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 プシ・キャット  キラー・ビィシリーズ 第四話
 第三章

 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 ジーンは黙ったまま首を飾るチョーカーに手をやり、無造作に引きちぎった。
 小指の先ほどの金属球が、ばらばらにはじけ、転がり落ちる。薄汚れたコンクリートに落ちた無数の玉は、乾いた音を立てて跳ね返り、あたりに広がった。
 首のまわりに残った玉もうっとおしげに払い落とすと、うなじのあたりに小さなプレートが埋め込まれているのがあらわになった。薄い金属製の表面に、髪の毛のように細い金色のラインで幾何学模様が描かれている。そして、その間に埋もれている、幾つものまたたく光。明らかに、なんらかの装置メカニズムだ。
 意味のとれない行動に男達はしばしとまどったようだった。が、それ以上ジーンが動かないと見てとると、気を取り直したように距離を詰め始めた。
「なんだこりゃ、足止めのつもりかい? お嬢ちゃん」
 散らばる玉を蹴りながら、男の一人が下卑た声を投げかける。小さな金属球はまともに踏みつければバランスを崩しかねないものだったが、それと注意していればなんら避けるのに問題はない。
「こいつらで間違いはないんだよな。けど、どっちだ?」
 腰を曲げて見上げるようにねめつけてくる男に、ヴィイが不快そうに顔をしかめた。隠れるように身を寄せてくる少女に、ジーンも怯える風情をよそおいつつかばってやる。
「年かさの方だ。まったくちゃちな小細工をしたものだな」
 指導者格の男が言う。その口調には嘲りの色すらもなく、ただ事実を淡々と口にしているだけで。
 いっそ感情的な相手であれば、つけいる隙もあるというものなのだが。
 そう分析しながら、ジーンは男達との距離と、その配置を冷静にはかっていた。相手の人数は指導者格を含めて八人。不意をつけば振り切れない人数ではなかったが、いかんせん少女を連れてとなると不安が大きかった。
「さ、いい子だからお前さんはどいてな」
 警戒も何もなく伸ばされた腕から、ジーンは少女を連れて後ずさった。む、と男は眉をひそめ、もう一度ヴィイをとらえようとする。それからも身をかわした。男の表情が険悪なものに変わる。
「おいお嬢ちゃん、これは遊びじゃないんだぜ? 邪魔するんじゃねえよ」
 唸るように恫喝した。
 今度こそ相手を押さえつけようとする手が、力をためるために一瞬わずかに引かれる。
 その瞬間こそが動くべき時だった。
 羽虫が唸るような低い音が、あたりの空気を振動させる。
 ふ、と男の気がそれた。動きの止まった手を、いぶかしげにあたりをうかがう男達を、今は琥珀色に変じたジーンの瞳が鋭くにらみつける。
「 ―― 」
 命じる言葉はなかった。
 ただ強い意志を宿した瞳が標的を見すえ、持ち上げられた右手が、緩く指を開いて胸の前にかざされる。それだけで。
 散乱していたネックレスの玉の半数が、微細な振動をまとって宙に浮かび上がった。
 細かく震え、淡い光を放ちながら、男達の周りで浮遊する。
「な、なんだこりゃ」
「蜂……?」
 不審げに見やる男達の中で、指揮者格の男だけが驚愕したようにジーンを見た。
「蟲だと……まさか、こんな数を……ッ?」
 男の言葉が終わらぬうちに、ジーンは鋭く息を吐きながら開いた指を握った。
 途端、それまでばらばらに漂っていただけの金属球が、爆発したようにそのエネルギーを解放した。
「ぐッ」
「ギャァッ」
 悲鳴と肉を打つ音が立て続けに響いた。
 脳波誘導型小端末『ビートル』。
 それは、わずか数ミリほどしかない金属球でしかなかった。だが微振動をまとい高速運動することで生じる破壊力は、半端なものではない。脳に直結する制御装置コントローラーによって操る携帯兵器。扱いに慣れれば、攻撃にも防御にも使用できる優れ物だ。ジーンがその気になれば、人体などはたやすく貫いてしまう。 
