惑星ミレーナとそこに住まう人々について、世間に知られていることは、存外に少ない。
ミレーナ星人という人種自体は、
有翅人種 ――
翅脈を持ったフィルム状の羽根を有する
人間型生命体 ―― の代名詞になってさえいるほど、著名ではある。
ときに妖精と称されることもある、華奢な肉体と繊細な美貌を特徴とする種族。穏和な性格を持ち、芸術と平穏を愛する彼らは、総じて線が細い儚げな美形の集まりで、長命だと認識されていた。
だが、個体数が少なくまた閉鎖的な人々は、めったに住まいとする星を出ることもなく、幾つかの同盟惑星に駐在する大使達をのぞいては、外宇宙でその姿を見せることはほとんどなかった。
ミレーナ星自体もまた、他星からの客に対して門扉を開こうとはせず、公的なごく一部の来訪者のみが、その土を踏むことを許されるだけである。
故に人々は、かの星とそこに住まう人々を、一種幻想的なイメージをもってとらえていた。
美しく長命な種族の集う、幻の園ミレーナ、と。
だが……
* * *
穏やかな風が吹く丘で、ひとりの少女が膝を抱え込むようにして腰を下ろしていた。
なだらかに、広く続く丘陵の上からは、その麓に固まっている建物の群を一望することができる。柔らかい曲線と淡い、目に優しい色合いの素材で構成された街が、草原と彼方に広がる森の深緑、良く晴れた薄桃色の空に溶け込むかのように、しっくりと風景の中になじんでいた。
それらを見下ろす少女の年頃は、十歳前後と見える。小さく丸められた背中を、波打つ豊かなベビーピンクの髪が覆っていた。まつげの長い目は髪と同じ色で、顔の半分を占めているのではないかと思うほど大きく、ぱっちりとしたそれだ。
やがて、少女は膝を引き寄せていた腕をほどき、その場に立ち上がる。細かい刺繍を施された裾の長い衣服が、風にあおられてゆっくりとはためいた。
「…………」
しゃらりと、澄んだ音がかすかに響く。
少女の背に、美しい
翅が現れていた。
硬質な輝きを放つ、透明な双翅。昆虫のそれにも似た三対六片のそれは、小さな身体を覆い隠さんばかりの広がりをみせる。だが光を通過させる薄い翅は、ステンドグラスのように少女の姿を透かして見せた。
数度翅が震えると、鈴を鳴らしたかのごとく涼やかな音がこぼれ落ちる。
降り注ぐ陽の光が七色に分解され、あたりに振りまかれた。
妖精の呼び名にふさわしい、儚くも幻想的な立ち姿 ――
しかし、それらの美しさも、少女自身にはなんの感銘ももたらさないようだった。
飛びたつでもなく、幾度か翅を動かした少女は、やがてため息をついて己の小さな肩に手を置く。瞳を伏せ、そのまましばし立ち尽くした。
と……
「ローズ」
ふいに呼びかける声が、少女の耳へと届いた。
振り向いた彼女の目に、丘を登ってくる少年の姿が映る。
「カイン……?」
驚いたように目を見張る少女 ―― ローズのもとへと、カインと呼ばれた少年は近づいてくる。やがて、間近で足を止めた彼を、ローズは目を細めて見上げた。
「ひさしぶり。……背、ずいぶん伸びたのね」
「二年、経った」
「そっか、もうそんなになるわね……」
うつむいて呟くローズの肩へ、カインはそっと手を伸ばす。そうして少女を草の上に座らせると、自分もその横へと並んで足を投げ出した。
「 ―――― 」
カインは、ローズよりも幾つか年長と見える年頃だった。だいたい十三、四と言うところか。ミレーナでは、亜成体と呼ばれる時期である。
ミレーナの社会形態は、ある種の昆虫を思わせる生活共同体によって形作られていた。
世間一般に認識されていることとは異なり、一般的なミレーナ人の寿命は、きわめて短い。二十年ほどで成人し、2〜4個の卵を産んだのち、親はその孵化を待たずに死亡した。残された卵は地域ごとに集められ、共同で育てられる。
それらの子育てや社会の構築を担うのが、成人前の、亜成体の仕事だった。
孵化して間もない子供達 ―― 幼体は、全身をうっすらと灰色の
柔毛に覆われており、個体差もほとんどない。身体つきはころころと丸く、みなまとめて一緒くたに扱われている状態だ。だが、十年ほどたつとさなぎ化し、そして脱皮すると彼らの姿は一変する。
体格、瞳、肌、声 ―― それぞれの持つ個性が明らかとなり、なによりも男女の区別が生じる。そこで初めて彼らは個々の名を与えられ、年齢と適性に応じた仕事へと振り分けられるのだ。
やがて十八、九になると、彼らは再びさなぎとなり、半年後、いっせいに羽化をする。
背に四枚の翅を生じた成体達は、次世代を残すことを仕事とし、残された一年間を恋愛に生きた。そうして再び、命は巡る ――
無言で翅を見つめているカインに、ローズはたまりかねたように目をそらした。地についた手の中で、握りしめた草がぶちぶちと切れる。
「そんなにこの翅が珍しいの」
低い声で呟いた。
まだ幼い、亜成体にもなったばかりだろう未成熟な肉体に、成体のみが持ちうる虹色の双翅。
彼らにとって翅があるということは、その個体が子を為す能力を備えた一人の
雄もしくは
雌であることを示す。そして互いにその中から好ましい相手を選び出し、次世代を残すべく恋を語らうのだ。
だが、ローズは生殖能力を持つには、未だ幼すぎた。思春期に現れる線の固さすら、いまだ見られぬその身体。丸く、柔らかく、小動物を思わせる未熟な肉体 ――
