魔術師と有形力 ── one delight fever 1  



 真夜中の訪問者というのは、それが誰であれ、どういう状況であれ、少なからずどっきりするものです。そもそも真夜中という時点で、誰かを訪問するのに適した時間帯ではないのです。それでもあえて訪問するのは、そうするだけの理由のある用事があるわけで、その理由というのは、大方あまり歓迎されないようなことが多いわけで、だからこそどっきりしてしまうのです。
 なので、コーリン国の若き宮廷魔術師ロウウェンも、真夜中の訪問を受けて、今現在、どっきりしているのです。しかも、生半可などっきり具合ではありません。例えるなら、夜中に息苦しさに目を開けたら死神が覗き込んでいて死の宣告を受けた、ぐらいのどっきりなのです。ただし、覗き込んでいたのは死神ではなく、同じくらい怖い面相をしたコーリン国王直属の近衛隊長でしたが。
「……フェンリル隊長……」
 魔術師殿は低い低い声でうめきます。
「……夜中に枕元に立ってドスのきいた声をかけて、あげくその人殺しと間違えそうな面を拝ませるのはやめていただけますかねぇ?」
「…………陛下がお呼びです」
 渋すぎる低い声で、やけに平坦に告げます。ロウウェンの嫌みにもフェンリルは全く動じる気配もありません。さすがは国王を守護する近衛隊士の隊長です。月光に浮かび上がる顔は暗殺者と勘違いしそうに怖いのですが、そんなことは全く関係ないのです。
 ロウウェンはフェンリルの言葉に細い眉をひそめます。
「……スオーラが? こんな夜中に?」
 スオーラとは、ここコーリン国の王。間違いなく、国王。エライ人です。
「その、陛下が、お呼びです。ご足労ください」
 ふっと、短く息を吐き出し、
「明日にしてくれと、伝えてください」
 そう言って、ばふっと布団に潜ります。……もう一度言いますが、スオーラは、コーリン国王で、宮廷魔術師であるロウウェンの雇い主です。とってもエライ人です。最高権力者なのです。……一応。
 死刑執行人のように怖い表情のフェンリルは、ぎらりと目を光らせ、一気に布団をはぎ取りました。抗議しようと口を開きかけるロウウェンの面前に、ことさらしかめられた顔を──それこそ、心臓の弱いものには致命傷並みの破壊力のあるその顔を、ずいと近付けて背筋も凍る重低音で断言します。
「……では、参りましょう」
「はぁ? お、ちょっと……」
 ぐわしっと腕を掴まれ、寝床から引きずり出されます。
「フェンリル隊長、まだ行くとは言って……っ」
 ぐりんと、フェンリルが振り向きます。……何だか殺されそうです。
「……お静かに願います。誰も、起こすことないよう」
 50半ばの老剣士は、剣の技量もさることながら、冷徹な判断力をもって近衛隊長に任命されているのです。その男の言葉なら。
 ロウウェンは寝癖の付いた頭をくしゃっとかき混ぜました。いつもならつややかに伸びている黒髪は、肩の辺りでピコピコ跳ねています。不機嫌そうにしかめられた端正な顔は、ともすれば冷酷に見えます。
「面倒ごとですか? 極秘事項の」
 でなければ、わざわざ近衛隊長自らがこっそりと呼びに来るなんてことはあり得ないのです。察していても、それでも、行きたくないのです。ロウウェン的には。……面倒ですから。
 フェンリルはすぅっと目を細めました。……今にも殺されそうです。
「もし渋るようなら、と、陛下はおっしゃっておりました」
 切り札。
「厨房の人事を総入れ替えする、と」
 ぐらりと、一瞬ロウウェンの頭が揺れました。ク、卑怯な、とつぶやく声が漏れます。どうやら、その切り札はてきめんに効いたようです。
