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 十 分裂 5
 特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課
 創作小説を書く人に十のテーマより】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 仮設テントの中で、大きな卓上に広げられた地図を真藤は一心に見つめていた。
 一見規則的なようでいて、実際は所々で不規則な分岐を見せる網の目のような道筋と、目印のほとんどない似通った建物が並ぶ風景は、通る者に容易に現在位置を見失わせる、厄介この上ない立地条件だ。
 ゆっくりと地図上に指を滑らせ、そのあとを追うように黄金色に光る瞳が動かされる。
「……ここ、【歪み】がある」
 ぽつりと呟いて、目が細められた。さらに細かい様子を見て取ろうとしているのか、瞳に宿る光がいっそう強くなる。
「倉庫の中……コンテナが積んである。右から二番目の手前から五つ目の所に、B−Iレベルがひとつ。二個奥にもうひとつC−IIレベル。倉庫の鍵は番号錠だから、ナンバーは……8762、だ」
 そこまで言って、ひとつため息をつく。
 そうして顔を上げた。テントの中をぐるりと見わたす。周囲でその様子を眺めていたスタッフ達は、互いに顔を見合わせると小さく肩をすくめた。そうしてそれぞれの作業へと戻っていってしまう。
 真藤はぐっと唇を噛んで、それからなにかを言おうとした。が、そんな彼の肩を、側にいた男が軽く叩く。
「俺が行ってくるよ。場所が違ってたら指示してくれ」
「けど、瀬木さん。あんたさっき帰ってきたばっかじゃ」
「大丈夫大丈夫。肉体労働はこっちにまかせろって」
 がっしりと大柄な、たとえて言うなら野球のキャッチャーを思わせる体格の男は、無線のヘッドセットを装着しながらパチリと片目を閉じてみせた。
「じゃ、あとは頼むぜ」
 軽快な足取りでテントを走り出た男は、数歩助走をつけると大地を蹴り、さらに建物の壁を蹴って屋根の上へと姿を消してゆく。肉体能力の強化を売り物とする男は、そうやって現場への最短距離を選んだ。人間離れしたその動きに、あたりにいた人間の間から、感嘆とも恐れともつかない声が洩れ聞こえてくる。
 今だ顔をしかめたままその様子を眺めていた真藤は、しかし装着していたヘッドセットが音を立てたことに気づき、そちらの方へと意識を向ける。
『ゴメン、真藤。近くに【歪み】があるのを感じるんだけど、はっきりしたところが判らないんだ。ちょっと『見て』みてくれないか?』
「香? ちょっと待って」
 真藤の瞳が地図へと落とされる。熱した金属を流し込んだかのような瞳が、数度まばたきした。
「ああ、箱の影だ。すぐ右に木箱が積み上がってるだろ。その後ろ」
『あ、ほんとだ。サンキュ!』
 そんな箱の存在も、無論先ほど言及した倉庫の中のコンテナにせよ、地図に記載されているはずもない情報を、真藤はまるで見てきたかのように口にする。だが彼がこのあたりにやってきたのはこれが初めてで、しかもこの仮設本部に詰めてから一度も外に出ていない彼は、倉庫街の様子など知るはずもなかった。
 にも関わらず口にされるその内容を、特殊処理実働課のスタッフ達はまったく信用しようとはしなかった。ただ真藤と同じ一係に所属する異能力者達だけが、その指示に従い【歪み】の消去へと立ち働いている。いまはそんな状態だ。
 影でひそかに交わされる言葉も、嘲るようなその表情も、真藤は残らず目にすることができている。だからこそ彼は知っていた。特殊処理実働課の面々が自分の言うことを信用しようとしないのは、なにも異能力の存在に不審を抱いているからばかりではないのだと。
 彼らは、自分たちが認められなかったことに不満を持っているのだ。
 自分たちの働きだけでは良しとせず、上層部はあやしげな異能力者などを現場に入れることを決定した。厳しい訓練を積んできた自分達をないがしろにし、経験もなければろくに事情も知らぬ若造達をうろつかせている。そんな奴らに現場を良いようにかき回されてなるものか、と。
 馬鹿馬鹿しい。つくづくそう思った。
 一係の人間は、なにも彼らを否定しているわけではないのに。彼らには彼らのできることがあるし、異能力者達には異能力者達にしかできないことがある。むしろ異能力者達は、ひとつのことに特化しているが故に、『それしかできない』とも言い換えられるのだから、汎用性という点では彼らの方がよほど使えるというのに。


 ―― 俺達を使えると、利用しようと考えたのは【特処あんたら】の方だろうが!