 もっとも、高速で飛び回るひとつひとつの端末を把握し、全てに対して三次元的な運動を指示してやるのだから、制御は非常に難しく、それだけの素養と熟練が必要だった。普通はもう少し大きなものを2〜3個、多くても5〜6個を操るのが限度である。
 しかし ―― 彼女はいま、数十に及ぶ端末を同時に駆使していた。
「ひゅぅ」
 小さな両手が、踊るかのように、ゆったりと宙を泳ぐ。
 だがその表情に舞いの優雅さはなく、すがめた目は集中された精神に張りつめている。
「こ、このガキっ!」
 男のひとりが、わめきながら懐を探った。が、銃器を取り出そうとしたその手が抜かれない内に、ジーンの指先がぴくりと反応する。首筋のプレートの中、幾つもの光がきらめき金の線に沿って走った。間をおかず、男めがけて四方から金属球が襲いかかる。
 血反吐を吐いて転がった男には目も向けず、ジーンは冷めた目で屋上全体を見やる。
 動ける男達の数は半分以下になっていた。
 とっさに散開し、物陰に身を隠した者が数名。残りは意識を失ってコンクリートの上に倒れ伏している。中にはビートルをかわそうと、まだ散らばる残りの玉を踏みつけ、勝手に昏倒した者もいた。
 畜生、厄介な奴を残しちまったな……
 心中で舌を打った。
 無力化した男達の中に、指導者は見あたらなかった。こちらの手の内 ―― ビートルについて多少なりとも知識のある人間を、最初に倒せなかったのは痛い。
 案の定、男は給水タンクの陰から指示を飛ばした。
「お前達、迂闊に顔を出すんじゃないぞ! ビートルで攻撃するには相手を視認する必要がある。気配を隠せっ」
「頭が回るじゃねえか」
 小さく呟く。
 そう、この端末のもう一つの欠点がそれだった。見えないところは攻撃できないのである。いや、できない訳ではないのだが、非常に狙いが曖昧になる。文字通り、目隠ししてボールを投げつけるようなものだ。
 相手が複数で、身を隠している以上、遮蔽物もなく突っ立っているのは危険だった。先刻武器を取り出そうとした男がいた以上、残りの奴らも飛び道具を持っている可能性が高い。
 幸いなことに、階段の降り口近辺に人が隠れられそうな場所はなかった。
 だが、それだけに全ての者達がそちらへ神経を集中していることだろう。となると、狙い目は ――
「ヴィイ、離れるなよ」
 ささやいて、陰になる位置で少女の手を取った。
 神経を集中し、男達の気配を探る。
「そこだ!」
 叫びと共に、一群の金属球が排気ダクトの向こうへと突進した。手応えを感じ悲鳴が上がる。下手な鉄砲の要領で広範囲を狙った甲斐があり、残った男達の動揺が伝わってきた。
「行くぞッ」
 その隙を逃さずジーンは飛び出した。
 目指すは屋上の片隅にある、階下へ通じる鉄扉だ。
 が……
 がくんという衝撃とともにジーンはその場に引き留められた。愕然として振り返れば、ヴィイは引っ張られる手に抵抗し、立ちすくんでいる。
「おい!?」
 怒鳴るジーンの前で、彼女はとまどったように視線をさまよわせた。うめく男達を見下ろし、ジーンを眺め、それから不思議そうにまばたきする。
 けして、怯えている訳ではない。
 ただこの少女は、この期に及んでなお、状況が判っていないのだ。
「考えるのは、後に……ッ」
 叫びかけたジーンの耳に、ぱすっという空気が抜ける音が響いた。
 途端、少女の身体から力が抜ける。倒れかかりそうになるのを反射的に受け止めようと前のめりになったところで、もう一度同じ音が聞こえた。肩の後ろに、かすかな痛みが走る。
「しま……」
 とっさに振り返った視界に、麻酔銃パラライザーを構えた男の姿が映った。
 ぐらりと身体が揺れる。動こうとする己の意志に反して、急速に肉体が重くなっていった。懸命に伸ばした腕が、かろうじて錆びた柵に引っかかる。それにすがって、なんとか身体を支えようとした。
 しかし、腐食して脆くなっていた柵は、けして重くはない彼女の体重を受け止めかねた。

