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 十 分裂 6(終)
 特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課
 創作小説を書く人に十のテーマより】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 机を叩く激しい音が、会議室へと鳴り響いた。
「どういうことです!?」
 椅子を蹴って立ちあがった美紗子の問いかけに、しかし上座についた上役達は、何事も起きていないかのように、静かに落ち着いた声を返す。
「聞いての通りだ」
「これは既に決定事項なのだよ」
「きみにとっても、悪い話ではあるまい」
 口々に告げてくる彼らを、美紗子は鋭くにらみつける。
「そういう問題ではありません」
 机についた両の拳が、固く、固く握りしめられる。
「今回の件で、一係の人間はほとんど失われました。……生き残った者も、現場に出ることはほぼ不可能な状態です。それなのに、どうやって続けてゆけとおっしゃるのですか」
 震えかける声を懸命に抑える美紗子に、しかし上役達はあっさりと続ける。
「ならば新たな人材を雇いたまえ。組織とはそうやって運営していくものものだ」
 個々人それぞれの資質を拠り所とするよりも、むしろそれらを束ねて効果的に運用していくことこそが、組織としてのありようなのだと。
 その言葉を耳にした瞬間、美紗子の両目には殺気にも似た光がよぎった。

「彼らは ―― 消耗品ではないのですよッ!!」

 まるで、使い捨ての道具を取り沙汰するかのような、そんな物言いなど。
 怒りに肩を震わせる美紗子へと、しかし決定は無慈悲に告げられる。

「特殊処理実働課一係は、今後特殊処理実働課第一課として再編成される。旧実働課は第二課と呼称され、分割。きみは第一課の課長として、今後任務にあたるように」

 美紗子はただ、唇を噛みしめ、その辞令を拝命することしかできなかったのである。


◆  ◇  ◆


 会議室をあとにし、一係の部屋へ戻った美紗子を出迎えたのは、部署内でも最古参の水垣辰之助、ただひとりだった。
 ところどころに包帯を巻き、片足を引きずっている彼は、それでも今回の事件でもっとも軽傷ですんでいるのだ。
「……どうでしたか」
 問いかけてくる彼へと、美紗子は小さくかぶりを振って答える。
「今回の件で多くの人命を救った功績を評価し、一係を特殊処理実働課の中核に据えることが決定しました。足りない人員は補充し、早急に動けるよう、再編成を行えとのことです」
「なんてこった……そんな無茶が通ると、『上』は本気で思ってるんで」
 水垣もまた深く嘆息し、手のひらでその面を覆う。
 今回の事件で生じた被害は、死者七名。重傷者十二名、軽傷者三十五名という大きなものだった。事態が収束を見せてから既に二日になるが、重傷者の中にはいまだ生死の境をさまよっている者も少なくない。
 今回の件がこれほどの惨劇を引き起こしたのは、確かに【歪み】の規模や【妖物】の手強さもあった。だがそれよりも、なによりも、一番大きな要因となったのは、実働課の人間と一係の能力者達との確執にある。互いが協力しあい、もっと情報や資機材を有効に活用できていれば、これほどの被害は生じなかったはずなのだ。
 それができなかったのは、ただ両者の歩み寄りが足りなかったからだと、そう断じてしまうのはあまりに酷だろう。現場での行き違いを防ぐのは、上層部の役目だ。お互いの主張を、不満が存在するのならばその不満を、十全に把握し両者の間の均衡を図る。そう、それこそが組織が組織として行わねばならない、最大優先事項であるはずなのに。
 確かに、今回の件で一係は大きな功績を残したかもしれない。彼らの ―― 異能力者達の活躍がなければ、死傷者数はもっと多いものとなっていただろう。上層部は一係を課として昇格させることで、それに報いたのだと、そう言いたいのかもしれない。
 しかし ――
「再編成もなにも、まともに動けるのはもう、あっしだけでしょうに」
 水垣が、ぽつりとそう呟く。
「主任さんも、藤原の嬢ちゃんも、瀬木も柏崎のボンも……」
 一人一人を確かめるように、数えあげてゆく。


