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 プシ・キャット  キラー・ビィシリーズ 第四話
 第四章

 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 惑星エイダの上空、地表よりおよそ400キロメートル。幾つもの人工天体が巡る周回軌道上に、JAQS研究所ラボラトリィ・ジャクスの所有する研究室も存在していた。
 重力や大質量の影響を受ける惑星上では不可能なたぐいの実験を行うため、こういった施設を持つ研究所は数多い。大規模な企業であれば、専用の衛星を所有していることも珍しくはなかった。
 だが、JAQSのそれは、幾つかの会社で運営している共同研究棟である。
 しょせんは、細々と開発を続けていた中小会社が、ふとしたはずみで創り出してしまった実験体を、有頂天になって抱え込もうとしているに過ぎないのだ。そうでなければ、あんな数を頼みにした二流の追っ手を放つようなことも、せっかく取り戻した実験体を、こんな追跡しやすい場所に収容する真似もしたりなどすまい。
 そもそも、ビルから落下したジーンの生死を確認もせず、また少女を確保した時点で満足し、アレフを放置することを良しとしたのも、甘いとしか言いようがなかった。
「結局、あいつもプロじゃぁなかったってことさ」
 ディスプレイを眺めながら、ジーンが呟いた。
 そこは、いまだドック内で整備を続けている、ハニカムのコックピットである。シートと端末、計器類に埋まった機能的な室内に、他の人間は存在していない。
 彼女に合わせ調整されたシートに小さな身体を預け、幾つもの画面や計器がもたらす情報に、目を配る。両手が舞うようにひらめき、ボタンやレバーをなめらかに操作していった。右目の前に展開した、ヘッドセットに付随するディスプレイに、男の胸から上の画像が表示されている。廃ビルの上で、ジーン達を撃った指導者格の男だ。重なるように流れていくのは、その男の個人情報パーソナルデーター
 たかだかいち研究所の警備係風情が。
 半透明のディスプレイ越しに、目の下に刻まれた皺が、透けて見えた。
「カイン」
 口元のマイクに向かって声を発する。
「ヴィイは何度も移動されている。こまめに反応をチェックしてくれ」
『ああ』
 戻ってくるのは、相変わらず最小限の言葉だけだ。
 裏を返せば、それ以上のやりとりは必要とされていない。
 惑星エイダで認可されている人工天体の周回軌道は数種類あった。商用や、外宇宙向けの宙港として使用されているほとんどの人工天体ステーションは、自転軸に対して垂直方向に交わる、赤道に平行なラインを運行している。また、気象や、海洋探査といった一部の惑星観測用施設は、両極地を結ぶ水平方向の軌道を描いていた。この二本の線に関しては、巡る天体の数も、またそれらを行き来する船の数も多く、人目を忍ぶのは難しい環境にある。
 が ――
 中には赤道に対して一定の軌道傾斜角を持つ、例外的なコースを取るものが幾通りか存在していた。企業の所有する工場や研究室といったそれである。
 なんらかの事故が起きたときになど、第三者に及ぼす被害が少なくてすむよう、設定されているわけなのだが、今回はそれが都合の良い方に働いた。
 ハニカムが収容されている整備ドックもこれにあたっている。そして、問題の研究所も、軌道こそ異なるが、同じように変則的な軌跡を描いていた。現在、両者の位置関係は、エイダを四分の一ほどまわりこんだあたりになっている。彼我の距離は直線にして1万2千キロメートルというところか。星系外の外宇宙空間であれば、ほんのすぐそこという感覚だ。が、間近に地表が存在する惑星圏にあっては、はるかに遠い彼方となってしまう。
 巨大な質量を持つ惑星から発せられる、膨大な輻射光や電磁波などにかき乱され、この位置では通信のやりとりさえ思うようにいかないのが常だった。人工天体同士や地表施設との交信も、惑星表面をカバーする幾つもの通信衛星を介することで、どうにか鮮明クリアな状態を確保しているのが現状だ。
 だが、実際のところ技術面から考えれば、情報を素早く確実に送受信することは、そう難しいことではなかった。問題は、手間と資金面コストにある。そして、情報を扱うことを専門とするジーンは、その方面に対しての投資を惜しむことはしなかった。
 トラブルコンダクター殺人蜂キラー・ビィの持ち船、ハニカムの情報処理能力は、下手な都市の集中管理端末マザー・コンピューターを上まわる。そしてそこに、ブレインと回線を直結することで、入力速度の制限を取り払ったジーンが加わったならば。
