<<Back  List  Next>>
 七 どうにもならない 2
 特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課
 創作小説を書く人に十のテーマより】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
神崎 真


 真藤が三階のオフィスにたどり着いた時、幸い状況はほとんど変わっていなかった。
 触手にからめとられた拓也は、いまだどこかに叩きつけられるようなこともなく、ぐったりと脱力した状態でぶら下げられたままだ。その周囲を取りかこんだ隊員達は、容易に手を出しかね、ただ威嚇するに留まっている。事態は膠着状態に陥っているようだった。
 そんな中へと現れた真藤は、入り口からの一瞥で現状を把握すると、無造作に室内へ踏み込んできた。
 武器ひとつ帯びるでない青年の登場に、場の隊員達は一様に困惑を見せた。実働一課課長である真藤の顔は、もちろん彼らも見知っている。だがそれは本来、無線の向こうの本部に収まっているべきもので、こんな【妖物】と相対する最前線でお目にかかる相手ではないはずだった。
 しかも、
 常であれば野暮ったい眼鏡越しに穏やかな笑みを浮かべているその人が、今は感情の色のうかがえない能面のような無表情のまま、【妖物】を見すえている。黄金きん色に輝く両の目が、どこか人間離れした印象すら感じさせて。
「磁力発生機を」
 【妖物】から目を離さぬまま、傍らに手を伸ばした。真横にいた隊員のひとりが、目の前に出された手のひらへと、慌てて【歪み】を矯正する装置を乗せる。
「これからぼくが【歪み】を消す。【妖物】は暴れるだろうから、そちらの対処は頼むよ。特に拓也くん ―― 彼の安全を確保するように」
「け、消すって、どうやって!?」
 問い返す隊員達には答えぬまま、真藤は一歩を踏み出した。
 そのまま二歩、三歩と自然な足取りで【妖物】へと歩み寄ってゆく。まるで力んだ所のない無警戒な歩みに、一同は止めることも忘れて呆然とその背中を見送った。
 近づいてくる存在に、ゆらりと【妖物】が反応する。拓也を捕らえているのとは別の触手が持ち上がり、鞭のように閃いた。
 真藤がすっと一歩、横へ移動する。
 右へ動いた身体をかすめ、触手はついさっきまで彼がいた床を叩いていった。そのまま横薙ぎにふるわれたのを、やはりわずかに頭を下げてかわす。
 続いて別の触手が床すれすれを這い寄ってきた。足首に巻き付こうとしたそれは、真藤が軽く足を持ち上げることで空をきる。
 どの動きもごくゆったりとした、性急さの欠片もないそれだった。にもかかわらず、【妖物】の攻撃は、紙一重のところで目標をとらえられない。
 着実に歩を進めた彼は、あっという間に【妖物】の真下をくぐり抜け、太い触腕の根本、応接コーナーを覆う闇溜まりの傍らへとたどり着いた。
「これか。確かに大きいな」
 見下ろす真藤の瞳は、ひときわ輝きを増していた。まるで熱した黄金を流し込んだかのような、金属質のきらめきを放っている。
 常人の目には映らぬはずの【歪み】が、その目には確かに見えているようだった。手の中の磁力発生機を確認すると、その場に膝をついて闇溜まりへと向ける。
 注意深く先端だけを【歪み】の中へ沈め、装置脇のダイヤルを回し始めた。磁力の強さが変化するごとに、メーターの針が小刻みに上下する。
「これだけ大きいと、この装置だけでは荷が重いか」
