レトロ  骨董品店 日月堂 番外
 モノカキさんに30のお題より】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2003/2/1 6:49)
神崎 真


 円卓の上に広げられた鮮やかな色彩は、まるで突然花畑が現れたかのような華やぎを、室内へともたらしていた。
 染めや刺繍の美しい晴れ着が、その模様をよく見せるように、幾枚も取り出される。
「……どうだ?」
 床へ置いた長持ちから、さらに一枚引っ張り出しつつ、秋月和馬はそう問いかけた。
「そうですね……保存状態も悪くないですし」
 薄紅から濃い花蘇芳へと色変わりする絹地に、金銀の糸で花鳥風月を縫い取った振り袖を持ち上げ、骨董品屋アンティークショップ日月堂店主である安倍晴明あべはるあきは、感嘆するように息をついた。
「この仕立てに縫い取りの意匠……少なくとも、150年は前のものですね」
 いったいどこで手に入れられたのですか?
 問いかける晴明に、和馬はぽりぽりと頬を掻いた。
「ああ……その、な。こないだ『仕事』で北陸の山奥に行ったんだが、そこの隠居爺さんが呪いで命を狙われてて ―― って、まあ、それはどうでもいいか。要するに地方の旧家ってやつで、蔵ん中にやたら古いモンをため込んでたんだ。で、なんだかんだで爺さんの命は無事助かったんだが……」
 何故かは判らないが、頑固なその老人に、和馬はやたらと気に入られてしまったのだ。やれ命の恩人を手ぶらで帰すわけにはいかぬと、老人は頑として譲ろうとせず。
 謝礼については、秋月家の方に直接支払われることになっている。和馬に対する報酬もその中から出るのだと、いくら説明しても納得しない。
 金の入った封筒 ―― ちなみにかなり分厚かった ―― を前に、ひたすら固辞し続けたあげく、ならばせめてこの中から好きな物を選べ、と連れて行かれた先がその土蔵だったのである。
 古道具の価値など和馬には判らないし、もらったところで始末にも困る。いっそう困惑しかけた和馬だったが、そこでふと、骨董を扱っている友人のことを思いだした。
 あいつの所に持っていけば、引き取ってくれるかもしれないな。
 そんなことを考えてしまった段階で、和馬の負けは決定していた。
 結局、綺麗だなと何とはなしに振り袖を手に取ったところ、ここぞとばかりに老人があれこれと付け足し、和馬は長持ちひとつ分の大荷物を持ち帰る羽目になったのだった。
 それからは仕事の報告や、別口の ―― カメラマンとしての ―― 仕事などがたてこんでしまい、こうして晴明の元を訪れることができたのは、数週間も経ってからになってしまったのだが。
 果たしてこれが売り物になるのかと、いささか低姿勢で問いかける和馬に、晴明はにっこり笑顔でうなずいた。
「大丈夫。とても良い品ですから、喜んで買わせていただきます。そうですね、ええと ―― 」
 概算するため、近くの棚から書く物を探す。
 どうにか始末がつきそうな気配に、和馬はほっと安堵の息をついた。右から左に売り払うのは、老人の好意をないがしろにしているようで罪悪感も覚えたが、それでも和馬が持っていても、場所をとられるばかりである。こういった物を贈ってやれるような女性も、残念ながら身近にはいないし ――
 とりあえず近くの椅子へと腰を下ろし、見積もりの結果を待つことにする。彼を相手に儲けようとは思わないので、その点は気楽なものだ。
 と、
 丁寧に衣装を畳む手元を見て、和馬はまばたきした。
「おい、光ってるぞ」
 指を差して指摘する。え? と晴明が目を落とした。その左手首で、腕飾りの勾玉がひとつ、ほのかに光を放っている。
 つつましやかな、ごくごく淡い光り方だったため、気付くのが遅れたらしい。晴明はしばらく勾玉を見つめていたが、やがてああと柔らかく微笑んだ。
「和馬さん、これなぎにも見せてさしあげてよろしいですか?」
「あ? ああ、そりゃかまわんが」
 既に聞き慣れたその名前に、和馬は戸惑いながらもうなずいた。
 凪とは、普段は晴明の腕飾りに宿っている式神 ―― もっとも彼は友人といって譲らなかったが ―― の一体である。実際、和馬の認識している本来の式神とか使い魔とかいった存在とはまるで異なり、彼らはごく自由に振る舞い、なんの制約も受ける様子はなく、晴明の周辺へと出没していた。
 晴明自身からして、己には何の術力もなく、彼らは単に自由意志で自分のまわりに現れているに過ぎないと説明している。そんな訳で、和馬が晴明と知り合ってからこちら、この愛すべき異形の存在達は、彼にとってもごくなじみとなってしまっていた。
 勾玉から離れ宙に浮かび上がった光珠が、ふわりと円卓へ舞い降り、その大きさを増した。子供の頭ほどもふくれあがったそれは、しかしふいに輝きを失う。そして後に残されたのは、凪の名で呼ばれる異形のあやかし
 きらきらと輝く硝子玉のような瞳で、それは晴れ着を眺めはじめた。
「やっぱり女の子ですから、綺麗な物がお好きなんですよね」
「…………女、だったのか?」
 にこやかに言う晴明に、初耳だったらしく、和馬は虚ろな口調で呟いた。
 ちなみに『彼女』は、和馬の握り拳と同じぐらいの丸い一つ目を持つ、巨大なイモ虫である。大きさはちょうど人間の赤子ほどか。全身ぶよぶよとした灰白色の皮膚で覆われており、身動きするたびに表面が細かく波うっている。