「むこうさんの警備回線セキュリティはおおむね攻略した。さすがに全面乗っ取りは無理だが、必要な情報は手に入れてある。あとはそっち次第だぜ?」
『ああ。―― 繋ぐぞ』
 言葉と同時に、ヘッドセットの画面に新たな回線が開かれた。映し出されたのは、作動中の計器類と操縦桿だ。そしてひときわ大きな画面スクリーンに投影される、宇宙空間の姿。
 いまジーンが前にしているコンソールとは明らかに異なるそれは、カインがかけたバイザーから送られてくる映像だった。重なり合ういくつもの映像と情報。慣れない人間なら、それだけで目眩を起こし、ひとつひとつの把握などとてもできるものではなかった。
 だが、ジーンにはそれができる。
 地球人テラノーツ、ジェフ=A=ジンノウチにはできなかった。ミレーナ人であるローズもまた、情報解析といったものに興味など持ってはいなかった。
 ジェフ=エースの脳と、ローズの肉体。内分泌物質ホルモンの影響か、神経伝達速度の問題か。はっきりしたところは判らない。
 だが、それは他でもない、彼女が『ジーン』であるが故にこそ、できること ――
 ジーンが軽く目を細めると、コンソールの画面のひとつに数式が流れていった。別の画面には、ワイヤーフレームであらわされた人工天体の構造図。一部が拡大され、非常時用のエアロックの存在を指し示す。そして、相手のセンサーに感知されることなく、そこへ至るまでの航路が瞬く間に計算され、小型艇シャトルを操縦するカインの元へと転送された。
 カインの小型艇を誘導しながら、一方でジーンはエアロックの管理回線に侵入し、手動で開閉できるよう設定し直した。それから使用記録を改竄かいざんし、実際には行われなかった点検記録を残しておく。さらに近辺の監視機器に手を加え、過去二時間ほどに得た情報をダミーとしてもう一度流すよう命じた。
 それだけの作業をこなしつつ、通信機越しに小型艇と最終的な打ち合わせをしてゆく。
「……ッ」
 一瞬。
 流れるように動いていたジーンの手がこわばった。眉を寄せ、ふっくらとした唇を噛みしめる。
 だが、彼女はまたすぐ、何ごともなかったかのように操作を再開した。小型艇のコースが計算通りであることを確認し、予期せぬ障害物の存在を探索サーチする。
『ジーン』
「大丈夫だ」
『無理は……』
「大丈夫だっつってんだろ」
 察しの良すぎる相棒へ無愛想に答え、進路上に現れた宇宙塵を迂回するよう指示した。
 いかに彼女の情報処理能力が桁外れに優れているとはいえ、それでも生身の人間である以上、限界は存在する。扱い慣れた端末に補助サポートさせているからこそ、これだけの真似ができるのだった。それでも、いつもならばもう少し楽ができるのだが、今回は整備中の機体を使用しているため、普段使用している機能の半分以下しか稼働させられずにいる。それだけに、ジーンにかかってくる負担も大きくなっていた。
「そっちが到着するまでに、いろいろ終えとかねえと面倒になるんだ。お前は黙って操縦してろ」
 裏を返せば、カインが動き始めればこっちは小休止できるのだ、と。
 一概にそうとは言い切れなかったが、相手を納得させるためには方便も必要だった。実際のところは、カイン達が研究所に侵入してからの方が、よほど忙しくなる可能性も高いのだが。
 そもそも、今回彼らのとった目標物への接近方法は、常識はずれと言って良かった。おそらく向こうの警戒装置も、こんな侵入者は想定していないことだろう。
 ジーン達はハルのつてによって小型艇を一機手配し、問題の人工天体へと向かっていた。表向きは地上に降りるのに乗り合いを嫌った小金持ち、ということになっている。だが、ドックを出発した彼らは、間もなく所定の降下コースをはずれた。もちろん、管制からの監視はうまくごまかしてある。
 彼らの衛星出立と地上到着には、所要時間に数時間のズレが生じるはずだった。軌道上の管制と地上のそれとにはそれぞれ、異なる時間を申請してある。長く保つ小細工ではなかったが、とりあえず一日ごまかせればそれで良かった。
 その数時間こそが、ヴィイの救出に使われる。
