魔術師と有形力 ── one delight fever 2  



 薬草園は城の敷地の端にあり、乾いたタオルのあるリネン室は城の本宮にあり、つまり道程は遙か遠く。初夏の太陽はさんさんと降り注ぐのですが、いかんせんかなり高緯度にある国ですから、吹き渡る風は乾いてさわやか。有り体に言えば、濡れ鼠なこの状況下では、体温はガンガンに奪われて、
「……寒いっ」
 ロウウェンは大げさに身を震わせました。
「夏とはいえ、ここまでずぶぬれだと寒いっ寒すぎるっっ」
 隣を足早に歩くアレクシアは、何も言いません。それでも寒いのは同じらしく、唇が僅かに震えています。
「アレクシアっ」
 呼ばれたアレクシアは、億劫そうにロウウェンを見上げました。
「さあ、僕の胸に飛び込んでおいで!」
 ……飛び込んできたのは、アレクシアの拳だけでした。
 胸を押さえむせる魔術師様を見下ろすアレクシアの目は、本気で怒っているようでした。
「本気でカゼ引きそうなんだけど!? この状況でよく言えたものだね!?」
「いや、だから、風邪引かせるわけにはいかないな、と……」
「……で?」
「暖めてあげようかと」
「いるか!!」
 びすっ
「だいたい、反省してる!? 反省してのその態度!?」
 ちゅいん
「ま、ま、ま、……そ、そんなに揺、すらな、くても……!」
 がつっ
「毎回毎回毎回! 何で君の魔法ってヤツはこんなに奇妙で迷惑なんだよ!?」
 がすがすっ
「それは誤解だよ。迷惑をかけようと思ってしたことなど、一度もないんだよ」
 きぃんっ
「……確信してのことなら、今この場で消し去る!」
 だいぶ本気の目に、ロウウェンは降参の両手を挙げました。
「わかった。ものすごい反省……するのは後にして、」
「後!?」
「っていうかさ、さっきからしてるこの奇妙な音、なんだと思う?」
「……は?」
 一瞬止まった二人の顔の間を、何か小さなものが高速で通り過ぎました。
 ちゅいん びしっ
 城の壁に、小さな緑色の何かが叩き付けられています。……いくつも。たいがいは潰れて煉瓦に張り付いているだけですが、明らかにめり込んでいるものもあります。
 二人は、ゆっくりと首を巡らしました。
 自分たちを挟んで壁の反対側に、奇妙なものがありました。植物、に、見えます。でも普通の植物はあんなに茎がくねくねしないだろうし、茎の先に頭のような実も付いていないだろうし、なにより、口のような合わせ目から『ふぅ』なんてニヒルに白い煙を吐いたりもしないでしょう。
 どう考えても、それは、『あり得ないモノ』でした。
「……なに、あれ」
 アレクシアはその植物もどきから目を離さずにつぶやきます。
「さぁ、なんだと思う?」
 ロウウェンも、植物もどきから目が離せませんでした。
「マメ、かな?」
「マメ……成るほど、一番近いかもね」
「たださ、マメは普通、生きてないよね」
「その言い方は語弊があるが、確かにそうだね」
 その、マメもどきの口の端が、ニヤリと、持ち上がりました。
「マメ、笑ったよ」
「嗤ったな」
 マメが、すうぅっと、息を吸い込みました。
「……なんか、ヤバ!」
 ロウウェンはアレクシアの手を掴み、駆け出しました。追いすがるように、マメが口からマメを発射します。
 ずだむだむだむだむだむだむ!
 城の壁に点々と緑の痕が。
「何なのアレ!? 君の仕業!?」
「そこ、勝手に僕の所為にしない! とにかく、少し離れて様子を……」
 ロウウェンの足が急停止しました。たまらず、アレクシアはその背にぶつかります。
「……なんで急に止まんの?」
 鼻を押さえつつ背中から顔を出したアレクシアは、凍り付きました。
 目の前に、マメもどき達がいました。達です。複数です。ってか、いっぱいです。みんなして、ニヒルに嗤っています。
 ロウウェンが首をねじ曲げるように、アレクシアを振り返りました。そのほほが、ひくひくと引きつっています。
 すうぅっ
 マメもどき達が、一斉に息を吸い込みました。
「……!!」
 ロウウェンとアレクシアは、同時に木の影に飛び込みました。
 ががががががががががががが!
