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 十 分裂 3
 特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課
 創作小説を書く人に十のテーマより】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


「あーもう、ほんとにやってらんないッスよ……」
 パイプ椅子に腰を下ろし、上体をぐったりとテーブルに投げ出しながら、拓也はうつろに呟いていた。
 時刻は既に九時を回っている。世間はすっかり暗くなっていたが、周囲は投光器の投げかける光芒でまばゆく照らし出されている。しばらく休むよう仮設本部の一角へと案内された拓也だったが、あたりにはまだ多くの人間が忙しく行き来しており、到底ゆっくりできる環境ではなかった。夕食にと出された弁当にも手をつけず、拓也はひたすら卓に懐いている。
「まあ確かに、今回はちょっと大変だったわね」
 向かいに腰かけた志保も、さすがにため息などついている。
「ちょっと!?」
 あれを少しというのかこのひとは、と視線を向けた拓也に、志保は肘をついて顎を乗せた。
「私の風って、大物相手の方が向いてるのよね。それに範囲が広かったから疲れちゃった」
 バイザーグラスではっきりとは判らないが、それでも表情には疲労が滲んでいるようだ。
 ちなみに同じように立ち働いていたフォンとマオはというと、こちらはむしろ大量の【妖物】を相手にきっちり精気を補充したらしく、上機嫌で帰宅していっていた。そして水垣はというと、かなり疲労困憊しているようだったが、こちらは義息むすこが帰りを待っているからと、やはり早々に帰宅の途についている。結果、帰りを待つ者がいない拓也と志保だけが、ここでこうしているのであった。
 深々ともう一度息をついた志保が、拓也と自身を慰めるように口を開く。
「……ただね、前はもっと大変だったらしいから」
 志保の言葉に拓也は思わず目を剥いていた。
「これより!?」
 起きあがった拓也へと、志保は重々しくうなずいてみせる。
「以前は今みたいに一課二課の役割分担も確立してなかったし、私たちみたいな能力者も、眉唾ものだみたいな認識があって、危険な現場に放り出されてそのまんま、なんてこともあったらしいわよ」
 私も詳しいことまでは知らないんだけど、と付け加える。
「マジッスか? こっわー……」
 そんな状況は想像するだに恐ろしい。特に拓也は他の面々と異なり、己の身を守れるような力は一切備えていないのだ。そんな彼が一人で現場に放り出されたらとしたら……
 絶句する拓也に、志保はさらに補足した。
「その頃のことが知りたいなら、水垣さんか、あとは課長か尾崎さんに聞くといいわ。そんな頃からのメンバーで残ってるのは、あの三人だけだそうだから」
「え、尾崎さんもですか。……あの人ふつーの人ですよね?」
 拓也が首を傾げる。
 もっぱら真藤の補佐として一課内の事務処理を担当している尾崎は、現場に出た時もこれといった活躍を見せることはなかった。今回のように資料を用意したり、指示を出したりということはあったが、実際に【妖物】や【歪み】を相手にどうこうしているところなど、ついぞ目にしたことがない。
 拓也などは正直な話、なぜ異能力者揃いの一課に彼がいるのかと、不思議に思っていたりしたのだが。
「あの人も能力者ですってよ。なんでも憑き物筋の出だとか」
「……憑き物筋?」
 拓也の表情がますます困惑したものとなる。今まで耳にしたことがない言葉だったのだ。
 どう説明すればいいかしら、と志保がしばし思案する。
「狐憑きって言葉は知ってるわよね」
「え、ええ。まあ」
 それぐらいは拓也も聞いたことがある。
 人間が正気を失って、まるで狐に取り憑かれたかのような行動をとる状態をいうらしい。最近はヒステリーなどから来る精神的な疾患だと診断されるようだが、昔は本当に狐が憑いたと考えられて、どこかに閉じこめられたり、無茶な治療をされて大怪我をしたりといったこともあったのだとか。
「尾崎さんの家は、代々その『狐』を祀ってきていたの」
「はあ?」
 頓狂な声を上げる拓也に、志保は小さく苦笑いする。
「【妖物】が実際に存在するんだから、人に取り憑く狐だって、実際にいてもおかしくないでしょ?」
 私の家が土地神たる大鴉を祀っていたのと同じことよ、と続ける。
「はあ……」
「オサキ狐っていってね、だから名字が『尾崎』」
 指で宙に字を書いてみせる。
「代々持ち筋の家の ―― 普通は女性に受け継がれていくらしいんだけど。ネズミとかイタチみたいな姿をしていて、その数は七十五匹。頭から尾まで黒い線の入っているのが特徴だったかしら」
 そのあたりは尾崎から聞いたのではなく、文献などから得た知識らしい。記憶を辿るように視線を卓へと落としている。
「オサキ狐は普通の人の目には映らないから、主人に命じられるままひそかに財貨を盗んできたり、敵対する人間に取り憑いて病にしたりと立ち働くそうよ。だからオサキを飼う持ち筋の家は裕福に富み栄えるというわけ」
「へーえ……」