 めき

 背筋を凍らせる手応えと共に、ジーンの身体が宙へと投げ出される。
「 ―― ッ!」
 声もなく落下していった少女に、男は一瞬驚いたように目を見張った。が、示した反応はそれだけで。すぐに麻酔銃を懐に戻した。そうして隠れていた者達に声を掛け、意識を失ったヴィイと怪我人の回収を指示する。
 ふと空を見上げたその姿を、大きな影が包み込んだ。


*  *  *


 全身にぶつかってくる大気の流れに翻弄されながら、ジーンは腹の底から恐怖がこみ上げてくるのを感じていた。身体がうまく動かない。見る見るうちに地面が近づいてくる。このままでは ――
 死……!
 思わずぎゅっと目を閉じた瞬間、ふわりとした浮遊感と共に落下が止まった。
 いや、正確にはゆるやかになっただけだ。身体は依然、下降を続けている。
 それでも息すらできない風の奔流と、内臓をかき回されような落下感は収まった。おそるおそる目を開けると、慣れ親しんだ横顔が目に入る。
「……カイ、ン」
 掠れた声で呟いた。
「 ―――― 」
 鋼の輝きを宿す双眸が、無表情にジーンの姿を映した。
 身体をしっかりと抱き止めたその両腕に、痛いほどの力がこめられる。
 ビートルの作動音に似た唸りがジーンの耳に届いた。そして、視界におどる虹色のきらめき。
 ゆっくりと地上に向かうカインの背を中心に、透き通ったはねが広がり、大気を震わせていた。網目状の翅脈を持つ六枚羽は、降り注ぐ陽光を透かして美しく輝いている。もっとも大きな一対は優に彼らの頭上を越え、一番小さなそれも、まっすぐ立った状態で足首近くにまで達するほどの広がりがあった。
 彼らが有翅人種フィーリーアと呼ばれる、そのゆえん。そして中でもことに、ミレーナ人が妖精と称される理由は、飛翔する姿の優雅さを一度でも目にしたならば、誰もが納得することだろう。
 思い通りにならない指で、カインの服を掴む。ぎこちない仕草に、カインはわずかに眉を寄せた。両手が傷を探すように這わせられる。
「だい、じょ……パララ、ズ……」
 怪我はないと、懸命に舌を動かす。それから瞳で屋上を指し示した。
 ふわりと着地したカインは、ジーンを抱いたまま首をそらし、廃ビルをふり仰ぐ。
「ヴ、イ……を」
「 ―――― 」
 ジーンの言葉に、しかしカインは即座には反応しなかった。迷うように、一瞬ジーンを見下ろす。満足に身動きできない状態の彼女を置いていくことに、ためらいを覚えているのだ。
 そんな相棒を、ジーンはにらみつける。
 いま、お前がやるべきことは何かと。
 カインの瞳がわずかに翳った。そっと膝をつき、ジーンの身体を壁際へ降ろす。そうして彼は、再び地を蹴った。その姿の中で唯一、そしてこの世の何よりも多彩な色彩を宿す翅を広げ、宙へと舞い上がる。
 しかし……
 カインの姿を追っていたジーンは、視野へ入ってきた機体に目を見開いた。
 ―― 垂直離着陸機V−TOLだと!?
 滑走路を必要としないタイプの大気圏内飛行機械だ。
 反重力炉を使用しているのだろう。これほどの至近距離にあっても、ほとんど駆動音が聞こえてこない。真っ白く塗られたボディに、派手な色使いで企業のロゴと清涼飲料水の缶がペイントされていた。十人は乗せられるだろうそれは、廃ビルの屋上へと静かに着陸する。
 偶然通りかかった、広告用の機体……そんなはずはなかった。
 だが、いくらなんでもこれはやりすぎではないのか。たかが愛玩用のキメイラを奪還するために、果たしてそこまでのものを持ち出すか?
 否。いかにヴィイの存在が違法実験の証拠となりかねないとはいえ、それならばアレフともども殺してしまえばすむことなのだ。なにもここまでして取り返す必要など、ありはしない。
 ならばこれだけの手間と資金コストをかける価値が、あの少女には存在するというか。
 カインが飛行速度を上げる。だがV−TOLの動きの方が早かった。彼の姿が屋上に消えるとほぼ同時に、再び現れたそれは、みるみるうちに高度と速度を増してゆく。
 小さくなってゆく機体を、ジーンは歯ぎしりしながら見送った。
 力無くビルの外壁に寄りかかりながら、まだ痺れている指で地面に爪を立てる。