 本部に危険を知らせに走った藤原は、残っていた者達を無理矢理追い出したその直後、一番に押し寄せる闇へと呑みこまれた。
 尾崎と真藤、柏崎を守りながら別働隊と合流した瀬木もまた、巨大な蟲に似た【妖物】に襲われていた隊員達を救出し、代わりにその頭を砕かれた。
 藤原を呑み込んだ【妖物】を念動力で引き裂いた堀江主任は、その後も多くの【妖物】を倒し続けたが、駆けつけた水垣の目前でついに力つきた。
 そして、柏崎は。
 既に幾箇所も傷を負い、ろくに動くことさえできない状態だったはずの彼は。
 次々と失われていく仲間達の姿を遠視し、呆然と立ち尽くしていた真藤を最後の力で突き飛ばし、その胸を【妖物】の巨大な爪に貫かれた。
 だが……かろうじて即死を免れた真藤もまた ―― 全身を鋭い爪で引き裂かれ、意識不明の重態となっている。


 七名いた今回の事件の死者のうち、その半数以上が一係の人間だった。
 現在一係のメンバーで、まともに動ける身体なのは水垣と尾崎の二人だけ。
 しかしその尾崎もまた、あまりのことに衝撃が大きかったのか ―― 普段から人形のような所のある彼だったが ―― まるで周囲のすべてから心を閉ざすかのように、誰の呼びかけも耳に入れることなく。呑まず、食わず、眠ることさえせぬまま、ただ意識のない真藤の手を、握りしめて放そうとしない。
 無理矢理引き離そうにも、近づこうとする者は何故かみな、途端に体調の異常をうったえた。足が動かなくなる者、目が見えなくなる者、中には呼吸困難を引き起こし、昏倒するものまでいた。
 それが、真藤の側を離れまいとする尾崎の願いを汲んだ、オサキの仕業によるものなのだと。そう理解できたのは、水垣と美紗子のふたりだけだったのだが。
 真藤が意識を取り戻さない限り、尾崎もまた動こうとはしないだろう。だが、その真藤の容態は……


 沈黙のうちにそれらのことに思いを馳せていた二人の間に、突然電話の呼び出し音が鳴り響いた。
 まるで、非常ベルを思わせたその機械音に、何故か二人は同時に不吉なものを覚え、思わず息を呑む。
 やがて、
 静かに手を伸ばした美紗子は、青ざめた顔色で受話器から発せられる知らせを聞いた。


 ―― 意識不明で入院していた真藤の、心臓が停止したという知らせを。


◆  ◇  ◆


 なにやら大仰な身振りで不満を訴えていた拓也が、諦めたように自分の席へ戻ってゆくのを見送って、美紗子はゆっくりと真藤の元へと歩み寄っていった。
 同じように拓也の後ろ姿を眺めていた真藤が、気配を察して見上げてくる。
「ああ、総括課長。お疲れさまです」
 にっこりと、満面の笑みを浮かべて挨拶する真藤を、美紗子は何とも言えない複雑な表情で見下ろす。
「……私の前で、顔を作らないでちょうだい」
 そう告げると、しばらく笑顔のまま見上げていた彼は、小さく首を傾げる。
「えー、でも嘘でもなんでも笑ってれば、少なくとも見てる方は楽しいし、そのうち本物にだってなるかもしれないよー? って」
 そう、『彼ら』が言っていたから、と。
「知ってるわ。でも、私は不愉快なの」
「……そうですか」
 うなずいたその瞬間、真藤の顔からぬぐい取ったように表情が消える。
「これで良いですか」
 問いかける声音もまた、平坦なそれに変じている。
 普段ののらりくらりとした、つかみ所のない ―― それでいてむやみやたらと明るいそれとは、まるで裏腹なそれ。
 暗く沈鬱な空気をまとった、というわけではなかった。
 暗くはない。重くもない。それはそういった悲惨さを感じさせる態度ではなかった。
 たとえて言うなら ―― ただ空虚。
 マイナスではなく、かといってプラスでもなく。
「この間はずいぶん無理をしたそうだけど、もう大丈夫なの」
「ええ」
 美紗子の問いにうなずくその口調は、本当になんでもなかったかのようにあっさりしたものだった。
「丸一日ほど意識不明になりましたが、もう大丈夫です。息もできるし、手足も動く」
 証明するように、持ち上げた手を何度か開閉してみせる。
 それはつまり、丸一日の間ろくに息もできず、手足も動かなかったということで。きり、と唇を噛みしめた美紗子を、硝子玉のような無感動な瞳が見上げる。
「誰も危険な目にあわせないためには、俺の力が必要でした。だから使いました。尾崎も承知の上です」
 傍らで話を聞いていた尾崎が、小さくうなずいた。こちらもまた、いつもたたえている穏やかな笑顔を消し、人形のような無表情で美紗子の方を向いている。
「『オサキ』の力には限りがあるわ。無理をしすぎれば今度こそ死ぬ。判っていてやらせたというの?」
「 ―― はい」
 尾崎の答えも、真藤と同じ乾いた平坦なものだった。
「前回は、真藤を引き戻すのに半数のオサキを失いました。二度目はありません」
「だったら……!」
「『次』は、いっしょに逝きます。いつ逝くのかは、真藤が好きな時を選べばいい」
 静かに言い切る尾崎の言葉に、美紗子は返す言葉もなく、ただにらみつけることしかできない。
 沈黙のままにらみ合う ―― というにはあまりに一方的なそれだったが ―― 二人の間で、真藤が静かに口を開く。
「どうせ、長くは保たない。そう言ったのはあなた方です」
 こんな不自然な状態など、長く続けられるものではないと。
 いつ尾崎の気持ちが真藤から離れるか、それは誰にも判らない。ほんのわずかな、無意識の底の底さえ読みとって立ち働くオサキであればこそ、明日、いや一時間後、あるいはほんの数瞬先ですら、どう動くかも予測できないというのに ――


