銀鈴草の咲く夜に
O-bake様
ここは、ひびきの森といいます。この森の東のはずれでは、くまがオルゴールの店を開いています。くまが手作りするオルゴールは、風変わりですてきな音を出すという話でした。
夏が終わろうとするある日、くまは森の中を歩いていました。
いつもの年なら、すずしくなってもいいころなのに、今年は暑さがたっぷり残っていました。店に来る客も、皆そろってすずしげな音を求めます。気がつくと、夏向きのオルゴールは残りわずかでした。
そこでくまは、すずしい音を出すもと――メロディの種を取るために森の中を歩き回っているのでした。これまでに風の音、水の音など、涼しさを呼ぶ種をいくつか取りましたが、ほかにも用事があって、もう少し森の中を歩くつもりでした。
くまはわき水を見つけて足を止め、水を飲みました。それから近くの岩に腰を下ろしました。このあたりまで来ると、百年以上も生きている大きな木が増えます。幹には苔がびっしりとつき、太い枝とよくしげった葉が太陽の光をさえぎっていました。吹きぬける風はすずしく、草むらで秋の虫がさかんに鳴いていました。やはり秋は来ているのです。
くまは、秋の気配をできるだけ深く感じようとしました。風のにおい、木の葉の色、虫の声、やわらかなひざし……。さまざまなイメージが心に流れ込んできました。すると手のひらに軽く熱を感じて、見てみるとあわい真珠色の粒がありました。これがメロディの種です。これをオルゴールに組みこめば、流れるメロディとともに秋の気配が立ちのぼることでしょう。
今日最後のメロディの種が取れたところで、くまはのびをしました。種を取るたびに少しずつ疲れます。一日にたくさんは取れないのでした。
「種なんかでなはく、いっそこの涼しさを店に持ち帰れたらなあ」
そうつぶやいて立ち上がった時です。かすかに足音が聞こえて、木々のすきまから灰色の影がちらちら見えました。ジクザグに走りながらこちらに向かって来るようです。
うさぎにしてはとび方が違う、など考えながらくまは目をこらし、耳をすましました。するとあっという間に足音が後ろから近づき、よける間もなく何かが背中にぶつかりました。くまは驚いて少しよろけましたものの、しっかり振り返りました。見れば、子供のテンが、思い切り頭をぶつけたらしく、目を回して倒れています。
「君、だいじょうぶかい?」
くまが耳もとで呼びかけると、テンの子はふっと目を開けました。くまの姿に驚いて逃げようとしましたが、まだ頭がぼうっとしていたのか、足もとがふらついて、また倒れてしまいました。
「いたっ」
テンの子は足を押さえています。くまが寄ってくるのを見て、また動き出そうとしました。
「そんなに恐がらなくていいよ。きみを取って食べるわけじゃないんだから」
テンの子が落ち着くのを見はからって、くまは足を見てやりました。くじいたらしく、足首がはれています。
「そこのわき水でしばらく冷やそう」
「そ、そんなに痛くないから水はいらない。あたし、もう帰る!」
しかし、痛みはごまかせません。テンの子は立ち上がりはしましたが、くじいた足をひきずって、いかにも歩きにくそうです。
「そんなに恐く見えるかねぇ……」
くまは苦笑いしつつ、ひょいとテンの子を捕まえて、わき水まで連れてゆきました。彼女は必死でもがいていましたが、はれた足が冷たい水にひたされると、思わず気持ちよさそうな顔になりました。そのとき、水につけたところだけ、灰色だった毛の色がぬけて白くなりました。
「きみ、本当は白いの?」
テンの子はそっぽを向いて答えました。
「だから水はいやだったのに」
***
「……だからそれは止めた方がいいと思うよ」
「どうしても行きたいの!」
家へ帰った方がいいと言うくまにテンの子はなっとくしません。どうしても行きたい場所があると言うのです。
「ケガが治ってからではいけないのかい?」
「どうしても今夜じゃないとダメなの!」
「その足で月美丘まで行くなんて、むりだ」
月美丘というのは、森の奥深くにあって、大変美しい場所だと言われていましたが、道がわかりにくいので訪れる者はめったにいませんでした。
「そう。わかったわ」
テンの子は深く息を吸うと、思い切り叫びました。
「助けてー! くまにおそわれてるのっ!」
