動かなくなっていただろう。
 ジーンがこぼす愚痴に、カインは特に反応を返さなかった。
 同じように呼吸の妨げとなる覆面をはずし、飲料水のパックをくわえている。
 ジーンが手を伸ばすと、無言のままに手渡してきた。
 口の中をすすぐように、ゆっくりと一口を含んで飲み下す。
 吸い口のシールを留めながら、ジーンはようやくきちんとあたりを見わたした。
 その部屋は、扉もない穴蔵のような入口をくぐり、狭い通路を進んだ先にあった。おそらく一般信者用の拝殿にあたる場所だったのだろう。縦横、高さとも石材がむき出しになった十メートルほどの空間になっており、部屋の奥、一段高くなったところに人間型生命体ヒューマノイドをかたどった偶像が祀られている。その手前には、膝ほどの高さの台のようなものが設置されていた。
 どうやら祭壇だったらしいが、高さもちょうど良いので、机として使わせてもらうことにする。
「あんたの信者達からの依頼だ。悪く思わないでくれよ」
 ぱちりと神像に片目を閉じて、背負ってきた携帯端末を載せる。
 電源を入れて起動を待っていると、カインが携行食を差し出してきた。ビスケット状になったそれの包み紙をはがし、端の方にかじりつく。
 上蓋兼用の薄い画面ディスプレイに表示されたのは、線画ワイヤーフレームで表された神殿内部の構造図だった。ふたりして肩を並べてのぞき込む。
「いまいるのがここ。全体は三層構造になっていて、地上に出ているのは最上部だけだ。もっともそれも、今じゃほとんど埋まっちまってるようだがな」
 画面を指でたどり、経路ルートを確認してゆく。
「目的地は最下層の書庫ライブラリ。特にトラップや仕掛けがある訳じゃない。砂の重みで崩れてさえいなければ、問題なくたどり着けるはずだ」
 何か質問は?
 問いかけるジーンに、カインはかぶりを振って応えた。
 基本的なことは既に打ち合わせ済みだ。ここでしているのはあくまで最終確認に過ぎない。今さら疑問に思える点などあるはずもなかった。
 ジーンも当然とばかりにうなずいて、端末へと視線を戻す。
 と、そこで彼女は、形の良い眉をひそめた。
「ちっ、こいつも駄目か」
 可憐な容姿に似合わぬ舌打ちを洩らし、幾度か乱暴にキーを叩く。
 先ほどまで図を映しだしていた画面は、まるで外部のそれを思わせる砂嵐デザート・ノイズに覆われていた。
 キーを操作しても、まったく反応がない。
 諦めきれないのかしばらく指を走らせていたが、やがて彼女はため息をつき、端末の電源スイッチを切った。
「まったく厄介な砂だぜ」
 ため息をついて肩を落とす。
 カインは無言でひとつだけうなずいた。
 この惑星全土を覆った黄砂は、それ自体が強力な磁力を帯びていた。故にこの砂嵐の中では、ほとんどの機械が動作不良を起こしてしまうのだ。多少のそれであれば防護のしようもあったが、これほどのものとなると、携帯できる大きさの機械ではどうしようもない。
 おまけにほとんど粉末に近い砂の粒子は、狭い隙間にも容易に入り込んでくる。おかげで精密機械のみならず、単純な機器装置さえもがうかつには使用できない状態だ。現にカイン愛用の金属鞭メタル・ロッドなど、接合部の多さが災いして、まったく使い物にならなかった。帰船したら分解し、部品全てを洗浄する必要があるだろう。
 そういった次第で今回は、移動手段すら徒歩に限定されるという、体力のないジーンにとってたまったものではない仕事となっていた。


 ―― そもそも、
 ことの発端は、たまたま立ち寄った惑星で祭りが開催されるとの噂を聞いて、ふと足を伸ばしてみたのがきっかけだった。
 あらゆる惑星を起源とする様々な宗教が氾濫する今の世の中だが、ジーンとカインは双方ともに、特定の信仰を持ってはいなかった。カインの母星であるミレーナには、そもそも神という概念自体が存在しないし、ジーンはジーンで、かつてはそれなりに冠婚葬祭や四季折々の行事に参加する程度のことはしていたものの、人生大幅にやり直す羽目になってからは、世の中に神も仏もあるものかといった姿勢を貫いている。
