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 プシ・キャット 2  キラー・ビィシリーズ 第四話
 第二章

 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 幾つもの紙袋を手にホテルの部屋へと戻ってきたハルは、明かりひとつついていないリビングの様子に、思わずため息をついていた。
「ジーン……目が悪くなるわよ」
 後ろ手にドアをロックしながら、荷物を持った腕の肘で電気のスイッチを探る。
 途端に光があふれた室内のソファで、ジーンは眩しげに腕をかざしていた。卓に載せた携帯端末のディスプレイをにらんでいた目が、パチパチとしばたたかれる。
「ああ、もうこんな時間か」
 すっかり暗くなった窓の外を眺め、時計を確認する。
「そんなに熱中してて、大丈夫なの?」
「心配しなくても、ちゃんとガードはしてるさ」
 両腕を上げて大きく伸びをし、あちこちの関節を鳴らした。
 これでもプロだ。接近してきたのがハルでなかったなら、相手がドアに手をかけるより先に体勢を整えている。
「あの二人は寝室?」
「ああ、寝てる。飯はいらんと」
 逃亡中の身とあって、かなり気を張っていたのだろう。子供にしか見えないとはいえ、それでも自分達を守ってくれる存在を得て、緊張が緩んだらしい。ハルが出かけて間もなくアレフは休息を乞い、彼から離れようとせぬ少女ともども寝室へとこもっていた。
「明日の昼にはカインが降りてくる。それまでは俺とお前でしのぐからな」
「あら、船の方は良いの?」
「駆動系まわりはもうすぐ終わるらしい。あとはまあ、整備士に任せるさ」
 スポンサーを持たないフリーのトラブルコンダクターにとって、持ち船の整備は命にも関わる重大事だ。最後まで監督したいのはやまやまだったが、今回はそういうわけにもいかなかった。
「悪いわね、まずい時期にお願いしちゃって」
「まあ、仕方ない」
 手を伸ばし、ハルからサンドイッチの包みを受け取る。包み紙をはがしてかぶりつくと、備え付けのポットで淹れた茶を差し出された。
「サンキュ」
 逆の手にサンドイッチを持ったままで、たちのぼる湯気を吹き飛ばし、音をたててすする。おまけに足はソファの上にあげてあぐら。相当に、行儀が悪い。
「ジーン……」
 せっかく愛らしい容姿をしているというのに、せめてもう少しなんとかならないものか。ハルでなくともそう言いたくなるような光景だ。しかし女の子らしくする気などこれっぽっちもないジーンは、もぐもぐと口を動かしながら顎をしゃくった。
「そいつ、見てみろよ」
 携帯端末の、薄型ディスプレイを示す。
 表示されているのは、あちこちから落としてきた数多くの情報だ。観光客を案内するために用意された公共ガイドラインに接続し、そこへつながる様々な端末へと逆侵入ハッキングをかけ集めてきたのである。言うまでもないが、違法行為だ。
 どれどれ、と画面をのぞき込んだハルは、しばらく表示を目で追ってから顔を上げた。
「これ、あの子のデーターじゃない」
「ああ」
 うなずく。
 映像もあれば、文章表示もあるし、一見しただけでは何かも判らないような、記号の連なりもある。が、それらはすべてアレフが連れていた少女、ヴィイに関係する情報だった。
「けっこう目立つ姿をしているからな。ざっとさらっただけで、そこら中に足跡が残ってたぜ」
「それは、まずいわね」
 眉をひそめる。
 ジーンに護衛を依頼する前、いやハルに保護される前に彼らがとっていた行動は、おそらくかなり無防備なそれだったのだろう。もちろん彼らにしてみれば充分以上に警戒をしていたつもりだったろうが、しょせんは素人のやることである。こうしてわずか数時間情報を集めてみただけでも、彼らの足取りの手がかりはそこここから入手できた。たとえそれがジーンの桁違いに優れた情報収集能力によるものであったとしても、相手方に同じだけの技量を持った人間が存在しないとは言いきれない。
 もちろん、それらの情報は見つけるはしから消去するなり隠蔽するなり手は打っておいたが、遅きに失した可能性も充分に考えられた。
「どこか別の場所に移動する?」
