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 二 両手に男
 特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課
 創作小説を書く人に十のテーマより】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2003/07/24 09:51)
神崎 真


 特殊次元・特殊生物対策処理委員会。
 公的機関にはしばしばありがちな、無駄とも思える長い名称を持つこの組織は、普段関係各員から【特処】という略称をもって表現されている。あるいはトクトクなどという呼び方をする人間もいたが、そちらの方は軽すぎる語感と同じような名前の民間企業が存在することなどから、あまり親しまれていないようである。
 その設立からは、未だ十年を数えるかどうか。
 かつて、関東近郊を中心として、得体の知れない生き物を見たという、奇怪な目撃証言が相次いだ。果たしていつの頃からだとは明確に定義できないそれらの証言は、当初見間違いや悪ふざけとして黙殺され、あるいは薬物中毒患者数増加のあらわれなどという解釈のもと、社会問題として取り沙汰されたこともあった。が、やがてはそんな目撃報告、あるいはまことしやかな噂の数も減り、近年ではかつての口裂け女だの人面犬だのといった存在と同様、過ぎ去った都市伝説のひとつとして、時おり思い出したかのように話題に上るのみとなっていた。
 しかし ―― それらはけして消滅したわけではなかった。
 今もなおしばしば報告されるそれらの事例は、密かに設立されたある公的機関によって、内密のうちに処理 ―― すなわち無かったことにされているのだ、と。そんな事実を知る人間は、現在ごく限られた一握りの存在でしかなかった。
 【特処】とはつまり、そういった得体の知れない生き物と、それを生み出す空間の【歪み】とを調査、研究、そして処理するための組織なのである。
 この世のものとは思えぬ、異様な化け物ども ―― それは巨大な水蛇であったり、あるいは強力な毒を持つ不定形生物であったり、人間に擬態し近づいた者を捕食対象とする人喰いであったりと、様々なバリエーションが確認されている。しかしそれらの生態や出没要因について判明していることは、未だほとんどないに等しかった。突如現れそれらの生き物を生み出す空間の歪みについても、その発生位置も時間もまるで法則を見出すことができず、またその【向こう側】あるのが果たしてどういった空間であるのかも、予測すらたてられていないのが現状である。
 つまるところ【特処】の人々は、ただ化け物の出現をもって【歪み】が発生したことを知り、それに対処するべく奔走するのだった。
 特殊次元・特殊生物対策処理委員会の内にも、さらにいくつかの部署が存在している。もっとも代表的なものとしてあげられるのが、特殊処理実働課だろう。この課はその名の通り実際に化け物 ―― とりあえず【妖物】と呼称されている ―― と相対し、それ及び生じた空間の歪みを処理する任に当たっている。
 多くの【妖物】はその大きさや習性、単純な力などで尋常の生き物を超越しており、これを効果的に殺傷することは極めて難しい相談だった。また不要な混乱や注目を避けるなどの理由から、その職務はできうる限り内密にという方針があり、そのため重火器の使用なども制限されている。しかしわずかな刃物や銃器で対処してゆくのでは、おのずと限界があった。
 ここにいたり、ある種の特殊技能を持つ者達が注目を集めることとなる。
 当時実働課に所属した一職員によって発案されたその動員計画は、当初誰からも呆れの目と失笑を向けられた。だがその能力を持つ者達が試験配備され、実際に成果をあげ始めると、周囲の者達もその存在と有効性を認めないわけにはいかなくなった。
 初めはそれこそ眉に唾していた政府側も、そもそもことの起こりとなった【妖物】の存在及び空間の歪みという、現代科学では説明のつかぬ『現実』を前に、ついにそれら特殊技能の持ち主らを正式雇用することへと踏み切った。現在彼らは特殊処理実働課第一課として組織され、従来通り銃火器等の直接物理手段でことに当たる第二課らと共に、【妖物】に対処、次元の歪みを修正する任務を遂行している。
 その、ある種の特殊技能とは。
 それは古来より小説や映画などのフィクション内で、超能力、ESPなどといった言葉で表現されてきた、現代科学では証明されることのない、超常的なそれらであった ――


