永遠 楽園の守護者シリーズ8.5話 番外
【モノカキさんに30のお題より】
― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2003/1/16 20:16)
室内には、香草茶の良い匂いが漂っていた。
開け放たれた窓から柔らかな陽射しが差し込み、部屋の中を明るく照らし出している。
穏やかな午後の日。
陽の当たる窓辺に卓と椅子を置き、気心の知れた相手とのんびり茶を楽しむ。そんな過ごし方がふさわしい頃合いだ。
好みの茶と美味な菓子を挟んで、茶飲み仲間と他愛のない会話を交わす。
部屋の主である老人は、しばらくぶりにそんな落ちついた時間を過ごせたことに至極満足していた。
二杯目が残りわずかとなる頃、話題が途切れた。
もっともおとずれた沈黙は、けして居心地の悪いそれではなくて。
どちらからともなく視線をはずし、窓外へと目を向ける。
晴れ渡った青空と、きらめく湖面がそこにあった。
空も、湖も、遠くその向こうに連なる山々も、くすんだ大気を透かして柔らかに青い。
冬が終わり、峰々を飾っていた雪も溶け、鈍色を呈していた湖の水は、鮮やかさを取り戻していた。空を漂うちぎれ雲さえもが、思わず触れてみたくなるような温かさを感じさせる。
―― 冬の、鋭く凍りついた空気に満たされたこの国も、それはそれでとても美しいのだけれど。
けれど、春の訪れに、こうして緩やかにほどけていくかのようなその様も、とても素晴らしくはないだろうか。
そんなことを思っていると、ふと、傍らから手が伸びた。
その腕は、そよ風に揺れる薄い紗幕を無造作に払いのけ、乱暴な手つきで玻璃窓を閉めてしまう。
微笑みながら景色を眺めていた老人は、おやと目をしばたたいて、腕の主を見上げた。そうして首をかしげてみせる。
「 ―― 寒かったかの?」
「…………」
ついさっきまで向かいで茶をすすっていた青年は、すがめた目で老人を見下ろすと、小さく鼻を鳴らした。
そのままぎしりと窓枠に腰を乗せる。
見下ろされる形になって、老人は再び ―― 今度は逆の方向へと ―― 首をかたむけた。
「……あんたさ」
ぼそりと青年が呟いた。
その表情は逆光になっていて、老人の目にはよく見えない。
「年寄りの冷や水って言葉、知ってるか」
「無論、知っておるとも」
唐突とも言える言葉に、律儀に答えを返す。
そのように基本的な語句を、どうして知らないだなどと思うのか。
真面目に見返す老人の前で、青年はため息をついた。片手を持ち上げ、がりがりと頭を掻く。
「今度の、建国祭な」
またも唐突な話題転換だ。
建国祭とは、この国 ―― 大陸南東部に位置する国家セイヴァン ―― の設立を祝う、年に一度の祭りである。
肌寒さを残す、春まだ浅きこの時期に、当代国王の主催によって行われる儀式と祭典。
数日後に控えたそれのため、午前中はその準備に追われていた老人、すなわちセイヴァン国王カイザールは、いったいなにを言い出すつもりなのかと、話の続きを待った。
「あんたまた、全部自分で仕切る気か?」
問いかけは、とても国王相手のそれとは思えぬ、粗雑な口調で為された。
「もちろん。それが私の、つとめだからの」
即答する。
その答えに返ったのは、不機嫌そうな低い声。
「……風邪ひいて死ぬぞ」
「 ―――― 」
「って、笑ってんじゃねえよ」
苛立たしげに窓枠を叩かれて、老人は微笑みに緩んだ口元を、皺の寄った手のひらで覆った。
どうやらこの無愛想で口のきき方を気にしない青年は、老いたこの身を案じてくれているらしい。
建国祭における儀式の大部分は、吹きさらしになった屋外で行われる。ことに夜明け前に出発し、湖上の島へと向かう小舟の上は、相当に冷え込むはずだった。健康な身体でもこたえるであろうその寒さは、年老いた国王にとってかなりの負担となることが予測された。