*  *  *


 ようやく動くようになった指を、ジーンは幾度か曲げ伸ばしした。親指から折ってゆき、小指から戻していく。まだどこかにぎこちなさが残っていた。指先の感覚も鈍い。麻酔銃パラライザーの効果は、完全には抜けきっていないようだ。淡い色の爪が、わずかに先を削られ、いびつになっている。
「…………」
 彼女の仕草を、むかいのソファに沈み込んだアレフが、暗い目で眺めていた。ヴィイが連れ去られたと知って愕然とした彼は、我を取り戻してからも、まったく口を利こうとはしない。
 ここは先刻の廃ビルから一番近いホテルの中だった。家族連れで観光にくる人間向けの、少々値が張る見栄えのするところだ。
 はしゃぎすぎて気分が悪くなった少女とその家族 ―― いささか無理のある顔ぶれではあったが ―― という設定で半端な時間にチェックインした彼らは、互いの持つ情報を交換しつつ傷の手当てなどをしていた。別れた後にアレフの方も襲撃を受けたそうで、彼をかばったハルが軽い怪我をしていた。もっとも相手は駆けつけたカインによって、あっさりと撃退されてしまったらしいが。
 すりむいた腕に包帯を巻いていたハルが、気遣わしげに二人を見やる。
 と、
 バスルームに行っていたカインが戻ってきた。
「ジーン」
 呼びかけに顔を上げると、目の前に手を差し出される。
「用意した。少し温まった方がいい」
「ああ」
 素直に手を借りて立ち上がる。
「……シャワーか。悠長なものだな」
 アレフが低い声で呟いた。棘をはらんだその口調に、室内の全員が動きを止める。
「あの……っ」
 口を開こうとしたハルをジーンが目で制した。
 カインの手に支えられたままで、静かに青年を見つめ返す。
 その瞳は、既にもとの色合いを取り戻していた。
「完全に痺れをとらなければ、キー操作ひとつにも支障をきたす。彼女を確実に取り返すため、準備を怠るわけにはいかないからな」
 少なくとも、今回打った手で無駄に終わったものはなにひとつなかった。もしもうあとわずか数秒でもずれていれば、ジーンはあのまま墜死していた。ちゃちな小細工だと、その一言を口にさせただけで、この変装は役に立ったのだ。
 いまは、焦って動くよりも万全の準備を整えるべきだった。こうなった以上、事態は一分一秒を争うものではなくなっている。少なくとも、生かして連れ去った時点で、少女の命に暫定的な猶予が存在していることは判明しているのだ。
「俺は風呂に入ってる。その間に、あんたは言えることを洗いざらいしゃべるんだな。―― カイン」
 呼びかけに、カインが見下ろしてくる。
「ハニカムは動かせるか」
「いや」
「端末はどうだ」
「補助動力を使えば、四割」
「上等だ」
 にやりと不敵な笑みを刻む。
「む、無理だ! どこに連れて行かれたかもはっきりしないんだぞッ」
 悲痛な声を上げるアレフを、動じることない二対の瞳が見つめ返した。
「研究所だろう?」
「そうとは、限らない」
 ジーンの問いが話していないはずの情報を含んでいることも、取り乱したアレフは気が付いていなかった。膝についた手に顔を埋め、呻くように続ける。
「もともと彼女の存在が外部に漏れそうになったから、別の場所へ移動させることになっていたんだ。そのおかげで警備に隙ができて、なんとか連れ出せた。だから ―― 」
「予定されていた移動先は知らないのか」
 かぶりを振る。充分な設備さえ整っていれば、どこであっても研究は続けられる。研究所は彼に行き先を知らせようとはしなかったし、逃げ出す隙をうかがっていたアレフには、最初から知っておく必要などない事柄だったのだ。
「せめてちゃんと行き先を訊いていれば……」
 煩悶するアレフを、ジーンはしばらく見守っていた。やがて、小さく息をついてカインにもう一方の手を差し出す。
 カインは自分のリストバンドをはずして、その手のひらへ載せた。片手でディスプレイを起こし、幾つか操作する。
「アレフ」
 名を呼んで顔を上げさせると、その手元へリストバンドを投げた。
 反射的に受け取ったアレフは、とまどったように小さな画面を眺める。幾つかの数字と光点が表示されたそれは、彼には理解できないものだった。
「……これは?」
「発信器さ」
 え、と目を見開くアレフに、どことなく意地の悪い笑みを見せる。
「ヴィイの服に、な」
 言いながら、ちょいちょいと己の耳をつついた。
 二つあった耳飾りイヤリングのうち、ひとつは緊急事態の発生を知らせるため、踏み潰して壊した。反応がひとつ消えたことでカインはただならぬ事態に陥ったと予測して急行し、結果として間一髪でジーンをすくい上げることができたのだ。
 そして、もうひとつは。もしも離ればなれになってしまったときのため、ひそかにヴィイのポケットへとすべり込ませておいたのだ。おそらくは少女自身さえ、気がついてはいないだろう。
「こいつの優秀さは、ハルの保証つきだ。なあ?」
 そう言って、ぱちりと片目を閉じてみせる。それを受けたハルは、心得ているとばかりに大きくうなずいた。
「少なくとも、この恒星系なら完全にカバーするわ。ちょっと特殊な波長を使ってるから、そう簡単には妨害されることもないし」
 依頼人を安心させるように、ことさら明るく言ってやる。もちろん、言葉の内容にも偽りはなかったが。
「居場所はこれで判る。あとは充分な装備と、情報を用意すればいい」
 だから、話せと。
 それが有益か無益かはこちらが判断する。まずは話せる限りのことを、全てぶちまけてもらおう。この仕事を、完遂させるために ――
「……まだ、助けてくれるんだな」
「このまま後に引いたんじゃあ、殺人蜂キラー・ビィの名がすたる。仮にもこの稼業で飯を喰っていこうってんなら、そんなふぬけた真似はできねえのさ」
 信用の失墜は、この世界では即座に命取りとなる。今後もまっとうなトラブルコンダクターとして胸を張って生きていくためには、一度引き受けた仕事を途中で投げ出すわけにはいかないのだ。
 たとえ、その解決の仕方が『どんな』形になったとしても、だ。
 ことは既に、依頼人だけの問題ではなくなっているのだと。
 はっきりとした利害を示されて、アレフの表情がわずかに安堵したものになった。
 彼らはけして、友人同士でもなければ心を許しあった仲間というわけでもない。互いの事情など知るべくもなく、ただ依頼人とその遂行者という、金銭で結ばれた間柄にすぎなかった。だからこそ、下手な同情やもっともらしい言い訳を聞かされるよりも、直接損得に係わってくる事柄を見せつけられた方が、よほど安心できる。
 覚悟を決めたように、アレフは拳を握りしめた。
「判った……全て話そう……」