 六年前。
 危篤状態にあった真藤の心臓が停止したと知らせを受けて、病院に駆けつけた美紗子と水垣が目にしたものは。
 人工呼吸器をはずされ、医学的に臨終を言いわたされたはずの死体が、ゆっくりと目を開き、硝子玉のようなその表面に彼らの姿を映す、そのさまだった。
 もはや自力では動かぬ心臓を、肺腑を、動かしているのは『オサキ』だった。
 未だ死にきっていなかった体組織に、オサキが動かす心臓から、血液が送り出されてゆく。ゆっくりと動かされる横隔膜が、肺を伸縮させ、酸素を体内に取り込んでゆく。
 幾箇所も破壊されていた体組織も、オサキが修復し、足りない部分はその身をもって代替する。七十五匹いたオサキは、その過程でみるみるその数を減じていった。
 そうして、半ば無理矢理蘇生されたその肉体に、しかし宿るべき魂は。
 肉体を離れ、何処ともしれぬ『あの世』とやらへ、向かおうとしていた魂は。


「……おそらく、あのとき俺の『半分』は戻って来られなかった。半分のオサキを道連れに、あの世へと渡っていってしまった」
 記憶は、ある。
 心も多分、残っている。
 けれど。
 真透としての能力と、そして感情のほとんどを、自分は『向こう』へ置いてきてしまったのだと。
 かつては常に黄金色に輝いていた、いまは硝子玉のような灰色の瞳で、真藤は無感情にそう呟く。
「だから、死ぬのを怖いとは思いません。それを怖いと思う感情ごと、俺は『向こう』に置いてきてしまった。もしかしたら、今ごろは向こうでみんなといっしょに、変わらず騒いでいるのかもしれません」
 先に逝ってしまった仲間達に迎えられて、感情的だった『半分』は、今も良いようにからかわれているのかもしれない。
 無理矢理生き返らされた肉体は、いまも健康体にはほど遠く。
 鼓動ひとつ打つにも、息をひとつ吸うのにも、オサキの助けを必要とする。腕の上げ下ろし、立ち上がって歩を進めること。笑おうと思って、表情を作り出す、そんなことさえもが、体内に宿るオサキの力がなければかなわない。そんな、操り人形にも似た不完全な肉体。
 もしも、オサキ使いである尾崎が彼を必要ないと考えたならば、一瞬にして失われるだろう、脆く危うい均衡。
 まして、真藤の肉体を維持するために、尾崎はすべてのオサキを常時働かせている。それだけの力を使い続けていては、尾崎の側にも負担のかからぬはずがない。
 尾崎の関心が真藤から離れれば、その場で真藤は死ぬだろう。
 尾崎の力が尽きた場合にも、やはりその場で真藤は死ぬ。
 そしてそんな無茶な使い方をしている尾崎の力は、どう見積もっても長くは続かない。続かせようとすれば、それは確実に尾崎の命を削る。
 事態を把握した水垣は、不自然だとそう吐き捨てた。
 死ぬはずだった人間を、無理矢理生き返らせるなど、許される行為ではない。それがどれほど失いたくない相手であったとしても、人には逆らってはならない摂理というものがある。
 まして今の真藤は、そのまま尾崎の傀儡くぐつに等しい。尾崎の意思に逆らえば、即座に再度の死を迎えるだろう、いわば奴隷の身だ。そんな屈辱的立場にあることを、お前は許容できるのかと。
 そう詰め寄った水垣に、しかし真藤は乾いた声でただ返しただけだった。
 それを屈辱的に思う感情ことすら、自分は置いてきてしまったと。
 そして尾崎は。
 無意識の願いを汲み、時として飼い主の理性さえ抑制とならぬ獣を飼う彼には、どんな説得も叱責も、その効果を及ぼすことなく。
 彼自身がどれほど言葉の上でオサキに止めろと告げたところで、その深層意識から真藤に対する執着が消えぬ限り、オサキが真藤を生かすことを止めるはずもなかった。
「 ―― あれから、六年。良く保ったといえるでしょう」
 こんな不自然な状態で、六年。
 確かに途中、二人にかかる負担を少しでも押さえようと、真藤は現場から引き離されもした。まだ年若い彼が課長などという立場に抜擢されたのは、そのためにだったのだ。それからでさえ、既に四年。
 確かにそれは、水垣も美紗子も予想すらしなかった長い時間だ。
 逆に言えば、それだけ尾崎の寿命もまた、削られ続けていることに他ならないのだが。