◆  ◇  ◆


 スーツ姿の男女が行き来する、オフィス内の一角。
 特殊処理実働課の事務所が存在するその部屋で、無愛想なスチール机にかじりつき、ボールペンを走らせている少年がいた。室内には各種OA機器が並び、それらを操作しているのはみな、二十代以上のれっきとした社会人達ばかりだ。通常のオフィスに比べれば若い部類に所属する人間が多いようにも見受けられたが、それでも少年の姿はそんな中でひときわ異彩を放っている。
 体格はかなり小さい方だ。大きめに仕立てられた学生服が、さらにそれを強調している。本人は成長期前なのだと懸命に主張していたりするのだが、下手をするとそれこそ中学生にしか見えない。そんな彼は、先日十七才の誕生日を迎えたばかりの、働く高校生であった。
「……だいたいさぁ、なんだって俺がこんなもの書かなきゃなんないんだよ」
 ペンを動かす手を止めて、少年 ―― 片桐拓也は隣の机をにらみつけた。正確には隣の席に座っている人物を、だ。
「俺はもともと、現場に出るだけで良いからってことでこのバイト始めたんだぞ。なのになんでわざわざ出勤してきて、報告書なんか作らされてるわけ? これって本来あんたらの仕事だろっ」
 ばしばしと書きかけの書類を叩く。
「んー、それはだな」
 にらまれた先の青年は、組んだ足の膝から先を揺らめかせていた。その手がひょいと動き、手入れしていたナイフの切っ先を拓也へ向ける。
「オレが日本語書くの苦手だからだな」
 うん。
 悪びれもせずうなずく青年は、確かに日本人ではなかった。いや、既に帰化して日本国籍を得ているそうだから、ここは『元』外国人と表現するべきだろうか。短く刈り込んだ金茶の髪に、耳朶じだを飾る金のピアス。タンクトップ越しに透けて見えるのは、不健康そうに肉の薄い胸板だ。
 彼の名はマオ。欧米人ではなく中国出身の、れっきとしたアジア系である。
 脱色した髪にピアス、タンクトップの上から派手な色合いの柄シャツを羽織り、洗いざらしのジーンズに踵を履き潰したスニーカーといったそんな出で立ちは、そこらのコンビニあたりでたむろしている、学生かフリーターのような雰囲気だった。これはこれで、拓也とは違う意味で周囲から浮き上がっている。
 光を反射する切っ先を、拓也は嫌そうに眺めた。ボールペンの尻でつと脇へよける。
「それだけべらべらしゃべれる癖に、なに言ってんだか」
 マオの話す日本語は、生まれた時から日本で暮らしている人間と比べても、まるで遜色のないものだった。むしろ流暢すぎるほどに流暢で、拓也など時として殺意すら覚えるほどである。
 いまも彼は、語尾を必要以上に伸ばすワカモノ言葉で、拓也の神経を逆なでしてくる。
「だってよー、日本語って平仮名とかカタカナとか、すげー文字多いじゃん? 『は』ーとか『へ』ーとか、発音と表記と違うしぃ?」
「文字なら中国の方が断然多いじゃないか」
 漢字の数など、日本よりもさらに多いと聞く。もともと日本語の読み書きが難しいのは漢字があるせいだというから、そこをクリアしているマオがそうそう苦労するとは思えなかった。
 唇を尖らせる拓也に、マオはいやいやとかぶりを振ってみせる。
「向こうの漢字とこっちの漢字って、いろいろ違うんだってば。いちいち調べて書くの面倒でよ〜。だいたいオレ、しゃべるのは得意だけど、文語体っての? ああいうのはよく判んねえもん」
 だからよろしく。ぽん。
 手を伸ばし、拓也の肩を叩く。
「だぁっ、もう!」
 思わず吠え声をあげて払いのけた拓也だったが、ふと机に落ちた影で、背後に誰か立ったことに気が付いた。手伝ってもらえるのかと、期待をもって振り返る。
 マオと反対の側にたたずんでいたのは、やはり砕けた格好をした背の高い青年だった。こちらは綿の開襟シャツに、ブラックジーンズ。間近から見下ろしてくるその姿からは、妙に威圧感が漂い出している。
 はずみかけた拓也の声が、途端にトーンダウンした。
「あ、えと……フォン、さん?」
 呼びかけると、マオと同じ中国系の青年は、顎を引いて返答に代えた。そうして持っていた書類を拓也へと差し出す。反射的に受け取って目を落とせば、白いままの報告書用紙。
「……フォンさん」
 もしかして ―― と上目遣いに見上げる拓也の背に、ずしりと重たいものがのしかかる。肩越しに腕が伸びて、紙の端を指先で弾いた。
「代わりに書いてくれってさ」
 そうだろ? とマオが念を押す。フォンは重々しくうなずきを返した。
 ちなみにこちらはマオとは対照的に、全く口をきこうとしない人物である。こちらの言っていることは通じているのだから、日本語を理解はしているのだろう。だが拓也がこのバイトを始めて半年が経とうとしている現在、彼は未だフォンの肉声を耳にしたことがなかった。
 無言のまま立っているフォンを、拓也は口を開けて見上げる。その視線を受けても、彼の様子は全く変わらず、無表情のままじっと見つめ返してきた。
「……勘弁してよ。もう試験も近いってのに」
 早く帰って勉強しないとまずいんだよ〜。
 拓也はがっくりと俯いて泣き言を洩らした。
 けして優秀とは言えない拓也少年。ぶっつけ本番などという真似はとてもできない成績であった。
「まぁまぁ、そう言うな。奢ってやっからよ。何が良い、カツ丼か? 焼きそばか?」
「……店屋物かよ」
 低い声でつっこむ拓也の背を、マオが馬鹿笑いしながら平手で叩く。