 太い木の幹ががくがく揺れます。
「何これ何これ、どうなってんの〜!?」
 頭を抱えてしゃがみ込むアレクシアの目には、うっすら涙が浮かんでいます。
「いやぁ……なんだろうね。突然変異かな」
 ぐわしっと、ロウウェンはアレクシアに襟首を掴まれました。かっくんかっくん揺すられます。
「ちょっと本当に君の仕業じゃないの!? さっき降らせた雨の影響とか!」
「雨は雨だって。いいから落ち着いて。確かに、あの雨には魔法の余波が残っていたと思う。それは否定しない。だが! 魔法の余波が残っていたぐらいで生態系に突然変異を引き起こしたりはしない! 君が思う以上に、生命は力強い。僕如きの魔力で、生命を変化させるなんて、まず不可能だ」
 きりっと引き締まった表情は、先ほどまでとはまるで別人。
「しかし、今は原因を探るより、この現状を何とかする方が先だ」
「ど……どうするの?」
「こうする」
 ロウウェンはタクトを構え、木立の影からスナイパーのようにトリガーを引く。炎の魔力が織り込まれた魔法は、マメの一つに着弾し、燃え上がる。
「……やったっ」
「お見事なのです」
「ふっふっふ。確かに意表は突かれたけれど、マメ如きにこの僕が後れをとるはずがない」
 ロウウェンは得意げに笑い、再びマメにタクトを構え、……構え、……。
 たらりと、冷や汗が伝いました。
「ロウウェン……? その、タクトは……?」
 問うアレクシアのほほにも、汗が一筋伝っています。
 いかにも脳天気な声が答えました。
「あ〜、タクト、マメが持っていっちゃってるです。蔓を伸ばすコもいるのですね」
 二人同時にマメを向けば、マメ達のど真ん中で一本の蔓がタクトを絡めています。マメ達がはやし立てるように空に向けてマメを発射しています。どうにも、シュールな光景です。
「……あれで、魔法を構築すると、理解したんだね。なかなか頭いいよ」
 アレクシアは再びロウウェンの襟首を掴んでカクカクと揺すります。
「君がバカなんじゃないの!? いや、バカだよね!? よりによってタクトを……! これじゃ魔法が……いや、大丈夫だよね? 仮にも宮廷魔術師なんだし、タクトなくても、魔法くらい使えるよね!? よね!?」
「まぁまぁ落ち着いて。確かに、タクトがなくとも魔法は使える。ただ、」
 ロウウェンはぴしっとマメの辺りを指さしました。
「あの辺一帯消し炭になる」
「消し……!?」
 ロウウェンはまたまたきゅうっとアレクシアに襟首を掴まれ締め上げられます。
「何で消すの!? マメだけ焼けばいいじゃないか、さっきみたいに!」
「それができれば、タクトなんてものはそもそも必要ない。呪文を唱えて魔法を構築することはもちろん可能だが、詠唱は長いし、細かい調整はきかないし。これに対しタクトは直接魔力を操ることができるから、素早く且つ繊細な魔法を構築することができる」
 ロウウェンは襟首からアレクシアの手をそっと外しました。
「たとえるなら、君が普段手を使うところ、両手にフライパンを持ってハンバーグを作るようなものなんだ。それって、普段通りに作れると思う?」
「何でフライパン!?」
「それぐらい、おおざっぱになるって事」
 アレクシアはまたも頭を抱えました。
「じゃぁどうすんだよ〜枯れるまで待つの〜?」
「枯れるまでですか。確かに、あと4月もすれば雪が降りますから、そうしたら枯れるかも、ですね」
「イヤだよ、4月もの間マメマメ団におびえるのは〜」
「マメマメ団。はっはっは、なかなかユニークなネーミングだね」
「笑ってる場合!?」
「そぅですよ、ロウウェン様。マメマメ団、ここだけじゃないのですから。あちこちで狙われてしまいますです」
「あちこち? それはやっかいな…………ん!?」
 ここに来てようやく、ロウウェンもアレクシアも、自分たち以外の第三者が会話に加わっていることに気付いたようです。辺りを見回し、少し離れた隣の木立に城のメイドさんが一人避難しているのを見つけました。
 クセのある髪を緩く三つ編みにした、白いエプロンドレスも眩しい、めがねが愛嬌を添えるメイドさんです。にこにこと、童女のように笑っています。
「レイリーさん? いつからそこに?」
「最初からいたのですよ。気付いてくれないなんて、ちょっぴり淋しいかも、です。アレクシアもロウウェン様も、お互いのことしか目に入らないのだから、仕方ないのですけど」
「その言い方は……ちょっと……」
「それよりメイド、あっちこっちって言ったな。このマメ、どこまで発生してるんだ?」
