楽園の守護者シリーズ 番外
 モノカキさんに30のお題より】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2003/3/28 8:43)
神崎 真


 初めて人を殺したときの、震えが止まらないあの感覚は、今でもはっきりと記憶している。
 手を染めた赤い血糊は、けして多いものではなかったけれど。その生暖かくぬめる感触には、総毛立つほどの嫌悪を感じた。
 おそらく、この先どれほどこの手を汚し続けたとしても。
 一番最初におぼえた、あの嫌悪といたたまれなさは、おそらく生涯忘れることなどないのだろう ――


◆  ◇  ◆


 盗賊達の数は、さほど多いものではなかった。
 山間にひっそりと暮らす、小さな村から届いた訴え。この数日、水場の周辺で行方知れずになるものが相次いでいる。先日はついに、巨大な爪で引き裂かれた死体が発見された。野生の獣にしては、いっこうに姿を見せぬさかしい知恵を持つそれは、あるいは妖獣なのではないだろうか、と。
 別件の破邪を終えた帰途、たまたま近在の街に宿を取っていたセフィアールの一行は、それを聞いて数名を調査へと派遣することにした。もしも本当に妖獣の仕業であれば、改めて赴くか、叶うものならばその場で征伐する。違うなら違うで、正式にその街の警備兵を送り込もう、と。
 だが ――
 振りまわされた鉄製のかぎ爪を、カルセストは及び腰で受け止めた。
 血で曇り、黒ずんだ鈍い光沢を放つ金属の爪が、じりじりと鼻先へ迫る。手の甲を覆うようにして鉄爪を装着した男は、体重をかけて押し込みながら、歯をむき出して嗤った。
 周囲には、同じように手っ甲をつけた盗賊達が、十名ばかり。
 そしておのおのの剣を手に、それらを相手取る二人のセフィアール。
 調査に赴いた彼らを迎えたのは、爪と牙持つ妖獣などではなく、鋼で鎧った野盗達であった。妖獣を装い女子供を攫っては、慰み人買いへと売り渡していた、あさましい下衆ども。
 しかし彼らがそれを知った時には、既に山道で退路を断たれてしまっていた。
 知られたからには帰すわけにはゆかぬ、と。数と地の利を頼みに襲いかかってきた男達を、三人の破邪騎士達は背中合わせに迎え撃った。
「……ッ」
 足場の悪い山中の獣道。まして人間相手では、セフィアールの術力も使えはしない。
 かぎ爪を受け止めたカルセストの剣は、じょじょに彼自身の方へと押し込まれていった。こぶりな小剣ショートソードが、支えきれぬ力に頼りなく震える。
 追いつめられた彼を救ったのは、閃く銀光だった。
 耳に届く、肉を割り、骨を断ち、腱をぶち切る鈍い音。
 え、と見開いた目の前で、片腕を失った男が絶叫した。抱え込むように振りまわされた傷口から、勢いよく鮮血がほとばしる。
 呆然とするカルセストの頬に、額に、生暖かい液体が降りかかった。
 とっさに動けなくなった彼と男の間に、人体が割り込む。再び振り上げられる、大剣の切っ先。
 のたうっていた男が、肩から腹の半ばまでを斬り下げられた。
 男の目が急速に光を失い、ぐるりと裏返る。開いた口から血塊と舌と呻き声がこぼれた。そうして男はゆっくり倒れてゆく。
 足元で痙攣する肉体を邪魔そうに蹴りどかし、カルセストを救った青年は大剣を横薙ぎにふるった。
 分厚く重い刀身から、付着した血潮が振り払われる。鈍い輝きを取り戻したそれを、彼は正面に構え直した。
「ぐずぐずしてんじゃねえ! 殺られてえのかッ」
 ちらりと肩越しに投げられる、鋭い視線。
 苛立たしげなものすら含んだ叱責に、しかしカルセストは声を返せなかった。
 転がった死体を愕然と見下ろし、それから正面へ立つ男へ、のろりと視線を向ける。
「あ……い、いや」
 唇を開くと、鉄錆びた味がした。
 頬を伝い舌を濡らす、それがいま目の前で死んだ男の血の味なのだ、と。にわかには理解ができず。
 どこかうつろなその声に、青年 ―― ロッドは眉宇をひそめた。
「てめえ、まさかとは思うが……」
 言いかけた所へ、さらに別の男が襲いかかってくる。素早く片足を引いてその斬撃をかわし、がら空きになった背中へと重い刃をたたき込んだ。段平が粗末な革鎧ごしに人体へ食い込む。骨の折れる鈍い音。男は血反吐を吐いて茂みに倒れ伏す。
 カルセストを挟んだ反対側では、アーティルトが長剣を振るっていた。なめらかなその剣さばきは、迷いのない的確な動きで、着実に賊を屠ってゆく。