 カインとアレフ、そしてハルが搭乗した機体は、ジーンの計算に従い、航路をはずれ独自のコースをとった。ほとんど自殺行為に等しい行動である。高速で移動を行う真空空間内では、進路上にごく小さな、数ミリ単位の障害物が存在するだけで大打撃を受けかねないのだ。音速マッハを超えるスピードで衝突すれば、小石とて分厚い合金を貫く。それ故に宇宙そらをゆく者は、厳しく定められ、整備された航路を管制の誘導に従って航行する。障害物の多い惑星圏内においては特にだ。下手に進路をはずれれば、浮遊する宇宙塵や他の航路をゆく船、コンピューター制御で働く整備ポッドなどに行く手を阻まれる。そこで操縦を誤れば、待っているのは衝突、大破という大事故か、あるいは巨大質量エイダの重力にとらわれ大気圏へと墜落する運命か……まともな安全意識を持つ者であれば、けして試みようとは思わない所行である。
 問題の人工天体へと向かう航路は、相手がエイダを巡る周回軌道にそって設置されていた。それが一番安全かつ、常識的なものである。ところがジーンの計算したそれは、別の軌道から人工天体へとまっすぐに向かう最短針路ショートカットだった。
 もちろん全くの直進ではなく、こまめに転進している。それにしても、普通こんな真似はやらなかった。
 船の操作について専門的な知識を持っていないアレフは別だったが、ハルなどは作戦を聞かされたとき、さすがに一瞬引きつっていた。依頼人の手前、なんとか言葉を呑み込んだようだったが、叶うものなら本気かと問いただしたかっただろう。いかに彼らならそれも可能だろうと、判ってはいても。
「目標まであと二万。出力落とせ。速度の同調に入る」
 ジーンの両手が、再び鮮やかにコンソールを舞った。


*  *  *


『そこの角を曲がって、三番目の左手の部屋に入れ』
 通信機越しに告げる声と共に、バイザーの内側に周囲の見取り図が浮かび上がり、現在位置と目的地を点滅させた。単純な点と線のみであらわされた画像だが、必要な情報は充分かつ的確にもたらされている。
 カインは周囲に人の目がないことを確認し、後ろを歩くアレフを振り返った。手のひらを向けてこの場で待つよう促し、指示された扉へと向かう。
 ジーンから伝えられたパスワードで、ロックはあっさりと解除できた。細く開けて内部を確かめてから、アレフを招く。
 扉を閉じると、アレフはほっと詰めていた息を吐き出した。それからあたりを見まわす。
「ここは ―― 」
「…………」
 広いとは言えない室内は、壁や床から伸びた、何本もの太いパイプに埋め尽くされていた。アレフはとまどったように問いかけたが、カインからの答えは返らない。ややあってから、ジーンの声が耳元の通信機から響いた。
『集中換気室。そこに伸びてるのは、全部エアーダクトさ』
 ここはこの人工天体全体の空気循環及び浄化をつかさどる部屋だった。
 地上、宇宙空間を問わず、たいていの施設にはこういった設備が備えられているものだ。が、一研究者であるアレフにとっては、これまでまったく無縁だった場所でもある。
 物珍しげな彼をよそに、カインは室内の片隅に置かれたロッカーへと歩み寄っていた。単純な番号合わせの電子錠を、腰から抜いたレーザーで撃ち抜き、扉を開ける。
 取り出したのは薄いビニール状のコートだった。いつもの黒い軽宇宙服ライトスペーススーツの上から無造作にはおり、一枚をアレフへと差し出す。
「あ、と。着ればいいのか」
 無言でうなずく。
 困惑しながらも受け取って袖を通すアレフに、ジーンが説明した。
『そいつはダクトの点検用コートだ。ダクトの中は、異物が紛れ込むのを防ぐためレーダーで監視されてる。そいつを着てないと一発で見つかっちまうからな』
 コートの胸元には、点検要員であることを示す認識票ビーコンがついている。それを身につけている者だけが、監視装置から無視されるのだ。
 ならば別にそれだけをむしり取っていっても良いのだが、場合によっては異物排除用に紫外線照射や、小口径のレーザーなどが設置されている場合もある。このコートなら、そういったものへの耐性も付与されているはずだった。
「……つまり、この中を通って、ヴィイのもとまで行く訳か?」
 アレフが床を這うパイプの一本を眺める。その眉間にしわが寄っていた。ダクトの太さはそこそこあったが、それでもせいぜい腰をかがめるか四つん這いになって進むしかないだろう代物だ。
『監視装置ならいくらでも誤魔化す手はあるが、人間の目はそうもいかないからな』
 本来なら関係者であったアレフだけならばともかく、いかにも部外者然としたカインが堂々と廊下をゆけば、いやでも人目を引いてしまう。気配を読み、身を隠すにしても限界があった。
『嫌なら艇で待つかい?』
 ここから侵入したエアロックまで戻るのは、さして難しいことでもない。