 噛みしめた奥歯がぎり、と音を立てる。
 と ――
 前触れもなく頭に温かいものが乗せられた。それは数度軽くぽんぽんと上下する。
「どうした、疲れたのか?」
 低い穏やかな声がそう問うてきた。
「主任……」
 一係を束ねる主任である堀江が、穏やかに笑いながらのぞき込んでくる。銀縁眼鏡のレンズの向こうで、色素の薄い瞳が柔らかく細められていた。
「陽くんってば、ずーっと透視してたもんね。ちょっぴりお疲れモード?」
 堀江の影から、小柄な影がぴょんと飛び出してくる。丸く大きな黒目がちの目が、きらきら光りながら真藤を映した。
「代わるからちょっと休みなよ? ね?」
「や……けど、瀬木さんが」
「だーいじょーぶ、だいじょーぶ。潤ちゃんなら一人でなんとかなるって。それよりピリピリしてると、変なとこで失敗しちゃうぞ!」
 ぐいっと真藤の腕をひっぱり、地図の前から引き剥がす。そうしてヘッドセットもむしり取ってしまった。
「はーい、一名様、ごあんなーい!」
 無理矢理手近なパイプ椅子に座らせ、さらに紙コップに入れたコーヒーを押しつける。
「……ふじ」
 呆れたように呟く真藤に、藤原理恵はにっこりと全開の笑顔を見せる。
 その後ろではやはり苦笑いしながら堀江が手を伸ばしていた。床に放り出されていたヘッドセットがふわりと浮き上がり、その手のひらへとひとりでに収まる。
「そら、ふじ。辰之助さんが呼んでるぞ」
「はいはいはーい!」
 ヘッドセットを受けとった藤原が、ポケットを探り先端に水晶のヘッドがついたペンダントを取り出す。
「次の【歪み】はですね〜、いま探しますから、ちょっと待っててくださいね〜〜」
 無線のマイクへとしゃべりながら、しゃらりと涼やかな音を立てて、ペンダントヘッドを地図の上すれすれの位置へと垂らす。


 探索は、夜になってからも続けられていた。
 投光器が設置され、携帯用のライトも数多く持ち込まれているが、それでも仮設である本部周辺は、ごく一部が照らされているに過ぎない。ましてや倉庫街に作業に出ているものにとっては、とてもではないが充分な明かりがあるとは言えなかった。ことに少人数で動かざるを得ない一係の面々は、明かりを持つだけで一方の手が塞がってしまうことを懸念していた。
「今は効率より安全を考えた方が良いだろう。必ず二人以上で動いた方が良い。ふじと真藤は本部から出るな。香は……」
「俺は実際に近づかないと【妖物】も【歪み】も判んないし、出るしかないっしょ」
「じゃあ俺と動こう。いざとなったら抱えて逃げてやるから」
 瀬木が力瘤を誇示するよう、腕を曲げてみせる。やせぎすの柏崎が相手なら、本当に抱え上げてしまえるだろう。
「私は一人でもなんとかなりますぜ。むしろ自分以外を守れる自信はありやせんが」
「そうも行かないでしょう。尾崎といっしょに頼みます。なにかあれば自分の身を守れるのは同じでしょう」
 なあ、と問いかけられた尾崎は、無言のままただ小さく頷く。その瞳はどこに焦点が合わされているのかはっきりとしないものだったが、みな慣れているのかそれに言及することはなかった。
「でもそれじゃ、主任がひとりになっちゃいますよ」
「彼らといっしょに動くさ」
 テントの外で立ち働く、カーキ色の制服姿を指差す。
 確かに堀江は、他の面々と比べると実働課の人間ともそれなりにつきあいがあった。それは彼の人柄によるものだったが、しかしそれでもあくまで比較の問題で、けして親しいと呼べるほどの関係を築いているわけではなく。
「なに、できるだけこの近辺から離れないようにするつもりだ。いざというとき、本部を守れる位置に誰かがいた方が良いだろうしな」
 無理をするつもりはないと、そう告げる。
 そうして彼らはそれぞれに割り振られたとおり、別れてことに当たることとなったのだが ――