「いや……焦って動けばかえって目立つことになる。せめて夜が明けるまでは待った方がいい」
 不自然な行動をとることは、かえって事情を知らぬ者にまでも不信感を抱かせ、結果としてその存在を印象に残してしまうものだ。追われる立場にある人間は、極力自然にふるまい、誰の目にも止まらぬよう心がけるべきだった。既に陽が落ちてからのチェックアウトなど、もってのほかである。
「それより、問題はこっちだ」
 指を伸ばしてキーを操作する。いくつも重なり合って表示されていた情報のうち、一部が大きく拡大された。
「入金明細じゃない。なによこれ。モノレールの支払い? こっちはホテル……それからレストランに……」
「アレフとヴィイが使用した、施設の料金振込状況だ。ほら、ここのところがアレフのカードからの引き落としになってる」
 ちょいちょい、とその部分を反転させた。口座の名義はアレフではなく別名のものになっていたが、そのあたりはとうに調査済みだ。丸二日にわたってずっと同じカードが使い続けられている。それだけでもう、迂闊としかいいようがなかった。
「で、だ。こことここ、それにここ」
 その数行後ろに、今度は別の色でマーキングしていった。一見したところ、どれも異なるカードからの支払いになっている。
 が ――
「こいつらみんな、同じ会社の人間だ。しかも引き落とし先は会社の共有口座。いわゆる必要経費ってやつだな」
 つまりは追っ手ということだ。
 さらに画面を切り替える。今度はその会社自体の口座明細である。
「ここはいわゆる興信所のようなものらしい。もっぱら観光客と地元とのトラブル解決を請け負ってるらしいが……さすがに依頼内容のデーターは防護セキュリティがきつくて、この程度の端末じゃ侵入は難しかった。で、ここ半月の間に振込があった相手をチェックしていった訳だ。その結果が、これだ」
 かちゃりとキーを叩く。
「『JAQS研究所ラボラトリィ・ジャクス』」
 読み上げるジーンの声には、かすかに嫌悪の色が混じっていた。
「専門はバイオテクノロジー。それももっぱら遺伝子工学を扱ってるところだ」
「ちょっと、それって……」
 ハルもその点、察しは良いほうだ。眉をひそめ、いとわしそうに画面を見やる。
「研究内容は愛玩動物の開発。無害で愛らしく、それでいてある程度の知能を備えたペットだとさ。一人暮らしの寂しい人間や、心に傷を負った者へのカウンセリングにも使えるような、半知的生命体の開発と育成、ってな」
 動物好きの女子供なら喜んで飛びつくだろう。あるいは家族を失った独居老人などにとって、子供代わりに可愛がるのに良いかもしれない。
 しかし……ジーン達にとってそれは、あまり気持ちのいいものではなかった。
 生命に人の手を加えるということに、彼らはどうしても反発を覚えてしまうのだ。もちろん医療その他、現在の文化水準を保つ上において、ある程度それらは避けられないことがらだ。細菌の遺伝子に手を加え、必要とする薬物を生成させるように、または失った器官をおぎなうために、人工的に培養したそれを移植するように。
 だが、それでも譲れない一線というものは存在する。
 現行の法令によれば、知的生命体と銀河連邦で認定された種族を、生体実験に使用することは禁じられている。しかし……本来知能を持たなかった存在に後天的な知能を与えてしまった場合、その尊厳はどうなる? いや、そもそもその生き物が本来知的ではなかったと、どうして他者に判断できるというのか。
 そして、そこにヴィイの存在が浮かび上がってくる。
「アレフは追っ手について『ヴィイを連れ戻すことが目的だ』と言っただろう? それはすなわち、彼女が『本来いるべき』場所から『逃げて』きたんだってことを示す」
 第三勢力によって害されそうになった彼らが、自ら住処を離れたというのではなく。そして……詳しい理由は判らないまでも、現在の境遇をいとうたが故に、新たな生活を求めて他惑星への脱出を願うというのであれば、考えられることは自然限られてくる。
 確かに可能性はいろいろとあるだろう。たとえばなんらかの機密を手にしたアレフが、身近な存在であった少女と共に高飛びをもくろんだのだとか、あるいは ―― いささか考えにくいが、手に手を取っての駆け落ちなどということも、けしてあり得なくはない。