 とはいえ、祭り見物に行くのが、なにも熱心な信者ばかりとは限らない。
 はなやかな行進パレードや、珍しい装束コスチュームを見物するのは面白いし、祭りで浮かれる町を歩くのも楽しいものだ。
 そんなこんなで、休暇がてらのんびりと過ごしていた彼らだったが、そこはしょせん彼らと言うべきか。祭りの喧噪に気の大きくなったチンピラといざこざを起こしたり、また絡まれている女性を助けたりと、平穏とはほど遠い時間を送っていた。
 それはそれでそれなりに、楽しいひとときではあったのだが。
 そして、たまたま助けた女性のうちひとりが、その祭りを行っている宗教の神職関係者だったというところから、話が動き始めた。
 ジーン達がトラブルコンダクター ―― すなわち、金と事情次第で何でも引き受ける便利屋だと知った彼女は、頼みたいことがあるからと彼らを神殿へ招いた。
 そこで頼まれた仕事というのが、この惑星での発掘作業だったのである。
 かつてその宗教が発祥した土地に、未だ遺されたままの貴重な資料を回収してきて欲しい、と。
 そんなものは、学術集団に依頼すれば、大喜びでやってくれるだろう。もちろんその場合、かかる費用は無料だ。当初はそう言って断ろうとした彼らだったが、当の惑星の過酷な環境条件に加え、彼らの宗教自体がさほど著名なそれではないことから、既に協力を拒否されたと聞かされ心が動いた。あげく、充分な謝礼はできないがその代わりにと、母の形見の装身具だの父が遺してくれた絵画だのといった私物を前に頭を下げられて、そうそう断ることもできなくなっていた。
 幸いにも、現物を持ち出すのが難しければ、文献資料の写しだけでも構わないということであった。それならば ―― 量にもよるが ―― なんとかなるだろう。
 そういった次第で、彼らはこの砂に埋もれた惑星を訪れる羽目になったのだが……


 携帯端末は使用できなくなっても、おおむねの内部構造は既に把握している。
 念のためにと印刷しておいた数枚の図面を頼りに、彼らは神殿の奥へと進んでいった。
 地下に向かう階段は、もっとも奥まった、神官達の居住区近辺に存在するはずだ。一般信者は立ち入ることのできない、信仰に身を捧げた者のみが出入りを許される空間こそが、今回目指すべき場所である。
「……なんとかならねえのか、こいつら」
 光棒ライトスティックを高くかざしながら、ジーンが呟いた。
 足元へと這い寄ってきたサソリを踏みつぶして、小さく舌を打つ。
「ああもう、うっとおしい」
 叫びざま、肩口に落ちてきたのを払いのけた。手の平ほどの大きさのそれは、たいした抵抗も見せずにふり払われる。床に落ちたときにかさりと乾いた音をたてたが、どれがその蠍かはすぐに判らなくなった。なぜなら ――
 光棒ライトスティックの青白い光芒が照らし出すわずかな範囲だけで、十数匹を数えるそれらが這いまわっていた。砂岩質の石材を組みあげた通路の、床と言わず壁と言わず、とりついては長い尾を揺らめかせている。油断していると頭上から降ってくるので、天井には特に注意が必要だった。
 長く伸び上がる尾の先には、当然毒針がついている。が、この種が持つ毒はさほど強力なものではなかったし、まして彼らが外套の下に着ているのは、非常時には軽宇宙服として使用できる、ブーツと一体になったスーツだ。小口径の光線銃レーザーぐらいは防ぐことのできるそれが、たかが蠍の針程度を通すはずもない。気をつけねばらならないのは、手袋を外した手首から先と、首から上だけだった。
 それでも多数の節足動物に囲まれたその状況は、普通の女子供なら悲鳴を上げそうなものだったが。その点、見た目と違い中身はいい年した成人男子であるジーンは、多少眉をひそめただけで平然とカインの後ろに続いていた。