 またたく間に半数を失った男達は、気圧されたように遠巻きになり、様子をうかがい始めた。わずかな余裕を得た三人は、数歩身を引き、固まるように近づき合う。互いに背中を向けたまま、肩越しに言葉を交わした。
「おい」
 ロッドが低い声で問いかける。
「まさかてめえ、人斬ったことがないなんて言うんじゃねえだろうな」
「 ―――― 」
 ロッドの言葉に、アーティルトもまた、無言でちらりと視線を寄越した。
 カルセストは唾を飲み込み、干上がった喉を湿した。そうしてもなお、声は乾いて引きつったけれど。
「ない」
 小剣を構える両手が、細かく震えていた。
 カルセストは、見習いの時分からセフィアール騎士団に籍を置いていた、生粋の破邪騎士である。妖獣を相手どることを前提に修練を積んだ彼は、人間に対して剣を向けた経験がない。それは騎士団内では特に珍しくもないことで、そもそも通常の武器は、妖獣に対してほとんど役になど立たない。故にセフィアールの者達は、もっぱら専用の細剣レピアを使用しており、一般的な鉄の剣は手にすることすら稀であった。
 破邪の折りにも巨大な両手剣に固執するロッドや、何かあった時のためにと長剣を携帯しているアーティルトの方が、むしろ変わり種なのだ。カルセストが小剣を装備していたこと自体、用心深いと褒められて良いほどである。
 だがロッドは、その返答に盛大な舌打ちを鳴らした。
 震える手つきを横目で見やり、侮蔑もあらわに吐き捨てる。
「人殺しする覚悟もなしに、剣なんざぶら下げてんじゃねえよ」
 それだけ言って、彼は地を蹴り走り出す。もはやカルセストを振り返ることもなく、まっすぐに野盗達の間へとつっこんでゆく。
 カルセストは呆然とその背を見送った。が、肩を掴まれる感触に、はっと振り返る。
「…………」
 アーティルトが間近で数度かぶりを振った。そうして彼を木立の合間へと突き飛ばす。
 たたらを踏んで転倒しそうになったカルセストは、アーティルトがさらに一人を切り伏せるのを、間近で見る羽目となった。
 飛び散った血の飛沫が、雨のような音をたてて茂みの枝葉を濡らす。
 アーティルトも、ロッドも、既に血まみれとなっていた。足場の悪いこの場所では、満足に返り血を避けることもできないのだろう。赤く染まりながらもなお剣を振るうその姿は、恐ろしいほど凄惨で。
 その腕が動くたびに、人の生命が失われてゆく。
 その現実が恐ろしくて。
 妖獣から民を守ることを願い剣を取ったカルセストは、たとえ相手が賊であろうとも、その命を奪う覚悟など意識したこともなく。
 けれど、
 彼は、国王に任命された、騎士の一員だった。
 民を守るために剣をふるう、その義務を持つ者のひとりだった。
 たとえ相手が人間の姿をしていようとも、善良なる民を虐げ、そして彼とその仲間に対して刃を向ける、そんな存在であるならば。
 こんな、非力な村人のように、ただ傍観していることなど許されるはずがない。
 震える指に力を込め、小剣を持ち上げる。
 下生えをかき分け、重い一歩を踏み出した。その先はもう、止めようもなく足が動いた。喉の奥から低い雄叫びがわき上がる。
 刃が肉に食い込む手応え。柄を握る指にかかる、生暖かい返り血。
 己のその手が命を奪う、確かな感触。
 無我夢中で剣を振るう彼を、アーティルトとそしてロッドが、さりげなく補助していることすら、意識する余裕もなく ――


◆  ◇  ◆


 初めて人を殺したときのあの感覚は、おそらく生涯忘れることなどないだろう。
 誰かを守るためなどではけしてなく、ただ自分自身の為だけに、他者の命を奪うことを覚えた。
 それを後悔するつもりなどないけれど。
 もしも時が戻るならば、きっと自分は同じことをするだろうけれど。
 それでも、
 いま初めて人を殺すというこの坊やは、大義名分を持っている。
 その手を汚す血糊すら、正当な理由を主張できる、健全な生き物。
 すこやかに、どこまでもまっすぐに正道を行く ―― 行くことが、できるその境遇。


 己の生きてきたやりかたを、罪だと呼ぶ気はさらさらないけれど。
 もしも罪だと呼ばれるなら、それがどうしたと断言してくれるけれど。


 この先も、この手を汚し続けることに、ためらいなど覚える気は、ないのだけれど ――


(2003/3/29 22:13)


やはりずっと使いたかったけれど、本編に入れそこねたエピソードのひとつ。
カルセストではなく、『彼』のお話。


モノカキさんに30のお題

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