 乾いた口調で呟いた。
 しょせん携帯用の小型な機械だ。これほどの【歪み】を全て矯正しきるのは難しいかもしれなかった。あるいはこうして一カ所にとどまっているだけではなく、【歪み】全体を移動してやらなければならないか。
 とにかく、まずは強さを調整してから ――
 と、そこまで考えたところで、ふと真藤は顔を上げた。【妖物】の方を振り返り、立ち上がる。
「誰か、拓也くんを……」
 言いかけて、彼は口をつぐんだ。
 その真藤をめがけて触手が振り上げられる。その先端に巻き取られているのは、既にもがく力も失った拓也の肉体だ。
 他の誰を促すまでもない。いま拓也を助けられるのは、他でもなく ――
「課長!」
「危な ―― ッ」
 隊員達が口々に叫ぶ。
 その視線が集中する中で、真藤は大きく両手を広げた。そうして投げつけられた拓也の身体を、全身でぶつかるようにして受け止める。
 けしてたくましいとは呼べぬ真藤の力では、人一人の体重を支えきれるはずがなかった。当然のこと、もろともに床へと叩きつけられるはずであった ―― が、しかし、彼らの身体はちょうどその先にあった、ソファの上へと重なって投げ出されていた。
 あるいはあの一瞬で、そこまで計算していたものか。
 ―― 先ほどからの動きを思えば、それもあり得るのかもしれなかった。
「う……」
 それでも衝撃のすべてが消えてくれたわけではなかった。
 下敷きになるようにソファへ沈んだ真藤は、ふらつく頭を降りながら、懸命に両目を開いた。まず拓也の身体にざっと目を走らせ、大きな負傷がないことを確認する。
 どうやら大丈夫そうだと安堵して、再び作業へと戻ろうとした。が、持っていたはずの機械が手元にない。おそらくいまの衝撃で取り落としてしまったのだろう。とっさにあたりを見まわすが、ソファ周辺の床はみな黒い【歪み】に覆われてしまっていた。たとえて言うなら、膝までの深さの泥沼のようなものだ。足を取られこそしないが、中に落としてしまったものは手探りで捜すしか方法がない。
 真藤は一瞬、どうするか迷った。
 他の隊員から改めて装置を借り受けるべきか、それとも ――
 無意識の動きで胸ポケットを押さえ、そこに入れた眼鏡の存在を確認する。
 ―― もう一度『これ』をかけるべきか。
 逡巡しかけた真藤だったが、ふと、もうひとつ方法があることに思い至った。
 確か拓也にも、予備の装置を持たせていたはずだ。
 おそらくポケットの中だろう。申し訳ないが勝手に探らせてもらおうと、姿勢を動かした。力をこめ、自分に覆い被さる形になっている拓也の身体を、少しばかりずらす。
 と ――
 気を失っているとばかり思っていた拓也が、わずかに身じろぎした。その動きと真藤の力とが合わさって、拓也の身体が予想外の方向へと傾く。
「拓也くん!?」
 とっさに伸ばした腕も間に合わず、拓也はソファの上から転がり落ちていた。
 落ちたその先に待ち受けているのは、次元の歪み ―― 漆黒の闇溜まりだ。
 どぷり、と。
 そんな音などするはずはなかったが、しかしそう錯覚するほどの勢いで、拓也は闇の中へと沈み込んだ。
 それは余人の目から見れば、単に床へと転がっただけだったろう。
 だが拓也とそして真藤にとっては、見透かすこともできぬ濃く深い淀みの中へ、沈没したに等しい事態だった。
 『それ』が人体に害を及ぼしなどしないことは、これまで収集されたデータや、現在膝までつかっている真藤自身が証明していたけれど ――