 しかし、一番しっくりくる考えはといえば、やはり ――
「実験体、かしら」
「おそらくな」
 けして長い時間観察したわけではなかったが、それでも少女はひどく不自然なところを持っていた。見た目の年齢よりもはるかに幼いその仕草。彼女は話の間中、ジーン達の存在など気に止めることなく、ひたすらアレフへとまとわりついていた。朗らかで、無邪気で……そのくせ何故か、一言もしゃべろうとはしない。声が出ないというのでもないのに、喉の奥を小さく鳴らす他、その口から漏れる言葉はなく。
 まるで、言語を知らぬ幼子おさなごか、動物のように。
 ジーンが顔をしかめた。
 無意識に動いた手が、チョーカー越しに首筋のコネクタをさぐる。
 それは、思い出すのも忌々しい、生体実験の産物だった。
 いまだ確たる技術として確立せぬ、異種族間の脳移植手術。その施術後、詳しいデータを取るために埋め込まれた接続端子。
 そのどちらもけして、彼女の意志によって与えられたものであるはずもなく。
「じゃあ彼の方は、その研究所に勤務する科学者だったってとこ?」
 ジーンは直接には答えず、両手の指がキーボードの上を舞った。間をおかずしてアレフの顔写真と付随する情報が映し出される。
「アルフレッド=ゲイド。ヤンは母方の姓だな。担当は猫をベースとしたキメイラ ―― 遺伝子交雑種の開発。何種類かは商品化されているな。いわゆる『優秀な』科学者だったわけだ」
 手のひらに載る大きさの翼がある猫や、額に角の生えた見事な巻き毛のそれなど、愛らしい生き物達の画像が並ぶ。
「きゃっ」
 ハルが押し殺した声を上げた。
 振り向いてみれば、その大きな両手で頬を挟み込むようにして、画面を注視している。
 半自然的に生み出された生き物だと判ってはいても、その愛くるしさは完全にハルのツボをとらえていた。否、いかな生まれをしていようと彼ら自身にその責がない以上、むしろでることをためらう方が悪いというものである。
「ま……いいけどよ……」
 趣味は人それぞれなのだし、いくら好みとはいえ、それでハルが自身で違法実験に手を出すわけでもない。
 それでも、思わず疲れた吐息を漏らしながら、キーを打って画面を落とした。ディスプレイに手をかけ、折り畳むように端末を閉じる。
「あの子がキメイラだったとしたら、どんな種族の遺伝子と掛け合わせたにせよ、違法行為に違いはない。アレフの意志だったのか、それとも研究所の方針か ―― どちらにせよ、買い手には不自由しないだろうさ」
 口の端を上げる。笑みと呼ぶにはいささか複雑な、暗い表情だ。
 見目の良い部類に入る少年少女を売買することは、裏の世界でよくあることだ。たいていは好き者な金持ちども相手の愛玩用だったが、実際の扱われ方は『愛』などという言葉とは縁遠い、欲望と暴力に満ちたそれである。そしてそんなものを金で手に入れようとする下司なやからどもは、ああいったアンバランスな個体に対して、特にマニアックめいた興味をいだくものだ。
 そんな世界を間近で見知り、自身も外見のせいでさらわれたり、売られたりしかけたことがあるだけに、ジーンは嫌悪感を隠そうとしなかった。
「絶対逃がすぞ」
「もちろんよ」
 宣言したジーンに、ハルもきっぱりとうなずく。


*  *  *


 交代で休息をとりながら過ごした夜は、特に何ごともなく明けた。
 起きてきたアレフ達ともども、買ってきておいた食料で朝食を摂る。それから今後のことを打ち合わせた。
「ひとまず、場所を移そう」
 昨夜の調査結果を ―― 後半部分は、いちおう伏せて ―― 話し、提案する。
 画面を眺めながら黙って聞いていたアレフだったが、ジーンの言葉に顔を上げた。
「その方が良いというなら」
 案外あっさりと了承する。質問ひとつ挟まないその態度に、かえってジーンの方がいぶかしげな表情をした。
「やけに素直だな」
「 ―― あなたはプロなんだろう?」
「ああ」
「だったら、専門外の私が口を挟むことじゃない」
 断言する。
 あくまで事実を確認する口調だった。信頼、というものとは少し違う。専門家と、そうでない者の違いを明確に意識し、こんな場合に自分の判断は役に立たないと、卑下するでもなく認識しているのだ。専門範囲に特化することをごく自然に受け入れるその考え方は、ある意味ひどく科学者らしい。