「…………分かりませんなぁ」
 フェンリルがため息と共に首を力なく振りました。
「何故そこまであの者にこだわるのか、私には理解できかねます」
「……理解してもらわなくとも結構です。案内してください。さっさと終わらせたい」
 冷たい声で冷たい表情で。そうするとロウウェンは暗黒の魔術師とか、魔王の腹心とか、そんな表現がぴったりくるのです。たとえ寝癖がついていたとしても。
 もちろんそんなことでフェンリルの鉄面皮が崩れるはずもなく。
「……こちらです」
 先に立って、音もなく歩き出しました。
 その背に、ロウウェンは思いだしたように問いかけます。
「ところで、何があったんですか?」
 フェンリルは振り返ることなく答えました。
「……屍が」
 と。




 翌朝は見事な青空が広がっていました。ぽつぽつと浮かんだ小さな雲は純白で、初夏の乾いた風にゆっくりと移動しています。
 コーリンの宮廷魔術師殿はのんびりと歩いていました。向かう先は薬草園。魔法薬の材料を取りに行くところでした。
 コーリンの王宮は、首都であるスーシアの町から少し離れて位置しています。深い森に抱かれているような城は、木と石と煉瓦でできた、耐久性重視の、どちらかと言えば無骨な作りです。コーリンはかなり高緯度にある北国ですから、冬の寒さと雪の重みに耐えられなければ意味がないのです。だからあまり、無意味な飾りや耐久性に難のある張り出しなどは見あたりません。
 薬草園は、広い広い菜園と果樹園とを抜けた先にあります。白く乾いた道の両側では、庭師達が畑の手入れで忙しそうにしています。ときおりすれ違うメイド達も、魔術師様に対し足を止め丁寧にお辞儀をして過ぎるのですが、忙しそうなのは一目瞭然。対してロウウェンはのんびりと、食後の散歩がてらのんびりと。
 森のような果樹園を抜けた先、薬草園が見えました。10年ほど前から栽培が始まり、今ではそれなりの広さと種類があります。仕事の増えた庭師達にとっては大変でしょうが、ロウウェンとしては、手軽にいつでも魔法薬の材料を手に入れられるので、喜ばしい限りです。
 薬草園の入り口をくぐってみれば、そこには先客がいました。白い上着は厨房のもの。夏の太陽にきらきら輝く赤みの強い金髪が見えます。ここコーリンは黒目黒髪の単一民族国家ですから、その金髪は間違いようが無く、コーリン城唯一の外国人、
「アレクシア〜!」
 ……です。
 呼ばれたアレクシアは振り返ります。
「……ロウウェン」
 中性的な顔を曇らせ、ため息を一つ。
「……また魔法実験するの? 今度は何?」
「え〜〜? 心外だな。僕の顔見た途端に魔法実験って、それはあんまりじゃないかい?」
「違うの?」
「んん、違わない。魔法材料取りに来た」
 実にさわやかに魔術師殿は言います。アレクシアはまたも深いため息。
「……で? 今度はどんな迷惑かけてくれるのかな?」
「っえ、迷惑前提? すばらしいの間違いじゃなくて?」
「……あのさ。」
 アレクシアはハーブを摘む手を止め、くるりとロウウェンを振り向きました。ゆったりした服の上からでも分かる、すらりと細い、姿勢のいい姿。若葉のような翠の瞳は、心なしか、険を持っているような。
「確認するけど。一昨日、奇妙な泥人形が城中走り回ってそこら中泥だらけにしてたよね。あれは、君の仕業じゃなかった?」
「…………あ〜……うん、作ったね、泥人形。疑似生命体を作れないかと理論を組み立ててみたけど、コントロールが難しくてちょっぴり暴走気味だったかも」
「ちょっぴり? ……二週間前は花壇の花全部枯れて庭師さん達大騒ぎしてたけど。あれもそうだったよね? 君が魔法実験してたからだよね?」