 ちなみに彼らが手にしている光棒ライトスティックとは、ペンシル状のプラスチック内部に、二種類の化学薬品を封入したものだ。両端を逆方向に捻ると中央の仕切りが壊れ、薬品が混じり合うようになっている。混合された薬品は化学反応により発光を始め、青白い光であたりを照らし出した。光量はさほど多くないが、手元の字を読むぐらいは充分できるし、一本で十二時間は保つ。暗視機器ノクトビジョンや投光器があてにならないこんな場所では、非常に重宝する道具アイテムだった。
「こんな場所で、いったい何食って生きてるんだろうな」
 どちらを見ても蠍が目に入る状況に飽きてきて、ジーンはついそんなことを考えてみた。
 おそらく肉食なのだろう彼らが、これだけの数を維持するためには、それなりの食料が必要とされるはずだ。この大きさからして、捕食対象となるのは他の昆虫や小動物などなのだろうが、果たしてこの石材ぐらいしかない神殿に充分な数が生息しているのだろうか。
「 ―――― 」
 と、前を歩いていたカインが、急にその足を止めた。
 行く手の闇を見透かすかのように、わずかに目を細める。
「どうした?」
 何か異常でも感じたのだろうか。
 問いかけるジーンに、カインは振り向くことなく、短い言葉で答えた。
「水の匂いがする」
「水?」
 反射的に、ジーンも視線を先へと向け、鼻を鳴らしてみる。彼女の嗅覚には、細かい砂塵を含む乾いた空気しか感じられなかった。
「むこうからか」
 しかしこと五感の鋭さに関して、彼女はカインを信頼している。指差して訊くジーンに、カインは小さくうなずいた。


 間もなくたどり着いた水場に、ジーンは思わず歓声を上げていた。
 いそいそと床に膝をつき、揺れる水面に両手をひたす。
「うぉ〜、冷てぇっ」
 上品とは言い難い声を上げてばしゃばしゃと水を跳ね飛ばす横で、カインは小物入れから細長い小箱ケースを取り出した。その端に空いた穴から細い紙片を一枚引き抜くと、小箱の方は再びしまい、しゃがみこむ。
「……飲めるな」
 軽く紙片を濡らし、その発色具合で成分を確認したカインは、片手で水をすくい口に含んだ。
「よく枯れてなかったもんだ」
 ほぼ部屋一杯を占める正方形の水場プールは、丁寧な石組みで縁取られていた。おそらく身を清めるためのみそぎに使われていたのだろう。なみなみとたたえられた水は冷たく澄んでおり、光棒ライトスティックの輝きを受けてきらめいていた。
「どっかから流れ出してるんだろうな。勿体ねえ」
 水面が二人の立つ床よりわずかに低い位置で揺れている。溢れもしなければよどんでいる様子も見られない。つまり新鮮な水が常に動き、入れ替わっているということだ。それは砂に覆われたこの惑星において、たとえようもない贅沢に思える。
 砂埃に汚れた手と顔を清め、ジーンは満足したようにため息をついた。
「少し汲んでいくか」
 荷物を探り、空になった飲み水のパックを探す。
 既に濡れている袖口をそれでも気休めにまくり上げ、水面下に手ごと沈めた。
「む……うまく入んねえな」
 柔らかいパックは水圧でへこんでしまい、なかなか水が入ってくれない。どうにか吸い込ませようと、ジーンはパックをひねくりまわした。手元が見えにくいので、暗い水面に顔を近づける。


 ―― 巨大な目と、視線があった。


「……ッ」
 声を上げるより早く身体が動いていた。
 とっさに身をひき立ち上がろうとする。だが驚愕に足がもつれた。よろめき水面へと倒れこんでゆく。背筋が粟立った瞬間、力強い腕が彼女を引き止めた。
 とっさにしがみついた彼女を、カインはそのまま担ぎ上げる。素早く水際を離れ、壁を背にする位置まで下がった。
 床に下ろしたジーンを背後にかばい、武器を探る。
「どうした」
 短く問われてジーンはごくりと息を呑んだ。先ほど目にしたものを脳裏に思いえがく。
 だがわずかな光に照らされただけの水中は、ほとんどが闇に沈んでいた。清くどこまでも澄んだその水は、はたしてどれほどの深みを持っていたのか。
「わ、判らない。けど……」