 ジーン達をプロとして認めた上で、その責任を果たすことを真っ向から突きつけてくる態度が、一種の傲慢さとともに、心地よい緊張感をもたらしてくれる。
 これほど自然に、彼女の働きを期待した者は滅多にいない。
 口元に、意識しない笑みがのぼった。
「じゃあ、さっそく目立たないかっこにしなくちゃね」
 ハルがいそいそと昨夜持ち帰ってきた紙袋を開けた。中から出てきたのは、大きさの違う服が幾つかと、化粧や装飾品のたぐいだ。それらを手に、にっこりと笑う。


「うふふふふふ」
 地を這うあやしい含み笑いを耳にしながら、ジーンは小さくため息をついていた。
「その笑い方やめろって」
「あ、動いちゃ駄目だったら」
 ジーンの髪をいじっているハルが、大きな手で頭を押さえる。椅子に腰掛けた状態でそれをされると、抵抗のしようがなかった。
 ジーンはいつもきっちりとまとめ上げているベビーピンクの長髪を、ほどいて背中に広げていた。ゆるやかに波打った量の多いそれを、ハルが楽しそうにとかしている。
 ひそかに手先が不器用なジーンは、毎朝カインに髪を結ってもらっている。そうでなくとも、もともと髪型を構うような洒落っ気とは、無縁な人生を送ってきていたのだ。あんな凝ったまとめ方など、自分でできるはずもない。
 とはいえ手を煩わせるのは心苦しいし、他人に頭をいじられるのも気持ちの良いことではない。何よりも長い髪は身動きの邪魔になる。
 ならばいっそ短くしてしまえばいいのだが。
 実際、一度はばっさりと切ってしまったこともあるのだが。
 ……似合わなかったのである。それはもう、まったく。
 そう言うわけで、不本意ながら彼女は今の長さを維持し、毎朝カインの世話になっていた。しかし現在、この場にカインはいない。となれば、世話を頼めるのはこの大男だけで。
「どんな形にする? 動きやすい方が良いのよね」
「ああ。邪魔にならない程度にしてくれ」
 だが、いつもよりは目立つように頼む、と。
 ジーンの言葉を受け、ハルは鼻歌混じりにうなずいた。それからブラシを置いて、髪染めを取り上げる。
「 ―――― 」
 器用に動く手元を、ヴィイが興味深げに眺めていた。
 彼女の方は、先に身支度を終えている。黒と金茶の混じっていたその髪は、黒一色に染められ、後頭部の高い位置で束ねられていた。大きな緑色のリボンがよく似合う。服装も動きやすげなズボンとシャツに改められ、活動的な印象にかわっていた。
「おもしろい?」
 ハルが問いかけると、ヴィイは顔を上げて彼を見返した。大きな瞳が、まっすぐに彼の目を見る。そうして無言で首を傾げた。ほっそりとしたうなじに結い上げた髪がかかる。愛らしいその仕草に、いかつい頬が思わず緩んだ。
 か、可愛い。
「……ハル」
「えッ、な、なぁに? ジーン」
「痛い」
「ああっ、ごめんなさい!」
 無意識のうちに髪を握りしめていたらしい。慌てて手を離すハルに、ジーンはもはや何度目とも知れぬ吐息を漏らす。
 彼女の方は、珍しくスカート姿だった。膝丈で裾が広がったワンピースだ。色合いやデザインは落ち着いたものだったが、手の甲あたりまでを覆う袖口や裾、襟の部分などに細かい刺繍が入った、かなり上等そうな品である。足を開いて座り、胸の前で腕を組んだ姿勢がまったくそぐっていなかった。それでも滅多に見られないジーンの女装姿に、ハルはこれまた嬉しそうに目を細めた。その顔には目の保養だと大きく書いてある。ちなみに服を選んだのは、もちろん彼である。
「はい、できたわ」
 どう? と手鏡を差し出す。
 金茶の癖毛に、ところどころ混じった黒い房。両方のこめかみのあたりから細かく編み込んで、首の後ろで一本の三つ編みにまとめてある。幾分長さを残した編み終わりの部分には、シフォンのリボン。色は本来の髪と同じベビーピンクだ。
「ちょっとこっち向いて、はい目ぇ閉じて」
 くぃっと顎を上げさせて、睫毛と眉も染めてゆく。無防備に目を閉じた頬に長い睫毛が影を落とした。白粉など塗るのは冒涜としか思えない、なめらかに白い肌。かすかに色づいた唇が、ふっくらと柔らかな線を描いている。
 それらの造形を間近から観賞して、ハルはしみじみと幸せに浸った。
「……こんな程度の変装で、本当にごまかせるのか」