「……え〜……うん、水分を一カ所に集める方法を考察していたんだけど、やりすぎて花ごとカラカラになっちゃったかな」
「なっちゃったかな? ……先月は、お城全体に濃霧警報発生してたよね? 城の外はもちろん、部屋の中にまで濃霧大発生。厨房も例外じゃないよ。まさか、忘れた?」
「…………んん……うん、忘れてない。いわゆる幻影魔法について考察・実証をしていたんだけど、範囲の制御がちょこっとだけ甘かったんだね」
「甘かったんだね? ……あのねぇ。その君のほんのちょっとが、どれだけ周りに迷惑かけてるか、知ってる? その前は……っ」
「ああぁ〜、待った待った、僕が悪かった、反省してるからさ、もうその辺で勘弁してくれない? もちろん、君と話すことはやぶさかではないけど、それにしたってもうちょっと色気のある会話の方が僕としては嬉しい限りでね、」
「や……ヤブサカ??」
「そうだね、どちらかと言えば二人の将来について話し合いたいかな」
「はぃ? 将来?」
「あまり大きくなくていいから、庭付きの家に住みたいね。子どもは3人? 4人? せっかく庭もあるし、犬も飼う? あ、アレクシアは猫派かな?」
「…………何の話……?」
 アレクシアの声のトーンが一段低くなったのですが、ロウウェンは気付いているのかいないのか、何のためらいもなくアレクシアの肩を抱きました。
「だから、二人の将来だってば」
 実に愉しそうな、後ろにハートマークが付きそうなロウウェンの言葉に、アレクシアはギロリとにらみます。コーリン国成人男性の平均身長しかないアレクシアは、それよりゆうに頭半分以上高いロウウェンを、見上げるようににらみます。
「……そうやってどうでもいいことで煙に巻くの、やめてくれる?」
「どうでもいい? それはあんまりな。この僕の君に対する真摯な気持ち、いつになったら理解してくれるんだい?」
「だからさ、」
「僕はいつだって大歓迎だよ。いっそこのまま僕のとこにおいで」
 ぎゅっとアレクシアを抱きしめ。「むぐほっ」と崩れ落ち。……崩れ落ちました。きれいに身体を半分に折り曲げて。ハーブ畑に顔を突っ込まんばかりです。後には、拳を握りしめたアレクシアが立っています。
「それってセクハラ」
「せ、……セクハラじゃなくて、僕はいつだって本気で……」
「飛ばされたい?」
「ど、どこへ……?」
 何とも情けない顔をする宮廷魔術師様をフンと一瞥し、アレクシアはハーブの収穫に戻ります。
「友人として言っとくけど。」
 ようやく起きあがったロウウェンを横目でちらりとにらみます。
「そのセクハラ、いい加減にしないと、いくら宮廷魔術師とは言え、捕まるよ」
「んん……捕まるのは困るな。……いや、ってゆうか、セクハラじゃないし。僕はいつだって本気でアレクシアを口説き落とそうと……!」
「……もういいから。そういうのはさ、君に好意を寄せる貴族のお嬢様方にしなよ。ボクにしても意味ないだろ?」
「つ、冷たい……冷たいよアレクシア。僕の気持ちを知っていながら、そのつれなさ。……おっかさ〜ん、アレクシアが冷たいよ〜」
「…………バカ」
 アレクシアは呆れたようにつぶやき、軽く友人の背中を小突きます。
「ほら、さっさと用事済ませて戻るよ。っていうか、用事があって来たんでしょう?」
「んん、そうだった」
 ようやくロウウェンも、本来の目的を思い出したように、収穫を始めます。そしてそれを遠目に見るギャラリーが、一人、二人と。

 ロウウェン様、アレクシアと一緒よ!
 二人っきり? 二人っきりの世界なの?
 大変! 非常招集をかけないと! 待ってて、ロウウェン様!