 退路を確保するため、小型艇ではハルが待機していた。二人でいれば待つ時間もさほど長くは感じられないだろう。提案したジーンに、アレフは即座にかぶりを振る。
「どこから中に入るんだ」
「…………」
 まっすぐに見つめてくるアレフに、カインはしばらく反応を返さなかった。かといってその視線を無視するわけでもなく、じっと相手を見つめ返す。それからようやく動いた。壁を縦に走る一本を指さす。
 そこには、床に接する形で、腰丈ほどの出入口が設けられていた。


 幸い、しばらく進むと、かなり広いダクトにぶち当たった。おそらくここから周囲の部屋へと枝分かれしている、主要なそれなのだろう。立ち上がることは難しかったが、それでも内部で点検作業ができる程度には余裕があった。
 換気を目的とするのだから、当然あちこちに通路や室内へ通ずるフィルターが点在している。そこから漏れてくる明かりで、かろうじてあたりの様子は判った。
 音を立てないよう、注意しながら進むので、あまり素早くは移動できない。そのせいもあって、つい室内の様子に目を奪われがちだったアレフは、危うく前を進んでいたカインに衝突しかけた。いつのまに止まっていたのか。思わず声を上げかけて、慌てて呑み込む。
「…………」
 カインは手首を上げてリストバンドのディスプレイに目を落としていた。暗がりの上にバイザー越しとあって、その表情はよく見て取れない。だが、どことなく不穏な空気を感じた。
「なにか、あったのか」
 精一杯潜めた声で、問いかける。
 さすがに今回は反応があった。左手をつきだし、画面を見るように促す。よく判らないまま眺めると、もう片方の手が点滅しながら移動している光点を指し示した。それからダクトの壁、明かりが差し込んできている廊下側を指差す。
「近づいてきている」
「ヴ、ヴィイか!?」
「…………」
 うなずき。
 そして唇の前に指を立てた。はっとして口をつぐむ。
 それから二人は一番近くにある換気口へと向かった。いくつも並んで開いた細い隙間スリットから、廊下の様子をうかがう。
「来た」
 ぴくりと、壁に付いたアレフの手に力がこもる。思わず身を乗り出してしまい、かけた眼鏡がフィルターに当たるかすかな音を立てた。
 少女の様子は、さらわれたときと取り立てて変わった様子はなかった。あるいはずっと眠らされていて、いま目覚めたばかりなのかもしれない。服装も、黒く染めた髪の色もそのままだ。おかげで発信器を身体から離さずにすんだようだ。
 ただ、両手首が身体の前で拘束されていた。動きにくそうな上体を、リボンを失いほどけた長髪が覆っている。両脇と前後を数人の男達が固めていたが、あまり警戒しているようには見えなかった。不用心なことこの上なかったが、よもや衛星軌道上に浮かぶ人工天体にまで、彼女を奪いにくるやからが存在するとは、思ってもいないのだろう。
「ヴィ ―― 」
 フィルターに手をかけようとするアレフをカインが引き留めた。
「まだだ」
 耳元で小さくささやく。
『こらえな、アレフ』
 外部に音の漏れない指向性の通信機から、ジーンもそうたしなめた。
『廊下じゃ人目につきすぎる。せめてどこかの部屋に入るまで ―― 』
 言い聞かせたその時、
 廊下で異変が起きた。
 それまでは男達と共におとなしく歩を進めていた少女が、ふと立ち止まったのだ。そうしていつもの、あの何かを不思議がるような仕草で、あたりをぐるりと見まわす。それからもういちど首をかたむけ、小さく鼻を鳴らした。
「おい、なにをやってるんだ!」
「さっさと歩かないか」
 男達はぞんざいに少女を促した。一人が手を伸ばし、細い肩を掴もうとする。
 だが、寸前で少女は身をひるがえしていた。猫科特有の軽やかな動きで男の腕をかいくぐり、まっすぐにアレフ達が身をひそめる換気口の方へと、駆け寄ってくる。
 いきなりの行動に、男達はとっさに後を追うこともせず、少女を見送っていた。そこには、しょせん閉鎖されたこの研究所内では、多少動きまわったところで逃げ場などない、という油断もあったのだろう。
 やがてひとりが舌打ちをして歩き始める。
 そんな背後の様子も気にとめることなく、少女は一心に天井近くを見上げてきた。その縦長の瞳は、フィルターのこちらにいるアレフの姿を、完全に捉えている。満面の笑みをたたえ、高い位置にある換気口めがけて飛び跳ねた。とうてい届く距離ではなかったが、男達の注意を引きつけるには充分に意味ありげな行動だった。
「 ―― 行くぞ」
 カインの決断は早かった。
 狭い中でわずかに身を退いたかと思うと、続く動作で一気にフィルターを蹴り破る。プラスチック製のそれは、あっけなく破壊され、壁からぶら下がった。