 それでもわずかなりと手がかりを、と口を開いたジーンだったが、しかしその言葉は発せられぬままに消えた。
 なぜならば、激しい水音と共に『それ』が姿を現したからだ。
 しばしの沈黙ののち、乾いた口調でジーンが呟く。
「……サソリ、だな」
 差した指先が、心なしか震えている。カインは大ぶりのナイフを手にうなずいた。
「そうだな」
 律儀に答えを返す。
 黄色い硝子玉にも似た握り拳ほどもある目が、ぎらりと光を反射していた。
 濡れた石組みの床に滴をしたたらせながら、這い上がってくるその身体。
 Sの字を描いて跳ね上がった尾が、先端の毒針を見せつけるように揺らめいている。きしむような音を立てて開閉する一対のはさみは、ジーンの胴体すらも両断できそうなサイズだ。
 ざっと見積もって体長3m。尾まで含めば5mを越えている。
「冗談 ―― 」
 こんな馬鹿でかい生き物が生息しているなど、データーに無かったではないか。
 絶句するジーンをよそに、カインはじりじりと姿勢を低くしていった。逆手に構えた戦闘用ナイフを目線の高さにまで上げる。
 一瞬、あたりの空気が凍りついたかのように張りつめた。
 先に動いたのは、貴重な獲物を前にした捕食者の方だ。
 節足動物特有の素早い動きで突進してくる。
「避けろ!」
 叫びざま、カインが床を蹴った。
 いかに彼とて、こんなものを真正面から迎え撃つのは不可能だ。ジーンが遅れず動いていることを確認して、身をかわす。
 巨大な鋏が外套の端を掠め、石壁を叩いた。鈍い音をたてて砂岩の表面が削られる。幾本もの脚が器用に動き、大蠍は機敏に向きを変えた。今度は壁沿いにつっこんでくる。
 動きの妨げとなる外套を一動作で脱ぎ捨て、カインは低い姿勢で走った。漆黒の影が遺跡の闇を駆ける。足手まといにならぬよう、別方向へと避難したジーンと充分な距離が開いた。床に踵を叩きつけ、改めて大蠍へと向き直る。
「…………」
 銀灰色の瞳が振りまわされる尾の先を捉え、わずかに細められた。先端から毒液を滴らせる鉤針が、カインの肉体へと狙いを定める。
 いかに丈夫なスーツとはいえ、これほどの蠍に刺されてもなお、無事でいられるとは思えなかった。たとえ針自体は通さなかったとしても、衝撃だけで内臓が傷つくだろう。
 すれ違うように毒針をかわしたカインは、大きく跳躍して鋏の攻撃をも避け、大蠍の背中へと着地した。その動きに蠍が反応するよりも早く、ナイフを尾の半ばへ突き立てる。
 合金を鍛えただけの単純な刃が、蠍の甲殻を深々と切り裂いた。カインの腕と変わらぬ太さのある尾が、わずかな繋がりだけを残して断ち切られる。
 蠍は激しくのたうった。尾の傷口から濁った体液がまき散らされる。背を踏んでいたカインは当然振り落とされたが、床に手をつきとんぼを切って、間合いをとった。そのまま油断なく報復へと備える。
 だが大蠍は、その痛手に生命の危険を感じたらしい。手強い相手を捕食することは諦め、じりじりと後退を始める。
 やがてその巨体は再び水の中へと沈み、揺らめく波紋が水面に残された。
 ジーンがつめていた息を吐いたのをきっかけに、カインもナイフを下ろし構えを解く。
「び、びびった……」
 いざというときは援護するべく用意した発光弾フラッシュを握ったまま、ジーンはその場にしゃがみ込んだ。うんこ座りした両膝に肘をかけ、深々とため息をつく。
 至近距離でいきなり目があったあの衝撃は、なかなか心臓に悪かった。今になって胸の内がばくばく言っている。
 カインが外套を拾いながら問いかけてきた。
「大丈夫か」
「ああ」
 うなずいて、ジーンはどっこらせっと立ち上がった。
 そうしてカインの方を向こうとして、視界に入ったものにふと眉を寄せる。
 表情の変化に気がついたのか、カインも視線を追って顔を動かした。
 そこに落ちていたのは、先刻の蠍が残していった尾の先端だった。カインが切断した時はまだ皮一枚で繋がっていたのだが、暴れたはずみにちぎれたのだろう。床を体液で汚した中に、転がっている。