 何やら偉そうなロウウェンの言葉に、レイリーは困ったように首をかしげました。
「どこまで……そぅですね、奥庭を中心に、……花の庭園くらいまでは広がってるみたいなのです」
 花の庭園は賓客を通すための離宮や四阿などがある、コーリン城のメイン庭園です。でもって、レイリーの言葉が本当なら、このマメマメ団はコーリン城の敷地の3分の1を勢力下に置いたことになります。
「さすがに厄介だな……」
「ロウウェン……何とかならないの?」
「ふむ……城の敷地を焼け野原にしていいならすぐにでも取りかかれるが……」
「だめだって」
「となると、タクトを取り返すか、代わりを用意するか、だな」
「代わり? 何でもいいの?」
「何でもいいなんて、一言も言ってないよ? そうだね、形状にも因るけど、魔力を帯びた金・銀製品が理想かな」
「魔力?」
「そう。魔法のペンとか、魔法の杖とか、んん、魔法剣もありかな」
「いやいやいやいや! 簡単に言うけど、ないし! 銀の杖とか、金の剣とか、そもそもないし、しかも魔力を帯びたて!」
「そうそう。だからタクトは貴重なんだ」
「そんな貴重なもの、簡単に盗られるな〜!」
 アレクシアはきっと隣の木をにらみました。
「レイリーさんっ さっきから何笑ってるんですかっ」
「ご、ごめんなさいです。あんまり二人が仲良しさんなものだから、嬉しくって」
「嬉しいって……なぜってか、どこを見て仲良し?」
「それより、私、その魔法の品に、心当たりがあるのですよ」
 めがねのメイドさんは、事も無げに言ってのけます。目を丸くして言葉を失った二人に、レイリーはこくりと首をかしげて笑います。
「礼拝堂なのです。儀式用の、“シェイの神剣”と“女神の弓”です。実際魔力がこもってるかどうかは分からないのですけど、でも、御利益はありそうかも、なのです」
 ロウウェンは、ぽん、と手を打ちました。
「成るほど。試してみる価値はあり、だな」
 そう言って一歩踏みだし、慌ててまたしゃがみます。一斉掃射されたマメがびしばしと辺りに着弾します。
「……恐るべし、マメマメ団!」
「そんな〜〜!」
 隣の木で、レイリーが笑いこけています。ロウウェンは見た目とか性格とかはアレですが、宮廷魔術師という肩書きは実はこれでなかなか価値があるのです。魔法を扱う才能のあるものは世界にも数少なく、いっぱしの魔術師になれるものはさらに僅かで。そんな貴重な魔術師様ですから、爵位こそないものの、ロウウェンはお貴族様並の待遇を受けているのです。異邦のキッチンスタッフにため口きかれ、めがねのメイドさんに笑われちゃっていますけど、本当はとってもすごい人なのです。
「笑うなめがねメイド!」
「す、すみませんです〜アレクシア、これを使うといいのです」
 レイリーはどこからともなく大きなフライパンを出してきました。草の上をアレクシアの方まで滑らせます。
「フライパン!? どこから出したんですか!?」
「ふふ。こんな事もあろうかと用意しておいたのです」
 アレクシアの問いに、ビミョーにずれた答が返ります。
「で、……これでどうしろと?」
「当然、相手はマメなのですからっ」




 離宮から城へ戻る道すがら、ロウウェンは隣を歩く国王に問いました。
「あの屍、影が見つけたのか」
「……なんだそりゃ。意味分かんねぇよ」
 眠いからなのか何なのか、スオーラの返事は素っ気ないものです。
「影は影だ。それ以上の説明がいるか?」
「いや……いらねぇけどよ。何でそう思うんだ?」
「そりゃ、スオーラなんかが隠された屍を見つけ出して直後に処理するだなんてそんなソツのないことするとは思えないからな」
「ああ……うん、確かにな、って、すんげ無礼なこと言ってねぇか?」
「で、答えは?」
「…………正解だ」
 スオーラは深く息を吐き出しました。
「それ、ここだけの話にしろよ?」
「わかってる」
「影は怖ぇぞ」
「そうなのか?」
「そりゃもう。死んだことすら気付かないほど静かに殺るぞ、アレは。俺だって、資格なしと見なされたらいつそうなるか」
「……了解、気をつけよう」
 ふと、暗がりでスオーラが足を止めました。ロウウェンも自然と止まります。
 闇の中から、スオーラの声。
「お前の意見を聞きたい。あの屍、魔術的なものが関わってると思うか?」
 ロウウェンは闇に向き直り、ふっと、息を吐き出します。
「思う。痕跡がきれいに消されてるから、何の、どんな魔術が使われたか調べるのは困難だが、何かが使われていることは疑いようがないな」
