スノードロップ
 
 
 

骨董屋『風鈴草』は、じつに気まぐれな店である。
第一に、定休日がない。むしろ、営業日がきちんと決まっていない。
つまり、店の前まで行ってみないと、開いているのかいないのかさえわからないのである。
開店時間も決まっていない。お昼をまわって暫らくしないと、この店は動き出さない。
ただ、閉店時間だけはきちんと決められていた。
午後4時までには店を閉める。
否。
午後4時までには、である。きちんと決められている、という表現はおかしい。
午後4時に店が閉まっていればいいのだから、閉店は、4時でも3時でも、2時でもかまわないのだ。
この店の主人である男が云うには、午後4時、つまり夕暮れ時からの時間を『逢魔が刻』といい、この世と他界の境目が、じつに曖昧になるのだそうだ。だから、その時間に逢う人や、その時間に訪ねてくるお客には、気をつけなさい、と云う。もしかしたら、人の形をした、あやかしかもしれないから。
この、骨董屋『風鈴草』の主人は、非常に変わった人物であり、『物の声』が聞こえると云う。それが本当なのかどうかは、本人にしかわからない。
結局は『風鈴草』が気まぐれなのではなく、主人の早川椿が気まぐれなのだ。
しかし。
椿さんの変人ぶりや気まぐれには、もう十分慣れている。
住み込みで働き、一応『店番』という名目になっているものの、結局店が開いていないときの僕の仕事は、『家事』だということにも。なんの抵抗も無くなってしまった。
「それはそれで、問題なんだけど」
僕はふと空を見上げ、それから慌てて歩みを速めた。
「あ……日が暮れてしまう」
冬の夕暮れは早い。夕暮れ時には外出しない、という椿さんの習慣が、いつのまにか僕にまで染み付いてしまったらしい。
夕飯の材料のつまったビニル袋を持ちなおした、その時。
空き地で佇む、紅い影が見えた。
「女の子……?」
刺々しい針金でぐるぐるに囲まれた空き地の真ん中で。
寒空の下、ひとりのちいさな少女が佇んでいる。
どうして、こんなところに?
所々、針金が折れたり途切れたりしているから、そこから空き地に入ったのだろうけど。
「……あの。何、してるの?」
声をかけると、その子はゆっくりと振り返った。
黒い髪がおかっぱで、同じく漆黒の黒い瞳は大きく、筆で描いたように整った眉と、ちょこんと飾りのようについている唇が可愛らしかった。
日本人形のようだ。
そして、その顔と対照的な真っ赤な毛糸のケープ。同じく赤いスカート。赤いエナメルの靴。
酷く、抽象的で、幻想的なその姿は、しかし、とても彼女の顔を引き立たせていた。
「雪」
ようやく、少女がくちを開いた。
「……雪?」
思わず、同じ言葉で返すと、再び少女が云った。
「雪がね。降るの、待ってるの」
「……あの」
「雪、早く降らないかなぁ」
「……えっと。……その、今日は」
降らないと思うよ、この気温では、まだ。
僕は、なんとなく、その言葉が云えなかった。
少女の目は、とても真剣だった。
「雪が降ったらねって、約束してくれたの」
「約束……?」
「うん。雪が降ったらね、また、ちっちゃいときみたいに、雪遊びしてくれるって!」
そういうと、彼女は、無邪気に笑った。

翌日も、彼女はそこに居た。
「こんにちは」
声をかけると、無邪気な笑顔を返される。
雪が降ったら一緒に遊んでくれるのって、誰なんだろう?
ふとそんな疑問が思い浮かんだ。
すると彼女は、まるで僕の心を読んだかのように、答えた。
「お兄ちゃん」
お兄ちゃん、か。
「あとね、あとね、もうひとりのあたし。あたしのかたっぽ。でも」
あたしの、かたっぽ?
「……迎えに、来てくれるかな……」

その日から、そこを通るたびに彼女を見かけた。
彼女はずっとその空き地で、赤い毛糸の服で、雪が降るのを待っているようだった。
家族は、どうしているのだろう。彼女がここでこうして、雪を待っているのを、知っているのだろうか。