 そんな一連のやりとりを、離れた席から眺めている目があった。
 完全に他人事を貫いている視線の主は、もちろん仕事を手伝ってやる気などないらしい。
「うーん、仲が良いねえ。あの二人と打ち解けられるとは、さすが拓也くん」
 課長席でにこにことのたまう真藤まどうに、自分の机でコーヒーを飲んでいた若槻志保が、カップからその形の良い唇を離した。
「本人は嫌がってるみたいですけど」
 至極もっともな見解に、真藤はちちちと舌を鳴らす。そうして立てた人差し指をわざとらしく振ってみせた。
「『嫌よ嫌よも好きのうち』って言うだろ?」
「はぁ」
 それはちょっと使う状況が違うのではなかろうか。
 思ったものの、自分も仕事を増やしたくない志保は、それ以上の反論を控えた。
「両手に花ならぬ、両手に男? いやぁ、拓也くんが女の子だったらなあ」
 そしたら俺が仲人つとめてあげたのに。
 などと、真藤はさらに訳の判らないことを呟いている。そんな上司は放っておくことにして、志保はカップを置き、自分の仕事へと意識を戻した。
 真藤課長の恐ろしいところは、いったいどこまでを本気で言っているのか、まるで判別がつかないところにある。
 ―― 男の子で良かったわね、片桐くん。
 志保は内心でひっそりと呟いた。
 さもなければ、十六歳も過ぎたことだしと、本気で話を進めかねないのだ、この人は。
 真藤課長は、身寄りのない拓也の後見人でもある。そういう点からかんがみれば、自分を仲人に幸せな結婚をさせてやりたいと考えるのも、まぁまっとうな心情と呼べなくもない、かもしれないが ――