「やっぱりそうか……杞憂ならと思ったけどな」
 また、ため息をつく気配。
「ロウウェン、お前がここに来て、2年とちょっとか」
「……そうだな」
「初の大仕事だな」
「大事になると思うか?」
「俺じゃねぇ、影のカンだ。ヤツのカンは良く当たる」
 憂鬱そうな、声。ロウウェンもため息をついていました。ため息は伝染するようです。
「……調査は明日からだ。午前中は文献を調べて、午後は……どういう対応をするにしろ、まずは材料を集めないとな」
「一応、期待してるからな」
「一応は余計だ」
 ロウウェンは言い捨てるように背を向け、歩き出しました。国王が足を止めたあの暗がりには、きっと、闇より昏い“影”が、潜んでいるのだろうから。




 ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱんっっ
 構えたフライパンに、景気よく掃射されたマメが弾けます。アレクシアは勢いよくフライパンを振り、張り付いたマメを払い落とします。
 開放的な渡り廊下は、マメに撃たれたもの達が累々とのびています。殺傷力がないのが、せめてもの救いです。
 ロウウェンとアレクシアは間を縫うように走り抜けていました。道徳的な理由で避けているわけではありません。踏めば足を取られる、体勢を崩せばマメの餌食になる。
 大きなフライパンは、アレクシアの手の中で見事な盾になりました。相手はなんと言ってもマメですから、食材ですから、料理人の意地にかけて手に負えない、などとは言えないのです。
 渡り廊下を抜け、ひんやりした城内に飛び込んだところで、二人は一息つきました。アレクシアは暑そうに手で顔を仰いだりする程度ですが、ロウウェンなどは肩で息をし、今にもへばってしまいそうです。
「ロウウェン、君、体力なさ過ぎ。奇妙な実験ばっかりしてないでさ、少しは動いた方がいいよ?」
「ご……ご忠告痛み入る……」
 ロウウェンはどうにか顔を上げます。
「はぁ……しかし、遠いな……」
 今向かっている礼拝堂は城の敷地のほぼ中程、南東寄りにあります。二人がいた薬草園は、北の外れも外れ、森を無理矢理切りひらいた場所にありました。つまりは、遠い。遠路はるばると言いたいところです。魔術師サマ的には。しかも、マメマメ団のいる場所を通る時には、全力疾走をしなければならないのです。疲労困憊です。
 さあ、とアレクシアが言います。
「行こう。もう少しだよ」
「はぁ……そうだね……」
 ため息をつきながら、のろのろとアレクシアに続きます。
「……ところでさ。その、シェイの神剣って、何?」
「ん? ……そうか、知らないか」
「う……ごめん」
「何で謝るの? 常に話題に上るような品でなし、知らないのも無理ないよ。シェイの神剣ってのは、んん……シェイに捧げられた剣ってだけで、特に曰くはなかったと思うけど」
「……シェイって誰? 聖人か何か?」
「シェイは、コーリンで一番信仰されてる、最も新しい神だよ。でもって、コーリンの建国者」
「建国者……初代の王様?」
「そうそう。コーリン建国以前は、ファンロウって王国があったんだけどね、末期は地方都市や領主貴族達が幅を効かせていて、国が国として機能していない状態だったらしいんだよ。加えて、ある事件で国力が極端に弱体化して、そこを大陸の強国に目をつけられてね、ガンガンに攻められたようだよ」
「攻められた? 戦争が起こったってこと?」
「うん。今もそうだけどさ、島国ってのは、競合相手が少ない分、大陸諸国とは比べものにならないくらい遅れてるんだ。何かとね。……1年前、君もこの国に来てそう感じなかった? 常識で考えて、到底かなう相手じゃなかったんだけどさ、どこからともなく現れたシェイという若者が、エニィという女神と共に、諸侯をまとめて大軍を追っ払ってしまったんだ。その功績をたたえて、ファンロウ国王を廃して、新たにコーリン国王として着任、死後、神に仕立てられたと言うわけさ」
「へぇ……大国に勝ったんだ。すごい人だ」
「勝ったわけじゃ。ただ、負けなかっただけだよ」
「それでもすごいって。コーリンの人もそう思ったからこそ、王様を神にしちゃったんだろ?」
「ぁぁ……うん、そうか、そうだね」
「女神様は?」
「うん?」
「女神様は、どうしたの? っていうか、本当に女神様が現れたの?」