 地味だがそれなりに上等だったスーツから、下級船員が着るような丸首のシャツとポケットの多いジャケット、ごついブーツに着替えされられたアレフが、居心地悪げに呟いた。きっちり整髪料で上げていた前髪も、今は無造作に額へと落ちかかっている。それが気になるのだろう。しきりに手でかき上げる。
「完全には無理だろうな」
 ジーンがあっさりと肩をすくめた。
「俺とその子じゃ年が違うし、むこうもそう馬鹿じゃないだろう。まぁ気休めみたいなもんさ」
「それでは……」
「まあ待てよ」
 片方の目に小さな機械を押し当てる。小さく音が鳴ってから離し、まばたきをした。そうしてアレフを見返した瞳は、すでに琥珀色に変じている。
「何もやらないよりましだろ? 少なくとも、相手は数秒であれ迷う。その数秒が命を救う場合だってあるんだ」
 労力を惜しみ、得られたかも知れない逃走の可能性を失うぐらいなら、どんな準備も怠るべきではない。そう告げて、もう片方の瞳も色を変える。
「半日もしたら戻っちゃうわよ」
「安物だな」
「しょうがないじゃない」
 もっと長持ちする物を手に入れるのはたやすかったが、そうすると途端に値がはね上がるのだ。依頼料が少ない以上、そうそう経費をかけることはできない。
「カインとの合流場所は、移動しながら決める。それまでは普通に ―― 」
 立ち上がりかけたジーンが、言葉を切ってテーブルの上を見た。蓋を開けたままの携帯端末から、小さな電子音が鳴り響いている。素早く手を伸ばし、幾つかキーを操作した。
「やっぱりな」
「ジーン?」
「おいでなすったぜ」
 振り向いた身体越しに見えるのは、ホテル内を映す幾つもの映像だ。防犯用の監視カメラに横から割り込んでいるのだ。皆の目には特に不審なところは見受けられなかったが、ジーンにとっては違うようだった。幾度か画面を切り替えて状況を確認すると、電源を切って蓋を閉める。そうして金属製のベルトに腕を通し、手早く背中に負った。小さくシンプルなデザインの端末は、そうすると子供用の物入れにしか見えない。
「あ、そうだ。これ」
 ハルがポケットを探り、二枚のカードを取り出した。一枚ずつをアレフとヴィイに渡す。
「出国用の偽造IDよ。ちゃちな作りだから一回しか使えないけど。無くさないでね」
 人差し指を立てて片目を閉じてみせる。
「あ、ああ」
 受け取ったIDをアレフは大切そうにしまい込み、珍しげに臭いを嗅いでいるヴィイのそれもポケットに入れさせた。
「じゃぁいくぜ。離れるなよ?」
 扉に手を掛けて振り返るジーンに、一同はそれぞれの表情でうなずく。


*  *  *


「どうやら、まいた、みたいだな」
 すっかり上がってしまった呼吸に、ジーンは言葉をとぎらせた。はぁはぁと小さな肩を上下させ、壁に付いた手で身体を支えている。
「大丈夫?」
 やはり息を乱れさせたハルが、心配そうに問いかけてきた。が、さすがに体力自慢の獣人型人種だけあって、こちらはまだまだ余裕があった。もっともジーンの方も、しゃべれるだけまだましである。
「…………」
 建物の間に挟まれた狭い路地の中、壁にもたれるようにして座り込んだアレフが、咳き込むようにあえいでいた。いかに男性とはいえ、しょせん頭脳労働を専門とする科学者だ。かえって体力の限界まで動きまわることのできる子供の方が、よほどの運動量をこなせるというものだ。
 汗にまみれて苦しげな彼を、ヴィイが間近からのぞき込んでいる。わずかに汗ばんだだけのその顔は、心配していると言うよりも、むしろ不思議がっているような表情だった。細い手が伸びて、濡れた額にぴたりと当てられる。アレフは驚いたように顔を上げた。ヴィイはきょとんとその視線を受け止める。
 曇りのない琥珀色の双眸に、アレフが苦しい息の下でわずかに目をなごませる。そっと手が持ち上げられ、力のない動きでヴィイの頭を撫でた。途端に少女は破顔する。両手を広げ、へたり込んでいるアレフの首へと抱きついた。
「ちょ…ヴィ……ッ」
 振りほどこうにもまだ力が入らない。切れ切れに制止するアレフをよそに、ヴィイは首筋に頬を埋めるようにしてすり寄っていった。
「ほんっと、仲いいわよねえ」
 ハルが羨ましいと言わんばかりに歎息する。その横でジーンがからかうように笑った。