しかし老人は、こみ上げてくる笑みをこらえるばかりで、そのことについては口にしようとしなかった。
実際、目の前にいる青年が見せる不器用な心配 ―― と、その言動をそう解釈できるのは、老人とごく一部の者ぐらいしかいないだろうけれど ―― が、彼には微笑ましくてならないのだ。
「いい加減、満足に一人で歩けもしねえくせに。すっ転んで骨でも折ったら、洒落になんねえぜ」
老いぼれは大人しく楽隠居でもしてれば良いんだよ。
余人が聞けば不敬が過ぎると青ざめるような言葉を、青年は遠慮なく口にする。
「だいたいエドウィネルだって、もういい年だろうが。あんたもどうせあと何年も生きやしねえんだ。とっとと王位なんざ譲っちまったらどうだ?」
この国の王位継承は、国王崩御をもって為される。だが王太子が既に成人し、その器量も充分に認められている現在、なにもわざわざそこまで遅らせる必要もないのではないか。
もう少し言葉を選べばそれなりの諌言となるであろうに、この青年はわざとことを荒立てるかのような物言いをする。
しかし老人は、全て心得ているとばかりに、穏やかな笑みを崩さなかった。
絹張りの背もたれへとゆったり身体を預け、青年を見上げる。
「心遣いは有り難いが ―― そうもゆかぬ、訳があるのでな」
誰が心遣ってるって?
うそぶく言葉はさらりと無視し、遠い目を窓の外へと向けた。
透明な硝子越しに、温かな陽射しが差し込んでくる。
「……もともと、の。死ぬるまで王位にあるべしなどと、そんな決まり事はないのだ」
「へえ。そりゃぁ ―― 初耳だ」
意外さを隠そうとしない青年に、老人はくすりと、それまでとは違った種類の笑みをこぼす。
王座というものに対し余人がどんな魅力を感じるか、それはその人間それぞれのことだろう。だがそれでも、国王というものが激務だと言うことは、疑いようがあるまい。特に破邪国家の名を冠されるこの国の王には、単に国と民を政治経済的に統治するというだけではなく、妖獣達から己が国民を守り抜くというつとめが存在している。その為に対妖獣騎士団セフィアールを擁し維持してゆくことで、国王はその肉体的に大いなる負担を強いられた。
カイザールは、この年で七十の齢を数える。
確かに高齢でこそあったが、しかし当代国王という恵まれた環境にありながら、その肉体は既に年齢以上の老いをあらわにしていた。げっそりと肉の落ちた、骨と皮ばかりにも等しい痩躯。たるみ、幾つもの染みを浮かべた血色の悪い皮膚。
この老人が、かつてはエドウィネルともよく似た、屈強の武人であったのだと。今の姿を目にして、いったい誰が信じるであろう。
ただ強い光をたたえたその瞳だけが、彼をこの国における最高権力者であるのだと、知らしめてくれる。
国王として即位し、そうして責務を果たしてゆくことで、この国の王族達は文字通り命すら削ってゆく。それは富と名誉と権力 ―― そんなものと秤に掛けるには、どれほど重い現実だろうか。
むしろ信頼できる後継者へとその任を譲り、己は責を逃れた気楽な隠居として、横から口を出す立場に甘んじた方が、どれほど健やかにあれるだろう。心身、共に ――
それなのに、あえて最期までその責務を果たそうとするなど、青年にしてみれば理解しがたいの一言であった。それが国王として定められた義務だというのであればともかく、決まり事などないのであれば、何故にそのような死に急ぐに等しい真似をするのか。
「これまで王位についた代々の王達は、みな同じことを思ってきたのだよ」
「……同じ事って、なんだよ」
「かなうものなら、永遠に、と」
ようやく耳に届くほどの、低い囁き。
眉をひそめた青年を、老人は穏やかに見つめ返す。まるでいとおしむかのような、深く澄んだその眼差し。
「けしてかなうはずもない願いではあるが。それでも望まずにはいられぬのだよ、みな」
もしも許されるのであれば、己が永遠にこの荷を背負ってゆくからと。