「んん〜、それは謎。本物のチカラを持った神だったのか、単なる象徴だったのか。シェイの傍に女性がいたことは確かなようだけど。シェイが国王就任した頃から、公文書に全く記述がないんだよね。歴史家達の間でも、扱いを決めかねてて……」
 ロウウェンは足を止めました。目の前には、また渡り廊下。目指す礼拝堂は、渡り廊下の途中から二の庭園へ出て行った先にあります。
 メイドのレイリーに因れば、マメマメ団が幅をきかせているのは花の庭園までで、その先にある二の庭園まではいないと言うことですが。
 壁に身を寄せ、そうっと覗き見ます。……見える範囲に、マメマメ団はいないようです。
 ロウウェンは胸をなで下ろしました。
「よかった……もう走らずに済む」
「何というか……結構、情けないこと言うね」
 何気ないアレクシアの感想に、魔術師殿はぺこりと凹みましたが、言った当本人は気付かなかったようでした。




 死体のように見せかける魔法。仮死状態になる魔法。
 その方法は、複数ありました。文献を調べ、めぼしいものをピックアップ。それでも、方法は二桁に上りました。仮死状態になることが目的でない魔法も含まれるからです。生命維持活動を極限まで下げ、身体の状態悪化を止めるものや、同様にして魔力を高めるもの、精神集中の過程としての仮死状態もありました。
 どの力が働いているのか、今のところは不明です。残念ながら、それを調べる方法もありません。魔法の構築途中や発動時なら魔力の構成具合から推定も可能ですが、現在の屍の状態は、そのどちらでもありませんから、術式を見破ることは不可能なのです。
 従って、その後どのような状況になろうとも、即時対応可能な方法を考えておかねばならないのです。
 ロウウェンはイスに腰掛け目を閉じていました。時々まぶたがひくひくと痙攣しています。丸テーブルには、大量の本が積み上げられています。ロウウェンは目頭の辺りをつまむように揉みました。
「……ともあれ、」
 ため息と共に、誰に聞かせるでもない、やけに不明瞭な言葉がこぼれます。
「推測だけでは、可能性すら……あらゆる状況に効く万能魔法なんて……あるわけが」
 積まれた本の上に乗せていたマグカップに手を伸ばし、冷め切った茶を一口。冷めているだけでなく、ホコリまで入っていたようで、ロウウェンは顔をしかめてカップを置きました。
「あらゆる状況に効く……どんな魔法でも無効にする……」
 ぶつぶつ言いながら、手近な本をぱらぱらとめくります。しかしそれもため息と共に放り投げてしまいます。
「……発動を防ぐのが一番いい訳だが……」
 またしても、ため息。朝からずっと、出てくるのは愚痴とため息ばかりです。魔法の発動を未然に防ぐ魔法。そんな魔法が考案されていたら、魔術師達の仕事はだいぶ変革を迫られることになりそうです。残念ながら、未だ考案されていません。
 ロウウェンは本に埋もれていた紙切れを引っ張り出し、やはり本に埋もれていたペンを発掘しました。見るからにやる気のなさそうな表情のまま、何やら紙に書き付けていきます。それはロウウェン独自の魔法理論。数式のようでもあり、記号のようでもあり、間にはさまれる言語は、コーリン語でも大陸で使われる共通語でもありません。
 魔術言語と呼ばれる、古い古い言語です。魔術言語とは、便宜的にそう呼ばれているだけで、実際は何という言語で、いつの時代、どこで使われていたのか、誰も知りません。世界に数少ない魔術師達だけの間で使用され、一般人には、それが魔術言語であると、気付くことさえ叶わないでしょう。
 書き付けては消し、また書き付け。紙はムダに黒くなっていきます。それでもどうにかいくつかの理論を書き上げ、しばし見つめます。その理論に欠陥がないか、理論同士に矛盾は生じていないか。
 しかし、理論を積み上げたところで、
 理論は理論。
 ロウウェンはそう結論づけ、腰を上げました。
「まぁ……とりあえず……薬草を集めておくか……」
 向かう先は、薬草園。




 礼拝堂は、週末の礼拝時以外はひっそりと静かなものです。神官長のツァイも、その静寂に負けぬほど静かに過ごしています。長、なんて付いていますが、町の教会から派遣してもらっているのはツァイ一人だけです。清掃やその他の雑用は、城のメイドが専門で付いています。
 礼拝堂の裏手にある事務室で、ツァイは黙々と教典の勉強をしていました。人の話し声が、その耳に届きます。誰か礼拝に来たのかと、ツァイは教典を閉じ、部屋を出ました。
 だめだってば、それはまずいって!