「この六年で、一課もだいぶ変わりました」
 唐突に変わった話題に、美紗子はえ、と目をしばたたいた。
 そんな彼女に向けられた真藤の視線は、変わらず虚ろな硝子玉のようなそれであったけれど。
「新しい人材を入れて、力をつけて、発言力も増えた」
 実働課の中の試験的な一部署ではなく、その半ばを占める一課として。
 幾人もの嘱託をつのり、また正社員としては風使いの志保が入り、符呪士のマオが入り、退魔剣士のフォンが入った。学生バイトとして入った拓也は【歪み】を消すという意外な能力を発揮し、委員会全体から興味深い目で見られている。
 また拓也は、長いあいだ反発が続いていた二課の人間達との間にも、友好的な関係を築きつつあるようだ。
 事実上分裂状態にあった二つの課を、繋ぐ架け橋に彼がなってくれないかと。
 そう期待するのは、まだ早いのかもしれないけれど。


「本当なら『彼ら』がやるはずだったことを、少しでもできていたなら、いいんです」


 他部署との関係構築と、次世代の育成。
 生きていたならば、きっと彼らが為したであろうそれらを。
 感情のほとんどを失った真藤には、もはやいつ訪れるかもしれぬ死への恐怖も、かつての行動への悔恨も、他部署の人間に対して抱いていた、怒りや反感さえも残されてはいなかったから。
 ならば、予想外に得てしまった時間を費やすことは、それぐらいしか思いつかなかったから。


『嘘でもなんでも、まずは笑って「こんにちわ」ぐらい言ってみるもんだって』
『仏頂面でにらみつけてたって、敵作るばっかりだぜ』
『相手は陽くんの事情なんか知らないんだし〜、まずはこっちから歩み寄ってみるのも大切だよ?』
『最初は社交辞令でも、続けていればそのうち、本物になるかもしれないしな』


 ―― この笑顔が『本物』になることは、もう死ぬまでないだろうけれど。
 美紗子や水垣のように、できの悪い模倣品だと、いとう人間もいるけれど。
 それでも事情を知らない相手から見れば、デスマスクのような無表情よりも、少しはましだろうと。おそらく『彼ら』ならばそう評するであろうから。
 記憶に残る限りの『彼ら』の言葉を。その行動を。
 尾崎と二人、その身でなぞる。
 本当の意味で、その真意を理解できていない自分達のそれは、ある意味こっけいで不自然なものになっていると、そんな自覚もあるけれど ――


「今度、新しく入る子を、拓也くんと組ませようと思っています」
「新しい子って、確か佐伯さんとこの……だったわよね」
「はい。少し人間不信の傾向があるそうですが」
「拓也くんには少し荷が重くないかしら」
 考え込む様子を見せる美紗子に、真藤は静かな視線をむけた。
 相変わらず能面のように無表情なその顔の、口元だけがわずかに微笑んでいるように見えて。美紗子はふと目をみはる。
「大丈夫です」
 そう口にされる言葉には、なんの保証もありなどしなかったが。
「……そう」
 美紗子はひとつうなずくと、それ以上言及することを控えた。


 まるでフィルムを巻き戻すかのように、くり返される日々。
 けれどかつてと良く似たあの事件は、かつてとはまるで異なる結果で終わった。
 それならば、と。
 新たに訪れる、この出会いがもたらすものもまた、と。
 祈りにも似たものが去来するのは、けして美紗子の胸にだけではなく ――


 美紗子と真藤、二人の視線が向けられた部屋の向こう側には、拓也少年がマオにからかわれでもしたのか。今日もけたたましい怒鳴り声をあげつつ、暴れている姿があるのだった。



 ― 了 ―

(2007/01/04 15:40)
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