「特にオサキは主人に命じられたことだけでなく、その無意識中の欲望を読みとって、先回りして行動に移す性質を持っているとかで、憑き物の中でも扱いが難しいと言うわ」
 半ば惰性で志保の言葉を聞いていた拓也だったが、そこまできたところでふと目をしばたたいた。聞かされたことを改めて思い返し、その内容を確認する。
「それって……つまり命令してないことでも勝手にやっちゃうってことですか?」
「そうなのよ。気を利かせるって言えば聞こえは良いんだけど」
 主が命ずるより早く、あるいは命ずる必要がないと思ったときでさえ、その望みを叶えようと働く使いの狐。そして彼らは人の世の常識になどまるで頓着することはない、人外の生き物で。
「……なんかそれ……怖くないですか」
 それは、宿主の望んだものを無差別に得ようとする生き物だ。
 人間が本来持っている、理性という名のストッパーをはずされた存在。
 人間誰しも、欲望は持っているものである。余人には見えない心の奥底で、あれが欲しい、こうなればいいと、願うそのことそのものは誰にも止められないし、そして責められるべきことでもないだろう。その思いを、理性がほどよくコントロールしている限りは。
 けれど、尾崎が飼っているその獣は、そんな理性でさえも制御できないものであるというならば。
 どことなく、寒気に似たものすら拓也が感じかけたそのとき。
 ことり、と。
 静かな音をたてて湯気を上げるカップが卓上へと置かれた。
 はっとして見上げれば、いつものように、穏やかな笑みを浮かべた尾崎が彼らを見下ろしてきている。
「二人ともお疲れさま」
 用の済んだ盆を小脇へと抱え、温かな飲み物を勧めてくる。
「…………」
 彼らはしばらく言葉に詰まっていた。
 まさにいま噂していたその相手を目の前にして、拓也もそして志保さえもが、一瞬声を失ってただ相手を見返してしまう。
 と ――
「大丈夫だよ」
 尾崎が笑ったままでそう口にした。
 それがどういう意味なのか理解できず、拓也は反応に困って志保の方を伺う。
 志保もまた、困惑しているようだった。バイザー越しにもその眉がひそめられていることが伺える。
「だ、大丈夫……って?」
 それでも反応を返さないわけにはいかなくて、拓也はつっかえながらかろうじてそう問い返した。そんな拓也に尾崎は不快そうな素振りひとつ見せず、置いたカップを取るよう促す。そうして拓也がそれを手にしてから、一言一言確かめるように、はっきりと告げた。
「僕が欲しいと思ってるものは、基本的にひとつしかないから」
「ひとつ、だけ?」
「そう」
 信じがたいと言いたげな拓也に、きっぱりとうなずく。
「オサキがそういうものだってのは判ってたから、できるだけなにも望まないよう、願わないよう、子供の頃からしつけられてきたんだ。でも……やっぱりどうしても、欲しいと思うものってのは出てきてしまうよね」
 その意見にはおおいに納得できるので、拓也はこくりと首を上下させる。たとえどれほど厳しくしつけられたとしても ―― いやだからこそ一層に ―― 欲求というのは出てきてしまうものだ。それは誰にだって止めようのない、当たり前のことだろう。
 が、尾崎はそこで照れたように笑みを苦笑いに変えた。
「子供の頃からずっと我慢してきてたせいかな。いざこれが欲しいんだって思ったら、それが予想外に大きなものになってしまってね。だから当面のところ、その願いを叶えるだけで『あれ』も手一杯なんだ」
 だから、たとえ他のものに目を向けたとしても、そちらにまわす余力などないのだ、と。
「まあ、他に目を向けるつもりもないんだけど」
 そう言って、広い肩をすくめてみせる。
 現在、オサキの暴走を周囲がおそれる必要はまったくないのである。彼らにだって限界はあるし、あれもこれもと手を広げることは不可能なのだ。そしていま現在、全力を尽くしてことに当たっているが故に、尾崎のオサキは【妖物】に相対することにすら使えない状態にある。ましてそれ以外のことなど、できようはずもなかった。
「はあ……そうなんですか。でも、いったいなんなんですか? そんなに手一杯になっちゃうような『欲しいもの』って」
「きみもよく知ってるものだけどね」
 あっさりとした返答に拓也は首を傾げる。だが尾崎はそれ以上はっきりと答えるつもりはないらしく、ただ笑っているだけである。
「それより、それを飲んで元気が出たなら、家まで送らせるよ。いくら明日がお休みでも、早く帰った方が楽だろう?」
「あ、ああ、そうですね……って、ああっ!?」
 突然叫んで硬直した拓也に、尾崎と志保が驚いたような目を向ける。
「拓也くん?」
「片桐くん、どうかしたの?」
 問いかけてくる二人に、拓也は油の切れた機械のような、ぎこちない動きで顔を向けた。
「せ」
「せ?」
「洗濯物……」
 意味不明の言葉に、尾崎と志保がそろって首を傾げる。
 そんな彼らに説明する気力も拓也には残っておらず。
 無くなった洗剤を帰りに購入し、この時間から洗濯機を回すべきか、それともあきらめて新しい服を買って帰るべきか。
 どちらを選ぶにせよ体力なり懐なりに打撃を与える結果となるだろう選択に、拓也は疲労がぶり返すのを感じて、力なくテーブルに突っ伏したのだった。


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