「あんた、ロリコンかい?」
「ばッ、馬鹿なことをっ」
 なんとかヴィイを引き離したアレフが、真っ赤な顔で怒鳴った。顔面にのぼったその血の気は、けして急激な運動によるものだけではない。
「血が繋がってる訳じゃないんだろ」
「それはそうだが……ッ、この子は妹か、娘のようなものだ。下世話な言い方は、止めてくれ!」
 昨日からずっと感情のほとんどうかがえない、無表情に近かった青年が、声を荒げてジーンをにらみつけてくる。
「まあ……別に良いけどさ」
 予想以上に激しい反応に、思わず毒気を抜かれた。
 かりかりと頭を掻きながら、ようやくあたりを見わたす。
「このへんはもう、遊興施設のブロックか。だいぶ走りまわっちまったな」
 一帯の地図は、おおむね頭に入れてあった。道に迷うことはないが、それでもずいぶんと思わぬ方向に来てしまっていた。
「あら、いいんじゃない? かえってこのあたりの方が目立たないと思うわよ」
「俺達は、な」
 おとぎの国を模したアトラクションや、土産物を売る店が並ぶ近辺は、たしかにジーンやヴィイのような年頃の女子供が数多く行き交っていた。この雑踏に混じれば、ほとんど人目を引かずにすむだろう。あくまで彼女達、は。
 だが、船員服を着た三十近い男二人は、大通りでもいささか浮くだろう存在だった。まあ、娘や恋人達に手を引かれ、居心地悪げにしている男連中もそこここに見受けられるので、悪目立ちすると言うほどではなかったが。
「けど、いつまでも路地にいるのも不自然よ」
「判ってる。いくぞ」
 ほつれて貼りついた後れ毛をかき上げ、チョーカーの位置を直した。ようやく息が整ってきたアレフを促す。膝に手をついて立ち上がる青年に、ヴィイが横から腕を絡めた。
「そろそろカインが降りてくる頃でしょう? どうやって合流するの」
「俺の位置は把握してるから、向こうから追いかけてくる。近くまで来たら連絡が入るはずだ」
 そう言って、耳朶じだを飾る小さな石を指し示した。それが発信器になっているのだ。
 四人であちこちの店をひやかすふりをしながら歩く。いま必要なのは、とにかく目立たずに時間を過ごすことだった。カインと合流し、そして船を動かせるようになるまで、いましばらくの時が必要だ。
「IDはあるんだし、いっそ先に上まであがっちゃえないかしら?」
 軌道上の人工天体ステーションまで行っておけば、ハニカムの整備がすんですぐに出発することができる。その方が時間の無駄がなくて良いのではないか。
 ハルの提案に、ジーンは小さく首を振る。安っぽいプラスチックの髪留めを手に取り、ハルを見上げた。端から見れば、土産をねだっているようにしか見えないだろう。
「宙港に監視がついてるのは確実だ。うまくそいつをかわせたとしても、すぐに軌道上まで連絡がいく。発着場の出口で待ち伏せされたら終わりだぞ」
 それに、しょせん人工天体は閉鎖空間だ。内部を逃げまわるにしても限界があるし、ことなる天体へ移動するにもいちいち手続きや時間が必要だ。そんな場所で過ごす時間は、短ければ短い方が良い。
「場合によったらハニカムを降ろすことになるだろうな」
 あとの始末が面倒なので、できればやりたくはないのだが。
「めんどくさいわねえ」
 その筋ではそこそこ名が売れているとはいえ、それでもハルは技術屋である。こうして実際に自分が動くのは、どうにも勝手が違った。
 もっとも、それはジーンとっても似たようなものである。星間警察の刑事、ジェフ=エースとして活動していた以前はどうであれ、現在の彼女はやはり技術方面が専門なのだ。計画を立てることや情報を集めるのは得手えてだったが、実際に現場で依頼人と行動を共にし、その身を守ったり攻撃に転じたりするのは、あくまでカインの役目なのである。船の整備というはずせない理由さえなかったなら、今ここにいるのはカインであったのに。
 せめてもうちっと状況に余裕があればな。
 同行者達には気づかれぬよう、胸の内で舌を打つ。もう一日あのホテルで待機できていれば、カインの到着を待つなり、いったんハニカムへ戻って充分な装備を整えるなりできたのだが。
「ヴィイ?」
 アレフが少女を呼んだ。
 どうしたのかとそちらを見れば、道の向こう側へ行きたいのか、しきりにアレフの腕を引っ張っている。
