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 一 夜の湖
 特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課
 創作小説を書く人に十のテーマより】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2003/07/23 14:39)
神崎 真


 黒く揺れる水面を、幾条ものサーチライトがまばゆく照らし出していた。
 ヘリコプターから投げ落とされる強烈な光の束は、思い思いの動きで夜の湖面を撫でてゆく。
 上空から響くは、回転翼の低い轟き。
 頭上を行き過ぎていった機体を見送ってから、女は甲板上を見下ろしてきた。
「どう、【歪み】は見つかりそう?」
 澄んだ声が、乱れる気流にも負けることなく届いた。
 ヘリコプターの巻き起こした風に乗って、女の長い黒髪が踊っている。癖ひとつないそれを片手で押さえた彼女に、問いかけられた少年が、こちらは精一杯の声を張り上げて返した。
「無茶ですよ! いったいどんだけ広さがあると思ってるんですかっ」
 哨戒艇の狭い前甲板で、その少年は身を乗り出すようにして水面を観察していた。その姿勢こそ崩さぬままだったが、彼はやってられないとでも言いたげに船縁を叩いてみせる。
 保護帽にカーキ色の制服といった格好の人間が行き来する中、その少年はひどく場違いな雰囲気をかもし出していた。
 年の頃はせいぜい十代の半ばか。癖のある茶色い髪を夜風になびかせているその面差しは、若いというよりもまだ幼さすら感じさせるそれだ。すぐ横で待機している男達と比べると、頭ひとつ以上、背が低い。そして何よりもその身を包んでいる漆黒の ―― 学生服。
 高校生か、下手をすると中学生。そんな人物が深夜の湖上で哨戒艇に乗り組んでいるなど、違和感も甚だしいというものだった。しかも定期パトロールだの、体験学習だのといった平穏な気配などは欠片も感じられず、あたり一帯に、厳戒態勢とでもいうべき緊張感が漂っている。
 他方、先に言葉を投げかけた女も、そういった点では同様に場にそぐわない存在であった。
 二十歳を幾つか過ぎたぐらいだろうか。ピンストライプの入ったダークグレイのパンツスーツに衿の開いたブラウス。きりりと引いた口紅の色も鮮やかな、いかにもキャリアウーマン然とした女である。書類など手にどこかのオフィスで差配を奮っていれば、さぞやふさわしかろう。だがやはり、深夜の船上には似つかわしくない人物だった。
 しかもである。
 その美貌 ―― というのは、充分に察せられるのだが ―― は、半ばが覆い隠されていた。彼女は顔の上半分をすっぽりと覆う、濃い色のスクリーングラスをかけているのだ。よってはた目に確認できるのは、すっきり通った鼻筋と、紅く染められた唇ばかり。
 ごついとさえ呼べるそんなものを、しかも夜間につけているのだ。はっきり言って異様と表現する他はない。実際、とても前が見えているとは思えなかった。
 そんな彼女は、しかし危なげのない足取りで少年へと向き直る。
 ちなみに彼女が立っているのは、操舵室の真上、平たいとはいえ手すりひとつない屋根の上だったりする。
「無茶でもなんでも、見つけなくちゃ帰れないわよ。それに夜明け前に片付けないと、人目につくことになったら面倒になるわ」
「そんなこと言ったってさぁ〜」
 容赦のない物言いに、少年は船縁につっぷしてかぶりを振った。