 そんな声が、聞こえました。なにか、よからぬ事のようで、ツァイは急いで礼拝堂の扉を開けました。
 説卓の後ろ、正面入り口から入って最奥に、シェイの神像があるのですが、不遜にも、台座に足かけ登ろうとしている輩がいます。その輩を止めようとしている金髪の異邦人。そしてこちらを振り向いた輩は……
 事もあろうに、宮廷魔術師殿です。大臣連中でさえおいそれと手の出せない、国の重要文化財です。
 ツァイはぽっかりと開いていた口を慌てて閉じました。
「あの、宮廷魔術師殿……何を、なさっておられるのですか?」
 冷酷そうな美貌に思わずふるえが来ます。その彼が、口を開き、
「剣貸してくれ」
「……は?」
 ロウウェンは台座から飛び降りました。
「この像が持ってるのがそうかと思ったが、全然違った」
「……はぁ、何が……」
「シェイの神剣。ここはまだ何ともないが、奥の方行ったら、マメマメ団が幅効かせて大変なんだ。だから、貸してくれ」
「ははぁ……?」
「ロウウェン、説明になってないよ」
 混乱するツァイに助け船を出したのは、異邦のキッチンスタッフでした。
「すみません。簡単に言うと、危険な植物を駆除するのに魔法を使わないといけないんですけど、魔法を構築するのに必要なタクトを盗られてしまって、代わりを捜しているんです。ここの神様の剣が使えるかも知れないと思って、すみませんが、貸してもらえませんか?」
 そう言われて簡単に渡せるものなら神剣などとは呼ばないでしょう。もちろん、ツァイも即答できません。
「し、しかし……あれは宝剣でして、その、貸せと申されましても……」
「いいから、早く。文句は後で聞く。……スオーラが」
 国王の名まで出して脅されちゃったら、もう従うより他ありません。ツァイは渋々保管庫からシェイの剣を持ってきました。
 桐製の木箱のふたを開くと、真っ白な布に包まれた銀の剣が姿を見せました。刀身も柄もひと続きの銀でできており、なめらかな表面には繊細な模様が描かれています。細身の刀身に、刃は付いていません。
 ロウウェンは何の遠慮もなしに、がっつりと柄を掴みます。間近で見るツァイはもちろん、アレクシアでさえ、冷や汗ものです。
「あ、あの、魔術師殿、宝剣ゆえ、取扱は十分に注意していただきたく……!」
「そうだよロウウェン、丁寧にしないと、傷が……!」
 ロウウェンはちらりと視線を向け、ため息をつきました。
「……そんな二人して心配性な事を。持たないと魔法を構築できるかどうかも分からないじゃないか。とりあえず、下がって下がって」
 ロウウェンは両手で剣を持ちました。構え、勢いよく振る。
 ぶんっ ぶんっ ぶぅんっ
 勢いよく振って、振り切って、これが実戦なら、大振りな一撃をかわされてそのままバッサリ、となりそうです。剣を振り回していると言うより、振り回されていると言った方が良さそうです。明らかに、もてあましています。
「ふぅっ」
 しばらくの後、すがすがしいため息と共に、ロウウェンは剣を杖のように突き立てました。がつっと硬い音がし、むぎゃっとツァイが悲鳴を上げます。
 晴れやかな顔でアレクシアを振り向き、ロウウェンは宣言しました。
「重い! 無理!」
「ちょっと!?」
 あわあわと駆け寄るツァイに宝剣を、こともあろうに投げ渡してしまいます。
「いやぁ、こんなに重いと、魔法の構築なんて夢のまた夢。振り回すだけで精一杯だよ」
「いや、それは見てれば分かるけどさ、だからって放り投げたらだめじゃん! 突き立てちゃったらだめじゃん!」
「ま、細かいことは気にせずに」
「細かくないよ!」
「ツァイ神官長、次は矢を見せてくれ。女神の弓矢。早く早く」
「え、えぇ!? あの、ま、まだやるんですか……!?」
 ツァイの悲鳴に、ロウウェンは顔をしかめます。
「やる。っていうか、まだも何も、宝剣しか試してないぞ。複数回試して後の“まだ”発言なら納得もいくが、ああ、納得できないな。だから早く女神の弓矢を持ってきてくれ」
「は……は……はい、……ただいま……」
 ツァイは涙目になりつつ、再び保管庫へ向かいました。それはもう、見てるこっちが気の毒で仕方がないほどです。
「ロウウェン、いくら何でもひどくない? あの人、泣いてたよ?」