 輪郭のぼやけた青い月を千切れた雲が時折かすめ、足下に影を落としてゆきます。
 殺人鬼と魔王の腹心は、見回りの兵士にも見つからぬよう、闇の中をこっそりと移動していました。
 真夜中に起こされた理由を、ロウウェンはまだ聞いていません。国王の近衛隊長自らが迎えに来るあたり、よほどの事情があるのでしょうが。
 全くもって気の重くなるような沈黙の道行きの後たどり着いたのは、今は使われていない、古びた離宮でした。2階建ての、小さな屋敷程度の大きさがあります。
 離宮と言えば聞こえはいいのですが、残念ながら、その宮には窓がほとんどありません。たまにある窓は、窓と言うにもはばかられる、細い隙間のようなものです。空気の取り入れ口といった方がいいかもしれません。日の光を取り入れるための窓は、少なくとも表から見える範囲には、ありません。
 離宮という名の、これは単なる隔離施設なのです。城の本宮から遠く離れ、周囲を荊で囲われ、忘れられて朽ちるよう仕向けられた、そんな施設。
 とは言え、使われていたのは遙か昔。少なくとも、現国王が在位してからは使われた試しはありません。取り壊すにしても手間暇がかかり、それならいっそ朽ちるに任せてしまえと放ったらかされていたのですが。
 建物に対してかなり小さな正面扉は、長い年月を経ているにもかかわらず、僅かなゆがみも見えません。扉の脇には、まだ若い、二十歳そこそこの近衛隊士が立っています。
 若者は無言で敬礼し、扉を閉めると、ようやく明かりを灯しました。極限まで明かりを絞ったような、頼りない光を揺らすランプ。それだけを光源とし、3人は若者を先頭にゆっくりと邸内へ歩を進めます。
 ホールを横切り、2階へと通じる階段の後ろ、薄暗い中でもさらに昏い壁をごそごそ探ると、重い音と共に、壁の一部が扉のように開きました。いえ、扉が、壁に似せられていたのです。そこからちらりと見えたのは、別世界にでも通じてそうな、そんな薄気味悪い下り階段。隔離施設だというのに、いやだからこそなのか、さらなる隔離施設がその先にはあるようです。
 若者は振り返り、ぼそりと、何かつぶやきました。小さすぎてはっきりとは聞き取れないのですが、足下に気をつけろとか、そういったことを言ったのだろうことは予測できました。
 館内部は、じめっとしてかび臭さに鼻の奥が痛くなります。しかし、その隠し階段はそんな程度では済みませんでした。腐臭なのか、死臭なのか、空間自体に染みついたような臭い。今にも怨嗟の声が聞こえてきそうな。その上何とも言えない閉塞感。
 ロウウェンはため息と共に抑えた声を出しました。
「そろそろ、何があるのか教えてくれてもいいんじゃないですか?」
 ロウウェンの背後──ほとんど闇の中から、フェンリルの声がぼそぼそと聞こえます。
「今日の夕刻、陛下が散歩中、奇妙な屍を見つけたのです」
「屍? さっきもそんなこと言ってましたね。ただの死体ではないんですね?」
「はい。屍という呼び方は正確ではないのですが……他に、それを呼び表す適当な語句が、見あたらないのです」
 階段が、終わりました。先には、扉が一つだけ。視線の高さに開閉式ののぞき窓がある、隔離するにふさわしい扉です。若い近衛隊士が小さくノックし、重そうな扉を開きます。
 闇に慣れた目には、その部屋はとても明るく映りました。背後では扉を閉めた若者が、手にしたランプを調整し、通常の明るさにしています。
 今部屋にいるのは5人。ロウウェン、フェンリル、案内してきた若者のほかに、40代くらいの近衛隊士と、20代後半とおぼしき青年。身なりはなかなか立派ですが、その表情は……なんとも、眠そうで面倒くさそうで、今にもそのあたりでごろりと横になってしまいそうです。
「お待たせいたしました、陛下」
 そういってフェンリルが頭を下げたのは、その眠そうな青年に対して。青年は手を挙げ、おぅ、と軽く応えます。
「こんな夜中に悪ぃな、ロウウェン。俺も眠いしさ、ちゃっちゃと終わらせようぜ」