「避けろ!」
 真下にいるヴィイへと叫び、答えを待たずに飛び降りる。
 深く膝を曲げて着地の衝撃を吸収し、次の瞬間には床を蹴って駆け出していた。まだ何が起こっているかも判らずにいる男達へと肉迫し、素早く当て落としてゆく。
 瞬く間に四人の意識を失わせたところで、ようやく悲鳴が上がった。離れた場所にいた関係のない研究員が、半ば腰を抜かしながら警報装置を押そうとしている。
「…………」
 右腕が閃いた。指先で弾かれた飛礫つぶてが、スイッチの寸前で研究員の手首へと命中する。苦痛に呻き、痺れた腕を押さえたときには、既にカインが目の前に迫っていた。
「すぐに警備員が来る。急げ」
 ようやくダクトから這い出してきたアレフへと、カインは無愛想に告げた。あまり目立つ真似はしたくなかったが、こうなってしまった以上は仕方がない。あとはどれだけ素早く行動できるかが結果を決める。
「あ、ああ。おいで、ヴィイ」
 アレフはうなずいて、まとわりついてくるヴィイの手を取った。拘束具でいましめられたままでは動きにくそうだったが、悠長にはずしている余裕はない。幸い、少女は素直に従った。相変わらず事情が判っているようには見えなかったが、再会できたアレフから離れるつもりはないらしい。
『ったく、その子の懐きっぷりを甘く見てたな』
 ジーンが舌打ちして毒づいた。よもやあの場面で、男達にではなく少女に居所を暴かれるとは。その身に持つ、獣の遺伝子ゆえの勘の良さなのだろうが ―― つくづく今回は計画をぶちこわされてばかりだ。
 文句を言いながらも、カインのバイザーには次々と情報が送られてくる。
 もっとも通る人間が少なくかつ、侵入したエアロックまで短時間でたどり着ける経路が指し示された。さらに監視装置や、刻一刻と変わり続ける人間の位置を、リアルタイムで表示してゆく。
 耳をつんざく音があたりに響き渡った。警報装置が作動したのだ。同時に館内放送が侵入者の存在を繰り返し告げる。
 警備員が集結しつつあった。後ろの二人を置いていってしまわぬよう、速度を加減しながら、カインは発煙筒を取り出す。
『カイン。次のブロック、右手のパネルだ』
 その言葉に、もう片手でレーザーを構えた。
 走り抜けざま引き金トリガーを引く。強化プラスチックのカバーは一瞬で溶け、内部の基盤が火花を散らした。一瞬おいて、天井から分厚いシャッターが落下してくる。まさに落ちると表現するのがふさわしい轟音を立てて床を叩いたそれは、間一髪でヴィイのかかとをかすめ、後を追ってくるだろう警備員達の道を閉ざした。
 行く手が横方向の通路と交わっている。バイザーの情報によれば、そこで敵と鉢合わせになるはずだった。カインは速度を上げ、身を低くし、保護するべき二人から距離を開ける。まず発煙筒が床に跳ね、十字路をまたたく間に煙で満たした。驚愕の声が響く中へと、彼はためらうことなくつっこんでゆく。
 煙の中では、レーザーは拡散して役に立たない。腰から引き抜いた金属の棒をひと振りした。細かい部品パーツを幾つも組み合わせて作られた金属鞭メタルロッドは、鈍い音と共に結合を変え、その長さを伸ばす。
「ひ……ッ」
 濃密な煙幕にせき込み、侵入者の姿を見失っていた警備員達は、ちらりと黒い影を目にした次の瞬間には、重い金属の鞭に顎を割られ、手足をへし折られていた。味方の悲鳴とのたうち回る気配とに、残った者も恐慌状態に陥り、やみくもに警棒を振りまわす。それがまた近くの仲間を捉え、混乱に拍車をかけた。
『立ち止まるな。壁に沿って右に曲がれ』
 反射的に手前で足を止めたアレフ達に、ジーンが指示した。
『大丈夫だ。カインが押さえてる。早くしろ』
「……わ、わかった」
 ごくりと息を呑んで足を踏み出す。敵がいると判りきっている、しかも視界のきかない場所に踏み込むには、かなりの勇気が必要だった。だが、だからといって立ち止まっている訳にはいかないこともまた判っている。
 ヴィイの手を引き、壁にすがるようにして進んだ。走り出したいのはやまやまだったが、ここで下手に大きな動きをしては、かえって注意を引きそうで恐ろしかった。懸命に息を潜め、できる限り足を早くする。
 視界が晴れてきたときにはほっとした。思わず肩の力を抜いて、後ろのヴィイを振り返る。そして息を呑んだ。
「 ―― こっちだ」
 彼らを追って煙の中から現れた黒影は、カインの姿をとった。短く言って、再び先頭に立つ。背後ではまだ、同士討ちとおぼしき戦闘の気配が続いていた。彼の手によって引き起こされたそれ、が。