「仕方ないね。マメマメ団殲滅のためだ、神官殿には泣いてもらおう。さて……また少し待たなきゃいけないわけだが、……ふむ、女神の話が途中だったね。聞くかい?」
「え? ええと……女神がいたかどうか分からない、だったよね?」
「そうそう。……君は異界を信じる?」
「な、何、突然」
「信じる? 信じない?」
 アレクシアは困ったように眉を寄せました。
「……異界って、こことは別の場所だか何だかに、奇妙な生き物がいて、時々行き来しちゃうって、あの話だよね? 話は知ってるけど……実際、見た訳じゃないし。信じるかどうかって言われれば、……信じられない、かな」
「そうか。まぁ、そうだよね。ただね、魔術師達の間では、それは周知の事実なんだ。異界はあるし、そこに住まうものも、いる。特にこの国は、大陸の諸大国に比べて遅れているからか、そう言った類のものが出てきやすいみたいでね。300年くらい前にも、異界の化け物が出てきたんだよ。国の半分を滅する魔物、何て呼ばれてね、その被害でコーリンの前身であるファンロウは弱体化、大陸の国に目をつけられて侵攻を受けたんだ」
「うそ……本当のこと、それ」
 ロウウェンはあっさり言いますが、内容としては信じがたく、とんでもないことです。
「これは本当。歴史書に記述があるよ。あ、歴史書ってね、ファンロウよりさらに前の時代から書かれてる公文書で、いわば、この地の歴史を記すものなんだ。国じゃなくてね。で、僕が考えるに、女神も異界から来た異邦のものだ」
「え……」
 アレクシアはしばし絶句します。
「め、女神って、女神も魔物だったの?」
「んん、魔物っていうのは、ヒトが勝手にそう呼んでるだけだよね。ヒトにとって有害か、有益か。その違いで。それに、一口で異界って言っても、全部同じものかどうかも分からないしね。確認のしようもないし」
 アレクシアは目をまん丸に開いたまま、緩慢に首を振ります。
「ご、ごめん、何か……すごく混乱……うん、混乱、してる」
「あ、ごめん。もっとシンプルな説明にすれば良かったね。女神は、一般的に考えられるような“神”ではなくて、チカラを持った異邦のものだったんじゃないか、と僕は考える。ってゆうか、単純な話、僕は神を信じていない」
「……え、そうなの? コーリンのヒトって、そうなの?」
「多分、僕が特別。ちなみに、アレクシアは? 神サマって、いると思う?」
「え? あの、えっと……」
 アレクシアは視線を逸らすようにうつむきました。
「いる、と、……思ってた。今は……よく、分からない。神様は……いるのかな?」
「んん〜……そうだね、確かに、その存在を証明することはできない。けれど、存在が証明できないことと不存在とはイコールではないと思うよ。後は、考え方だね。心の中にいる、つまりは神とは良心であるとか、遠くから見守る存在であるとか、或いは自然のエネルギーそのものを擬人化したものかも知れない。とらえ方は人それぞれ。考え方も人それぞれ。疑問を持ち続けるのも、自分を納得させるのも、自由でいいんじゃないかな」
「そう……なのかな。そんなこと、初めて聞いた。……っていうか、神様の像の前でする会話じゃないかも。さっきの神官さんに聞かれたら怒られちゃうかもしれない」
「怒りはしませんよ。コーリンはもともと多神教だから、基本的に信仰は自由なんですよ。でも確かに、神の前でするにふさわしい会話ではないかも知れませんね」
 穏やかな声に振り向けば、ツァイが先ほどとは別の箱を持って立っています。アレクシアは赤面して気まずそうにうつむきました。対してロウウェンは全く動じることなく、寄越せとばかりに手を出します。
 ツァイは泣きそうな顔で手にした箱を開け、ロウウェンに差し出します。
「魔術師殿、弓は剣よりも細いので、どうか、あの、……」
「わかったわかった。安心しろ」
 見事なほどの安請け合いに、ツァイは涙ながらに、沈黙します。
 女神の弓は、シェイの剣と同じ銀でできているようでした。表面に描かれた模様も、同じ意匠でした。弓にはさすがに弦は張ってありませんが、矢の方は矢尻と一つながりになっていて、矢羽根には光沢のある黒い鳥の羽が使われていました。
 ロウウェンは迷わず矢を手に取りました。重さを確かめ、くるるるんっと回してみたり。ツァイは失神寸前です。