 拓也は、迫ってくる闇を前に、目を閉じることすらできぬまま墜ちていった。
 目にするだけで頭痛と激しい嫌悪に襲われる、『それ』の中へと、頭からまともにつっこんでゆく。
 一瞬にして、視界が漆黒に覆われた。
 わずかな光さえ存在しない、ただひたすら深い、一色の闇 ――
 ざわざわと、全身から得体の知れないなにかが侵入してくるような気がした。
 これまでその黒い【歪み】に接したことが、無いわけではない。だがそれはもっとずっと薄く小さなそれで、しかも彼は必ず目を閉じ、息さえ止めて全力で突っ切ることにしていた。そうしていてさえも、後には必ずなんともいえない気持ち悪さが残ったというのに。
 なのに今の拓也はそのただ中で、目を大きく見開いている。悲鳴を上げようと開いた口は、反射的に大きく息を吸い込んでいた。
 自分の肺に、体内に、『それ』が入り込んでくる。


「 ―― ッ!」


 拓也は絶叫していた。
 めちゃくちゃに両手足を振りまわし、まとわりつく闇を振り払おうとする。
 完全にパニックを起こしていた。
 いくら一筋の光も見あたらぬとはいえ、実際は膝程度の深さしかない中なのだ。ただ普通に立ち上がってしまえばそれでいい。いやそこまでしなくとも、両手と膝をついて身体を起こせば、それだけで顔は出てしまうというのに。
 だがそんな冷静な思考など、今の拓也にはとうていできるものではなかった。
 生まれて初めて【妖物】を間近にした、そのショックもあったのだろう。まるで頑是がんぜない子供のように、拓也は悲鳴を上げてひたすらに暴れまわった。
 真藤は拓也を助け起こそうと、ソファの上で姿勢を変えていた。手を伸ばすために、まず身体を起こそうとする。
 が ――
 突如激しいめまいに襲われ、彼はそのまま崩れ落ちていた。
 とっさに動かした腕も上体を支えることはできず、力無く肘掛けへともたれかかる。
「く、そ……もう……」
 半面を覆うように手のひらを当て、真藤は小さく舌打ちした。
 その顔は、ぞっとするほどに青ざめていた。普段から顔色が良いとはいえぬ彼だったが、いまは完全に血の気が引いてしまっている。
 指の隙間から覗く瞳もまた、暗い金茶にまでその輝きを落としていた。
 小刻みに震える指が襟に伸ばされ、強引にネクタイを緩める。大きく幾度も息をついて、そうして彼は再び起きあがろうとした。
 とにかく今は、倒れてなどいる場合ではないのだ。
 己にそう言い聞かせ、なんとか顔を上げた真藤は ―― しかしそこで信じられない光景を目にすることとなる。


 【妖物】を相手に不利な戦いを強いられていた隊員達は、不意にその攻撃が乱れ始めたことに、いぶかしいものを覚えた。
 相手の動き自体は、変わらず激しく力強いものだ。が、こちらめがけてせわしなく繰り出されていたその触手が、目標を失いむなしく宙を切っている。奇怪な胴体を支える触腕が、苦痛を示すかのように大きくたわみ、己自身を天井や壁へと打ちつけ始めた。
 もしや、と。
 彼らはいっせいに真藤の方を注視した。
 あの上司が【歪み】を消したのではないかと、そう思ったのだ。だが、その視線の先にいたのは、力無くソファにつっぷした真藤と、そしてその足元で両腕を振りまわしている少年の姿ばかり。
 ―― いったい、なにをしているのか。
 一見まるで無意味に見える少年の仕草には、しかしよく見ると無視できない現象が付随していた。
 大きく振りかぶられたその腕の、手首から先が発光しているのだ。
 けして、目を射るほどのそれではない。淡く、ほのかな、柔らかい光だ。
 そんな光をまとった手が床近くの空間をよぎるたびに、【妖物】の動きが乱れてゆくのである。
 あり得ないその現象に、彼らはしばし呆然と少年を眺めていた。
 しかし、彼らもまた生え抜きのプロフェッショナルである。これまで実働課第一課の人間とも現場を共にしてきて、道理の通らない不可思議な能力が発動するところも、目の当たりにしてきている。
 これもまたその一環だろうと、彼らは気を取り直し改めて武器を構えた。せっかく作ってもらったこの機会を、逃す手はない。
「撃てェッ!」
 次々に放たれる麻酔弾が、甲殻の隙間やむき出しの触腕へと、何発もたたき込まれた。
 【妖物】の身体がびくりびくりと痙攣する。
 一方真藤は、目の前で展開しているその現象に、言葉を無くして見入っていた。
 拓也がその腕を動かすたびに、【歪み】が矯正されてゆく。
 たとえて言うなら、それこそ煙の中に腕をつっこみ振り払っているかのようだ。物理的手段ではどうにもならないはずの【歪み】が、タバコの煙よりもたやすく乱され、端からどんどん消えていくのである。
 こんなことが、あり得るとは。
 真藤は信じられない面もちで拓也を眺めた。
 彼自身は、自分がなにをやっているかなど、まったく理解していないのだろう。拓也にしてみれば、おそらくただ無我夢中で目の前のものを振り払っているだけにすぎない。
 だが、この能力は。
 次元の歪みを視認するという、それだけの力ですら、現在の【特処】には貴重な戦力だというのに。
 しかしそれだけに留まらず、何の機材も無しに【歪み】を消してしまえる能力など ―― いままで存在を予測された試しすらなかった。
 それほどまでに意外な、想定外の能力。
 これほど大きい【歪み】だからこそ時間もかかっているようだったが、あるいは小規模なそれであれば、ただのひと掻きで分解してしまうかもしれない。
 ―― この能力、埋もれさせるにはあまりに惜しすぎる。
 助け起こしてやろうとしていたことなどすっかり脇へと置きやって、真藤はそんなことを考えていた。
 そうするうちにも、みるみる【歪み】は大きさを減じてゆき ――
 ひときわ大きくのけぞったのち、地響きをたてて【妖物】が胴体を落下させた。【歪み】の向こうへと繋がっていた触腕は、無惨な切断面を見せてのたうっている。
 わっと歓声が挙がり、さらに何発かの麻酔弾が撃ち込まれた。
 その様子をソファの上から眺めながら、真藤はさてどうやって拓也を説得したものかと思案し始めていた。視界に入るすべての【歪み】を消し去った拓也は、虚脱したように呆然と座り込んでいる。投げ出された両手からは、既に光も消え失せていた。
 初仕事でいきなりこれほどの恐怖を味わわされたのだ。
 もう二度と【特処】の任務には関わりたくないと、そう言い出してもおかしくはなかった。
 ―― しかし。
 もちろんのこと、真藤はそんなことを許すつもりなど、さらさらなかったのである。