そのアンバランスさを、彼女はなによりも恥じていた。実際、ローズの年齢はカインと変わらない。同じ
生息地で、同じ年に産まれた同世代である。本来であれば、彼女は未だ翅など生えることもなく、カイン達と共に幼い子供達の面倒を見ていたはずだった。
だが……
『第三孵化棟で崩落事故が発生しました!』
『卵は無事でしたが、世話をしていた者が数名……』
『被害状況は』
『二名は即死でした。ですが、一名ほどさなぎ化した者が』
『仮死状態になることで、傷の回復をしているようで ―― 』
『前例がないわけではありません。このままうまく脱皮できれば、あるいは……』
亜成体になって間もなく遭遇した事故で、彼女は瀕死の重傷を負った。だが傷ついた身体が本能的にさなぎ化したことで、かろうじて命をとりとめることができたのだ。新陳代謝を極力抑え、仮死に近い休眠状態で、深すぎるその損傷を癒してゆく。
そして半年後、彼女は羽化した。
亜成体として脱皮するのではなく、成体としての、羽化 ――
しかも彼女が得た翅は、四枚ではなく、六枚だった。
二対と三対。その違いはミレーナにおいて非常に大きいそれである。
わずか二十年でその命を終えるこの星の人類が、何ゆえに長命な種族として世間に認知されているのか。それは、社会の上層部に位置し、対外交渉を
担う一握りの者達が、『そう』であるからに他ならない。
数千、数万人に一人の割合で産まれる、六枚翅の個体。
彼らは他の者達の短い命を埋め合わせるかのように、長い生を与えられていた。
一説によれば、かつてミレーナ人の内で生殖能力を持ち合わせていたのは、この六枚翅の個体だけだったという。遙か遠く、文明黎明期の頃には、ひとつの
生息地を男女二人の六枚翅が治め、彼らの産む卵から産まれた四枚翅達を労働階級として、ごく小規模な『巣』を作り出していたと。
―― それはさながら、女王と働き蜂のごとく。
だが、文化が発達し栄養状態が向上する中で、四枚翅の者達もいつしか子を為すことを可能としていった。人口は爆発的に増加、生息地の規模も巨大化してゆき ―― しかしそれでもなお、六枚翅の特権は変わらずに続いていた。
否、はたしてそれを特権と呼ぶべきであろうか。
他惑星の種族に比すれば、ひどく短い命しか持たぬ四枚翅のミレーナ。だが彼らにとってのその時間は、産まれながらに持った、ごく当たり前の天命で。その時間を精一杯に生き、恋をし、次世代を残してゆく。そこに不満など存在するはずもなく。
だが、六枚翅の者達は、彼らの十倍以上の
時間を生きる。共に産まれ、育った者達が次々と死に、その子供達さえもが天寿をまっとうしてゆく中で、彼らは老いることすらなく生き続ける。
めまぐるしい世代交代が繰り返されるこの星で、長い時間を有する者が統治者として責任を負わされるのは、逃れようのない宿命だった。いかに記録を、知識を、思想を伝えたところで、どうしようもないことがある。上に立つ人間が常に入れ替わり、定まらねば、高度な文化生活を安定させることなど、できるはずもない。
―― 故に、六枚の翅を有する者は、羽化したその瞬間より、統治者の一員たることを義務づけられる。
四枚翅が、すべての職務から開放され、ただ恋愛のみに生きることを許されるのとは、対照的に……
「 ―― アンタもいずれ、大人になってあたしを置いていくのよね」
ぽつりと、ローズが言葉を落とした。
「誰かと恋をして、子供を作って……」
語尾がわずかに震えを帯びて、ローズは言葉を切る。
「俺は、恋はしない」
対するカインの口調は、ぶつりとちぎるような、抑揚のないそれだった。
ローズは顔をしかめて彼のほうを見返す。それはミレーナ人にとって、理解できない感覚だったからだ。
「なに言ってんのよ」
「ローズの翅は、とてもきれいだと思う。ローズよりきれいな女は、いない」
「でも、あたしにアンタの卵は産めないわ」
かつてはいざ知らず、現在において六枚翅の者が子を為すことはほとんどなかった。それもそうであろう。伴侶が、子が、そして孫が、己より先に年老い、死んでいくことが判りきっていて、それでもなお子孫を残そうと考えられる者など滅多にいない。
まして彼女には、子を為す能力がない。たとえこのさき何年が過ぎようとも、既に羽化してしまった彼女が、これ以上成長することはありえないのだから。
唇を噛み、瞳を伏せて、ローズは肩を震わせた。
「……くやしい」
恋をして子孫を残すことこそ、ミレーナ人のすべてだ。
短い命の最後の一年。彼らはそのひとときに人生を賭ける。生涯ただ一人の伴侶を見つけだし、愛し合うために。高度に洗練されたミレーナ独自の芸術文化も、ただその思いのたけを相手に伝える手段として、発達した結果に過ぎない。
すべては、ただ愛しい者を見つける、そのためだけに ――
「アンタはアンタの血を残さなきゃ」
それが、四枚翅のミレーナにとっての、当たり前の生き方だ。
「…………」
カインは、ただ無言で首を振る。
ローズもそれ以上は何も言わなかった。
互いに口を開くことなく肩を並べる二人を、吹きわたる風が平等に撫でてゆく ――
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