その瞬間、森がざわめいたような気がしました。くまはあわててテンの子を抱え上げました。
「わかったよ。とにかく連れて行けばいいんだね」
「うん。でも、おじさんは道を知っているの?」
「まあね。時々出かけるから」
「すごい!」
テンの子はあっという間にきげんを直しました。今度はくまのほうがなっとくいきません。
「そのかわり……」
「ちゃんとお礼はするから」
「お礼はいいよ。どのみち、ぼくもそこに用事があるし。それより、『おじさん』は止めてくれないかな」
「やだ。だって本当におじさんだもん」
「やれやれ」
くまはため息をつきつつ、丘に向かって歩いてゆきました。とんだ拾い物をしたと思いながら。
もう日が暮れようとしています。森は奧に入るほど薄暗く、気をつけないと、時おり土から顔を出している大きな石や木の根に足をとられてしまいますし、迷ってしまいます。くまは慎重に道を選んで歩きました。その肩ではテンの子がきげんよく揺られていました。
あと少しで丘に着くというころ、あたりはすっかり暗やみに包まれてしまいました。
「これ以上進むのは難しいな。月が出るまで待とう」
くまは足を止め、テンの子をそっと下ろしました。あたりはしんと静まりかえって、虫の声が耳につきます。テンの子のケガをした足だけが白く浮かんで見えます。
「あたしの毛だけ白いのはどうしてだろう」
テンの子がつぶやきました。
「白いのがそんなにいやかい?」
「兄さんや姉さんと同じ色がいいに決まってるじゃない! 白って森の中では目立つから、敵に見つかりやすいし、友だちにはからかわれるんだよ」
「だからわざわざ泥をぬって色をつけているのか」
テンの子は大きくうなづき、白く洗われた足を見つめました。
「こんな色、大きらい。こんな色に生まれた私もきらい」
どうしてこの子がこんなにも月美丘に行きたがるのか、くまにはわかった気がしました。
やがて真っ暗だった森に青い影が落ちました。月がのぼって来たのです。東の空に満月がまぶしく輝いていました。
「さあ、行こうか。でも、その前にちょっと寄り道を」
くまは泉に立ち寄りました。渇いたのどをうるおし、テンの子にも飲ませてやりました。それから……。
「何するの!」
テンの子が大騒ぎを始めました。それでもくまは気にせず彼女の体に水をかけて洗います。すると見事な白い毛皮が現れました。
「これから美しいものを見に行くんだ。泥だらけの体では不似合いだと思わないかい? ぼくといっしょなら襲われる心配もないし」
テンの子はふくれっ面で言い返しました。
「おじさんなんか、上から下まで真っ茶色じゃない」
「ぼくのは地毛だからね。これ以上どうしようもないんだ」
くまはさらりと答えて、再びテンの子を肩に乗せました。そして丘の頂上へ向かう坂道を登り始めました。
***
くまが息を切らしながら最後の急な坂を登りきった時、肩に乗っていたテンの子は思わず声をあげました。
「うわあ、すてきなところ!」
丘の上には草地がひらけていました。くまたちの他にも、訪問者がいるようで、彼らは思い思いに歩き回っていました。
くまは、テンの子を草地に下ろして言いました。
「さあ、耳をすましてごらん」
すると虫の声に混じって、鈴が風にゆれるような音がかすかに聞こえてきます。小さな釣りがね型のつぼみをつけた草が、そこかしこに生えているのです。
「この花は、『銀鈴草』。夏の夜、満月が空にのぼると花を咲かせる。『ひびき草』とも言うね。ここでしか育たない特別な花だから、なかなか見るチャンスがないけれど」
テンの子はこっくりとうなづきました。
「ねえ、この花は願いごとを聞いてくれるんだよね」
「確かにそういう話も伝わっている。花開く瞬間に願いことをすればかなうという。だから今日はいつもよりにぎやかだ」
くまはあたりをちらりと見やって答えました。
「あたしの毛の色、変えられるかな」
「やはりそれを願いたいのだね」
「本当のこと言うと、夏が来てから満月のたびにここへ来ようとしていたの。でもいつも道に迷って、今日も最後のチャンスなのにやっぱり迷っちゃった。歩き回るうちに、何かに後をつけられているような気がしてきたの。そしたらとても恐くなって、めちゃめちゃに走った。気がついたら、おじさんにぶつかっていた……」
それからテンの子は小さな声で言い足しました。