 唐突に上がった悲鳴に、テント内にいた人間は全員ギョッとしたようにそちらを振り返った。
 と、呆然と立ち尽くして宙を眺めているのは、実働課一係の青年だった。
 人間離れした黄金色の光を放つ瞳が、大きく見開かれている。
「あ……ぁあ……ッ!」
 その口から、意味を為さない切れ切れな声が洩れる。
「陽くん!?」
 藤原が慌ててその服を掴み、注意を引くように揺さぶる。だが真藤はまるで気がつかないように宙を眺め、なにかを否定するようにかぶりを振っている。
「瀬木……さ……、かおる……ッ!」
 ようやく形となったのは、現場で【歪み】を探索しているはずの仲間達の名で。
「ちょ、陽くんッ? 二人に何かあったの!? 陽くん!」
 焦ったように数度揺さぶり、反応がないことに舌打ちした藤原は、容赦のない平手打ちをその顔に見舞う。
 びくりと身を震わせた真藤は、ようやくその瞳の焦点を目の前に合わせた。
 藤原を見下ろしたその顔色は真っ青だ。
「ふ……じ……」
「どうしたの、なにが見えたの!?」
 問いかける藤原に、血の気を失った唇がわななく。
「せ」
「せ?」
「瀬木さんと、香……が……」
「二人が!?」
 すがりつくような藤原の言葉に、真藤は数度まばたきし、そうして急速にその瞳が力を取り戻す。そうして彼はがしりと藤原の二の腕を掴んだ。もどかしげに数度揺さぶり、それから周囲へと視線を向ける。
「誰か! 【妖物】が二人を……誰か助けに行って下さい!」
 叫ぶ真藤に、しかしその目を向けられた面々は困惑したように身を退いた。
「早く! ば、場所なら……!」
 地図を取ろうと身をひるがえす真藤に、一人が声を掛ける。
「お、おいおい。ちょっと落ちつけって。疲れて夢でも見たんじゃないのか?」
 その言葉に、真藤と同じく顔を青ざめさせた藤原が愕然とした目を向けた。真藤もまた、凍りついたように言葉を発した男を振り返る。
「なんだ、居眠りしてたのか。おどかさないでくれよ」
 男の言葉に触発されたように、あたりにいた男達は次々と緊張を解き、ため息をついてそれぞれの作業に戻ろうとする。
「……なにを、言って……」
 掠れた声が藤原の口から漏れる。
 真藤の指から力が抜け、取り上げようとしていた地図がぱさりと地面に落ちた。


 ―― イッタイコイツラハ、ナニヲ考エテイル?