 ジーンの顔をしかめさせたのは、その周囲に群がり動く、小さな影達だった。
 先ほどの大蠍と寸分違わぬ姿をした、大きさだけが異なる蠍の群。ここに至るまでの通路内でいやというほど見かけたそれらが、切れた尾に群がりその肉をついばんでいる。
「……たくましいもんだな」
 小さく呟いた。
 彼らが先を争うように喰っているのは、おそらく年を経ていたというだけの、同族の肉である。だがそんなことなど、この生き物達には関係ないのであろう。ただ己の命を繋ぐべく、目の前にあるものを喰らうだけで。
 ―― そのたくましさがあるからこそ、こんな砂ばかりの土地で、彼らは生きてゆけるのだろう。
 外套をまといなおしたカインが、ジーンを促した。
 しばらく次々と集まってくる蠍達を眺めていたジーンは、その声に応じてきびすを返した。
 先へと進む彼らの後ろで、太い尾は見る見るその大きさを小さくしてゆく。


*  *  *


 ―― 結局。
 神殿最奥部に位置する書庫で発見された文献は、膨大な量に及んだ。
 ノートほどの大きさの石板に刻まれたそれらが、室内に林立する書棚をこれでもかと言うほどに埋め尽くしている。とてもではないが運び出せるような分量ではなかった。それを見たジーンは思わず目眩を起こしかけたが、それでもそこで回れ右することは、トラブルコンダクター『殺人蜂キラー・ビィ』としてのプライドが許さない。
 どうにか気を取り直し、現物を持ち帰るのではなく写しを取ることに方針を切り換えて、彼らはそれぞれに立ち働いた。
 幸いにも室内の一角には広めの空間スペースが取られており、作業に都合が良かった。背が高く力もあるカインが端の棚から順に石板を取り出し、床へと積み上げる。そしてその横にぺったりと座り込んだジーンが次々と写しをとっていった。
「カメラ持ってきてて正解だったぜ」
 こればかりは入念に磁力と砂塵の防護処置をほどこしておいた機材を手に、ジーンはしみじみと呟いた。積み上げられた石板を一枚取り、床に置いてシャッターを切る。それから写し済みの石板を隣の山へと移動させ、次を持ち上げる。
 いくら手に持つことを前提として彫られた石板とはいえ、彼女の腕にはかなりの負担となる重さだった。幾度も幾度も同じことをしている内に、だんだん腕が上がらなくなってくる。
 幸い、数日をこの遺跡で過ごせる程度の装備は用意していた。
 いちいち船に戻って柔らかな寝台ベッドと温かな食事を得ることもできたが、その為にまたあの砂嵐の中へ出てゆくのではたまらない。となれば、作業が終わるまでここに泊まり込むしかなかった。
 また一枚記録を終え、ジーンは両腕を思いきり頭上に伸ばす。
 それから撮影済みの山と未撮影の山を見比べて、げんなり息をついた。
「少し休むか」
 用の済んだ石板を元の棚へ戻していたカインが、声をかけてきた。
 ジーンはこわばった二の腕の筋肉をもみほぐしつつ、頷きを返す。
 いつもならここで茶の一杯でも淹れるところだったが、さすがにこの状況ではそうもいかない。幸い飲料水を心配する必要はないようだったが、固形燃料には限りがあるし、そもそも茶葉など持ち込んでいない ―― はずだ。
 なんとなく、要求したら出てきそうな気がしないでもなかったが、まあそれはさておき。
「それにしても、不思議なもんだよなぁ」
 石板の表面に指を滑らせて、ジーンは妙にしみじみと呟いた。
「俺達には単なるひっかき傷にしか見えないこの文字が、ン百、ン千年前にはひとつの文明をも左右するほどの情報を持っていたんだからな」
 古代の文明黎明期には、祭政一致といった形で宗教と政治とが密接な関わりを持つことが多い。
 この神殿もまた、当時相当の重きを置かれていたことは、遺跡の規模からして容易く想像できた。
「存在も定かではないものに、救いを求めるのか?」
 カインがぽつりと呟いた。