 だが、既にたった今の戦闘のことも忘れ去ってしまったかのように、カインの横顔に表情と呼べるものは浮かんでいない。それどころか、呼吸ひとつ乱しているようには見えなかった。彼は紛れもなくその手で、幾人もの人間を傷つけてきたばかりだというのに。
 キラー・ビィ。
  ―― 殺人蜂。
 その名の由縁を、問うまでもない、その姿。
 アレフはぞくりと背筋が泡立つのを感じた。
 いま目の前にいるのは、髪も、肌も、まとう衣装ころもさえもが闇の色の、さながら死を具現するかのような男だ。
 そう……その二つ名がささやかれ始めたのは、彼がまだジーンと出会う前のことであった。それはカインがただのひとりでハニカムを操り、トラブルコンダクターとして宇宙そらを駆けていた頃のこと。
 その頃の彼は、けして凄腕に名を連ねるような存在ではなく。むしろ他になんの手だても失った者が、最後の最後に破れかぶれですがるような、そんな、チンピラまがいの三流でしかなかった。
 だが……
 通信機の向こうから、鋭く息を吸い込む音が聞こえた。
「ジーン?」
 すかさずカインが問いかける。
 しばらく機械は沈黙していたが、やがて低く押さえた、切迫した声が発せられた。
『まずい。やつらこっちの侵入に気づいて、ウイルス放ちやがった』
「大丈夫なのか」
『俺を誰だと思ってるんだ。……だが、しばらく手を取られる。そっちのサポートは』
「判った」
 皆まで言わせずにうなずいた。そうしてバイザーのスイッチを切り、ただのグラスにしてしまう。
「お、おい……」
 不安げな声を上げるアレフを、銀灰色の瞳で振り返った。
「大丈夫だ」
 短く、しかしきっぱりと告げる。
 その表情は、先刻までとまるで変わることなく。感情のうかがえない、いっそ物静かと呼べるようなそれだ。
 しかし ―― 透明になったバイザーの、奥。やはり無彩色な、金属の輝きを放つ、その瞳は……
「後ろを離れるな」
 乾いた抑揚のない声が指示する。
 アレフは ―― 半ば無意識にうなずいていた。
 それを確認して、カインは再び歩き始める。
「 ――― 」
 繋いだ少女の小さな手を、アレフは一度ぎゅっと握った。応じて、少女は大きな目をみはって、彼を見上げてくる。それに小さく笑いかけ、アレフは黒衣のガーディアンの後を追った。


 通路が交わる地点で足を止め先の様子をうかがっていたカインが、軽く手を挙げて二人を制した。立ち止まった二人に、壁際に身を寄せるよう促す。
 その通路を抜ければ、小型艇を待たせたエアロックまでもうわずかだった。だが、目に入る警備員の数がひときわ多い。
 カインは再び通信機のスイッチを入れた。
「 ―― ハロルド」
 小さく呼びかける。
 返答はすぐに返った。
『こちらハル。あんたねえっ、スイッチまで切っとくなんてなに考えてんのよ!?』
 周囲に漏れることのないよう、押し殺した口調だったが、それでも内包するいらだちが如実に感じられる声音だ。
 ジーンがこちらと連絡を取ろうと思えば、ハニカムのコンピューターと直結しているリストバンドに侵入をかけるなど、いくらでもやりようはあった。ただしその方法は、それができるだけの余裕ができて、初めて可能になるそれである。
 ウイルスへの対応に追われているだろう相棒に、本当に手が空くまで負担をかけぬよう全ての通話装置を切っていたカインは、ハルの怒りをも無言で受け流した。
 もっともハルとて専門は違えどプロである。時間を無駄に使うような真似はしなかった。すぐに気持ちを切り替え、本題に入る。
『侵入するのに使ったエアロックに手が回ったわ。ジーンが事前に気づいたから、艇は離脱して無事よ。合流するのには、J9区画の ―― 』
 ジーンの名が出たところで、ぴくりとカインの眉が動く。
 だが言葉を口にすることはせず、必要なやりとりだけを交わして通信を終えた。そうして、二人を振り返る。
「合流場所が変わった」
 短く説明して、いったん元来た方向へと戻り始める。
 指示された場所は、さほど離れた場所ではなかった。最後の分岐点で進路を左へ取る。足早に先を進み ―― 壁の表示で二区画ほど進んだ頃。
 いきなりリストバンドが電子音をたてた。
『カインッ』
 反応してボタンを押すより早く、ジーンの声が飛び出す。敵の耳目に止まるやもしれぬことをも無視した呼びかけには、色濃い焦りがにじみ出していた。
『バイザー!』
 短い叫びに応じて、すかさずスイッチをONにする。
 表示された見取り図に映った警備員の数と配置は、さしものカインにも眉をひそめさせるそれであった。