*  *  *


 小さな手がよどみなく動き、次々とコントロールパネルのスイッチを入れていった。
 動力を切られ待機状態にあった計器類が、端から順に息を吹き返してゆく。


 ―― もともとは、ペットの寿命を延ばすことを目的にした、単純な実験に過ぎなかった。


 シート横の物入れを開け、中からヘッドセットを取り出す。右目の前に小さなディスプレイを展開させる型だ。専用に調整したそれを装着し、口元に指向性のマイクを伸ばす。


 ―― 実際、彼女と同じ細胞から培養された他の個体は、二三の点を除けばただの猫と変わりがない。何故かヴィイだけが、組み込んだ遺伝子の影響を大幅に受け、ああいった姿に成長してしまったんだ。


「こちらジーン。聞こえるか?」


 ―― あの見た目では、どう誤魔化したところで違法実験の産物であることは明らかだ。本来なら、即座に廃棄処分にされるはずだった。しかし……私は彼女を殺したくなかった。だから同じ失敗を繰り返さぬ為に、原因を探らなければと主張して、処分を先延ばしにしていたのだが……


『感度良好。よっく聞こえるわよ』


 ―― 検査の課程で、ヴィイに予想外の特性が備わっていることが判明してしまった。


「カイン?」


 ―― 彼女の血液には活性効果がある。ヴィイ自身にはほとんど影響を及ぼしていないが、彼女の血液をその遺伝子の提供者となった、ある人種に投与すると、一時的に肉体的能力が向上するんだ。


『……ああ。聞こえる』


 ―― 体力、筋力、瞬発力……再生能力はおろか、ごくわずかながら若返りの兆候も観察された。その段階で、彼女の存在は研究所内でも特別なものに変わった。


 通信状態に問題がないことを確認して、ジーンは満足そうにうなずいた。
 それから首に手をやり首飾りチョーカーの留め具をはずす。小さいながらも重量感のある金属球の連なりを、じゃらりと音をさせて手に取った。


 ―― 不老長寿。あるいは軍事利用。どちらにしても、愛玩動物の開発など問題にならないほどの金になる。彼女と同種の個体の量産を。その為であれば、複製クローニングでも解剖でも手段は選ぶな、と。


 幅広いチョーカーの留め具部分は、首筋のコネクタに、はめ込まれる形になっていた。薄いプレート状のその部分が、『ビートル』の制御装置なのである。
 糸ではなく、帯びた磁力で互いに連なる金属球を、そっと物入れにしまった。そうして、あらわになったコネクタへと、コントロールパネルから伸びるケーブルを差し込む。


