(2002/12/6 9:18)
ちく……ち……く……
―― 規則正しくとは言い難い、ぎこちない動きで運ばれる針先。
ちく……ち……く……
「ッ!」
息を呑む気配がして、針を持つ手が硬直した。
逆の手の親指に、小さな赤い血玉が浮かび上がってくる。
「 ―― 何をやってるんだか」
向かいのベッドでその様を眺めていた青年は、不器用な友人に、小さく失笑した。
たかだかボタンひとつをつけ直すために、この彼はさっきから四苦八苦しているのである。
「仕方ないだろ。慣れてないんだから」
ふてくされたような声が、返ってくる。
くしゃくしゃになった上着を膝の上に投げ出して、彼はあぐらをかいた腿へと頬杖をついた。
「そういうことは、彼女にでもやってもらえば良いんだ」
くすくすと笑う青年を、上目遣いにねめつけてくる。
もちろん、そういったつきあいのある異性など、存在しないと承知した上での発言だ。
「お前だって、彼女なんかいないくせに」
切り返してくる言葉には、小さく肩をすくめてみせた。
それは確かにその通りで、お互い侘びしい生活を送っているものだと、思わないでもない。
「たかがボタンつけのために、彼女を欲しがるのもどうかと思うけどね」
そう言って、青年はベッドから降り、箪笥へと向かった。
引き出しを開け、奥から濃い色のシャツを引っ張り出す。
「出かけるのか?」
問いかける友人にはかぶりを振り、広げたシャツを手に、その前へと立った。
ほら、と指し示す袖口には、ちぎれかかったボタンがひとつ。
「よろしく」
にっこりと笑いかけると、友人は唖然とした表情で見上げてきた。
一本立った人差し指が、ぶらぶら揺れるボタンを差す。
「なんで俺が」
自分のそれすら満足に直せずにいるというのに、どうしてわざわざ他人のものまでやらねばならぬのか。
不機嫌さをあらわにする友人へと、しかし青年は構うことなく押しつける。
「だって、自分でやると侘びしいだろ?」
無邪気な笑顔で断言した。
自分だって針仕事は得意じゃないのだから、わざわざ自身でやるのなんて、面倒くさい。
―― そうして青年は、友人の膝から皺だらけの上着を取り上げた。
「おい?」
伸ばされる手をするりと避けて、再び自分のベッドへと戻ってゆく。
向かい合って置かれたベッドへと、向かい合って腰を下ろし、膝の上に上着を広げて。
「じゃ、そっちはよろしく」
こっちはまかせろ。
絡まりかけた糸をほぐしながら、針をつまんでボタンつけの体勢。
「…………」
続きを始めた青年を見て、友人の彼は、しばらくぽかんと座っていた。
その手の中には、ボタンの取れかけた、青年のシャツ。
―― けれど、やがて彼は小さくため息をついて、新しい針と糸を手に取った。
「お前も大概、判りにくいよな」
呆れたようにつぶやいて。
ぎこちなく針を動かすその理由は、自分のためではなく、目の前にいる青年のシャツを直すため。
「心外だな」
唇を尖らせる青年は、それでも笑みを浮かべたまま。
やはり不器用な手つきで、それでもどうにか縫いつけられる、友人のボタン。
―― 別に、やっていることに違いはないのだけれど。
―― 男二人、向かい合ってボタンをつける、侘びしげな行為に変わりはないのだけれど。
「……ま、いいんじゃないのか」
そう口にしたのは、はたしてどちらだったのか。
相変わらず下手くそな針運びは、けれどずっと、軽くなっていた。
(2002/12/6 10:34)
……実は自作の番外編ですが、この二人が誰か判った人はすごいです。
【モノカキさんに30のお題】
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