『どうする』
「行く」
 返答は、迷いのないそれだった。これ以上の回り道をしている余裕はない。ここが虚空に浮かぶ閉鎖空間である以上、逃げ場は限られているのだ。時間を費やせば費やすほどに、脱出は困難さを増してゆく。
 カインは一度収めたレーザーを再び取り出すと、焦点を調節した。収束率を下げ、多少狙いが甘くとも、拡散した光線が標的を捉えるよう設定する。それだけ殺傷率は落ちることになるが、この場合はむしろその方が具合良かった。
 調整のすんだ武器をアレフへと差し出す。
「使え」
 反射的に受け取ったアレフは、無造作に言われた言葉に息を呑んだ。
「わ、私は銃など……」
 人を撃った経験どころか、銃器を間近で目にすることすら初めてなのだ。震える手で返そうとするが、カインは応じようとしない。代わりにジーンが告げた。
『直撃しても死ぬこたねえ。麻酔銃パラライザーと同じだと思いな。できる限りはカインが護る。いわば気休め代わりだ』
「だ、だが」
『文句は後だ』
 それ以上の訴えには、ジーンも耳を貸そうとしない。
『行けっ』
 言葉と同時に、カインが床を蹴った。通路の角から飛び出しざま、金属鞭をふるう。とっさに彼らの方をふり返った警備員が二人、血反吐を吐いて吹っ飛んだ。カインは低い姿勢で走り、さらにもう一人を殴り倒す。
 引き寄せられるように、アレフも走り出していた。両手でぎこちなく銃を構え、カインの後を追う。その横にヴィイがぴったりと並んだ。
「ぎゃぁッ」
「ぐ……」
 カインが駆け抜けた後には、戦闘能力を失った男達が、力無く転がっている。ほとんどが気絶するか、あるいは苦痛に呻いており、起きあがることすらままならない状態だ。ジーンは気休めと言ったが、実際アレフが引き金を引く必要は全くなく、彼はただ前をゆく背中を見失わぬよう、それだけを懸命になっていれば良かった。
 やがて、廊下の壁に記された表示が、J9区画に入ったことを示す。
『アレフ、後ろ!』
 突然、通信機がジーンの叫びを伝えた。
 はっと振り返ろうとしたアレフは、走りながらの動作に体勢を崩してよろめく。
 結果から言えば、それが良い方向に働いた。
 前を通り過ぎたばかりの自動扉から姿を現した男が、警告もなしに発砲していた。いかに民間企業の警備員とはいえ、これだけの被害を与えた侵入者に対し、容赦をする必要は覚えなかったのだろう。発射されたレーザーは、姿勢を崩したアレフの左腕を掠めた。
「……ッ!」
 熱線が肉を焦がし、文字通り灼けるような激痛がアレフを襲う。
 全身から、どっと汗が噴き出した。とっさに傷を押さえようと手を伸ばした彼は、そのまま床へと転倒する。
 手から離れたレーザーが、乾いた音を立てて転がっていった。
 倒れたことでさらに苦痛が増し、声もなくあえぐ彼へと、警備員は再び照準を合わせた。
「手間ぁ、かけさせやがって ―― 」
 忌々しげに呟くそいつは、廃ビルの屋上で男達を指揮していた指導者格の男だ。
 先を行っていたカインがこちらをふり向くが、防ぐ手だてを講じるには、あまりにも遠く離れすぎてしまっている。
 ―― それから数秒の間に起きた出来事は、まるでスローモーションかなにかのように、間延びして感じられた。
 獰猛な唸り声があたりの空気を震わせる。
 猛々しく、怒りに満ちたその咆哮は、紛れもなく凶暴な肉食獣のそれだった。
 突如間近で発せられた鼓膜をつんざく吠え声に、男とアレフが反射的にそちらを振り返る。
 一瞬、床に這うほどに深く身を沈めた『それ』は、発条ばね仕掛けのような素早さで男へとおどりかかっていた。驚愕に目を見開いた喉元へ、まっすぐに喰らいついてゆく。
 押し倒されるように床へと転がった男が、思い出したように絶叫した。恥も外聞もなく、意味不明のわめき声を上げながら手足を振りまわす。だが、のしかかった『それ』が一層深くその頭を首筋へ埋めると、耳障りだった悲鳴はぶつんと途切れる。
 懸命に『それ』を引き離そうとしていた両腕が、ぱたりと力尽きたように落ちた。
 四肢が、幾度か痙攣し、そして動かなくなる。
 アレフも、そしてカインも、言葉を無くして眺めていた。彼らの視線が集中する場所で、床に赤いものが広がり始める。金属質の、どこか甘い臭いを放つ、粘りを帯びた、液体 ――
 傷の痛みすら忘れ、呆然と見つめるアレフの前で、『それ』はゆっくりと頭を動かした。
 ぬるい、湿った音が伏せた顔のあたりから発せられる。まるで猫がこぼれたミルクを舐めているような……そんな音と、仕草。だが、現実にあたりを汚し、赤く染め上げている液体は、けしてミルクなどではなく。