 まばたきして訊き返したジーンを振り返り、足りなかった言葉を付け加える。
「神にただ祈るだけで、助けてもらおうとするのか。自分ではなにもせずに」
「……まあ、宗教ってのは普通そういうもんだが……いちおう儀式とか祈りとかって形で、代償は払ってるという形になるのが一般的だな」
「だがこの神は、星が砂に覆われるのを、止められなかったのだろう?」
「ああ」
「よく判らないな。何故そんな概念が、多くの文明に共通して存在するのか」
 そう言って、カインは大量の石板を眺めやる。これほどの教義を生み出し、文章化し、石板に彫り込んで保管する。そこに必要とされる膨大な労力を思い浮かべ、その報われなさに納得がいかないようだ。
 神という、目には見えぬ実在すら確定しないものに祈りを捧げ、救いを求める。その願いが、確実に報われると保証されているわけでもないというのに。それでも彼らはただ祈り、自分達の望みを叶えて欲しいと乞い願う。
 しかし ―― その結果としてこの地に遺されているのは、もはや砂に埋もれた瓦礫の数々、ただそれのみで。
 この神殿の『神』は、信者達の住まう惑星を砂に埋もれるがままとし、人々からその生活の場を奪わしめた。にもかかわらず、この星を捨て、生きる道を外宇宙へと求めた人類は、いまもなおこの神への信仰を失うことなく、新たな神殿を建て、祭祀を行っている。そうしてジーン達へと教典の回収を願った。自分達が持つ、わずかな私財をもなげうって。
 似たようなことはこの宇宙に幾らでも存在した。だが今の時代に、それこそそれぞれの星の数と同じほどに存在する神々 ―― 信仰の中で、果たしてどれだけのものが確実な救いを保証してくれているだろう。そして、それほど不確実なものなのにもかかわらず、何故に人は、そうまで宗教というものを必要とするのか ――
「う……ん、なんでって言われると難しいが」
 カインと異なり、無神論者とはいえそれなりに宗教を身近に知っていたジーンは、どう説明したものかと言葉に迷った。
「こいつはあくまで俺の考えなんだけどな。多分、宗教における救いってのは、そういう即物的なものじゃぁないんだ」
 腕を組み、視線を床に落として言葉を紡ぐ。
「まず『神』っていう、すごくえらくて立派な存在を想定する。そうして、その存在に対して色々と働きかけようとする。相手はえらくて立派だから、当然こっちがすることもそれにふさわしく、立派な行いじゃなきゃいけない。そう考えると、立派なことをできるように人は努力するだろ? その『神』に対してふさわしい、立派な存在になりたいと努力する。結局、それこそが宗教の根底なんじゃないかな」
 教義を書き残すために、文字を作り出す。神殿を建てるために、建築技術を確立する。
 そんなふうにして技術を、文化を磨き、やがて信仰は物質から精神面へも影響を及ぼす。
 神に褒めてもらいたいから、他者を救おうと手を差し伸べる。かの存在にふさわしくありたいから、高潔な人柄であろうとする。
「誰かが自分を見守ってくれていて、お前はそれで良いんだって認めてくれてると思うと、精神的にすごく楽になれるだろ。努力を認めてもらえたんだって、嬉しく思える。その誰かに、神という存在を持ってくるんだ。そうやって自分の中の不安を取り除いてもうこと、それが宗教における救い ―― ゆるしなのさ」
 だから人は神を求めるのだ。
 それは外的な確固たる存在としてではなく、それぞれの心の内に理想化された、超越者ともいえる。極言すれば、信者達は神に何かを求めている訳ではないのだ。彼らはただ、文化を発達させる原動力として、そして自らの精神をより高みへと発展させる理由付けとして、その存在すること、ただそれのみを必要としているに過ぎない。
 しかし、それほどまでに理想化できる存在は、現実の中ではそうそう得られるはずもなく。仮にいっとき存在したとしても、しょせん生身の人間の身では、ごくわずかな時間しか生き続けることはできない。