 真藤の視界はその一瞬、赤く染まった様にすら感じられた。
 いや、あるいはそれは、輝きを増した己が瞳の黄金色を視界に映しただけなのかもしれない。
 ふらりと。
 それ以上の言葉を口にすることなく、真藤は歩き出す。
 数歩進んでテントから出ようとして、そうして一度ふり返った。
 彼のその目に映るのは、数分後に訪れるだろう、来るべき時の情景だ。
 真藤の口元に、かすかな笑みが宿る。それはどこか狂気をはらんだ、歪んだそれであったけれど。
「……ふじ、来い」
「よ、陽くん……」
「早く!」
 藤原が弾かれたように飛び出してくる。
 その腕を掴んで真藤は一直線に走り出していた。瀬木達の姿が『見えた』方向へと。
 半ば引きずられるように走りながら、藤原が携帯で堀江ら連絡を取っているのが聞こえる。
 本部から離れるにつれ、あたりは急速に暗くなってゆく。それでも真藤の足は止まらなかった。すべてを見通す彼の目には、夜の闇すらなんら障害とはなり得なかったから。やがて向かう先に、明かりが見えてくる。携帯用の照明の光だ。激しく揺れているのは、走ることで視界が揺れているからではなかった。
「香! 瀬木さんッ!」
 真藤の呼びかけに、揺れる光の向こうで見知った顔が向けられるのが見える。
「……なんでお前らが来る!? 応援はッ」
 瀬木の問いかけはひどくせっぱ詰まったものだ。その腕の中には柏崎が抱え込まれているが、そちらからはまったく反応が返ってこない。常であれば軽く担ぎ上げてしまうだろうその身体を重そうに引きずって、瀬木は懸命にこちらへと向かおうとしている。
「それが……ッ」
 答えようとした真藤と藤原を、そのときなにかが追い越していった。
 鼠のように甲高い鳴き声をあげる『なにか』が、何十匹もの群をなして路面を、壁を這い、瀬木達の方めがけて走り抜けてゆく。
 小動物の群は瞬く間に瀬木達のもとへ達すると、その身体を駆け上り、そして絡みつくように触手を伸ばしていた【妖物】へといっせいに牙を立てた。
「オサキ!」
 続いて瀬木の身体が柏崎ごと、見えない手で掴まれたように引きずり出される。
「主任!」
「無事か!?」
 連絡を受けて駆けつけた尾崎がオサキ狐を放ち、堀江が念動力で二人の身体を【妖物】から引き離したのだ。
 二人の元へと駆け寄った一同は、しかしその姿に声を無くして息を呑む。めったに感情を表さない尾崎さえもが、目を見開いて立ち尽くしていた。
 そしてそんな彼らへと、オサキの群をまとわりつかせたまま、巨大な【妖物】がじりじりと近づいてくる。
 それは、たとえて言うなら闇色のアメーバであった。
 暗がりに溶け込み、常人の目ではよほど接近するまで存在すら気づかせることない、恐るべき化け物だ。
 瀬木と香を守るように囲んで、一同は【妖物】をにらみつけた。堀江が真藤とふじへと叱責するような声を浴びせる。
「何故こんな所まで出てきた。危険だから本部に戻れ!」
 戦うどころか己の身を守るすべすら持たぬ二人は、この場において足手まといに他ならない。だから早く本部へ戻り、応援を呼んでこいと。そう命令する堀江へと、真藤は奇妙にゆっくりと答える。

「……危険なのは、本部も同じです」

 低い声で、告げた。
 その声に含まれた、どこか暗く、それでいて歪んだ笑いをも感じさせる響きに、一瞬みなが状況を忘れてふり返る。
「どういう意味だ」
「本部にも、こいつと同じのが向かってますから」
 そう言って、真藤は今度こそ確かな笑いを見せた。
 そんな真藤を、先ほどの本部でのやりとりを目の当たりにしていた藤原が、青ざめた表情で見上げる。
「あいつらは、夢だと言って、取り合いませんでしたけどね」
 だから、放ってきた、と。
 間もなく本部を訪れる、【妖物】の襲撃。だがその警告をまともに受け止めようとする人間は、あの場所に誰一人としておらず。
 ならば。
 信じないのであれば、それでもいい。自分と藤原は、【妖物】に対抗できる力を持つ、仲間達に合流する。あとは残った者達で好きにすればいい。
 そう口にして失笑する真藤を、次の瞬間、衝撃が襲った。

「馬鹿!」

 容赦のない平手を見舞った藤原が、叫ぶと同時に身を翻した。まっすぐに、あとにしたばかりの本部を目指して走り出す。続いて堀江が尾崎に声をかけた。
「二人を頼めるか。無理に【妖物】を倒そうとしなくて良い。とにかく逃げることを考えろ」
 尾崎がうなずいたのを確認して、堀江もまた藤原のあとを追う。
「ふじ!? 主任も……なんで」
 手を伸ばす真藤を、堀江はちらりと肩越しにふり返った。
「話はあとだ! さっさと逃げろッ」
 鋭く言って、あとはもう一顧だにせず暗がりの中へと消えてゆく。
 呆然とそれを見送っていた真藤だったが、低く発せられたうめき声に、はっと視線を落とした。地面にうずくまっていた瀬木が、苦痛に顔を歪めながら立ちあがろうとしている。
「せ、瀬木さん、無理は……」
「んなこと、言ってる場合じゃ……ねえんだろ」
 手を貸そうとする真藤をしりぞけ、瀬木はぐったりと動かない柏崎を指し示す。
「お前らは、香を運べ。 ―― 来るぞ」
 警戒の声に目を向ければ、じりじりと近づいていた闇色のアメーバが、もうすぐそこにまで迫っている。オサキのたてるきいきいという鳴き声が、次第にせわしない、せっぱ詰まったものになっていった。尾崎と真藤が協力し、柏崎の身体を抱え上げる。

「走れ!」

 瀬木の言葉と共に、彼らは精一杯の早さで走り始めた。

 しかし……


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