 そしてそれを舐めている存在もまた、猫などでは断じてなかった。
「……ヴィ、イ」
 貼り付いたようになった喉が、かろうじてかすれた声を紡いだ。
 呼びかけに、『それ』が反応する。
 小さな頭がゆっくりともたげられた。乱れた長い髪の間から、琥珀色の瞳がきらめきながら覗く。
 仔猫を思わせる、幼さを残した愛らしい顔立ち。陽に当たったことがほとんどないらしく、透き通る様になめらかな肌をしている。
 その、白い肌が、今は鮮血でまだらに染まっていた。ふっくらとした唇の間から発達した犬歯が伸び、そこにこびりついた血液を、小さな舌が舐めとってゆく。縦に長い獣の瞳孔が、興奮のせいか大きく開き、照明の光を浴びて輝いていた。ふっふっと荒く息をつぐたび、大気に血の臭いが混じる。
 そこにいるのは、まさしく一頭の獣だった。
 可憐な少女の姿に隠されていた、猫科の生き物の狩猟本能。大人の男を一瞬で組み伏せ、噛み殺す。それだけの身体能力と、そして残忍さを備えた人外の存在。
 全身が、ぞくりと泡立った。震える手が無意識に上がり、口元を覆う。
 この手で生み出し、育ててきた、娘とも妹とも思っていた少女。知らぬことなど無いはずの彼女が、突如見知らぬものに変わったような感覚を覚える。
「ぅ ―― 」
 上手く声が出せず、喉を上下させた。唾を飲み下そうとするが、干上がった口腔ではそれすらもままならない。
 そんな科学者を、少女は死体の上から見上げていた。身を起こそうとついた手に力を込め、溜まった血にずるりとすべる。
「…………」
 目を落とした少女は、真っ赤に染まった両手を認めると、ごく自然な動きで持ち上げた。細いその手首に、引きちぎられた拘束具の残骸がまとわりついている。
 汚れた手指を口元へと持ってゆき、ゆっくりと舐めた。数度舌を這わせると、両手はすぐに綺麗になる。満足した少女は、再びアレフへと視線を戻した。
 そうして、微笑む。
 床へと手をつき、両膝と腕とでゆっくりと歩き始めた。
 アレフのもとへと戻ってくるその上体は、未だ男の血にまみれたままだ。液体を含んで重くなったシャツや髪から、吐き気を促す血臭が漂ってくる。舐め取りきれなかった血の雫が、頬に赤く飛んでいた。白い肌と、血の赤。そして鮮やかにきらめく琥珀色の双眸。
 近づいてくるその姿を、アレフはまじろぎもできずに待ち受けていた。
 やがて少女は、吐息がかかるほどの間近で歩みを止める。
「…………」
 不思議そうにのぞき込んでくる少女に、アレフは震える手を伸ばした。
 ほっそりとしたその首筋へと両腕をまわし ―― 胸の内へと、強く抱きしめる ――


 突然間近に聞こえた足音に、皆がはっと顔を上げた。
 カインがすかさず金属鞭を振り上げる。
「待った、私よ私!」
 焦ったような名乗りと共に姿を現したのは、小型艇で待機していたはずのハルだった。
 たくましい両腕に、小型ミサイルを装填したランチャーを構えている。他にも肩からたすきがけにした幅広のベルトに、手榴弾や発煙筒などを幾つもぶら下げていた。こんな装備を身につけた2m近い大男に遭遇した場合、たいていの人間は抵抗するよりも逃げ出すことを選ぶだろう。
「まったく、いつまでぐずぐずしてるのよ。あんまり遅いから、私まで出ばる羽目になっちゃったじゃない」
 ああもう、はしたないったら。
 赤く染めた頬に手のひらをあて、小さくイヤイヤをする。
 ……その姿を見ずにすんだ気絶している警備員達は、実はけっこう幸運だったかもしれない。
「ほら、いくわよ」
 促したハルは、アレフの負傷に気がつくと顔をしかめた。
「怪我しちゃったのね。歩ける?」
 言いながらランチャーを小脇に抱えなおし、あいた方の腕でアレフをかつぎ上げる。
「うわっ、ちょ……ッ」
 ほとんど二つ折りにされたアレフは、肩の上でじたばたともがく。が、ハルの腕はびくともしなかった。暴れたことで逆に痛い思いをしたアレフは、すぐにおとなしくなる。少女は驚いたようにそれを見ていたが、そんな彼女にハルは腰をかがめて微笑みかけた。
「さ、行きましょ」
 血まみれの姿に驚かなかったはずはないが、それでもハルは何ごともなかったかのように振る舞った。
『 ―― ああ、行こう』
 ジーンもまた、同じように促す。
 そうして彼らは、再びエアロックを目指して進み始めた ――


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