 子供が見たら泣き出しそうなその造形からは、とても女の子などという表現は思いつけない。いい加減見慣れた和馬だからこそ、何も言わずに座っていられるが、普通世間一般の人間がこの姿を目にすれば、嫌悪感に逃げ出すか、それより先に己の正気を疑うことだろう。
 口元から生えた何本もの触手が宙を揺らめき、振り袖の刺繍を控えめに撫でている。はっきり言って気色の悪い光景だ。だがそれでもその動きは、どこかおずおずという表現がふさわしい、微笑ましさを感じさせた。
 黄色い眼球がぎょろりと動き、その表面に美しい色彩を映す。
「せっかくの着物なのに、身につけられなくて残念ですね、凪」
 晴明が手を伸ばし、その頭を優しく撫でた。応じて見返した目玉が、上下の目蓋を半ば閉じるように細める。
 確かにこのサイズでこの形、どこをとってみても着るのは無理だろう。というか、着せようと考えること自体が無茶である。
 しかし和馬は、ふと思いついて足元の長持ちへとかがみ込んだ。確かこの底に……などと呟きながら中をあさる。
「おい、これなんかどうだ?」
 ややあって取りだしたのは、柔らかい布でできた大ぶりのリボンだった。
「こいつを、こう」
 たっぷりと長さのあるそれは、明治や大正時代に女学生の間で流行したものだ。本来はタフタや天鵞絨などが多いのだが、これは透けるような薄く柔らかい素材でできている。それを苦しくならない程度に凪の首元へと巻きつけ、蝶結びを作ってやった。太い指で形を整えると、鮮やかなピンク色のそれは、本物の蝶のように大きく広がる。
「ああ、可愛いですね。よく似合ってますよ」
 ねえ、和馬さん?
 同意を求める晴明の横で、和馬はその異様さに思わず絶句していた。
 まるで死体を思わせる土気色のイモ虫が、ピンクのリボンを結んで黄色い目をぎょろつかせている。
 ―― 俺はいったい、何をしたかったんだ。
 なんの他意も違和感もなく、ごく自然な気持ちでリボンをつけてやった和馬は、己の行為が作り上げたモノに、内心頭を抱えそうになっていた。
 ちなみに当の凪は、どこかうろたえるように、身体の前半分を持ち上げて揺れている。その眼前へと、晴明が手鏡を出してやった。
「ほら、凪」
 見るように促されて、ようやく揺れるのをやめ、鏡面をのぞき込む。
「えーと、その、なんだ」
 なんと言うべきか迷う和馬に、凪は上体をひねって振り返った。
 その目玉がキラキラと輝いている。
「……よ、よく似合ってる……ぞ」
 似合ってる? 似合ってる? と無言で問いかけてくる瞳に逆らえず、和馬はつっかえながらもうなずいた。と、その目が嬉しげに細められる。
「さて、もうよろしければ、少し場所を空けていただけますか?」
 晴明がそう問いかけると、凪はこっくりうなずいた。両手でその身体を持ち上げ、少し離れた飾り棚へと居場所を移してやる。
「和馬さん、他の衣装も見せて下さい」
「あ、ああ。そうだな」
 気を取り直して、和馬は長持ちに残っている物を出し始めた。あとは帯が一、二本と、髪飾りや帯留めといった小物がほとんどだ。
 紙とメモを手に電卓を叩き始めた晴明に、老人から聞かされた来歴などを説明する。老人の長話を延々聞かされたおかげで、話題にはこと欠かなかった。
 そうやってしばし話を続けていたのだが、和馬はふと言葉を切って振り返った。視界の隅で何かが動いたような気がしたのだ。
「……?」
 肩越しに見やった先では、凪が伸び上がるようにして上体を持ち上げていた。もともと立ち上がるようにはできていないだけに、その身体はかなり不安定に揺れている。
 何やってるんだと思いかけて、凪のいる場所が鏡の前だということに気がついた。やはり明治や大正の品なのだろう。丸い鏡がついた漆塗りの化粧台によじ登り、身体を伸ばして鏡を覗いている。
 落ちる前になんとかした方がいいんじゃないかと危ぶんだが、その視線を感じたのか、凪は和馬の方をかえりみた。
 途端に口元の触手が激しくざわめき、バランスを崩した身体が化粧台から転げ落ちる。
「危な……っ」
 慌てて立ち上がりかけた和馬の前で、柔らかい身体は絨毯の上ではずみ、二三度転がった。それからじたばたともがいたのち、上下を取り戻す。
「大丈夫ですか、凪!」
 晴明が問いかける。しかし凪はそちらを見ようともせず、その身体に似合わぬ素早い動きで化粧台の影へと逃げこんでしまった。
 そうして隠れてしまってから、おずおずと目玉の半分が隙間から顔を出す。
「おい、大丈夫なのか」
 和馬が声をかけると、途端に目玉は引っ込んだ。
 しかししばらく見ていると、またそーっと少しずつ現れてくる。
 その後ろには、今の動きでほどけかけたリボンが、斜めになって覗いていた。
 どうやら鏡の前で喜んでいたところを見つけられて、恥ずかしいらしい。
 ……重ねて言うが、彼女は一つ目巨大イモ虫である。


 ―― ……これはこれで可愛い……かもしれない、な。


 果たしてそんなことを、和馬が思ったのかどうか、それは定かではなかったが。
 ともあれ今日も、日月堂は平和なようだった。


(2003/2/3 21:35)


骨董品店 日月堂』より。元ネタは、ものすごく昔に、凪ファンの某お方からチャットで聞かせてもらったものです。
レトロ→明治・大正時代→女学生と発想が展開し、そこでこのネタを思い出しまして。
考えてみたら、凪を書くこと自体、めちゃめちゃ久しぶりだったり……


モノカキさんに30のお題

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