 か弱い少女ならばともかく、男がそんな真似をしてもかわいくもなんともない……と、言いたいところだったが、まだ頬のあたりに丸みを残した童顔の少年がそうしていると、それはそれでけっこう微笑ましい、などと思えなくもなかった。
 女は小さくため息を落とす。
 確かに、無理をすれば良いというものでもない。集中力が落ちれば、それだけ効率も下がってしまうだろう。その考えが正当性のあるものだと判断して、女は口を開こうとした。
 仕方がない、少し休憩を、と。そう言いかけた言葉は、しかし少年にとっては不幸なことに、形を成すことはなかった。
 はっと息を呑んだ女が、素早い動きで湖上を振り返る。
「 ―――― 」
 途端に張りつめた空気を察し、少年も慌てて身を起こした。女が通信機を口元へと近付ける。
「こちら哨戒艇。三時の方向200mの所を照らして下さい」
 雑音混じりの返答が応じ、ヘリコプターの群が次々と方向を変える。サーチライトの光が指示された一点に集中した。
 あたりの目がいっせいに同じ場所へと向かう。
「どこだ?」
 隊員の一人が合金製の盾を構え直した。
 一見したところ、水面にはなにも見つけることができなかった。ただ夜風にさざ波が揺れているばかりだ。が、女は明らかに何かを捉えているようだった。鋭く息を吸い、叫ぶ。
「4号機! 高度を上げなさいっ!!」
 その語尾がまだ消え切らぬ内に、ぐぅっと水面が持ち上がった。
 小山のように盛り上がった水を突き破り、巨大な何かが湖から立ち上がってくる。
 通信機から悲鳴のようなわめき声が発せられた。女の指示で上昇していたヘリコプターをぎりぎりでかすめ、そのなにかは弧を描いて再び水面下へと没してゆく。水柱が高く上がり、激しい音とともに飛沫しぶきがあたりへ降り注いだ。
「で、でか……っ」
 少年が目を剥いて絶句した。
 まき起こされた波で、哨戒艇が大きく上下する。船上の人物はみなそれぞれ手近なものにつかまって姿勢を保った。不安定な屋根上にいた女は、膝をついて揺れをやり過ごしている。そうして再び一同に注意を促した。
「また来る!」
 慌てて身構えた彼らからわずか十数mの位置で、再度水面が割れた。
 盛大な水飛沫をまといつつ現れたのは、巨大な蛇の頭部であった。いや、はたしてこれを蛇と呼ぶべきだろうか。軽自動車程度ならひと呑みにしてしまいそうなその大きさも異様なら、頭の両脇に生えたヒレ状の突起など、爬虫類というよりはむしろ魚類を彷彿とさせるそれだ。しかし縦に長い瞳孔を持つ黄金色の両目は、やはり蛇に酷似していた。そして大きく開かれた口腔に、びっしりと並ぶ、鋭い牙 ――
 凍りついたように動けない隊員達へと、水蛇は容赦なく襲いかかった。強化プラスチックの船体ごと喰いちぎるべく、巨大なあぎとを閉じようとする。
 弓の弦をはじくような、高い音が生じた。
 場にそぐわない、澄んだ響きすら備えたそれが消えると同時に、こちらは濁った金切り音が夜の湖面に響きわたる。
 水蛇がその鎌首を仰け反らせていた。壊れたサイレンのような悲鳴を轟かせるその口から、どす黒い血があふれ出している。再度鳴弦の音が響き、無防備にさらされた喉元へと、深い裂け目が走った。のたうつ巨体にあおられ、哨戒艇が激しく揺れる。
 鮮血が音をたてて降りそそぐ中、水蛇は金属をこすり合わせるような、ぞっとする叫びを残し、再び湖へとその蛇体を沈めた。
「みんな無事?」
 女が全員へ声をかけた。膝を落としたままの彼女は、立てた人差し指と中指をそろえ、胸元へと引き寄せている。
 少年があたりを見まわし、人数が揃っていることを確認した。
「大丈夫ッス」
 返答しつつ、転倒している隊員に手を貸してやる。