だからどうか ―― 自分で最後にならないものか。
己の後を継ぐはずの、いとしい子らに、なにも伝えたくはない。背負わせたくはない、と。
けれど、それはけして報われることなき願い。
たとえどれほど願っても、老い朽ちるこの身がいずれ限界を迎えることは、逃れようのない定めであるのだから。
だからせめて、わずかの間でも。
「先代である私の父も、同じ事を言っておったよ。その父である祖父も曾祖父も」
そうして代々の王達は、わずかでも子の荷を軽くするべく、その在位の年を己の身へと引き受け、引き受け続け。
わずか一年でも、二年でも、そうして続けてゆけば、積もり積もったその歳月は、やがてはるか子孫の王子一人ぐらい、自由にしてやれるかもしれないと。
繰り返し受け継がれてゆく、その願い。
いだく人間は異なれど、途切れることなく続いてゆく、同じその想いこそが。
それこそが ―― あるいは永遠とも、呼べるものではなかろうか。
「そなたも……実際に王位についてみれば、判るのだろうがな」
老人は、そう言って相好を崩した。
ふざけたように見えるその態度に、青年は気分を害して、老人をねめつけた。
「馬鹿みてえなこと言ってんじゃねえよ」
たかがたとえでしかないとしても、言って良いことと悪いことがある。
そう言ってにらみつける青年は、周囲からお前がそれを言うかと、口を揃えて評されるだろう、そんな人物である。
老人もそれに思い至ったのだろう。その笑みがいっそう深く、また含みのあるものへと変じてゆく。
「……クソジジイ」
「ああ、祝宴はエドウィネルに任せるとしよう。最近は夜更かしも辛いでな」
地を這う低さの呼びかけを断ち切るように、老人はうむうむとうなずいた。
無理をした分はちゃんと休息するから、どうか心配してくれるな。
ぬけぬけと言い放つ。
「だから、誰が心配なん ―― 」
言いさす途中で、清らかな鈴の音が響いた。
老人が卓上の呼び鈴を取り上げ振ったのだ。応じて扉が開き、次の間に控えていた侍従が姿を現す。
「茶を淹れ直してくれぬか」
一礼してポットを手に取る侍従は、窓枠に腰掛けた不調法な青年をちらりと流し見た。が、なにも言うことはせず、黙々と立ち働く。
「…………」
苦虫を噛み潰したかのような表情をした青年へと、老人はごく普通の調子で問いかけた。
「蜂蜜入りの焼き菓子はどうかの」
「喰う」
むっつりとした答えが返る。
ちなみにそれは、蜂蜜と牛酪と凝乳をたっぷりと練り込んだ、非常に甘味の強いものである。
年老いた、しかも男性である国王が口にするはずもないそんな菓子を、なぜにわざわざ用意してあるのかというと……それはつまり、他に食べる人間がしばしばこの部屋を訪れているからで。
茶の支度を終えた侍従が、老人の目配せを受けて、菓子の用意に戻ってゆく。
王宮の奥深く、余人の訪れることない国王の私室で。
ひそやかに開かれるそんな茶会が今まで何度あったことだろう。そして、これから幾度、繰り返すことができるのか。
それは誰にも判らない。
けれど、いつかは必ず終わる日が来るのだと、卓を挟む両者ともに判っていた。それがもう、そう遠くない日であることも。
「……かなうものなら、永遠に、か」
ぽつりとそう呟いたのは、はたしてどちらの声であったのか。
それは、ある初春の日の、穏やかな昼下がりのこと ――
(2003/1/25 11:55)
番外書くつもりで微妙に本編臭くなってしまいました。
『
楽園の守護者シリーズ』九話目『宴の夕べ』の前日談です。
ロッドはカイザールの茶飲み友達で、窓から私室にいりびたり、と。そういう設定があったりするのです。でもって、超甘党。いえこいつは辛かろうが苦かろうが、毒でなければ何でも食べますが、実は甘いもの大好きです。本人自覚ないけど。
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