◆  ◇  ◆


「 ―― ほんっとに拾いものだったよねえ、拓也くんは」
 数ヶ月後。
 またも仮設テント内の本部で茶などすすりながら、真藤はしみじみとそう語ったものだった。
 彼の前にあるモニターには、悲鳴を上げて【妖物】から逃げまわる拓也の姿と、その向こうで大立ち回りしているフォンの姿とが映し出されている。
 幅広の大剣で【妖物】を切り捨てるフォンは何も言わなかったが、カメラの範囲外からマオの怒声が聞こえてきていた。
『こらーッ、坊主! いつまでも逃げてねえで、さっさとあの【歪み】を何とかしやがれッ!!』
『そ、そんなこと言ったって……うひゃぁッ』
『ぐだぐだほざくなッ』
『うわ〜〜んっっ!』
 泣き言を言ったところでどうにもなるはずなどなく。容赦なく蹴り飛ばされた拓也は、【歪み】があるとおぼしき場所へともんどりうって転がっていった。
「あの能力もちゃんとコントロールできるようだし、ほんと、らいさんは良い孫を残してくれたなぁ」
 ずずずと音を立ててほうじ茶を傾け、真藤が熱い息を吐く。
『ひゃぁぁああ〜〜〜ッ』
 画面からは変わらずけたたましい悲鳴が発せられていたが、それを気に留める者は誰もいなかった。


 ―― 彼らは、特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課。
 日々を危険な【妖物】と戦う、そんな彼らの日常に、こうして拓也少年も組み込まれていったと、そういう次第だったのである。

(2003/09/21 14:58)
<<Back  List  Next>>


とりあえず、一段落。
十個あるうちの七テーマをかけて、拓也少年のお話を書いてみました。あとの三テーマは、それぞれ脇キャラを書いていこうかと考えています。
ちょっとしばらく間があくかもしれません。なにしろキャラ設定だけは無駄にあるもので……


本を閉じる

Copyright (C) 2004 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.