 やたらと軽いノリですが、正真正銘、コーリン国王スオーラその人です。少し癖のある髪をかき上げあくびをかみ殺しています。下がり気味の目尻とその言動からは、軽薄な印象しか受けません。
 立っている彼らの中央に、問題の「屍」はありました。くたびれた中年、というのが第一印象でした。土気色した肌、閉じた目は黒く落ちくぼんでいて、確かに、死体にしか見えません。
「……で、この死体がどうだっていうんだ?」
 ロウウェンは言います。……スオーラに向かって。ぎょっとしたのは、若者だけでした。ため口聞かれたスオーラ自身でさえ、なんてことないように応えます。
「おぅ、これな、死体じゃねぇんだ」
「……生きてるのか?」
「ん〜〜……」
 スオーラは困ったようにがりがりと頭をかきます。
「正確には、だ。死んでいるとも言い難い、だな」
「……また微妙な言い回しだな」
 ロウウェンの言葉に、スオーラは力なく笑いました。
「実際、調べてみろよ。その方が早いし、この何とも言い難いもどかしさも分かるだろうよ」
「……?」
 ロウウェンはいぶかしげな視線を向けましたが、結局何も言わずにしゃがみ込みました。
 肌を押し、口の中をのぞき、まぶたをめくり、ひっくり返し、最後に脈をとり。なるほど、とつぶやき立ち上がります。
「確かに。正確には、屍? と言いたいところだな」
「だろう? 俺も医学に詳しい訳じゃないけどさ、それでもやっぱおかしいくらいは思う訳よ」
「んん……脈はなし、呼吸なし、瞳孔に反応なし、死後硬直なし。それだけなら屍と言っていいがな。死後硬直がないなら、死後二日以上経ってるはずだが、肌に張りがあるし、死斑もない。……なんだかな」
「きな臭いだろ?」
 スオーラは大あくびを一つ。せりふの割には、緊張感が伝わりません。
 フェンリルがぼそりと言いました。
「……灼くべきです」
 まるで、この世の終わりを告げるような。




 必要なハーブを摘み終え、アレクシアを振り返ったロウウェンは、いかにもまずそうに顔をしかめました。厨房の友人の手にする篭に、あきれるほどハーブがてんこ盛りになっているからです。
「ねぇアレクシア、何、その量」
「え?」
 アレクシアは不思議そうに振り返りました。
「……何かヘン?」
「変だよ。いや、どう考えても変だろ、その量。どんだけ使うんだよ」
 アレクシアは篭の中身を指さします。
「ん〜っと、これとこれが肉料理で、この辺が魚料理、で、これが前菜用で、後はサラダ」
 割合としては、料理用1に対してサラダ用30。
「多っサラダ、多っ。アホみたいにあるじゃないか」
「……仕方ないよ。陛下が尋常じゃなくハーブ好きなんだから」
 そう、コーリン国王スオーラは、異常なほどのハーブ好きでした。健康な成人男性の一番好きな食べ物がハーブサラダというのはいかがなものかと、宮中ではささやかれたりしています。しかしスオーラはそんなことを気にしたりはしません。王様ですから。
「だいたい、ハーブは食べ物じゃない」
「まぁね。風味付け程度に使うのが普通だよね」
「じゃなくて。ハーブは薬草。つまり、魔法薬の材料ってことだ」
「なるほど、一理ありって、言うと思う?」
 ピンとはじき飛ばされたミントを、ロウウェンはささっと避けます。
「そうやって君は自分のハーブ嫌いを棚に上げるんだ」
「う〜ん、キビシイ」
 言葉とは裏腹に、ロウウェンは実に嬉しそうでした。
「んん……それにしても、今日も天気良すぎる。日差しがきついね」
「そうだね。ここんとこ晴天続きで、すっかり地面がかわいちゃってるし。ハーブは雑草みたいに強いからいいけど、菜園の方は大変そうだよ。水汲んで撒くのにも限度がある、って、庭師さん達が嘆いてる」
「ほほぅ。ならば、僕の出番だね」
 アレクシアは一瞬固まり、妙にカクカクとした動きでロウウェンへ首を向けます。
「……出番? 出番って言った??」
「うん、出番。こんな時こそ、魔法の出番だろ? かる〜く、雨を降らせよう」