◆  ◇  ◆


 さかのぼること、半年ほど前。
 都内の某公立高校に通う拓也は、ある日突然祖母を亡くすこととなった。
 死因は外出先でのくも膜下出血。確かに突然ではあったものの、年齢的に早すぎるとはけして言えず、結果として誰を恨むこともできぬ、不可抗力の死であった。
 拓也自身はそれまで、自分が特別不幸な身の上だとは思っていなかった。彼は物心つく以前に両親をも失っており、他にちかしい係累も持ってはいなかったが、二人で暮らしていた祖母は、時に厳しいところもあったけれど、おおむね話の判るおおらかな人物だったし、なによりとても彼を大事にしてくれていた。経済的にもさほど裕福とはいえなかったかもしれないが、さりとて食うに困るというほどでもなく。まぁそれなりの生活ができていただろうとそう思っていた。両親がいないことについては、もはやそのことの方が当たり前となってしまっていて、特別感慨などありもせず。 ―― 死んだ両親からしてみれば薄情極まりないことだろうが、実際顔すらも知らないような人間が相手では、それが正直なところであろう。
 しかし、そんなのんきなことも言ってはいられなくなった。
 近所の者など、親しくしていた人々の手を借りて、葬儀その他もろもろの手配はどうにかなった。が、いざ落ち着いてみれば、手元に残されたのはわずかばかりの貯金のみ。いきなり路頭に迷うことこそ避けられたものの、半年もしないうちに深刻な経済危機へと陥るだろう、そんな状況となっていたのである。
 バイトで食いつなごうにも、これまで働いた経験のない身では相場さえ見当もつかず、しかも必要なのは生活費ばかりではすまない。まず授業料からして馬鹿にならなかったが、かといって奨学金など受けられるほど、成績が良いはずもないし、さらに祖母と二人で暮らしていた借家は、家主から急ぎはしないが都合がつけば出て欲しいと打診された。そうすると保証人もいない状態では、アパートひとつ借りることすらままならず。
 あまりにもないない尽くしで、さすがの拓也も途方に暮れかけた。
 折しもそんな状況で手をさしのべてくれたのが、以前からたびたび家に出入りしていた青年 ―― 真藤だったのである。
 祖母の友人だという彼が、年齢の離れた祖母とどういう経緯で知り合ったのか。そのあたりについて、拓也は詳しく知らなかった。しかしいつも穏やかな雰囲気を漂わせ、時に勉強を教えてくれたり、おいしいお菓子を持ってきてくれたりする『優しいお兄さん』に、子供の頃から自然と懐いていたものである。
 ―― いざその下で働き始めてからは、そのあまりの『読めなさ』に、己には人を見る目がまるでなかったのだなと、しみじみ思い知らされたものだったが。
 まあそれはさておき。
 真藤の申し出は、後見人として保護者が必要となった場合に助力をすることと、その他、彼の力が及ぶ範囲について、それなりの便宜をはかってくれるというものだった。前者はともかく、後者はかなり含みのある条件であったが、その時の拓也にえり好みができたはずもなく。そもそも真藤に懐いていたこともあり、彼はただただよろしくお願いしますと頭を下げるだけであった。
 そうして実際にはかってもらった『便宜』の数々 ―― それは拓也の通う学校から徒歩圏内にある格安のアパートであったり、バイトでしばしば欠席する学校に対し、けしてサボりや遊ぶ金欲しさにあやしい仕事をしているのではなく、役所関係筋の公的な業務に協力しているのだからと特例を認めさせたりと、非常にありがたいものがほとんどで。
 ―― これでバイトの内容が、もう少しまともなものであったなら、と。
 拓也はしみじみとそう思っていた。
 それら諸々の好条件と引き替えに要求されたことこそ、他でもない真藤の勤務する公的機関でのアルバイトだったわけである。
 就業時間は不定期。必要なときに現場へ出て、捜し物をすればそれで良いということで。そうして報酬として提示された金額には、文字通り目の玉が飛び出るかと思ったほどだった。月に二度もお呼びがかかれば、それで充分に暮らしていけそうだったのだ。
 そこに至り、ようやくあやしいとは思った。
 が、職務内容の説明にとつれて行かれた先は、確かに都心にある諸官庁が並ぶ一角であったし、自分が探すことを求められているモノが、そうそう誰にでも見つけることができる代物ではないことも、奢りではなく納得した。
 うまい話には裏があるというし、この程度の裏であるならば、まぁ許容範囲内であるだろうと、その時はそう思ったのだ。
 そう、その時は確かに、そう思ったのだったが ――

(2003/07/26 17:58)
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