「……聞いてますか椿さん」
「え? 何?」
あれから数日たった日の午後。今日も店を開けなかった椿さんに、僕はなんとなく、あの女の子を話をしようと思って声をかけたのだが。
ここ数日、どこかぼんやりとしている椿さんは、やはり今日もぼんやりとしていて、僕の話など、まったく聞いていない。
「どうかしたんですか? この間から、ずっと考え事ですか」
仕方なく、僕は自分の話を諦め、他にすることもないのでお茶を煎れる。
急須に熱湯をそそぐと、緑茶の良い香りがたちのぼった。
「うん……それがね」
湯飲みを受け取ると、まだそれにはくちを付けず、香りを楽しみながら椿さんは云った。
「てぶくろを、どこかで落としてしまったみたいでね」
「てぶくろを?」
僕は、自分の為の紅茶をいれながら聞き返す。
「うん。この間、子供の頃に使っていたてぶくろをみつけてね。もう、ちいさくてとてもはめられないんだけど、なんだか懐かしくてね」
「はぁ」
「それをね。袂に入れたまま散歩に行って、帰ってきたら、片方見つからないんだ」
椿さんは、いつも藍色の和服姿だ。勿論、外出するときも、である。
「約束をね、したんだけれど」
「……約束?」
「雪が降ったら、また、ちいさいときみたいに、一緒に雪遊びをしようってね」
「雪が……?」
「そう。僕と、あの子たちと。もちろん、さつきと。みんなで遊ぼうって」
一瞬。
眩暈に似た感覚に襲われた。
椿さんの『約束』は。
まるで。
『あたしの、かたっぽ』
「……椿さん」
「なんだい?」
「その、てぶくろって」
赤い毛糸のケープ。赤いスカート。赤い、エナメルの……靴。あの少女が身に纏っていたもの全てを思い描きながら、僕は云った。
「その、てぶくろって。赤い……毛糸の?」
「なんで知ってるの?」
 まさか。でも。
なにかに弾かれたみたいに、僕は立ち上がると、無言で玄関へ向かった。
「さつき?」
椿さんが慌てて追いかけてくる。
僕は、そこにあったサンダルをひっかけると、一目散に走り出した。
あの、空き地へ。

空き地へつくと、途切れた針金の隙間から、身体を滑り込ませた。
彼女が立っていたのは、どこだった?
いつも、真ん中で佇んでいた筈だ。。
今日は、彼女の姿は見えない。
いつも彼女がたっている辺りは、一面に、白い花が咲いていた。
……とても、人が立てる場所ではなかった。踏み荒されてもいない。
僕は、地面に顔をくっけるようにして、その花の隙間を覗いた。
「……あった」
白い花の間に、赤い毛糸のてぶくろが。
『居た』
「……それ」
何時の間にか、僕の後ろには椿さんが立っていた。
慌てて僕のを追いかけてきたのだろう。少し息が乱れているのが、なんだか椿さんらしくなくて、こんな状態で笑いたくなった。
「さつきが、見つけてくれたんだね」
「……いえ」
僕は、てぶくろを椿さんに渡しながら云った。
「彼女が、僕を見つけてくれたんです」
あの女の子が、本当にこのてぶくろだったと。
信じているわけではない。
でも。
こんなに素敵なあやかしだったら。
信じてもいいと思った。
「散歩のとき」
僕は云う。
「この花が綺麗だったから、ここまで入って来て、ここでしゃがんだんじゃないですか?」
「……そう、その通りだね」
「椿さん」
「なんだい?」
僕は、少しだけ黙った。
 云いたいことがあったようにも思ったが、なにも無かったようにも、思えた。
 ふいに、椿さんが云った。
「この花の名前、『待雪草』と云うんだよ」
 雪を待つ?
「スノードロップとも云うね」
 あの少女が。
 現実だったのか、てぶくろだったのか、それとも花が見せた幻だったのか。
 ……僕は、よくわからなくなってしまった。
 けれども。
 赤いてぶくろをそっと両手で持ち、嬉しそうにしている椿さんを見ていたら。
 そんなこと、どうでもよくなってしまった。

「椿さん。雪。早く降るといいですね」
「まだ11月だからね。彼女たちには、もう少し我慢してもらうさ」
 それに。
「雪が降らなくても、遊んであげるよ。迷子にしてしまった、お詫びにね」
 そう云うと、椿さんは。
 てぶくろを、懐に仕舞った。
「もう、落とさないでくださいね」
 僕の言葉に、椿さんは困ったように、少しだけ笑った。



いつもチャットでお世話になっているりらさんより戴きましたvv
りらさんのサイトで掲載されている、「風鈴草シリーズ」のSSです。
「ちょっと変わった骨董屋『風鈴草』で起きる、少しだけ不思議な物語」とのことでして。もう私はこのシリーズ大好きなんですよ!どのお話もシンプルなのに、じーんと胸に染みいるものがあります。

このシリーズが置かれている、りらさんのサイト→『幻想の羽根』(※閉鎖されました)


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