「だ…………ダメダメダメダメ!」
 アレクシアはぶんぶんと大きく手を振ります。
「今度は花壇だけじゃなく、菜園や果樹園までカラカラになっちゃうじゃないか!」
「ならないならない。失敗から学ぶことは多いんだよ。それに、集める水分は植物からじゃないよ。ってゆうか、それをしたら本末転倒」
「は? ホンマツ?」
「植物に水をやるために植物から水分を奪うのはおかしいって意味。だろ?」
「あ……うん」
「とは言え空気中から集めるのも、ここら一体に撒く量集めるのは大変なんだよ。薬草園の空気から水分集めてもコップ一杯にもならないって言ったら、その大変さも分かるよね?」
「うん……まぁ……」
「そこで、水分の集まりである雲を、そのまま水にする」
「ん……うぅん……?」
「そしたらほら、誰にも迷惑がかからない。完璧じゃないか」
 アレクシアは何度も首をかしげます。雲、雲、とつぶやきながら。
「それって……それってさ、単なる雨じゃ……? 雨乞いするの?」
「雨乞いって、また原始的な。んん、雨って言うのはね、雲に水分が集まりすぎて、雲として保てなくなった時に降るものなんだ。余分な水分を落として、雲はまた流れゆく。雨が降ったからとて、雲は消えないだろ?」
「ぁぁ……うん、そうかも」
「で、雨雲と普通の雲の違いは、言ってしまえば、水分量なんだ。今浮いてる雲、あれは雨を降らすほどの水分を持っていない。ここまではいいよね?」
「うん、なんとか……」
「雨を降らすほどではないけれど、あれが水の固まりであることは変わらない。だから、雲を分解して、その全てを水にする。雲は消えるけど、まぁ、雨みたいなものだよね」
「はぁ……うん、なるほど……?」
 理解したのかしないのか、アレクシアは曖昧な表情です。
「実際目にすれば分かることさ」
 ロウウェンはそう言い、ベルトに通したホルダーからタクトを抜きました。
 タクト──いわゆる、魔法使いの杖です。ただ、杖と言うにはあまりに細く短く、なおかつ魔法を構築する姿が音楽を指揮するように見えることから、タクト、と呼ばれているのです。
 ロウウェンの視界が、魔術師特有のものに切り替わります。世界は色あせ、代わりに様々なチカラが見えてきます。
 普通の人間には見えないそのチカラは、そのままでは何の役にも立たないシロモノ。魔法は、それらを統合し、方向性を持たせ、具現化すること。
 ロウウェンは、アレクシアには見えないチカラを集め、魔法を構築し、遙か高みの雲めがけて発動──トリガーを、引きました。
「さぁ、これで雨が降る」
「本当に? 何も変わったように見えないけど」
 アレクシアが眩しそうに空を見上げています。
「そりゃ、ね。雲って、ものすごく高いところにあるんだよ。あの魔法は矢の初速なんかよりずっと速いけど、それでも到達するまで時間がかかる。まぁ、こうしてる間にきっと雲に届いたと思うよ。魔法によって雲は分解されて……」
「……って、ちょっと待って」
 意気揚々のロウウェンに、アレクシアが水を差します。
「それって、今なの? 今降ったら、ボクら……」
 ざばざばざばざばざばざばざばざばざばざばざばざばざばざばざばざばざばざば
 アレクシアの言葉を遮り、ロウウェンの宣言通り、降ってきました。滝のような雨です。十数秒の後、唐突にそれは止みます。後には、何事もなかったかのような青空と、ぽつぽつと浮かぶ白い雲。
 ぽたぽたと。髪の先から滴がぽたぽたと。アレクシアは明るい金髪をかき上げ、じろりと友人をにらみます。
「……雨降ったら、当然、濡れるから」
「……あ〜……うん、そうだねぇ」
 気まずそうに視線を逃がしつつ、ロウウェンはタクトの先で痒くもない頭をこりこりとかきます。
「対策をとらないとこうなることくらい、予想つくだろ!?」
「んん……んう〜……面目ない」
 ロウウェンはぺこりんと頭を下げました。ぱたぱたと、滴が落ちます。アレクシアがため息を落としました。
「……バカ」