 そうして彼は全員を船体の中央部へと誘導した。狭い船ではあるが、それでもこれで船縁にいるよりは襲われる危険も減るはずだ。背中合わせになって盾と警棒を構える一団から離れ、少年自身は再び舳先近くへととりつく。
「片桐くん、早く探しなさい」
 無情な指示を背中に、彼は懸命に水面下へと視線を走らせた。
 船の進行方向で、再び水が盛り上がる。手傷を負って警戒したのか、水蛇は全身を現すことをせず、ただヒレの先端のみが水を切った。長い軌跡を後に引きながら、一直線にこちらめがけてつっこんでくる。
 女が引き寄せていた右手を高く掲げた。二本の指を立てたまま、まっすぐに振り下ろす。
 風が鳴った。
 少年の頭上を吹き抜けた風の刃は、水を割り、その下の蛇体をも容赦なく引き裂いてゆく。
 突進が止まり、激しく湖面が泡立った。波の合間から、時折り血に染まった銀鱗がのぞく。それによって生じたうねりは、またも船体を揺らした。繰り返される不規則な揺れに、少年はバランスを崩し、船縁へと取りすがる。その弾みに流れた視線を戻しかけて、しかし彼は慌てて向き直った。
 十時の方向。距離はほとんど ―― なし。
「あった! 志保さんッ」
 ようやく見つけたものを指差しながら、少年は肩越しに操舵室上をふり仰いだ。
「すぐそこ、深さは5mぐらいだ」
 その声に重なり、鈍い衝撃が哨戒艇を襲う。
 半身に冷たい水を浴びた少年は、間近から感じる異質な気配に、ごくりと生唾を飲んだ。錆びついたようにきしむ首を懸命に動かし、すぐ傍らを見やる。
 全身が総毛立った。
 巨大なあぎとが舳先へと喰らいついていた。
 FRP【強化プラスチック】がメキメキと音をたてて変形してゆく。並んだ鋭い牙の先端が、少年の肘先ほんの数センチの位置にあった。
 生臭い鼻息が、硬直した頬に吹きつけられる。ぎらつく黄金色の眼が少年を映し、ぎょろりと動いた。
「う ―― 」
 悲鳴すらあげられずその場に立ちすくむ少年の身体が、そのとき渦巻く風に包み込まれた。局地的なつむじ風にも似たそれは、小柄とはいえ人ひとりを内に捕らえたまま、船体中央へと移動してゆく。よろめきながらも後退させられた少年は、ある程度距離ができたところで、大きく息を吐き背後へ顔を向けた。
「志保、さん」
 その視線の先で、立ち上がった女は両手を伸ばして少年の方へとつき出していた。五指を開いた手のひらを向け、一心に精神を集中している。
 このつむじ風をコントロールしているのは彼女なのだ。
 ひときわ鈍い音が響き、舳先が大きく割れた。
 はっと息を呑み少年が視線を戻す。
 このままでは、小型の哨戒艇などひとたまりもなかった。幾人も乗り組んでいる武装した隊員達は、ただ手をこまねいて立ち尽くしているばかりである。それも無理はなかった。いったいこんな化け物を相手に、盾や警棒ごときでどう対処しろというのか。
 彼らは自然、唯一この場で対抗手段を持っているらしい女へと、懇願の眼差しを向けていた。
 それを受けた女は、ひとつ息を吸うと突き出していた両手をじりじりと上げ始めた。それに伴いつむじ風が強まり ―― そして少年の足が甲板から離れてゆく。
「う、え、あ?」
 宙に浮かび上がった少年は、慌てたようにもがいた。運動靴を履いた足がじたばたと空を蹴る。
「ちょ、待っ……志保さん!?」
 泡を食った声を上げる少年へと、女は冷たく言いわたした。そして無造作にその手を横へ払う。
「さっさと行って、塞いできなさい」
「うそーーーーっっ!?」
 絶叫が流れ、少年の身体は船外へと放り出された。
 ざっぱーん、と妙に現実離れした水音がして、その姿は水面下へと沈んでゆく。