「んん……これくらいなら、いけるな。じゃぁ神官長、これしばらく借りていくから」
「な、なんですと!? お、お待ちください、せめて所定の手続きをとってからに……!」
「ん、緊急事態だから。後始末はスオーラに頼んどくし」
「あ、後始ま……陛下に……あ、あ、魔術師殿……!」
 悶えるツァイを尻目に、ロウウェンは女神の矢を手にしたまま大股に扉へと向かっていきます。その後を、アレクシアが申し訳なさそうに振り返りつつ、追いかけます。追いすがるように挙げた右手もむなしく、かける言葉も見つからず、扉は閉じ、残されたツァイに沈黙が重くのしかかりました。
「……宝、なのです……」
 涙ながらのつぶやきも、独り残されてみれば虚しいものです。



 最後のマメが炎に包まれました。一瞬で燃え上がり、瞬く間に燃え尽きます。後には、僅かな灰が残るのみ。それすらも、乾いた風に紛れて痕跡ごと消えてしまいます。
 女神の矢は見事にタクトの代役を務めました。おかげで無事に本物のタクトを取り戻し、ロウウェンも絶好調、あっさりとマメマメ団の殲滅を成し遂げたのです。
 もちろん、あきれるほどあちこちにはびこったマメマメ団をつつがなく殲滅できたのは、死に神のように優秀なフェンリル隊長率いる近衛隊の働きがあってこそですが。
 全てのマメ達の消滅を見届け、アレクシアは天を仰いでため息をつきました。
 昼過ぎに始まったマメマメ騒動に収拾がついたのは、夕刻になってからでした。北国の夏は日が長いので、明るい太陽はまだ頭上高くにあります。しかし、厨房ではとっくに夕食の準備に取りかかっているはずです。
「まったく……やっぱり君は迷惑かけてくれるよ。こんなに遅くなって、料理長に怒られちゃうよ」
「んん〜? それは悪いことしたね。最後までつきあってくれたお礼に、僕から料理長に謝ろう」
「え……? いや、別に、そこまでしてくれなくても……」
「いやいや、料理長はコーリン城でも1、2を争う強面だ、こんな時こそ僕がアレクシアを守らないと」
「いいって、本当に」
「んん……そうかい?」
 ロウウェンは何やら考え込んでおりましたが、ふと、口元をゆるめました。
 冷酷そうに見える美貌が、ふわりと、微笑む。アレクシアにだけ向けられる優しい表情。
「なら、一緒に謝ろうか」
 数秒固まった後、アレクシアはくるりとロウウェンに背を向け、足早に歩き出しました。ロウウェンが慌てて追います。
「待ってよ、どこ行くの?」
「厨房。帰る」
「一緒に行くってば」
「いらないっ」
「待ってって、おーい」
 ほとんど走るような勢いのアレクシアを、ロウウェンが追いかける。そんな彼らを、幾人ものメイド達が目撃している。
 ロウウェン様、今日もイケメンだわ……!
 ね、アレクシア、何だか赤面してなかった?
 照れ? それは照れね? 照れ隠しなのね!?
 ツンデレよ! ツンデレ属性なのよ! そしてロウウェン様は一途なのね!
 ロウウェン様、どこまで追いかけるのかしら。
 そりゃもう、追いつくまででしょう!
 追いついて捕まえて押し倒して?
 押し倒す! 押し倒すのか! それは……それは……!!
 メイドさん達の黄色い声が、見事にハモります。
『萌える〜〜〜!!!』




 その部屋は施錠されていました。日に一回、第一小隊長と補佐とが解錠して入り、異変がないか入念にチェックします。それ以外で立ち入ることは原則禁止されています。そう、決められました。──あの、夜に。
 一番年若い近衛隊士が、邸内を見回っていました。明かりが外に漏れないように気を遣いつつ、隅々まで確認します。そして最後に確認するのが、隠し扉の奥の、施錠された地下室。
 陰気な階段をゆっくりと下りていきます。施錠された扉には、小さな窓があります。丁度目の高さに。ふたを押し開け、中を覗き見ます。……中央に、男が横たわっています。死んでいるのか、どうなのか。不可思議な、屍。
 異常なし。
 彼はふたを閉じ、またゆっくりと階段を上ってゆきます。
 無意識のうちに、腕を、掻きながら。

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