「……おなかが空いてるみたいね」
 石畳を敷いた通りの反対には、軽食の屋台が何軒も集まっていた。できたてのポップコーンやホットドッグなどのいい匂いが、風にのって漂ってくる。
 そう思ってみれば、彼らも空腹を覚えつつあった。朝方軽く食べただけで、追っ手とおぼしき複数の人間を相手に、ずっと走り回っていたのである。日はずいぶんと高く昇り、そうでなくとも昼食をとるべき時間帯だ。
「どうする?」
 ジーンは一瞬考えたが、すぐに首を振った。
「もうじきカインが現れるから、それからにした方が良い」
 たとえ立ったままで食べられるファーストフードであっても、手が塞がれるしそれだけ注意も散漫になる。護衛ガードのプロであるカインと合流するまで、あとせいぜい一時間かそこらだ。悪いがもう少しだけ我慢してもらおう。
 アレフもうなずき少女を促した。
「さ、行こう」
 そのまま場を離れようとする。が、その時ヴィイが予想外の行動に出た。
 彼女はアレフの腕を振り払い、いきなり道へと飛び出したのだ。
「あッ!?」
 とっさに伸ばした手は、身軽な少女の残像をとらえるばかりで。
 一瞬、後を追うことすら忘れて呆然と立ち尽くしたアレフを、ジーンが怒鳴りつけた。
「何やってる!」
 言い終わる頃には、彼女もまた少女を追って背中を見せている。
「こら、離れるんじゃないっ」
 愛らしい少女に物欲しげな目で訴えられたホットドック売りの兄ちゃんは、熟練の早業で商品を作り上げていた。ほら、と渡された食物を手に振り返ったヴィイは、走り寄るジーンに大きな目をしばたたく。
 そして ――
 おもむろに身をひるがえした。
 後頭部へ高く結い上げた長い髪が、ふわりと宙になびく。
「な……ッ」
 何を考えているのだ、この娘は。
 ジーンの方でも、数歩遅れたアレフの方でもなく、まったく別の方向へ駆けだした少女を、ジーンは理解できないものを見る目で眺めた。
「ヴィイッ?」
 アレフの叫びに、少女は一瞬だけちらりと振り返る。その笑顔は、ひどく楽しげなそれで。
「鬼ごっこと勘違いしてるのか!?」
 舌打ちして再び走り出そうとするジーンを、店員が呼び止めた。
「おい、代金は!」
「ハル!」
 手首から抜いたリストバンドを投げつける。
「カインと連絡取って合流してろ」
「わかったわっ」
 クレジットカードを出しながらうなずくハルと、うろたえているアレフを置き去りにして、ジーンは少女を捕まえることに集中した。追いかけてくるのが一人なことに不満を覚えたのか、ヴィイはいったん速度を落とす。が、安堵したのもつかの間、いきなり大通りをはずれ、いり組んだ路地の間へと入りこんでいった。
「まったく……冗談じゃないぞ」
 昨日から薄々は思っていたのだが、あの少女は己の置かれている状況がまったく判っていないらしい。彼女にとっていまこの場にいることは、単にアレフのそばにいたくてくっついてきただけという、そんな程度のことなのだろう。今朝から必死に逃げまわっていることも、ヴィイにしてみれば風変わりな遊びぐらいの認識しかなく。
 遊びであるからこそ、そのために他のことを我慢するなど考えもしない。腹が空けば何かを食べたくなるし、退屈すれば別のこともしたくなる。捕まればどんな目に遭うのか知りもしないが故に、怯えて立ちすくむこともせず、そして自らつつしんで身を守ろうともせず。
 そんな人間を護衛することこそが、一番厄介な仕事なのだ。
「待てッ」
 複雑な裏道をどれだけ走りまわっただろうか。
 気がついてみると、華やかさなどまるで無縁な一角に出ていた。周囲に立ち並ぶのは、薄汚れた倉庫や、飾り気のないビルばかり。どうやらスタッフや関係者などしか出入りしない、裏方部分に入り込んでしまったようだ。それも、ほとんど使用されなくなったような、さびれたあたりである。
 上がった息を必死に整えながら、ジーンは周囲を見まわした。と、わずかに離れたビルの非常階段を上がっていく姿を見つける。錆の浮いた金属製の階段をかなりの早さで昇っているのだが、それにしてはほとんど足音の聞こえてこないのが、いっそ見事なほどである。
「う゛〜」
 屋上までの高さを目測して、ジーンは思わず潰れたような声を上げた。