「…………」

 船上には、しばしなんとも言えない沈黙がおりた。
 巨大な水蛇はいまだ舳先へととりつき、その強力な牙と顎とで船体をきしませ続けていたのだが。

「……あ、あのぅ……いいんです、か」
 隊員の一人が、やっとという風情で口をきいた。その周囲では仲間達が、やはり唖然とした面もちで女を見上げている。
 女は片手で顔にかかる髪をかき上げた。
「これが私どもの仕事ですから」
 落ち着き払った口調で断言する。
「はぁ」
 気の抜けた声を返す男達の後ろで、再び船体が音をたてて割れた。


◆  ◇  ◆


「どうやら【歪み】を発見できたみたいだな」
 湖面での戦いから離れること数キロ。岬の突端で湖上を眺めていた青年が、そう言って双眼鏡を下ろした。傍らの人物を見上げ、ほらと差し出す。相手は心得たように受け取って両目に当てた。
「さっき拓也くんが潜ったから、まもなく消えるだろう。そうなればあの程度の【妖物】、若槻さんの敵じゃぁないさ」
 青年は淡々と口にした。
 少年がこれを聞いていたら、潜ったのではなく突き落とされたのだと抗議しただろう。だがこの青年にとって、その程度はことさら気にするべき違いでもないようだ。
「 ―― 【妖物】の動きが鈍くなった。どうやらうまくいったようだ」
 引き続き湖上の戦闘を観察していた男が、状況を報告する。
 青年はうなずいて背後を振り返った。
「悪いけど、誰かタオルと毛布を用意しておいてくれないかな。あと温かいコーヒーでもあると、喜ぶと思うんだけど」
「はっ」
 背後に控えていた一人が、背筋を伸ばして返答した。哨戒艇に乗っていた者達と所属を同じくするらしい隊員は、慌ただしくきびすを返し、少し離れた場所にある仮設テントへと走ってゆく。
 あたりには幾つもの投光器が設置され、その下でスタッフが様々な機材を調整していた。そのどれもが湖上での様子を記録、分析するためのものだ。
「そんなに慌てなくても大丈夫なんだけど」
 今から淹れてたら、コーヒー冷めちゃうぞ。
 ひとりごちて、しかしあえてそれ以上の行動はとらず、青年は再び湖の方へと向き直った。湖面から吹き上がる風が、その不揃いに伸びた髪をなびかせてゆく。黒縁眼鏡の奥で濃い灰色の瞳が細められた。
「まぁ拓也くんには、特別手当ぐらい出してあげてもいいかな」
「計算しておこうか」
「ああ、頼むよ」
 傍らから問いかけてくる事務処理担当者に、特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課第一課課長、真藤まどう陽一は、ごくあっさりとうなずいた。
 学生バイトに出す特別手当など、実際たいした出費ではない。その程度で気持ちよく働いてもらえるのなら、願ったりというところだ。
「なにしろ彼は、貴重な人材だからねえ」
 しみじみとした呟きが夜風に乗る。


◆  ◇  ◆


 波立つ水面からようやく顔を出した少年は、激しく咳き込んで生臭い水を吐き出していた。いまだ波が荒く、油断するとすぐに沈んでしまいそうになる。
 懸命に水を掻く彼の背に、なにかざらざらとしたものがぶつかった。振り返って目にした物体に、少年は思わず声を上げる。慌てて離れようとして水を飲み、そのまま彼は溺れそうになった。
「うぷ……ッ、わっっ!?」
 その後ろに力無く伸びていたのは、銀の鱗に覆われた水蛇の胴体であった。
 波に洗われ揺れているそれからは、既に頭部が失われている。完全に死亡しているのだが、すぐそばで浮いている少年に、それが判るはずもなかった。いや、死んでいると察してはいるのかもしれないが、だからといって平気でいられるものでもないのだろう。
 ばしゃばしゃと派手に水飛沫をあげている彼へと、舳先の歪んだ哨戒艇が近づいてくる。
「おーい、大丈夫か?」
 隊員の一人が、ロープの付いた浮き輪を投げつつ問いかけてきた。
 少年は、あっぷあっぷしながら毒づいている。
「畜生っ、なんだって、俺が、ここまでやんなきゃ、なんだ、よ」
 口を開けば水が入ってくるが、それでも言わずにはいられないらしい。


 彼は、特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課第一課のアルバイト、片桐拓也少年。
 文章にすれば大変長い肩書きを持つこの少年は、日々こういった職務を上司より与えられているのであった ――

(2003/07/23 21:22)
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