「さっきはごめんなさい」
「そんなの気にしなくていもいいよ。それより、願いごとの話だけど……」
とつぜん、くまが言いかけた言葉を切りました。テンの子も顔を上げました。彼らだけではありません。いつしか虫の声も止んで、その場に居合わせた生き物すべてが動きを止めたようです。
まわりの空気が不思議なひびきで満たされていました。空高くのぼった月の光を浴びて、銀鈴草がいっせいに花を開かせたのです。銀鈴草は、つぼみが開く瞬間に鈴をふり鳴らすような音を出します。今、あたりは鈴の音にあふれていました。ひとつ、またひとつ。鈴の音がいくつも重なり合ってひびき、そのたびにあわい光をふりまいて銀鈴草が花開くのでした。
テンの子とくまは、身じろぎひとつしませんでした。彼らに見えたのは、銀色に輝く花畑。聞こえてきたのは、花が奏でる生命のメロディ。
花が一通り開き終わると、あたりはしばらく静けさに包まれました。くまもテンの子も言葉が出ませんでした。
しばらくして、テンの子がようやく口を開きました。
「これ……。こんなに神秘的できれいな花、生まれて初めて見るよ。それから、あの不思議な音も!」
「そうだね。銀鈴草が咲くときにひびくあの音色が『ひびきの森』という名前の由来なんだ」
「そうだったの? 今まで知らなかった! でも、こんなにすてきな風景に出会ったら、あたしの願いごとなんて、すごくつまらない気がしてきちゃった」
くまは笑って答えました。
「それなら、本物の願いではなかったかもしれないね。でもほら、君の体を見てごらん」
見ると、テンの子の体は、月の光と銀鈴草の花が放つほのかな光に照らされて、銀色に輝いています。
「うわあ、きれい……。本当に体の色が変わってしまったみたい」
「そこまできれいな銀色に染まるのは、君の体が真っ白なせいだよ」
テンの子は、はっとくまを見上げました。
「今でも、君の白い毛がきらいかい?」
テンの子は首を横にふりました。
「前よりは好きになれた気がする。明日になったら、やっぱり泥で色をつけると思うけど」
「身を守るためには仕方ないね。でも、雪が積もる季節になったらその必要はないよ。堂々と雪の原を歩けばいい」
「うん。そうする」
しばらくテンの子は銀鈴草の間を散歩しました。痛めている足をかばいながら、ゆっくりと。
***
「そろそろ、帰ろうか」
くまはテンの子を肩に乗せました。帰る道すがら、テンの子はくまに問いかけました。
「あの花には、願いごとをかなえる力が本当にあるのかな」
「どうなんだろうね」
くまはわずかに肩をすくめました。テンの子が落ちないくらいに。
「花は――どれでもそうだけど、いつどのように咲くかという仕組みをもともと持っていて、その通りに咲くだけだ。ぼくらのことなどおかまいなしにね」
「うん」
「その花に神秘を感じ、願いをかける心もまた不思議だと、そう思わないかい?」
「うん……」
「本当に願いをかなえる力は、願う心そのものにあるのではないかと思うよ」
こんどは返事がありません。
くまがふり向くと、テンの子は気持ちよさそうに寝息をたてていました。毛なみが月の光に美しく照らし出されています。
「やれやれ、眠ってしまったんだな」
すると、テンの子は寝言のようにつぶやきました。
「……おじさん、ありがとう」
くまは足を止めました。
「今晩は銀鈴草が見られれば、それだけで良かったんだ。でも」
月に向けて片手をのばし、くまは本当に今日最後のメロディの種を取りました。その色は真珠というよりも、月明かりを浴びて輝く白い毛なみと同じ色でした。
終わり
このお話は、私がO-bakeさんのサイト『Sweet Little Ghostの屋敷(閉鎖)』様で7778ヒットを踏んでリクエストさせていただいたものです。
ぴったりな方がいらっしゃらなかったという棚ぼたでゲットした前後賞にてリクエストさせていただいたのは、「植物の出てくる読後感の幸せなお話」というものでした。
本当に、降り注ぐ月光の蒼さや鳴り響く鈴の音、草原を揺らす風の感触すら感じ取れるような、とても美しいお話です……(嘆息)
O-bake様、素敵なお話を本当にありがとうございました<( _ _ )>
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