 それでも、追わない訳にはいかなかった。それに、屋上まで上がりきってしまえば、そこで少女も行き場を失うはずだ。
 ぴしゃりと頬を叩いて己に活を入れる。


 階段を登りきった頃には、いい加減吐き気をもよおしていた。それは冗談やたとえではなく。
「……ッ……ゲホッ」
 赤錆びた手すりにしがみつき、咳き込むように息を吐く。ざりざりとした感触とともに手が汚れたが、そんなものを気に掛ける余裕はなかった。
 畜生、これだから ――
 視界がじわりと涙でにじむ。苦しさよりも悔しさの方が強かった。もう片方の手で震える膝を握りしめる。
 昔は、この程度の運動など屁でもなかった。朝に夕に、トレーニングとして何kmも走り続けたものである。この肉体が、ジェフ=エースのものであった、かつての頃には。
 けれど現在の彼女は、ひ弱とまでは言えないまでも、それでも年端もいかぬ少女に他ならず。体力も瞬発力も、以前のそれとは比ぶべくもなかった。たしかに失ったそれらの代わりに得たものも多くはあったけれど、やはり簡単に損得勘定で割り切れるはずはない。 
「…………」
 沈もうとする思考を振り払い、なんとか顔を上げた。
 と、目の前にヴィイの姿があった。驚いて思わず上体を反らすジーンに、少女はちょこんとしゃがみ込んで首を傾げる。どうやら、苦しげなジーンを心配しているらしい。 ―― 半分ぐらいは好奇心も混じっているようだったが。
 これ以上逃げる気はなさそうな様子に、ジーンもその場にしゃがみ込んだ。既にほとんど息の整っている少女を、恨めしげに眺める。
 悪気がないだけに、始末に負えねえんだよなぁ……
 胸の内で歎息した。実際、ここまで振りまわされてもなお、その無邪気な顔を見ると、ついつい微笑ましく思えてしまうのだから困りものである。
「とにか、く、少し……おとなしく、して……」
 果たして通じるものかは判らなかったが、それでも言い聞かせた。
 再び動けるようになるにはしばらくの時間が必要だったし、現在位置の把握もしがたかった。こんな人通りのない場所で少女二人がうろつきまわるよりも、この場でカイン達が迎えに来るのを待った方が目立たずにすむだろう。
 手を伸ばし、少女のシャツの裾を掴む。念のための行為だったが、ヴィイにとってはなにやら興味深いものに感じられたらしい。彼女もまた、コンクリートの上に広がったジーンのスカートをぎゅっと握る。
「 ―――― 」
 そうして、しばらく彼女らはぼんやりと座り込んでいた。
 見上げた空は、拍子抜けするほどに澄んでいる。時おり吹く風が、汗ばんだ肌に心地よかった。
 しかし、
 ジーンは前触れもなく表情を緊張したものに変えた。
 投げ出していた足を引き寄せ、少女をかばうように身構える。いきなり動いたジーンに、少女が驚いたような目を向けた。それに構うことなく、ゆっくりとあたりに視線を巡らせる。
 そろそろと腰を上げ、手振りで少女を立ち上がらせた。階段を上がった場所から少しづつ距離をとっていく。そうしながら耳を探り、イヤリングをはずした。
「頼むぜ、カイン……」
 爪の先ほどの小さな石がついたそれを下に落とし、さりげない仕草で踏みつける。硬いはずの石は、ぱきりと乾いた音を立てて割れた。足をどけた場所には、細かいガラス質の破片と髪の毛よりも細いコードが散らばり、すぐに風に吹きさらわれてしまう。
 もう片方も手に取ったとき、階段から複数の人影が屋上へと現れた。
 一見しただけでは、休暇を楽しむ観光客となんら変わりなく見える男達だった。みなラフな服装を身につけ、手に手にカメラやガイドブックをたずさえている。
 が ――
 そんな人間が、集団を組んで廃ビルの屋上へと姿を見せる理由など、どこにもない。
 なによりも、身を寄せ合うジーン達をとらえる瞳の光が、彼らが観光客などではないことを如実に物語っていた。
 指導者格とおぼしき男が、一歩足を踏み出す。
 派手な色合いのポロシャツが、いっそ滑稽なほどに似合わない、冷たい眼差しをした男だ。
「鬼ごっこは、そろそろ終わりにしようか」
 その言葉を合図に、後ろの男達が周囲に展開し、退路を断つ。
「…………」
 ジーンは、無言で男達をにらみつけた。


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