「悪かったって。とりあえず、頭拭いて着替えよう。文句は改めて聞くからさ」
「文句? 文句じゃないだろ? ……えーっと、ん〜……いや、何て言うのか浮かばないけど、でも、文句なんて言ったら、ボクがわがまま言ってるみたいじゃないか」
「アレクシアがわがままを言う…………いいね。なかなか萌えるシチュエーションじゃないか。例えばデート中僕が食べているものを『そっちの方がおいしそう。交換して?』とか言ってみたり、美人とすれ違ったら『ボク以外に興味があるんだ?』とか拗ねてみたり、さらにはふぐぅあっっ」
 ロウウェンは脇腹を押さえてよろけました。崩れ落ちそうになる膝を、何とか踏ん張ります。
「……イタイよ、アレクシア。脇腹に突きは、イタイよ」
「……この場合、イタイのは君の頭だよ。なに、その無意味にあり得ないシチュエーションは。勝手にボクにせりふ割り当てないでよ」
「そう言われても。次のせりふも決まってたんだけど」
「聞きたくないし、言わなくていい。絶対、不愉快に違いないし」
「それはそれとして次のシチュエーションは、ベッドの中!」
「ちょっと……」
「その白い肌を桜色に染めつつ」
「いい加減に……」
「『独りはイヤだから……絶対、離れちゃイヤだからね!?』なんてムぐぉ!?」
 素早くのびたアレクシアの手が、ロウウェンの喉笛をがっちり掴んでおりました。さらに、ぎりぎりと締め付けています。
「あ、アれ……死ム……!」
「いいよ。遠慮なく、“向こう側”に……」
 アレクシアは力強く一歩踏みだし、
「……飛んでけぇ!」
 ロウウェンをぶん投げました。……さすがに“向こう側”までは逝かなかったものの、
「ぎゃふんっっ」
 と、魔術師様は地べたに顔面着地したのでした。
 少し離れた場所で、やっぱりずぶぬれになった数人のメイド達に見守られているとも、知らずに。

 やってるやってる。今日もつっこみ激しぃ〜
 ロウウェン様の濡れ髪姿……レアだわ。イケてる。
 あ、ちょっと、アレクシアの服、濡れて肩の辺りとか透けてなくない!?
 本当! これは萌えよ! そうしてその純真無垢な少年の色気でロウウェン様をノックアウトしちゃうのね!?
 いや〜〜〜ん! そんな二人にこそ、お姉ぇさんはノックアウトされちゃうわ〜〜!
 ってゆうか、風邪ひきそぅ〜〜!




 陰鬱たる地下室に、世界の終焉を告げるかのようなフェンリル近衛隊長の声が鬱々と響きます。
「……灼くべきです。これが本物の屍にしろ、何にしろ、灼いてしまうのが最善かと思われます。残しておいて、いいことがあるとは思えません」
「……だろうなぁ」
 スオーラはため息をつきます。
「俺もそう思う。面倒なことになる前に、始末してしまうべきなんだがな」
「……何でそうしてしまわないんだ?」
 ロウウェンが、至極当然な疑問を口にします。
「火が付かないからだ」
 スオーラも、これまた当然と言った口調です。
「火が付かない? どういう意味で?」
「意味もクソも。ゴミと一緒に灼いてみたけど、きれいにこいつだけ灼け残ったんだよ。これ、一応、灼いた後なんだぜ?」
 国王の言葉に、フェンリルの方が驚きました。
「陛下? いつの間にそのようなことを……」
「ん? 見つけてすぐ。すげーだろ、俺もやるときゃやるんだ」
「褒めていません。火遊びはお控えください」
「……いや、ガキじゃねぇし、火遊びでもねぇ」
 ロウウェンは顔をしかめました。
「ますますきな臭い。こんなモノ城の中に置いておいていいのか?」
「まあ……よかないな」
「しかし……いや、…………これ、どこにあったって?」
「この辺。この奥庭の、いろいろ茂って見えにくいトコ」
 このコーリン城には、庭園が4つあります。この朽ち果てたような離宮があるのは、一番奥まった場所にある庭園。あまり客も通さない、いわゆるプライベート空間です。
 ロウウェンは眉をしかめて腕組みしました。
「こんな場所まで、どうやって入り込んだ? どうやって持ち込んだ?」