 ―― あのまま研究所に居続ければ、遠からず彼女は殺されるだろう。たとえそうでなくとも、これ以上彼女を実験体として扱うことは耐えられなかったんだ。


 小さな唸りと共に、計器類が激しくまたたき始めた。
 ジーンの眉が苦痛をこらえるように、わずかに寄せられる。だが、その口元にはどこか楽しげな笑みが刻まれていた。
「気は変わらないのか、アレフ? 今ならまだ間に合うぜ」
 からかうような声音で、通信機の向こうへと、問いかけた。


 ―― ヴィイは私に一番懐いている。一面識もないその男が助けに行ったところで、おとなしく付いてくるとは思えないが。


 そう言った時の、アレフの面もちを思い出し、瞳をなごませた。
 カインのすぐ横にいるはずの青年から、答えは返ってこない。おそらく、それどころではないのだろう。慣れぬ装備を整えながら、間もなく始まる戦闘への恐怖を、懸命にこらえているに違いない。
 それでも……共に研究所へ乗り込むという、その言葉を撤回しようとはしないのだ。


 ―― 危険だぜ? カインだってお荷物を二人も抱えこむような余裕はねえんだ。おとなしくここで待ってた方が身の為ってもんさ。
 ―― 判っている。判っては……いる。だが!
 ―― なんだってそこまであの子に入れ込むんだ? いくら自分の手で生み出した存在だからって、しょせんは実験体だろ。惚れてる訳でもないってんなら、あんたはただあいつを憐れんでるだけじゃないのか。よしんばここで無事彼女を助け出せたとしてもだ、あんたは職を失うし、追われる生活に苦労するのは目に見えてる。ましてやこの先、好いた女ができたりして、あいつが邪魔になってこないとどうして言える? 一時の気まぐれでほいほい連れだして、後悔しねえ保証はあるんだろうな。
 ―― ……確かに、あなたの言う通りかもしれないさ。いつかは後悔するかもしれない。彼女が邪魔になって、捨て去るような真似をするかもしれない。だが……それでも、彼女を死なせたくはないんだ。……このまま実験体として、殺されることを傍観するぐらいなら、つれて逃げるさ。どうせここで見捨てたとしたら『必ず』後悔するに決まってるんだからな。同じに後悔するのなら、ヴィイが死んでから後悔するよりも、逃げるだけ逃げて、生き延びて ―― それからの方が良いさ。そうすれば、俺が卑怯者になるだけですむ。たとえそのことで彼女が傷つき苦しんだとしても……それでも、いつかは乗り越えてくれるはずだから。


「……悩むことも苦しむことも……生きていればこそできる、か。確かにな」
 たとえその為に、己が無責任とそしられることになったとしても、かまいはしない。将来、もし力及ばず彼女を捨て去ることになるとしても、そんな汚い真似をしたくはないからと、現在いま動くことをためらいはしない。
 それは、一見むこうみずな、先のことを考えない愚かさにしか、見えないけれど。
「 ―― 強えなぁ」
 マイクが拾わないよう、小さくひとりごちた。
 人はみな、己の手を汚したくないものだ。
 自分が動くことで起こりうる未来を事前に思いえがき、そして怖れ、なにもしないうちに目をそらしてしまう。仕方がなかったのだと、どうせうまくいくはずがなかったのだからと、そんな言い訳で自らを正当化し、差し伸べかけた手を引き戻してしまう。
 それは、大人の理論だ。
 無邪気で、純粋で、何に対しても懸命にぶつかっていった子供の時代を経て、失敗と傷つくことをくり返し、そうして人間ひとは大人になってゆく。挫折と苦しみを知ってしまえばこそ、人はみな臆病になってゆくのだ。長く生きていれば、いるだけに。
 けれど……
 科学者だとか研究者などというやからは、どこか夢見ることを忘れていない、子供の部分を持ち続けているものだ。いつまでも夢を見続け、そしてそれを叶えようとあがくからこそ、さまざまなものを生み出すことができる。そういう人種だ。
 だから。
 ジーンは科学者など大嫌いだった。自分の好奇心のためになら、他人のことなど考えもしない。自分勝手で、はた迷惑なわがまま野郎だと、軽蔑さえしていた。その気持ちは、今でも変わらず身の内に残っている。
 だが、それでも ――
「夢を、叶えてやるよ。坊や」
 見えない相手に、そっとささやきかけた。
 夢を信じて前に進もうとする。
 そんな純粋さは、けして嫌いではなかったから ――


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