「……だからこそ人は、目には見えない、けれどどこかには存在していて、全てを見通してくれている不変の『神』という形で、それを思いえがくんだろうな」
 かつて存在したという聖者が身を変えた姿として、あるいは美しい自然や圧倒的な力を持つ災厄などを擬人化することで。
 つと手を伸ばし、一枚の石板を取り上げる。
 そこに刻まれているのは、彼女達にとって意味不明な古代文字ではなく、神の姿を模した浮き彫りレリーフだった。線の細い女性的な輪郭を持つ人間型生命体ヒューマノイドは、ジーンの目にも、人間離れした神々しいと呼べる美しさを持って映る。
 そら、と手渡された石板に目を落とし、カインはしばらく沈黙していた。
 だがやがて、彼は無言のままに浮き彫りを返してよこす。
「カイン?」
 どうやら納得できなかったらしいその素振りに、ジーンは苦笑混じりで名を呼んだ。
 別に自分は学者でもないし、好き勝手な解釈に等しい己の説が正しいと主張するつもりもなかった。そもそもジーンの考え方は、熱心な信仰を持つ者にしてみれば、不敬きわまるそれだろう。ことに今回の依頼人あたりには、とても聞かせられたものではない。
 小さく肩をすくめる。
「ま、信仰によって救われている人間はいるんだよ、確かに。たとえそれが、俺達には理解できない形であれ、な」
 さて、作業を続けるか、と上体を捻りかけたジーンに、カインがぼそりと声をかけた。
「俺は、見えないどこかにいる誰かより、お前の方が良い」
「 ―― はぁ?」
 思わず振り返り、まじまじとカインを見つめた。
 化学薬品の放つ青白い光の中、カインの鋼色の瞳が硬質な輝きを宿している。逸らされることなく、まっすぐに向けられる眼差し。
 ジーンは緩めていた唇を引き締め、真顔になって相棒を眺めた。
 しばし場には沈黙が下りる。
「…………」
 やがて、
 重くなりかけた空気を振り払ったのは、ジーンの方だった。
 ふっくらとした柔らかい口元に、傲慢とさえ呼べる雄々しい笑みが浮かべられる。
「確かに、な」
 立てた片膝を、荒っぽい手つきで引き寄せた。その仕草は愛らしい少女のそれではなく、戦いに慣れたベテランの男が見せる、余裕と自信に満ちたものだ。
「俺も、見たことないどっかの誰かなんかいらねえよ。お前が認めてくれていれば、それで充分だ」
 生きていく上での赦しなど、己自身と相棒のそれさえあれば充分だ。
 たとえこの世の誰からお前は間違っていると言われても、自分が自身で正しいと思っているのであれば、聞く耳など持ちはしない。そして己の意志が揺らぎそうになったその時には、傍らにいるこの相棒が手を差し伸べてくれる。それは疑問に思う必要すらない、確固たる事実で。
 だからこそ ―― 自分達は『神』など必要とはしない。
 己を磨く理由も、不安を預ける相手も。
 救いを求めて伸ばした手を、必ずとってくれる力強い腕さえもが。
 あえてどこかに求めるまでもなく、いま『ここ』に存在しているのだから。


*  *  *


 砂に埋もれたいにしえの神殿。
 分厚い石組みで外界と隔てられた地下部分には、吹きすさぶ砂嵐の咆哮も、まったく届かない。
 古き異教の神が御座おわすその場所で、かの姫神を讃える古文書に囲まれて。
 それでも彼らに、神の加護など存在しない。
 神殿の主たる女神は、けして彼らを守りなどしない。
 なぜなら彼らに、救いなど必要ではないのだから。
 視界を遮り、旅人を惑わす砂嵐さえも、彼らの行く手を阻むことはなく。
 疲労すれば互いに背中を預け、迷えばともに腰を下ろす。
 己を磨くその理由も、より高みを目指そうとするその望みも、ただ自らの意志とその傍らで力を貸してくれる相棒の存在、それさえあれば。


 ―― 砂嵐デザート・ノイズの響きは、遠い。


(2002/11/22 11:35)



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