「そう、それがわかんねぇ」
「んん……つまり、どこかに捨てたとしても、侵入ルートが判明していない以上、また運び込まれる可能性がある。今度は、見つけられないかも知れない」
「そそ。そゆこと」
 フェンリルが首をひねりました。
「……申し訳ありませんが、私には理解できません。そのことと、この状況と、今ひとつ繋がらないのですが」
 黙ったままの近衛隊士二人も、微かに頷いていました。
「見張らせるんだろ?」
 スオーラより先に、ロウウェンが口を開いていました。
「灼けない、下手に捨て置けないなら、見張るしかない。……違うか?」
「いや、違わねぇ」
「何ですと!?」
 目をつり上げるフェンリルを、スオーラは手で制します。
「落ち着けよ。声がでけぇ。つまり、……あ〜……」
 スオーラは面倒くさそうに髪をかき混ぜ、大あくびを一つ。
「……ロウウェン、説明頼むわ」
「どこまで面倒くさがるんだ……まぁいい」
 ふっと短く息を吐き出し、ロウウェンは近衛隊士達に向き直ります。
「現時点で考え得ることですが。……侵入ルートは不明だが、侵入方法は幾通りもない。誰かが持ち込んだか、自ら入ってきたか、です。もちろん、机上の理論でしかない。しかし、どちらにしても、城内をよく知る者の手引きがないと不可能と言えます。……意味するところは分かりますか?」
 当然でした。全員が、眉をひそめます。敵は、内にあり。
「そうすると、だ。これは唯一の手がかりになるんです。こちらの執る手は二つ。何とかして始末するか、もしくはこれに繋がる糸をたどるか。前者の場合、これが不発に終わったことを知った黒幕が、そのまま計画を断念するかどうか、で変わってきます。これのスペアがもし容易に調達できるなら、今度こそ見つからない場所に置かれるかも知れない。そうした場合、いざことが起こるまで、こちらに知るよしはない。向こうがこれ以上動かないなら、これ以上の危険もない。で、後者の場合。うまくいけば黒幕までたどれるかも知れないが、これが何の意味か、今後どういったことが起こるか、予測は限りなく難しい。もちろん、この糸が繋がってるかどうかも分からないし、たどれるかどうかも不明ですが。たどれなければ、危険だけが残る」
 フェンリルが剣の柄に手をかけています。
「始末すべきです。灼けないなら、切り刻むまで」
 スオーラが、ぼそりとつぶやきました。
「……年寄りのくせに物騒なヤツ」
 フェンリルがスオーラにずいずい迫ります。無言の圧力をかけつつ、それはもう、ずいずいと。それを、ロウウェンが呆れたように見ています。
「……なにやってんだ。
 つまり、どちらの手段でも一長一短あるわけですが、先のことを考えると、この屍を始末することで決着をつけようとするやり方は、問題の先送りでしかないのです。背後に誰かがいることは明らかなのだから」
 フェンリルはようやく国王にプレッシャーをかけることをやめ、苦々しいため息をつきました。
「……何か起こると分かっていて放っておくというのは、どうにも居心地の悪い気がしてなりませんな」
「そりゃ、ここにいるヤツ全員同じだな。諦めろ。んで、見張ってくれ」
「……私がですか?」
 スオーラを振り向くその顔は、いかにもイヤそうでした。
「でなきゃ呼ばねぇよ。ま、正確にはお前の部下を貸せ。今日の当番は第一小隊だな。全員招集かけてここに泊まり込みだ。事が事だから、当分帰れないぞ。その分、手当ははずむから」
 フェンリルは何か言いたそうでしたが、ため息をついただけで、結局何も言いませんでした。
 スオーラは手を一回打ちました。
「っよし、これでここは終わり。お疲れさん。フェンリル、具体的な警備なんかについてはよろしくな。じゃ、解散!」
 軽い宣言と共に背を向け、大あくびと共に出口へ向かいます。ロウウェンもそれに続き、陰気な部屋には近衛騎士達だけが残されました。

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